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<title>おもしろきこともなき世をおもしろく。</title>
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<description>「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……（中略）頭の中の方が広いでしょう。」（夏目漱石『三四郎』）むやみに他人の人生を生きてはいけません。いつもここから、「おもしろく」いきましょう。</description>
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<title>うつくしい名前。</title>
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<![CDATA[ 自分の名前があまり好きではなかった。<br>かつや、と最後がア段の音で終わるのがなんかダサい気がする。何となく締まりが悪い。<br><br>例えばイ段やオ段、せいじ、とか、しょうご、とかだと最後きっちり締まった気がする。<br>ウ段、まさつぐ、とかは芸術的な感じ。エ段は特に思いつかないけどかっこよさそう。くにえ、とか。<br><br>まあとにかく自分の名前がふにゃふにゃしてるみたいで好きになれなくて、いつも苗字だけ名乗ってた。<br><br>ゴールデンウィークのBBQで産休、育休から復帰した社員さんとお話してて、<br>九ヶ月になるお子さんも連れてきてらして、<br><br>——わーかわいいですねえ、何て言う名前なんですか？<br><br>って聞いたら、<br><br>「きゅうたろうです。」<br>って言ったあと（そのひとの苗字はオオバさんっていうんだけど）、<br><br>「オオバのきゅうたろうで、オバキュー。」<br>って笑った。<br><br>——え、狙ったんですか？<br><br>「ちょっとね。」<br><br>えーかわいい、と同期の女の子とはしゃいだりしたけどもさ、<br>最近よくあるDQNネームとは言わないまでも、<br>それはちょっとひどくないかおい。とすこし思った。<br><br>きゅうたろうくんはオバＱのTシャツを来て、つぶらな瞳でこっちを見つめていた。<br>……ところでオバＱって、どんなアニメだっけ？<br><br><br>よく名前には付けた人の願いが込められると言われますが、<br>小さいころ、<br><br>——僕の名前にはどんな意味があるの？<br>と母に聞いたら、<br><br>「かっちゃんって、呼びたかったから。」<br>って言われて、なんだかショックだったのを覚えている。<br><br>だけど大きくなってなにかの機会で漢和辞典をめくっていたとき、<br>ふと気になって自分の名前の漢字を調べてみたら、<br>「あらゆるものに打ち克つ」<br>っていう意味もあって、<br>それ以来、少しだけ自分の名前に誇り（そんな大層なもんでもないけど）を持てるようになった。<br><br>親にはその話はしてない。<br>もしかしたら本当は、そういう意味を踏まえてつけてたかもしれない。<br>照れくさくて、名前の意味を聞かれたらお茶を濁しとこうって思ってたのかもしれない。<br>それとも本当に、かっちゃんて呼びたかっただけかもしれない（←たぶんそうだと思う）。<br><br>本当は、意味なんてどうでもいい。<br>「真の理由」なんてどこにもないのだ。<br><br>そういう風に考えることで少しでも自分を好きになれるなら、<br>名前にふさわしい、打たれ強い人になりたいと思えるなら、<br>きっとそれが正しいのだ。<br><br><br>きゅうたろうくんは、自分の名前をどう思うだろう。<br>好きだと思うだろうか。こんな名前付けやがってと思うだろうか。<br><br>きゅうたろうくんに会った人は彼のことを忘れないだろう。<br>ああ、オバＱの彼ね！　と、いつも話題に上る人気者になるかもしれない。<br><br>もしかしたらオオバさんはその名前に、ちがう願いも込めていたのかもしれない。<br><br>それをきゅうたろうくんが知ることになるかどうかはどうでもよくて、<br>彼自身がその名前に、少しでも誇り（そんな大層なもんじゃなくても）を持てるかどうかが、<br>とても大切なことなんじゃないかと思うわけです。
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<pubDate>Thu, 10 May 2012 20:10:15 +0900</pubDate>
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<title>数学とコミュニケーション能力</title>
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<![CDATA[ 大学生の学力低下が問題になっているようだ。<br>まあ、そんなこと今に始まったことではないし、僕が高校に入るずっと前から分数の計算が出来ない東大生はテレビで吊るし上げられていた。<br><br>国公立大学の行ったアンケートによれば、<br>特に「論理的に思考し、またそれを表現する力」が低いのだという。<br>新聞では、数学の成績低下が主な原因ではないかと専門家が書いていた。<br>例えば、偶数と奇数の和が奇数になることの論証や、二次関数の定義などをやらせても、言葉足らずになってしまうのだという（ex.「1+2=3だから」「細いグラフ」）。<br><br>しかし、それは最近僕が感じる自分の能力不足と似たところがある。<br><br>高校時代、ずっと数学が苦手だった。<br>子どもの頃から算数が得意だったにも関わらずだ。<br>受験数学にあたっては、ほぼテンプレ通りの解答を作って凌いできた。<br>……今、社会人になってそのツケが来ているように感じる。<br><br>論理的に思考し、表現するとはどういうことだろうか？<br>正確な定義は分からない。そんなものがあるのかも知らない。<br><br>筋道を立てて、わかりやすく物事を考えること。<br>誰もがうなずくしかない明確なプレゼンテーション。<br>あこがれるなあ。