<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>青空党のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/aozoratou/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>バンド“青空党”のメンバー４人が、毎日気ままにあんなことやこんなこと、書いていきます！</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>論理について</title>
<description>
<![CDATA[ <p>段々秋が訪れてきました。秋は訪れても他の青空党員は訪れない。そんなさびしいブログを更新しよう。</p><br><p>今日は論理を考えてみたいと思う。</p><p>加藤くんなんかは文章ならまだしも、咄嗟に論理判断ができないという致命的な感性人間だけれども、何故論理がいるかといえば、主に自己の防衛のため、である。</p><br><p>論理は形式だ。あくまで形式であって、根拠を持つ素晴らしい何かではない。論理を守らせる義務はどこにもないし、論理によって他者の生き方や考え方を変えることは出来ない。そういうことがしたいのならば、論理の中身に絶対性が必要になる。だから、論理的に話せば相手を説得できると言う驕りは捨てたほうがいい。</p><br><p>論理は形式であり、この形式は二重に高い防御壁を作る。一つが社会的に認められた形式であるという点。であるから、まずこの形式にのっとることが出来ない人間は排除できる。馬鹿と切り捨てることが出来る。二つ目が、論理は根拠を提示することを求める形式であり、その中身に絶対性は恐らく存在しないという点である。根拠を示すことが出来る類は学問において成熟の糧となるが、それは表層的な問題にしか対応できない。個人の自由や、生き方、生死や平等といった根源的な問題を考えるときに、論理は根拠を求め、問題を解決させない。この二点において、論理は強力な自己の防御壁となりうるのだ。</p><br><p>しかしながら、社会に出てみると、社会的な価値観を援用した論理的ものいいによって、その人格を否定したり、生活を否定したりする試みが多く成されている。</p><p>政治的なイデオロギーもこうした曖昧な根拠にたった思い込みによって作られる。そしてそれを他者に強要しようとする。</p><br><p>もし、加藤くんがイデオロギーの波に襲われてしまったら、彼は簡単にどちらかに靡かざるを得ない。それは彼の論理力が希薄なために、自分を守ることが出来ないからである。こうした人間は環境によって生かされていることになり、個人的ではなく、その個人に力が無い（と私は思う）。</p><br><p>ただ、加藤くんのように感性に生きる人間に利点が無いわけでもない。それは自分の能力に対する悩みが無いということだ。全く自分本位か、環境に対しての悩みはあろうが、社会の中でどのような立ち居地に属すべきなのか、その齟齬や、自己への他者の侵入による悩みが無いだろうと思う。自分がどのようにありたいかをまず論理的にくみ上げ、壁を作り守るということをしないと、問題は時間が解決してしまうのである。</p><br><p>こうして考えてみると、感性的に生きている人間は、圧倒的な包容力を必要とする。なぜならば、他者を自分の領内から追い出す能力を持っていないからである。それは全人類愛という言葉にも変換できる。それもまた一つの良価値であるのかもしれない。</p><br><p>さて、本題は、論理力の無いものに対しての取り扱いである。</p><p>論理と言う形式をきちんと獲得してこなかったものをどうしたらよいか。</p><p>論理は教育課程で学ぶ。学歴が高いほうがその能力も比例して高い。国語や数学といった勉強によって獲得される能力だからだ。</p><p>僕は以前、話がかみ合わない男性とであった（加藤君とはかみ合わないということは無いな。ということは彼は論理力が無いのではなくて、自分がどうであるかを思考することを放棄しているのか）。相手の話を聞かず、思い込みで話をすることですぐに論点がずれる。根拠も無く、変に難しい言葉の回しを行ったり、学者を引いて来るのだった。</p><p>形式において、それは最も簡素であるべきである。それは相手に理解してもらいたいと思うなら当然の配慮ではないだろうか。引用も、要約、自分の捉え方は話すべきである。マルクスとて千差万別の捉え方があるだろう。無理やりにやれば、国粋主義に適応する事だってできるかもしれない。</p><p>論点を維持すると言うのは、針の穴に糸を通すことと似ている。それは点でしかなく、自分の話す順番がきたときに、きちんとそこに通し続けるのは集中力がいるし、難しいことだ。それを怠った時点で、論理と言う形式から外れている。会話とは違うのである。</p><p>さて、このような人物を相手に、私は努力し、約半年、討議を続けた。