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<title>天使のブログ</title>
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<description>世界のいい話をお届けします・・・</description>
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<title>いい話１０</title>
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<![CDATA[ <font color="#000000">これは俺が３～４年前の夏、イタリアのローマで体験した話です。<br>俺は大学でイタリア文学を専攻していて、大学４年の時に休学して半年間ローマに留学してたんだけど、<br>その時にローマの郊外にある、エウルっていう穴の開いたチーズみたいなビルを１人でブラブラ見に行ったんだ。<br><br>直射日光が凄くてめちゃめちゃ暑い日だったんだけど、ビルが建ってる所が高台になってて、街が見渡せて<br>涼しい風も吹いてたから、建物の影になってる所に座って一服しながら景色見てたのね。そしたら、ちょっと<br>前まで誰もいなかったんだけど、いきなり３つ揃えのスーツをバシッと着た小さい９０ぐらいの爺さんが俺の<br>肩を後ろから叩いて、「よう！ロベルト、久しぶりだな！」って声かけてくるんだよ。俺も、不意打ちだった<br>もんだから、一瞬ビクッとしたんだけど、すぐに人違いかなと思って、その歳の割には元気のいい爺さんに<br>「あの、人違いですよ。ぼくは日本人ですし、ロベルトという名ではありません。」ってキッパリ言ったの。<br>そしたら、爺さんの方は、凄い嬉しそうな顔して「やっぱりロベルトじゃないか！」って益々大きな声で言い<br>だしたんだ。俺は、いよいよこのジジイぼけてんのかな？って思ったけど、まとわりつかれても嫌だなと思っ<br>たから、「だから、ロベルトじゃないって。普通の日本人はそんな名前じゃないよ！」って言ったら、爺さん<br>は笑いながら「そんな事は知ってるわい！」みたいな感じで事の経緯を話しだしたんだ。<br>以下、俺と爺さん談（イタリア語だったので、それっぽい口調になおしました。）<br><br>爺「もちろん、君の本名がロベルトじゃないって事ぐらい知ってるさ。君は見たところ日本人っぽいし、<br>わしは今年で９２になるが、まだそこまで耄碌してないつもりだよ。君は昔、イタリアとドイツと日本が<br>戦争で同盟を結んでいたって事を、学校かどこか勉強した事があるかね？」<br><br>俺「もちろん、知ってますよ。僕だけじゃなく、日本人なら大抵の人は。」<br><br>爺「よろしい。わしは第１次、第２次と２つの世界大戦に最初から最後まで海兵として従軍したんだが、<br>当時はドイツや日本からこの地に派遣された、若い将校や外交官なんかと親睦を深めるためによくつるんで<br>飲みにいったりしたもんだ。お互い、言葉も文化も違うが、当時の我々にとっては、そんな事は大して重要<br>じゃなかったし、とにかく共通の敵がいる味方どうし、若かったってのもあるが大いに盛り上がったもんだ<br>よ。そして当時は、わしらみたいにつるんでた連中は、イタリア兵もドイツ兵も日本兵もみんな、お互いを親<br>愛の情をこめてロベルトって呼びあったもんさ！」<br><br>俺「はぁ…。でもまた、なんでロベルトなんっすか？」<br><br>爺、にっこり笑って「わからんかね？ロベルト（ROBERTO）というのは頭文字を合わせたものさ。<br>３国の首都　ローマ（ROme）･ベルリン （BERlin）・東京（TOkyo）の。だから、君を見かけた時、<br>日本人じゃないかと思ってロベルトと声かけたってわけさ！」<br><br>俺「へぇ～。なんか歴史を感じる話っすね～」<br><br>爺、急に笑顔から一変して渋い表情で「ところで、君のご家族やお知り合いの方で、第二次大戦に従軍された<br>方はいるかな？」<br><br>俺「うーん…。祖父は従軍しましたけど、もうとっくに他界したし…　あ！親戚の爺さんでまだ１人生きて<br>ますよ！」<br><br>爺「そうか、そしたら今度あった時には、イタリアが途中で戦線を放棄したことに関しては、本当に遺憾<br>に思っており、わしの人生においてただ一点の心残りであり、日本の皆さんには謝っても謝りきれない事をした<br>と思っている。と伝えてくれ。」と目に涙を溜めながら、俺に訴えてきた。<br><br>俺「うーん、今さらそんなに怒ってる人もいないんじゃないかなぁ？あの小うるさかった俺の祖父でさえも、<br>イタリアの事で、ぼやいてた事は一度もないし…。」<br><br>爺「我々はあの時、誓って誰一人戦線を放棄したいと思ってる奴はいなかった。わしの海軍部隊では政治的に<br>戦争が終わった時でさえ、皆悔しさに泣き、同盟国を見捨てるのかと、誰もが断腸の思いだった。拳銃で自殺<br>をしたものだっている！でも、わしはあの時何も出来なかった…。昨日まで、同じテーブルで酒を飲み、<br>ロベルトと呼びあい、同じ敵を蹴散らそうと雄叫びを上げあった仲にも関わらず、同盟国の戦況が日に日に<br>悪くなっていくのが、ラジオで伝えられようと、何も出来なかったんだ…。特に、日本の方々が最後まで意志<br>を貫かれているという報道を聞くたびに、どれだけ５体が引き裂かれるような思いがしただろう。だから、<br>日本の方々には戦線を離脱した腰抜け、裏切り者と思われても止むを得まい。<br>そして、イタリア人は、ちゃらついて女の尻を追いかけるだけの、軟派者と思われているかも知れない。