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<title>アラサーだからもういちど古典！</title>
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<description>高校生のころにやった古典の授業…一応がんばったけど、正直ピンとこなかったものです。でも、30歳になった今、もう一回、あの名作たちを読み解いてみるのはどうでしょう？少しずつ、和歌を取り上げて、訳してみようと思います。</description>
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<title>たまのをよ</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#fa8072" size="2"><strong>玉の緒よ絶えなば絶えね　長らへば忍ぶることの弱りもぞする</strong></font></p><p><font color="#fa8072" size="2">式子内親王　</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><strong>私の命、尽きるならば今尽きてしまえばいい。</strong></p><p><strong>このままいたずらに生きていたって、この恋を押し隠せなくなってしまいそう…</strong></p><br><br><p>色っぽい歌です。</p><p>そして思いつめがちで、勝気な女性の乙女心というところかな。</p><p>これは「忍恋」というお題にしたがって式子内親王が詠んだ歌なので、実体験ではないのかもしれませんが…。</p><p>それにしたって、ナマナマしい歌です。</p><br><p>後年、式子内親王は、藤原定家と恋愛関係にあったのではないかと言われています（真偽は不明）。</p><br><p>もしそうなら、自分より身分が低くて13才も若い男の子、でもなかなか機知にとんだ見どころある青年（定家）への恋心もこんな感じだったのかな？</p><br><p>鴨茂斎院として、神様に近い場所で働いていた女性が、こんな狂おしい恋心を密かに育てていて、ちょうどいいお題のときにふと漏らした言葉がこの和歌だったら…。</p><p>なかなかドラマだよなあとも思うのです。</p><br><p>忍ぶ恋と言えば、現代は不倫ですが、バレる、バレない、離婚、略奪、慰謝料なんて世俗的な話ではなく、ひっそりと気持ちを温めてはため息をつく妙齢女子の隠れた激しさを垣間見るような気もします。</p><p>なんて純粋な女ごころ…。</p><br><br><p><font color="#00bfff">式子内親王（しょくし/しきし（のりこ）ないしんのう、久安5年（1149年） - 建仁元年1月25日（1201年3月1日））は、平安時代末期の皇族。後白河天皇の第3皇女、母は藤原成子（藤原季成の女）で、守覚法親王・亮子内親王（殷富門院）・高倉宮以仁王は同母兄弟。高倉天皇は異母弟にあたる。賀茂斎院として萱斎院・大炊御門斎院などと号された。法号承如法。歌人として新三十六歌仙の1人に数えられている。</font></p><p><br></p>
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<pubDate>Tue, 15 Jun 2010 04:50:12 +0900</pubDate>
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