けれども、意味は無かった。彼が自分の論理能力の欠如を認識することは無かった。それは何故かというと、その精神がそれを認めるのを拒んだことに他ならない。</p><br><p>精神は主観的な防御壁である。自分が傷つかないようにする最後の砦だ。けれども、そこを何度もつつかれるといずれは壊れる。それが現在沢山存在している鬱と呼ばれる病気だ。精神にばかり防御を求めるから、精神が壊れてしまうのである。</p><p>僕はしかし、この男との討議を最終的にさじを投げる形で終えた。そこには私の差別があった。馬鹿であるという烙印を押した。切り捨てる結果となった。</p><p>果たして、差別を良くないと思っている私はどうすればよかったのだろうか。彼にひたすら真摯に語りかけることが必要だったか。そうして彼の精神を一度壊してやることが必要だったか。しかし、それもまた違うように思う。</p><p>恐らく、解決方法は、論理外での理解をしてやるべきだったということになるだろう。けれども、言葉、論理を使わなければ本当の相互理解はありえないために、何となく、分かったふりをすることになる。これは私の性格的に拒否反応が出る。そのため、切り捨てざるを得なかった。</p><br><p>恋愛についてもそうである。理解しあいたいのであれば、言葉、論理を使わなければ鳴らない。以心伝心もあるかもしれないが、許せないものがいつも一致するとは限らない。そこで意見のすりあわせをしなければならないのは関係を維持したいのであれば当然だ。</p><p>けれども一方が論理的でない場合、自分の壁をきちんと提示できない場合、問題は難しくなる。自分が曖昧な状態で君のことを理解したよ、と嘯くか、もしくは切り捨てるかのどちらかになるからだ。</p><br><p>そもそも理解などしなくてもいいのかもしれない。そうした価値観ではない人間づきあいというのも有るのかもしれない。けれども私に限って言えば、そういう付き合い方も論理的に納得しなければ許容できないために矛盾をはらみ、崩壊する。全く厄介だ。</p><br><p>私と加藤くんが仲よくいられるのは、彼が私を否定しないからである。全ての発言に対して、殆どの場合許容する。自分の立場を共用することは無い。僕も彼の領域に無闇には立ち入らない。そういｓた関係があるからこそ、我の無い加藤くんともやっていけるのだと思う。私にとっては最も近しい馬鹿ということになる。稀有だ。</p><br><p>最近人との関係を考えることが多くなった。煩わしいとして孤独でいるのもありだが、やっぱり寂しい。その感情に素直に従って、頭を従わせている。論理を組み立てようとしている。根拠を探っている。しかし、こういうことをしているだけで、僕は死んでしまう気もする。</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/entry-11612674942.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Sep 2013 08:15:38 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>サックスオンザビーチ！</title>
<description>
<![CDATA[ はーい！みなさん！<br>こーんばーんみー！！！<br><br>え？古いって？<br>じゃあもう一回、<br><br><br><br><br><br>アーンパーンマーン！<br>はいこんばんわ。<br>しげっちゃんです。<br><br>私、ただいま日本一周をしております。<br>どんなとこまわってきたのかって？<br>それは、<br>アソアソアアソアソ！ぱみゅぱみゅ！<br>アソアソアアソアソ！！！！ぱみゅぱみゅ！！<br>そうです、阿蘇です。<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130831/18/aozoratou/cb/50/j/o0480036012668126886.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130831/18/aozoratou/cb/50/j/o0480036012668126886.jpg" alt="photo:01" width="300" height="225" border="0"></a></div><br clear="all"><br>こんな感じで、とてつもなく綺麗でした。<br>阿蘇がそうさせたのでしょうか。<br>あの前田もこんな感じになりました。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130831/18/aozoratou/fc/4f/j/o0480048012668126877.