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<title>qui est-ce que je suis?</title>
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<description>タイトルは「わたしはだあれ？」。ひとり飛び出した海外放浪で見つけた私なりの「幸せでいる人生術」、それは「create own life,love yourself, be heroine」。　一度きりの人生をハッピーに過ごすべく、目下、ニューヨーク生活をもくろみ中！</description>
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<title>家族のこと</title>
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<![CDATA[ <p>ここ数か月、週末は彼のおうちで過ごしている。</p><p>金曜夜から泊まって、土日もまるまる、というパターン。</p><br><p>家族のことは大好きだけど、</p><p>それとはちがう次元でのお話。</p><br><p>そんな週末、彼のおうちで映画を観た。</p><p>「つみきのいえ」と「シャイン」。</p><br><p>どちらも、キーワードは「家族」と「思い出」。</p><br><p>頭の中で勝手にどんどん自分との共通事項がめくるめく展開されて、</p><p>どっちの映画も大号泣！</p><br><p>彼にもよしよしってされる、あるいはからかわれるぐらい、の大泣き。</p><br><p>「家族ものに弱いよね、あと思い出系」</p><br><p>と、見事に見透かされた。</p><br><p>そう、私はなんだかんだ、家族に支えられている。</p><p>家族の存在に。</p><br><p>すごく複雑で、自分以外の他人には決して共有できないだろう思い。</p><p>妹にさえ、ましてや両親になんて、話せない思い。</p><br><p>仲がいいとかそんな言葉で片付けるのも本当はいやで、</p><p>それもちょっとちがうなって感覚があるし、</p><p>大好きとかかけがえのないとかっていう言葉でも表せない。</p><br><p>でも自分で思う以上に、自分の中で確固たる地位を築いていて、</p><p>それはこれから先もきっと揺るがないんだろな、とこの年にして思う。</p><br><p>大好きなんだけど大好きと大きな声で言えなくて、</p><p>真正面からストレートに伝えることもできなくて、</p><p>近いんだけど気を遣う存在でもあり、</p><p>遠くなると一気に日々の生活するテンションが下がり、</p><p>主体的に会わないのは平気なのに冷たくされるとがっつりへこみ、</p><p>そんなわがままがゆるされるのも　</p><br><p>家族だから</p><br><p>なんだろうか。</p><br><p>絵に描いたような幸せ家族でも仲良しファミリーでもないんだけど、</p><p>複雑だからこそもろくて、</p><p>複雑だからこそバランスを保つのに皆が一生懸命で、</p><br><p>家族ってそんなものなんだろか。</p><br><br><p>この間、2週間弱ひとり旅をしてる時、</p><p>こんな言葉が目にとびこんできた。</p><br><p>「FRI“END”,BOYFRI“END” have “END”. FAMILY is the only one that doesn't include END.」</p><br><p>これにはひとり涙涙。</p><br><p>世界に60億人もの人がいたって、</p><p>家族と呼べるのはたった3人。</p><br><p>終わらないからこそ軽んじてしまうこともあって、</p><p>でもそんなあぐらはかいちゃいけないよね。</p><br><p>なにより敬意と愛情とを持って接するいちばんの存在であってほしい。</p><br><p>ひとつ屋根の下で、テレビにつっこんだり同じお皿をつついたり、</p><p>そんな日常をおもいっきり愛していこう。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/an-comosol/entry-10980395748.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Aug 2011 13:14:36 +0900</pubDate>
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<title>書きたい書きたい書きたい</title>
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<![CDATA[ <p>という衝動にかられる瞬間がある。</p><br><p>twitterでは物足りない、日記とはまたちがう、</p><br><p>言葉を並べ繋いで整えていく作業の魔力は昔から健在。</p><br><br><p>これを残したい、とか、この思いを表現したい、とか、</p><p>そういう具体的な事が特にあるわけじゃなくても、</p><p>書きたい！っていう衝動は強烈に襲ってくる。</p><br><br><p>いやでも毎週相当数の原稿を仕事で書いてるんだけどねえ。</p><p>そのほかにもインタビュー受けたり、思いをフォーマットにおとしたり、してるけど、</p><p>やっぱりそれとはちがうんだなーって思う。</p><br><br><p>たぶん今のこの、書きたい！