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<title>社会不適合大学生による徒然記録</title>
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<description>この場では正直に、自分の意見を発信していこうと思います。よろしくお願いします。</description>
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<title>受験生のブログ</title>
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<![CDATA[ <p>お疲れ様です。　　あおです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ついにほとんどの大学で、後期日程まで含めて、入試が終わった頃合いですね。</p><p>久々に、受験生のブログを拝見させてもらってました。（結構みだしたら止まらなくなって、たくさんの人のブログを見てしまっていました（笑））この時期なので、多くの人が、合否の結果等を書き込んでいました。そういった記事を見ていると、自分が受験生だった時のことを、いくらか思い出します。</p><p>しかし、今になって思えば、大学なんて、行きたい学科をしっかり吟味することは極めて重要に思いますが、大学名、とりわけ偏差値に関しては、よほどの理由がない限り、気にする必要はなかったのかなと思います。</p><p>私も、受験生（現役生）の時は、やはり少しでも有名な大学に合格したいという気持ちが、圧倒的に強かったです。口先だけでは立派に、あの大学はこういうところがいいから、とか、小さい頃から目指していた、とか、大概適当なことを言っていた記憶がありますが、その言葉の底には、周りからよく見られたいという欲望が、深く深く、また、非常に強いものとして根付いていたのだという事実を、自分に対しても他人に対しても、今になって隠すつもりは全くありません。しかし、いい大学を出ているかどうかで、その人をよく見るか悪く見るかを決めるような人なんて、初めから仲良くなる必要なんてないように思いますから、私が現役生の時に根強く生じていた感情は、どうやらしょうもないものであったように思います。私の周りには、「いうても俺らは上位10％に入ってるからな」などと言って、自己の保存を保とうとする人もいるのですが、全く救いようのない連中のように思います。私も、恥ずかしながら高校生までは、そういった類の考え方で自己を保とうとする悪癖が（それも、他の人よりもより強く）あったように思いますから、直接的にそういった言動、行動を取っていなくとも、本心ではそこを意識しているなというのを、他人の細かい言動の中にでも感じてしまうように思います。それが勘違いなのであれば大変嬉しいのですが、私にはどうしてもそうは思えないものですから、なんだが気分が悪くなります。また同じ大学にそういった人が多いのも、とても嫌に思います。これも、入試制度の隔たりが強すぎるのが原因に思いますが。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>いろんな人のブログを見ていると、「ああ、この人はこの大学のこの学科に本当に行きたいんだな」と思わされる人もいました。私は、そういう人こそが仮にペーパーテストにより測られる能力が若干劣っていることがあっても、合格するべきなんだろうなと、個人的には思います。（さすがに医学科に関しては、そうは思えないですが。やはり医師になる人は、抜け目のない人であってほしいですから（笑）　例えば自分が急患として病院に行って、その時担当してくれた医師が、いくらやる気があって勉強を頑張っていたような人であったにせよ、完全な努力型であるがゆえに先天的な頭の回転の速さがそれなりにでも無かったら、正直少し怖いですよね。そういう点から考えて、医学科だけは、やる気と努力だけではパスしてほしくはないなというのが本音です。努力して何年か頑張ったけど、志望校の医学科合格には届かないという人は、やはり何か考え方を変えるべきなんだろうなと思います。前回の記事で、「あきらめ」という言葉は「明らかに見定める」という語源があるということを書きましたが、多くの時間を費やし努力してもできないことなら、分野にもよるんでしょうけど、基本的にはあきらめるのが良いのではないかなと、思うところはあります。というかむしろ、次のステップとしてやるべきことがそれなのではないかと思うくらいです。「あきらめないで努力し続ける」というのは聞こえがいいですし、励みになりやすい言葉なので、そこを信じやすいとは思うのですが、現実的には、逆に人をどん底に陥れる言葉でもあると思っています。）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>少し話があちこちにいきました。今書いた部分を読み返していますが、構成がバラバラで意味わからないですね。いつものことですけど（笑）さてもう一つ自分の意見を言わせてもらうと、大学の合否結果に関しては、本来そこまで大きなものではないのかなと思います。とにかく、あんなものではその人の価値は、当たり前ですけど測れないでしょうし、また、落ちた人は落ちた人で、その人にしか得られない価値観というものは、言い訳とかでは無く、実際あると思いますから。よくテレビに出ていたメンタリストのDaigoっていますよね。あの人が言ってたことで、「僕は中学生の頃まではずっといじめを受けていましたが、あの人たちがいたおかげで、勉強しかすることがなかったためいい大学に行けて、また、心理学に目覚める根本的なきっかけができた」というのがあったのですが、私はなるほど、と思いまして、今でもそれを覚えているのですが、例えばその例で言えば、部分的には、つまり小中の部分で切り取っ</p><p>&nbsp;て考えれば彼の人生は失敗している人のそれと言えるのかもしれませんが、最終的にはそれも成功へのきっかけとなっているわけです。ですから、受験に失敗してもそこから得られる何かをもって今後へ生かしていけるというのは、それはそれでかなり大きな武器であると思うのです。（それに、なんだかもう、開き直れますしね！）