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<title>鏡の国でステップ</title>
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<description>鏡の間に足を踏み入れると、違う自分が見えてくる。いけないことを考えている自分がどこかにいそうだ。鏡の間。ぼくはフィットネススタジオに通っている。電車の窓。トンネルに入ると、窓に自分が映る。雨あがりの水たまり。前世。それとも…。</description>
<language>ja</language>
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<title>黒い渦巻き</title>
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<![CDATA[ <p>瀬戸内のとある島の話だ。<br>太平洋戦争の前と後で運命が変わってしまった二つの家のことを話そう。</p><br><p>島の中心に位置する場所に一軒の家がある。<br>農家だが、島を領地とする武家の分家で大きな土地を持っていた。<br>島では有数の資産家だった。<br>何代目になるのか知らないが、秀才が出た。<br>高等学校を卒業した時、高文に合格した。<br>今の国家公務員上級試験に当たる。<br>帝国大学に入る前だから、相当な秀才だ。<br>高級官僚になれたのだが、跡継ぎだから東京にとどまることができなかった。</p><p>結婚もこの人の人生を左右する。<br>この人に嫁いできた人は、なかなか子供ができなかった。<br>できても女の子で、死産の子も女だった。<br>女人高野にこもり、男子の誕生を願った。<br>そのせいだろう。<br>長男を授かったが、自分の命と引き換えてしまう。<br>秀才の父親は育てる自信がなくて、後妻をもらった。<br>その人は多産系の女だった。<br>自分の子を大事にして、長男をのけ者にした。<br>よくある話だ。<br>太平洋戦争が終わって、家は農地解放で財産を失い、零落してしまう。<br>後妻の子供たちは生計を求め島を出る。<br>子供の時に熱病を患った知恵おくれの末弟が墓を守った。<br>後妻が猫かわいがりしていた男の子が定年退職で家に戻ってきた。<br>その人の妻が庭一面を花に咲き乱れる家にした。<br>墓守の末弟は隠居所をあてがわれた。<br>大きな昔の門だけが往時の思い出でしかない。</p><br><p>もう一軒の家は豊かな港町にある。<br>遠い昔は染物屋だった。<br>商才のある家だった。<br>問屋を営み、町に送る海産物と島の農地に送る飼料を商うようになった。</p><p>子だくさんの家だった。<br>家長が肺病で亡くなった。<br>一番上の女の子が兄弟たちのために、学校をやめて家を支えた。<br>戦争が始まって、長兄が出征した。<br>次兄も続いた。<br>三男は戦争に行かなかった。<br>弾が怖くて逃げ回っていた。<br>でも船に乗って働かされた。<br>長兄は出征前に結婚して、嫁が家に来ていた。<br>戦争に行った二人は戦死する。<br>嫁は郷に帰ろうとするが、家を守っている姑が引き留めた。<br>「三男が戻ってきたら、その嫁になればいい」<br>戦争が終わった。<br>みんな姑の言う通りにした。<br>三男は長兄の妻を娶った。<br>姑は女ながら金儲けのうまい人だった。<br>三男に指図して、儲けをすべて土地にした。<br>三男は事業欲の旺盛な人だった。<br>戦後の復興期に建築資材を運び大儲けをし、手がけたブロイラーは阪神間の人口爆発で大当たりとなり、事業は拡大の一途となる。<br>港町から出て、国道沿いに家を構えた。<br>プールつきのお城で、観光バスが見物のために止まるほどだった。<br>島は金持ちになる人があがめられる。<br>三男はとにかく稼ぎまくった。<br>晩年、自分の城よりも立派な老人ホームを建てて、尊敬される人になった。</p><br><p>私はこの二軒の家の血を引いている。<br>戦前の旧家の方は父方。<br>家を追い出された長男が私の父である。<br>母は大金持ちになった三男のすぐ上の姉だ。<br></p><p>三日前、私はこの島に立ち寄った。<br>国道沿いを走っていたら、山が梅の花で埋め尽くされている所があった。<br>梅まつりの会場だった。<br>私は吸い込まれるように道をそれて、そこに上っていった。<br>テントの中から声をかけられた。<br>じいさんばあさんがすずなりだった。<br>興味津々の顔を私に向けている。<br>「横浜からわざわざ」<br>「元々はこの島です。父方は○○、母方は△△」<br>「へえ、誰。なんていう家」<br>父方の住所と名前を言うと、テントの中で互いに顔を見合わせて「ああ、あれだ」という目をした。<br>母方の名前を言うと、膝を乗り出してきて「島で一番のお金持ちの△△さんじゃ」<br>まるで私が縁者であるかのように、にこにこした顔を一斉に向けてきた。<br>どことなく他人でも見るようなさめた目と、温かなまなざし。<br>父祖の地に立って、私は奇妙な空気の中に居た。</p><br><p>都会ではありもしないことだが、ここには先祖の霊が幾重にも濃密に層をなしている。<br>仏壇だったり、井戸だったり、それぞれ違っていても、古い家にはいじってはならないものがある。<br>黒ずんでいる。<br>元々日本では代々長男が家を継ぐものだった。<br>この島ではとくにそれが強かった。<br>それは墓守として祖霊を祀ることを意味している。<br>島は閉じ込められた小さな箱庭のような世界だ。<br>長男だけが残り、あとの兄弟は島を出るのが掟のようなものだった。<br>島で養える人の数はしれていた。<br>でも出て行った人の胸には、いつも島があった。<br>誇りと言い換えてもいい。<br>「いつかひとかどの人物となって名を成し、一族の誇りとなろう」<br>そう決意して港を出ていく。<br>この島から大人物と賞賛される人が輩出しているのは、その誇りがあるからだろう。<br>帰ることはなくても、自分は島の人間だと思っている。<br>追い出されたわけではないから、胸を張っている。<br>島に残る者、つまり長男はその誇りの根っこにあたる。</p><br><p>父方の家の間違いは、その役目を負った父を追い出したことにある。<br>祖霊たちが見放したことで、家運をとだえさせてしまった。<br>見事なほど何もない家にしてしまった。<br>農地解放という歴史の潮目が凋落の原因ではあるが、結果として顧みる家でなくなった。<br>一方、栄えた家になった母方。</p><p>祖母の言葉を守った三男に、祖霊たちが応援したに違いない。<br>テントの中に居た古老たちの表情は、祖霊たちの魂が寄り添ってそうさせているように思えた。</p><br><p>話は続く。<br>母方の三男と妻にした兄嫁は仲がよくなかった。<br>言い方は悪いが、三男にしてみれば、長男のお古だったわけだ。<br>愛情が持てなかったに違いない。<br>彼は愛人を作る。<br>隠し子もいたという。<br>女は添い遂げられない絶望のあまり、海に身を投げた。<br>死にきれなかったけれど。</p><p>家業を隆盛させた三男の妻。</p><p>兄の妻だったから夫よりはるかに年上だった。</p><p>彼女は嫉妬に苦しんでいた。</p><p>私の母をはじめ一族はみんな彼女を大事にしていたが、病気の果てに最期は廃人になっていた。</p><br><p>家を追い出された私の父は、いつも島を思っていた。</p><p>忍耐強い人だったが、一年にほんの何度か何を思ったのか荒れる人だった。</p><p>身の回りの物を手当たり次第に壊した。<br>父の姉は、父を追い出した継母を憎んでいた。<br>父の葬式の日、彼女は必死に叫んでいた。<br>「○ちゃん（私の父の名前）が居たことを忘れてはいかん。孫にもそのまた子供にも語り伝えていかにゃいかん」</p><p>手押し車を握りしめ、地団太踏んでいた。<br>これらは愛憎に翻弄された人々の話。<br>梅林に張られたテントの中の古老たちは、およそのことは分かっているみたいだった。<br>その人たちも居なくなれば、すべては霧のように消えるだけだろう。</p><br><p>島に今は橋が架かって、本土の一部になった。<br>観光客が阪神間からどっと繰り出してくる。<br>出ていくだけだった島に人が来る。<br>それでも地方の現実通りに、ここでも過疎がむしばんでいる。<br>守っていたものが少しずつ消えていく。<br>黒ずんでいたものもなくなって、すべてが薄くなっていく。</p><br><p>私の胸の中は違う。</p><p>身を投げようとした叔父の女と、憎悪をあらわにした伯母のこと。</p><p>二つが黒く渦巻いている。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/anchinkiyohime/entry-11494359545.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Mar 2013 14:57:17 +0900</pubDate>
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<title>10円玉が教えてくれた</title>
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<![CDATA[ <p>占いにこっている。</p><p>きっかけは50年近く前にある。<br>当時カッパブックスという新書のシリーズがあって、ベストセラーを飛ばしていた。</p><p>その中の易入門という一冊を父親がぼくたち家族に披露したのが、占い好きになるそもそもの始まりだった。</p><p><br>入門と銘打つだけあって、素人でも簡単に入っていけるように書かれている。</p><p>易の正式な占断法は、50本の筮竹を混ぜて切り分け、複雑な計算を繰り返して陰陽を定め、6本の算木を置いて占っていく。</p><p>これは極めて煩雑で、精神統一を長時間行わなければならない。</p><p>この本では擲銭という最も簡単な占断法を書いていた。</p><p>10円玉6枚を投げ、出た表を陽、裏を陰として見るやり方だ。</p><p>簡単すぎて嘘みたいだが、古代中国でも実際にプロの易者がやっていた。</p><p>計算を簡略化した略筮と言われるものがあり、コインを投げる手法は、それをさらに単純にしたものだ。</p><br><p>父親は10円玉をぼくら家族の前で投げてみせ、未来を予測した。</p><p>これがぼくを魅了した。</p><p>目の前に並んだ10円玉が、これから起こることを絵にして見せたのだから。</p><p>知りたいことがあると、父親に10円玉を振って見せてとせがんだ。</p><p>何を聞いて何がどうなったかは覚えていない。</p><p>なにしろ小学生の時だった。</p><br><br><p>中学生になると、その本に書かれていることはかなり理解できるようになる。</p><p>自分でも10円玉を振っていたような気がする。</p><p>以後30年近く何かといえば遊び半分で振っていたのだが、自分のしたことなのに驚愕するほど当たっていたと思うことが3度あった。</p><p><br>高校生の時、飼っていた犬が病気になった。</p><p>何日も高熱を出している。</p><p>親はどうしたものか困っている。</p><p>犬猫病院に連れて行くことになるのだが、ぼくはその前に10円玉を投げている。</p><p>「皿の上に3匹の虫が乗って食べ物を腐らせている」という卦だった。</p><p>意味が分からない。</p><p>後で知ったのはフィラリアという寄生虫にやられたのが原因だった。</p><p>それが1度目の驚愕。</p><p><br>2度目はさて置く。</p><p>3度目ははるかに大人になってからのこと。</p><p>たまたま住んでいた都市の高校が、夏の甲子園で出場した。</p><p>確か3度目の出場だった。</p><p>いつも初回で敗退するから、町の誰も期待していなかった。</p><p>10円玉を投げてみたところ「高い所から下を見下ろしている」という卦が出た。</p><p>はて。まさか。それは優勝じゃないか。</p><p>チーム内はがたがたしていた。</p><p>春の選抜ではベスト８にまで進み、それを土産に新設の私立の野球部に移ることが決まっていた監督と選手の間で内紛が起きて、とてもじゃないが春にも及ばないだろうとスポーツ紙でも言われていた。</p><p>ところが本命を次つぎに撃破して優勝してしまう。</p><p>決勝戦は延長にまでもつれ込むシーソーゲームだった。</p><p>準優勝チームは後にプロに入って大スターになる選手がゴロゴロいる学校だった。</p><p>ぼくが住んでいた町の優勝チームの選手は、直後に騒がれこそしたものの歴史からみんな消えた。</p><p>だから勝つはずのないチームだった。</p><p>劇的な幕切れで勝った瞬間、ぼくは自分の出した占いを、なんで…と絶句したものだ。</p><p><br>　<br>これらのことは誰にも言っていない。</p><p>ここで明かすのが初めて。</p><p>ひょっとしたらぼくは若い時に占いに目覚め、修行したなら、ひとかどの占い師になっていたかもしれない。</p><p><br></p><p>ぼくは自分で占うより、占ってもらう方を選んだ。</p><p>40年近い年月、ずいぶん多くの易者に会っている。</p><p>ネット社会の今日、安直に占い師にアクセスできることから、占いジプシーになったという人がいるらしい。</p><p>何百万も使っただの、カード破産しただのと聞く。</p><p>ぼくはそこまではいってない。</p><p>あくまでもほどほどだ。</p><br><p>困難に直面した時に観てもらうというより、暇でやることがなく、漠然とどうなるのだろうと考えている時、ぼくは占い師のもとに通う癖がある。