っていう衝動は、</p><p>インプット　と　アウトプット　の相関について、</p><p>この週末感じたからかなーって。</p><br><br><p>彼と彼のお兄ちゃんは音楽をやっていて、</p><p>自分でつくった音楽を録音してCDにしたりライブをしたりしている。</p><br><p>そのアウトプットに触れた時、</p><p>私も形にしたい、ってうずうずしたんだよなー。</p><br><p>市橋織江の写真集「PARIS」を本屋さんで目にした時もそうだった。</p><p>自分が見てきたパリの景色が空気が光景がそこには広がっていて、</p><p>なんで私は形にしてないんだろう、って単純に疑問が浮かんだ。</p><br><br><p>どんなに何かを考えていても、</p><p>それが深くても広くても濃くても、</p><p>形になっていなければ伝わる術を持たない。</p><br><br><p>こういう人間です、っていうことをアピールしたいとかっていう顕示欲とは</p><p>また次元がちがって、</p><p>私という人間を理解してほしいとかそういう欲求ではないんだけど、</p><p>自分の興味や思いや考えていることを目に見えるものに落とし込むということは</p><p>自己理解や自己認識を深めるツールになると思う。</p><br><p>そうすることによってアウトプットの質が向上したり、</p><p>インプットの精度が上がったり、連動していく気がする。</p><br><br><p>というわけで、書きたかったことはこんな抽象的なことではなかったはずなんだけど、</p><p>ひとまず仕事を片付けてからにしよう。。</p>
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<link>https://ameblo.jp/an-comosol/entry-10979708125.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Aug 2011 18:30:46 +0900</pubDate>
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<title>世界でたった4人だけの</title>
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<![CDATA[ <p>正直なところ、<br>私の少女時代はそこそこ不幸だったと思ってきた。<br>詳しく語るとそれが現実として重くなりそうなのと、<br>あまりにもプライベートだからここでは書かないけど、<br>あたたかい団欒が繰り広げられるドラマの中の世界とは異なる、<br>寂しさと孤独と「なんで」に常にさいなまれている<br>20数年間だった。</p><br><p>そんなこんなを経て、今は私が描いてきた家族仲のよさが<br>それなりに体現されている形態に落ち着いて。<br>だいたい家族の話をすると「仲いいねー！」と驚かれるし、<br>親と電話していると「友だちみたい！」と必ず言われる。</p><br><p>でもどこかで、親の愛情に対する100%の肯定っていうのは<br>自分の中で腑に落ちてなかったんじゃないかなあ。</p><br><p>ところが。<br></p><p>20代も半ばになろうとしているわが妹に彼氏ができ、<br>結婚前提を匂わせるおつきあいをしていると家族に報告があり、<br>それをきっかけにちょっとした騒動に発展。</p><p>何度か皆でご飯を食べたりその彼がおうちに泊まりに来たりは<br>しているものの、彼の性格的になのか、いまいち何を考えているのか<br>つかめない部分があって。</p><p><br>親はそこに対して不信感とまではいかないけど微妙な感情が出てきていて、<br>妹は妹でまあ好きなようにしていて、なんだかぎくしゃくしていた。<br>親はやっぱり娘がかわいくて、そりゃおうちにいてほしいもんね。</p><br><p>で、業を煮やしたパパが、<br>「何考えてるのかわからない。とりあえず連れてこい。」<br>とお酒の力を借りて妹と彼を呼び出したのです。</p><br><p>でね、当日私は若干の二日酔いで頭すっごーい痛かったんだけど、<br>「家族会議」という名目で強制参加だったわけです。</p><p><br>ちょっと憂鬱だった私。<br>基本的に「親は親、子どもは子ども、それぞれの人生」って思ってるし、<br>「好きなように生きなさい」って妹にも常々言ってるし、<br>というか私がそれを地でいってるからそれ以外言えるわけもなく、って感じで、<br>何話すんだろーと思ってたの。<br>恋はノンストップだし、まあ結婚してもおかしくない年齢だし、<br>結婚させてしまうのかなーとか、かるーい気持ちだったし。</p><br><p>ところがところが…</p><p><br>私の家族観を見事に覆すような劇的な体験になった。</p><br><p>パパは昔から、「好きなようにやりなさい。人には迷惑をかけないように。<br>自分の責任で。」とずっと言ってくれていて、<br>門限はあったけど基本的に何かを反対されたりとかっていうのはなく。<br>自由にさせてくれて、いつも最終的には認めてくれてた。<br>社会に出る時も会社を辞める時も旅に出る時も、いつも事後報告だったけど、<br>それでも決して怒らないで、「おまえがそう決めたなら」って包んでくれた。<br>（やばい、すでに泣きそう）</p><br><p>反対にママはすっごく女々しくて、いまだ子離れできていないタイプ。<br>とにかくそばにいてほしい、結婚もしなくていい、ずっと一緒に暮らそう、<br>っていう子どもべったり。