ですから、そこを大事に過ごしていくことが重要なんだろうなと、私は思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">受験生はこんなブログ見ないのに何言ってんだこいつと思ったあなた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">本ブログ主は自分の意見を無駄に発信していきたがっているお年頃なので察してあげてください（笑）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">（また、自分へ改めて言い聞かせているという側面はあります。）</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ao-neet/entry-12359612826.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Mar 2018 11:16:11 +0900</pubDate>
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<title>嫌われる勇気</title>
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<![CDATA[ <p>お疲れ様です。　あおです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>現在は春休みに入っており、バイトに明け暮れております。幸いここ半年ほど続けているバイト先は、良い人間が多く、精神的にも良いので、助かっています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>バイト先の人で僕の話をよく聞いてくれる親切な人がいるのですが、先日、「あおさんはこれ読むといいと思いますよ」と言われ、貸してくれた本がありました。幾らか有名かと思うので、すでに読んだことあるよと言う人もいるかもしれませんが、それは「嫌われる勇気」という本でした。哲学者が書いた本で、アドラー心理学という分野に基づいた内容の本でした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この本は、本当に今の僕にタイムリーな内容で驚きました。「青年」と「哲人」という2人の人がいて、対話形式で展開されるという構成で、「青年」は自分に強い劣等感を感じており、また、育ってきた環境も良くなく、親からは虐げられ、友達も敵に見えて仕方なく、こんな人生大っ嫌いだと、そんな悩める青年です。（本を貸してくれた人には、僕がその青年とかぶるところがあると思ったので、読ませたかったのでしょう。）対して、哲人は、簡単に言えば、青年のカウンセリング役です。ただし、めちゃくちゃ論理的なカウンセラーですが（笑）。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>普段は、本を読んだらその内容を後から簡単に思い出せるようにするため、まとめや感想文を書いたりしていたのですが、（いま、全然関係ないですけど、笑顔がゆがんだ主人公は「斜陽」ではなく「人間失格」の主人公でしたね。太宰作品は多く読んでいるので、昔の記憶が少しゴッチャになりました（笑））、今回はあまりにタイムリーな内容が凝縮された内容であったので、まとめをしたところでほとんどその本のままになってしまうという現象が考えられるので、あえてまとめや感想は書かないようにしようと思っています。代わりに、特に印象に残った部分を箇条的に書いてみようと思います。ここで、（）内は文脈的に、補足がないとその言葉の意味が全くわからないということになるのを恐れて、勝手ながら僕が補足した文です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;">・</span>哲人が青年に言った言葉</p><p>&nbsp;</p><p>「劣等感を強く感じる理由は、実は、自分が心の奥底で、劣等感を感じていたいという気持ちが隠れているからだ。」</p><p>&nbsp;</p><p>感想：心にグサッときました（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;">・</span>哲人が、この言葉は真意をついている可能性があると評価した言葉。「ニーバーの祈り」より、</p><p>&nbsp;</p><p>「神よ、願わくばわたしに変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵を授けたまえ」</p><p>&nbsp;</p><p>感想：僕自身このことは重要な発想の一つということは認識していたつもりでしたが、何とも上手い、詩的な表現があったものだと感心しました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;">・</span>哲人が示した言葉</p><p>&nbsp;</p><p>「素直に自分を受け入れる、いわば「自己受容」がまず重要だ。そこを考えていく中で、「あきらめ」を感じてしまうかもしれない。しかし「あきらめ」とは本来「明らかに見定める」という意味であり、否定的な意味ではない。この意味で、「自己受容」は、「肯定的なあきらめ」と言えるのだ。」</p><p>&nbsp;</p><p>感想：ほんとそうだよなぁ・・・</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;">・</span>哲人が青年に示した言葉</p><p>&nbsp;</p><p>「それが誰の課題なのかをまず考えよ。（このことを課題の分離という）（ここで、誰の課題というのは、その選択によってもたらされる結末を最後には誰が引き受けるのかということである。）（例えば、自分が他人に何か物事を言った時に、それを他人がどう思うか、それによって他人があなたのことをどう思うかは、その「他人の課題」であり、「あなたの課題」ではない。基本的に「他人の課題」はあなたにはどうすることもできない。そういう意味で、「嫌われる勇気」というのは、必ず必要だ。）