</p><p>暇つぶしというか、小人閑居すれば不善を成すとでもいうようなものか。</p><p>どうやら日々の現実に追われてないと、未来が不安になるようだ。</p><br><p>振り返ってみると、占いの結果は、当たるも八卦当たらぬも八卦と、俗に言われる通りだった気がする。</p><p>当たらない占い師には2度と行かない。</p><p>当たると思われる人の所には足しげく通う。</p><p>それでもいつかは行かなくなる。</p><p>それは途中でだんだん当たらなくなるからだ。</p><p>結果半々というのが的中率だった。</p><p>まさに当たるも八卦当たらぬも八卦。</p><br><p><br>100人近い人に観てもらった中で、本当によく当たると思われる人は4人だったろうか。</p><p>100発100中とはいかないけれど、8割から9割は当たっていたように思う。</p><p>残りの1割程度が不正確。</p><p>これは大変な的中率と言えるらしい。</p><p>が、これは実のところ落とし穴のあるくせ者なのだ。</p><p>占いの指南書にこんな事例があった。</p><p>相場について占い師に相談していた人が、何回にもわたって当たりを重ねて大儲けを繰り返していた。</p><p>信用しきってしまい、一世一代の大勝負で全財産を賭けたのだが、最後のその1回で違った占断を受けてすべてを失ったという。</p><p>ありそうなことだ。</p><p>だからぼくはどの占いに対しても8割しか信じないようにしている。</p><p>逆に言えば、全人生を賭けるようなことは占わないようにしている。<br></p><p><br>易経は深淵にして壮大、万物の事象を解き明かす、不朽にして偉大な叡智である。</p><p>市井の民が直面する、商売や家庭の悩みを解決する小さなことから、国家の運営にかかわること、天地運行の宇宙の営みを読み取ることまで、ここには書かれている。</p><p>踏み込んでしまうと、どこまで行っても尽きることのない森のようで、何度も読み返してしまう。<br></p><p>この書物を著したのは古代中国の周の開祖・文王。</p><p>殷の紂王に幽閉された数十年の間、それまで伝わっていた古来の占術をまとめ上げたのが、この書物と言われる。</p><p>日本にも伝わり、多くの解説書や学術書が出されてきた。</p><p><br>かつての為政者は易経を学んで、国や民族がどうあるべきかを考えてきた。</p><p>学者ではなく、占い師としてそこにかかわった人がいる。</p><p>たとえば徳川家康の側近・天海。</p><p>近年では最も有名な高島嘉右衛門がいる。</p><p>彼は幕末から明治にかけて活躍した人で、若い頃投獄され、そこで死刑囚が遺していった易の解説本に出会ったことから開眼し、後に易聖と称えられるほどの占い師になった。</p><p>名人中の名人で、今で言えば細木数子のように占いで大金持ちになった。</p><p>ある時、商売としての占いをやめてしまう。</p><p>自分の易は国家、民族のためにささげるものとした。</p><p>時はまさに日露戦争が始まろうとする国難の日本だった。</p><p><br>彼の易で有名な事例がある。</p><p>伊藤博文が満州に向けて出発する前、嘉右衛門は「命にかかわる危険があります。お止め下さい」と進言していた。</p><p>伊藤は「国家の大事を前にして、大任をおった者は己の命など顧みるものではない」と答えた。</p><p>嘉右衛門は「くれぐれも艮という字を持った者をお近づけにならないよう」と助言した。</p><p>結果は安重根に暗殺されてしまう。</p><p><br>動乱の時に、易はしばしばその非情さが歴史に刻まれる。</p><p>幕末の佐久間象山。</p><p>吉田松陰や勝海舟の師として知られる洋学者だ。</p><p>象山は自分で易を立て、行動する人だった。</p><p>京都に招かれた時は、なぜか事前に噬を取らなかった。</p><p>時の京の街は攘夷派のテロリストが跋扈していた。</p><p>門人が問う。</p><p>答えて言うに、「危険があるのは分かっている。が、自分はもう行くと決めている。易を立てる必要がない」</p><p>それでも門人が心配して、観てくださいとお願いする。</p><p>請われて立てたところ、得た卦はやはり首を落とす易だった。</p><p><br>現代にあっては、占いは日陰の存在だろう。</p><p>政治家が易者のもとに通っていると言われたら、意志薄弱と評されてしまう。</p><p>レーガン大統領の夫人は星占いが得意で、大統領はそれを信じていたらしい。</p><p>ヒトラーのそばにも占術師がいた。</p><p>初期の電撃作戦はその進言がもとになっていた。</p><p>今の政治家はどうだろう。</p><p>ネットで見る占い師の宣伝文句には、芸能人をはじめ政治家の顧客多数と書かれているけれど。<br>　</p><p><br>さてぼくは、ある時から易を敬遠するようになった。</p><p>あまりにも重く深く卦の意味を考えてしまうからだ。</p><p>「馬鹿の上司がこんなことを言っているけれど、無視していいか」など、その程度のことを聞きたいだけなのに、易者の前に座ると肩に力が入った。</p><p>10年ちょっと前、タロットの占い師の前に座ってから、易をやめてそれに移った。</p><p>並べられるタロットの絵札を見ていると、もちろんこれも深淵な意味があるのだろうけれど、絵が遊びのようで楽しくなれた。</p><p><br>それでも占ってもらう時は、絶対対面だった。</p><p>電話では信用できなかった。</p><p>ある時、緊急の用があって、いつもの占い師に電話でたずねて以来、出向く不便さがなくなって、そればかりになった。</p><p>今は安易にネットで占い師を探しては、気ままに電話している。</p><br><p>ぼくは過去に4人当たる占い師がいると言った。</p><p>1人が易、2人がタロット、1人が霊感霊視。</p><p>そのうち2人が亡くなった。</p><p>1人のタロット占い師は娘に後を継がせている。</p><p>これを同じ1人に勘定すれば、生きている人は3人となる。<br>電話鑑定は霊感霊視の人。</p><p>最初対面だったものの電話になってしまった人はタロットの占い師。</p><p>あとはまったくの対面だ。</p><p>　</p><p><br>ぼくは占いに対してまったく素直というわけではない。</p><p>占いの結果を謙虚に検討したけれど、やっぱりそれとは違う道を選ぼうと決めることがあって、占い師の回答に逆らってもいる。</p><p>そうした場合、選択は間違っていなかったように思う。</p><p>失敗は、むしろ占いをせずに軽挙妄動してしまった時にあった。</p><p>その時は占い師に対処方法を相談する。</p><p>占い師にアドバイスを受けたものの、後の祭りで、失ったものは取り返せないことが多かった。</p><p>占いはぼくに慎重を教えてきた。</p><p>だから占いは、ぼくにとって有用なものといえる。</p><p><br>去年、どうにも納得できない占断があった。</p><p>ある事柄をやりたくないと宣言したのに、3人のうち2人が絶対にやることになるから、やれと言う。</p><p>しかも利益を必ずもたらすとも。</p><p>この結果は占い師の言う通りだった。</p><p>逆らわなかったのが功を奏した。</p><br><p>今年はその2回戦がある。</p><p>2人は同じようにやれと今も言う。</p><p>ぼくは嫌だと答えている。</p><p>さてどうなるか。</p><p>占いは変化を読むところに極意がある。</p><p>3人のうちもう1人には相談していない。<br>　<br>ほんのつい最近、ぼくは電話占いで見つけた人に相談をした。</p><p>2人に「やれ」と言われているけれど、ぼくとしては「やりたくない」ことについてだ。</p><p>それはともかく、ぼく自身のことでこう言われた。<br>「あなたは遠い人には強いが、近い人には弱い」<br></p><p>この意味を電話を切った後、じっくり考えた。<br>「対人関係で人と距離を置いている時はいいのだが、親しくなると引きずられて悪くなる」という意味のようだ。<br></p><p>ぼくはこのブログのどこかで、「友達を求めてしまうと自分を見失ってしまう。だから独りでいることを選んだ」という内容を書いた。</p><p>まさにその通り。</p><p>このぼくの弱点は誰にも言ったことはない。</p><p>家族や友人にも。</p><p>これは人生の4分の3を生きてきた今になって顧みて思うことで、自分さえ気づいていなかった。</p><p>誰かに言われることもなかった。</p><p>言い当てられて、衝撃を受けた。</p><p>40年の間、100人近い占い師に観てもらって、初めてぼくの本質的な弱点を言われた。</p><br><p>深入りせず、独りを守っていること。</p><p>これで良かった。</p><p>自分に確信の持てる占いだった。</p><br><br><p>的中率9割を誇る3人のうち2人は、ぼくが「嫌だ」と言っているのに、「やれ」と言っていると先に書いた。</p><p>ではもう1人はどうなのか。</p><p>実は相談していない。</p><p>この人は「もう占いに頼るな」と、この1、2年ぼくに言っている。</p><p>だから聞かなかったのだが、なるほどと感じだしている。</p><p>自分の考えがあり、占いもそれに一致していて、結果が正しいなら、占いを求める必要はない。</p><p>占ってもらわなくなる時がぼくに来るとしたら、</p><p>それはかの孔子先生が言われた、「己の欲するところを行えど、天の矩を超えず」の域に達する時、なのかもしれない。</p><br><br><p>冒頭に述べたぼくが自分で占って、驚愕するほどみごとに当てた3つのうちの2番目。</p><p>これはこのブログで書いた、ぼくが最初に愛した女のことだ。</p><p>ラブストーリーは始まったばかりで、彼女と恋の蜜月を楽しんでいる絶頂の時だった。</p><p>行く末について10円玉を投げた。</p><p>出た卦は「食物蔵の中はねずみに食い荒らされている」だった。</p><p>象意は「うわべと違い、中身は空っぽ。やがて崩落」</p><p>「そんなはずあるものか。大外れ、しょせん俺の占いだ」と、その時は思っていた。</p><p><br>悲惨な結果だったのは、先に述べたとおり。</p><p>それからというもの、ぼくは女のことで、自分が占うのはもちろん、プロに占ってもらうことも一切しなかった。</p><p><br>すべては謎のままに。</p><p>それが一番いいと思った。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/anchinkiyohime/entry-11467714059.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Feb 2013 18:01:04 +0900</pubDate>
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<title>ある種の男</title>
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<![CDATA[ <p>目黒区内のKスポーツクラブに、ぼくはよく行く。<br>ここにエアロビクスの手ごろな中級クラスがある。<br>美人インストラクターが受け持つ教室だ。<br>女性が美しいということ、これにまさる武器はあるだろうか。<br>見ているだけで気分がいい。<br>教え方が上手であれば、おのずと人は集まってくる。<br>この店は都内でも超がつく高級住宅地に隣接し、お洒落な食通たちがぶらりと立ち寄る街に立地している。<br>会員たちも上品な人が多い。<br>街の雰囲気同様、過激なエクササイズは求められていないのだろうか。<br>この美しいインストラクターを観察していて、感じたのは優雅さだった。<br>しぐさが柔らかく、笑顔を絶やさないからふんわりした雰囲気がある。<br>教え方は決して柔らかいだけではない。<br>注意を細心に配っていて、生徒の姿勢が崩れだすと必ず正す指示を出す。<br>複雑なステップに入る前に必ず準備があって、そこでコツを教える。<br>準備にしている足の運びが出来ると、ややこしいステップでも飲み込みやすい。<br>足元がおぼつかないようなじいちゃんが何人も来ているわけがよく分かった。<br>付いてこい式の教え方ではない。<br>じいちゃんばかりではない。<br>ばあちゃんだって、おっさんだって来ている。</p><br><p>レッスンの始まる前は、優しくてきれいな彼女とおしゃべりするチャンスだ。<br>彼女とお話しようとそわそわしているじいちゃんやおっさんがいる。<br>受け持ちのレッスンが中級のエアロビクスからヨガへと連続する時に、彼女をつかめたらしめたもの。<br>時間がたっぷりある。<br>何を話すのだろう。<br>小耳にはさむのは、コンビネーションの中身についてだ。<br>年配者は先刻のレッスンが満足に出来なかったとぼやきながら、慰められるのを求めている。<br>まあまあの出来だったら、褒められるのを期待している。<br>中年は重心がどうの足の置く場所がどうのと突っ込んだ質問をしている。<br>エアロビクスにかこつけてお話さえ出来ればいいという感じが否めないのだが…。<br>じいちゃんたちは寂しい生き物なんだろう。<br>話を聞いてくれる若い女の人なんて、身の回りにいないに違いない。<br>聞いてくれるだけで嬉しくなる。<br>おっさんもそうかもしれない。<br>職場のデスク周辺に若い女は多少はいるだろうけれど、どこかでバカにされているのが分かっている。<br>親身になって話を聞いてくれたら、舞い上がってしまう。<br>師弟のささやかな交流の光景は数分展開することもあれば、あるいはスタジオを出ていくほんの数秒またたくだけだけのこともある。