<br><br>例えば僕の知っている人で、何につけても喩え話で話す人がいる。<br>しかしこれは意外とわかりづらい。<br>比喩は理解を形而の雲上へと押し上げてしまう。<br>大事なことはむしろ逆で、「何の話をしているのか」の定義をつねに、自己反省的に行わなければならない。<br><br>先の例で言えば、「偶数と奇数の和」の話をしたいならば、「偶数」「奇数」の定義をまず行うこと。<br>偶数→2n<br>奇数→2n+1（n：自然数）<br>みたいな感じで。<br><br><u>曖昧な言葉は使わない。<br>少なくとも自分の中で定義できない言葉を使って話をしない。</u><br><br>具体例を出して説明することも有効だ。<br>先の二次関数の例ならば、y=x^２+3のグラフを書いてみて特徴を挙げてみるとか、y=-2x^2のグラフと比較してみるとか。<br>解答用紙にそんなことをぐだぐだ書いてもたぶんマルはもらえないが、<br>数学の先生がそういうことを丁寧に説明してくれたら、<br>（まじめな）生徒は身をもって二次関数が何かを理解していくはずだ。<br><br><u>身近で簡単な具体例を引き合いに出す。<br>そこで初めて、比較や比喩が意味を持ち始める。</u><br><br>まあ、たぶん僕はそのとき机の下でジャンプ読んでたからいけないんでしょうけどね。
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<link>https://ameblo.jp/and3strings/entry-11245396431.html</link>
<pubDate>Tue, 08 May 2012 20:32:48 +0900</pubDate>
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<title>僕が僕であるために。</title>
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<![CDATA[ 今まで僕ははっきり物事を言うことを避けてきて、相手の想像力に任せる部分、いわゆる「余白」に頼って文章を書き、話し、伝えてきた。<br><br>むしろ、僕は他人の想像の中で自由に存在していたかったし、ある程度僕に対する解釈を受け手に委ねるという意味で、「余白」を操れるようになりたかった。<br><br>（そう言えば、木曜会の新人号に載せた詩の筆名も「余白」だった《李白と掛けて、とか、詩は頁の余白が多いから、とか言ってたけど》。読んだ人が自分を想像してくれたらいいやと思って、伝えたいこともなく、正味言葉の響きしか考えてなかった。あの詩たちは今思えば空っぽだった。<br>ある人は好きだと言ってくれたけど、たぶん当時の会長はそんなこともすべて見抜いていたんだと思う。もちろん否定はしない、あれらは確かに僕が生んだもので、責任は持ってる。）<br><br>今後僕がどう生きるにしても、このモラトリアムから脱するためには、人の中でじゃなく、人の間で、「自分」として確かに存在しなければならない。それは社会で生きていくということだ。<br><br>「ふりまわされてちゃダメ。ゆらゆらゆれて、流されてちゃダメ。どんな結末だってきっと後悔する。」<br>http://t.co/D9IbiQ9<br><br>要はこれからは、そういう余白主義的な考えをやめようと思う、ということ。少なくとも、一時。嘘偽りない自分を、はっきり、誰に対してもわかりやすく伝える。<br>実名（等身大）コミュニケーションの第一歩。<br><br><br><br>2011.3.25　02:18-02:52 on twitter
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<link>https://ameblo.jp/and3strings/entry-10842183218.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Mar 2011 20:34:22 +0900</pubDate>
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<title>梅の匂ひに柳もなびく。</title>
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<![CDATA[ 毎年、春合宿の最終日は新歓演奏会のお披露目をやることになっていて、<br>今年は後輩の演奏を聞きに大原まで行って来ました。<br>バスで行くと結構遠い。てか京都バス高い。<br><br><br>まあ演奏はともかくとして、やっぱり合奏楽しそうだなあと思った。<br>執行部やってる時はしんどかったけど、終わったら合奏する機会なんて本当になくなった。<br><br>自分と全く違う誰かと一つの曲を通して向き合って、お互いの特徴とか癖を確認しながらすり寄せていく。そうやって自分達なりのその曲をつくりあげていく。<br>合奏練習って言うのはそういう作業だ。まあ作業って言ったらあれだけど。<br><br>そういう意味で二回のときは良かったなあ。四季の眺め。理想高くて？しんどかったけど。<br>無駄なこと考えさせないために先輩は執行部入れなかったのかなあとも最近は思う。<br><br>今年のってか昨年末の定演でやった曲は長かったし、相方が怪我してたから合奏練習は自然と少なくなったけど、<br>最後の演奏会ぐらいゆっくり、そんな長くない曲で、それなりのものをつくりたいなあ。<br>……出させてもらえたらだけど。<br><br>そんなことを考えながら、後輩に厳しめなコメントを浴びせるいやな先輩となっていくのでした。<br>あーいやだいやだ。<br><br>帰りに先輩とカナートの銀だこでたこ焼き食べた。<br>その先輩も今年で卒業なんだけど、まさか最後にフードコートで喋ることになるとは思わなかった。<br><br><br><br>夜は毎日新聞の記者（になる予定の先輩）と大銀行きました。<br>先輩は３月頭に来まくってたらしくておばちゃんに顔覚えられてた。今日どうしよ？って言われてた笑。なんか和んだ。<br><br>静岡勤務になるらしくて、敵は富士山と東海地震だとか言ってた。次はいつ会えるかなあ。<br><br><br>……いやあ、春は出会いと別れの季節ですね。涙がとまらねえや（誰か花粉症なおして）。
