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<title>ゆるやかにたおやかに</title>
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<description>自閉症の息子を授かった家族の記録。</description>
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<title>お葬式</title>
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<![CDATA[ 漫画『光とともに···』で、自閉症児(幼少期)の主人公がパニックを起こしたお葬式。<br><br>息子の場合は数年前に、妻側の親族の時に一度は経験していました。<br>その時も夫婦で、練習と言っては不謹慎ですが、とりあえず経験にはなったかなと話していました。<br><br>とは言っても、今回の父の葬儀、息子にとっては、やはり長いお経、お坊さんの話はしんどかったようでした。<br><br>特別支援学校での生活を見ていて、座って待つ、大きな声で話さない、といったことはそれほど心配はしていませんでしたが。<br><br>お葬式で一番気を揉んだのは『焼香』のことでした。<br>息子1人で、周りを真似て行うのは難しいかなぁと。<br><br>結局、父方の親族にことわって、席につく時に、「自分」「妻」「息子」「妻の母(義母)」という順番にしてもらいました。<br><br>焼香は妻がフォロー。<br><br>自分と妻が、挨拶、見送りなどに席を離れている時は、義母に付き添ってもらいました。<br><br>実家は田舎から神戸のベットタウンに変わる過渡期にある町です。<br>父は田舎よりの最後の世代になるのかもしれません。<br>それでも父も母も、孫の障がいを隠そうという考えはなく、おかげで息子にとって良い経験が出来た気がします。<br><br>他に付け加えると、お通夜の時は、2人の姪っ子と通夜返しを配るのを頑張りました。<br>ただ、ランダムに退席する参列者に渡すタイミングが難しかったようで、妻にフォローされながらも、ちょっと目が泳いでいたのはちょっと微笑ましかったですが。<br><br>加えて、火葬後、骨を拾いに行った時は、怖がってあまり積極的に拾えませんでした。<br><br><br>今回、息子を誰より可愛がってくれていた父の葬儀ということで、自分としては、息子にいろんな経験をさせたいと考えていました。<br><br>その後、49日も無事終え、とりあえず何か一つやり終えた気はします。<br><br>父の死を伝え聞いた時、息子なりにショックなようだったと妻から聞きました。<br>その後、気持ちを整理して、納棺時に入れる父に宛てた手紙を書く中で、自分なりに気持ちを整理したようでした。<br><br><br>そして、実家は「じいちゃんの家」から「ばあちゃんの家」に変わりました。<br><br>天国に行っても、息子にとってじいちゃんは、優しかったじいちゃんのままなんだろうなと思っています。
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<pubDate>Tue, 03 Jan 2017 11:53:39 +0900</pubDate>
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<title>おかあさんといっしょ</title>
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<![CDATA[ あまり物を捨てない嫁さんが、珍しく押入れを整理したらしく、息子の古い本が出てきました<br><br>雑誌のおかあさんといっしょ<br><br>小さい頃の息子が唯一見たテレビ番組でした<br><br>時間を潰すのが難しかった幼い頃の息子<br>半ば苦し紛れに見せていた気がします<br><br>ただ音楽が好きだったので、<br>それなりに気には入っていた気がしますが<br><br>よくTSUTAYAで、ファミリーコンサートのビデオも借りたなぁ<br><br>でもこんな本まで買ってたっけ!?<br><br>嫁さんに聞くと、<br><br>『意外と(外出先の)暇つぶしには使えてたよ』<br><br>『でも主に(本の角を)カジってたけどな』<br><br>との答え<br><br>さすがに嫁さんのほうがよく覚えてる<br><br>大変で、<br>しんどかったけど<br>妙に懐かしい<br><br>あの頃はバタバタだったなぁ<br><br>
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<pubDate>Sat, 06 Feb 2016 18:29:57 +0900</pubDate>
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<title>卒園式</title>