<br>娘もそれに甘えてきたし、だから友だちにように仲がいいっていうのはあるんだけど、<br>でもその分しつけとか「あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ」が異様に多くて、<br>何かする度に必ず反対から入るから、私も妹もいつしかママには重大事を<br>話さなくなっていったり。</p><br><p>そんな、ふたりを足して2で割ったらちょうどよい、っていう両親のもと、<br>とにかく私は全部自分の意志で決めてきたってぐらい自由を尊重してもらってきた。<br>それについてはすごく感謝してる。</p><br><p>今回、そんなパパの思いを初めてぐらいに直接聞いた。</p><br><p>「そりゃパパは娘がかわいい、そんなの当たり前で、大事に決まってる。<br>だから何考えてるのかわからないような奴に娘は渡せないし、<br>一緒になりたいなら「娘さんをください」って言わない限り渡さない。<br>でもおまえの選んだ人だからパパは信じてるし、<br>もし結婚してうまくいかなくてもいつでも帰ってこい、って思ってる。」</p><br><p>パパは強がりで、家族で唯一の男だから寂しさも出さない。<br>何でもいつも、いいよいいよ好きにしなさい、って選択を委ねてくれてたけど、<br>見えない部分できっと、そうじゃないだろって思ったり心配だったりを<br>数え切れないほどこらえてきたんだな、って思った。<br>（反対にママは全部口に出すからある意味わかりやすい）</p><br><p>でね、結局妹とその彼氏は直近で結婚だなんだってわけじゃないってことで<br>なぜか落ち着いたんだけど、最後にパパが私に向けて言った一言が、</p><br><p>「こんな風になんやかんややってるけど、<br>おまえも好きに彼氏つくればいいし、好きなようにやりなさい。<br>何も遠慮することはないし、おまえの人生なんだから、な。」</p><br><p>って。</p><br><p>私これにはぐっときた。</p><p><br>いつも言ってもらってきたおなじセリフだけど、<br>ぐっと口に出さずにきた思いをやっと吐露できたこの場でも、<br>まだおなじことを娘に言える強さ。</p><p><br>口先だけの「尊重する」じゃなくて、<br>ちゃんと言葉にして背中押してくれて、<br>でも帰る場所はここだよ、って見守ってくれる懐の広さ。</p><br><p>私の性格とキャラクターのせいで、<br>普段はやれかわいくないだの太っただのそんな扱いで、<br>幼心にかなり傷つき、それが多分にトラウマにもなってきてて。<br>（図太いと思われがちだけど、その実かなり繊細なんだけど、<br>周りは誰も信じてくれない）</p><p><br>もちろん娘を大事に思ってくれているのは20何年間も一緒に暮らしてきて<br>わかってるにきまってるんだけど、それをこうやって言葉で面と向かって<br>伝えてくれたことで初めてそれが確信になったというか。</p><br><p>ママは「寂しいのよ」って涙、<br>妹は「伝わらなかった」って涙、<br>パパはその光景に涙、<br>私はパパの家族への知られざる思いに涙、</p><p><br>って感じで、外食してたのに涙尽くしのテーブルだった。</p><br><p>この家族で幸せだな、って思った。</p><p><br>見せかけじゃなく、思い込みじゃなく、ちゃんと心から。<br>繕った思いとか、その場の空気につられてとかじゃなくって。</p><p>結婚式とかでね、子どもから親への感謝のお手紙とかっていうのは<br>あるけど、親のそういう思いを聞くチャンスって実はないんじゃないかなあって<br>思ったな。<br>恋人だったら「私のこと本当はどう思ってるの!?」とかって<br>聞けないこともないけど（聞かないけどね）、<br>親子って一番近いのに、一番近いから、言葉にしないことがたくさんあるんだ、って思った。</p><br><p>親孝行ってよくわからなかったけど、<br>子どもから親への感謝をきちんと伝えること、<br>そして親の思いも聞くこと、<br>なのかな、ってなんとなく見えた気がした。</p><p>というわけで、地震直後よりも失恋直後よりも、<br>あの家族会議の後の方が直帰＆週末おうちな気分になってる。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/an-comosol/entry-10845780377.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Mar 2011 12:53:04 +0900</pubDate>
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<title>Twitterと旅の共通点</title>