あなたは「他人の課題」に干渉してはならないし、逆に「あなたの課題」に一切「他人の課題」（に付随したもの）を侵入させてはならない。」</p><p>&nbsp;</p><p>感想：つまりアドラー心理学の立場では、その選択によってもたらされる結末を誰が引き受けるのかという観点が、行動選択に決定的な影響をもたらすということか・・・</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>とりあえず、このくらいにしておこうかなと思います。本当は他にもたくさん面白いこと、重要なことが書かれているのですが、補足もしてバッチリ紹介していくと、先にも述べたように、もはや本そのものになってしまうので、やめておこうと思います（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>自己啓発系の本は、基本的に怪しいのでほとんど読むことはないのですが、この本は自分にとってはとてもためになりました。（と、いうのも自己啓発系の本は根拠がないものもかなり多い印象がありまして、僕の中ではその時点で有無を言わさずNGなんですよね。主観のみの文章と見なさざるを得ない部分もありますし！ただこの「嫌われる勇気」は「アドラー心理学」という科学的なデータ、学問に基づいて書かれているので、とても客観的です。その点で説得力はありました）（とはいえ当たり前ですが、この本に書かれたことが全てなどとは、全く思っておりません。あくまで考えられる意見のうちの一つという位置付けであり、ただ、数ある意見の中で、自分の中では、とてもいいものだったなぁと思っている、というところです。）皆さんもよければ、騙されたと思って読んでみると、意外にも何かいい考えが得られるかもしれませんよ！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">前回の記事の「絶望とre set」は、そこそこ多くのアクセス数があり、嬉しかったです。悲観的な内容だったので、あまり読まれないかなと思っていたのですが！読んでくれた皆さん、ありがとうございました。</span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ao-neet/entry-12353012494.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Feb 2018 12:15:26 +0900</pubDate>
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<title>絶望とre set</title>
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<![CDATA[ <p>お疲れ様です。　あおです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>明日明後日にかけて、期末テストが配置されているので、本来1分の猶予もなく、学校に行けなかったぶんのツケも払いながら、今勉強しないといけないわけですが、精神状況が良くないことと、また、安定期に入った時に、今の心情を忘れないためにも、あえて今、気持ちを綴ってみようと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>僕は今、多くの事柄をリセットしたい気持ちです。ここでいうリセットとは、もう一度赤ちゃんの時から人生をやり直したいということではありません。今、この状況で、友人や家族、大学等、俗世から自分を切り離し、そういったものから一切縁を切って、まっさらな状態に自分を置いて、これから生きてみたいなということです。（漢文で言うところの、「出家」みたいなイメージですかね）また、これは理想論であり、以前の記事で述べたところの「消極的な幸せ」を大きく求めたものです。しかしながら、それを求めるだけでは、当然この世の中を渡っては行けないですから、実際に僕が行動に起こせることは、自分の実力不足を実感していることもあって、恐らくできないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、僕は今、本当に、そういったことが全てリセットされて、自分がここに在ったなら、どんなに心地よいだろうと、想像を止めることができません。今は、何とも、ほとんど誰とも、関わりたくないのです。何か物事に、あるいは誰か他人と関わるという時は、僕は基本的に自分に嘘をついて、ここまでやってきているのです。そうであるがゆえに、苦しいのです。実際、これまでの人生で、僕にある程度深く関わったことのある人が、このブログを見て、僕が書いていると知ったら、唖然とするでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>こういう感覚------つまり、俗世から切り離されたいと言う感覚------は、僕の人生の中で、本来ずっと心の奥底では感じてきていたことなのかもしれませんが、特に一時期、このことをとても強く意識したことがありました。その時も、僕はもう、動けなくなっていたのですが。それは、浪人生の後期の時期でありました。ここで少し、僕の略歴を申しておきますと、現役生の時大学受験をしたものの不合格、浪人はダメと親に言われてはいたのですが、僕はそれなりに高校時勉強していたこと、また、勉強は自分の得意分野であって、人よりもいい大学にいるべきなんだという自惚れ、また、周りのクラスメートがどんどん旧帝大に受かっていく中、自分だけ後期で名の知れてない大学に自分が通うことになるのかということへのみじめさ等から、（あまりに幼稚な発想ではあったのですが、その時は、それ以外のことは見えていなかったのです）自分が置かれた状況に満足できず、浪人への気持ちを捨てきれずに、無理を言って浪人をさせてもらいました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この浪人生の時期は本当に、今の自分の人格形成に、とても大きな影響をもたらしました。僕が浪人生の時通っていた寮は、東大京大、あるいは旧帝医等を目指す人々が集まるところでありました。