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<![CDATA[ 太田奈緒ちゃんのプライベートメール(メールに模したメルマガみたいなもんです)読んでいたら、最近涙もろくて···的な話題があって、自分も色々考えてしまいました<br><br>考えてみたら、最近まともに泣いていないなぁと<br><br>独身の頃は映画を見たりしてよく泣いたし、結婚してからも、小説を読んだりして泣いたような気はします<br><br>でも実生活で泣いたのでよく覚えているのは、嫁さんが息子を置いて家を出て話し合いに行った時、息子が自閉症だとかいう障がいだと医者に告知された時、その絡みでお義母さんの前でも話しながら泣いたな<br><br>そして、たぶん一番最後に号泣したのは、息子の幼稚園の卒園式でした<br><br>園児のみんなが一言ずつ、言葉を綴るような場面があって、勿論、決められた台詞を言うんですが、当時、ろくに会話も出来なかった息子が、その台詞を他の園児の分も丸暗記してしまっていたんですね<br><br>リハーサルでは、他の園児の台詞まで息子がカブして言ってしまうなんて事があったみたいで、他の園児には晴れの舞台、本番当日は息子が粗相しないかとヒヤヒヤして見守っていました<br><br>それがどうにか無難に終わって、園児達の歌の時だったでしょうか<br>小学校見学で校長に言われた皮肉、二年間の幼稚園生活、そしてひとまず幼稚園卒園まで無事育ててこれたこと<br>そんなことが脳裏をよぎって、嫁さんと号泣していました<br><br>当時は本当に、子育ての楽しさより、大変さのほうが多かった<br><br><br>今週、ちょっと疲れがピークで仕事もギリギリ凌いだ状態だったんですが、あの頃の頑張りを思い出したら、後少しだけ頑張れそうな気がしてきました
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<link>https://ameblo.jp/anpan-eg/entry-12097814671.html</link>
<pubDate>Fri, 20 Nov 2015 23:19:23 +0900</pubDate>
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<title>『自閉症』という障害の簡単な説明</title>
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<![CDATA[ <p>『自閉症』という言葉を聞いて、“うつ病”　“対人恐怖症”　“内向的な性格の事”を思い浮かべる方は多いと思います。</p><br><br><p>かく言う自分も、以前住んでいたマンションの隣のお子さんが『自閉症』らしいと聞いた時、“うつ病”のようなものをイメージして、「あぁ、育て方や、家庭環境が悪かったんだな。」と思っていました。</p><br><p>実際、『自閉症』という言葉自体は、うつ病や内向的な性格を表す言葉として使われているのも現状です。</p><br><br><p>ですが、障害名としての『自閉症』とは、生まれつきの脳の一部分の障害で、知的障害を伴う場合が多く、主にコミュニケーション面に弊害が現れる障害です。</p><br><p>大きなくくりでは『発達障害』の一種で、知的障害を伴わない『高機能自閉症』　『アスペルガー症候群』（エジソンや坂本竜馬もこの障害だったという説があります）や、学習面に主に弊害が現れる『学習障害』なども発達障害の一つとされています。</p><br><p>日本において誤解が多い理由にこの障害名がある訳ですが、あえて当事者である親の自分が新しい障害名をつけるとすれば、『先天性コミュニケーション障害』とか、『先天性脳機能障害』にしたいぐらいです。</p><br><br><p>『自閉症』という障害は個人差の多い障害で、何ができて何ができないというのは、本当に個人によって違います。</p><br><p>我が家の息子の場合、ありがたい事に年齢相応の漢字の読み書き、簡単な計算はできるようになりました。</p><p>しかし、場（TPO）に応じた行動や、流暢な会話（好きな漫画などで覚えた言葉遣いになる事が多いです）などはまだまだだなと感じます。</p><p>また、気持ちを落ち着かせる為の独り言などもまだまだ多く、課題として残っている状態です。</p><br><p>一番誤解を受け易い部分ですが、『自閉症』という障害は“引きこもり”の状態を表すものではなく、うちの息子もどちらかと言えば明るい性格ですし、小さい頃は、家でじっとしているのが難しいぐらい外が好きでした。</p><br><p>子供の社会性などの確立の問題から、三歳ぐらいまではハッキリと『自閉症』だと診断されにくいので、言葉が遅かったり、他の子供と違う事に不安を感じながら、『自閉症児』の親は育児に苦しんでいるのが現状です。</p><br><p>『自閉症』という障害は、先天的な障害ですので、現在の医学では完治する事はありません。</p><p>ただし、幼少時から訓練する事で、障害から起こる問題行動を改善していく事はできます。</p><p>（詳しい訓練方法の詳細などは、自分も不勉強の為、ブログには書けていません。）</p><br><p>ですが、自分の経験からも、幼少期に少しでも『自閉症』かもしれないとの疑いが出た場合、つまらない見栄や偏見を捨てて、できるだけ早い時期に療育を受ける事をお薦めします。