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<title>日本警察拳銃史</title>
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<description>日本警察の拳銃について調べた事を書いていきます。興味の範囲は主に昭和の警察。今の警察については情報が限られている上にネット等でもいろいろ情報があるので基本的に範囲外です。あくまで公開された情報であり、なおかつ信頼できる情報のみに基づいて書いていきます。</description>
<language>ja</language>
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<title>「Gun Professionals」松尾副編集長との会話</title>
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<![CDATA[ <p>今回の件について、休み明けの<font color="#ff1493">1/6</font>に「Gun Professinals」編集部に電話し、松尾さんと話をさせていただいた。</p><br><p>松尾さんが言われた事を簡単にまとめると下記の通りになる。</p><br><p>「当該の杉浦氏の記事に盗用の問題があるという話は認識していた。</p><p>昨日（<font color="#ff1493">1/5</font>）に杉浦氏に確認をとったところ、『日本警察拳銃史というブログは見たことがない。今回の記事の内容は独自に調査した内容である』というのが回答だった。</p><p>もし不満があるのであれば検証を行うので、具体的に問題のある部分を指摘した資料を出して欲しい。」</p><br><p>検証を行うにしても、既に充分な材料はこのブログ上に存在すると私は思うのだが、松尾氏のお考えはそうではないようである。</p><p>いずれにせよ、「Gun Professinals」編集部にとっては、杉浦氏から上記の回答を得た時点で問題は終了しているという認識のようなので、何らかの形でこちらから働きかけない限りは、そのまま何事もなかったかのごとく処理されることになりそうである。</p><p>電話の会話で松雄氏がどのような方向に持っていこうと考えているのかもわかったような気がするので、検証には正直なところあまり期待をしていないが、とりあえずがおっしゃるとおりに検証の資料を作るつもりである。</p><br><p>検証の為の資料については、どのような形でお送りすればよいかお聞きしたが、はっきり回答が得られなかったので、とりあえずは当ブログに公開質問状の形であげてみたいと思う。</p><p>もちろん「Gun Professinals」編集部からの回答があれば、ここに掲載させていただく事にさせて頂くつもりである。</p><p><br><br>※　日付が間違っていたので訂正いたします。</p><p>　　松尾氏に電話したのは1/6でした。</p><p>　　（1/5→1/6　1/4→1/5）</p>
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<pubDate>Sun, 08 Jan 2017 15:31:47 +0900</pubDate>
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<title>「Gun Professionals」2017年2月号の杉浦氏の記事について　追加</title>
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<![CDATA[ <p>せっかくなので、具体的に今回杉浦氏の記事について見てみよう。</p><br><p>「はじめに」<br>前回の記事「Gun Professinals」2015年9月号の「戦後警察拳銃」に関する訂正から始まる。<br>私がこのブログの「Gun Professionals」2015年9月号の杉浦氏の記事について」で指摘した点について誤りを認めているが、残念ながら誤りを発見した理由について「その後入手した史料」によって自ら気がついたような書き方となっている。<br>この時点で明らかに不誠実と言わざるを得ない。<br>はっきり言って、私が記事で指摘したのは、たまたま目に付いた数点だけのことだが、実際には失礼ながら間違っている点はいくらでもある。<br>きりがないから、数点の指摘にとどめただけである。<br>あるいは杉浦氏は私が指摘した点以外の間違いについてはいまだに気がついていないかもしれない。<br>というか、その事自体が杉浦氏がこのブログを読んでいる事の証拠でもある。</p><br><p>「.38レギュラーと何か？」<br>これはこのブログの「謎の拳銃　S&amp;W 38口径レギュラー　その1」および「謎の拳銃　S&amp;W 38口径レギュラー　その2」の内容そのままである。<br>よくもまあぬけぬけと「発見」を自慢げに書けるものだと感心する。<br>最後の方では、杉浦氏オリジナルの主張も存在する。<br>例の「自警」に掲載された表を元に使用弾はアメリカ規格の125グレイン弾頭の.38S&amp;Wだと断定しているが、実は別の資料には200グレイン弾頭としているものもあるので、断定していい物か私は判断できない。<br>問題の38レギュラー、つまりミリタリー＆ポリスの.38/200モデルのシリンダーに段差があり、.38スペシャルは装填できないという点をToshi氏の写真付きで解説している。<br>ただし、理由についての杉浦氏の推測が当たっているかは疑問である。<br>そもそも38レギュラーと38スペシャルでは薬莢の長さが違うだけでなく径も異なる。<br>38レギュラーの方が弾頭径も薬莢径も若干大きい。<br>38レギュラーのシリンダーに段差がなく38スペシャルをそのまま装填できたとしても、何らかの問題が起きる可能性は充分にある。</p><br><p>「日本警察拳銃史序説」<br>これはこのブログの最初のほうで書いた「日本警察の銃器装備の時代区分」そんまんまである。</p><br><p>「アメリカ製貸与拳銃受け渡しまでの経緯」<br>前半は戦後の旧拳銃時代までの日本警察の拳銃装備の経緯についてまとめた物だが、これに関しては杉浦氏のオリジナルな文章だろう。<br>少なくともこの辺については、私は各記事にばらばらに書いているが、まとまった記事としては書いていない。<br>後半の新拳銃（アメリカ製貸与拳銃）に関する記事は、私がＭ1917やＭ1911に関する一連の記事の冒頭で引用した「ＧＨＱ日本占領史」からの引用で始まる。<br>この本自体はそこらの図書館にある本だが、どうやってこの記述が存在する事に気がついたのか聞いてみたい。<br>もちろん自分で「発見」したというのだろうけれども。<br>ちなみにこの章のページ下には、各都道府県警察史の記述からまとめや各都道府県の国警と自警の拳銃配分の表があるが、これを見ると杉浦氏が少なくとも警察史だけは自分の目で確認した事はわかる。<br>もっともそれくらいなら国会図書館か都立図書館あたりでざっとあたれば数日程度で出来る事で、そっから先が実は大変なのである。<br>表には出典として「大阪市警察誌」「警視総監報告」「名古屋市警察史」「浜のまもり」が挙げられているが、こうした資料はそれぞれ日本全国に1箇所しか存在しない。<br>どうして杉浦氏がこれらの資料が存在するのがわかったのかなんとも不思議である。<br>こうした本はローラー作戦で何十冊も実際に調べて、せいぜい1冊ネタになるものを発見できる程度である。<br>杉浦氏がたまたま私と同程度の労力を払ったとは到底思えない。<br>もちろん、これらの資料はこのブログでは「Ｍ1917　その3　大阪市警視庁」「Ｍ1917　その4　名古屋市警」「Ｍ1917　その5　横浜市警」で紹介している。<br>ちなみに実際のところ、私がブログで紹介していない資料はいくらでもある。<br>しかし不思議なことに今までこのブログで紹介していないそうした資料については杉浦氏はご存じないらしい。</p><br><p>「貸与の時期」<br>冒頭は私自身が「秋田県警察史」で紹介した内容そのままで、後半はＭ1911篇やM11917篇のまとめ部分と重なる。<br>最後の方の45口径弾薬に関する考察は杉浦氏オリジナルでかなり面白い。<br>ここで引用された「けん銃に関する私見」は前回の記事でも杉浦氏が引用し、私自身も何度か数字を断片的に使用している資料である。<br>45口径の一型と二型の区別について、自動型用と回転式用で分けているのではないかという推定に関しては私も十分にありうると思うのだが、別資料によれば一型と二型の区別があるのは訓練実包だけで、執行実包の方は1種類しかないようにもとれるのでなんとも言えない。<br>ちなみに、このへんの弾薬製造や拳銃修理の施設に関する分野は、おそらく警察が公開を嫌がるグレー（限りなく黒に近い）ゾーンだと思われるので、私は最初からこのブログでは扱う気はなかった。<br>この辺までが限界である。</p><br><p>「貸与拳銃の数量について」<br>ここで「色々史料に当たってみると」で発見されたらしい「10年の歩み」は私自身が[Gun Professionals 2015年9月号の杉浦氏の記事について」で引用しているので、いまさらなその記述にはうんざりするが、杉浦氏なりの考察は結構面白い。<br>ただし杉浦氏は大事な要素を見落としている。<br>それが何かは書かない。</p><br><p>「その後の貸与（譲渡）拳銃の動向（兵庫県警の場合）」<br>これはこのブログの「M1917 その6 兵庫県警（神戸市警などの兵庫県自治警） 」からM1917 その9 兵庫県警（神戸市警などの兵庫県自治警）の続きの続きの続き」に書かれた事のまとめである。<br>ここで出てくる「兵庫県警察年鑑」にしても、よくもまあ都合よく「発見」したものである。<br>また不思議なのは<font color="#0000ff">、「これについて『兵庫県警察年鑑　昭和40年度』は珍しく以下の記述を添えている。」</font>と書いて兵庫県警察年鑑を引用している点だ。<br><font color="#0000ff"><em>「次表のとおりであるが、大型けん銃（コルトおよびS&amp;W 11.4ミリ口径）は、日常活動上不便であるため。警察庁においては、昭和38年度から計画的にニューナンブ9.6ミリ口径けん銃に更新する方針を定め、逐次実施中であり、本県にも昭和42年度で632丁（増員360丁、減耗補充分272丁）の配分を受け、既配分とあわせ2317丁を保有し、主として市街地に勤務する外勤警察官に配備している。」</em></font></p><p>このブログの「M1917 その9 兵庫県警（神戸市警などの兵庫県自治警）の続きの続きの続き 」を見ればわかるが、同様の記述は以降2年間続いているが、杉浦氏はそれには気がついていないようである。<br>ちなみに上の文章を引用した私の文章では、「ちなみに上の表にあるとおり、本年の項では単なる保有状況の表だけではなく解説の文があるので引用してみよう。」と書いてから引用している。<br>私の文章がわかりにくかったのだろうか。<br>杉浦氏にこの年だけそのような記述があると勘違いさせてしまったかもしれない。</p><br><p>「5発装填などについて」<br>もしかしたら、これは私の記事の「五発装填」を踏まえた上で、独自の見解を付け加えたものと考えてよいのだろうか？<br>ちなみにハンマーブロックの追加改修については、てっとりばやくWikipediaの「S&amp;W M10」の項目から引用すると（コピペって楽だなあ）<br><font color="#0000ff"><em><br></em></font></p><p><font color="#0000ff"><em>戦中に、甲板上への落下に起因する暴発事故が発生し、水兵1名が死亡したことから、アメリカ海軍の要請により、ハンマーブロック機構の強化改良が行われた。