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<title>amilashandayのブログ</title>
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<title>百乃女神　ももから生まれた百女神</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260929/11/amilashanday/02/7a/j/o0509072015826702383.jpg"><img alt="" height="594" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260929/11/amilashanday/02/7a/j/o0509072015826702383.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　百々木愛美鸞として、新しい雅号を付けたら、何だか踊りたくなっちゃったの。</p><p>宣伝カーに言霊百神を乗せて世界の聖地を廻ろう！</p><p>　神樂ってね。神様を楽しませる為にあるんだよ。</p><p>言霊百神って、最初平仮名50神は起源の太陽メテシェラから始まって天津国という</p><p>天界、自然界、海洋って、上から順に降りて来るんだけど,生命力は「ウ」天之御中主の命なの。うとか、う～とか、うんうんとか言ってるだけで、元気になって、来ちゃう。頭もスッキリ宇宙中の星々がキラキラ耀いてスパークしてる。</p><p>　生れ落ちた瞬間、「うっ」と力んで地球での運命を掴んだのよ。&nbsp;</p><p>人間を依り代にして、怒ったり笑ったり、泣いたりするの。だから神様を楽しませる、それは人類を楽しませることなのよ。あなたが楽しんで笑っていると、私は本当に幸せになるわ。貴女の笑いは神の息吹なのよ。私は絶え間なく称賛し、笑っているあなたを見つめられる事に感謝するわ。ありがとう。あなたの喜び笑い声が私の魂を無限の愛へと変容させる。</p><p>&nbsp;&nbsp; &nbsp; 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Tue, 29 Sep 2026 12:19:37 +0900</pubDate>
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<title>ArtMusE Amiyla</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260928/17/amilashanday/af/85/j/o4608121615826496974.jpg"><img alt="" height="111" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260928/17/amilashanday/af/85/j/o4608121615826496974.jpg" width="420"></a>　　　　初めまして。ArtMusE Amiyla　です。</p><p>　本名は佐佐木章こ　HPにはアーティストとしての経歴と作品を見て頂けます。</p><p>2026年9月28日　古事記の国生み神話の言霊百神一首をオペラにする為に只今脚本執筆中です。日本最古のベリーダンサー天之鈿女アメノウズメの様な古事記の国生み神話では、百乃女神が登場するのですが、この女神が伊弉諾尊神を黄泉の国から追いかけて来た伊邪那美神を「美と若さと健康」という、3個の神宝桃の実で打ち破るのです。</p><p>　そこから伊弉諾尊神が「これからも私を助けた様に、世界中の人々を桃の実で助けてね。」といわけで、元祖「桃から生まれた百もも女神がこの国生み神話で誕生したのです。そして何故私は百乃女神になったのか、そのマイストーリーをお話しさせて頂きますね。</p><p>　１999年2月、私はイギリスから10年振りに主人と共に帰って来て日本で久々の個展を開く準備をしながら作品を描いていました。するとこの岡山では桃太郎のお話しがメインで活動している方が大勢いて、桃太郎の話しを色んな人から色んな角度で聞かされるのです。そして、奇しくも古事記の国生み神話を出雲で聞かされ、四国で聞かされ、淡路島で聞かされ、とうとう言霊百神の絵まで依頼され、その依頼を引き受けてからこうして日本の音素の神様、言霊百神とお付き合いさせて頂いているという次第です。