また、予備校では1年間が、概ね、前期、夏休み、後期と分かれていまして、前期の時期は、僕も、周りの寮生と同じように最頂点の大学を目指し、成績のことや、娯楽のことも話しながら、普通に勉強をしておりました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>僕は、その寮で、夏休みの時期に、幾ばくかの信頼を寄せることのできる人物とも出会えました。しかし、結論からいうと、その人は、途中で寮を去っていくことになりました。その人は相当人間不信な人でありましたが、僕から見れば、とても優しい人間であるふうに見えました。勉強はできる人であったので、素直に勉強していれば、東大や京大も受かっていたのかも知れませんが、自分からそのレールを蹴っていったのです。彼はふいに、「結局は自分一人なんだ」と言うことがありまして、一度だけ、少し深く話しを聞ける機会がありました。その話を聞いた時は、僕はとても同情できたのですが、同時に、悲しさと虚しさもこみ上げてきたのです。なぜかといえば、周りの寮生は、東大や京大に受かっていくような連中であるのですが、そういった人らと、彼では、僕には、含有されている人間味の深さが、あまりに違うように見えたからです。しかしながら、社会に出た時に、優位に立てるのは、当たり前ですが、高学歴を持った人々です。僕はこの時、初めて、以前の記事で述べた悩み------消極的な幸せと、社会で生き抜くための実力のバランス------に、超絶に悩まされ、動けなくなったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>僕は彼と違って、小心者でありますから、何も行動を起こすことはできませんでした。その出来事があってから、ただボーーっとしていただけでした。予備校にも通えていなく、チューターから親に、子どもさんが塾に来れてないのですが　という連絡がされて、親がカンカンに怒っているとか、或いは、知り合いにライン等で大丈夫かと聞かれたりであるとか、最近あいつが授業に出なくなったが何を考えてるんだと周りが言っているであろうこととか、もう正直どうでもよかったのです。そこから僕はもう、本当に、生きるためにどうしても必要なこと、食事や睡眠等、は生存本能が働くため、できていたのですが、それ以外のことはもう何も、少なくとも周りと関わるようなことは、一切しませんでした。自分の考えと、周りの大多数の人の考えに、深い齟齬があるように思われて仕方がなかったからです。周りの、普段仲良くしていた寮生も、僕の変容ぶりに気味悪ささえ覚えたらしく、話しかけてもこなくなりました。ラインも消して、これまでの人生でできた友達との連絡も完全にシャットダウンしました。しかし、僕はその時期に確かに、そういう状況でしか味わえない幸福じみたものを、感じたのです。もっとも、そういった状況に幸福じみたものを感じてしまうのは、競争の中生き抜いて、自己を確立していかなければならない、動物の一種としての人間としては、あまりに劣等すぎて、笑いさえ出てくるようなものであり、周りからは落ちこぼれの典型的な発想だなどと、思われるようなことであろうということは、十分理解してはいたのですが、しかし、仕方がなかったのです。僕がそこに、一定の満足感を得てしまったのは、紛れもない事実であったのですから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、その後、幾ばくかの休息期間があったものの、ここで全てやめてしまうということはしませんでした。ただ自分に関する理由によって勉強をやめてしまうということは、より良い大学に行かせてあげたいと思って協力してくれた親に失礼すぎるといった気持ちがあったこと、また、先に述べたように、自分が小心者であるがゆえに、大学に入学するという目標を、完全に捨て切れることができなかったという事が原因でありました。後者の方が、悲しいかな、強い原因であったことは確かでしたが。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、勉強を再開した時に、これだけは心に留めておこうと思ったことがありました。それこそが、以前の記事で紹介した、「消極的な幸せ」を求めようと努力すること、逆にいえば、「積極的な幸せ」に固執しすぎないことでありました。例えば、僕は元来、人の目を普通の人より強く気にしてしまう性格でありますから、大学生になったら、むやみに友達を多く作らないようにと、もう少し言い換えると、自分に仮面をつけて、人と仲良くなるようなことをしないようにしようと思いました。そうして仲良くなった友達は、僕の場合は、プラスよりもマイナスに働くということを、経験上、深く実感していたからです。そうした類のこと、消極的な幸せを求めることを、自己の精神の安寧のために、強く意識したつもりでありました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ここで、話が最初のテーマに戻りますが、今、僕は、自分をre set-----新たな状態に自分をセット------したいのです。さて、どういうことでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>僕は、また、同じ過ちを大学生になった今、犯してしまったのです。積極的な幸せを、最低限必要なぶん以上に求めてしまったがために、今、周りからの干渉が多く、自分にとっては苦しい状況に、陥るべくして陥ってしまっているのです。僕は今、とても絶望しています。自分のあまりの情けなさ、絶望という言葉でも、足りていませんが。もうここに関する詳細など真面目に書いていると、精神が持たないので、このくらいにしておきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>はあ、これからどう生きていこうか</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>また、何も、見えなくなった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ao-neet/entry-12350825690.html</link>
<pubDate>Wed, 07 Feb 2018 11:43:27 +0900</pubDate>