1944年9月にスライドアクション・ハンマーブロックが開発され、これは本銃を含めて、現在に至るまでに生産された同社のリボルバーの全てに採用されている。また開発以前の生産型も、約40,000丁が工場に後送されて同機構を組み込む改修を受けた。改修済のモデルは、シリアルナンバー側のグリップに"S"、反対側に"s"の文字が刻印されている。<br>第2次世界大戦に伴い、計242,291丁が生産された。</em></font></p><p><font color="#0000ff"><em><br></em></font>とある。<br>ビクトリーモデルのうち改修済みが多数だったとは思えない。もちろん38/200モデルについては改修済みとは到底思えない。</p><p><br>とりあえず、ここまでにしよう。</p><p>今回の件については1ライターのみの問題とは思っていない。<br>例えば、M1911の記事を担当したHiro Soga氏の記事のまとめ部分「日本警察のM1911」には、「別の資料によると」と書いて明らかに当ブログの記述内容を触れている。<br><font color="#0000ff"><em>「1950年代当時、警察官は常時装填、常時携行が義務付けられており、それも仕事が終わったあとも自宅に持ち帰り、自分で管理する必要があったのだという」</em></font>というのは、「当時は常時携行、常時装填の時代で、警察官は全弾装填した拳銃と予備弾を常に持ち歩かなければならず、仕事が終わったらそのまま自宅に持ち帰って自分で管理しなければならなかった。」の部分のことなのだろう。</p><p>同様の記述はこのブログ内で何回かしている。<br>少なくともHiro氏は当ブログの内容をご存知のようである。<br>今回の件は意外と根が深いのかもしれない。<br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12232870465.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Dec 2016 00:09:38 +0900</pubDate>
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<title>「Gun Professionals」2017年2月号の杉浦氏の記事について</title>
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<![CDATA[ <p>本日発売された「Gun Professionals」の2017年2月号の特集は2015年9月号の特集「日本警察拳銃」に引き続いて「日本警察拳銃 Part2」の特集が組まれている。</p><p>内容的には日本警察で現在使用されている最新の拳銃（P2000とか）の銃のレポートが主体なのだが、明らかに困った記事が一つ存在する。</p><br><p>それは杉浦久也氏による「日本警察拳銃史再考　アメリカ製譲渡拳銃の実態」という記事である。</p><p>どっかで聞いたようなタイトルだが、内容的にもほぼこのブログで私が書いてきたことのそのまま引き写しである。</p><p>時期的には「5発装填」のところまでで、「グリップアダプター」のところはどうやら締め切りに間に合わなかったらしい。</p><br><p>自分の書いた記事の内容が勝手に拡散するのは覚悟しているし、この文章を書く中で引用部分には出典を明記しているので、引用部分だけコピペして、その他を適当にリライトすれば簡単に一丁上がりにできるのもわかってはいる。</p><p>ただ、それはネットのどこかで知らない人間がやる程度の事だと考えていたので、正直、ちゃんとした出版物の記名記事でこのような事が行われるのは想定外だった。</p><br><p>実際の所、自分がこの記事を書く為の調査には相当の労力をかけている。</p><p>例えば「浜のまもり」を見るためには横浜市立図書館、「兵庫県警察年鑑」を見るためには<strong>京都</strong>府立総合資料館に行かなければならない。日本のどこを探しても、これらの資料はそこにしかないからである。</p><p>杉浦氏がそこまでの手間をかけたとは思えない。</p><br><p>ちなみについ先日DeNAによるキュレーションサイトが盗用などが問題となり、同社はそうしたサイトの記事の公開中止を決めた。この事件については他人事だと思っていたが、他人事ではなかったようである。</p><p>翻ってホビージャパン社や杉浦氏にそのようなコンプライアンスの意識があるのかどうかはわからない。</p><br><p>とにかく考えていることはあるが、とりあえずこのブログに関しては今後更新は止めて新たな記事は書かない事にした。</p><p>ここに書くそばから、右から左に勝手に自分で調べたような顔で平気で雑誌記事にされては正直バカバカしいだけだからだ。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12232459108.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Dec 2016 16:14:31 +0900</pubDate>
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<title>グリップ・アダプター</title>
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<![CDATA[ <p>20世紀前半までのリボルバーは一般的にどういう訳かグリップが細くて小さく、現代の目から見ると人間工学的でもない。</p><p>戦後にアメリカから供与されたリボルバーは、どれもそれが当てはまり、結局日本の警察はそれらにグリップ・アダプターを装着して使用する事になった。</p><p>&nbsp;</p><blockquote><p><span style="color:#0000FF;">(4)グリップの登場<br>アメリカの或る商社製作によるけん銃グリップがエングル氏の紹介により輸入された。特にけん銃大会の選手諸氏によりその優秀性が認識され、国警本部が一括購入して、射撃場に配分されたのであるがグリップの使用と技術の深いかかわりあいを発見する警察官の研究心と器用さは第三者（ライフル射撃協会役員)が注目したのである。このグリップの理論は、やがてオリンピック硯枝用ピストルと深いかかわりを持つのである。</span></p><p>&nbsp;</p></blockquote><blockquote><p><span style="color:#0000FF;">　　<span style="font-weight:bold;">　けん銃グリップの使用について<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　務発教第六三号<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　昭和二十六年四月三日<br>　　けん銃訓練とくに今後実施せられる応用射撃訓練に必要なグリップを本部において予算の許す範囲内で一括購入の上逐次配分の予定であるが、今回は全警察官に配分するに至らないので三月二十二日附務発装第八四号通牒の通り、各射撃場備えつけとして配分せられたが、これが使用については左記の点に留意の上訓練効果の向上に充分活用せられたい。<br>　　　　　　　　記<br>　　一　グリップは、各射撃場管理者が保管にあたり、けん銃射撃訓練とくに応用射撃訓練の際使用すること。但し、手の大きさ等を考慮の上不適当と認められ又は必要としない者には使用させないこと。<br>　　二　グリップの取りつけ、取りはづしは、ドライバーをもって銃杷木部（コルトの場合銃杷ベークライト部）を取りはずし極めて簡単にできるが、けん銃の他の機能に影響を及ぼすおそれがあるので必ず指導官の指導のもとに行うこと。</span></span></p></blockquote><p><span style="font-size:0.7em;"><span style="color:#0000FF;">「戦後の警察術科史（1）＜けん銃編(上)＞」滝澤光三　「警察学論集 」警察大学校 編&nbsp;39(8)&nbsp;1986-08</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>ここにある「グリップ」がグリップ・アダプターを指すと思われる。</p><p>昭和25年頃にアメリカ製リボルバーが貸与されてすぐにグリップ・アダプターの装備が始まったことになる。</p><p>&nbsp;</p><p>エングル氏というのはGHQのG2の公安課（PSD）の警察行政官であるバイロン・エングルの事である。彼は日本警察のけん銃装備にあたって指導にあたった人物で、日本警察のけん銃技術や操法などは彼の指導から始まった物である。</p><p>けん銃配分に伴って全国から射撃指導者が集まって彼の講習を受け、各自自分の所属に持ち帰って講習を行った。</p><p>操法や訓練方法なども彼の作った物が母体となっている。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに日本警察でのグリップ・アダプターの正式名称は「グリップ・ライト」である。</p><p>おそらく綴りは「GRIP　RIGHT」で、意味は「正しく握る」というような意味かと思われる。</p><p>グリップ・ライトというのが、グリップ・アダプターの古い呼び方なのか、それとも特定の商品名なのかはわからない。あるいはエングル氏紹介の商社販売の商品名なのかもしれない。</p><p>いずれにせよ、これは日本警察でのグリップ・アダプターの呼び名として残ることになる。</p><p>&nbsp;</p><p>グリップ・アダプターの効果は基本的に射撃の際に握りやすい事にあるが、特に強調されているのは、シングルアクション射撃で撃鉄を右手親指で起した後に引き金に人差し指を掛ける動作が安定するという点と、その際に中指から小指までのホールドが安定するという点である。</p><p>実際に撃鉄を起した状態では引き金はかなり後下に位置するので、人差し指をかなり不自然に後下に伸ばさないと触れられない。また人差し指を後下に伸ばした状態では中指のホールドが甘く、浮き気味になりやすい。というか浮かさないと人差し指が届かない。そうならないためには握る位置自体を若干下にずらす必要があり、そうすれば人差し指を下ではなくもっと自然にまっすぐ横に伸ばせる。</p><p>グリップ・アダプターを装着すれば自動的に握る位置が下にずれてこれらの問題は改善される。</p><p>また、シングルアクション射撃の中でも特にグリップ・ライトが必要とされるのは「時間撃ち」、つまり5発を一定時間内（15秒～30秒）に発射する場合で、迅速にシングルアクション射撃を行う際には必須とされている。</p><p>&nbsp;</p><p>グリップ・ライトはS&amp;Wとコルトの45口径リボルバー（M1917)およびS&amp;Wの38口径（ミリポリ系）に設定され、コルトの38口径には存在しないらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12223398130.html</link>
<pubDate>Sun, 27 Nov 2016 15:45:10 +0900</pubDate>
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<title>ニューナンブM57B</title>