</p><p>その事が結果的にあなた達家族を救う事になると思うからです。</p><br><br><p>ちなみに、我が家の場合、市の集団検診で引っかかり、言葉の遅れのある子の教室へ。</p><p>そこの教室でもついていけなかったので、市に相談して、市の薦める医療機関で診断を待ちながら、二才半ばから療育教室（自分たちの居住する市には簡素な療育教室しかありませんでした）に通い始めました。</p><br><br><p>現在、診断前や診断直後で苦しんでいるご家族には、決して先行きを悲観し過ぎない事を願いたいと思います。</p><br><p>そして、まだまだ小さな波でしかありませんが、いつか『自閉症』に対する誤解や偏見が解ける日が来る事を願ってやみません。</p><br><br><p>アメリカ映画『I am Sam』でも描かれていますが、自閉症の人と暮らす生活は決して苦しい事ばかりではありません。</p><br><br><br><p>“障害は個性”</p><br><br><p>いつかそう思われる日が来ることを願いたいです。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/anpan-eg/entry-11344309314.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Sep 2012 18:45:31 +0900</pubDate>
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<title>ｃａｌｌ</title>
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<![CDATA[ 子供をお腹に授かった時、女の子を熱望していた妻。<br><br><br>しばらくはお腹に向かって、女の子の名前を呼びかける日々でした。<br><br>赤ちゃんが男の子だとわかってから、名前を１から考え直す事になりました。<br><br>自分は子供というのは母親に愛されるのが一番だという考えで、息子の名前は妻に決めてもらいました。<br><br>妻曰く、呼びやすい名前にしたそうです。<br><br><br>そんないきさつで決定した息子の名前でしたが、息子はなかなか名前に反応しない子供でした。<br><br>三才で自閉症だと診断された頃だったと思うのですが、息子は自分の名前を理解しているんだろうかと疑った事もありました。<br><br>それだけ意志の疎通が難しい子供でした。<br><br><br>のんびりのんびり成長する自閉症の子供。<br><br>いつからか息子も自分の名前を理解し、今では自分の名前を気に入っている様子さえ感じます。<br><br><br><br>暑い季節になると、朝方、網戸にしているお宅も多く、隣近所の話し声がよく聞こえる事があります。<br><br><br>今朝の事。<br><br>『呼んだか？』<br><br>私が起きる時にはよく眠っていた息子が、ブツブツ言いながら起きてきました。<br><br>そして眠たそうな顔で、私と妻に順番に自分を呼んだか尋ねてきました。<br><br>「呼んでないよ。」<br><br>どうやらお隣の話し声を聞いて、自分が呼ばれたと勘違いしたようでした。<br><br><br>小さい頃はあんなに無反応で傍若無人だったのに。<br><br>今の息子の姿は到底想像できませんでした。<br><br><br>まだまだ課題も多いですが、ひとまず息子の成長を実感した朝でした。
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<link>https://ameblo.jp/anpan-eg/entry-11309943460.html</link>
<pubDate>Mon, 23 Jul 2012 20:02:25 +0900</pubDate>
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<title>自閉症放浪記</title>
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<![CDATA[ 息子が小さい頃の話を。<br><br><br>息子が二才の時に、現住所に引っ越した私たち家族。<br><br><br>三才で自閉症の診断を受けた訳ですが、その頃の息子といえば、喋らない（会話ができない）、興味のある遊びがない（公園では遊具で遊べない）など、私が休みの日には、連れて行く場所に困ったものでした。<br><br>加えて自分にとっては、土地勘のない町での子育て。<br><br><br>今思い返せば、息子を車に乗せて訳のわからない場所に連れて行っては、ウロウロと時間を潰したものでした。<br><br>当時の自分を支えていたのは、親としての義務感だけだったような気がします。<br><br>例えば、滑り台を楽しめるようになった。<br><br>戦隊物にハマりだした。<br><br>ＤＳで遊び始めた。<br><br>遊園地の乗り物に乗れるようになった。<br><br>などなど。