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<title>差し伸べられた手に</title>
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<![CDATA[ <p>お疲れ様です。　あおです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>人間時々、何もかもが嫌になる時、ありますよね。　私の場合、ここ何ヶ月かずっと、そういう状態です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>なんか、自分のおこしている行動に対する意味の無さや、他人との関わりの虚しさを、深く実感することによって、そういう状態になっているんですよね。例えば大学での勉強。意味ない講義、多すぎやしませんか。よく、今は意味がわからなくても、今やってる勉強は将来役に立つものなんだよ。とか、これこれに応用されていて・・・　とか、そこらじゅうの人が言っている気がしますけど、てきとうなこと言うな　って感じが、僕はしてしまいますね。いや、言うこと自体は構わないんですけど、それを言うなら、十分納得できる根拠まで言って欲しいですね。ほとんどの人が、根拠を言えないまま言ってるんでしょうけど。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>勉強だけではなく、人との付き合い方に対しても、嫌気がさします。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>みんな自分のことを守るのに必死すぎるのではと、僕は思うんです。なんか、ばかみたいに思ってしまう。それはもちろん、人間生存本能を持ってますから、ある程度はわかりますよ。でも、周りから外れている人を見て、安心して、自己の安寧をもたらそうとするの、吐き気がします。しかも、考えれば考えるほど、そういう人ばっかり。一見、手を差し伸べてくれているように見える言葉や行動に対しても、どうせお前のはその自己安寧が目的なんだろって、相手の鼓膜が破れるくらいの大声で、叫んでやりたい。お前の手の差し伸べ方、汚すぎんだよ。と</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>人の立場に立って物事を考える　って能力は、すごく重要なものだと、僕は思うんです。自分が得することのみに執着した考えや、相手をいたずらに悩ませてしまうような行動は、やっぱり良くないですよね。それにより本能的な欲求が満たされるのだとしても、理性で止めるべきです。相手の立場に立って物事を考えて、自分も相手もハッピーになれるような行動を起こしてあげることがとても重要なんだと、僕は考えていますし、そういう人間でありたいなと、強く思っている今日この頃です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ao-neet/entry-12348713042.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jan 2018 18:33:43 +0900</pubDate>
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<title>テスト勉強</title>
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<![CDATA[ <p>さて、私は今絶賛テスト勉強中でございます。</p><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>はぁ... &nbsp;まあ勉強したところで、どうせ追試勢にはなるんですけどね。すでに何個か追試が決定していますし(泣) 単位もクラスで私が一番落とすことになりそうです。まず、出席点がないし。まあ、後のことは考えない考えない。今できる全力を。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>しかし大学になって、数学の教科書がなんかすごく非情になりましたね。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>教科書&lt;「以下の問いは読者に委ねることとしよう」</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>委ねるな &nbsp;バカ &nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>解答くらい、書いてくれてもいいじゃないか... できない人の立場も考えてほしい今日このごろです。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>今の時期は受験生も大学生も一番大変な時期だとは思いますが、お互い頑張りましょうね。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>無心に、全力で。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/ao-neet/entry-12348209397.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Jan 2018 20:22:40 +0900</pubDate>
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<title>幸せに対する二種類の類別</title>