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<![CDATA[ <p>以前に「ニューナンブM57A」の記事を書いたが、今回はM57Bについて書いてみる。</p><p>&nbsp;</p><p>まずは前回も引用した文章から。</p><p>&nbsp;</p><blockquote><p><span style="color:#0000FF;">拳銃研究会<br>　拳銃の需要は，防衛庁はもちろん，警察庁，海上保安庁，国鉄，法務省，厚生省にまたがることから，昭和31年9月，通産省が乗り出して国産拳銃の統一規格を作成することとなった。<br>　そこで銃砲部会に拳銃研究会を設置して研究を進めた。この研究会は，拳銃メーカ及び拳銃弾メーカの専門家を委員として構成し，関係官庁の担当官の出席と指導を求める方式で開催した。<br>　昭和32年1月，需要官庁の拳銃規格に関する希望条件について打合せを行い，同年2月，官庁側の要望する性能を検討し，同年3月には統一規格として次の3種を制定することとなった。<br>　　大型拳銃　口径9mm自動拳銃<br>　　中型拳銃　Cal．32自動拳銃<br>　　小型拳銃　Cal．38スペシャル回転弾倉式拳銃<br>　この3種の拳銃について規格案の作成と審議を行い，昭和32年11月に拳銃及び弾薬の規格を作成した。<br>　この規格に基づき，32年度鉱工業技術研究費補助金を受けて試作し，昭和33年には試作品の披露と報告を行って研究会を終結した。なお，警察庁はこの規格で国産に移り，実用に供した。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p></blockquote><p><span style="font-size:0.7em;">「<span style="color:#0000FF;">日本兵器工業会三十年史」日本兵器工業会, 1983.3</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>今回のM57Bは「中型拳銃 Cal.32自動拳銃」にあたるものである。</p><p>&nbsp;</p><p>まずは</p><blockquote><p><span style="color:#0000FF;">新南部57B型自動拳銃<br>　空港警察、鉄道公安官のために開発されたもので、.32口径、弾薬は.32ACP、または7.65ミリ・ブローニング弾を使用する。<br>　機構は銃身固定式つまりブローバックで、弾丸を撃った際固定されている銃身は動かず、遊底だけが火薬ガスの圧力で後退し、排莱、装填を行なうのである。<br>　安全装置は大型と同じく、撃鉄の半起安全、弾倉安全装置、指動安全装置の3つが備えられている。<br>　この拳銃の特長は、ワルサーP38などの、世界でもごく少数の拳銃に採用されている装填指示ピン（シグナル・ピン）がついている点である。<br>　これは薬室内に弾丸が装填されているときは、このピンが後方に突き出しているので、遊底を開いてのぞかなくても、薬室内に弾丸の有無が一目でわかり、危険防止に一役買っている。<br>　銃身長90ミリ、全長150ミリ、重量600グラム（空弾倉とも）、8発弾倉、ライフルは右回りの6本で、初速は300メートル、貫徹力は114ミリの松坂を9.15メートルで貫通する威力をもっている。</span></p></blockquote><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161126/12/annefreaks123/42/c9/j/o0728082713807063077.jpg"><img width="728" height="827" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161126/12/annefreaks123/42/c9/j/o0728082713807063077.jpg"></a></p><p><span style="font-size:0.7em;"><span style="color:#0000FF;">「生きていた日本の拳銃」矢沢秀一　　「GUNマガジン」1965年9月号</span></span>　</p><p>&nbsp;</p><p>ここでまず注目したいのは用途が「空港警察、鉄道公安官」とされている点である。</p><p>一般にM57Bは警察用と説明されることが多いが、それでは回転式のM60との関係が腑に落ちない。</p><p>もちろん警察用として2種類の拳銃を開発する事はもありえなくはないが、そこまでやる必要があったのかは何ともいえない。</p><p>ましてや回転式のM60は自動式のM57の2種類より実際の開発試作は先行していた形跡がある事を考えると、後からわざわざM57Bを開発するのもやや不自然に思える。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしM57Bが空港警察や鉄道公安官向けに開発されたと考えると、納得できる部分がある。</p><p>そもそも当時の空港警察（羽田空港だけかもしれないが）は回転式ではなく、ブローニング（M1910およびM1906、あるいはM1922)を装備していた。</p><p>これは外国からの客も含めて、空港利用客に威圧感を与えないために、小型でスリムな銃が選ばれたといわれている。</p><p>そこからの代替だとすると、M1910類似の自動式が求められるのは自然な事である。</p><p>また、鉄道公安官が装備していたのはコルト・オフィシャルポリス（４インチ）だったが、これも大型で、空港と同様に旅客に威圧感を与えないものが求められた可能性はある。</p><p>&nbsp;</p><p>という事で、M57Bは警察全体に配備する新型けん銃というよりも。もっと限定された用途を考慮して開発された可能性は高いように思える。</p><p>&nbsp;</p><p>二つ目の注目点は、M1910と異なってグリップセフティを備えていない点である。</p><p>実際の所、M57Bの内部機構についてはさっぱりわからないが、M57Bと同様に撃鉄関係のメカニズムがブロック化されている可能性も充分にある。</p><p>そこからすると、M57Aがそうであるように、外観的にM1910に類似しているように見えても内部構造は大きく違っている可能性も高い。</p><p>そもそも、ブローニングタイプのブローバック機構は標準的で多くのオートは採用しているし、M1910がストライカー式であるのに対してM57Bがハンマー式である時点で、結局内部機構にはかなりの差があるのは間違いない。</p><p>&nbsp;</p><p>三つ目は「装填指示ピン」の存在である。</p><p>もちろんこれはブローニングには存在しない。ワルサーやザウエルにある機構である。</p><p>オートの事故は薬室内に残弾があるかわかりにくい点に起因している事が多いので、これは需要者側の要求として存在したように思われる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>次は「GUN」の記事から</p><p>&nbsp;</p><blockquote><p><span style="color:#0000FF;">Ｍ－５７Ｂ 7.65mm（.32ACP）口径のブローバック式セミ・オート・ポケット・ピストルで，撃鉄は露出式。M－57Bも指動と弾倉の2つの安全装置つきで、透明なプラスチック・グリップは，弾倉安全装置の作動がよく見えるようになっている。この装置は、銃把内に弾倉が入っていれば引鉄と逆鈎を連絡するラグが押し上げられて，引鉄を引けば逆鈎は撃針を開放するが，弾倉を抜き出しておくとラグは下って引鉄と逆釣の連絡は遮断されるので，もし薬室内に残弾がある場合にあやまって引鉄を引いても撃発装置は働かず、暴発を防止する。またスライド後端の撃針の上部に，薬室内装弾指示ピンが出ていて，薬室内に実包が装填されていれば、スライド後端からピンが突出してそれを指示し，日中ならば目で見て，暗いところでは指で触れてそれを確かめるわけだが，この指示ピンは撃鉄がコックされていなければ見えないといううらみがある。 M－57B・ピストルの分解には，銃身の取付部に特殊なキー型のレンチを使用して，これを90度の角度まで廻し，復座スプリングとスライドをフレームからはずすもので，復座スプリングは8.63cmの固定式銃身の周囲に、ワルサー・ピストルに似たスタイルで取りつけられている。 M－57Bの銃身は6条の右旋回、回転30.48cmのライフル入り。</span></p></blockquote><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161126/14/annefreaks123/ef/2b/j/o0781053113807129560.jpg"><img width="781" height="531" alt="" contenteditable="inherit" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161126/14/annefreaks123/ef/2b/j/o0781053113807129560.jpg"></a></p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161126/15/annefreaks123/06/32/j/o1194087913807141956.jpg"><img width="1194" height="879" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161126/15/annefreaks123/06/32/j/o1194087913807141956.jpg"></a><br><span style="font-size:0.7em;"><span style="color:#0000FF;">「New-NAMBU ニュー・ナンブ・ピストル」西江剛 「GUN」1964年7月号 国際ガン出版</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>ここでの一つ目の注目点は「透明なプラスチック・グリップ」である。</p><p>確かに不鮮明な画像ながら、透明なグリップを通して大きく切り欠いたフレームの中の弾倉が見えている。外側から弾倉の有無は一目瞭然であるし、弾倉の穴からは残弾も確認できそうでもある。</p><p>これがそうした意図であるならば、他に類を見ない新機軸であり、M57Bの最大の特徴と言えるだろう。</p><p>記事文中では「弾倉安全装置の作動がよく見えるよう」にとの目的であるように書かれているが、さすがにそんな目的でこんな事はしないと思われる。</p><p>実用性はともかく、おもしろい考案なのは確かで、この銃の開発者が単にブローニングのコピーを作るつもりではなった事を示している。</p><p>&nbsp;</p><p>二つ目の注目点は、通常分解に工具が必要だという事である。</p><p>一般的には日常の手入れのために、通常分解は工具なしで簡単に行える事が、いい銃の一つの用件となっている。</p><p>なぜ、わざわざこんな事にしたのかはよくわからない。</p><p>ただ想像するならば、「原型」であるブローニングの「欠点」を考慮したからにも思える。</p><p>ブローニングの通常分解は簡単だが、反面簡単すぎ、更に困った事に部品（スプリング類やバレルブッシングなど）を紛失し易いという問題がある。</p><p>おそらくは戦前から長年使用している中で、日本警察でもそのような紛失事例が少なからずあったはずである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>最後に試作ニューナンブファミリーの画像。</p><p>こちらの画像でもM57Bの透明グリップが確認できる。</p><p>ちなみにM57Aはおそらく初期試作型で、M60も量産型とはグリップ等が違ってチーフスの面影がかなり残っている。下の22口径は輸出用のターゲットモデルで初期のウッズマンに似ているが、本当に単発なのか不明。ニューナンブの競技用拳銃はこの他に2種類（M60ベースのセンターファイア競技用のサクラ、22口径オートでおそらくはラピッドファイア競技用のM62）が存在する。</p><p>M57やM60を含む全てのニューナンブ拳銃は輸出も積極的に計画していて、M57AやM60の輸出用木箱に入った写真も存在する。</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161126/15/annefreaks123/e7/ee/j/o2559198813807155326.jpg"><img width="2559" height="1988" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161126/15/annefreaks123/e7/ee/j/o2559198813807155326.jpg"></a></p><p><span style="font-size:0.7em;"><span style="color:#0000FF;">「拳銃図鑑」矢野庄介 宝石社 1961年</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12223099798.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Nov 2016 15:54:25 +0900</pubDate>