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<![CDATA[ <p>生活を劇的に変えたTwitterについて。</p><br><p>なんでこんなにハマってるんだろ、って</p><p>ちょっと考えてみた。</p><br><br><p>Twitterは、<br>旅　に似てる。</p><br><p>性別や属性や国籍を超えたところで、<br>自分の感性だけで行動を選べるところ。</p><br><p>とても自由。<br></p><br><p>感性に由来する「言葉」を信じられる人は、<br>嗜好とかバックグラウンドとか関係なく<br>なんとなく信頼できる気がする。<br></p><p>言葉の選び方には、品格や人格が表れる。<br></p><br><p>感覚だけをベースに、心地よいシャワーで<br>自分では取りに行けない情報を手に入れられるツール。</p><br><p>自分が情報を知りたい発信者を取捨選択できるゆえ、<br>心地よい響きで欲しい情報をもらえるのは画期的。</p><br><p>いろんな感性のいろんな視点のいろんな意見を</p><p>自分で選んだタイミングではなく偶然キャッチできる、</p><br><p>こんなフィルターは他になかった。</p><br><p>そして言葉をメモすることで思考や気持ちを整理する私には</p><p>メモツールとして最適。</p><br><p>反応をダイレクトに瞬間的に得られるのも醍醐味。</p><br><p>お互いの感性が合う、ということがわかるから、</p><p>会うことにも抵抗はないし、</p><p>探り探りの合コンのような雰囲気は皆無で</p><p>さいしょから打ち解けて話せる。</p><br><p>たとえば合コンって、</p><p>会社名や職業以外のもっと人間的な事前情報がないままに</p><p>会話に入るでしょ。</p><br><p>普段どんなことをどんな風に考えてるか、</p><p>がぜんぜん見えないから、当たり障りのないところからスタートして。</p><p>でも事前情報が会社名や職業だから、</p><p>結局そこしかフックにするところがなくて、</p><p>そこに仕事だとか学歴だとかのフィルターがかけられてしまうことがしばしば。</p><br><p>旅してる身としては、そんなのまどろっこしくって。</p><p>フィーリングが合う、なんとなく興味を持つ、</p><p>それでいいじゃん、って思う。</p><br><p>でも私が旅のノリで、たとえば</p><p>「How are you ?」</p><p>「What do you do ?」</p><p>「Why do you think so ?」</p><p>ってたたみかけると（もちろん日本語で、だよ）、</p><br><p>大抵の日本人には引かれてしまう。慣れてないからかな。</p><br><p>話が壮大になりそうだから別の機会に</p><p>恋と出会いと奇跡については書きたいけど、</p><br><p>とりあえずTwitterは素晴らしい、ということ。あはは</p><br><p>たとえば「ニューヨークでばりばり働いてる女性」とか</p><p>「MBA留学中or準備中」</p><p>っていう人のブログを読みたいと、</p><br><p>グーグルで検索してもキーワードがうまくマッチしない。</p><br><p>この方法でずばり読みたかったブログにヒットした記憶って</p><p>そうそうない。</p><br><p>でもTwitterだと、芋づる式にどんどんつながる。</p><p>欲しい情報をリアルにダイレクトにこんなに集められるツールって、</p><p>他にあるのかな？</p><br><p>今は思いつかないなあ。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/an-comosol/entry-10806322150.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Feb 2011 14:19:18 +0900</pubDate>
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<title>多元的ライフ</title>
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<![CDATA[ <p>先週のテレビ番組「アナザースカイ」は、<br>元TBSアナウンサー・雨宮塔子のパリ案内だった。<br><br>彼女は今40歳。<br>30目前にTBSを退社して、頼る当てなどないまま単身パリへ。<br>日本人パティシエと出会い結婚、2児の母となったそう。<br><br>「恵まれた」と評された環境を離れた経緯や、<br>パリで感じるフランスの人生観を<br>語っていて。<br><br>印象的だった言葉の数々。</p><p>（メモレベルなのでやや実際の言葉とちがうかも）</p><br><p>「日本は母親か仕事かと二者択一を迫るけど、こっちはそれがない」</p><p>「子どもを持つというのは、今までの自分でそこにもう一つ役割が増えるだけ」</p><p>「自分も楽しまないと」</p><p>「こっちの社会はどんな個でも受け入れる」</p><p>「バランスよく何でも、より、ひとつ突き抜けた何かがあればいい」</p><br><p>テレビ観ながら何度うなずいたことか！</p><br><br><p>前も書いた気がするけど、</p><p>日本って本当に一元的だなーって度々思うの。</p><br><p>新卒のわずか22歳で就職したら一生勤めるべし、とか、</p><p>結婚したら女子は家庭に入るべし、とか、</p><p>そういう“見えざる手”が今も根強くて、</p><p>新しいことや変化への風当たりってすごく強い。</p><br><p>水嶋ヒロが、</p><p>「俳優やめてこれからは小説家になるんですか？」</p><p>ってマスコミに聞かれた時、</p><br><p>「執筆は活動のひとつです」</p><br><p>って言ってたのが印象的で。</p><br><p>その質問が残念すぎた、、、</p><br><p>「なんで1つにコミットしなくちゃいけないの？</p><p>　1つにコミットする必要あるの？</p><p>　1つの事しかやっちゃいけないの？」</p><br><p>って思った。