</p><br><p>こうした光景のある教室に通うのは、ぼくにとって楽しみである。<br>楽しい理由。<br>インストラクターが生徒たちの心をつかんでいる、いい教室だってことはある。<br>それから。<br>インストラクターにかまって欲しがる、いい歳の人たちの心の内をさぐることも。</p><br><p>エアロビクスの教室に通う男たちには、不思議な人種がいる。<br>上級に行くと飛び切りうまい人がいて、その人たちは見ているだけで惚れ惚れしてしまう。立ち居振る舞いが美しい。<br>伸ばした体の線に嫌みがない。<br>他の人に邪魔にならないようにたんたんとしているところがある。<br>これは不思議な人たちとは思わない。</p><br><p>目障りな男がいる。<br>衣装に凝る人。<br>最前列の端で自分を映した鏡だけを見る人。<br>それがとても奇妙なのだ。<br>たいていそういう人たちは、技量的に中途半端な人たちなのだが、どこかに気持ちの悪いものがある。<br>まるで下手な人の場合、教室のリズムを壊すから邪魔といえばそうなのだが、気持ちの悪さを感じない。<br>向上したいと考えている人や、健康を考えている人には目的がある。<br>レベルの高低はあるにせよ、そうした目的は健全な印象がある。<br>だから気持ち悪いと思わないのだろう。<br>一方奇妙に思える人にはうぬぼれがあるように思う。<br>俺はうまいだろうと見せつけていたり、自分に陶酔している。<br>彼らの体の線も動きもどこか周りを邪魔するところがある。<br>気持ち悪いからといって、ぼくは目をそむけるだろうか。<br>とんでもない。<br>そういう空気を感じた瞬間、ぼくはレッスンに集中できなくなっている。<br>この人はどういう性格なのだろう、どういう生い立ちで、どういう性癖で、何を考えてこうなったのだろうなどと、邪念のとりこになっている。</p><br><p><br>話は変わる。<br>先日BSの日本映画専門チャンネルで偶然見た、昔の『人斬り』という映画のことだ。<br>これは勝新太郎主演の映画。<br>幕末の京都で人斬り勇名を馳せた土佐の岡田以蔵を演じている。<br>人斬りは、ハリウッド風に言い換えればヒットマンとなるだろう。<br>剣の腕はめっぽう強いが、信念を持たなかったために、操り人形にされてしまった男の悲哀を描いていた。<br>司馬遼太郎の小説が下敷きだ。<br>以蔵が暗殺した姉小路公知の事件の顛末が語られる。<br>映画では同じく人斬りで知られた薩摩の田中新兵衛に濡れ衣を着せたという設定になっている。<br>新兵衛役が三島由紀夫だった。</p><br><p>ぼくはぼんやりこの映画を観ていただけだったが、三島由紀夫が登場して、「ああ、そういえば」と、当時の思い出が湧いてきた。<br>この映画が話題になった一つに、三島由紀夫演ずる新兵衛の切腹シーンがある。<br>濡れ衣を着せられた新兵衛が取り調べ中にいきなり切腹して果てる。<br>これが映画公開の翌1970年の実際の事件と重なり合う。<br>事件というのはこうだ。<br>三島は市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地に乱入し、総監を人質に取り、天皇制による国家構築のために軍隊の保有が絶対とし、憲法改正と自衛隊の決起を促す檄を飛ばした後、割腹して果てるという顛末だ。<br>三島が作った私設の軍隊ともいうべき「盾の会」のメンバーに介錯された彼の生首が、雑誌に載るという後日談もあった。<br>映画「人斬り」では、その割腹自殺を暗示するかのように、刀を腹に突き立てていた。<br>このシーンは事件が起きる前、公開時から話題になっていた。<br>カメラはもろ肌に脱いで見せた三島の肩から背中にかけて、執拗に映していた。<br>なんともエロティックなのだ。<br>三島が他人に見せたくてならなかった自慢の肉体美が、燦然と輝いていた。<br>筋立てとは関係のないショットだった。<br>陰影を際立たせて、隆起を過剰に見せた筋肉ばかりを映し出している。<br>筋肉の美しさは、あの映画の筋立てに必要だったのか。<br>無知な以蔵と対比させるかのように、汚名をそそぐために潔く死んでいく男の美意識を際立たせたかったのは想像できる。<br>が、あまりにもあざとい。<br>ぼくは笑ってしまった。<br>三島の人気にあやかって映画に取り込んだだけの際物だったのではないか。</p><br><p>当時三島の裸体は写真になって出回っていた。<br>鍛え上げた筋肉の隆々たる美しい写真だった。<br>ライティングに趣向を凝らし、とにかく筋肉の美しさを際立たせていた。<br>三島は生まれつき虚弱体質で、一度死にかけている。<br>敗戦時、進駐してきた米兵の逞しさに圧倒され、自分の貧弱さが劣等感となってつきまとう。<br>一流の作家になった後、世界一周の旅に出て、バチカンのシスティーナ礼拝堂にある巨大壁画を見て衝撃を受ける。<br>ミケランジェロの描く「最後の審判」に描かれた人間群像は、溢れかえらんばかりの男性美の塊だった。<br>筋肉の群れだ。<br>善人も悪人も天上の神も裁かれる人間も、すべてギリシア彫刻に見る英雄の体をしている。<br>帰国後潮騒の執筆に取り掛かるが、それはギリシア神話に想を得た作品だった。<br>伊勢湾の小島に取材する。<br>そこでも彼は島の男たちの逞しい肉体を目の当たりにする。<br>作品を上程後、彼はボディビルを始める。<br>10年精進して、ベンチプレスで初め10キロも持ち上げられなかった三島が、90キロも挙げられるようになったというから、その集中力は賞賛に値するだろう。<br>肉体美は彼の小説に多く描かれている。<br>美しい男になろうとした彼は、美しい男を愛する。<br>同性愛者だった。<br>最初からその性向を持っていたというより、おのれの肉体を造っているうち、自分に目覚めたのか、そこに追い込んでいったのかだろう。<br>彼の体は作り上げたものだ。<br>剣の達人が「人斬り」で見せた美しい体をしているように思えない。<br>ぼくは北辰一刀流の使い手で中野学校出身の諜報員の体を見たことがある。<br>その人はソ連に抑留され、死刑宣告されたものの、奇跡的に釈放され、最後の帰還兵として日本に戻った人だ。<br>体は美しいというより、野太かった。</p><br><p>三島の文章は美しい。<br>が、人造的な印象がある。<br>彼はノーベル文学賞候補者だった。<br>師の川端康成が受賞したのは、弟子が師を差し置くわけにいかないとの理由から、三島側が申し出たと言われている。<br>三島は没後40年経った今も、日本文学を読む外国人に最も支持される小説家である。<br>ただし最も嫌われる小説家でもある。<br>ともに理由は人造的という点にある。<br>そこがいいか、それが嫌いかで白黒はっきりしているわけだ。<br>まさしく彼の求めた肉体そのものだったろう。<br>男である自分が、ギリシア彫刻のように美しい男を愛するか、同性愛者に嘔吐を催すかという比喩もできるかもしれない。<br>生まれ備わった曲線を誇る女性の美しさと違って、男の肉体美は精神の美しさと言われる。<br>理想に向かって、刻苦し、精進を重ねた結果到達できる美の世界なのだ。</p><br><p>ハリウッドには筋肉美を誇るスターがいる。<br>大昔はジョニー・ワイズミューラー。<br>ターザン映画で鳴らした、オリンピックの金メダリストだ。<br>ベン・ハーで世界的スターになったチャールトン・ヘストンは、斜に構えたショットで、くっと顎を引いた時のうなじと首に出来る線がとても美しかった。<br>ロッキーのシルベスター・スタローンはハングリーな世界から這い上がった伝説のスターだ。<br>アーノルド・シュワルツネッガーも刻苦の末にスターダムにのし上がった。<br>アメリカに哲学はないと言われる。<br>金を手にすることが成功で、金がないことは敗残以外の何物でもない。<br>そういう考え方がある。<br>シュワちゃんの現在の醜聞は、金に奢った果てと言うしかない。<br>過去の映像に見る彼の肉体に、破壊の激しさはあっても、精神の美しさがあるだろうか。</p><br><p>先にぼくは三島の裸身にエロティシズムがあると言った。<br>彼はこんなことを言っている。<br>「愛とは死と死の叫喚である」<br>死の対極は何だろう。<br>生と答えてしまいがちだが、違う。<br>愛だ。<br>死＝タナトスと、愛＝エロス。<br>三島には死の影が常にあった。<br>彼は最も自分が美しい時にみずから死んだ。<br>2.26で刑場の露と消えた青年将校に、彼はみずからをなぞらえていた。<br>彼に老残の姿は想像できない。<br>生きていたとするなら、前東京都知事よりも歳がはるかに上の老人だ。</p><br><p>三島の写真。<br>民族主義者だった男。<br>軍服に身をまとい、それを剥ぎ取った時の裸身に陶酔した男。<br>狂っただけなのか。</p><br><p>スポーツクラブの鏡の間。<br>フリーウエイトで男性美を作り上げようとする男がいる。<br>鏡の前で自分と踊る男がいる。<br>じいちゃんやおっさんたちが、インストラクターにかまってもらいたそうにしているのは、微笑ましい。<br>気持ち悪いうぬぼれも、そこで留まっているなら平和な光景だ。<br>だが鏡に映る自分を見ていると、何かが手招きする気配がある。<br>男を狂わせる何か。<br>ある種の男は、手招きする方へ行ってしまえる。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/anchinkiyohime/entry-11438522460.html</link>
<pubDate>Mon, 31 Dec 2012 00:48:21 +0900</pubDate>
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<title>ぼくはぼくを見ているだけだけど</title>
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<![CDATA[ <p>高名な陶芸家がいた。<br>ぼくは会っていない。<br>もう何十年も前に亡くなっている。<br>ぼくが知っているのは、その陶芸家の子供たち。<br>子供といっても、70を超えた人たちばかりで、1人は昨年鬼籍に入った。<br>ぼくが親しくしているのは、彼らの孫たちだ。<br>場所がどこであるかは控えておこう。<br>言ってしまえば、誰か分かってしまう。</p><br><p>焼き物の里はたいてい山間部にある。<br>昔は薪で窯を焚いていたから、山がなくては仕事にならない。<br>粘土も山や人里離れた場所から採ってくる。<br>例外はある。<br>高名な陶芸家の一族は、その例外の地で作陶している。<br>粘土は山ではなく、自分たちの住んでいる真下から採ってくる。<br>田舎は田舎だけれど。</p><br><p>高名な陶芸家は人間国宝に推挙される人だったが、50代半ばで夭逝してしまう。<br>これからという時だった。<br>2人の子息は父の遺志を継ぎ、大成した。<br>娘が1人いる。<br>おばあさんだけれど、一族の若い陶芸家の尻を叩いて、さらに高次の極みを目指せと旗を揮っている。<br>一族の男はほとんどが陶芸家になったが、この人は実家のそばのふつうの人に嫁いだ。<br>結婚式の引き出物には父親の窯で自分の作ったものを焼き、父親の印を底に打って、参列者に配るという無茶をやった。<br>ばれないところを見ると、陶芸の腕もあったのだろう。<br>奔放な人だ。<br>女学校時代の級友は彼女のことを女傑と言っている。</p><br><p>高名な父親を頼って弟子入りしてくる人がいる。<br>フランス人がいた。<br>その人と恋仲になった。<br>一族にそれを知っている人がいるかどうかは知らない。<br>ぼくに話をしてくれたのは、女学校時代の後輩だった。<br>家が近所で、電話を貸してといって、始終駆け込んできたという。<br>フランスに帰国した恋人に国際電話をかけていたのだ。<br>もう結婚した後だったから、これは知られてはならない恋ということになる。<br>彼女はフランスまで追いかけて行ってしまう。<br>昭和30年代のこと.<br>いまなら驚きもしないが、その時代にはかなり過激だったと思われる。<br>どういう結末だったかは想像できる。<br>彼女は2時間に1本しか電車が来ないような田舎に戻って来たのだから。</p><br><p>陶芸家になった彼女の兄弟には、そんな浮名はない。<br>家族を大切にする人たちばかりだ。<br>男は愛のみに生きることはしない。<br>それも大事だが、すべてのものの一部でしかない。<br>女は違う。<br>愛がすべてだ。<br>彼女の情熱は、陶芸の窯に熾した火のように熱く、燃え盛る。</p><br><p>焚いている時の窯の様子を見せてもらったことがある。<br>火にも勢いがあって、まだ低温の時と攻め立てて高温になった時とでは色が違う。<br>高温時は白色に近く、作品はうるんだようにうす桃色になって炎に煽られている。<br>陶芸家は酸素を送り込んだり、止めたりして、火に性格を与えている。<br>還元と酸化の化学変化をおこしているのだ。<br>これが作品に得も言われぬ美しい変化を作り上げる。<br>ぼくはふと思った。<br>女は男に自分のすべてを捧げて愛する生き物だが、男は仕事にそれを向ける。</p><br><p>作品には、陶芸家それぞれに違う表現がある。<br>夭逝した高名な陶芸家の息子は2人とも違う作風を持っていた。<br>2人とは違う産地の人の作品だが、それはなんともエロチックで、なまめかしい女体そのものだったりした。<br>もちろんそれは壺やら花入れである。<br>作品を鑑賞していると、女体が見えてくるのだ。<br>作者にとっては、作品そのものが心血を注いだ対象なのだろう。</p><br><p>ぼくはどんな生き方をしているのか。<br>男と女のことについて書いてきた。<br>最初の恋はともかく、ぼくは傍観者であったような気がする。<br>女を見ているぼく。<br>女に言い寄っているぼく。<br>そういうぼくを、ぼくが見ている。<br>それ以上のこと、たとえば身を焦がす恋なんて、もうできやしない。</p><p>鏡の国にいるだけ。</p><br><p>男と女。<br>傍観者の立場で言うなら、男はつまらない。<br>女の方がはるかにおもしろい。<br>すべてをなげうって、人を愛することができる生き物。<br>男は仕事に向かい、それで名を残せば十分だろう。</p><br><p>舞姫を書いた森鴎外を思い出す。<br>舞姫は、彼がドイツ留学時代に実際に愛した踊り子をモチーフに描いた小説だ。<br>踊り子は鴎外を追って日本に来た。<br>森家の親族が説得して踊り子を帰国させたと言われている。<br>鴎外は名を成した。<br>踊り子は知られることなぞ考えてもいなかっただろう。<br>会いたい一心だけだった。<br>そこが美しい。</p><br><p>ぼくは女たちのことを書く。<br>文字の中でその女たちに会っている。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/anchinkiyohime/entry-11429453733.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Dec 2012 03:33:41 +0900</pubDate>