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<title>5発装填</title>
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<![CDATA[ 日本警察の拳銃でよく知られている話に「5発装填」の話がある。<br>本来6発以上の装弾数を持つ拳銃について、5発しか装填していないというものだ。<br>確かに日本警察で5発装填の規定があったのは事実だが、その実態については相当の誤解がある。<br>この点について今回は書いてみる。<br><br>そもそも日本警察には戦前から旧拳銃の時代には装弾数を規定するルールは全く存在しなかった。<br>やがて新拳銃つまり米軍からの供与拳銃が警察官全員に行き渡った時点では、フル装弾に加えてリロード2回分の予備弾を携帯する事が義務付けられていた。<br>具体的には6連発のリボルバーなら6発+12発、M1911やM1910なら7発+14発、チーフススペシャルなら5発+10発である。<br>やがて予備弾を持たなくなり、更にフル装填ではなく全ての拳銃で5発装填が実施された。<br><br>予備弾を持たなくなったのは、単に必要性が少ない一方で警察官に様々な負担を掛ける面があったためで、5発装填の問題とは直接的には関係がないので、とりあえず置いておいて、問題はなぜ5発装填が実施されたかである。<br>5発装填に関する誤解の中で最大の物は、その理由についてである。<br><br>一般に言われているのは、警察官が無闇に発砲しないように最初の1発目が出ないようにしている、という物だ。警察官が引き金を引いても最初の1発目は空なので発射できず、2回目に引いた時に発射されるという説だ。<br>実際にそうなのかというと明らかに疑問がある。<br>普通に考えればオートマチックではこれは意味がないし、ニューナンブやチーフススペシャルのような最初から5連発の銃ではどうなのかという問題もある。<br><br>日本警察で5発装填ルールが初めて明文化されたのは、昭和30年(1955年)10月1日付施行の「警察官けん銃使用及び取扱規範」である。<br>この規範によって初めて<strong><font color="#0000FF">「警察官は、けん銃を携帯するときは、常時、回転式けん銃にあってはたま五発をそうてんし、自動式けん銃にあってはたま五発を充てんした弾倉を弾倉室にそう入しておくものとする。ただし、所属長が特に指示したときは、この限りではない」</font></strong>と規定され、全ての拳銃において5発装填が明文化される事になった。<br><br>これだけでは、なぜそうなったのかはわからないので、解説の記事を見てみよう。<br><br><em><font color="#0000FF">従前は一銃につきたまの数は十八発、（チーフスペシャルけん銃は十五発、自動式は二十一発）であったが、今回各けん銃ともこれを五発とした。ただし治安の状況から判断して必要とみとめるときとか、熊の出るような遠隔地駐在所にはあらかじめ予備だま（制限はないが通常五発を予定している）を交付し、叉は事態発生のつど、これを交付することができるようにした。</font></em><br>（中略）<br><em><font color="#0000FF"><u>なおそうてんに際し、六発そうてんできる回転式けん銃については、弾倉空薬室を撃針孔に対面させるよう注意しなければならない。<br>これは機能が不完全なため、撃鉄に強い衝撃を与えるだけで盲発するもの（ＳＷ三八スペシャルけん銃、ＳＷ三八レギュラーけん銃、ＳＷ四五レボルバーけん銃）があるからである。</u></font></em><br><font size="1">「警察官けん銃使用及び取扱規範の施行について」警視庁装備課・警視正　岩田荘治　　「警察時報」1955年11月号　警察時報社</font>　<br><br><br>昭和54年に発行された解説書にも同様の記述がある。<br><br><font color="#0000FF"><em>なお、たまを五発そうてんするということの趣旨は、特に回転式けん銃について、機能の関係上撃鉄に強い衝撃を与えるだけで盲発するものがあるので、弾倉空薬室を撃針孔に対面させるようにしたためである。</em></font><br><font size="1">「けん銃規範の解説」警視　兼本俊徳　警察時報社</font><br><br><br>以上で明白だが、五発装填の意味は、旧式S&amp;Wリボルバーがハンマーブロックの機構を備えていない事により、落下等の衝撃によって暴発を招く危険性があることにある。<br>同じリボルバーでもコルト社製のものは「ポジティブロック」と呼ばれるハンマーブロック機構をいちはやく備えていたため、そのような問題は生じない。<br><br>基本的に銃というのは、引き金を引いていないのに、衝撃によって撃鉄または撃針が雷管を叩いてしまい暴発にいたる危険性が存在する。20世紀以降の銃はある程度は、それに備えた安全機構を具えているが、引金を引いた場合以外は物理的に撃鉄をブロックしたり、撃針をロックする機構がなければ完全とはいえない。<br>オートマチックの場合はワルサーが開発したAFPB（自動撃針ロック）、リボルバーでいえばコルトが開発したポジティブロックが、それにあたる。<br><br>この点については先日発売された本にわかりやすい説明があるので引用してみよう。<br><br><em><font color="#0000FF">Q：ハンマーを後ろから叩いたら弾が発射されてしまうの？<br>A：西部開拓時代や、それが終わってもしばらくの間は、ハンマーノーズがシリンダー内の弾に直接触れるものがほとんどでした。その状態でハンマーを下にして落下させるなど、後方から強い力が加わると弾が発射されてしまう可能性がありました。西部劇に出てくるコルトSAAなどではセーフティコックという、ハンマーを安全な位置に保持しておくポジションもありましたが、それでも強い衝撃が加わればハンマーが落ちて弾が出る可能性もあります。そのため、携帯時にはシリンダーの一番上の弾を抜いておくことはよく行なわれていいました。<br>しかしコルトによって発明されたポジティブロックによって6発装填した状態でハンマーに強い力が加わってもー軸にハンマーの前進を阻止しているため、暴発の可能性はいちぢるしく低下しました。「6連発のリボルバーが、やっと本当の意味で6連発になった」と言われています。</font></em><br><font size="1">「リボルバーの疑問　リボルバーって本当のところ、どうなんですか？」HOBBY JAPAN MOOK 「リボルバーマニアックス」HOBBY JAPAN社<br></font><br><br>コルト社はポジティブロックを備えた「コルト ポジティブ」を1907年に発売し、もちろんそれ以降に生産されたオフィシャルポリス（コマンド）やM1917もポジティブロックを備えている。<br>それに対してS&amp;Wがハンマーブロック機構を具えたのは事実上戦後のモデルからで、日本警察に貸与されたミリタリーポリス（ビクトリー、.38/200モデルなど）やM1917には存在しない。<br>つまりはこれらの銃は「5連発」として運用しなければならなかったことになる。<br>ちなみに日本警察が使用していたS&amp;Wの中では、戦後に新品購入したチーフススペシャルがあるが、こちらはちゃんとハンマーブロック機構を備えている。<br><br><em><font color="#0000FF">(二）回転式けん銃の操法に特殊な事項関係で改正された部分<br>1　薬室にたまをそうてんするには、弾倉を開いて握った場合に上方となる薬室より順次にたまをそうてんすべきを明白にして合理的なものにした。また「弾倉空薬室を撃針孔に対面させ」はそうてん弾数の変更に伴い撃鉄頭部を誤って強打した場合でも、自然暴発の起こらないとの配慮である。チーフス・スペシャルけん銃は、五発までしかそうてんできないし、かつ、機構上撃鉄を強打しても暴発の恐れが絶対にないので、撃針孔に空薬室を対面させる必要がないことに留意されたい。（後略）</font></em><br><font size="1">「警察官けん銃使用及び取扱規範の施行について」警視庁装備課・警視正　岩田荘治　　「警察時報」1955年12月号　警察時報社</font><br><br>という事で、チーフスの場合は機構上安全であると同時に最初から五連発なので、フル装填で構わないという事になる。もちろんニューナンブも同様である。<br><br>さて、そうだとして素朴な疑問がある。<br>つまりS&amp;Wの旧式六連発リボルバー以外、つまりコルトのオートやリボルバーなどは五発装填のルールは必要なかったのではないかという点だ。<br>しかし日本警察が装備していた拳銃は残念ながらこうした旧式なS&amp;Wリボルバーがほとんどで、その状況はニューナンブによる更新が進むまでは続くことになる。<br>あくまで圧倒的な多数派が、こうした銃なのである。<br>また、銃種別に装填弾数を変える事は間違いの元になる。<br>コルトのリボルバーのつもりでS&amp;Wに6発装填してしまいました、などという事は簡単に起こりうる。<br>それならば一律に5発装填としてしまった方が間違いがないという事になる。<br>ちなみに日本警察の拳銃使用例で「五発で足りなかった」というような例は基本的に存在しない。<br><br>ところで、この文章の冒頭の方で『日本警察で5発装填ルールが初めて明文化されたのは、1955年10月1日付施行の「警察官けん銃使用及び取扱規範」である。』と書いた。<br>これは日本警察全体のルールとして明文化されたという意味で、実際はそれ以前に府県警において独自に五発装填のルールを定めていたところもあるし、また新警察法による都道府県警発足以前の自治体警察の時代にも既に独自に5発装填のルールを定めていた場合もある。<br>例えば、以前に書いた「M1917 その5 横浜市警」で書いた横浜市警である。<br><em><br><font color="#0000FF">（略）12 平常時撃針の先が撃針孔からのぞいているけん銃を発見したとき<br>これはＳＷ大型けん銃を対象としていることだが、撃針の先端が閉塞板の撃針孔の表面にきわめて近づいているか、または少し撃針孔からのぞき出している等の場合は、けん銃を取落とした際、まれに盲発する危険銃であるから、点検等の際充分に気を付け、発見したならばすみやかに修理申請手続きをとることを望んでやまない。</font></em><br><font size="1">「浜のまもり」第6巻6号（昭和29年6月10日） 「けん銃の手入方法と応急処置について」警務課</font><br><br>横浜市警に配分されたのはS&amp;W M1917であり、この時点でS&amp;W旧式リボルバーの危険性を充分に認識していたことになる。