<br>しかし、その後の半世紀以上、わしを含めた海兵全員は一日だってその事を悔いなかった事はないのだよ…。<br>だから、君のお知り合いには、是非すまなかったとお伝えください…。」<br><br>そういうと、爺さんは年甲斐も無く泣き崩れた。そしてよく見ると爺さんの胸には、会社の社章のような<br>小さいもので気付かなかったが、古びたイタリア海軍の所属部隊のバッジが着いていた。そして、急な展開に<br>戸惑った俺は、「わかりました、今度会ったら必ず伝えておきます。」とだけ言って、挨拶をしてその場を<br>去り、また炎天下の中に戻っていった。今まで、不思議ととても涼しく心地よかったのだが、その場を離れた<br>瞬間また砂漠のような猛烈な暑さに見舞われた。そして数メートル進んだ後、爺さんが何だか気になって振り<br>向くと、このテの話にありがちだが、もうそこには誰も居なかった。その爺さんが、幽霊だったかどうか<br>なんて、今となってはわからない。ただ俺は、爺さんと最後に交わした挨拶を思い出して少し、変だなと<br>思った。<br><br>爺「ここにいれば誰か日本の方が来ると思って、ずっと待っていたが、わしの話を聞いてくれた人はどれくら<br>いぶりだろう。皆、わしがまるで見えないかの様に、無視をして立ち去ってしまうのだから。ありがとう。」<br><br>俺「いいんですよ。でも、ここよりもっと街の中心の観光スポットに行った方が、日本人はいっぱいいるん<br>じゃないですかねぇ。コロッセオとか。それでは、お元気で。」<br><br>後日帰国して、久方ぶりに、家で寝たきりになって殆ど誰とも口をきかない親戚の爺さん（元海軍）を訪ね、<br>その話をした。爺さんは、何も言わず、ただ目に涙を溜めていた。そして、その話を聞いた１週間後に老衰で<br>他界した。世話をしていた従姉妹によると、俺が会った後の１週間は爺さんが妙に明るく、皆に積極的に話し<br>かけてたと言う。</font>
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<link>https://ameblo.jp/angellights/entry-10428764607.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Jan 2010 13:21:19 +0900</pubDate>
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<title>いい話９</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000ff">部活の大会で、みんなから応援メッセージが書かれたボードをもらったことが<br>あります。<br>その中に「ナンバーワンを目指すこと自体が、オンリーワン」と書かれていました。<br>書いた人に、スマップですか？と聞きましたら、違うと言われました。<br><br>ナンバーワンにならなくてもいい♪っていうのは駄目ではないかと思う<br>ナンバーワンを目指す気持ちがなきゃ、オンリーワンじゃないんじゃない<br>ナンバーワンになろうと努力する君は、もうすでに、一位をとることより<br>素晴らしいものを得ていたんだよ<br>たとえ一位になれなくても、君の努力は人生のすべてで必ず生かされる<br>だから安心してナンバーワンを目指してください！<br><br>卒業してからそんな手紙が届いたとき、私が学校の先生になれたら、<br>必ず必ず生徒に言ってやろうと思った。</font>
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<link>https://ameblo.jp/angellights/entry-10428764010.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Jan 2010 13:20:20 +0900</pubDate>
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<title>いい話８</title>
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<![CDATA[ 看護学生だった頃の話<wbr>。 <br>受け持った患者さんは<wbr>ずっと昔に家族と生き<wbr>別れになった方で、 <wbr>生活保護をうけながら<wbr>１人で生活されている<wbr>方でした。<br><br>面会にくる家族もなく<wbr>、もう最終末期、今週<wbr>一杯持つかとい状況で<wbr>した。 ある日、検温<wbr>に行き、何事もなく終<wbr>え、部屋を出ようとす<wbr>ると 酸素マスクのし<wbr>たで何か必死に言って<wbr>る。<br><br>何回聞いてもうまく <wbr><br>聞き取れず、繰り返す<wbr>こと10回近く。よく<wbr>聞くと、「水」 <br>と言っていて、吸い飲<wbr>みから水を口に入れま<wbr>した。すると満足 さ<wbr>れ、目を閉じました。<wbr>それを見て部屋を後に<wbr>しようとすると 消え<wbr>てしまいそうな声で<br><br>「あぁ・・・・」と聞<wbr>こえ、振り返ると <br>手招きしています。ま<wbr>た何かを必死で言って<wbr>いますが、聞き取れず<wbr>、「ごめんなさい、も<wbr>う一度おっしゃってい<wbr>ただけますか？」と言<wbr>うと、酸素マスクを <wbr><br>外し、とぎれとぎれに<wbr>、しかしその方にとっ<wbr>て精一杯の声で <br>「あ・・・り・・・が<wbr>・・・と・・・」 <br><br>と私の手をとり、おっ<wbr>しゃいました。