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<title>グルメサイトの女</title>
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<![CDATA[ <p>ネットでの人間関係は不思議だ。<br>会ったこともない人なのに、誰に対するよりも本心を話していたりする。<br>そうかと思うと、仲良しを装っていたりする。</p><br><p>5年近く前、ぼくは初めて自分のブログを作った。<br>単独で作るほどウエッブの知識があるわけでもなく、それまで出かける前に検索していたグルメサイトがおまけで付けている日記コーナーに、書き出しただけのことだが。<br>2年ちょっとにわたって、70本ほど書いただろうか。<br>食べることを目的にする利用者が相手だから、あくまでも切り口は食にしなければいけなかった。<br>でもぼくはここで書いているように、人間に焦点を当てていた。</p><br><p>交流を目的としないから、ぼくはただ書くだけで、コメントやらメッセージが送られてくるのを期待していなかった。<br>確かに人気のある人に比べたら、アクセス数もコメント数も雲泥の差、無いに等しかったのではないか。<br>それでも回を追うごとに読み手が少しずつ現れた。<br>返信のメッセージは必ず届けた。<br>ファンになってくれた読み手には必ず別の読み手がいるから、その人たちの中からぼくをひいきする人も出てきた。<br>そのブログではまじめなことしか書かないから、まじめな人だけが感想を寄せていた。</p><br><p>今回始めたこのブログはグルメサイトで書いていたものの続編のようなものであるが、この間にひとつ異質なものを一般のサイトで作っている。<br>そこでは創作を展開した。<br>内容は男と女の物語。<br>始めたばかりの頃、グルメサイトから読者が流れ込んできた。<br>その人たちも一斉に同じサイトでブログを開き始めた。<br>おそらくグルメサイトで限界を感じていたのだろう。<br>まじめな女性が多かったのだが、ぼくのブログに過敏に反応する人が何人かいた。<br>公開されるコメントではなく、2人の間でしか読まれないメッセージでやりとりした。<br>ぼくの書くものはどの文章にも性の匂いがただよっている。<br>性に敏感な人の琴線を震わせていた。</p><br><p>文章を書くとは、自分そのものをさらけ出すことである。<br>書かずにいられないから書いている。<br>書くことで浄化されることを求めている。<br>グルメサイトでは屈託もなく、どこがおいしかった、どの料理が良かったとばかり書いていた人も、本当はもどかしい事情を抱えていたに違いない。<br>性は生きていればつきまとうものだ。<br>誰かを愛さずにはいられない。<br>愛してもらいたい。<br>肉の喜びとそれは必ず結びつく。<br>のどの渇きにも似て、求めずにはいられなくなる。</p><br><p>1人の女性は会って欲しいと言ってきた。<br>が、会うチャンスは1度もなかった。<br>彼女は離婚して娘と2人暮らしの人だった。<br>メッセージボードの中で、ぼくらは不思議なセックスをしたものだ。<br>ぼくは彼女のしとみに忍んで、舌をはわせ、秘所をいじった。<br>彼女は応えてきた。<br>濡れはじめた体の奥部を克明に描いてくる。<br>ぼくは彼女が知りたくてならなかった。<br>性の描写をしながら、彼女自身の何もかもを裸にしようとしていた。</p><br><p>君のことが好きだ。<br>会ってもいないのに、口を滑らせてしまった。<br>「わたしのどこが。」<br>彼女は聞いてくる。<br>「知りたい、何もかも。ブログで君が連ねる言葉は、鎧をまとっているように固い。鋭いけれども、言葉のせいでほんとうの君が見えなくなっている」</p><br><p>グルメサイトでは人気の女性で、オフ会の花と言われていた。<br>他人のブログにある彼女の人物評を読むと、美人で才媛だったらしい。<br>心酔する男たちもいた。<br>それなのに自分のブログで語る言葉は、男みたいにきついのだ。<br>その落差が不思議でならなかった。<br>グルメサイトには公開されるコメント欄があった。<br>彼女のコメントには才気があって、気位が高く、切り口がナイフのようだった。<br>女性のブロガーには優しいが、男のブロガーには手厳しく、女を見下した言い方をする男や見え透いたことを言う男は軽蔑していた。<br>きっぷがよかった。<br>ぼくはそこに何とも言えずいい色気があると、独り夢想していた。</p><br><p>だからぼくは彼女の問いかけに答えたのだ。<br>「知りたい、何もかも。ブログで君が連ねる言葉は鎧をまとっているように固い。鋭いけれども、言葉のせいでほんとうの君が見えなくなっている」と。</p><br><p>彼女は済州島をルーツに持つ韓国人だった。<br>在日なのか、帰化日本人なのかは知らない。<br>グルメサイト時代は知らないことで、公開されないメッセージを交わすようになって、それを知った。<br>ぼくは少しとまどった。</p><p>彼女は2度結婚している。<br></p><p>最初は済州島での結婚。<br>相手は医者だったという。<br>両親の故郷に錦を飾ったというわけだ。<br>挙式の後、家に入ると便所掃除をさせられ、初夜の直後、寝所に入ってきた義父母に処女であることを確かめられたという。<br>踏みにじられることが我慢できず、彼女は翌日日本に帰った。<br>そんな結婚をしたのは、就職先がなかったからだ。<br>韓国人というだけで、日本の会社はどこも雇ってくれない。<br>離婚して帰った彼女は職探しに奔走する。<br>壁は厚かったが、外資系に職を見つけ、そこで腰を落ちつける。<br>出会った男性と結婚する。<br>男は日本人だ。<br>娘を授かるが、夫はよそで女を作る。<br>夫の同僚からそのことを密告され、彼女はノイローゼになってしまう。<br>キッチンドランカーで、アル中寸前にまでなってしまった。<br>夫が抱こうとすると、夫の好きにさせるのだが、体を石のように無反応にしていた。<br>夫はののしって、家を出ていった。</p><br><p>彼女の半生を聞いて、気の毒に思った。<br>「抱きしめたい」<br>そう書いた。<br>彼女は突然怒り出した。<br>「あんたにわたしの何が分かるの」<br>ぼくは困惑した。<br>どうしたものか分からず、返事を書けずにしていると、めそめそした口調でメッセージが何日か後に送られてきた。<br>気に障ることがあって、あなたの言葉尻にかみついてしまった。<br>謝りの言葉が縷々と連なっていた。</p><br><p>ぼくはこの女に惹かれていた。<br>きつい言葉を投げつけるけれど、間違いなくいい女のはずだと思っていた。<br>彼女の言葉は感情と観念に引き裂かれる激情のなせる業という風に、ぼくの中で膨らんでいった。<br>それは強烈な女の匂いをまき散らした。<br>不思議なセックスはその中で生まれた。<br>ぼくのものにしたいと思った。</p><br><p>言葉のいさかいはその時で終わらなかった。<br>ささいなことから、彼女は噛みついてきた。<br>同じようなことが3度続いて、ぼくはもうやり取りをやめてしまった。<br>ぼくはいつも彼女のことを気の毒に思っていた。<br>率直にそう言っただけなのに、彼女から返ってきたのは、<br>「あんたにわたしの何が分かる」だった。<br>その通り。<br>何も分かりはしない。<br>分かれば、この世の中でどの男と女もすれ違うことはない。<br>結ばれるとするなら、時間をかけて分かり合う寛容さを互いに持っていることだろう。<br>分からないものがあるからこそ、楽しいのではないか。<br>発見の喜びがある。<br>瞬時に分かり合えたとするなら、結婚なんてする必要はない。</p><br><p>ぼくは彼女の心の奥まで踏み込んでしまった。<br>相容れないものを見つけてしまった。<br>彼女とは会わずに終わってしまった。<br>不幸とか憐みという言葉を彼女に使ってはいけなかったのを、いまになって感じる。<br>誇り高い人だったのだから。<br>彼女が使った性の描写は、言葉だけなのにぼくの背筋をなぶるものだった。<br>彼女は誰かを愛したくてしかたないのに、応えてくれる人がいない半生だったのだろう。<br>黙って見ている山のような静けさと大きさが、ぼくにはなかった。</p><br><p>彼女とグルメサイト時代から親しかったもう1人の女性がいる。<br>グルメサイトでぼくと済州島の女性がコメントをやりとりするうち、この人もその関係に入ってきた。<br>元はぼくのグルメサイトに書いているブログの熱心な読み手だった。<br>自信なさそうに、おずおずと自分のブログを書いている人だった。<br>いつの間にかサイト上に友達がいっぱいできて、彼女はしだいに自分らしさを表現するようになった。<br>絵文字をふんだんに使い、キャラクターも取り入れ、画面をピンク一色にしていた。<br>愛犬のチワワを自分のプロフィール画像に貼っている。<br>食べる話ばかりでなく、動物園や植物園に出かけた話も書いていた。<br>いくつぐらいだろう。<br>20代は間違いない。<br>可愛らしい人のようだ。<br>若い女性に気に入られるなんて、光栄しごく。<br>ぼくはにやけた。<br>会ってみたい。<br>当然のように思った。</p><br><p>グルメから重心を移し替えた男と女のページにも、彼女は熱心に関わってきた。<br>ぼくは書く内容で自分の性格を変えていた。<br>男と女のページで、ぼくは恋の狩人を振る舞っていた。<br>彼女が寄せるメッセージにも、その振る舞いで臨んだ。<br>それまでは紳士だった。<br>彼女はぼくの変化にとまどっていた。</p><br><p>ぼくには彼女に不思議でならない部分があった。<br>メッセージは画面のようにきゃぴきゃぴしていないのだ。<br>言いたいことがしっかりしている。<br>若い女性の書く文章は話口調で、とりとめもなく始まり、終わるものが多い。<br>彼女のは、内容はともかく論旨が明快だった。<br>言いたいことがあって、結末に置いたそれに向かって事柄を並べていく。<br>これはできそうでできないことだ。<br>文を操る才能を持っているか、訓練しなければできない。<br>ぼくと妙に話が合う。<br>ぼくの言いたいことについて的確な感想が返ってくる。<br>受け答えにずれがない。<br>ところがどうだろう。<br>自分にひたむきなものがない。<br>自分はこうするんだという気持ちがない。<br>若者には、文章に書ききれない思いがあって、それは自分のつたない文章作成術の技量のせいなのだが、だからこそもどかしく、おかしな表現をしたり、文章では想像できなかった行動に出たりする。<br>それこそが若さの魅力なのだ。</p><br><p>もっと若いんだから、夢とか、誰かを愛していまの自分が変わっていくような予感とか、わくわくするものがあってもいいのに。<br>ぼくはずっと彼女に思っていた。</p><br><p>彼女もグルメサイトのオフ会の常連だった。<br>みんなに可愛がられている。<br>グルメサイトで語られるオフ会がすべてがそうというわけではないが、気持ちの悪い部分があった。<br>オフ会の記事は決まって仲良しの仲間たちという雰囲気で描かれていた。<br>オフ会だけでなく、ブログに書かれるお友達づきあいは、作り物じみたものを感じてしまう。<br>悪口を書いてしまったら、関係が壊れてしまうのは分かる。<br>それを差し引いても、仲良したちを装っていないのかと問いたくなる。<br>人の集まりは善良さに包まれてばかりいるものだろうか。<br>3人集まれば派閥ができるといわれる。<br>嫉妬や主導権争いが生まれない方が不思議だ。<br>仲間外れだってできるだろう。<br>本心で語っている言葉がないのだ。<br>だから胡散臭く思う。</p><br><p>ぼくは彼女に何か隠していないかと問うた。<br>挑発気味に書いた。<br>「文章を書きたがる人は、心に闇を持っている。君にそれはないのか。君はオフ会にいそいそと出かけるね。みんなの人気者だね。書くことといったら、みんなと会えて楽しかった。そればかりだ。君はみんなにちやほやされたいのか。いまが楽しければ十分だっていうのかな」</p><br><p>身勝手にも、ぼくには他の誰にも見せない女の部分が手応えとして欲しかった。<br>若い女の魅力を見せてもらいたかった。