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<title>母と言う名の傷</title>
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<description>私の生きる道</description>
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<title>悪口</title>
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<![CDATA[ 母は私を相談相手か何かと思っていたようだ。<br><br>小さい頃から、仕事や仕事仲間の愚痴、私の友だちのお母さんの悪口など一方的に聞かされていた。<br><br>それだけに止まらず、父親や祖母の嫌な部分を散々聞かされた。<br><br>聞くのが辛くてやめて欲しくても逆らえなかった。<br><br>私は祖母が好きだったが、お前は他の孫と比べて可愛がってもらっていないなどと言われたり、私がこんなに嫌っているのに遊びに行くのかと咎められたりした。<br><br>家から送り出す時も、私を放っておいて勝手に行ってくればいいじゃないと怒りを露わにしながらだった、<br><br>だからいつも罪悪感でいっぱいだった。<br><br>常に母のご機嫌を伺っていた。<br>帰って来ても楽しかった素振りをこれっぽっちも見せないように努力した。<br><br>色々と聞かされて、その内に祖母が嫌いになってきてしまった。<br><br>今となっては祖母を自分の目で見て、<br>そんなに嫌な人なのか判断出来なかったことが悔やまれる。<br>
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<pubDate>Wed, 24 Apr 2013 15:08:41 +0900</pubDate>
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<title>料理</title>
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<![CDATA[ 私の父は料理をしたことがない人だった。<br>その父は私が高校生になる前に成人病になり食事制限を強いられるようになった。<br><br>高校生になったある日、母が夜もパートに入らなければいけないので夜ご飯を作って食べておきなさいと言った。<br><br>それまで料理をしたことが無かった私はとてもプレッシャーに感じた。<br>下準備をすることも無く、お惣菜をくれる訳でもない。<br><br>ましてや食事制限のある父のことを考えたメニューにしなければならない。<br><br>どうして気遣いをしていってくれなかったのだろうか。<br><br>何時間もかけて作ってもうまく料理が出来なくて毎日心が苦しかった。
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<link>https://ameblo.jp/angelic4010/entry-11517441853.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Apr 2013 15:00:12 +0900</pubDate>
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<title>隔離</title>
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<![CDATA[ 小さい頃はうまくいかなかったり、<br>淋しかったりすると泣いたりするものだ。<br><br>私も例外では無く、幼い頃はそれなりに泣くことが多かった。<br><br>ギュッと抱きしめてもらって大丈夫だよと言ってもらいたいがために、それをしてもらえるまで泣こうといつまでも泣いた。<br><br>しかし私の母がしたことと言うと、泣き止むまで収納に閉じ込めることだった。<br>悲しくて悲しくて泣いても泣いても誰も来てくれなくて、母が来たと思ったら、まだ泣いていると言って立ち去られた。<br><br>優しく抱きしめて欲しかっただけなのに。
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<pubDate>Wed, 24 Apr 2013 14:54:30 +0900</pubDate>
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<title>離婚話</title>
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<![CDATA[ 我が家は両親の喧嘩が耐えない家庭だった。<br>母親の怒っている声をよく聞いた。<br>いつも抑えつけるような物の言い方をしていた。<br>母親の怒る声が本当に本当に怖くて怖くて大嫌いだった。<br><br>だから今でも街でお母さんが子どもに怒っている声を聞くと少しだけ吐き気をもよおす。<br><br>喧嘩の耐えない家庭ということで、<br>私は常に離婚の心配をしていた。<br><br>離婚して母親に引き取られたらどうしよう。父親と会えなくなったらどうしよう。などと考えていた。<br><br>不安な日々にテレビアニメの家庭で離婚危機の模様が映されていた。<br><br>私はすっかり感情移入してしまい涙を流した。<br><br>大丈夫だよ。と言ってくれる訳も無く、母親は笑って何でテレビを見て泣いてるの？とバカにしたように聞いてきた。<br><br>どうしてそこまで子どもの心を感じ取れないのだろうか。
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<pubDate>Tue, 09 Apr 2013 22:45:47 +0900</pubDate>
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<title>結婚記念日</title>
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<![CDATA[ 結婚1年が無事に経ったので、<br>結婚式をあげたレストランで食事をした。<br><br>報告の意味を込めて両親に写真入りのメールを送った。<br><br>あれから1年経つんだね。早いね。いつまでも仲良くね。<br>なんて返事がくると思っていた。<br><br>しかし返事の内容はというと<br>楽しそうなメールばかり送ってきて嫌がらせのつもりなの？お前は人として最低だ。<br>というものだった。<br><br>そのメールを見た時にパニックになった。想像もしていなかった返事だったからだ。<br><br>そしてそれから大声で泣いた。<br>ただただ泣いた。<br>声が枯れるまで泣いた。<br>
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<link>https://ameblo.jp/angelic4010/entry-11508198989.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Apr 2013 21:07:09 +0900</pubDate>
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<title>結婚報告</title>