<br><br>息子の興味が広がって、成長していく度に、子育ては少し楽に、楽しみを伴ったものに変わっていきました。<br><br>しかし、それ以前を思い出すと、人の少ない森林公園や、史跡の公園に訳もわからず連れて行っては、あてもなく散歩・・・・。<br><br><br>そんな休日でした。<br><br><br>今日たまたま仕事中に、以前息子と行った事があった森林公園の近くを通りがかりました。<br><br>今では全く行く事はなくなりましたが、辛かった当時をフト思い出しました。<br><br>というか当時は、ただただ必死にやっていただけだったような気がします。<br><br><br>今思い出すと、なんとも言えない感情が沸き上がってきます。<br><br><br>どうやら、少しずつでも、私たち家族も階段を上がって来れたようです。<br><br><br>あきらめないで頑張らなければ。
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<link>https://ameblo.jp/anpan-eg/entry-11286712257.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Jun 2012 20:17:03 +0900</pubDate>
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<title>大丈夫</title>
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<![CDATA[ 後で思い返したら、何故あんな行動を取ったんだろうと思う事ってありますよね。<br><br><br>細かい経緯は忘れてしまったのですが、妻のお母さんと話をしていて一度だけ泣いてしまった事がありました。<br><br>息子が三才で『自閉症』だと診断されて半年も経っていない頃でした。<br><br><br>「自分の子供に障害があったなんて・・・。」<br><br><br>話の途中で、そう言って自分は泣いた記憶があります。<br><br>当時の自分は、引っ越して転職をした事から、派遣社員をしながら正社員の仕事を探していました。<br><br>そのさ中の、子供の障害。<br><br>今思えば、精神的にかなり参っていたのかもしれません。<br><br>そして当時の自分を苦しめていたのは、『障害＝不幸』という先入観だったように思います。<br><br>何か、全く知らない国にいきなり放り出されたような疎外感。<br><br>一生、重い十字架を背負って生きていかなけばいけないような錯覚。<br><br><br>どちらにしても情けないぐらいに悲観的でした。<br><br><br>今、息子が十才になってボンヤリと思う事があります。<br><br>何で見た話だったかは忘れましたが、外国では『障害＝個性』と捉える所もあるそうです。<br><br>それを知った当時は、まるで絵空事のように感じていたのを覚えています。<br><br><br>ですが今、『自閉症』という障害がありながらも、一生懸命に一瞬一瞬を楽しんで生きている息子を見ていると、障害って個性なのかもしれないと感じている自分がいます。<br><br><br>今、自閉症だと診断されて間もない方がもしいるなら、決して子育てをあきらめないで下さい。<br><br><br>こんなに弱い自分でも、どうにかなっているんですから。<br><br><br>きっと大丈夫です。
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<pubDate>Fri, 22 Jun 2012 20:28:34 +0900</pubDate>
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<title>七五三</title>
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<![CDATA[ 息子は理由あって、四才の時に七五三をしました。<br><br><br>三才というと、自閉症児は診断が確定するターニングポイントとも言える年齢で、私たち夫婦には、とてもそんな心のゆとりがなかったからです。<br><br>息子が四才の時に、私と妻のどちらの親が言い出したのか、一回だけでもやってあげようよという話になりました。<br><br><br>そして、七五三の当日は悲惨でした。<br><br><br>初めての場所・経験が苦手な自閉症。<br><br>神社でのお祓いの最中は、ずっとウロウロして泣きっぱなしだったのを覚えています。<br><br>まぁ確かに息子からしたら、何をやっているのかわけがわからないし、神社の雰囲気からして相当ハードルが高かったんだと思います。<br><br>息子にしたら拷問に近かったお祓いを終え、その後、近くの写真館に記念撮影に行きました。<br><br>引っ越したばかりで、初めて行く写真館だったのですが、そこのご主人が頑張って工夫してくれて、どうにか記念撮影は無事終える事ができました。<br><br><br>後日。<br><br>写真が出来上がり、おまけに息子の写真を使った小さなストラップをもらいました。<br><br><br>自分はそれを見て、<br><br>「良かったな。すました感じで良く撮れてるやん。」<br><br>と言ったのですが、<br><br>妻は一言、<br><br>「可哀想やったな。泣きはらした後なんがそのまま写ってる・・・・。」<br><br><br>能天気なお父さんは、お母さんの眼力に頭が上がらなかったのを覚えています。