</p><br><p>「オフ会もけっこうだけれど、やり取りしている言葉の中で、仲良しごっこなんてうんざり。ぼくは本質しか見たくない人間だ。もっとこうしたい、ああしたいってものがあるだろう。好きな人が欲しい。その人にいろんな所に連れていってもらいたい。そんなビビッドな気持ちってあるんじゃないのか」<br>彼女はひどく怒って、もうこれきりと言ってきた。<br>しばらくたってぼくはメッセージを送った。<br>「言い過ぎた。気にしないで」<br>返信が来た。<br>「よく考えてみました。本当のことを言うわ。あなたには若い女と思われていたけれど、わたしは若くない。49の女よ。子供も二人いるわ。下の子は高校生。上はもう仕事に就くわ。わたしは離婚した女よ。別れた亭主は、わたしが子育てに夢中になっていて、かまってくれなかった、それが寂しかったんだといって、他の女のところに行った。わたしは小さい子を連れて実家に帰った。毎日泣いてばかりいた。父は事業をしていたけれど、その頃失敗して何もかも失った。助けてくれる人がいなかったら、どうなったか分からない。わたしは泣いてばかりもいられなくて、働きに出た。いまはもう何があってもびくともしない。昔は弱かったけれど、いまのわたしは自分でも強いと思う。あなたに非難されるオフ会のことは、わたしのたったひとつの息抜きよ。それだけのこと。わたしには自由になるものなんて何もなくて、みんなとわいわいやっていることがいいの」</p><br><p>最初はおずおずとブログを書いているだけだった彼女も、オフ会に引っ張りだこになって、ブログの画面がにわかにバラ色になったのかもしれない。</p><br><p>若い人なら目指すこととか、愛することに胸をふくらませるとかがあってしかるべきと思っていた。<br>彼女も昔はそうだったろう。<br>でも人間たちが彼女を踏みつけにしてきた。<br>そうした事情なら、ぼくが何かを言うべきものでもない。<br>彼女の平安を乱す権利はない。<br>時とともに彼女とは疎遠になった。<br>ぼくは彼女のブログから離れたが、気にならなかったわけではない。<br>ブログ仲間で彼女と仲良しの女性に、どうなのか聞いてみた。<br>ブログで年齢を公表し、隠し事をなくしたらしい。<br>オフ会は相変わらずのようで、彼女は呼ばれればどこにでも参加する。<br>彼女に気がある男性が現れて、しきりにモーションをかけているけれど、彼女は適当にあしらっている…。<br>ぼくは笑った。</p><br><p>一昨年ぼくはひさしぶりにグルメサイトに近況報告をした。<br>彼女からコメントがあった。<br>「お元気そうでなによりです。その後いかがなさっているのかと思っていました。あなたのブログが拝見できて懐かしかったです」<br>驚いたのは普通に大人の口調だったことだ。<br>「ねえ、他人行儀はよして、またお話しようよ」<br>くだけた言い方に対して、彼女からは何の返信もなかった。<br>以前は彼女に会って、もしうまくいったら自分の女にしてしまおうと思っていた。<br>さすがにその時はもう下心なんてなかったのに、彼女には何かが見えていたのだろうか。</p><br><p>彼女がぼくに年齢やら離婚のいきさつを語った時、こう言っていた。<br>「わたしの人生なんて、語るほどの中身を持っていません。あなたが知りたくなるような価値のあるものは持っていません。人生がやり直せるなら、生まれ変われるなら、小さな動物を相手にする仕事をしてみたいと思います」<br>いま思い出すと、ぼくは泣けてくる。<br>彼女が少女のような画面を作って、ブログを書いていたのは、その頃に戻って別の人生を始めていたのかもしれない。</p><br><p>人が人と交わるとは、影響を与え合うことだろう。<br>その人と巡り合って、昨日までと何かが違っている。<br>そうでなければ交わる意味がない。<br>グルメサイトで知り合った女性たちは、若い頃誰かと交わって裏切られ、悲しい思いをした人たちだ。<br>ぼくは一時ではあるが、彼女たちを欲しいと思った。<br>言葉だけの付き合いだった。<br>ぼくは彼女たちに何をしたのだろう。</p><br><p>少女を振る舞う彼女は済州島の女と仲良くなっていた。<br>女同士で飲んだことがブログに書かれていた。<br>「わたしは不器用な女なのよ」<br>済州島の女は少女の振りをしていた女に自嘲していた。</p><br><p>済州島の女が書いているブログは、ぼくが彼女に熱を入れている頃、同じように彼女をものにしようという男たちで盛況だった。<br>彼女はある時から急に変わったと、女性のブロガー仲間に言われていた。<br>女らしくなった、と。<br>ぼくとは疎遠になった後のことだが。</p><br><p>ネットでの付き合いは書き言葉だけだ。<br>ぼくはここでは本気だ。<br>二人の女性と話した言葉に偽りはない。<br>でも幻想であったかのように、ぼくの手には彼女たちの感触がない。<br>もう会うこともない2人のことを思うと、交わしていた愛の言葉が空虚に響く。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/anchinkiyohime/entry-11429009466.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Dec 2012 15:54:09 +0900</pubDate>
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<title>甘い幻想と、退屈な付録と</title>
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<![CDATA[ <p>ぼくは人としゃべるのが苦手だ。<br>だったと言うべきかもしれない。<br>けっこう今はしゃべる。<br>生活するために稼いでいれば、しゃべれるようになる。<br>友達を作るのが下手と言い換えよう。<br>これは昔も今も変わらない。</p><br><p>小学2年生の時だ。<br>ぼくは転校した。<br>今で言うお受験でしか入れない学校に。<br>ぼくは徹底していじめられた。<br>いつも教室の隅でぽつんとしていた気がする。<br>何かしようとすると、こう言われた。<br>「転校生のくせに」</p><br><p>秋の学芸会の準備をしていた。<br>いじめを受けて、はんべそかきながらうなだれていたら、女の子が慰めにきた。<br>いつの間にか、ぼくの頭を彼女の膝に乗せて撫でまわしていた。<br>ぼくはうちひしがられていたから、何をされているか分からなかった。<br>ぼくは頬やら額やら、唇やらにキスをされていた。<br>女の子はあたりの様子をうかがいながらぼくの体をいじっていた。<br>愛されている意味が何も分からなかった。</p><br><p>3年生になると、別の転校生が入ってきた。<br>転校生でなくなったぼくはいじめられなくなった。<br>男の子たちに受け入れられて、ぼくはふつうに遊んでもらえるようになった。<br>あの女の子はぼくに近づかなくなった。<br>というより、ぼくが受け入れてくれる仲間を見つけたから、近寄らなくなったのだろう。</p><br><p>父親が転勤族だったから、ぼくは転々としている。<br>中学高校は男子校だったから、女性には縁遠かった。<br>性に目覚めたのは小学6年生の頃だったから、男ばかりの中にいた6年間は牢獄だった。<br>欲望を抑圧されて、妄想だけの中で悶えていた。<br>解き放たれた次の数年間は、言わずと知れた青春時代だ。<br>恋と冒険に明け暮れた<br>ぼくは初めて女の子を知った。<br>恋をし、受け入れられたとたん、体を求めた。<br>ぼくが愛しているのと同じように、ぼくは愛されると思っていた。</p><br><p>愛されることより、愛することの方が楽しい。</p><p>燃えて、恍惚が身を焦がす。</p><p>そのことを当時は理解していなかった。<br>後から知ったことだが、彼女にはぼくが彼女を好きになる前に、思いを寄せていた人がいた。<br>彼は振り向きもしなかった。<br>自分を好きにさせる自信がなく、そばにいるだけでいいと思うような女だった気がする。<br>もちろんその頃のぼくは、彼女の心の内の複雑さは知らない。<br>あの頃の彼女はひっそりと微笑むだけ。<br>それがぼくにはなんともいえず良かった。<br>人を押しのけても自分を認めさせようとしないところが、美徳に思えた。<br>そうしたことが、ぼくに胸を締め付けるようにいとおしくさせた。<br>ぼくに認められて嬉しかったのだろう。<br>誰にも認められなかったのだから。<br>ぼくの求愛を受け入れたけれど、だからこそ芽生えたものをゆっくり育てていきたかった違いない。<br>ぼくの求めに応えられない自分に困惑していた。<br>ぼくのそれまでの6年間の妄想が暴走に拍車をかけていた。</p><br><p>彼女が卒業するまでの3年間。<br>ぼくを愛そうとする気持ちとは裏腹に、思いを寄せていた男への気持ちを募らせていた。<br>ぼくに抱かれていても、心はその男へ飛んでいた。<br>終わりの1年ぐらいは、ぼくは知らない顔をしていたが、だいたい彼女の気持ちが見えていた。<br>卒業式の翌日、彼女はぼくに別れを告げた。<br>その足で男のもとに行った。<br>3年前、ぼくが彼女にしたのと同じ行動をとったわけだ。<br>男にはすでに決めた人がいて、彼女の情念は闇に葬ることになる。<br>以来ぼくは会っていない。<br>消息も知らない。<br>彼女が結婚したのかどうか。<br>貞淑な妻でいるのか、不倫をする女になったのかは分からない。<br>が、これだけは分かる。<br>ぼくに別れを告げて、男のもとに告白に行った時の彼女。<br>その時、ぼくに一度も見せたことのない目と、点いてしまったしまった火のほてりを抑えきれない体をしていただろうこと…。</p><br><p>ぼくは失意の中にあった。<br>彼女とよく待ち合わせていた場所に行き、何時間も立ち尽くすことがあった。<br>ひょっとして現れるのではないかと思っていたからだが、そんなことはなかった。<br>雨に打たれて、ひどく濡れたこともある。<br>濡れて、ひどい熱を出し、それで諦めがついたのかもしれない。</p><br><p>1年後ぼくのそばに女の人が2人現れた。<br>1人の女が心に残っている。<br>いいなあと思っていた。<br>好きになりかけていた。<br>指一本触れるわけでも思いを告げることもなかった。<br>ぼくを見る瞳が切なげだった。<br>手を伸ばしかけた。<br>ひっこめたわけではない。<br>ぼくの手は、もう1人の別の方の女の手を握っていた。<br>とっさのことだった気がする。<br>なぜそうしたのか。<br>簡単なことだ。<br>もう1人の女が伸ばしたぼくの手に、自分の手を差し出したから。<br>選ばなかった方の女は、手を出していなかった。</p><br><p>手を握らなかった女。<br>彼女はもちろん処女だったろう。<br>勤め先のボスが彼女を好いた。<br>レイプまがいにものにしたらしい。<br>その男が結婚した相手になる。<br>20年後、偶然会った人の話では、やつれていたと言っていた。<br>そういえば一人娘だった。<br>やつれているのは、両親の介護をしていたからかもしれない。<br>結婚する頃の彼女の様子も目に浮かぶ。<br>バラ色に微笑んでいるけれど、輝きを失っていく自分の未来を暗示するような目をしていただろうと。</p><br><p>年上の女性を好きになった。<br>ぼくが勤めていた会社にパートで入ってきた人だ。<br>ぼくの下についた。<br>きれいで華やかな人だった。<br>好きになったのはその時ではない。<br>ぼくが会社を辞めて、10年以上もたった後のことだ。<br>ぼくは彼女の家族を全部知っていた。<br>夫と2人の息子、娘。<br>彼女は始終家族の話をする。<br>そんな人とどうして関係が持てただろう。<br>ある時突然電話があって、相談したいことがあると言った。<br>聞けば、夫には相談できない内容だった。<br>疾しい心を持つのはたいていこういう時だろう。<br>ぼくは軸を失ってぐらっときた。<br>階段を昇ってくる彼女に手を伸ばしかけた。<br>そうしなかったのは、彼女の家族が目に浮かんだからだ。<br>いま思えば、彼女はぼくに気持ちを伝えていたのかもしれない。<br>時々耳にする彼女の消息には、いつもぼくの名前が出てくる。<br>彼女の気持ちは分かったが、ぼくは何一つ自分の気持ちを伝えなかった。<br>女の扱いが下手だな。<br>ぼくはつくづく自分にあきれる。</p><br><p>その会社を辞めて、ぼくは別の会社に入ったのだが、そこでも1人の女に会っている。<br>小柄で髪の長い女だった。<br>目がくりくりして可愛いかった。<br>彼女には付き合っている男がいた。<br>いずれ結婚するでしょうと言っていた。<br>ぼくとはよく酒を飲みに行った。<br>酔いが回ると、目がうるんだ。<br>ぼくは欲しいと思った。<br>キスをすると、舌の使い方のうまい女だった。<br>感度が良くて、身震いした。<br>浮気性らしくて、何回か肌を重ねると、もう会わないと言ってきた。<br>いい女だった。<br>追いかけるようなみっともない真似はしなかった。<br>この時は、下手ではない付き合い方だったかもしれない。</p><br><p>ここに並べた女性たちは、別れた人たちのことだ。<br>関係が続いている女のことは書いていない。<br>3番目に書いた、手を出さなかった女のこと。<br>手を握ったもう1人の方の女は、ぼくの奥さんになった。<br>手を出さなかった女を選んだなら、ぼくの人生は違うものになっただろうか。<br>彼女のことを思い出すと、いつもそれを考えている。<br>妻と一緒の時間は永遠のように長い。<br>これは今という時間を積み重ねた現実の時間だ。<br>でもぼくにはもうひとつ別の時間があって、幻想のようにそこでは違う時計で動く人生がある。