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<title>無神論の唯物論者が占いをするだけ</title>
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<description>哲学みたいなこと言ってます。</description>
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<title>「赤色」の説明ができますか？クオリアのお話。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>最近、飲茶さんの「哲学的な何か、あと科学とか」という本を読んだので、その中にあったお話を取り上げてみたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>多くの人は、心はどこにあるか？と聞かれると、頭を指差すのではないでしょうか。</p><p>ロマンチックな人は左胸を指差すかもしれませんが、しかし、現代では大多数の人が、心……言い換えると"意識"は脳にあると思っているのだと思います。</p><p>やはりわれわれの視点というのは頭にありますし、脳が身体の動きを統御しているのは事実でないとは言えません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>心、意識というのを考えるときに、われわれは「一人の人間には、一つの意識がある」と考えるでしょう。しかし、この考え方を見直す動きがあります。</p><p>われわれが見たり、聞いたり、触れたりしている、『この世界』がありますね。</p><p>この、主観的な認識世界のことを、「クオリア」と呼びます。</p><p>では、『この世界』が、『この世界』である理由とは何なのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>例えでわかりやすいのは色です。</p><p><span style="color:#FF0000;">●</span><span style="color:#000000;">←この色は、私には赤色に見えます。</span></p><p><span style="color:#000000;">ですが、これが他の人にも同じように見えているのかはわかりません。</span></p><p><span style="color:#000000;">もしかしたら、あなたのよく知る友人に同じ</span><span style="color:#FF0000;">●</span><span style="color:#000000;">を見せても、その友人の目にはあなたにとっての</span><span style="color:#0000FF;">●</span><span style="color:#000000;">の色として映っているのかもしれません。</span></p><p><span style="color:#000000;">それは、たとえどれだけ脳科学が発展して、何かを認識しているときに脳がどのように働いているのかをすべて解明できたとしても、こうしたクオリア上の感覚はわかりません。なぜなら、客観的に観測できない事象だからです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#000000;">このクオリアについての話が飲茶さんの本に載っていて、なるほどなあ、と思ったのですが、私はこのお話には聞き覚えがありました。</span></p><p><span style="color:#000000;">昔、ハルヒSSというのを読んでいた時期がありまして。その時期に読んだSSのひとつに、えらく哲学的なお話がありました。</span></p><p><span style="color:#000000;">詳しい話の内容は忘れてしまったのですが、次のようなセリフがあったのを覚えています。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;"><span style="color: rgb(0, 0, 0);">古泉「生まれつき盲目の人に、あなたは</span><span style="color:#FF0000;">赤色</span><span style="color: rgb(0, 0, 0);">を説明できますか？」</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#000000;">私は、このセリフだけがもう7年以上頭に残っています。</span></p><p><span style="color:#000000;">私たちは、生まれてから物心つくまでの間に、たくさんのものを見聞きして、それを知識として取り込んでいきます。その中にはもちろん「色」の情報もあって、たとえば「トマトの色は赤」とか、「りんごの皮の色は赤」とか、そういうことをひとつひとつ知り、その知識から一般的な</span><span style="color:#FF0000;">”赤色”</span><span style="color:#000000;">を把握します。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#000000;">ではあなたは、他人に</span><span style="color:#FF0000;">”赤色”</span><span style="color:#000000;">を説明するときに、どのように説明しますか？</span></p><p><span style="color:#000000;">「りんごの色」「トマトの色」「火の色」「フェラーリの色」</span>「血の色」</p><p>様々に説明できますね。</p><p>でも、これらはすべて、視覚の経験がなければ成り立ちえません。</p><p>りんごを見たことがない人にはりんごの色はわかりません。</p><p>トマトを見たことがない人にはトマトの色はわかりません。</p><p>火も、フェラーリも、血も、見たことがない人にはわかりません。</p><p>&nbsp;</p><p>「暖かい色」などという人がいるかもしれません。</p><p>では、暖かい色というのは何なのでしょうか。</p><p>われわれは、火や血のイメージから、赤に近い色を「暖色」などと呼び表します。</p><p>しかし実際は、アタリマエのことですが、色と温度に相関関係はありません。</p><p>冷やしたトマトは冷たいですし、熱くて青い炎だってあります。