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130831/18/aozoratou/fc/4f/j/o0480048012668126877.jpg" alt="photo:02" width="300" height="300" border="0"></a></div><br clear="all"><br><br>アンアンアアンアン！！！！<br>ぱみゅぱみゅ！<br><br>アンパンマンのチーズの鳴き声は？<br>アン！<br>フランス語で1のことは？<br>アン！<br>気持ちいい時に出る声は？<br>アアン!<br>渡辺謙の娘は？<br>アン！<br><br>つなげると？<br><br>アンアンアアンアン！！<br><br>前田がまさかのここで一句！<br><br>あんあんん！！！！！<br>あんんんんんん！！！！！<br>あああんん！！！！<br><br>以上です。<br><br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/entry-11603818934.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Aug 2013 18:16:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>失恋したばかりの男　くにもっとん</title>
<description>
<![CDATA[ <p>あー悲し。いと悲し。伊藤悲し。はい、くにもっとんです。</p><p>あたくし、先ほど失恋しました。いつまでこの未練は続くのか！おーオンリーゴッドウィルノウ！！</p><p>別れたときは逆にすっきりしたんだけど、２時間の浅い眠りがあって、夢が彼女のことばかりで、僕の深層心理！！！ってフロイトなみに驚いた今日この頃。</p><p>しかしながら僕の表層心理はまだまだ防衛反応が出ていて、実際あんまり現実感が無い。ちょっと経緯を書いてみようかな。</p><br><p>出会いはネット同人誌でのオフ会！ネットに小説を投稿していて、その仲間内で集まった。そこにいたのが彼女で、なーんかあれよあれよと付き合った。</p><p>文学少女ってのと、見た目が好きだった。で、話してみたら年下だし、メールしてても可愛くて、どんどん好きになった。けれども、結局メールが原因で分かれた。どうでもいいと思いつつ、ちょっと聞いてくれよLady！</p><br><p>知り合ってからは一年くらい経ってて、付き合ってから３ヶ月でした。家に遊びに来たときはとっても楽しかったし、童貞も卒業させてもらえて感謝している！</p><p>けれど、付き合ってから急に苛々することが多くなった。この原因がメールのやり取り。</p><br><p>僕が予想しているやり取りがあって、それを思いながらメールを打つと、その十倍薄い返事が来る。そもそもメールが嫌いなのか返事すら来ないこともあった。これは僕のメールがつまらないのか？僕の予想がおかしいのか？何度も友人に確認を取りました。でも、やっぱり相手への不信感のみが残るのです。</p><p>僕がこれまで培ってきたメールのいろはが何も通じないってことはまあ、ショックではあったんですが、何より、これって好きな相手にする態度？っていう感覚が最後まで抜けなかった。４回くらい別れ話のような形で確認したが、それもみじめだった。僕はプライドが高いのに。ねぇ、僕のこと好きなの？って聞くことの苦痛よ！分かってくれるじゃろか。</p><br><p>けれども人の性質なんぞ変わるもんではなくって、月一回は聞かなきゃいけないくらい僕は不安になった。遠距離で毎日あえるわけじゃない。唯一の連絡手段のメールで素っ気無い。電話嫌いだし、あの子。それが何で毎回俺からお伺いを立てなきゃいけないんだっていうストレスに代わって言ったんですねーいつの間にやら。</p><br><p>僕らは何の共通の背景も持っていなくて、会ったのも４回くらいで、結局お互いの中身を知る前に限界が着ちゃったんだろうと思いますね。あの子は実際はこうだから、メールも素っ気無い、とか。僕はこうだから、そういうのを求めるし、こういう彼女像を持っているんだ、とか。そういうのが共有できなかった。別れるその最後まで、彼女が感情的にものを言うのが聞けなかったなあ。僕の言うことを全部丸飲みで分かりました別れましょうなんてさ。反発して欲しかったんだけど。まあ、そういうところがずれてたんだろうね。</p><br><p>原因はもうそれだけ！メールのやり取りだけで別れるって滑稽でしょう？でも結構辛かったんですよね。僕の女はこうあるべきだっていう、ゲゲゲの女房的な像から外れてしまった彼女を受け止められませんでした。</p><br><p>来週辺り家にある彼女の荷物を全部送り返して、それで綺麗さっぱりひと夏の恋は終わり。</p><p>僕はまた泥沼のロンリーライフを過ごすのでしょう。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/entry-11598617803.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Aug 2013 02:14:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ビリーズおならブートキャンプ</title>