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<![CDATA[ <p>今回は幸せに対する考察を紹介してみたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>僕は、幸せは二種類に類別できると考えています。僕が勝手にそう呼んでいるだけなのですが、一つは<span style="color:#ff0000;">「積極的な幸せ」</span>もう一つは<span style="color:#ff0000;">「消極的な幸せ」</span>です。(この名前のつけ方には満足していないので、記事を最後まで読んでくれた人は、いい名前を考えてみてください(笑))</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>積極的な幸せとは、自然な幸せ とも言い換えられるかもしれません。例えば、友達をたくさん作るとか、高学歴であるとか、あるスポーツで活躍できるとか、お金持ちであるとか、地位が高いとか、人と比べてある状況に対して優位に立てるとか、そういう類です。人間も動物の一種ですから、動物として持つ本来の欲求に対して、自然なアプローチであるとも思えます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>対して消極的な幸せとは(この名前だと、なんとなくマイナスなイメージがして嫌なんですよね...)、例えば、多くの友達を有さないとか、人と自分を比較しないとか、他人からの評価を主とはしないとか、お金持ちであったり、高い地位であるわけではないとか、そういう類です。なぜこういったことを幸せの類別として存在させ得るのかと、思う人が多いと思います。むしろそれは、不幸なのではないかと。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>確かに、消極的な幸せは、本来動物としての一種である私たちにとって、それを幸せと思うのは、いささか不自然かもしれません。ある程度年齢を重ねるまでは、動物としての本能に従って、積極的な幸せこそが幸せであると誰もが無意識のうちに定義づけているはずです。それは本来動物として先天的に持っている欲求に対して、比較的直接的にアプローチをかけるようなものなので、極めて自然であると考えられます。消極的な幸せなんかを幸せと思う奴は、積極的な幸せを達成できなかったから、自分を否定しないために言ってるだけだろ という意見を持ったあなたは、僕の類別の中では、積極的な幸せを、幸せの定義としている人と考えられます。でも別に、それが良いとか悪いとか、そういったことを言うつもりは全くありません。と、いうか、そんなことを言う権利はありません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さて、お前は何が言いたいんだ と、そろそろイライラしてきた人も多いかもしれません。すいません(笑) 僕がここで一番言いたいことは、とにかく、消極的な幸せだって、幸せの一つとして、存在していいんだ ということを言いたいのです。先に述べたように、ある程度の年齢を重ねるまでは、積極的な幸せをほぼ全ての人が幸せの定義とします。でも逆に、ある程度の年齢を重ねた後に、その人の先天的な物の考え方と人生経験を掛け合わせた結果、積極的な幸せを幸せとするのか、消極的な幸せを幸せとするのかのどちらかに分かれることが起こり得るのではと思っています。恐らく、それは人によってどちらかが決まるようなものだと思います。ここで注意してもらいたいのは、こういう雰囲気で書いていると、あたかも人生経験が豊富な人は消極的な幸せを重要視できて、積極的な幸せを幸せと思う人は経験が浅い みたいなそういうことが言いたいのか と思う人もいるかもしれませんが、決してそれを言いたいわけではありません。言いたいのは、その人の生まれ持った、生物学的にいえばDNAの配列等により決定される、後天的には変えられない部分により形成されているその人の特性と、もう一つのファクターとして人生経験、その二つが主となって、人によってどちらかに分かれるんだ ということがいいたいのです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>僕は今、消極的な幸せを幸せとする立場にいます。<span style="color:#404040;">消極的な幸せは、言い換えれば、他人にむやみには干渉されにくい状態、さらに言い換えて、心の揺れが少ない状態、心が落ち着いた状態が恒常的である状態</span> ともいえます。ただ、こちらサイドは、明らかにマイノリティです(笑)。それはもう、本当に間違いない。だから苦労が多い。正直、辛いことも多い。他人と関わる中で、自分のこの考えは果たして間違っているのだろうかと、何度考えさせられたことだろう。って感じです。でも今は、もしかしたらまた年齢を重ねて意見が変わるかもしれないですけど、でも少なくとも今は、消極的な幸せを、自分の中では、幸せとして確実に捉えれています。それは、「逃げ」とか、「現実逃避」とかではない。いま、決して自慢したいわけではなく、この意見に少しでも説得力をもたせたいからという一心で紹介してみますが、一応僕は旧帝大の学生ですし、あるメジャーなスポーツで活躍しメダルを数個持っています。だから、積極的な幸せの良さだって、ある程度は分かっているつもりなのです。でも、それでも、消極的な幸せだってそれに匹敵するか、それ以上の幸せとして、存在すると信じています。何回も言っているかもですが、生まれ持った特質と人生経験から、客観的に見て、消極的な幸せを、幸せとしてもいいんだということを、僕は言いたいです。　</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>他人にとやかく言われて、僕がいろいろ考えさせられるような生き方は、もういい加減、疲れてしまいましたよ（笑）</p>
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<link>https://ameblo.jp/ao-neet/entry-12347032332.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Jan 2018 10:36:45 +0900</pubDate>
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<title>ホリエモンの言葉</title>