<br>別れた女たちが入れ替わり顔を出している。</p><br><p>幻想の時計を巻き戻してみた。<br>大学生の時に愛した女は、あの時のぼくのすべてをさらし、情熱のすべてを捧げ、全身で愛した女だった。<br>先のことも、何も考えず、ただ彼女のことだけを考えていた。<br>3年間だったが、人生のすべてだった気がする。<br>だからだろう、あの3年間を思い出すと、昨日のことのようにすべてが鮮やかだ。<br>あの頃は苦しみがほとんどだったのに、美しい記憶しか蘇ってこない。<br>その恋の終わり方が、ぼくを変えた。<br>大人になって、歳やら経験を重ねるごとに、2度と傷つかないような生き方をしていた。<br>それは悪くない生き方なのだろうけれど、少しもどきどきしない年月だった。<br>並べてみた女たちとの恋は、時代が下るごとに情熱の薄いものになっている。<br>ひょっとしたらぼくの人生は、あの時で終わっていたのかもしれない。<br>以後のことは付録であるように。</p><br><p>踏み入れたスポーツクラブで見かけた女性。<br>スタジオレッスンで一緒になる。<br>ぼくはたいてい彼女の斜め後ろでレッスンを受ける。<br>品が良く、すらりとした姿が美しい。<br>なんていい女なんだろう。<br>この店に足を踏み入れると、まず彼女の姿を探している。<br>ときめいている自分がいる。</p><br><p>幻想の時計で動く人生の中で巡り合う恋なのか、付録のひとコマなのか、ぼくの中では判然としない。<br>鏡の国。<br>ぼくの斜前にいる彼女。<br>上手なのに控え目だ。<br>鏡に映る彼女。<br>暗い林の中で揺れる、一輪のゆりの花のように静かで美しい。</p><br><p>しゃべるのが下手なぼくは、彼女とお話しする機会があっても、いつも潰している。<br>ぼくはいま少し落胆している。<br>すぐに友達になってしまえたら、どんなに楽にお話ができるだろう。<br>そうすれば恋だの、ときめきだの言う前に、楽しくなれるかもしれないのに。<br>おしゃべりができないぼくは、幻想にひたり始めた。<br>鏡の中でぼくは愛した女たちと踊っている。<br>今なのか昔なのか分からない時もある。<br>ゆりの一輪と戯れ合って、離れていく。</p><br><p>一昨日彼女と街ですれ違った。<br>日が落ちて暗くなっていた。<br>彼女はぼくに気付かなかった。<br>ぼくは通り過ぎてから気付いた。<br>振り返って、闇の中に消えていく後姿をずっと追っていた。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/anchinkiyohime/entry-11427086152.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Dec 2012 20:30:15 +0900</pubDate>
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<title>別れた女みたい</title>
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<![CDATA[ <p>会社はオーナー経営者の人となりが反映するといわれている。<br>創業時には明確でなくても、何十年か経つと、一つの人格になっている。<br>几帳面でしっかりしているけれど面白味のない会社、アバウトだけど楽しい会社、<br>外見ばかりで実際はずさんな会社、<br>言ってることとやることにずれがある会社、<br>ゴルフ会社ではないんだけれどゴルフの話ばかりしている会社、<br>軍隊みたいな会社。<br>多種多彩だが、確かに社長の性格が映し出されている。<br>登用されるのはイエスマンばかりではないだろうが、<br>またワンマンぶりを発揮する社長ばかりでもないだろうが、<br>社長の考えや好みが、社業を積み重ねていくうち、にじみ出て、いつの間にか組織がそうなっているのだ。</p><br><p>日本の基幹産業である自動車メーカー。<br>トヨタ、日産、ホンダ。<br>これらはみんな個性が違う。<br>官僚組織が作った規制のおかげで、冒険ができない日本の車は似たり寄ったり、突飛なものがないといわれる。<br>ぼくはがきの頃から、購入する車のメーカーは一つに決めず、渡り歩いてきた。<br>3年で7万キロ近く乗るから、どんどん買い換えていく。<br>メカは詳しくないから車そのものについては述べられないが、<br>営業マンの違いは一目瞭然で理解できた。<br>3社はまるで違う。</p><br><p>車を買う時、ぼくは「まけろ」しかいわない。<br>ホンダのセールスは塩をまいて、ぼくを追い返した。<br>トヨタは執拗なぼくにとことん付き合い、もうできないという値引きの線までがんばる。<br>日産は検討しますといって、しばらく放っておかれ、他社の車に決めた頃、値引いた提案をやっと持ってくるというのんびりさだった。<br>それはバブル時代の頃に気付いたことで、今のぼくは国産から離れてしまい、最近の動向は知らない。</p><p>この個性の違いはバブル崩壊後の行く末を暗示していたのではないか。</p><p><br>ホンダは一時倒産の危機にあった。<br>本田総一郎以来、俺たちの作る車は特別だという自負があって、つべこべいわず黙って買えという心意気はいいのだが、ある時期を境に売れなくなってしまった。<br>大当たりを取ったオデッセイの起死回生がなければ、どうなったか分からない。<br>日産は経営危機に陥り、ルノーの支援を受けてやっと立ち直った。<br>トヨタは脇目も振らず売りまくった。<br>労組が基盤の民主党が支配するアメリカの不興を買って、レクサスのブレーキがどうのこうのいちゃもんをつけられた。<br>でも儲けまくっている。</p><br><p>ぼくの住む田園都市線の終点は中央林間。<br>乗り換えて藤沢に向かう途中のとある田舎くさい駅。<br>立派な市なのだが、中心から離れたそこは果樹園がえんえんとひろがっている。<br>そのはずれにホンダの営業所がある。<br>ここに日産のゴーン社長が視察にやってきた。<br>その営業所は何十年もの間日本一の成績を挙げていることで有名なのだ。<br>ホンダで一番なのか、全部でそうなのかは忘れた。<br>一番の理由。<br>営業所前の沿道を何キロにもわたって毎朝掃除するという。<br>地域の人の信頼は簡単に壊れないそうだ。</p><br><p>日産の再生は他社に学んだ謙虚さがあるだろう。<br>ホンダのそれは、やはり自分たちは人と違う何か特別なことをしようという心意気だろう。<br>オデッセイは企画当初、これは当時の社長の発案だったが、大きくもなく小さくもなく、こんな中途半端な車が売れるわけはないと、社内で悪評紛々だった。<br>それをやりきらせるところが、一味違う経営者かもしれない。</p><br><p>ぼくはスポーツクラブを次つぎに乗り換えるが、ここもそんな視点で眺めていた。<br>スポーツクラブには特色がそれぞれある。<br>同じ会社でも店ごとに違いはあるが、それは地域性がもたらすものだ。<br>並走する田園都市線と小田急線ではまるで違う。<br>中央線はエアロビクスのレベルが高い。<br>同じ田園都市線でも川崎と横浜では性格が変わる。</p><br><p>そうした地域性を包括しても、なお会社というくくりにしてみると、個性がひとまとまりごとになって違ってくる。<br>M社、T社、K社。<br>ぼくはエアロビクスしかしない。<br>切り口もそこに絞っている。<br>インストラクターは専属ではなく、どこのクラブとでも契約するから、どの会社に行ってレッスンを受けたとしても、同じインストラクターなら違ってはいない。<br>が、その会社の方針は厳然としてあって、全体としてみれば違ってくるのだ。</p><br><p>前の稿でぼくの入ったM社。<br>エアロビクスに対する姿勢にぼくは不満を覚え、某インストラクターに相談した。<br>「先生はTでも教えてますね。どっちに行くべきでしょう」<br>「そりゃTでしょ。それで売ってるんだから」<br>「なんでMでやってるんですか」<br>先生しばらく考える。<br>「Mはね、いいかげんなところがあるのよ。方針が定まってなくて、あっちがいいといわれたらあっちに行くし、こっちがいいといわれたらこっちだし。最大手のKのようなところに行くのか、Tを目指すのかはっきりしないの。やろうとする気持ちは分かるんだけどね。いいかげんになっちゃうの。でもそれがまたいいところでもあるのかな」<br>その頃のぼくはTもMも知らなかった。<br>T的なものM的なものといわれても、皆目見当もつかない。<br>いいかげんのどこがいいのだろう。</p><br><p>怪我をきっかけにぼくはMからTに移った。<br>怪我のことで相談した。<br>どんなトレーニング、ストレッチがいいのか。<br>丁寧に教えてくれた。<br>Mで怪我をしたのだが、そこでは適切な指導は無いに等しかった。<br>さらにTからKに移った。<br>ここでもまた一味違う指導をしてもらった。<br>専門的で納得のいく内容だった。<br>Kは業界最大手。<br>「もっと知りたければ、そういうコースがあるからお金を出して」という仕組みになっていた。<br>なるほど企業とはこういうものだと納得のいく手法だった。<br>Tの方が専門性はともかく、相談が終わった後でも、日々親切だった気がする。</p><br><p>Kで感心したのは、施設が老朽化していても、清掃が行き届いているため、不潔感がなく、快適な印象があった。<br>Mでも同じように老朽化した施設があるのだが、あまり快適な印象がなかったのは、不潔だったからだ。<br>ジム内のストレッチコーナーで寝転がりながら体を伸ばしていると、マシンの下で雪のように積もった綿ぼこりが目に入ったものだ。<br>それも何店舗かで。<br>Mではトイレのスリッパはたいてい乱雑に散らかっていた。<br>Kのトイレではおおむね整頓されている。<br>Tも比較的注意しているようだが、店によってはいただけない所があった。</p><br><p>フロントの接客姿勢はどうか。<br>アルバイトでごまかしている店は質問しても即答できない場合が多かった。<br>Mはひどかった。<br>TとKはまともだった。</p><br><p>スタジオレッスンの構成については、どこも会員の求めに応じて、人気の高い教室を厚くしている。<br>エアロビクスのみについて見てみよう。<br>これも同じ会社であっても地域性が左右してくるのだが、それでも各社に特徴がある。<br>エアロビクスの人気は峠を越し、衰退しつつある。<br>これをどう捉えるかで、各社の姿勢に違いが出てくる。<br>現在通っているKは、まだ通って日が浅いので本質をつかみきれていないのだが、あえて言えば、スタジオレッスンではヨガでもエアロビクスでもすべてをまんべんなく配置している気がする。<br>エアロビクスの教室も、初、中、上の３つを偏らずに並べている。<br>結果、それぞれに隔たりがありすぎるのではないか。</p><br><p>Tはエアロビクスに力を入れている。<br>何年か前、流行のヨガを大きく取り入れ、そのために人気を失ってしまい、エアロビクス重視に再び舵を切ったいきさつがある。<br>初、中、上の３つというざっくりした切り分けではない。<br>その中間がいくつもあって、きめ細かい。<br>しかも難度強度で区分けできない部分がある。<br>ダンスの要素をふんだんに取り入れたスタイル。<br>オーソドックスなスタイル。<br>他にもあって、実に多彩なのだ。<br>クラス数が多いということは、会員が散らばることでもある。<br>不人気であれば、教室は消える運命にある。<br>インストラクターは独自性を強く出すことになる。<br>インストラクター間の競争が、おもしろい教室作りになっている。</p><br><p>Kではレスミルズというプレコリオ系のエクササイズが人気になっていて、エアロビクスと並立させているようだ。<br>Mは、ぼくが最初に入った店では、オープン時にズンバとヨガが大当たりを取ったために、以後それに偏る編成になってしまう。<br>ぼくの入った店の隣接店は１年後に開設されるのだが、この時、減らしてしまった上級者向けのエアロビクスに集まっていた会員たちがなだれ込み、隣接店は彼女たちのたまり場になってしまう。<br>これこそがMの体質である。<br>何を目指すクラブなのかが無い会社といえる。<br>その場の流れで運営している。<br>親会社が不動産のデベロッパーであり、そのまた上部のグループは営利優先の金融会社だから、目先の数字が大事なのだろう。</p><br><p>これだけ一方的な言葉を並べては、Mがろくでもない会社になってしまう。<br>ぼくがどこの会社でエアロビクスをしたらいいのかと、Mのインストラクターに聞いたところ、「Mはいいかげん。でもそれがいいのかもしれない」と答えていたことを思い返す。<br>その通り、ここはいいかげんなのだからしかたない。<br>が、「でもそのいいかげんなのがいい」とは、どういうことか。<br>いいかげんの良さって。</p><br><p>目先の数字が大事ということは、それさえやっていれば文句を上部から言われないということでもある。<br>ここの社員はフランクな人が多かった。<br>もちろん会社人間もいて、鼻につく連中もいるのだが、親しみの持てる社員とは、友達のようになれるのだった。<br>彼らは性格をはっきりと出していた。<br>独立を考えている奴、腰掛だと思っている奴、必死になると声がきんきんする女、いろいろだ。<br>ぼくはとあるエクササイズで、ノルマを達成してクラブから表彰された会員だ。<br>その表彰状にスタッフ全員の寄せ書きがあった。<br>そこには彼らの個性があふれていた。<br>絵文字があったり、丸文字があったり、ラブラブな口調で誤解してしまいそうなセリフがあったりで、楽しませてもらった。<br>会社人間の男の言葉もあったのだが、情けないほどありきたりだった。