<description>
<![CDATA[ 帰ってきたぜ、安藤です<br>もうこの地を踏むことはないかと思っていました。くにもっとんの密かな営みにより再び集まったのです僕ら。やっぱり行動って大切ですねぇ<br>夏の夜空の下、僕ら、またひっそりと結集しました。<br>そろそろ改名の時期かもしれません、夜空党に。<br><br>さてこのブログを離れて1年半、安藤に何があったかを皆様に知ってもらう必要があるかもしれません。いやはや一年半という長い時間、そんな簡単に伝えることはできないでしょう、しかし1つずつ伝えていこうではありませんか<br><br>まず、そうですね、ええ、安藤留年いたしました。いや留年と言うと聞こえがよくないですね、こう言うことにしましょう、<br>ただ自然に身を任せ流れていく人生に疑問を感じたのさ、一度立ち止まってみよう、世界はどう見えるのだろう。<br>だから歩みを止めたのさ、その答えを知るために。<br>かっこいい…<br>惚れました、男の中の男ですよ、安藤という男は。<br><br>はあ、<br>しかしですね、<br>前田くんや国本君が就職先を決めている中、一体僕は何をしているのだろう。<br>やっぱり不安です、僕。<br>留年してから色々と考えるわけです、人知れず。<br>青空党のみんなには言っていませんが<br><br>あ、そうでした、僕の空白の1年半を皆さんに伝えている最中でした。<br>いけませんね、年を取るとすぐに脱線してしまいます。<br>ん？お前は学年まで脱線しているただろ、って？  やかましいわ、人知れずへこんどるんじゃ<br>で、他に何があったかというと、<br>えーっと<br>うん<br>びよぴよ<br>わんわん<br>うん<br>何もありませんでした<br>驚きました僕留年しただけでした。<br><br>悔しいです<br><br>たけを<br><br><br>みんなが社会に出ていく中僕も変わらなくてはいけないのかもしれません、それとも青空党のガラパゴス安藤として生きていくのか、いやガラパゴスといえば最強のガラパゴス加藤がいました、チームガラパゴスなのでしょうか僕らは。そのような疑問もおいおい考えていきたいですね<br><br>まあなにがともあれこのメンバーとは、本当にたくさんの時間を過ごしたからでしょうか、気が合うからなのでしょうか、分からないですが本当に居心地がいいのです。なんだか落ち着くなあ、いいなあ、といつも思っているのです、みんなにはいっていないのですが。<br><br><br>さて、愛を再確認したところでだんだん眠くなってきました。<br>青空党イチのスリーパー安藤がこんな時間まで起きていていいはずがありましょうか、いいえ、ありません。<br>反語的な高尚な表現がすらりと出るあたりさすがは最高学府です、惚れました。<br>てなわけで、青空党ブログ、今度こそ始まります！<br><br>それでは皆さん、お休みピーヤ<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/entry-11597970453.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Aug 2013 02:34:31 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>心の底からおっぱっぴー</title>
<description>
<![CDATA[ <p>お久しぶりでございます。</p><p>前田です。</p><br><p>くにもっとんが書いてくれていたように、無事進路も決まり、昨年の今頃の自分が知ったらさぞ安堵することだろうと思います。</p><br><p>懐かしいなあ。フィリピンで勉強したこと、オーストラリアで勉強したこと。</p><p>半年という短い期間ではあったけど、自分に影響を大きく与えてくれた半年だったなぁと。</p><p>くにもっとんいわく、性格が変わったと。</p><p>強くなった、たくましくなったとのお声をいただきました。</p><p>これは、自分にとってかなり嬉しい変化で、というのもずっと弱々しく、人に対してうわべを取り繕いまくる自分の性格があんまり好きではなかったからです。もちろんこういった部分が完全に消えたわけではないです。</p><p>でも留学から帰ってきて、友人から言われた一番嬉しかった一言だったかもしれません。</p><p>くにもにはいってないけど笑</p><br><p>あんどんとの帰国後の再会も、それはそれは感動的なものでした。</p><p>50メートル先にお互いを見つけるやいなや、走り出す僕たち。