</p><br><p>マルチな才能を生かす土壌がないんだなー</p><p>こうしてつぶされていく才能の芽がいっぱいあるんだろうなー<br></p><p>ってなんだか悲しくなったことを鮮明に覚えてる。</p><br><br><p>雨宮塔子の言葉に私が共感を覚え、</p><p>同時に惹かれたのは、</p><p>こういうところだと思う。</p><br><p>いろんな人生のあり方を許容する姿勢、</p><p>どんな生き方も認める懐の深さ、</p><p>人生を楽しんで生きようと高め合う声、</p><p>個性を伸ばす土壌、</p><br><p>そういうのが感じられないんだ、日本社会では。</p><br><p>あるところにはあるとは思うけど、</p><p>一般的に就活や転職といったシチュエーションでは</p><p>ことに感じることが多い。</p><br><p>実際私はそうだった。。</p><br><p>個性なんてない方がよくて、</p><p>いかに社会に順応に適応するか、</p><br><p>そこを求められていると感じた。</p><br><br><p>私が旅を愛する理由とは見事に真逆で、</p><p>「好きなように生きていいじゃん、自分の人生なんだもん」</p><p>っていうのを許容する雰囲気が無くて、</p><p>窮屈だなーってよく思う。</p><p>（あと、もったいないなー損してるなー、って。。。）</p><br><p>1回きりの人生、なんだから、</p><p>やってみたいこと全部やってみていいじゃん、</p><br><p>仕事もして結婚もして子どもも産んでまた仕事して子ども育ててって</p><p>いろんな顔を持っていいじゃん、</p><br><p>人生エンジョイしていいじゃん、</p><br><p>個性を発揮して十人十色でいいじゃん、</p><br><p>って、</p><br><p>旅で私はすごく自由になった。</p><br><p>自分がとらわれてた“社会”ってなんなんだろう、</p><br><p>世界はこんなに広くてこんなに自由なのに、</p><br><p>ってそれはそれは鮮烈に衝撃をうけた。</p><br><br><p>早く私もいろんなフィールドに身を置きたいな。</p><br><p>また最近仕事が楽しくなってきたけど、</p><p>この望郷の念にすら近い感覚は</p><p>実際に現実に起こさない限り、</p><p>ぜったい消えない。</p><br><br><br><p><br><br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/an-comosol/entry-10803537807.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Feb 2011 21:42:50 +0900</pubDate>
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<title>自己評価とブランディング</title>
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<![CDATA[ <p>今働いている会社ではmonthly meetingがあり、<br>その後quarterly drinkにそのまま流れる。</p><p>そんな催しが先週あり。</p><p><br>そのお酒の入った場で、<br>ある先輩のターゲットになってしまい。。<br></p><p>その人はお酒が入ると自称「タチが悪くなり」、</p><p>人が気にしている事や触れられたくないところを</p><p>ずばり辛辣な言葉で突いてくる。(しかも女子限定)<br></p><p>だから飲み会の時は</p><p>可能な限り遠い席に座るようにしてたんだけど、</p><p>こないだは近くなってしまい、</p><p>恐れていた通り、仕事の説教が怒涛のごとく降ってきた。<br><br>彼の言う事は単なる個人批判ではなく、<br>日頃一緒に仕事をする上で不満に思う事を</p><p>ずばりぶちまけるんだけど、</p><p>言ってる内容は事実なの。<br>彼の独断と偏見と一方的な視点に満ちているとはいえ、<br>人が人を評価する時なんて皆そうなわけだし。<br><br>酔っ払いにからまれるっていうのは</p><p>愉快ではなかったけど、<br>耳にしてムカッとくるのは</p><p>それが図星だから以外の何物でもなく。<br></p><p>私の意見は意見としてその場で伝えたけど、</p><p>彼は性格的に日頃から人の言う事に耳を傾けるタイプではないので、</p><p>2倍3倍になって返ってくる。<br>キリがないから、途中で私は相手にするのやめた。<br><br>私としては、</p><p>例え批判めいたとしても、</p><p>忠告や助言は言ってもらえるうちが華だと思っていて。</p><p><br>だからカモフラージュではなくきちんと彼の言い分には耳を傾けたし、</p><p>改めたいと自分の意志で思った部分もある。<br></p><p>それは、自分でも気づいていたけど、</p><p>どこかで甘えていてそのままにしてた部分。<br>だからこそ耳が痛かったし、</p><p>話してる時は落ち込みもしたし苦しかった。。<br><br>でも、「火のないところに煙はたたず」の通りで、</p><p>真摯に受けとめるべき部分があるな、とは思ったから、</p><p>お酒の入った席での言葉っていうことも彼に加味して</p><p>(私自身はお酒を言い訳にするのは嫌い。フェアじゃないと思うから。)</p><p>心に留めるものは留め、流す部分は流す、</p><p>そうやって抽出して折り合いつけて、べつにそこまで傷ついてもなかった。