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<![CDATA[ プロポーズをされて両親に結婚の許しをもらいに行こうと彼に言われた。<br><br>突然帰る訳にもいかないので事前に電話をした。<br><br>母親に、報告があるから彼を連れて帰るね。と言ったのだがイマイチ反応が無い。<br><br>聞こえて無かったのかと思い、もう一度言ってみた。<br><br>返ってきた答えは<br>何なの？うるさいよ<br>だった。<br><br>当然のごとく喜んでくれるだろうと思っていたのに。<br><br>通勤中だったのに人目もはばからず泣いた。<br>嗚咽が漏れるほど泣いた
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<link>https://ameblo.jp/angelic4010/entry-11508211705.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Apr 2013 19:47:26 +0900</pubDate>
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<title>クリスマス</title>
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<![CDATA[ うちでは母親の宗教上の理由でクリスマスと言うイベントは無かった。<br><br>クリスマスパーティはやらなくても、ケーキを食べたい母は23日に食べられるように受け取っていた。<br><br>そのため我が家でら23日にケーキを食べ終わっていたので、その後の楽しみは何も無かった。<br><br>サンタクロースも小学校に入る前からいないと教えられていた。<br>いなくてもプレゼントは欲しいと言ってももらえなかった。<br><br>次の日に学校でプレゼントは何だったか皆は盛り上がっているのに、もらっていないと言うのがどんなに悲しくて恥ずかしかったか。<br><br>恥ずかしさのあまり、私も同じのもらったよ。と咄嗟に言ってしまってお年玉で買ったこともあった。<br><br>あの惨めな思いは今でも忘れられない。<br>
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<pubDate>Mon, 08 Apr 2013 11:35:07 +0900</pubDate>
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<title>高熱</title>
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<![CDATA[ 中学生の頃の私は高熱が出やすい体質だった。<br><br>朝から熱が上がった日は学校を午前中だけ休んだりした。<br>お家にはもちろん1人ぼっち。<br>母親はパートに行くのだ。<br><br>看病して欲しくて淋しいことが多かったが、休んでくれることは無かった。<br><br>朝から熱が出た時は1人で家に残していけるから良いのだが、学校で発熱すると母親のパート先に電話がいくことになっていた。<br><br>母親の返答は1人で家に返してくださいのこと。<br><br>パートから帰ってくると第一声は、大丈夫？では無く、怒りながら何で電話したの？だった。<br><br>それ以来、私は高熱を出しても親には絶対電話しないように懇願し続けた。<br>
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<link>https://ameblo.jp/angelic4010/entry-11506686810.html</link>
<pubDate>Sun, 07 Apr 2013 13:26:23 +0900</pubDate>
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<title>お小遣い</title>
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<![CDATA[ お小遣いは本当にわずかだった。<br><br>小さいお弁当で満足出来ないお腹を満たす為のパンを買ったり、友だちとの付き合いでマックに行ったり、カラオケに行ったりしたいのに。<br><br>もちろん、到底足りない。<br><br>そんなにお金が欲しかったら働きなさいと言われて私は毎日の様に長い時間をアルバイトに費やした。<br><br>母親はケチなのでほとんど買い物をしない人だったので、私にもあまり与えてくれなかった。<br><br>だから下着、洋服、パジャマ、コートや靴など自分の持ち物の90％を買っていた。<br><br>携帯代も自分で払っていた。<br><br>しかし所詮は高校生のアルバイト。<br>そんなに稼ぐことは出来ない。<br><br>普段着を買うお金が無くて友だちと遊ぶのを何度我慢したことか。<br><br>普段着は中学生の頃からあまり与えられていなかったので、楽しい時代に友だちと外で遊んだ記憶が無い
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<link>https://ameblo.jp/angelic4010/entry-11506239014.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Apr 2013 20:41:07 +0900</pubDate>
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<title>お弁当</title>
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<![CDATA[ 高校に入ると毎日お弁当を持って行くようになった。<br><br>手のひらサイズの2段弁当。<br>食べ盛りの私には3倍くらいの大きさが無いと足りない。<br><br>1段目の中身は2/3が冷凍食品。<br>残りはミニトマトとブロッコリー。<br><br>2段目は白いご飯にふりかけ。<br><br>美味しく無い上に毎回同じ様な物が入るので食べたく無かった<br><br>そして何よりもそのお弁当を友だちの前で開くのが恥ずかしかった<br><br>しかし、コンビニなどで好きな物を買うお金はもらっていない<br><br>前日の残りでも良いから入れて欲しいとかリクエストをしても、面倒なんだから自分で作りなと言われるだけ。<br><br>終いには、父親はこれで文句を言わずに食べているのだからあなたもアレでいいでしょと言い放つ。<br><br>はい、アレで満足です。と言うまで、私の言うことが間違っているのかと詰問してくる。<br><br>今の時代に生きていたらキャラ弁じゃ無いなんてバカにされていたんだろうなと思う日々。<br>
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<link>https://ameblo.jp/angelic4010/entry-11506230940.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Apr 2013 19:57:48 +0900</pubDate>
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