</p><p>　あちこちの神社でこの古事記言霊百神の展覧会を開催しているのですが、まだ言霊百神の存在すらメジャーでなく、どうしてPRしようかな？と考えた末に、そうだ！私が百乃女神として、言霊百神と共に日本中巡行すれば良いのだ！とクラウンハイブリッドの桃太郎を買って、そこからYouTube動画の撮影に行ったり、百神一首の歌詠みをライア弾語りで歌ったり、御神事茶事を開催したりしているのです。父はこの邑久の家を購入した時、畑や田んぼ田植えをする為に軽四のトラックを購入し、まるで開拓者のの様な生活をして、年金生活の中で私を養い、私はアート三昧の生活をしていたのですが、父が９０才に近づくと、色んな老齢化の兆候が出て来て、真ん中の妹が老い先短い父が安心してこの世を旅立てる様に、家に引っ越して来て、ここ邑久を実家にする計画を実行したのです。そして、いよいよ父も軽四のトラックに乗れなくなった時、新しい車を購入するにあたって、私は父が安心して旅立てる為に自分の人生を構築していかなければならなくなりました。</p><p>　桃源流聖ー百々木愛美鸞　がこのお茶事の宗家元の私の名前なのですが、この宗家を建てる為に、私は長年お世話になった遠州を去らなければならず。可愛がってくれたお師匠様を天国に見送り、只今私は宗派を問わず、様々な茶道華道家の皆様に集って貰い、五節句の祝という言霊百神歌詠み茶事を開催しているのです。</p><p>　未熟者である私が桃源流聖ー百々木愛美鸞　ササキアミラとして、御神事茶事を開催する事になった経緯は、お茶の先生の冥福を感謝の形で残し継承したいという気持ちからでした。遠州では、10本の指に入る師範しか許されない御神事茶事を開催茶事なのですが、先生は笑いながら、画家であり、日本の芸術芸能を学び再構築している私を自分の娘のように思って下さったのでしょう。日本にお里帰りしたばかりの私が、まるで浦島太郎のように、突然岡山に帰って来たのは天の采配があったからでしょう。主人も別に東京に住んでも良かったのに、わざわざ、家族がいる岡山に住んで、私の家族と一緒に暮らしたいと言った気持ちが今更の様に理解出来ます。岡山は本当に神代の時代の桃源郷です。</p><p>　茶道は、大名や殿様が家元であり創始であり、代々そのお家の名物を披露する子孫の為の一期一会の侘びさびは、元々禅の創始者千家流ですが、平安時代にやっと女性に許された、平仮名片仮名を使っての源氏物語や伊勢物語や古今和歌集ではないこの女文字のおかげで、紫式部が日本初の女流作家として、宮中の女の子達の知育？にあたっていたのですよ。そして、観阿弥の時代ようやくお茶を習い神樂から能へと独自の幽玄美を風姿花伝の体系を執筆し花伝書を伝えることによって現在の能が日本の舞芸として、雅楽と共にお囃子が伝統文化として、定着したのです。</p><p>　私も高校時代から、父は百人一首で、私はアートで、ご近所の子供達の知育？にあたっていたのです。</p><p>お茶の先生は、そんな私をわざわざ応援しに安芸の宮島での個展に、祈禱済みのしゃもじを携えて来て下さったのでした。既に、私は神功皇后と仲哀天皇の絵を牛窓神社奉納する際に御神事茶事と能をご披露しているのです。それを許して下さったのが、遠州の私の10本の指に入るお師匠様だったのです。日本に帰って、ご近所の仲良しさんに誘われてお茶のお稽古に行った初日、恩師の圧倒的な立ち居振る舞いに思わず目を見張り、その時初めて茶花の美学と一本一本の花を生けるその思いに感動し、高校時代と同じ衝撃が走った瞬間でした。</p><p>　最初、主人と共に父の家に入った私の唯一の仕事は花のある家にして欲しいという事でした。単純な私はそのまま、園芸店で植木鉢の花をいっぱい買って、とうとう鉢が溢れる頃に、妹が建てたサンクチャリ佐山桃源郷に引っ越す事になったのです。トラック一杯の鉢を乗せて、私と主人と一階。そして、妹と姪と父が二階に猫8匹と犬一匹と暮らす事になったのです。　お茶のお稽古は林原美術館と林原所有の茶室で源氏物語の衣装展示会の中で行われたのです。能のお師匠様は、岡山の殿様と別格と言いますが、林原美術館の所蔵していた源氏物語の能衣装は大変保存状態も良く、私の創作「源氏香久夜」のモチーフに多大なる影響を与えてくれました。その後、紫式部のお札も発行されて日本の雅が、林原運営のルネッサンスというレストランと共に一挙に花咲いた様に思えましたね。その時、私は茶花の美しさに魅了され、自分が今まで花を育てていた、薔薇屋敷とハーブの世界の中に、山野草である茶花の世界が拡大して行って、花とアートと主人の好きなアウトドアーの旅の日々が始まったのです。