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<![CDATA[ <div>先週は僕がインフルエンザにかかっていたこともあり、寝てばっかりで時間が無駄だなぁと思っていて、何かできることはないかと考えた結果、YouTubeで公開されている講演を聞くことにしていました。いろんな人の講演を聞けて勉強になったのですが、その中でも心に残ったのが、ホリエモンの言葉でした。別にホリエモンが特に好きとかいう訳ではないのですが、たまたまその言葉だけは好きだなぁと思ったので、紹介してみます。(前置き長すぎですね)</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>と、いう言葉です。みなさんは、どう思いますかね。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>失敗した過去は、一度反省したら、すっかり忘れます。それがコツです。また、未来のことはいくら考えたって予想できません。今は需要がないと思っていることでも、数十年後は需要があるかもしれない。逆のパターンもあるかもしれない。そんなことは誰にも分からない。だから、自分が今、理屈をこねくり回した結果、これを頑張ろうって思ったことがあれば、とりあえずそれを無心に頑張ってみる。それが将来役立つかどうかは別にして。つまり、結果にはこだわらない。でもとりあえず、今を全力で生きてみよう。そういう意味の言葉ですよね。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>僕は今テスト勉強を頑張っています。ただし、授業にほとんど出ていなかったため、理解するのに多大な時間がかかります。テストにももう間に合わないでしょう。でも、そうした気持ちは意識的に消し去ろうと思います。だって、過去に執着しても、仕方ないから。ん？どうせ落単するからもうテス勉なんていいじゃないか？いやいや、結果なんてしらんから。未来なんてしらんから。とりあえず、今を、全力で生きてみます。</div>
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<link>https://ameblo.jp/ao-neet/entry-12346405237.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Jan 2018 00:40:41 +0900</pubDate>
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<title>自己紹介</title>
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<![CDATA[ <div>&nbsp;</div><div>自己紹介を少ししてみようと思います。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>現在は、1年の浪人を経て、とある大学の学生をやっています。ただ学校はあまりいけていません。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>ここらへんはまたおいおい話していこうかな。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>浪人生をやっていた時も、後期からは予備校に行けずに、結局現役生の頃よりも数十点近くセンターの点数は落ちてしまいました。</div><div>自分の貯金も切り崩して、親も生計が苦しい中協力してもらって、寮費も含めると百何十万って払ったのにな。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>基本的に自分は、社会で当たり前と思われていることに対してそう思えないことが多く、他の人と揃った行動を起こせないことが多いです。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>とりあえずはこのくらいにしとこうかな。地獄のテスト期間がはじまるので、とりあえず2月頭まではお勉強がんばります。</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/ao-neet/entry-12345973593.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Jan 2018 13:14:08 +0900</pubDate>
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<title>ブログ始めてみます</title>
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<![CDATA[ <p>初めまして。あおと申します。</p><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>普段は某大学の学生をやっております。<div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>この度ブログたるものを始めてみようと思います。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>普段は日記っぽいものを書いたり、本を読んだらその感想文を書いたりといったことをしていたりするのですが、どうせだったらブログという形で、人に見てもらった方がプラスになることもあるかなと思って、始めてみることにしました。&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>失踪しないようがんばろーう！</div><div>&nbsp;</div></div>
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<link>https://ameblo.jp/ao-neet/entry-12345760866.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Jan 2018 16:30:58 +0900</pubDate>
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