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<pubDate>Thu, 31 May 2012 20:46:33 +0900</pubDate>
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<title>ベビーカーを押して</title>
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<![CDATA[ 今の現住所に引っ越す前。<br><br><br>なかなか言葉を喋り始めなかった息子が、自閉症という障害だなんてこれっぽっちも考えてはいませんでした。<br><br>自分と言えば、朝早くから夜遅くまで仕事をしていてクタクタ。<br><br>夜寝る為だけに家に帰っているような状態で、妻の育児疲れは相当なものでした。<br><br>そんな毎日だったので、日曜日はなるべく自分が息子をみるようにはしていました。<br><br>罪滅ぼしですね・・・。<br><br><br>二才にもなっていなかった息子は、反応が薄く、関わりにくい子供でしたが、不思議とベビーカーに乗せると大人しく揺られていた記憶があります。<br><br><br>当時、話しかけても反応が薄かった息子。<br>特になにか特定のものを見て喜ぶという事もありませんでした。<br><br>それでも外の世界を見せる事で、この子に得る物があるんじゃないか。<br><br>そんな気持ちだったと思います。<br><br><br>あの頃、息子と見た景色の断片を今でも覚えています。<br><br>同時に思い出されるのは、まだ駆け出しの親だった自分と、それでも必死に生きようとしていた小さな息子。<br><br><br>障害があるが故に、暗闇の中を手探りで生きようとしていた小さな命。<br><br>きっとその暗闇の中に射していたかぼそい光は、いくらクタクタになっていようとも息子を育てた妻の愛情だったような気がします。
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<link>https://ameblo.jp/anpan-eg/entry-11264407339.html</link>
<pubDate>Wed, 30 May 2012 21:33:25 +0900</pubDate>
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<title>時間</title>
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<![CDATA[ 息子が三才で自閉症だと診断されてからしばらく経った頃だったと思います。<br><br><br>向かいの家のご夫婦が、玄関先で、<br>「いい日曜日やなぁ。」<br>と話し合っているのを見かけた事がありました。<br><br><br>その時の自分の心境は、<br><br>“最近、そんな風に思える余裕なんて全くないなぁ・・・。”<br><br>“道を一本隔てて、向かいの家と我が家では世界が違うんやな・・・。”<br><br><br>そんな感じでした。<br><br><br>思えば息子に障害があるとわかって以降、自分にはまるで犯罪者にでもなったような負い目があったように思います。<br><br>別に何も悪い事をしていないのに。<br><br>『障害者世帯＝少数派』<br><br>そんな考えがあったんだと思います。<br><br><br><br>何年前ぐらいからだったでしょうか。<br><br>徐々に息子の言ったりしたりする事が面白くなってきて、障害者世帯である負い目より息子への愛情の方が大きくなった瞬間があったように思います。<br><br>それとも、時間とともに自分の中の何かが麻痺していったのかもしれません。<br><br><br>本当はもっと息子の将来の事も、突き詰めて考えていかなければいけないのだとは思います。<br><br>ですが、今の小さな幸せが心地良くて、今の一瞬一瞬を生きているのが現状です。<br><br><br>時間が経って・・・・。<br><br><br>こんな日が来るとは想像もつきませんでした。<br>
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<link>https://ameblo.jp/anpan-eg/entry-11262695777.html</link>
<pubDate>Mon, 28 May 2012 19:00:20 +0900</pubDate>
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