</p><p>　書道のお師匠様は百人一首の草書の出版をされた方で、いつも和服をお召しになり、書道を教えていらっしゃった。林原の美術館の横にあるルネッサンスというビルのレストランへもよく弟子達と一緒に昼食を食べに行き、私は午後から英語教室の準備の為に、そそくさとおいとましなくてはならず、一年後に他界された先生と一緒に行った四国高松の旅が本当に素晴らしい思い出となり、入院中に、イタリアに行き、ルネッサンスのアートをフィレンツエで購入し、先生にその本を手渡す事が出来たのが、私の唯一の感謝の気持ちでした。そして、今百神一首を書画として書いている時、先生が私の書をあっちこっち向いてコーンな顔してる、って私をたしなめたのか笑かせてくれたのか分からないご指導が今も懐かしいです。</p><p>　私はロンドン帰りで、そして、元々大阪人で親族家族は四国愛媛の最先端、父は自分は平家の落人だと言っていましたが、日本画の先生から近江の自分のルーツを調べる様に言われてたどり着いたのが、宇多天皇。そんな理由で日本人としての作法を知らないと笑われたらまずいと思って、必死になって、着物を着て日本人の常識茶華道書画能のお稽古に出かける事になった日々が今秋分の日に鈴虫の鳴く声を聞きながら懐かしい秋を過ごしています。</p><p>　桃源郷　岡山の佐山での私の暮らしは、昼間はアーティスト、夕方までアートと英語の先生、夕方からはお茶お花.能.詠いに書道のお稽古と、お稽古三昧着物三昧の日々の暮らしでした。でも、ロンドン時代にホームシックになった私の唯一の慰め百人一首を自分自身が百神一首を詠み書き舞い描く事で、この先生方への称賛と感謝と感謝と愛を伝えたいと切に願っています。そして、岡山に来て一年も経たず他界した母、去年まで私を大切に守ってくれた父、そして、ロンドンから岡山へ一緒に帰って来てくれた主人。そんな天津国神代の時代の天之常立の星々神々の暮らす世界から私を見守ってくれている人達の愛の光の中で、生きていることが本当に何よりの幸せだと思える今日この頃です。</p><p>　元々私は大阪市で誕生し、大阪市でデザイナーとして、様々なブランドを無名でチーフプロデューサーとして手掛けてきたのですが、1992年にフリーのデザイナー兼アーチストとして、ロンドンにアトリエLovelayLandを構えたのです。<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260928/17/amilashanday/06/f6/j/o1748118115826499516.jpg"><img alt="" height="149" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260928/17/amilashanday/06/f6/j/o1748118115826499516.jpg" width="220"></a>すごい狭い部屋で、１２畳のリビングが私のアトリエ兼教室です。あんな狭い部屋にロンドンの日本駐在の奥様がアートレッスンに通って下さったり、ミラノ取材大阪に至るまでの作品を描いたりしていたのですよ。その上、私は亡くなった主人に手伝って貰って、ロンドンのビートルズショップ壁画を描いたりしていました。</p><p>　夕方になると、私は当時はまだBFだった彼が次々と故郷の友達を家に下宿させるので、彼らの食事係を担当していたのです。彼が私と付き合う前に、大変手の込んだ手料理をご馳走してくれて、これから食べることは何も心配しなくて良いからね。と言ってくれて安心していたのですが、買い出しから料理からベッドまで24時間一緒にいる中で、彼が仕事に出かけその間に自分の仕事をする。それが唯一の息抜きでした。</p><p>　何はともあれ、今思えばその時は青春時代でした。冬になればクリスマスを楽しむ為に、彼の故郷に一緒に帰り、そして東ヨーロッパのクリスマスを楽しみ、スキーに行き、買い物クリスマスプレゼントを探してあちこちと店を回る。昔初めて母に買って貰った「氷の女王」を思い起こさせる北の国で、彼の運転する車に乗って、最先端の歯の治療をして貰う。彼がずっと一緒に歯科のある大学病院で、私の治療中通訳をしてくれる。そんな心優しい彼は懐かしく夢見心地になる、主人の故郷はスロバキアでした。</p><p>　</p>
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<pubDate>Tue, 29 Sep 2026 02:44:01 +0900</pubDate>
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