</p><p>かたい抱擁の後に聞いた、お帰りの一言にはうるっと来るものがありました。</p><p>おかえり、の後に自然と出るただいま。</p><p>こんな関係いいなぁとその時思いました。</p><p>これもあんどんにはいってないけど笑</p><br><p>なんか久しぶりということで、ちと真面目になりましたが、</p><p>復活します青空党ブログ！</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/entry-11597952423.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Aug 2013 01:44:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>恋愛について考えてみた　くにもっとん</title>
<description>
<![CDATA[ <p>今日は少し恋愛について考えたい。</p><p>僕は今遠距離なのだが、この恋愛は幸福など殆ど無く、不安ばかりで、早く別れたいという思いを当初から持ち続けている、少し普通ではない恋愛だ。</p><p>だからとは言え、恋愛というものを考えることはできるために、少し語ってみたい。</p><br><p>まず恋愛は感情で行われる。左脳など使わない。何故好きになるのか、ということを言葉で説明することはできない。優しいとか、気が楽だとか、そういったことを理由に挙げる場合もあるが、大してそれは的を得ない。何故なら優しい人間は五万とおり、気が楽な相手も数多くいるだろうからである。ただ、我々が恋愛の魔力に囚われると、その相手が最善、最高のそれを持っていると勘違いするようになる。それが周知の如く扱われることから、単によりよい相手を見つけた場合においても、浮気という不名誉なレッテルが貼られてしまう。</p><br><p>僕の場合も、そもそも性格が不一致であることは頭で理解しているし、興味の分野も異なる。さらには共通の話題も無く、別段顔が好きなわけでもない、といった相手であるのを重々承知の上で、尚、好きという気持ちがあることは否めない。同時にそれは相手にとっても自分なんかよりも遥かにましな人間がいるではないか、という不安の種にもなる。僕はそもそも合理主義者であるために、このような曖昧で根拠のない類の感情を排除したいと考えるし、毛嫌いしているのだが、結局僕は分かれることができず、ぐだぐだと不安と戦っている。この現状をどうしたらよいか、と悩んでばかりだ。</p><br><p>愛だの恋だのは哲学でも扱われてきたテーマで、色々と議論はある。加藤氏などは愛を全面的に肯定しており、そのような不安もまた一興などと言うかもしれない。けれども、僕としてはそのような根拠の無い、つまり下らないことで悩んでいることが馬鹿らしくてたまらないのである。</p><br><p>感情と言うものは信用がならない。感情は環境に起因するし、自分自身把握できないものであるからだ。例えば東野圭吾の手紙では主人公の兄が殺人事件を犯し、彼には殺人者の息子としてのレッテルを貼られる。当時の彼女はそれを知り、動揺する。両親と上手くいっていなかった彼女は、両親が彼との結婚に反対したために寧ろ結婚を強く意識するという描写がある。これは現実でもよく起きうるだろう。彼女でなくてはだめだ、という一見固く見える意思は、結局その環境が無くなればすぐさま費えてしまうものだ。例えば脱獄を共謀するカップルがその計画を遂行している間は強く惹かれあうのに、脱獄ができてしまうと冷めてしまうというのもどこかで聞いた。つまり、今感じている愛は幻影である場合が非常に高い。それは確信であるように見えるが、決して確信ではない。自身の感情を現在はまだしも、未来まで予測出来ることなどできはしない。</p><br><p>そうした曖昧さの上に立つ愛だの恋だのに対して、どうして人は惑わされるか。惑わされることによって時には物が手につかなくなり、思考もできなくなる。それを行って得られる対価は良く考えるとちっぽけなものだし、永続するものではない。結婚と言う足かせは、こうした不安を取り除く働きのために生まれたのであろうと思う。結婚しておけば、取りあえず夫婦という関係を保つことはできるからだ。</p><br><p>けれどもここで僕が思うのが、心が他者に向けられている状態で、尚付き合っていることにどれだけの価値があるか、だ。僕は特別プライドが高いために、そのような状態なら何にも気兼ねなく別れたほうがいいと思う。自分よりも優れた異性が現れたらそちらに惹かれるのは筋だ。自然である。そして結婚などは個人の自由に何の効力も無く、良心の呵責などありえない。僕が違う異性に惹かれたら迷わず浮気をするだろう。</p><br><p>この部分で、自分が全ての人間よりも優れている箇所がなくては、常に浮気の可能性をはらんでいるという考えに行き着く。つまり、自分がしっかりしていなければ、愛はありえない、ということだ。