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<title>うたかた花火の宵待草</title>
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<description>小生はラーフラと申します。群馬県北部の山中で枯れ草を食べながら哲学的思索に耽るならず者をやっています。基本的には思ったことを書いていきますが、かなり内容が難解になる場合があり、まあそのときは、怖いもの見たさくらいで覗いてください。以上。</description>
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<title>ノン</title>
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<![CDATA[ もし叶うことなら僕は畜生として生まれてきたかった。<br><br>人間は嫌だ。<br><br>こんなあさましくて救いようのないものに自分が生まれてきたことがそもそもの罪であり罰なのだと思う。<br><br>すべてが消えてなくなればいい。<br><br>でも可愛い女の子だけは残しておいてほしいなあ。<br><br>残りの僕の人生は可愛い女の子を眺めているだけでいいや。<br><br>それがいちばん素敵なことだものね。<br>
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<pubDate>Wed, 11 Dec 2013 21:12:56 +0900</pubDate>
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<title>憂鬱</title>
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<![CDATA[ 憂鬱だ。<br><br>でもそれを抱けないと人の生とは多くの意味において些事でしかなくなる。<br><br>いつでもギリギリのところまで自分を追い込み、そして断崖絶壁に佇むことでしか、僕は事物の本性を見られないらしい。<br><br>そのたびに、悲しんだり、怒ったりを繰り返し、その起伏と、それによる毀誉褒貶により、すべてが明白となる。<br><br>そのすべてが、あまりのまばゆさで、僕の目を、頭を、こなごなにしてしまったとしても、決してそらしてはならない、からこそ、その憂鬱は、真夏の夜の打ち上げ花火のように、壮大な可憐さを持ち合わせるのだ。
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<pubDate>Wed, 05 Jun 2013 23:46:55 +0900</pubDate>
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<title>声と画</title>
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<![CDATA[ 例えば、現実の音が、光が、身体的につねにズレていたとしよう。画の世界がいつでも、そのタイミング的な意味において、五分前からはじまっていたとするなら、それは知覚が時制の中において、後からやってくることはあっても前には存在をえないとなるだろうか。もしこの想定が正しいならば、知覚の世界とは、過去と現在しか含まないとなる。バークリーが想定する、いわゆる神の知覚とは、人為的な知覚世界の、過去と現在を、ある意味で超越したところに、未来を設定することになる。したがって、神の知覚とは、文字通り、神のみぞ知ることの未来なのである。そのことを告げるガブリエルの声は、知覚世界ではつねに後からでしかないため、神の知覚は、要するに未来は、ただそこの今における画と、声との一致により、要するに、今を完了化したものとして、時制は同期するのである。
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<pubDate>Wed, 20 Mar 2013 18:39:38 +0900</pubDate>
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<title>時間よ止まれ。汝は美しい。</title>
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<![CDATA[ ゲーテの『ファウスト』のテーマは時間を満たすことにあるだろう。その満たすとは、過去を遡ることでのものであり、さらに言えば、この今、この瞬間を、過去完了にしてしまうことである。僕が完結した過去に対して唯一こだわる時代は、やはり学生時代になる。それは幸せなときだった。そして過去が幸せであるがゆえに、タッソが言うように、現在の身の上を不幸にし、貧しくする。過去完了は、その時点において、すべてを、ある意味で補完する。その幸せなときは、補完されるがゆえに、永遠とされるのだ。しかしそんなことは現実では起こらない。その起こらない、というそのことが、また幸運の芽となるのである。一元的な世界は、出来事の固着とともにあり、その事実性は、対象の幸運的なものだねで牽引されているのだ。
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<pubDate>Tue, 19 Mar 2013 20:33:34 +0900</pubDate>
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<title>光</title>
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<![CDATA[ ジィドの『田園交響楽』で、ジェルトリュードは開眼したのに、カトリック的な罪の意識から、死んでしまった。彼女が見た世界の景色、その光とは、いったい何だったのだろうか。そしてその光が、もしあまりにも眩いもので、私たちの目を、頭を、こなごなにしてしまうとするなら、そう考えてみると、光源を、憎むことになる。僕たちの光とは、ただ光あれだとするのみでは、コントラストとしての影の行き場はなくなり、つまりはだ、存在の消去を意味するであろう。形而上学的な意味での自殺とは、その光と影との比重に狂いが生じることで起こる、存在認知の事実性への深刻な病なのである。モデルネは、もはや、幻想すら、許さない。
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<link>https://ameblo.jp/angel-chain/entry-11486364788.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Mar 2013 00:34:08 +0900</pubDate>
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<title>実験</title>
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<![CDATA[ 僕は今のところこの仕事をしているけど、あと一ヶ月くらいでそれも終わる。その先の予定はまだ決まっていないが、まあなんとかなるさ。<br><br>ただ、そうだなあ、今の仕事についても、それなりのテーマをもってやっていて、自分を実験台にして、他人を試しているのである。真摯に、かつ、誠実に、仕事に打ち込んで、その先が果たして見えてくるのかは、僕には分からない。しかし、バッジョが言うように、今を生きられないものに次を語る資格はない、のである。バッジョは哲学者だ。
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<pubDate>Tue, 05 Mar 2013 23:25:25 +0900</pubDate>
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<title>最近</title>
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<![CDATA[ 疲れているせいなのかしらないけど、余裕がなくて、どうも怒りっぽい。カルシウムが不足してるんだろうか。それは分からないが、穏やかだった日々は、もはや忘却の彼方であり、喧騒が支配するこの世界では、僕のような人間は、生きていくのがつらくなってる。まあそれはいい。問題は、いつかぼくが、犯罪者にでもならないか、である。妄想を裁く法律は、もうないが、具現化されたら、たいへんなことになる、ことがらが、そのことのうちにおいて、ぼくに責務を与えるのである。責務に生きるものは、幸いである。
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<link>https://ameblo.jp/angel-chain/entry-11484241914.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Mar 2013 00:19:43 +0900</pubDate>
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