毎日悪<wbr>くなっていく患者さん<wbr> をみるのが辛くて、<wbr>実習に行きたくなくな<wbr>ってしまったり、正直<wbr> <br>その患者さんを見るの<wbr>が恐くなっていたので<wbr>、そんな自分に情けな<wbr>くなり、思わず患者さ<wbr>んの横で泣いてしまい<wbr>ました。 <br><br>その患者さん、翌々日<wbr>の朝、私が病棟につい<wbr>てしばらくして お亡<wbr>くなりになりました。<wbr>なくなる瞬間にもご家<wbr>族の方は誰もおらず、<wbr>私と病棟スタッフが立<wbr>ち会いました。 <br><br>あの「ありがとう」は<wbr>今まで聞いた「ありが<wbr>とう」の中で、 最も<wbr>重たいありがとうでし<wbr>た。私のほうがお礼を<wbr>言いたい気持ちで一杯です。
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<link>https://ameblo.jp/angellights/entry-10428763189.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Jan 2010 13:19:00 +0900</pubDate>
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<title>いい話７</title>
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<![CDATA[ <p>個人の幸福と利益の追求、社会の利益と国家の政策、 </p><p>個人が利益を追求するのは少しでも幸福になりたいからだと思います。 </p><p>国家が政策を出すのは社会の利益になると思うからです。 </p><p>しかし、利益の追求や国家の政策には一つの大きな問題が有ると思います。 </p><p>それは、他人の利益や他国の政策にたいするものです。 </p><p>個人の利益の追求や国家政策は多々にして他の利益を無視しがちです。 </p><p>全ての人々が幸せになるために、ここでそれを考えてみましょう。 </p><p><br>この間のテレビで、日本にいる外国人の方々が中心になって、討論する番組がありました。 </p><p>そこで、米英によるイラク空爆についてに話しあわれたのです。 </p><p>それぞれの国の思想を反映した、非常に興味ある議論がありました。 </p><p>互いに筋が通っており、地域における価値観と思考の違いが明確になっていたのを覚えています。 </p><p><br>欧米諸国の学生達が口をそろえて </p><p>「イラクにおけるフセイン政権は、大量破壊兵器などの開発を優先させ </p><p>世界平和に対し深刻な懸念を抱かせている。」 </p><p>アラブ諸国の学生達は </p><p>「アラブの事はアラブで処理する、なぜ遠いアメリカCギリスが </p><p>何の権限でアラブの内政に介入し武力脅威を拡大させるのか。」 </p><p><br>この問題の是非については他に場を移すとして、 </p><p>結論がなく妥協性もない議論が繰り返されました。 </p><p><br>その多くの議論の中で、今私の心に残っているのは一人の外国人学生の一つの言葉です。 </p><p>その人はイラク人で、明朗な日本語を話す快活な好青年でした。 </p><p>イラクの軍事施設の破壊について話が及ぶや、穏やかな口調で話していたその学生は </p><p>表情を変えて叫びました。 </p><p><br><b>「あの爆撃で壊されたのは、 </b>だれが何を言っても、私はこれを考えずにはいられません。 </p><p>私の学校や、近所の病院、幼い頃から見慣れた商店街だ！ </p><p>あの爆撃で死んだのは、 </p><p>善良な市民、先生や医師、そしてお店の店長だった私の叔父だ！！ </p><p>兵器工場があるかもしれないという理由で！ </p><p>一般市民の建物が、疑わしきは破壊する、の排除論で </p><p>どんどん壊されていった。 </p><p>私の親友も死んだ！私の家族も死んだ！ </p><p>みんな軍事や大統領とは何の関係もない </p><p>ふつうの市民だ！！」 </p><p><br></p><p>国家のレベルで物事を考えると、個人の幸福が見捨てられがちです。 </p><p>そもそも国家や社会は、個人の幸せを保証し </p><p>それを安定化し、将来への幸福の追求を助けるものでなくてはいけません。 </p><p>人の幸福を破壊し、生命を軽視し他人の価値観を否定するような社会では、 </p><p>世界全ての人々の幸福を望む事は出来ません。 </p><p><br>人を殺すのはいけない事だと教える社会が人を殺してはいけない。 </p><p>人を騙すのはいけない事だと教える社会が人を騙してはいけない。 </p><p>人の不幸を望むのはいけない事だと教える社会が人を不幸にしてはならない。 </p><p>これは社会の基本だと思います。 </p><p>あの学生の言葉を忘れずにいるべきだと思います。 </p><p><br><br>一方、あの学生の言葉は国家通貨経済にも言いかえる事も出来ます。 </p><p>「あの投機家による暴落で壊されたのは、 </p><p>私の家庭や近所の病院、幼い頃から見慣れた商店街だ！ </p><p>あの暴落で生活不安に陥ったのは、 </p><p>善良な市民、先生や医師、そしてお店の店長だった私の叔父だ！！ </p><p>金融不安が起こるかもしれないという理由で！ </p><p>一般市民の通貨が、自分の利益を追求する、の市場主義で </p><p>どんどん壊されていった、 </p><p>私の親友も失業した！私の家族も崩壊した！ </p><p>みんな政府や金融とは何の関係もない </p><p>ふつうの市民だ！！」 </p><p><br>ちょっと、こじ付けに近い所があるのは私も認める所です。 </p><p>しかし、軍事においても経済においても形は大きく異なりますが </p><p>みんなの幸福に対して大きく双方影響を与えるという点では同じです。 </p><p>個人の利益の追求が他人の不幸につながるなら考え直すべきです。 </p><p>例えば、殺し・盗みもそうですし、市場や産業を崩壊させるのもそうです。 </p><p>個人の幸せの追求が他人の幸福につながり、他人の幸福の追求が自分の幸福に </p><p>つながるような社会・経済体制を２１世紀に創っていくべきでしょう。 </p><p><br>今の世界、核兵器に匹敵する力を持つものが５つ有ると思います。 </p><p>それは、金融投機、情報メディア、科学技術、自然資源です。 </p><p>これらを正しい方向で使い、生産性を高めると同時に人間の感性を高め </p><p>皆が生きる事と幸福について真剣に考え、 </p><p>それぞれが理解しあって生きていけるような環境を整える、 </p><p>それこそが私たちが２１世紀以降の人々に対して </p><p>果すべき責任ではないのでしょうか。 </p><p><br><br>私はあの学生の言葉を忘れません。 </p><p>なぜなら、 </p><p><br>自分がこれからやっていく事への、戒めとするために… </p><p>そして、人間の幸福に必要なものを、教えてくれている気がするから…</p>
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<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 13:37:56 +0900</pubDate>
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<title>いい話６</title>
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<![CDATA[ <font color="#00008c"><font size="2">僕は、何かにつけて口うるさい母がイヤでしかたがありませんでした。それこそ、1から10まで干渉されているようで、早く独立して家を出て行くことばかり考えていました。<br><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><br></font><font color="#00008c"><font size="2">幸い、近くにちょうどいい部屋が開いたので、すぐに引っ越しました。<br></font><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font size="2"><br></font><font color="#00008c"><font size="2">やっと、うるさい母から離れて暮らすことができ、解放された感じがしてうれしい毎日でした。</font><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font size="2"><br></font><font color="#00008c"><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font size="2"><br></font><font color="#00008c"><font size="2">ところが、いざ自分で暮らすとなると、食事・洗濯・掃除などでアルバイトで疲れた身体にはこたえました。食事もコンビニで買った弁当やカップ麺で済ますことが多くなり、おまけに洗濯物もたたまずに部屋の隅や衣装ケースに丸めてつっこんでおくようになってしまいました。<br></font><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font size="2"><br></font><font color="#00008c"><font size="2">そんなある時、自転車のカゴにおかずが置いてありました。母に違いありません。<br></font><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font size="2"><br></font><font color="#00008c"><font size="2">アルバイトで疲れた身体に母の作った「肉ジャガ」の味には、とても有り難い気持ちがしました。何も手紙やメモもありませんでしたが嬉しい感がしました。<br></font><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font size="2"><br></font><font color="#00008c"><font size="2">一緒にいる時は“口うるさいだけの母”と思っていましたが、そうではありませんでした。親としての優しい愛情だったのです。<br></font><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font size="2"><br></font><font color="#00008c" size="2">それでも、実家に帰ると母に面と向かって何も言えず、ただ、黙ってあいた容器を台所に置くだけでした。母も何も言いません。<br></font><font size="2"><br><br><br></font><font color="#00008c" size="2">しかし、心の底ではとても感謝しています。<br><br></font>