感情の可能性を廃し、徹底的に合理化し、左脳で考えた行き着く先は、生物学的に、他者を選ぶことがありえない上体でなければ、愛は成立しないということではないだろうか。</p><br><p>感情的な愛は信用なら無いことは先ほど示した。そのような曖昧さに浸ることができる人間はその次元でとまればいい。そのほうが幸せだ。一つの恋に一喜一憂し、それを繰り返しながら妥協点を探ればよい。しかし、僕はそうではない。愛だの恋だのといったものは、先に書いたように面倒で非効率的なものだ。そのようなものに時間やお金をかけるくらいならば自分に使ったほうが良い。にもかかわらず、愛や恋をしたいということであるならば、自分が全人類の頂点に立つ分野を作らなくてはならない。ここまで理解できるだろうか。</p><br><p>僕は「僕は君が好きだ」「私もよ」みたいなことを言い合うカップルを馬鹿にしていた。けれども、それは賢い選択だった。頂点に立っていない状態で、それでもセックスがしたい、人恋しいという理由で付き合った場合には、常に浮気にさらされ、プライドを傷つけられる可能性がある。それをすぐに察知するために、そのような意思確認は重要なのである。「僕は君が好きだ」に納得の行く返答が無かったとき、それはもう終わりのときである。その瞬間を馬鹿みたいに上のようなことを言い合うことでタイミングを外すことなく認識できる。</p><br><p>現代は男と女が平等になり、女も十分浮気ができるようになった。それは素晴らしいことだ。よりよい遺伝子が後世に残っていく。けれども、心の分野では悪しき事態だ。嫉妬と憎悪、悔恨が渦を巻く時代になった。結論として、僕は恋愛をお勧めしない。一生貞操を守っていたほうがどれだけよいか。空想の異性を愛し続け、性欲は霊交渉によって満たせばいい。そのような人生のどこに不安や悲しみがあるか。あるとすれば他人と比較をした場合だが、そんなものは下らない。意味が無いものである。その個において最も幸せなのは、恋愛、および感情から遠ざかることだ。僕はかねがね自分の感情がなくなってしまえばいいと思っていた。そうであれば、僕はどれだけ有意義な人材になるだろう、と夢想してきた。今回僕が付き合ってみて、得られたものはその確信の強さのみだった。それは感謝に値しよう。</p><br><p>さて、いかにして今の彼女を好きだ、という気持ちを捨て去るか。これが今僕の最も悩ましい問題である。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/entry-11596770752.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Aug 2013 10:14:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>小説家になりたと思っているだけの男、くにもっとん</title>
<description>
<![CDATA[ <p>誰も見ていないからこそ、こっそりと書く、朝の暇な時間にはようゴザンス。</p><p>青空党がバンドを解散して、それぞれがそれぞれの道に歩き出したのはいつか書いたとおり。それからもう一年半？が経とうとし、ああ、ああいう時代もまた、学生の時分における特有の熱中で、もはや、あの嫌々ながらにやっていたバンドというようなものも二度と戻らないのだろう、という感慨が打ち寄せる。</p><p>加藤君は変わらず一人で活動を続けている。けれども端から見ていて、３０代無職独身コースを突き進んでいる。別にそれも一興だが、親しいともがそのようになっていくのを楽しく見ていられるわけもなく、半年ほど前まではよく口うるさく言っていたのだが、暖簾ほどの手ごたえも無かったためにやめにした。それと平行して私たち前田とくにもっとんは就職活動に入り、その現実の砂塵が、相対的に加藤氏の立ち居地を嫉妬と言う形で私たちの中に出来上がらせた。そしてそれは、青空党というものを形骸化させてしまう。</p><p>あんどんは変わらずオケに夢中だが、一年の留年が決まり、今年の冬でそれを終えるらしい。彼からオケを取り去ってしまったら、どんな人生になるのか誰しも皆目見当がつかない。彼にも一つ現実の砂塵が叩きつけられた格好だ。</p><p>前田さんは希望していた商社という業界に入ることができ、彼女とも案外上手く言っているよう。彼が門いくびに振られたときからかれこれ１０年近く経つ。我々ももう２３歳である。すぐに付き合って別れるというイメージであった前田さんも今回は３年？ほど続いている。口にするのは結婚と言う言葉で、ああ、盲僕たちはそのような年なのだ、と感慨よりは寧ろ口惜しさが勝る。やがて彼らにも子供ができ、そして私もその子供を見て、あまり上手くない微笑を見せねばなるまいか、と憂鬱でもある。</p><p>私と言えば変わり映えもなく小説家になりたい、とだけ言っている。もはやなりたくもないのかもしれない。それすらも分からなくなっている。自分が緩やかな流れに従って、ゆらゆらと浮いている自覚はあるが、その怠惰な心地よさから中々抜け出ることはできない。