<br>S&amp;W M1917も本来であれば撃鉄はリバウンドして、そんなに頭を突き出してはいないはずなのだが、経時劣化や個体差などで、そのような個体も存在していたのだろうし、そうであれば絶対的な安全機構は不可欠となる。<br>実際に横浜市警が5発装填していたという点についてのはっきりした記録はないが、実際の使用例の記事から昭和26年2月の時点では既に5発装填が実施されていたのは間違いない。<br><br>さて、それでは実際の所、日本警察でS＆Wリボルバーの機構上の欠陥による暴発事故はそんなに起こったのだろうか？<br>例えばTurk Takano氏はこの点に懐疑的だが、私はやはりそれなりに事故は起こったと考える。<br>日本警察の拳銃暴発事故は過去に遡れば遡るほど呆れるほど多いが、その多くは警察官本人の安易な取扱いからくる人為的なミスで、拳銃の機能的欠陥によるものと判定できる物はあまりない。<br>しかしある事はある。<br><br>新聞の縮刷版をあたってみると、引金に手を触れたかあいまいな例も多いが、明らかに触れていないで暴発したと思われる例も数件ある。いずれも＆Wのリボルバーである。<br>現代ならともかく過去になればなるほど、人身事故以外の暴発は新聞記事にはならないし、全国版に載るとも限らないので、実際はもっと多いと思われる。<br><br>いずれにせよ、ニューナンブへの更新が進むにつれ、五発装填規定の必要性は薄れてくる。<br><br>平成13年(2001年)の国家公安委員会規則第十三号において、けん銃取扱い規範が改正され、装填数は「たま五発」から「長官が別に定めた数のたま」となった。<br>ここにおいて日本警察の5発装填規定は1955年の制定から46年でようやく終了した事になる。<br>もちろんチーフス系（M37やM360J）やニューナンブ、そしてまだ存在していれば旧式のS&amp;Wリボルバーの「長官が別に定めた数のたま」は5発のはずである。<br><br>ちなみに一応補足しておくと、弾倉を１発分空にするのは最終弾分という事になるので、５発装填の拳銃でも、引き金を引けば最初から弾は発射される。<br>あくまでも携帯時の不慮の暴発を避けるためのものである。<br>「安全ゴム」もそうだが、５発装填規定は「警察官が発射したい時に発射しにくくする」のではなく「警察官が発射したくない時に発射しにくくする」のが目的である。<br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12201185497.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Oct 2016 17:24:00 +0900</pubDate>
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<title>ニューナンブM57A</title>
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<![CDATA[ ニューナンブというともちろん警察官用のM60が有名だが、それ以外に複数の試作拳銃が存在した。<br>今回はそのうちの一つであるM57Aについて書いてみる。<br>これは自衛隊向けの試作品なので本来はこのブログの趣旨とはずれるが、番外編として書いてみたい。<br><br>ニューナンブを開発生産した新中央工業は、戦前に十四年式拳銃などを生産していた中央工業の後身である。<br>戦後は兵器製造が禁止される中、中央工業は米軍および日本警察の銃器のメンテナンスのために事業継続を許されたが、元々が大倉財閥系の会社であったため戦後の財閥解体のために解散、昭和24年に新たに新中央工業が設立された。<br>新中央工業となってからも、警察が自前の銃器メンテナンス施設を整えるまでは日本国内唯一の本格的なメンテナンス施設として拳銃に関わる事になる。<br><br>その後昭和31年に通産省が音頭を取って、国産拳銃の開発をする事になる。<br><br><font color="#0000FF"><em>拳銃研究会<br>　拳銃の需要は，防衛庁はもちろん，警察庁，海上保安庁，国鉄，法務省，厚生省にまたがることから，昭和31年9月，通産省が乗り出して国産拳銃の統一規格を作成することとなった。<br>　そこで銃砲部会に拳銃研究会を設置して研究を進めた。この研究会は，拳銃メーカ及び拳銃弾メーカの専門家を委員として構成し，関係官庁の担当官の出席と指導を求める方式で開催した。<br>　昭和32年1月，需要官庁の拳銃規格に関する希望条件について打合せを行い，同年2月，官庁側の要望する性能を検討し，同年3月には統一規格として次の3種を制定することとなった。<br>　　大型拳銃　口径9mm自動拳銃<br>　　中型拳銃　Cal．32自動拳銃<br>　　小型拳銃　Cal．38スペシャル回転弾倉式拳銃<br>　この3種の拳銃について規格案の作成と審議を行い，昭和32年11月に拳銃及び弾薬の規格を作成した。<br>　この規格に基づき，32年度鉱工業技術研究費補助金を受けて試作し，昭和33年には試作品の披露と報告を行って研究会を終結した。なお，警察庁はこの規格で国産に移り，実用に供した。</em></font><br>　　<font color="#0000FF"><font size="1">「日本兵器工業会三十年史」日本兵器工業会, 1983.3<br></font></font><br><br>ここにある「拳銃メーカ」が新中央工業であると考えていいだろう。<br>ここでは新中央工業の関与が不明確だが。別資料によると「<strong><font color="#0000FF">細部設計、研究試作、生産が新中央工業で行われる事となった。</font></strong>」とあるので、昭和32年11月の規格制定に基いて、具体的な設計と試作が新中央工業で行われたという事になる。<br><br>今回扱うのは3種のうち「大型拳銃　口径9mm自動拳銃」にあたる物である。<br>一般的には「ニューナンブ M57A」と呼ばれているものだが、M57Aという名称が実際にいつの時点で決まったかはわからない。<br>とりあえずM57Aに関する資料を引用しよう。<br><br><em><font color="#0000FF">　新南部57型自動拳銃<br><br>　将来、防衛庁、海上保安庁の拳銃として開発したもので、口径は現在NATOが採用している9ミリ・ルガーパラベラム実包と同じものを使用するように合わせられている。<br>　機構は銃身が後退するショート・リコイル式で、遊底の後退によって撃鉄が起こされるハンマー・システムを採用している。<br>（中略）<br>　新南部式57型の外観は、写真にも見られるように、アメリカのコルト式11自動拳銃によく似ているため、そっくりコピーしたものと思われがちだが、内部機構に大きな特長が隠されている。<br>　それは修理、手入れのため分解するとき、コルト式自動拳銃では全部バラバラに分解しなければならないが、新南部自動拳銃にはその必要がないのである。<br>　この拳銃は分解にあたり、まず銃身部、撃鉄部、フレーム、弾倉の4つのブロックに分解することができる特長をもっている。<br>　これの利点は、両方の拳銃の分解を実際に行なった経験のある人ならおわかりになると思うが、全部バラして手入れを行なってから組立てる場合（コルト式）と、一つずつのプロックを順に分解して、手入れができることは、小部品の紛失を防ぎ、組立ての順序を容易にし、時間も短縮できる。<br>　実際に使用する立場の身になって開発したともいえるだろう。<br>　安全装置は撃鉄の半起（ハーフコック）の他に、弾倉安全装置（マガジン・セフティ）および指動安全装置がついている。<br>　データは銃身長118ミリ、全長197ミリ、重量（空弾倉とも）970グラム、8発弾倉、ライフルは右回りの6本である。<br>　初速は350メートル、貫徹力は160ミリの松板を15メートルで貴通し、最大射程は1800メートルと発表されている。<br>　銃身には、クローム・モリブデン鋼を使用し、握りはフランスクルミ材を使っている。<br></font></em><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160922/16/annefreaks123/e4/c0/j/o0827082713754744240.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160922/16/annefreaks123/e4/c0/j/t02200220_0827082713754744240.jpg" alt="" border="0"></a>　　<br><font size="1"><font color="#0000FF">「生きていた日本の拳銃」矢沢修一　「GUNマガジン」1965年9月号</font></font><br><br><br>もう一つ<br><br><font color="#0000FF"><em>口径9mmの軍用タイプのセミ・オートビストルで，この銃には指動安全装置と弾倉安全装置はあるが，銃把安全装置はついていない。<br>しかし，外観や分解などはアメリカのコルト45・オート・ピストル（M1911Al）によく似ている。コルトとM－57との最も大きな違いは分解の時に、M－57は弾倉，スライド，フレーム，撃発装置の4つに分けられることで，撃発装置は撃鉄，撃針，逆鈎，逆鈎スプリング，弾倉安全装置及びそのスプリングが一つのグループになってフレーム上部からとりはずせるようになっている。これは分解・手入れの際に非常に便利な考案であることはいうまでもあるまい。このピストルは11・43cmで右旋回、1回転25.4cm，5条ライフル入りの銃身を持っているが，6条ライフル入りの銃身も造られているらしい。グループ・ダイアメーター9mm，ボア・ダイアメーター8.8mm。<br>　コルトと違ってM－57はトカレフのように銃身の周囲にロッキング・リングがついていて，それによって銃身をスライドにロックしているが，発射時に銃身が後退してロックをはずす機構はコルト45の場合と同じく，ジョン．M・ブロウニングの設計を大体そのまま取り入れている。</em><br></font><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160922/14/annefreaks123/34/9b/j/o0807066913754674559.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160922/14/annefreaks123/34/9b/j/t02200182_0807066913754674559.jpg" alt="" border="0"></a><br><font size="1"><font color="#0000FF">「New-NAMBU ニュー・ナンブ・ピストル」西江剛　「GUN」1964年7月号　国際ガン出版</font></font><br><br>こちらの記事には写真キャプションで<font color="#0000FF">「新中央工業では輸出も考えているらしい」</font>という記述がある。<br><br><br>更にもう一つ<br><br><em><font color="#0000FF">昭和31年になると、国産拳銃製造再開の機運が熱して、日本兵器工業会は、通産省の指導のもとに、統一規格による拳銃の製造を計画、新中央工業において、研究試作が行われ、3種類の拳銃が造られた。<br>　それは、大型の新南部式。9ミリ径自動拳銃、小型の新南部式、32径自動拳銃、小型南部式38径スペッシャル・回転弾倉拳銃だが、この他にも、輸出用の、ニュー・ナンブ・オートマチック・ターゲット・ピストルという22径スポーツ拳銃も造っている。<br>　大型の新南部。9ミリ径自動拳銃は、NATO軍の採用している、ルガー・パラベラム弾が使用出来る。<br>（中略）<br>　安全装置は、撃鉄のハーフコックの外に、弾倉安全装置及び、指動安全装置の三段構えで、安全度が非常に高い。<br>初速350メートル、銃口エネルギー50kg－m、貫徹力（乾燥松板）、15メートルで160ミリ。