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<link>https://ameblo.jp/and3strings/entry-10835675861.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Mar 2011 02:26:46 +0900</pubDate>
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<title>weekenders.</title>
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<![CDATA[ 最近、七時に起きてシャキーンを見れても、その後テレビをつけっぱなしで堂々と二度寝してしまう。<br>しかも寝てる間テレビで流れてる内容が地震特集のせいか、悲しい夢ばかり見て寝起きが非常に悪い。<br><br>何もいいことない。<br><br>たぶん、しゅうかつイベントを入れてないせいで起きるインセンティブがないことが原因だ。<br>筆記試験の勉強とか時事対策とか自己分析とか読書とか、やることはいっぱいある、はずなんだけど。<br><br>テレビをつけても悲しい・怖いニュースばかりで逃げ場がない。<br><br><br>昨日はそんな状況を打開しようと思ったのですよ。<br>先輩を（いきなりだけど）夜ご飯に誘い、人に会う約束を作って、<br>近くのカフェに行ってひたすら「何か」やってた。<br><br>食べログ「cafe weekenders　カフェ　ウィークエンダーズ」<br>http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26002156/<br><br>名前が素敵。<br>言ってしまえば最近毎日が週末のようだ。笑えねー<br><br>アメリカーノうまし（お店の売りはエスプレッソ）。<br>結構店内は広いんだけどお客さんが平日昼間（しかも雪）で少なかった、BGMが結構いい感じだった。<br>隣の人がスカイプ（Facetimeかも）でひたすら喋ってたけど日本語じゃないから（？）気にならなかった。<br><br>まず電通のパンフをよむ。<br>OBOG訪問のツテがないので、あたかもパンフに載ってる人を訪問するかのように熟読。キュンときたところをノートにメモる。<br>そこから考えを派生させて、どうしてそれにキュンとしたのか、あとはそれをヒントにやりたい仕事とか、自分の経験で似てるもの、を芋づる式に書いていく。マインドマップ？みたいな感じ。<br><br>こういう方法を続けたらOB訪問できない分のフォローになるかなーと思ったけど、<br>気になったこととか、自分の考えとか、誰かに聞いてほしいと思う事柄がいっぱい出てきて（ぽぽぽぽーん）、ああやっぱOB訪問したいなあとうっぷんだけ溜って行きました。<br><br><br>つぎに、夕飯に誘った先輩の卒論を熟読。<br><br>福沢諭吉なんか生きてる間にいっぱい本書いてるし（まずそれが文語っぽい時点でおれなんかは読む気起きないけど）、たぶんそのどれもが首尾一貫してるなんてことはないと思う。<br>だから彼を題材に卒論を書くのは難しいんじゃないかなと思ってた。<br><br>その人は論文の中で、「一身独立して一国独立す。」っていうテーマにひたすらこだわってた。<br><br>あまり僕は学術論文とか多く読んでるほうじゃないけど、その人みたいに自分の論文で「何について言及するか」をきちんと軸として定めておけば、そういう膨大な量の文献から、どの本の、どこを、どういう視点で読めばいいかわかるし、引用もしやすい。<br>その証拠に、そのたった一文を構成する要素（たとえば一身独立とはどういうことか、とか一国独立なんて現代で必要か、とか）をひたすら検証していたし、それに関して福沢のあらゆる文献や表現からアプローチしていた。<br><br>方法論として、そんなことは当たり前のことなんだけど、知ってる人の学士論文を読むことでそれに気付けたのは結構な収穫だと思った。<br><br>あと気付いたのは、結論や自分の読み方を強制しないことが、逆にその議論を読みやすく、感情移入させやすくしてたこと。<br>なんかそういうところにその人の優しさが出てた気がする。うん。話変わってんな。<br><br>中学生でも読めるような卒論が書きたいなあ。<br><br><br>こんな長く書くつもりではなかった。もうやめとこ。<br>結局、家だとそういう生産的（？）なことも考えられないから、町へ出ようってことです。<br>微妙な緊張感の中でね。頭使って生きよう。<br><br>偉そうなこと言ってあいすみません。
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<pubDate>Fri, 18 Mar 2011 17:54:03 +0900</pubDate>
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<title>はじめました。</title>
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<![CDATA[ 不謹慎ながら、ブログ始めました。<br>アメブロの登録自体は結構前からやってたんだけど。ぴぐは見ないで。<br>こうやって少しずつみくしーを卒業していくのか。<br><br><br>京都は雪です。さむい。<br>東北はもっとすごそうだ。<br><br><br>不謹慎ですがよろしく。
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<link>https://ameblo.jp/and3strings/entry-10832527062.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Mar 2011 19:28:14 +0900</pubDate>
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