<br><br>ところが、、、</p><p><br>周りにいた人たちは、<br>私が泣き出すんじゃないかとハラハラしていて、<br>あの手この手で話題や彼の鬱憤の矛先を変えようと手を尽くしてくれて。<br></p><p>場が解散した後も皆一様に、<br>「気にしなくていいから！」って言うのね。<br></p><p>しかも1人や2人じゃなく、一度や二度じゃなく。<br></p><p>皆すごい励まして慰めてくれて、</p><p>彼は誰にでもああだから、ってフォローしてくれた。<br>翌日にわざわざプライベートにメールくれた同僚もいて。<br><br>そこで私ははたと思う。<br></p><p>「そこまで気にするべきことだったのか？」</p><br><p>つまり内容がどストレートで図星だったから、</p><p>皆こんなに心配するんじゃないか、と。<br></p><p>そっちのがへこむ、、、<br><br>そして一方で、<br>打たれ弱いと思われてるんだろうなーと</p><p>人から見た自分像を客観的に感じる機会にもなった。</p><br><p>自分では、</p><p>うまいこといなしていて、</p><p>早く向こうが飽きないかなとしおらしく見せていたり</p><p>“演技”してるだけだったんだけど。</p><br><p>それが成功したといえばしたのだろうけど、</p><p>それにしても皆のあの心配っぷりは私が正直腰を抜かすほどだった。</p><br><p>そしてあれだけ心配されてしまうと、</p><p>気にするべきなのかとだんだん鬱屈としてしまい…</p><p>むだに落ち込んだふりしてたら本当に落ち込んできてしまった、、、</p><br><p>言葉って態度ってこわい。。。</p><br><p>「だいじょぶだいじょぶ、あの子はけろっとしてるから」と</p><p>「大丈夫かなあ心配だなあ」とは</p><p>性格も年齢も関係あるけど、</p><p>やっぱりどう思わせるか、ってブランディングだなーとは思った。</p><br><p>私は普段、何でも知りたいから、</p><p>何でも気軽に言ってもらうためにうんうんって聞くようにしてる。</p><p>だからからかわれたり話のネタにされたり</p><p>こういう風にターゲットになることもあるけど、</p><p>それって役得だと自分では思ってて。</p><br><p>からみづらい人、話しかけづらい人、話しかけるのに緊張させてしまう人、</p><p>それって情報を取りこぼす可能性が高いと思うの。</p><p>それってもったいない。</p><br><p>だから私はオープンでフレンドリーでいるように、</p><p>それは意識してるなー。</p><br><p>でもその意識が、今回は思ってもない方向に作用したけど。</p><br><p>でもそれはそれで、皆にこんなに心配してもらえること、</p><p>皆のあたたかさ、優しさを感じられた貴重な機会だったな、と</p><p>ありがたく頂戴（？）することにした。</p><br><p>評価って不思議だなーと思ったひとときでした。</p><br><p>自分は自分、こういう性格で、ってわかってるつもりだけど、</p><p>それを定義するのは結局他人なわけで。</p><br><p>ということは、自分が自分のことをどう解釈してようが、</p><p>人がそう思わない限り、それって意味を成さないってこと。</p><br><p>結局は、他人がどう見るか、どう見られたいか、を</p><p>意識して、自分の性格をつくって見せていかなきゃ</p><p>なんだなあと思った。</p><br><p>見られたい自分、を意識してつくること、</p><p>でもそれは素直な自分でいることに時に制限をかける必要があるのか、</p><p>社会的価値と、自分の幸せと、天秤なのか。</p><br><p>むずかしいね。。</p><br><p>私は奔放に自分が好きな自分でいたいし、</p><p>どう思われてもかまわない、と思う反面、</p><p>今回のような出来事があると考えてしまうなー。</p><p><br><br><br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/an-comosol/entry-10796099868.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Feb 2011 09:28:53 +0900</pubDate>
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<title>何にもとらわれない身軽さを求めて</title>
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<![CDATA[ <p>私の旅のスタイル、<br><br>それは「ふつうの暮らし」。<br><br>観光地とかお土産とか高級レストランとか免税店とか</p><p>ぜんぜん興味がなくて、<br></p><p>基本的には自分と年や生活スタイルが近い現地の人の</p><p>暮らし擬似体験、タイプ。<br></p><p>お客さんとしておじゃまする、というよりは、<br>自分が暮らせるか、っていう目線で土地を知ろうとする。<br><br>タイでは1日3食屋台だったり</p><p>バイタクやバスで移動したり。<br>ヨーロッパでもスーパー行ってリアル物価を肌で感じたり。<br>平均月収聞いたり仕事への価値観インタビューしたり。