最大射程1800メートル、銃身長118ミリ、全長197ミリ、ライフルは右回りで6条。重量は空マガジン共970g。8発箱弾倉。<br>　この拳銃は、分解に当り、まず大きく四つに分ければよい。つまり、銃身部と、撃鉄部と、銃身受け部と、弾倉部だ。<br>　このように分解すると、まず一つのブロックだけをバラパラにして、清掃なり修理が終ると、元のように組立てて、次のブロックにかかれる。<br>　つまり、小さな部分品がなくなったりする心配が少なくなった訳である。</font></em><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160922/17/annefreaks123/51/f1/j/o2454159513754777478.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160922/17/annefreaks123/51/f1/j/t02200143_2454159513754777478.jpg" alt="" border="0"></a><br><font size="1"><font color="#0000FF">「拳銃図鑑」矢野庄介　宝石社　1961年</font></font><br><br><br>さて、以上の資料からわかる事を整理してみよう。<br><br>まず、これらの拳銃が開発された経緯についてだが、背景には当時の自衛隊や警察などが使用していた拳銃の全てが外国製であり、またほとんどが老朽化し、かつ雑多であったという状況があるだろう。<br>そして音頭を取ったのが通産省であったという事から、その主眼が国内産業の育成という点にあったという事が想定できる。<br>この事は使用者側が必ずしも国産の新拳銃を求めていた訳ではない可能性につながる。<br><br>とりわけ自衛隊にとっては、いくらM1911が老朽化していたとしても、米軍と共用性のない9mmパラベラム弾使用の銃を本当に求めていたのかという疑問につながる。おそらくは自衛隊側としては威力も反動も過大な45口径よりも9mmを希望する要望はあったものの、米軍との共用性を断ち切る覚悟はなかったように思われる。<br>それならそれで最初から45口径で開発すれば良さそうな気もするが、あえて9mmとしたのは使用者として自衛隊だけではなく海上保安庁も想定されていた事もあるだろう。<br>この時点で既に海上保安庁は9mmのFN ハイパワーやS&amp;W M39を採用しており、当然要求も9mm弾使用であったはずである。（実際には海上保安庁は唯一量産化されたM60を採用するのだけれども）<br><br>もう一つ9mm弾採用の理由として考えられるのが輸出可能性である。<br>前掲の「GUN」の記事にも<font color="#0000FF">「新中央工業では輸出も考えているらしい」</font>という記述があるが、通産省が主導しているからには全ての拳銃は輸出も念頭においていたとしても不思議はない。<br>新中央工業が開発した拳銃の中でも、特に22口径の競技用拳銃やM60から発展した競技用のサクラは明確に輸出を念頭においているし、ミロクは実際にアメリカに拳銃を輸出している。<br>そのように輸出を念頭に置いた場合、45口径よりも9mm口径の方が、マーケットが広く売り易いという判断もあったとしてもおかしくはない。（アメリカ市場に限定した場合は45口径の方が当時は圧倒的に有利だが）<br><br>次にM57Aの銃自体についてだが、この点について上記の3種の資料の記述は、ライフリングが5条か6条かという点を除けば共通している。<br>その中でM57Aの特徴としてポイントになるのは下記の点である。<br><br>1.　外観はM1911に類似しているが内部機構にはかなり異なる点がある。<br>2.　通常分解がM1911に比べて容易で、大きく4つの部分に分けることが出来る。<br>3.　ロッキング機構はトカレフに似た銃身の周囲にロッキングリングがついているタイプ。<br>4.　M1911にはないマガジンセフティがある反面、グリップセフティはない。<br><br>まず2についてだが、ポイントは「GUN」の記事にある<font color="#0000FF">「撃発装置は撃鉄，撃針，逆鈎，逆鈎スプリング，弾倉安全装置及びそのスプリングが一つのグループになってフレーム上部からとりはずせるようになっている。」</font>点である。<br>4つの部品のうち3つ（弾倉，スライド，フレーム）は、たいていのオートマチック拳銃で共通だが、4つめの撃発装置がまとまった一つの部品として存在する銃は珍しい。<br>私の知ってる中ではトカレフ（とモーゼル C96）ぐらいである。<br>3と合わせると、M57Aは外観的にはM1911に似ているが、内部機構的にはトカレフの影響も大きいという事が出来る。<br>1の意味も結局そういう事であり、4についても撃発装置をひとまとめにした結果、グリップセフティを諦めたのだと思われる。<br><br>さて、ここまでで複数のM57Aの画像を挙げたが、実は公開されているM57Aは２種類ある。<br>もう１種類はこちらである。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160922/18/annefreaks123/e3/ae/j/o2389173213754834906.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160922/18/annefreaks123/e3/ae/j/t02200159_2389173213754834906.jpg" alt="" border="0"></a><br>　<font size="1"><font color="#0000FF">「ニュー・ナンブ・モデル57A1」床井雅美　「GUN」1981年2月号　国際出版</font><br></font><br>上　M57A　　　　　下　M57A1<br><br>M57A1はとりあえず置いておいて、M57Aの方は明らかに最初の方であげたM57Aと異なっている。<br>トリガー、スライドの溝、グリップ、マガジンキャッチ、などかなり異なる点がある。<br>理由はわからないが、おそらくはM57Aの試作品でも初期型と完成型があり、根拠はないが、床井氏の記事にM57A1と共に写っている方が完成型ではないかと思われる。<br><br>なんにせよM57Aは試作で終わり、自衛隊には採用されずに終わった。<br>理由はやはり米軍との共用性の問題と、所詮軍隊にとっては拳銃は戦力にはほとんど関与しない「不要不急の兵器」であったからだろう。<br><br>しかし、さすがにM1911の老朽化にしびれが来たのか、1979年に防衛庁は新中央工業に新拳銃開発の依頼をする。それが上に挙げた画像の下の方の銃であるM57A1である。<br>名前は末尾に1が付いただけの違いだが、M57AとM57A1では全く違う銃に見える。<br>ただし下の画像にあるようにM57Aの最大の特徴である撃発装置のブロック化は受け継がれている。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160922/18/annefreaks123/eb/c2/j/o2166157513754856391.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160922/18/annefreaks123/eb/c2/j/t02200160_2166157513754856391.jpg" alt="" border="0"></a><br>　<font size="1"><font color="#0000FF">「ニュー・ナンブ・モデル57A1」床井雅美　「GUN」1981年2月号　国際出版</font><br></font><br><br>M57A1については「GUN」1981年2月号に床井雅美氏の詳細な記事があるので、そちらをご覧になってほしい。<br><br>結局M57A1の方も外国製拳銃とのトライアルで敗北し、自衛隊にはSIG-ザウエル P220が採用され、新中央工業でライセンス生産される事になる。<br>そして新中央工業はミネベアに買収されて、その一部門となり、現在は拳銃生産からもほぼ撤退状態に見える。<br>M57A1が日本で開発された最後の拳銃になる可能性もあるのかもしれない。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12202466100.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Sep 2016 14:34:38 +0900</pubDate>
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<title>日本警察におけるコルト M1911 　番外編　琉球警察</title>
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<![CDATA[ 以前の記事で関東、中部、関西の各地方にM1911が配分された事を書いたが、もう一つかつてM1911を装備していた警察がある。<br>沖縄が1972年に日本に返還されて沖縄県となる以前に存在していた琉球警察である。<br>当時の沖縄はアメリカ軍政下にあり、日本統治下ではなかったため、正確には「日本警察」ではないが、番外編としてここで書いておく事にする。<br><br><em><font color="#0000FF">警察官がけん銃を携帯するようになったのは、言うまでもなく第二次世界大戦後のことである。当時の警察官の武器は、米軍から譲渡されたもので、自動式コルト四五口径けん銃とカーピン銃であった。コルト四五口径けん銃は、第二次大戦で使用した軍用けん銃であったため、警察官用武器としては、やや大きく、また、長期使用により磨耗し、損傷したものが目立ち、性能が低下していた。そのため、日本復帰直前に、日本政府の援助を受け、国産のけん銃（回転式ニューナンブ三八口径）七一九丁と暴動鎮圧用のガス銃二十五丁を購入して、その後は、毎年数十丁が国費でニューナンブに順次切り換えられている。また、カービン銃は復帰後廃棄された。<br>　復帰前に、けん銃を携帯して勤務していたのは、警ら用無線自動車勤務員のみで、その他の警察官は、有事の際に携帯することとされていた。一般の警察官は、警棒一本で外人事件を含めた犯罪に立ち向かっていたことになる。</font></em><br><font size="1">「沖縄県警察史 第３巻（昭和後編）」沖縄県警察史編さん委員会 編集 警察本部 2002</font><br><br>ここであるように琉球警察はM1911およびM1カービンを米軍から供与されていたものの、その数は少なく、拳銃を常時携帯していたのはパトカー乗員だけであった事になる。<br>この点については琉球警察を視察したある日本の警察官のレポートでも触れられ、パトカー乗員しか拳銃を携帯していない事に驚いている。一応このレポートでは沖縄の治安の良さを理由に納得しているのだが、そこは的確かどうかわからない。少なくとも琉球警察がアメリカ兵に銃を向ける事態は想像しがたい。ちなみにこのレポートでは、琉球政府のトップである主席でさえ給料はアメリカ軍の軍曹と同じレベルで後は推して知るべしという事も書かれており、「給料のために警察官をやっているのではない」という琉球警察官の頼もしい気概も記されている。<br><br>拳銃ではないM1カービンは廃棄されたとあるが、この当時は既に全国の警察に特殊銃（狙撃用ライフル銃）の配備が始まっているから捨てずに残しておいても良かった気もするが、狙撃に向いているとも言えない老朽化したM1カービンはやはり使い道が無かったのだろう。<br><br>拳銃のほうはニューナンブが配分されたものの、全警察官に貸与するだけの数量はただちに揃わず、また管理や訓練の体制が間に合わなかったため、沖縄返還後に琉球警察を引き継いで沖縄県警察が誕生した時点では、まだ警察官全員の常時携帯の体制は整っていなかった。