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<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 13:36:35 +0900</pubDate>
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<title>いい話５</title>
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<![CDATA[ <font color="#00008c"><font size="2">私のオヤジは酒のみで、金にもだらしない人間でした。幼い頃より、いつもそのことが原因で夫婦喧嘩が絶え間なく、私はオヤジが大嫌いでした。<br><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><br></font><font color="#00008c"><font size="2">オヤジは当時（昭和30年頃）、繊維会社の人事課で働いていたのですが、会社で問題を起こして解雇同様になり、私は生まれ育ったその土地を、小二の時に引っ越すことになりました。<br></font><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font size="2"><br><font color="#00008c">それからの生活は、貧乏と家庭環境の悪化で最悪のものとなっていきました。そんな訳で、私の兄・姉たちは卒業をすると同時に家を出て行きました。私は中学生頃から、そんなオヤジにひどい暴力を振るうようになりました。困ったオヤジは度々、町の相談所へ行っていたようです。<br></font></font><font color="#000011"><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font color="#000011" size="2"><br></font><font color="#00008c" size="2">中学を卒業した頃に、オヤジは家族の誰もいない時に、アパートの共同トイレに行く途中で倒れて亡くなってしまいました。<br></font><font color="#00008c"><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font color="#00008c" size="2"><br>葬式の時に、オヤジに「金を貸していた」と、同じ職場の人に催促されたほどでした。全く尊敬できない、どのように思い返しても“しょうもないオヤジ”でした。<br></font><font color="#00008c"><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font color="#00008c" size="2"><br>やがて、私も結婚をし、3人の父親になりました。<br></font><font color="#00008c"><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font color="#00008c" size="2"><br>時は過ぎ、私は50歳を越える年齢となった頃に、この地域一帯がニュースで大々的に取り上げられるような災害に遭ってしまいました。それでも、多くの方々の援助で、何とか立ち直ることが出来ました。<br></font><font color="#00008c"><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font color="#00008c" size="2"><br>それから半年ほど経った頃に、オヤジが当時、勤務していた土地に嫁いでいた姉から電話がありました。<br></font><font color="#00008c"><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font color="#00008c" size="2"><br>姉の話によると「この前、年老いたご夫婦が訪ねて来てこんな話をされた。『私は20歳の時、お父さんの勤めていた会社に面接に行きました。しかし、私は戦争で手に障害があったので採用は無理なようでした。その時に人事課の課長さんであったお父さんが、上司に、何とか採用してほしいと熱心に頼んでくれたお陰で今日まで生きてこられたのです。あの時に就職が出来なかったならどうなっていたかと……』<br></font><font color="#000011"><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font color="#000011" size="2"><br></font><font color="#00008c" size="2">さらに話を続けて『会社で問題を起こした。と、された事件もお父さんを解雇させたい人達の策略にあったのです。引っ越されてからも、風の便りでお父さんやご家族のことは気にかけておりました。お父さんが亡くなられたことも知っていました。