就職も行きたくはないと言いつつも決まり、彼女も何だかんだでできた。しかし、よく加藤氏と話していた愛だの恋だのといったものが、人生において最も強く幸福を与えるというのはやはり違った。そうしたものは所詮は表層的であって、裏切りの可能性があること、まったく二つの布は融和しないのだと言うことを常に不安と言う形で考えざるを得ないものだ。結局、個なる自分自身がいかに堅固であるか、というところに掛かっていて、私自身そんなようなものだから、いつまで経っても不安は消えず、幸福な世間には馴染めない。</p><p>さて、こうして書いて、やはり問題は青空党が形骸化したことだ。加藤氏が悠長に構えているから、我々としても気に触ってしまう。就職活動はそういう力がある。人の心を狭くする。彼に変われと言うのも、まあ彼のためということなら別だが、青空党のために、ということにはならないだろう。青空党は僕と前ださんのものではないし、加藤氏のものでも、あんどんのものでもない。総和して、融解した個々によって成り立つものだ。であるからして、やはり皆で集まるべきだろうと思うが、既に集まる気も機もないのだから、仕様が無い。こうして一つ強固に見えた繋がりも簡単に消えうせるのか、と思うとさびしくはあるが、１０年という月日では、人間一枚の布になることはできないのかもしれない。</p><br><p>また、ここに部ログが再開されればよいと願いつつ、僕は汐留に向かう。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/entry-11595401300.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Aug 2013 07:43:19 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>こんばんふぁ。かとうんこ☆</title>
<description>
<![CDATA[ <p>やあやあ、おひさしぶりぶり、さんまの照り焼き。ゆうごかとうです。 </p><br><p>くにもっとんという男はいつも思いつきで行動する男なので、このブログ再開も彼の思いつきでいつまで続くか分かりませんが、まあ、バンドの宣伝という意味も込められていたためにあまりはっちゃける訳にいかなかった昔と違い今は自由なので、もうかきたい放題ヤり放題、気軽に書いて行けたらなあと思っております。</p><br><p>簡単にくにもが僕らの近況を報告してくれましたが、やっぱ安藤たけひろ君はオチに使われちゃうんだね。</p><p>最初の3人、「へえ、頑張ってるんだ」的な感じで続いてきて、もうひとりの安藤はどんだけ頑張ってんだろという期待とリア充（うそつけ）への反感が高まったところでの「安藤君は留年しました」。これで一気に全国のお茶の間が（オナの間にいる君も！）和みましたね。</p><br><p>不動のオチ要員、安藤。</p><br><p>不動のチチ要員、シゲキ。</p><br><p>なんてね！（意味が分からんという人は過去のブログを今すぐチェックだ！！）</p><br><br><p>～秋のひとこま～</p><br><p>ある秋晴れの昼下がり、僕が大学の塀に沿った道を歩いていると、前方にある、大学の敷地からふさふさした枝と葉っぱが沿道の上にはみ出している木から、ドングリがたくさん、きらりとオレンジの陽光を跳ね返しながらバラバラと音をたてて沿道に落ちるところが見えました。それがとても印象的で美しいと感じたので、ちょっと書いてみます。</p><p>何と言うか、毛のふさふさした大型犬が、水浴びの後に体をふるふるして水滴をまき散らすような、生命の躍動に溢れた爽快感を感じたというか。</p><p>木というのは、命なんだなぁと、谷川俊太郎ばりの感性で感じましたね。（怒られそうだぜ）</p><p>木が根を張っている土もまた命。</p><p>土の栄養を作っている虫や微生物たちもまた命。</p><p>そういうすべてを抱え込んでいる地球そのものがひとつの命であり、木の身ぶるいは地球の身ぶるいなのだと、それによってドングリがぽろぽろ地球の肌から溢れだしたんだと。</p><p>そんなような勝手気ままなイメージも、僕はもった訳です。</p><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ゆごを</p><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/entry-11392467251.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Oct 2012 16:52:12 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>こんばんみ。くにもっとん☆</title>
<description>
