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<title>SL中の人ぶろぐ</title>
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<description>ここでの記事内容は個人の個人の個人の意見です。不快と感じさせてしまう内容がある可能性ありますので、そう感じる前にブラウザバック推奨。なお、万が一読んでくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひ記事に対するコメントをいただければ幸いです。</description>
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<title>ダサいことをしない</title>
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<![CDATA[ <h4>　ここ数日で私にも<span style="font-weight:bold;">信条</span>ができました。今までテレビで見る人や、アーティスト、スポーツ選手が自分の信条を語るシーンを見てきましたが、自分にも遂に。。。という感じです。</h4><p>　『で、その信条ってなんなん？』</p><p>という声が画面越しに伝わってきます。今言いますからお待ちください。</p><p>&nbsp;</p><p>　それでは待ちに待った私の人生初の信条をここに記します。</p><p>　　—&nbsp;ダサいことはしない。</p><p>悩みに悩み、考えた末にこれになった。訳ではありません。（安心してください）</p><p>この言葉がふと頭に浮かんだのです。</p><p>　『頭に浮かんだ？　はぁ？』</p><p>と思われたあなた、落ち着いてください。</p><p>&nbsp;</p><p>　かっこいい行動を取っていたい。と思うことは人生で何度かありました。しかし、ダサいことを感じることはあっても考えることってあまりない経験ではありませんか？</p><p>　—<span style="font-style:italic;">ご意見お聞かせください。</span></p><p>かっこいい行動ってドラマや映画で時々みますよね。でもあんなことを自分がやるのは想像できない。。。想像できません。</p><p>　『いや、できるやん。』</p><p>嘘おっしゃい。簡単じゃないわよ。福士蒼汰や竹内涼真でない限り、許されないのよ。</p><p>　—冗談です。</p><p><span style="font-weight:bold;">かっこいい行動</span>の<span style="font-weight:bold;">ハードルは高い</span>ことを伝えたかったのです。</p><p>　一方のダサいことはどうでしょうか。あのときあの人があの場所でしてたあの行動ってダサかったよなぁ。という記憶ございませんか？　かっこいいことをしようとするより、ダサいことをしないほうが簡単だと思います。また、ナルシストになることなく、自分の行動を磨くことができます。</p><p>　『ナルシスト、って死語じゃん。』</p><p>待ってください。そこは議論していませんよ。</p><p>とにかく、私はダサいことをしないを信条に設定いたしましたことをここに宣言します。</p><p>&nbsp;</p><div id="UMS_TOOLTIP" style="position: absolute; cursor: pointer; z-index: 2147483647; background-color: transparent; top: -100000px; left: -100000px; background-position: initial initial; background-repeat: initial initial;">&nbsp;</div>
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<pubDate>Mon, 29 Apr 2019 14:49:22 +0900</pubDate>
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<title>SNSは人と別れた時に繋がりを留めておけるツールだと思う</title>
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<![CDATA[ <p>　私が中学生の頃にツイッターやフェイスブックなどのSNSが登場し始め、瞬く間に浸透していきました。高校生の頃には周りの友人のほとんどが何かしらのSNSを利用していました。SNSアプリは実に便利なもので、自分の近況をツイートしたり、友人・有名人・他人の近況も把握できるツールです。特に若い世代は1日あたりのSNSを見ている時間が長く、自分以外の人間の行動を把握しやすくなっています。</p><p>　他人の行動を把握しやすい一方で、常に他人の目を気にすることになりました。この意見は偏向的かもしれませんが、私の人生ではそう感じる機会が幾度となくありました。その例として「インスタ映え」という言葉が生まれたのも、そこに関係があるからだと言えます。</p><p>　—「でも、そのおかげで外出する機会が増えて、経済を潤してるじゃんよ。」</p><p>私もそうだと思うんですけどね。思うんですよ皆さんと同感です。SNSは身近な人と繋がれるツールであるが故に、身近な人の行動を気にして毎日のようにチェックして、SNSにとらわれる生活の幕開けとなります。</p><p>　しかし最近こう感じる機会がありました。</p><p>—『ひょっとして、SNSはこれから会えなくなる人と繋がりをとどめておくためのツールなのではないか？』（FODでテラスハウスを観て強くそう思うようになりました）</p><p>数年間ともに学びあった学友との別れ、の卒業式や、教習所で出会った仲間との別れ、の卒業式や、4月から社会人になった先輩との別れ、など身近に別れを感じる機会ありますよね。</p><p>　　—「んだよ、卒業式ばっかじゃねぇかよ。」</p><p>パッと思いついたのがこれくらいだったんです。ごめんなさいね。</p><p>　改めてSNSを考えて欲しいんです。身近にいる友達のことは、明日会った時に話してみてはいかがですか？　日曜日に松島にいってきたんだ〜！　めっちゃ綺麗だったよ〜！　写真撮ってあるから見てみて！　みたいな会話が想像できます。しかし、その日曜日の出来事をSNSに投稿したとすると、発信側は写真とそのコメントを載せ、受信側はそれをみる。そして、リプライするなり、ラインするなり、反応を示すかもしれません。</p><p>　私はこのやりとりに寂しさを感じます。同感のかたはいらっしゃいますか？</p><p>　　—「・・・。」</p><p>　いや、同感の方がいると信じていますよ私は。このやりとりの何が気に入らないかって、声で会話していないことが寂しく思うんです。SNSでやりとりが完結してしまう結果、会った時には話のネタを相手が知っているので、会話のきっかけも、内容説明も、話を聞いて想像する力も、それを養う機会がSNSによって奪われているような気がするんです。若い人には、意思表示を苦手とする人が多くいると思います。目立ちたくない。浮きたくない。と思ったことがある人もいるでしょう？いますよね・・・？自分だけ？笑</p><p>　日本人特有の「集団体質」といいますか、周りと違うことを認めにくい社会だからこそ、きちんとしたコミュニケーションをとる機会をSNSに食われてはならないと思います。若いうちに友達とたくさん話す機会があることで、喋る力が自然と養われて、スムーズなコミュニケーションを測れると信じています。</p><p>　以上、主題とずれてしまってますが、SNSに対して私が思うことでした。しかし、決してSNSを否定するものではなく、SNSの使い分けと言いますか、どう使うのが自分にとっていいのかな？を自身で一度考えてみて欲しいなと思い記事を書きました。私が伝えたいと思っていたことは以上です。</p><p>　ありがとうございました。</p><div id="UMS_TOOLTIP" style="position: absolute; cursor: pointer; z-index: 2147483647; background-color: transparent; top: -100000px; left: -100000px; background-position: initial initial; background-repeat: initial initial;">&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/aminozaki/entry-12456991585.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Apr 2019 15:33:57 +0900</pubDate>
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