</p><p>何より、暖かいものを<span style="font-weight:bold;">見たことがない</span>人にとっては、『暖かい』ということと『色』ということは結びつきえないのではないでしょうか。暖色というのは、それを見たことのある人にしかわからない感覚です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>われわれは、われわれが知覚しているクオリアを他人と共有することはできません。</p><p>正確に言うと、他人が自分と似たクオリアを持っていると<span style="font-weight:bold;">想像する</span>ことは容易いですが、他人のクオリアと自分のクオリアがどの程度同じでどの程度違っているということを<span style="font-weight:bold;">証明する</span>ことは不可能ということです。つまり、自分以外のクオリアについて知り得ない。知りうるのは自分のクオリアのみ。主観でしか判断できない命題です。</p><p>これは最早、客観的な事実を扱わねばならない科学では扱えない命題です。</p><p>&nbsp;</p><p>翻って、どうしてわれわれに、<span style="color:#FF0000;">●</span><span style="color:#404040;">←この色がこの色として見えているのか、説明することはできません。客観的に証明ができなければ、主観的に「こう見えているのだからこう見えているのだ」としか言えなくなってしまいます。これでは理由にはなりません。しかしそうとしか言えないのですから、われわれは沈黙せざるを得なくなってしまいます。</span></p><p>&nbsp;</p><p>『この世界』が、『この世界』である理由とは何なのでしょうか。</p><p>理由なんてありません。『この世界だから、この世界である』のです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>以上のことを踏まえて、このようなことが言えるでしょう。</p><p>そのクオリアを認識しているのは脳だ。その脳こそが意識なのではないのか。</p><p>それは、次のお話とします。</p>
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<link>https://ameblo.jp/aono-atago/entry-12233469343.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Dec 2016 03:05:57 +0900</pubDate>
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<title>神様不必要論の走り</title>
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<![CDATA[ <p>今の時代、TwitterやFacebookの方が自由な情報発信ができて良いと思うのだけど。他から受け取った情報を共有できたりするし。</p><p>でもまあ、私は自分の考えたことを長々と語ってみたいな、と思ったから、時代遅れかもしれないブログに手を出してみるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私は趣味でタロット占いをやっておりまして。</p><p>最近は自分のことをたまーに占う程度なのですが、1年前くらいまでは他の人を占ったりしていました。それがよく当たると言われまして。自慢じゃないけど。Twitterで見ず知らずの人からリプが来たのでそれを占ったら感謝されて、ご飯奢ってもらったこともありました。ああ懐かしい。</p><p>でも今はそれがめんどくさくなっちゃって、めっきりやっていません。占いやってるんやでーって積極的に言うこともなくなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>占いをやっているというと私は神様とか霊感とか信じているのかと思われそうなもんですが、私はそういう存在を信じていません。</p><p>&nbsp;</p><p>この世には素晴らしい占い師さんたちがたくさんいると思います。そういう方々のホームページを見ると、スピリチュアルさムンムンなんですよね。当たり前じゃねえかと思われるかもしれませんが。</p><p>タロットは神様の言葉を代言してるとか、宇宙の神秘なるパワーを受けてスプレッドが導かれるとか、そういう感じの事を皆さんおっしゃるわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>神様がいると信じるのは各人の自由だと思いますが、私には信じる根拠がありません。たとえ私が毎日不幸に見舞われていたとしても、それは神様などという絶対的な存在によって動かされるものではなく、全ての事象が相関し、影響を及ぼし合うことによって物事が動いているのだと思うでしょう。</p><p>その、事象の相関の流れを追ってみた時、その流れを表現する言葉として出てくる言葉が「運命」などと言われるのでしょう。「運命」を動かしているのは他の何者でもなく、そこで動いている実在する存在たち全てです。</p><p>それを神様なんていう絶対的存在が動かしている、といわねばならない理由はあるのでしょうか。私は、無いと思っています。物事の道理を考える時に神様なんて必要ありません。</p><p>それが気持ち悪いと思う人は神様を信じるのでしょうが。</p><p>&nbsp;</p><p>とっても唯物論的ですね。私は唯物論者です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>こんな適当なことをかいていきます。</p><p>神様とか、意識とクオリアについてとか、科学哲学とか、そういうことについて話していけたらなと思います。</p><p>その中で占いについても書いていきましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>上手く論理的な文章をかけたら「論考」みたいな感じにしたいな。</p>
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<link>https://ameblo.jp/aono-atago/entry-12233171735.html</link>
<pubDate>Fri, 30 Dec 2016 02:25:25 +0900</pubDate>
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