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<title>Poquitous Innovation.</title>
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<description>留学生活を終えて仕切り直してます。学生脳から頭を切り替えて、多面的に社会を眺めながらアイデアを抽出していきます、楽しみながら！</description>
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<title>こんなカフェがあったって良いじゃないか。</title>
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しばしばくつろげる空間について考える事があります。というのも自分が気持ちよく集中して作業できる時は大抵良い環境にいるときだからです。仕事にしても、趣味にしても、作業にしても、意志や感情によって自分をコントロールする事も大事です。しかし、それと同等に外的な動機、つまり環境による意志や感情のコントロールも大事だと思います。カフェには昔からコーヒーを飲む以上の事を人は求めてきました。ある人は読書をしに、ある人は人と会って話す為に、ある人はBGMを楽しみに、目的はそれぞれですが、コーヒーの他にも環境を求
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<dc:date>2011-04-17T11:45:46+09:00</dc:date>
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<title>思考を忘れて。</title>
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久々にお日様の下に出てポカポカな陽気にめでられて、良い感じにリセットされました。物事にはメリハリをつけるべきだと思います。考える時にはとことん考えて、のんびりしたい時はとことん何も考えずに日向ぼっこ。おばあちゃん犬のシェルちゃんです。実家の僕の部屋は２階なのですが、春でぇむん、外の木々が生い茂りすぎて自然のカーテンになっています。これはこれで木漏れ日が心地よいですね。なんだかんだいって僕は実家に定期的に帰ります。なんとなくギターがひきたくなり、焼きたてパンが食べたくなり、サイクリングしたくなり、
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<title>春ですねぇ</title>
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今日はポカポカしていて絶好の読書日和ですね！朝から散歩のつもりで出歩いてたらそのまま電車乗って実家に帰ってきちゃいました。時々、母さんの焼いたパンが食べたくなるんです。家の向かいの公園で桜が見事に咲いていたのでキレイな内に一枚。iPhoneで撮ってアプリで加工してみました。ムラが出てしまいますね。私も一眼レフとか深みの出るカメラ持って散歩したいものです。春、最高！（ただし花粉症は除く。。。）
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<dc:date>2011-04-16T10:57:21+09:00</dc:date>
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<title>立場から考える教育とは。</title>
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　ところで義務教育である以上生徒となる子供たちはその立場というのを強いられる事になる。前回の記事でマッピングした時にも出てきたこの立場についても少し私なりに考えてみた。　人は人生において様々な問題を抱える。そしてその問題を解決しようと務めるか、背を向けるかはその人次第であり、人に強要されるべき事ではない。問題解決のプロセスというのは前回も紹介したとおり、立場、手段、目的の要素があり、教師が成しうるのはその手段を神聖化するか否かの選択の必然性を説く事である、と説明した。『ある問題について実際上の立
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<dc:date>2011-04-16T05:41:40+09:00</dc:date>
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<title>教育者とは。</title>
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　一昨日辺りの記事でマックス・ウェーバーの「職業としての学問」を、その中で触れられている個性と体験の関係が自分に合った職業を探す時に役にたつのではないか？と思って紹介させていただいた。しかし、そもそも私がこの講演を読んでみたいと思ったのは教育とはなんだろうか？と考えているとき、たまたま友人が書店で勧めてくれたからだ。実際この本の中ではその職業としての学問を次の３点で考察している。１、講師・研究者などが生計を支えるもの２、教師・研究者の取るべき心構え３、学問の職分そのものについて因みにこのことは訳
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<dc:date>2011-04-16T05:37:00+09:00</dc:date>
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<title>職業人の性質（２）</title>
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　ところでマックス・ウェーバーはこのように職業人が思いつきにより達成を目指す事を説いたわけだが、それらの職業人というのはどこか冒険者や開拓者の様な要素が見受けられる。しかし、果たして職業人というのはそのような冒険者や開拓者のみを指すのだろうか？当時のドイツの事情はあまり詳しくないが、彼の本の中では熟練工などと言ったような職業はどこか下の位、ステータスの低い職種の様に扱われていた。しかし、日本の場合は昔から刀鍛冶などの熟練した職人などがステータスなどを問わず尊敬の念を集めていた。どうやらここには日
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<dc:date>2011-04-14T10:53:08+09:00</dc:date>
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<title>職業人の性質（１）</title>
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　前回の記事で人が職業における個性に惹かれる事、その個性を得るために体験を苦心して得ようとする事、について考えてみた。そして終わりに本質的にその職業から得られる体験を認識出来れば敢えて就職する必要は無いと言った。もちろんそれなりの理由があっての事である。今回はその点について、つまり職業における体験の認識方法のようなもの、について掘り下げてみたい。そして最後には就職する事について考えられれば、と思う。　ある青年がある職業人の性質に惹かれたとして、その職業の性質を個性と呼ぶことにしよう。彼はその個性
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<dc:date>2011-04-14T10:45:34+09:00</dc:date>
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<title>若者は何にあこがれるのか？</title>
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　就職内定率が過去最低と嘆かれている記事を今年初めによく見た。大企業安定志向の学生の狭い視野というのがその原因の一つとされていたが、問題は国全体で広く安定志向に陥りリスクを取ることに億劫になっている事だと私は思う。これは例えば新卒採用という制度を変えるとか、公共事業を増やす事による雇用創出とかそういった目先の解決では対処しきれない問題だろうと懸念している。安定志向というのは言い換えれば思考停止状態の事でもある、というのも安定志向の人がとる選択というのは先人たちが成功（経済的合理性の内における成功
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<dc:date>2011-04-13T16:11:45+09:00</dc:date>
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<title>教育改革に取り組むにあたって。</title>
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　現在私は教育問題について取り組んでいる。実際に何か事業を行っているわけでは無いが、いずれ始めたいとも思っている。教育問題というのはどの時代においても様々な形で議論されてきたものだ、そして現在も色々な教育改革案が流布している。それは例えばイジメ問題やゆとり教育問題など、現在の教育機関の内側で起こっている事への解決策を模索するものが殆どである。しかし、私が思う教育問題はその機関そのもののいかんに関するものであり、それを解決する事によってより面白い社会が作れるのではないか？と期待している。現状の問題
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<title>歴史に埋もれた競争の源泉</title>
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　僕はあまり競争というものが好きではありません。競争のありふれる社会で生きていますが、どうしても好きになれないのです。競争があったほうが良いと考える人の中にはそれを動機に頑張る人もいるでしょう。例えばボクサーは試合までにどれだけ下準備をしてきたか、が競争であり、努力の末に勝ち取った勝利には誰にも味わえない達成感と満足感があるのでしょう。また、負けた人は次に向けて反省をし、また頑張れるのでしょう。その様な成長ドラマが競争が今日好まれている理由かもしれません。しかし、現実では人はそれぞれ違うフィール
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<dc:date>2011-03-20T07:06:39+09:00</dc:date>
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