<br><br>でもやっぱりその国に一時的にでも</p><p>身を置かせてもらう身なわけだから、<br>最低限挨拶と簡単な言葉程度は予習して、</p><p>現地の慣習やマナーは頭に入れて。<br></p><p>敬意はぜったいに忘れちゃいけないと思う。<br>土足で踏み込んで荒らして、っていうのは現地の人に失礼だし、</p><p>見てて気持ちいいものではないよね。。<br><br>あと！<br>意外と重要、って思うのが、<br></p><p>比較をしないこと！<br></p><p>「日本だったら…」とか</p><p>「あの国ではこうだった」とかってぜんぜん要らない。<br></p><p>現実は目の前にあるんだから</p><p>そういう先入観は良くも悪くも意味なくて、</p><br><p>ただ目の前の事実をまずは100%受けとめてみると、</p><p>教科書やガイドブックのフィルターを通さない姿を</p><p>実感として見られると思う。<br><br>だから私はいつも、<br></p><p>「目の前の事象がパーフェクト」<br></p><p>って意識するようにしてる。<br></p><p>足りないもの探しをして日本や自分の日常を</p><p>再確認するためにいくんじゃないんだから、</p><p>愛と敬意をもって自分の目で触れればいい。<br></p><p>これが完璧な姿、って意識するだけで、</p><p>見えてくる光景ったことぜんぜんちがうんだよね。<br></p><p>一回そのクリアな視界を体験しちゃうと病みつきになる！<br></p><p>比較してしまう思考回路って</p><p>どうしても無意識に組み込まれちゃってるから、</p><p>意識してそこをはずすっていうステップには</p><p>意識してわざわざする価値がある作業だと思ってる。<br><br>ついつい旅先で目についちゃう“違和感”には</p><p>そうやってどーんと構える。<br></p><p>小さいことで「日本だったらこうなのに！」って思っちゃう時間が、</p><p>限られた旅時間ではもったいないと思うんだよね。<br><br>何にもとらわれない身軽さ、が旅の醍醐味のひとつ。<br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/an-comosol/entry-10788615463.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Feb 2011 08:27:08 +0900</pubDate>
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<title>手段としてのお金</title>
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<![CDATA[ 頭の中は相変わらずニューヨークのことばかり。<br><br>このワンピース持っていこう、とか、<br>やせなきゃ、とか、<br>そんな俗物的な事ばかりだけど…。<br><br>でもおんなのこのテンション上げるのって、そういうシンプルな事なんじゃないかなー。<br><br>充分な額での残高証明を出すべく、<br>増やし中の通帳の数字を見て、<br>「もしや“嫌消費”世代まんまかも…」<br>ってちょっと思う。<br><br>消費欲、ぜんぜんないんだよなー。<br>かといって「お金つかいたくない！」とかってわけでもなく。<br><br>旅代にいちばん使うけど、<br>それ以外の服、靴、コスメとかにはぜんぜん欲がないかも。<br>いつもソウルでまとめ買いだったし。。<br><br>自分でわかってきたことは、<br>変わりゆくものやなくなる物質には興味があまりなく、<br>やっぱり自分の関心事は精神的な部分に依るところが大きい。<br><br>例えばセレクトショップに行っても、<br>一点一点のセレクト云々よりも<br>コンセプトの体現や空間としての統率やブランディングやそういうところに目がいく。<br>物にたいする執着や所有欲は湧いてこないなー。<br>だからブランドとかアンティークとかの物としての価値には、個人的な価値は感じなくて。<br>生まれた背景だったりストーリーで興味が湧く、っていう方がナチュラルかも。<br><br>精神的な部分への投資のツールなのかな、今の自分にとってのお金は。<br>といっても語学とか料理教室とか習い事に精を出してるわけでもぜんぜんないけど、、、<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/an-comosol/entry-10788612402.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 08:40:30 +0900</pubDate>
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<title>編集ってなんだろう</title>