お礼を言わないままに、この歳になってしまい申し訳ありませんでした。恐らく、この前の災害で、ご家族がり災されたのではないかと思い、この機会に、一言だけでもご家族の方に、お見舞いと過去のお礼を告げたいと、夫婦で思い切って訪れさせて頂きました』と言われてビックリしてしまったわ。だらしがないだけのお父さんと思っていたけど、そんなことがあったなんて知らなかった」とのことであった。<br></font><font color="#00008c"><img height="12" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fyuu%2Fyuu-img.Folder%2Fspace.gif" width="13" border="0"></font><font color="#00008c" size="2"><br>私も、その話には驚きました。母からも、もちろんオヤジからも聞いたことのない話でした。<br><br><br>大嫌いで軽蔑すらしていたオヤジに対して、この話以来、少し尊敬をするようになりました</font>
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<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 13:35:18 +0900</pubDate>
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<title>いい話４</title>
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<![CDATA[ この日は花見の帰りに兄貴の墓に寄ったんだが、人の良さそうな御婦人が <br>お墓（多分旦那さんの墓だと思う）を掃除しながら色々話しかけていた。 <br>「孫がねぇ、生まれたよ」「一緒に桜を見たかったね」とか言うのを聞い <br>てたら不覚にも泣きそうになってしまった…orz <br>俺も死んだらこんな風に話しかけてくれる人がいたらなぁ… <br>幸せってこういうことなのかと少し優しい気持ちになれた。 <br>もう少しがんばってみようかな <br>
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<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 13:34:35 +0900</pubDate>
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<title>いい話３</title>
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<![CDATA[ １ケ月前の夜９時頃のことだ。 <br>仕事で遅くなった俺は、夕食をとるため久しぶりに吉野家に行った。 <br>牛鉄鍋膳などを食っていたら、外のガラス越しに親子連れが立っていた。 <br>１歳ぐらいの子供を抱いた母親と、小学校３～４年生ぐらいの女の子。 <br>外に張り出されたメニューを見て、指さしながら迷っている様子。 <br>みなりは、あまり裕福そうには見えなかった。 <br><br>やがて３人はおそるおそるという感じで店内に入ってきた。 <br>俺の正面に座る。店内を見渡している。 <br>男の店員が無愛想にお茶を置き、「何にしますか～？」と尋ねる。 <br>小学生の女の子が「あの、あの、豚丼を‥‥」 <br>「並と大盛りがありますが」「あの、小さい方。二つ」 <br>「ご注文は以上で？」「‥‥はい」 <br><br>なんで子供に注文させるんだ？　平日のこんな時間に豚丼の夕食か？ <br>サラダもみそ汁もなしか？　父親はどうした？ <br>とか思いながら様子をうかがっていると、子供が手話を使い始めた。 <br>母親は耳が不自由のようだった。 <br>手話は充分ではなく、喋りながら時々手も動かす、という程度。 <br>母親は小さな子供を抱いているため口を動かす。 <br>小学生の女の子は唇を読んで会話が続く。 <br>残念ながら俺にはなにを言っているのか全くわからなかったが。 <br><br>やがて豚丼並が運ばれてくる。女の子は幼い弟か妹かの世話をしながら <br>二人は丼を食べ始めた。食べ始めて、母親の顔を見て、ちょっと笑った。 <br><br>その家庭の苦労は俺にわかろうはずもない。 <br>だがその女の子の笑顔を見た途端、速攻で勘定済ませて外へ飛び出した。 <br>涙を必死にこらえながら家路へ急いだ。
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<link>https://ameblo.jp/angellights/entry-10427994133.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 13:34:16 +0900</pubDate>
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<title>いい話２</title>