<br>「継続は力なり」<br>イエスマンは上部の覚えがめでたいが、自分の言葉を持たないと、こういうところに人間味が出てこない。<br>自分の言葉を持たない人間をぼくはかねてから軽蔑してきた。<br>だが、いまふと思う。<br>そういう人間が目立つことも、実はこの会社が人間の社会そのものなのかもしれない。</p><br><p>業界最大手はどうか。<br>きわめてよく管理されている。<br>スタッフに対して行った質問への回答もきちっとして的を得ている。<br>おそらく誰に聞いても同じ答えがすぐに帰ってくるだろう。<br>M社のイエスマンの指導なぞろくなものではなかった。<br>ぼくが毛嫌いしているのが分かったのか、ぼくから逃げてばかりいた。<br>ところが彼をひいきにしている会員もいた。<br>K社のスタッフは誰に対しても同じに接している。<br>誰に対しても同じこととは、ふつうに考えればとてもいいことのように思われる。<br>だけど、なぜだろう、Kに親しみを感じないのは。</p><br><p>苦情や意見に対しては、驚いたことにK社では本社から電話がかかってきた。<br>ぼくの指摘に納得してもらえたことは、すぐ改善が施された。<br>M社は逆だ。<br>本社は受け付けようとしない。<br>支配人はぼくに反駁してくる。<br>けんか腰だ。<br>あのイエスマンも同じ。<br>これは企業人として最低だろう。<br>だからぼくはMからとっとと消えたのだが、なぜかMのことが気になっている。<br>TでもKでもぼくはそこのスタッフにMの悪口を言うのだが、言うごとに妙な感情が湧いてくる。<br>ぼくはMのスタッフの顔がどこのクラブよりも懐かしく思い出される。<br>笑顔ばかりでなくて、むきになって反駁してきた顔でさえも。</p><p>愛着と言っては美化しすぎだけれど、それにやや似ている。</p><p>遊びに飽きてしまったけれど、捨てられずに置いてあった少年時代のおもちゃ。</p><p>たとえばスターウォーズの異星人のフィギュアなんか。</p><p>それを偶然ステレオの後ろかどこかで見つけた時、よぎるような気持ち…。</p><br><p>ぼくの入ったMの店の近くにファミリーレストランがある。<br>たまたま入ったところ、隣のボックスにMの女性会員が二人いた。<br>上級レベルの女たちだ。<br>隣接店に行かずにここでオープン時からずっとやっている。<br>ふと小耳にはさんだ。<br>「あの二人できたのよね」<br>「だんなさんは…。だんなさんもクラブに来てるじゃない」<br>「一緒に来なくなったじゃない。ずらしてるのよ」</p><br><p>別の話。<br>行きつけの美容院で店長がこっそり教えてくれた。<br>「うちのお客さんに聞いたんですけどね、Mに可愛い子が入ったらしいですよ。それで男たちが騒いで、誰が射止めるかって、やってますよ」<br>「可愛い子って、誰だろ」<br>「7時に現れるんですよ」<br>もう行ってないから、どんな子か確かめようもない。<br>翌月。<br>「例のうちのお客さん、メールを交換したらしいですよ。まだ誰もゲットできてないのに。そのお客さん、妻子持ちなんですよ」</p><br><p>こんな艶話はMでなくったって、どこにでもあるだろう。<br>Kにだってあるかもしれない。<br>でも自然にこういう話が聞こえてくるところが、人間的なのだ。<br>ぞくっとしたり、にやっとしたり…。<br>いいじゃないか。<br>Mにうんざりして、クラブを渡り歩いて、Mを懐かしむ。<br>まるで別れた女みたいじゃないか。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/anchinkiyohime/entry-11425947827.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Dec 2012 00:26:52 +0900</pubDate>
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<title>意地悪女、蹴散らすじいさん</title>
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<![CDATA[ <p>ぼくがスポーツクラブMに入ったのは4年半前。<br>家の真ん前にできたからだった。<br>スポーツクラブには生まれて初めて入る。<br>見るもの聞くもの、すべて新鮮だった。<br>エアロビクスにはまってしまった。<br>怪我で4か月休んでいるが、入って1年経った頃、<br>初級が物足りなくなって、初中級に挑戦してみた。<br>40分のクラスが50分になる。<br>こんなに自分は下手なのかと思うほど、何もできなかった。</p><p>みじめだった。</p><br><p>同じ頃、田園都市線を4駅上る所に同じM社のクラブができた。<br>ぼくがホームで行きはじめた50分のクラスのインストラクターもそこで教室を持った。<br>「そっちに来たらどうです。スタートしたばかりだから抑え気味、にしてるから」<br>そう言われ、全国の店が使える会員になって、通うことにした。</p><br><p>結果から言うと、正解だった。<br>実際には半分も通えなかったが、そこで1年近く教えてもらってかなりできるようになった。<br>その店だけではない。<br>神奈川県内、東京都の店、片っ端から50分のクラスに行った。<br>おもしろかったのは、店によって個性がまるで違うことだった。<br>ホームの店が人生初めてだったから、スポーツクラブはこんなものだろうと思っていたのに、レッスン内容も雰囲気もまるで違う。</p><br><p>ぼくはエアロビクスしかしようとしないから、他店との比較はすべて同じ切り口で見る。<br>ホームにしている自宅前の店は、当初エアロビクスだらけだった。<br>ところが半年ごとにスケジュール更新では、みるみる本数を減らしていく。<br>その一方でアメリカで大流行のズンバを増やす。<br>この人気はすさまじかった。<br>近隣のクラブではまだ取り入れていなかったために、この店にどっと流れ込んできた。<br>できたばかりで、しかも駅前ということもあった。<br>今思うと、よそのクラブで大きな顔ができなかった人たちが、手つかずの新しいクラブでなわばりを作ってしまえとばかりになだれ込んできた気がする。<br>ズンバでは最前列を競って奪い合っていた。<br>自分さえよければいいというずうずうしい人が多かった。<br>もちろん入ったばかりの頃は分からない。<br>同じ会員に「あんたは隅に行ってやってたら」と言われて、悪いことをしているみたいに小さくやっていた。<br>ズンバでの話だ。</p><br><p>よそのクラブで手垢のついた人たちの中に入ってするのが嫌になって、エアロビクスだけをするようになる。<br>初心者ばかりなら下手で当たり前、気楽にやれた。<br>ところが、そのクラスで他店からインストラクターのおっかけで来ている女性客2人組がいて、レッスン中の休憩中にこんな会話をしていた。<br>ぼくは小耳にはさんだ。<br>「間違えてばかりいる人と一緒にするのはしらけるね」</p><br><p>ぼくは底意地の悪さと戦いながら、くじけずにがんばっていたことになる。</p><br><p>この女たちは都下のM店でのさばっているグループだった。<br>あちこちに顔を出すうち、それぞれの店にあるなわばりが見えてきた。<br>そのM店ではじいさんたちも一つの勢力だった。<br>底意地の悪い女たちのようにつるんではいないのだが、数が多い。<br>がにまただったり、いかり肩だったりする。<br>はげも白髪も猫背もいる。<br>ちぐはぐに動く彼らは、おせいじにもきれいとも上手なエアロビクスともいえない。<br>でもあの例のグループに負けてはいない。<br>間違おうがへっちゃら。<br>がんがんやっている。<br>そのクラスは上級で、縦横無尽に方向転換とターンをしている。<br>生意気な女どもを蹴散らしているように見えた。<br>もちろんじいさんたちにそんな気はないだろうが、ぼくには痛快だった。</p><br><p>底意地の悪さといえば、ぼくがホームにしていたMの店から4駅先の所で受けた洗礼は今でも思い出して不愉快になる。<br>ホームにしていた店がエアロビクスのレッスン本数を極端に減らしたため、この店にマニアックな人たちがなだれこんでいた。<br>Mだけでなく、他社でも減らしていたから、そこからの人もいただろう。<br>ぼくが出ている50分の中級クラスで、最前列をその人たちが占めた。<br>全員女性だ。<br>終盤に入ると、彼女らは自分勝手にコンビネーションを組み立てて踊りだす。<br>ぼくらのような昨日今日始めた連中は混乱してしまった。<br>それでも少しずつぼくらは腕をあげ、彼女らに振り回されなくなると、いつの間にか連中は消えた。</p><p><br>クラスから女どもは消えてくれたが、店全体の方向性はそうした女どもに合わせてしまったようだ。</p><p>エアロビクスが減ってしまった他店から流れてきた上級者のたまり場になってしまう。</p><p>中上級から上のクラスは彼女らが常連にしていた。<br>たまたまぼくは中上級のクラスに行ってしまった。<br>スタジオで開始を待っていると、周りの女性会員がじろじろ見る。<br>それも冷ややかな視線で上から下までなめていく。<br>理由は途中で分かった。<br>そのクラスはマニアックな会員に合わせて、難度を高くしていたのだ。<br>ぼくはさっぱりできなかった。</p><br><p>その隣の駅にも翌年新しいクラブができた。<br>これはその時ぼくがホームにしていた会社Mとは別の会社だ。<br>Mに来る連中の底意地の悪さに閉口して、ぼくはこの会社に移る。<br>ここはエアロビクスに一番力を入れている老舗の会社と聞いていた。<br>Tといえば、お分かりになるだろう。</p><br><p>そこのステップの初中級のクラスでのこと。<br>最後列で初めて間もない人がいて、動けずに困っていた。<br>と、隣の女性会員が休憩時間に手取り足取り教えだした。<br>レッスンが再開しても、横で励ます。<br>そんな美しい光景を見たのは初めてだった。<br>インストラクターとぼくは帰り道が同じこともあって、話をよくするようになるのだが、<br>この話を持ち出し、<br>「先生の教え方にひかれてくるから、優しい生徒が集まってくるんですね。前にいたクラブとは月とすっぽんですよ」<br>と、お世辞ではなく感激して言った。<br>実際、そのインストラクターの教室はいつも満員で、和気あいあいとしていた。<br>喜んでくれたが、先生はこう付け加えてきた。<br>「でもね、新宿は怖いのよ」<br>T社の新宿店は日本のエアロビクスの総本山といわれるぐらい、レベルの高さを誇る店だ。<br>ぼくも新宿店には何度か行っている。<br>上級ではないから、怖い人はいなかった。</p><br><p>T社では、ぼくは夢中になった。<br>エアロビクスのクラブを認じるだけあって、多彩できめ細かかった。<br>レッスン本数が多いということは、インストラクター間の競争も多いことを意味する。<br>似たような教室ではどちらかがすたれる。<br>すべてが個性的で他とは一味違う内容の教室だった。<br>最初に通ったMクラブにはどこに行ってもぼくが納得できるもの見当たらず、探していたものはここにあったと発見した喜びに舞い踊った。<br>夢中なあまり、足底筋膜炎になった次第である。<br>「インストラクターの職業病になってどうするの」<br>辞めたクラブで仲良くなった先生に言われる始末だった。</p><br><p>ぼくはTも辞めたけれど、嫌いでそうしたのではない。<br>いつかそこに戻るにしても、他社も体験しておこうと思ったからだ。<br>入ったのは「美しくすんなりした足」で述べたクラブである。<br>K。</p><br><p>上品で優雅と形容したけれど、すべての店がそういうわけではない。<br>Kにも、この稿で述べた都下のM店以上に迫力のある店が同じ沿線にあった。<br>底意地の悪い視線を浴びせられた、４駅先のM店と似た視線で一瞥された。<br>開始を待っている間に怪訝な目を向けるところがそっくりで、笑えてくる。<br>中級のクラスだが、ハイインパクトで過激だった。<br>開始早々、動けなくなってしまった。<br>そのK店では、おばさま方が異様なまでに元気だった。<br>M店のじいさん達と違って、鮮やかで華麗なエアロビクスをなさっていて、自分にはがっかりしながら、その姿に惚れ惚れしていた。</p><br><p>今回の大腿部の怪我の原因である筋肉疲労は、おそらくそこから始まったのではないか。</p><br><p>今日も鍼灸師のところに行った。<br>ぼくのバランスの悪い上半身と下半身の話になった。<br>「上半身に脂肪のつきやすい人は、気を付けないと内臓の病気になるよ。足を怪我するけれど、エアロビクスはいいんだよ。内臓の脂肪を燃焼させるから。毎日でもやった方がいい。エアロビクスは上手下手じゃないんだ。みんなと一緒に動いていればいいんで、だらだらでもいいから動けば効果があるんだ」</p><br><p>意気軒昂だった都下のM店のじいさんを思い出した。<br>下手でもしょげることはない。<br>堂々としていよう。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/anchinkiyohime/entry-11410644568.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Nov 2012 21:29:14 +0900</pubDate>
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<title>細くすんなりした足</title>