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<![CDATA[ 頭の中はすでにニューヨーク。<br><br>夏はもうニューヨークにいるなんて、<br>想像しただけで体が震える。<br><br><br>関連あるようなないような…で、、、<br><br>最近、「編集」ってどんな仕事なんだろう、ってよく考える。<br><br>情報の取捨選択、誌面構成、<br>そういう実務じゃなくて、<br>何をもって「優秀」とするか、という角度から。<br><br>ひとり、ものすごくずば抜けている人がいた。<br><br>その人は人としてはめちゃくちゃで、組織の異端児だったんだけど、仕事ぶりには誰もが一目置いていた。<br><br>私もそばで働いていて、<br>何がすごかったんだろう、と思い返してみると、<br><br>とにかく物事の切り取り方が、斬新なのに耳にするともうそれ以外考えられないよねって思わせるぐらいなじむ、という、ちょっと常人離れした感じだった。<br><br>かゆいところに手が届くんだけど、想定内から一歩はみ出てる、というか。<br><br>編集という作業は、<br><br>ストーリーづくり<br><br>であり、<br><br>逆算の工程<br><br>なのかもしれない。<br><br>完成図を描いて、そこに至るベストな色付けを模索し、余計な物は削ぎ落としていく作業。<br><br>自分がどう見せたいか、が起点となって、そこありきで進めていく、<br><br>それがあるべき姿なのかな、って。<br><br>昔の私はわからず、ただただ風呂敷を広げて包めるだけ乗せて、いざまとめようとすると「何包みたかったんだっけ」ってなってた気がする。<br><br><br>常々、スケジューリングも料理もファッションも全てが編集だ、なんて思ってるけど、<br><br>なんかすごく編集のスタンスやアプローチ方法がまちがっていたんじゃないかなあ、って思う。。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/an-comosol/entry-10786224527.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Feb 2011 00:25:06 +0900</pubDate>
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<title>定義は人それぞれだけど</title>
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<![CDATA[ <p>なにげなく</p><p>「努力ってしたことないなー」</p><p>って人前で言ったら大ひんしゅくを買ったことがある。</p><br><p>「えっ!?」ってあからさまに引いてる女子とか、</p><p>「どんだけ甘ちゃん！」ってげきを飛ばす男子とか、</p><p>反応はさまざまなんだけど、みんな共通して非難気味な顔してた。</p><br><p>私が言う「努力」と、その人たちの「努力」の定義がちがっただけ、</p><p>なんだけどね。</p><br><br><p>私は、自分が設定したゴールを達成するための行動を努力とは呼べないと思っている。</p><p>必要に迫られてやるべき事をこなす、っていうのはあたりまえで、</p><p>それを努力と呼ぶのはおこがましい、というか。</p><br><p>だからね、例えば大学受験の時、</p><p>自分で自分の可能性を狭めることはしたくなかったから、</p><p>自分でカリキュラム組んで1日10時間以上勉強してたけど、</p><p>それを努力したなんて思ってない。</p><br><p>新体操で大会に出る時、誰よりも早く練習に行って遅くまでコーチと話して</p><p>家では曲かけてイメージトレーニングしたり柔軟したりしてたけど、</p><p>それを努力だったなんて微塵も思わない。</p><br><p>それが必要だと判断したからやってただけ。</p><br><p>あと、私の場合は「楽しいことしかやりたくない」ってたちだから、</p><p>（だって短い人生もったいないじゃん！つまんないことに時間費やしたら）</p><p>なんでも楽しんでしまう。</p><p>楽しめるようにやり方を工夫したり、</p><p>自分の気持ちをもっていくように考え方変えてみたり。</p><br><p>興味があるからやってみたい、っていうのが全ての原点だと思う。</p><p>だからその“初心”に忠実に。</p><br><p>サッカーの香川も、ゴルフの石川遼くんも、野球の斎藤佑樹も、</p><p>彼らの日々の鍛錬を努力だとは感じていないと思うんだ。</p><br><br><p>でも、日本って「苦労した人がえらい」みたいな空気があるでしょ。</p><br><p>だからこうやって公言すると、</p><p>「どんだけ頭いい自慢だよ！」とかって言われちゃう。</p><p>誰も「勉強したことない」って言ったわけじゃないのに。</p><br><p>あたりまえのことをあたりまえにやったその先に何があるか、</p><p>が大事なのに。</p><br><br><p>あえて「努力とは」を言葉にするなら、</p><br><p>「意志を継続させる力」のことだと私は思う。</p><br><p>人の気持ちは変わりやすいから、</p><p>どれだけコミットしてそのために邁進できるか、その強さを維持できるか、</p><p>が結果的にはゴールへ導くパワーだと思うなあ。</p><br><br><p>でもいちいち「いやいや努力したことないっていうかそもそもね…」って</p><p>説明するのも言い訳みたいだから、</p><p>とりあえず人前ではこの話するのはやめることにした。あはは。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/an-comosol/entry-10784025756.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Jan 2011 00:16:20 +0900</pubDate>
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