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<![CDATA[ <dd>今日、近所の交差点で車に乗って信号待ちをしていると、前方の右折車線でジリジリ前進している車がいた。 <br>明らかに信号が青になった瞬間に曲がっちまおう、っていうのが見え見え。 <br>この道路は主要幹線（って言っても所詮田舎のだが）で交通量も多い。確かにこのチャンスを逃したら、右折信号が出るまでの数分は足止めを食らうだろう。 <br><br>俺は「ほんの数分も待てねーのかよ。やらせっかよ、このＤＱＮが」と毒づきながら、信号が変わる瞬間を待っていた。 <br>当然譲る気は無い。昼飯前の空腹感と暑さが俺を少々苛立たせていた。 <br><br>すると、いきなり、俺の左の車線の車から中年の男性が降りてきた。自分の車を放っておいて。その車には誰も乗っていない。 <br>もうすぐ信号が変わる大通りで信じられない出来事。 <br>そのおっさんは、俺の車の前に背を向けて立ち、『止まっとけ』のサインを出しつつ、右折しようとした車に『早く行け』と手を振った。 <br><br>右折車が結構なスピードで右折していく。しかし、俺の目にははっきりと見えた。 <br>苦しそうな顔の女性が。助手席の窓にまで達した大きな腹。明らかに妊婦。 <br><br>俺は、咄嗟に助手席の窓を全開にし、小走りで車に戻ろうとしていたおっさんに叫んだ。 <br>「ありがとう！　全然気づかなかったよ！」 <br>おっさんは、ちょっとびっくりしたような顔をすると、 <br>「仕事が交通整理なんでな！」 <br>と、笑いながら言い返してきた。その顔の誇らしげなこと。とても眩しく見えた。 <br><br>後続車の猛クラクションの中、俺たちは慌てて発進した。ハザードを２回焚く。多分、隣の車も。 <br>結果的に俺は何も出来なかった訳だが、あそこで「ありがとう」と言えた自分に感謝したい。 <br>素直な感謝の気持ちをそのまま言葉にする。 <br>自分が本当に思っていることを口にして言うだけなのに、それが恥ずかしくて出来なかった、愚かな俺。 <br>いままで、本当に言いたいことも言えず、へらへら生きてきただけの自分を後悔する毎日だったから。 <br>それがちゃんと出来ることを教えてくれたおっさん、本当にありがとう。 <br>そして、あのときの妊婦さんが、元気な子供を生んでくれることを、心からお祈りします。 <br></dd>
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<link>https://ameblo.jp/angellights/entry-10427993820.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 13:33:20 +0900</pubDate>
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<title>いい話１</title>
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<![CDATA[ <p>僕は小さい頃に両親に捨てられて、いろいろな所を転々として生きてきました。 <br>小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を着た乞食」とかいろんな事言われました。 <br>たまに同級生の子と遊んでいて「○○君の家に行こう！」とかなっても、僕が遊びに行くとそこの家のお母さんが <br>「○○君と遊んではいけないっていったでしょ！」<br>とそこの家の子供を叱ってる声が聞こえ、僕を汚い物を見るような目で<br>「○○は今日遊べないの・・」というようなことが日常茶飯時でした。 <br><br>僕は弱い人間なので、そんな事が重なるうちに独りでいる事が一番傷つかず、一番楽なのだと思いました。 <br>けど、僕にも言いたい事は一杯あった。汚い服、同じ服着ていても僕は、僕は人の物盗ったり、傷つけたりはしてない。 <br>両親はいないけど、僕にはどうする事もできないんだよ！僕だっておとうさん、おかあさんが欲しいんだよ。 <br><br>僕はなるべく人と接しないように生きてきた。自分の精神、心を守る為にそうせざるを得なかった。独りで生きていく、誰にも迷惑をかけずに・・・ <br>高校に進学した時だった。朝学校につくと僕の机に「死ね」「乞食」「貧乏神」「親無し」等あらゆる悪口が書かれていた。 <br>僕は目の前が暗くなった。僕が何かしたのか？僕がなにか・・・・ただ立ち尽くすのみだった。 <br><br>その時僕の目の前から机が無くなった。<br>クラスでも人気者のYが僕の机をかかえあげていた。<br>僕は机で殴られるのかと思い、目を閉じた。<br><br>「いくぞ！」<br><br>とYがぶっきらぼうにいい廊下に出て行く。<br>僕はあとに従った。<br>Yは技術室に行き、紙やすりで僕の机の落書きを消し始めた・・・・<br>Yはただ一言だけ「つまんない事に負けんなよ。」と言い。<br>黙々と紙やすりで落書きを消している。<br>「放課後もう一回ここでニス塗ろうぜ。そしたら元どおりだ。」<br>といってにっこり笑ったYを見て僕は泣いた。 <br>Yは照れ笑いをしていた。 <br><br><br>Yは6月に結婚する。<br>おめでとう。<br>君がいなかったら今の僕はいない。<br>恥ずかしくて面と向かっては言えないけど、幸せになって欲しい。<br>そしてこれからも親友でいて欲しい。<br>今まで本当にありがとう。 <br></p>
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<link>https://ameblo.jp/angellights/entry-10427992790.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 13:29:21 +0900</pubDate>
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