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<![CDATA[ <p>ぼくはこう見えても常識人だ。<br>電車の座席に座っていて、席を必要とする人が現れたら、どんどん譲る。<br>以前は学生やら若いサラリーマンやらが、老人がその前に立ったとしても、何とも思わず座り続ける様子に憤慨して、軽蔑したものだった。</p><br><p>1年ほど前、東急大井町線でのこと。<br>二子玉川園に向かう電車。<br>ぼくはのんびり扉のきわで立っていた。<br>立っている人もちらほら。<br>どの駅だったか、杖をついて腕を支えられて乗り込んでくる老人がいた。<br>と、座っていた老人が、杖をついた老人と年恰好はさして変わらない。<br>このよぼよぼのおじいさんが、<br>「ここに座りなさい。代わってあげるよ」<br>と言うではないか。<br>杖の老人は感謝して座った。<br>その光景にそばにいた若い女性が顔を真っ赤にして、席を譲った老人にこれまた席を譲った。<br>「いいんだよ」<br>「いえ、どうぞどうぞ」<br>「そう、じゃお言葉に甘えて」<br>いくつかやりとりをして、老人はにこにこして座った。<br>車内はなんとなく微笑ましい空気になった。</p><br><p>それからというもの、ぼくは何も考えず席を立つようになった。<br>不思議なことに、若い連中に対する憤慨も軽蔑もなくなった。</p><br><p>ところがである。<br>１か月前からぼくは譲らなくなった。<br>誰が来ようと、獲得した席を譲りたくないのだ。<br>非常識な若者に憤慨しているのではない。<br>なんとなくそうなった。<br>お年寄りはもとより、腕を骨折した人が前に立っても、席を立たなかった。</p><p><br>昨日エアロビクスのレッスン中、怪我をした。<br>ハイインパクトになった瞬間、重心のかかった膝が折れて、力が抜けた。<br>がくっと崩れる感じだった。<br>激痛が走ったわけではないものだから、少し間をおいてコンビネーションに戻ってみる。一歩踏み出しただけで崩れた。<br>かかりつけの鍼灸院に飛び込んだ。<br>言われたことは運動疲れということだった。<br>なるほど。<br>体のせいで道徳心も湧いてこないことってあるんだと思った。</p><br><p>披露の蓄積が怪我の原因。<br>これは医療関係者なら誰でも言うことだろう。<br>誰も言わないが、ぼくなりに分かっていることがある。<br>太りすぎだ。<br>この秋は美食にうつつをぬかしすぎた。<br>列記してみよう。<br>9月から10月にかけて。<br>大阪心斎橋の桝田。<br>大阪本町のカランドリエ。<br>東京六本木のポール・ボキューズ。<br>紀尾井町ニューオオタニのザ・スカイ。<br>軽井沢の旧軽井沢ホテルと万平ホテル。<br>京都銀閣寺のなかひがし。</p><br><p>ぼくの体型はかなり問題がある。<br>上半身がやたら大きく、脚が細い。<br>これは二つの要素が絡んでいる。<br>子供の時、大きな病気をしてベッドで寝ていることが多かった。<br>飛び回って遊ぶことがなかった。<br>そのせいで下半身が脆弱になった。<br>ところが家系は食いしん坊が多い。<br>病気の時は食事制限があったから、脆弱な下半身でもよかったが、<br>大人になってから、好き放題に食べる。<br>とにかく食べる。<br>美食三昧は秋だけのものではなく、冬になればもっと過剰になる。<br>美食と飽食の結果、そういう体型になった。<br>細くすんなりした下半身に、ぶよついた水風船が乗っかっている。<br>これが問題なのだ。</p><br><p>9月の過剰な栄養補給はすべて上半身に回ってしまった。<br>細く美しいぼくの足は、支えきれず壊れてしまった。<br>足の怪我はこれで3度目。</p><br><p>家系の血と子供の時の飢餓感が、美食と飽食を求める。<br>血液に危険な数値が表れる。<br>心配になって運動をする。<br>体が壊れる。<br>じっとしているとまた数値が悪くなる。<br>これは体を痛める負のスパイラルではないか。</p><br><p>食べなければいいんだけれど。<br>それでは生きている価値はあるまい。</p><p><br>ところで京都のなかひがしは、やっとだとりついた店だった。<br>5年間、予約が取れずにひたすら電話をし続けた店なのだ。<br>1年に3、4回電話を入れていた。<br>なんべん断られただろう。<br>15回は軽い。<br>やっと念願かなって、起こしくださいと言われ、料理にありつけることになった。<br>なかひがしだけをお目当てにしていたわけではないが、待たされたと思えてしまう。<br>それも5年。<br>そんなにここはすごいのか。<br>行って、分かった。<br>席数が10ちょっとしかない。<br>予約はすぐ埋まってしまうわけだった。<br>待たされた5年、ひたすら名店を駆け抜けていた。</p><br><p>なかひがしのカウンターはぎゅうぎゅう詰め。<br>隣の人と肘が当たってしまう。<br>1万３千円の料理を出す店かと内心不満だったが、案外これがいい。<br>酒がほどよく体に回りだす頃、右隣の人と話がはずむ。<br>待たされた5年間に行った店の品定め談義だ。<br>ミシュランなんぞくそくらえ。<br>俺さまだっていっぱしのもの…。<br>なんて調子で盛り上がった。<br>関西の食通相手に丁々発止。</p><br><p>左隣の人が声をかけてきた。<br>横浜に今度行くんだけれど、どこがいいと聞いてくる。<br>横浜から小田原まで旅行するらしい。<br>マッカーサーが来たという店やら、中華街やら、しらすやら思い浮かべたのだが…。<br>「ありません。ないから京都に来たんです」<br>ふむふむと妙に納得していた。<br>「あざみののうかい亭には行きたいんだけど、遠くてねえ」<br>「うちはあの近所ですよ」<br>「それはリッチな」<br>よく調べている人のようだった。</p><br><p>リッチか…、その通り。<br>うかい亭あたりはお金持ちがわんさか。<br>あざみのから田園都市線1駅2駅をひろげてみれば、<br>プール付きの邸宅が並ぶ街もある。<br>財界人、映画監督、作家、野球選手、TV司会者、ノーベル賞受賞者。<br>名前の知られた人でなくとも、その道のトップランナーがぞろぞろ。<br>横浜のビバリーヒルズと形容したら言い過ぎかな。</p><br><p>あいにくぼくの家はそうではない。<br>駅前のマンション住まい。<br>それも中古。<br>しかも安い。<br>買った時は少し高かったけれど、今は悲惨。</p><br><p>怪我をして、なかひがしで隣り合わせた京都の人の言葉を思い出した。<br>リッチということ。</p><br><p>ぼくが今回膝を壊したスポーツクラブは、たまプラーザの某店。<br>ここに来て、ぼくはリッチの意味を知った。<br>青葉区内のスポーツクラブはいくつか行っている。<br>同じ会社のクラブでも、地元神奈川県内はもちろん、東京、関西へ足を伸ばしている。<br>他と比べて思うのだが、ここはリッチな感じがする。<br>郊外の店ならどこにでもある年季の入った古い構えのクラブなんだが。</p><br><p>エアロビクスで、ぼくは中級にいるが、スタジオのお荷物だ。<br>間違ってばかりいる。<br>踏み出す方向を逆にするから、<br>他のメンバーの人たちとぶつかりそうになる。<br>迷惑をかけている。</p><br><p>ここでは嫌な顔ひとつされないことに驚いた。<br>どこのクラブでも、冷たい目をされてきた。<br>「あんたは端でやってなさいよ」<br>そんなことも言われたりした。<br>手で押し返されたりもした。</p><br><p>ここは違う。<br>独りでいても、つまらなさを感じない。<br>これ見よがしに技量を誇示する人もいない。<br>スポーツクラブのスタジオは、こう言っちゃなんだけど、人間社会の縮図だ。<br>ボスがいて、派閥があって、嫉妬やら虚栄やらが、小さな空間で陰湿な火花を散らしている。<br>ここはそれを感じないクラブだ。<br>リッチの意味。<br>上品で心地よい人たち。<br>たとえばそういうことだろうか。<br>ゆとりがそれを生んでいる。</p><br><p>ぼくの住む町の駅は急行が止まらない。<br>1年間に何件の飛び込み自殺があるだろう。<br>処理の後、カラスが群がって、肉のかけらをついばむ光景を何度も見ている。<br>首都圏でも有数の富裕層が住むこの沿線だけど、この光景には慣れっこになってしまった。<br>あまりに事件が多いので、ホームに警備員が常駐するようになった。</p><br><p>リッチ。<br>それはどういう意味だろう。<br>再度問いかけよう。</p><br><p>道徳心にめざめたぼくは、どんどん席を譲った。<br>体が壊れかけている時は、道徳心なぞ湧いてもこない。<br>不道徳な若者への怒りもない。</p><br><p>ここはリッチな町。<br>でも壊れることもある。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/anchinkiyohime/entry-11409995269.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Nov 2012 22:56:10 +0900</pubDate>
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<title>はぐれ者</title>
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<![CDATA[ <p>父親が転勤族だった。<br>小学校は４つ変わった。<br>そのせいかどうか、スポーツクラブをひっきりなしに変えている。<br>きっとそれはあるだろう。</p><br><p>転々とすることに、いいことなんてあったろうか。<br>友達を作るのが下手だった。</p><br><p>友達に囲まれている人気者をいつも遠まわしに見ていた。<br>人気者がうらやましかったのではない。<br>その輪に入っていけない自分が情けなかった。</p><br><p>3年近く居た学校もある。<br>そこではあまり評判のよくない同級生が居た。<br>彼と遊び仲間になった。<br>そういう子供ぐらいしか相手にしてもらえなかった。<br>わたしは気に入られようとビー玉やらメンコやらをあげたりした。<br>時には小金をあげたこともある。</p><br><p>わたしの母親はその子が気に入らなかった。<br>わたしの成績が振るわないのは、その子のせいと思ったようだ。<br>あんな子と付き合っちゃいけない、もっといい子と遊びなさい。<br>顔を鬼のようにして言われたものだ。</p><br><p>彼の母親が家に遊びにきた。<br>わたしの母親は彼の母親にこう言った。<br>「うちの子は家のお金を盗むんです」</p><br><p>それが学校で有名になった。<br>その子もわたしから離れていった。<br>わたしの母親は目的を果たした。</p><br><p>わたしはずっと独りだった。<br>上の学校に行って、大人に少しずつなっていくけれど、それは変わらない。<br>人気者を包む輪を遠目に見ている。<br>その人物がどうして人望を集めるのか、見ていたような気がする。<br>それが分かった時、真似をしていた。<br>ポケットに手を突っ込む歩き方とか、髪のいじり方とか、くだらないことをだ。<br>その人物が生徒会の副会長に立候補して当選した。<br>かなわないと思ったのは、人をまとめあげる能力だった。<br>その人物を真似るのを、わたしの母親は喜んだに違いない。<br>彼のお母さんは私の母親よりずっと美人だった。</p><br><p>さらに上の学校に行った。<br>友達がたくさんできた。<br>彼を真似ていたせいかもしれない。<br>わたしも役職に就くようになった。<br>その時は嬉しかった。<br>でも人をまとめられなかった。<br>彼の場合はまわりがどんどん役割を果たしていたけれど、<br>私は何かしようとすればするほど、まわりが離れていった。</p><br><p>社会人になった。<br>年功を積めば部下もできる。<br>でもいつも人が離れていく恐怖があった。</p><br><p>だから独りだった。</p><br><p>気が付いたら友達は一人も居なくなっていた。<br>わたしのこれまでは、友達というものに傷つけられた人生だった気がする。<br>友達のせいというわけではない。<br>友達を求めたために自分を見失って、結局傷ついてしまった。<br>わたしが弱かっただけだ。<br>友達を作らなくなったから、独りになった。</p><br><p>エアロビクスのスタジオはお姉さまがたがわいわい賑やかだ。<br>前面に貼られた大きな鏡。<br>群れから離れたわたしが映っている。<br>それがなんとも心地よく思える。<br>鏡に向かって独り微笑んでいたりする。</p><br><p>上手な人が最前列に並ぶ。<br>左右で互いに自分を誇示している。<br>私はたいてい最後尾だ。<br>ふと横を見ると、同じようにぽつんとした人が居る。<br>下手だから誰の目にも入らないようにして、そうするのかは分からない。</p><br><p>気にしないでおこう。</p><br><p>そうそう。<br>高校時代にわたしが真似ていた奴のしぐさ。<br>ポケットに手を突っ込む歩き方、髪のいじり方。<br>あれは後に分かった。<br>裕次郎だった。<br>思い出すと、失笑してしまう。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/anchinkiyohime/entry-11408445532.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Nov 2012 22:13:51 +0900</pubDate>
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