<br><br><em><font color="#0000FF">復帰後は他都道府県同様、けん銃の常時携帯を実施する必要があったことから、その予定を、昭和四十八年一月一日とした。しかし、けん銃の配備や保管施設の整備が十分でなかったこと、個々の警察官の技術を高める必要があったことなどから、直ちに実施できなかった。<br>　これらの問題を解決するため、昭和五十一年三月、警察本部及び各警察署に、警務部長並びに各警察署長を長とする　「けん銃携帯計画推進委員会」を設置し、けん銃操法、射撃訓練、使用判断及び取扱い等の各種教養の徹底並びに武器庫、保管庫等の整備が行われ、その結果、けん銃携帯計画の所期の目的が達成されたことから、三次に分けて段階的に次のとおりけん銃携帯が実施された。<br><br>（1）第一次携帯　昭和五十一年六月二十二日<br>　　警察本部及び沖縄本島内の各警察署（本署）に勤務する警察官並びに沖縄本島内の派出所に勤務する警察官のうち、本署に出勤してからそれぞれの派出所へ就勤する警察官（都市空港派出所及び普天間警察署浦添警察官派出所に勤務する警察官を含む）　　六三五人。<br><br>（2)第二次携帯　昭和五十一年九月二十日<br>　　沖縄本島内の派出所に勤務する警察官のうち、本署に出勤しないで直接派出所へ出動する警察官及び沖縄本島内（本島の離島を除く）の駐在所に勤務する警察官。宮古警察署及び八重山警察署の本署に勤務する警察官。宮古島及び石垣島（両島の離島を除く）の派出所、駐在所に勤務する警察官　ニー七人<br><br>（3）第三次携帯　　昭和五十一年十月一日<br>   離島（本島の離島、宮古島及び石垣島の離島）の派出所及び駐在所に勤務する警察官　二十八人。</font></em><br><font size="1">「沖縄県警察史 第３巻（昭和後編）」沖縄県警察史編さん委員会 編集 警察本部 2002</font><br><br>ここからすると沖縄県警の警察官が拳銃を携帯するようになったのは1976年、つまり復帰の4年後であり、それまでは琉球警察時代と同様の体制が継続していた事になる。<br>また、この時点で拳銃携帯をするようになったのは、あくまで常時拳銃を携行する外勤の制服警察官のみで、それ以外の警察官にまでは行き渡っていなかったと思われる。上記の第一次携帯から第三次携帯までの人数を合計すると880人、それに対して琉球警察の定員は1860人であったから、まだ半数以下である。<br><br>また、ニューナンブの配分が年間数十丁だったとして、不足の980丁を揃えるには軽く20年くらいはかかる。ましてや全国の警察と同様に沖縄県警も増員しているから、銃の不足数はそう簡単には埋まらない。（平成25年当時定員数は2594人）<br>そうなると、常時拳銃を携帯しない私服や内勤の警察官の拳銃がない状況は相当長く続いていたと思われ、実際に全警察官に拳銃が貸与されたのがいつかはわからない。<br>そこからするとM1911もかなり遅くまで使用されていた可能性が強い。少なくとも警察史編纂当時の2002年時点では「ニューナンブに順次切り換えられている」という現在進行形の記述から、まだM1911は健在だったようにとれる。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150923/11/annefreaks123/31/52/j/o0500033413433075970.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150923/11/annefreaks123/31/52/j/t02200147_0500033413433075970.jpg" alt="" width="220" height="146" border="0"></a><br><font size="1">「沖縄県警察史 第３巻（昭和後編）」沖縄県警察史編さん委員会 編集 警察本部 2002</font>
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<link>https://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12076242296.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Sep 2015 10:10:25 +0900</pubDate>
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<title>「Gun Professionals」2015年9月号の杉浦氏の記事について</title>
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<![CDATA[ 月刊「Gun Professinals」2015年9月号において「日本警察拳銃」の特集が組まれた。<br>非常に興味深い内容でいろいろと勉強になったが、その中で最も気になった記事は杉浦久也氏による「戦後警察拳銃-アメリカ軍による拳銃貸与からニューナンブ配備まで」である。<br>なんといっても私自身の興味範囲と非常に合致しているのが、その理由である。<br>この記事は色々と参考になったけれども、いくらか気になる点があるので、今回はそれについて書いていきたい。<br><br>まずは、各県警察史にある「125,000挺の拳銃がアメリカから供与された」という記述に疑問を呈して、「実際の貸与拳銃の総数は110,000挺前後であり、残りは戦前からの警察保有分だと考えられる」と書かれている点について。<br>この推定の根拠は、警察庁装備課の理事官や課長補佐が1970年代に雑誌に書いた「昭和29年（1950年）の現行警察制度発足当時の警察拳銃保有数が125,000挺であり、その内9割以上がアメリカからの貸与拳銃であった」という記述を基にしている。9割以上が貸与拳銃であったとすれば、逆に言えば1割未満は貸与拳銃ではなかったという事になり、それは戦前から日本警察が保有していた拳銃が各自治警？から返納されずにそのまま残されていたからだとする。<br>そして「125,000挺が供与された」あるいは「それまで日本の警察が保有していた日本軍押収拳銃は全て回収された」とする各県警史の記述は、警察庁装備課との情報格差による誤った記述ではないかとしている。<br>残念ながら、この推定には賛同しがたい。<br>供与拳銃以外の1割未満は、これまでにこのブログに書いたように、昭和26年に私服警察官用に新たに購入した小型けん銃及び、その後にその補完としてこれも私服警察官用に再配分された旧拳銃である。<br>各県警史の記述は間違いではない。<br><br>これに関連して、チーフススペシャルやディテクティブが、昭和27年の対日講和条約発効後に輸入した物ではないかという推定も当然賛同しがたい。そもそもアメリカは警察の拳銃装備になんら反対はしていないし、昭和25年の段階で日本の警察や警察予備隊に武器を供与しているのだから、昭和27年の講和条約発効まで待つ必要は全く無い。<br>もちろん日本警察がこれらの銃を昭和26年に購入していた事は一次史料も含めて多くの資料で一致しており、疑いようが無い。<br><br>次に問題なのは「表2　昭和30（1955）当時　警視庁使用拳銃」と題された表である。<br>この表自体は警視庁の内部誌である「自警」昭和31年9月号に掲載された表を基にしたもので、特に問題はない。<br>問題なのは表題である。<br>実は元の表には「昭和30（1955）当時　警視庁使用拳銃」なる題はついていない。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150907/23/annefreaks123/05/97/j/o0800062213418805933.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150907/23/annefreaks123/05/97/j/t02200171_0800062213418805933.jpg" alt="" width="220" height="170" border="0"></a><br><font size="1">「自警」昭和31年9月号　警視庁警務部,警視庁警務部教養課 編　より「けん銃精密手入の結果を顧みて」装備課</font><br><br><br>これはおそらく警視庁で使用されていた拳銃の表ではなく、日本警察全体で使用されていた拳銃の表であると思われる。<br>表には15種類の拳銃が掲載されており、当時の日本警察が装備していたと考えられる拳銃を網羅している。しかし、これらが全て警視庁で使用されていたとは到底思えない。<br>別掲の表（表3　銃種別修理数）は間違いなく警視庁の記録だが、こちらには「S&amp;W 45」「S&amp;W 38」「コルト 38」「ブローニング」「「S&amp;W（チーフス）」があるのみで、こちらが実際の警視庁の保有銃を示していると思ってよいと思われる。<br>杉浦氏は表3に「コルト 45」が存在しない事を不審がっておられるが、この点に関する答えはおそらく簡単で、単に警視庁はコルトM1917やM1911を持っていなかった、という事である可能性が高い。<br>ちなみに別資料である昭和33年の警視庁の「けん銃の貸与および返納ならびに修理状況」という表でも、銃の種別は「SW四五口径けん銃」「SW三八口径けん銃」「コルト三八口径けん銃」「ブローニングけん銃」「SW二二口径訓練用けん銃」「二二口径競技用けん銃」があるのみである。<br><br>このブログの以前の記事「M1917　その1　警視庁編」において、<br><font color="#0000FF">まず、「自警」から引用の表「昭和30年（1955）当時　警視庁使用拳銃」に回転式のコルト45口径が含まれているのが興味深い。<br>警視庁のM1917にコルトが確かに含まれているのが確認できる。<br>佐々氏の本は昭和29年頃の警視庁を扱っているから時期的にも合う。</font><br>と書いたが、この部分についてはとりあえず一回撤回する事にする。<br><br>また、このブログにおいて再三「警視庁以外の東京の自治警はM1911であった可能性が高い」と書いてきたが、これについても現在は全く自信が無い。<br>ここからするとどうも東京の自治警（警視庁以外）は38口径のリボルバーであった可能性が強まってきたからである。<br><br>また、この表2において注目していただきたい点として「S&amp;W 38REG」がある。<br>この表を見ればわかるが、「38REG」とあるのは「口径」の項目であって、「38SPL」や「45」などと並んでいる。<br>これは38REG（38レギュラー）が口径、つまり使用弾薬を示している事の一つの証拠である。<br>この表以外の複数の資料で38REG（38レギュラー）が使用弾薬による区別である事は確認できた。<br>考えてみれば、使用者にとって正確なモデル名による区別は必ずしも必要ではなく、使用弾薬が同じであるS&amp;Wのリボルバーという事であれば運用上はほぼ同じという事で問題は無いのかもしれない。<br><br>ところで、記事の後半ではニューナンブ導入の理由についての杉浦氏の調査について書かれており、これがまた興味深い。<br>単純に言えば、「チーフスを輸入するより安かったから」なのか「兵器国産化および国内産業育成の国策」なのかという事である。<br>杉浦氏は最初前者であると推定していたものの調査の結果、後者の結論となる。<br>この点については基本的に賛成である。<br>しかし、警察というのは自衛隊などよりずっとシビアで現実的である。<br>何が何でも国産などという意識は皆無だし、いいものが安く買えればそっちの方がいい、というのが警察のスタンスである。<br>なにより今まで使用していた拳銃はほぼ外国製だし、日本が外国製より優秀な（あるいはまともな）拳銃を過去に作っていたという事実も無い。<br>そういう意味では、警察が通産省なりの要望を丸呑みして国産銃を採用したとも考えにくい。<br>ちなみに「Gun Professinals」の前身である「GUN」の1963年6月号の記事「ガン＆ガング図鑑S・W38チーフス・スペシャル　スナブノーズはB・Bの魅力　境田昭造」には、出典は明らかではないが下記の記述がある。<br><br><em><font color="#0000FF">(略）この拳銃（ニューナンブＭ60）のお値段は1丁18,000円也、チーフス・スペシャル・エアー・ウェイトの70ドル（25200円）と比べて、安いのか、高いのか、ちょっと考えさせられる、正札のつけ方である。</font></em><br><br>ここからするとニューナンブはチーフスよりも安かったという事になり、日本警察がニューナンブを購入したのは単純に安かったからという理由も否定できない。<br><br>という事で、どうも最初に挙げた「チーフスを輸入するより安かったから」なのか「兵器国産化および国内産業育成の国策」なのか、という問題の答えは「両方」という事になるのかもしれない。<br>つまりは通産省と警察庁の両者のそれぞれの要望が結果的に合致したという事になる。<br><br><br>とりあえず、この項はここで終わりとする。<br><br><br><br><br><strong>補足</strong><br><em><font color="#0000FF">「昭和29年（1950年）の現行警察制度発足当時の警察拳銃保有数が125,000挺であり、その内9割以上がアメリカからの貸与拳銃であった」</font><br></em><br>この部分はとりあえず杉浦氏の記述をそのまま引用したが、これに該当する記述は複数ある。<br><br><em><font color="#0000FF">昭和二九年（一九五四）年当時における、けん銃の保有数約十二万四〇〇〇丁のうち九割近くは、米軍からの貸与けん銃であった。</font></em><br><font size="1">「愛媛県警察史 第3巻」　愛媛県警察史編さん委員会 編</font><br><br><em><font color="#0000FF">(略)昭和29年の警察制度改正当時におけるけん銃保有数12万4028丁のうちその87.3%は米軍からの貸与けん銃であったが、このけん銃は、昭和30年6月1日に米軍から譲渡された。その後、昭和34年度以降警察官の増員に伴ってけん銃の整備をはかり、現在警察が保有するけん銃は14万1552丁となったが、その77.5%は米軍からの譲りうけけん銃である。</font></em><br><font size="1">「10年のあゆみ」警察庁長官官房総務課 編</font><br><br><em><font color="#0000FF">昭和二十九年警察制度改正当時、全国警察の保有けん銃のうち八七．三％は米軍貸与のものであった。</font></em><br><font size="1">「青森県警察史 下巻」青森県警察史編纂委員会 編</font><br><br><em><font color="#0000FF">現行警察制度発足当時における全国のけん銃の保有数約十二万四〇〇〇丁のうち九割近くは米軍からの貸与けん銃であった。</font></em><br><font size="1">「宮城県警察史 第3巻」宮城県警察史編さん委員会 編さん</font><br><br><em><font color="#0000FF">けん銃装備は、その後も全国的に強化された結果、昭和二九年七月の都道府県警察発足当時における全国警察のけん銃保有数は約十二万四〇〇〇丁余りとなっていた。このうち九割近くは米軍から貸与されたものであった。</font></em><br><font size="1">「高知県警察史 昭和編」高知県警察史編さん委員会 編</font><br><br><em><font color="#0000FF">当時のけん銃の大部分は、昭和二十四年七月十五日付連合国軍総司令部（ＧＨＱ）の指令により、同年から二十九年までの間に米軍から貸与されたものであった。当時、日本警察が保有するけん銃の九割近くが、この米軍貸与のけん銃であった。</font></em><br><font size="1">「長崎県警察史 第3巻」長崎県警察史編集委員会 編</font><br><br>これらからすると「九割以上」ではなく「九割近く」が正しいようである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12070598059.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Sep 2015 21:04:05 +0900</pubDate>
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<title>日本警察におけるコルト M1911 　まとめ</title>
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<![CDATA[ ここまでで、関東、中部、関西の各地方に配分されたM1911の状況を書いてきた。<br>改めて、この3地方の自治体警察に配分されたと推定される銃を、銃別にまとめてみよう。<br><font size="1">（カッコ内は数量）</font><br><br><br><strong><font color="#0000FF">関東地方</font></strong><br><strong>コルト M1911</strong><br>　栃木県　（890)<br>　群馬県　（932）<br>　埼玉県　（1330）<br>　茨城県　（782）<br><strong>S&amp;W M1917</strong><br>　千葉県　（1378）<br>　東京都　（24017）　警視庁（東京23区）<br>　神奈川県（3532）　横浜市警<br><strong>不明</strong><br>　東京都　(955）　東京23区以外<br>　神奈川県　（1939）　横浜市以外<br><br><br><strong><font color="#0000FF">中部地方</font></strong><br><strong>コルト M1911</strong><br>　新潟県　（1342）<br>　長野県　（924）<br>　山梨県　（362）<br>　岐阜県　（894）<br>　愛知県　（1868）　名古屋市以外<br>　静岡県　（1814）<br>　石川県　（787）<br>　福井県　（427）<br><strong>S&amp;W M1917</strong><br>　愛知県　（3596）　名古屋市警<br><strong>不明</strong><br>　富山県　（734）<br><br><br><strong><font color="#0000FF">関西地方</font></strong><br><strong>コルト M1911</strong><br>　三重県　（815）<br>　和歌山県（718）<br>　奈良県　（395）<br>　大阪府　（1996）　大阪市以外<br>　滋賀県　（464）<br><strong>コルト M1917</strong><br>　大阪府　（8600）　大阪市警視庁<br>　兵庫県　（4735）　ただし一部M1911が含まれている可能性あり<br><strong>S&amp;W M1917</strong><br>　京都府　（3557）　京都市警<br><strong>不明</strong><br>　京都府　（442）　京都市以外<br><br><br>以上の通り、関東、中部、関西の自治警は確認できる限り全て45口径であって、38口径は存在していない。また、45口径の中でもM1917は主に大都市部に集中して配分され、M1911はそれ以外の地域に配分されている。<br><br>逆に、これ以外の地域（北海道、東北、そして中国、四国、九州）には、45口径は配分されていない。<br>唯一の例外は福島県だが、これは余った分のM1917とM1911が配分された可能性が高いように思われる。<br><br>自治体警察へのけん銃の配分は、地方ごとにはっきりした傾向があり、関東、中部、関西の各地方は「45口径配分地域」と分類することができる。<br><br><br>また、カッコ内の数量を合計するとM1911は15,846丁。<br>ちなみに冒頭の関東地方編で、日本警察に供与されたM1911の数量について<font color="#0000FF"><br>「M1911の総数は最小で14,160丁、最大で37,390丁、その間のどこかという程度しか言えない。<br>これは日本警察に供与された拳銃に占める比率でいうと11%～30%となる。<br>ただし、どうも日本の各都道府県自治体警察への配分状況を見ると、後のほうで配分されたのは明らかに38口径リボルバーが多いようであり、その事からすると実際にはどちらかというと下限に近い数字が実態に近いと思われる。」</font><br>と書いたが、余った分が福島県に配分されたと考えれば、非常に整合性がある数字になる。<br>やはり日本警察に配分された数量は14,160丁いくらか超える16000丁程度だったと思われる。<br><br>ちなみに最近発見した別の資料によれば、昭和45年（1970年）1月現在の日本警察のM1911の保有数は12,481丁とある。これからすると1950年頃に配分されたM1911は20年後もほとんどが現役だった事になる。<br><br>また、その後の調査でここで書いてきた事に、いくつかの訂正すべき点が見つかっているが、M1911について言えば「日本警察におけるコルト M1911（中部地方編）」の愛知県の項目における下記の記述はどうやら間違いの可能性が強い。<br><br><font color="#0000FF">ただし、45オートは45リボルバーよりも早期に退役が進んだようで、「愛知県警察史」には下記の記述がある。<br><br><em>なお、三十二年五月には、コルト自動式四五口径けん銃全部がSW回転式に統一された。</em><br><br>昭和32年の時点では、全国的に少なくとも45口径リボルバーの更新はまだ行われていないはずで、例えば兵庫県警の例を見ると、ニューナンブの最初の配分は昭和39年、そして45リボルバーの更新が本格的に始まったのは昭和40年代になってからの事である。<br>となると日本警察は45オートに関しては、45リボルバーに先駆けて昭和20年代から積極的に更新を図ったということになる。相当な数のM1911が供与されたにしては後の時代に影が薄くなるのは、M1911の退役が相当早い時期に進んだからであるのかもしれない。</font><br><br>「愛知県警察史」の記述からは早期にM1911の退役が進んだような印象を受けるし、また個人的に自動式で取扱の難しいM1911を日本警察が扱いかねたようなイメージも以前から持っていた。それに自動式であるM1911は構造が簡単な回転式のM1917より耐久性が劣るようなイメージもあった。<br>しかし、どうもそうではないようである。<br><br>記録を見る限り、老朽化が進んで危険なレベルにあったのはM1911よりもM1917の方であり、日本警察はM1917の方をむしろ優先的に更新した可能性が高い。<br><br><br><br>とりあえず、ここでM1911編を終了する。<br><br><br><br><font color="#800080">補足<br>不明としておいた静岡県もM1911であった事が確認できたので、不明からM1911配分の項目に移動。</font><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/annefreaks123/entry-12070203516.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Sep 2015 20:56:40 +0900</pubDate>
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