<![CDATA[ <p>やあやあ。お久しぶりです。青空党第一書記の、くにもっとんです。</p><p>青空党バンドが解散して約８か月。ここに、青空党ブログ復活を宣言いたしますお！！</p><p>このブログを生命の糧にしていてくれていた皆さん。歓喜の雨嵐ありがとう！</p><p>この８か月の間、いろいろありました。改めた自己紹介も含めて、ここに書き起こしておこうと思います。</p><br><p>まず僕、くにもっとんは、バンドをやめ、波はありながらも執筆をつづけています。中々自己満足のオナヌー小説から抜け出せない日々が続きましたが、それでもがんばっています。僕が一番変化がないかもしれません。</p><br><p>次に加藤くんは、ソロに転向し、粛々とライブを重ねています。最近では東大のサークルで知り合った友人とバンドを結成し、１１月２８日には、初めてのワンマンライブを決行する予定です。猪突猛進。デビューに向かって走っています。</p><br><p>前田くんは、自身の精神を鍛え上げるために、フィリピンに３か月。現在はオーストラリア２か月目です。フィリピンでは無口な女性教員を口説いていたそうです。何をしにいったんだろうか。</p><p>それでも少しずつたくましくなっていく彼を見るのは、どこかうれしく、どこかさびしい気持ちです。</p><br><p>安藤くんは、留年が決定しました。それなのに、相も変わらず、授業を寝坊でさぼっている始末。彼は無事卒業できるのでしょうか。来年も三年生です。</p><p>バンドが解散してから彼にはあっていないので、どうなっているのか。おそらく変わっていないと思われます。</p><br><p>このメンツに、あたらしく入ったのが、岩崎かっぴーさん。東京芸大の４年生で、そのまま芸大の院に進むことも決まったフルート吹きエリートです。紅一点、このむさくるしく、未来のあまり明るくない我々青空党に参加していただいてありがとうございあす！彼女もなかなかの玉です。</p><br><p>変わったっちゃあ変わった僕たちですが、変わってないっちゃあ、変わってない。</p><br><p>さて、安藤とかっぴーを除く三人がこれから進むのは、就職、そして社会の荒波です。</p><p>その現実がどうしても僕達の眼前で波しぶきを立てるのですが、それに立ち向かっていくのが青空党。目を背けるのが青空党です。このブログでみんなの状況とか、悩みとかが垣間見えるかもしれませんね。</p><p>社会不適合者たちが、どれだけ幸せに生きていけるのかをお伝えできればいいなあ、と思っています。</p><br><br><p>儚くも</p><p>　もみぢ散りゆく</p><p>　　夕べかな</p><p>　　　　　　襟立てた手の</p><p>　　　　　　　冷たく　痛きこと</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　くにを</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/entry-11392335713.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Oct 2012 13:18:44 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>青空党の心機一転　くにもっとん</title>
<description>
<![CDATA[ <p>青空党はバンドとして活動してきましたが、わたくしくにもっとんが辞めることになり、その他いろいろな状況もありまして、２月で一度区切りをつけることになりました。そんなこともあって青空党は今、生まれ変わろうとしています。</p><br><p>本来青空党という名前は中学時代、仲良し友達サークルのようなものとして誕生しました。</p><p>特に音楽に縛られたものではなく、河川敷で遊び、学校を騒がせ、時に語らう、そういう自由なニュアンスのものでした。言ってみればこの上なく自由な、かつ平和的な概念を青空党という名前は持っていたのです。</p><br><p>しかし、僕たちは高校に上がり、加藤氏の夢である音楽、というものに互いに同舟でのめりこんでいったのです。（これは今になるまで続きました）</p><p>そして徐々に青空党は音楽、バンドと結び付けられ、その自由度を狭めていったのです。</p><p>そこで音楽の方向性とずれたがために、疎外感を与えてしまう人が現れたこともしばしばでした。</p><br><p>しかし、僕自身がその舟から降りざるを得ない心境に至り、青空党もその狭義の意味から開放されることになりました。</p><br><p>僕たちは青空党を、「芸術創造集団」として新しい定義を与えることにしました。</p><p>まあ、一つのサークルです。</p><p>各個人がやりたいことをいい、それに賛同するひとが力を合わせて一つの作品、活動を成し遂げていく、その出会いを、繋がりをつくる場として、青空党は再び旗を揚げます。</p><br><p>同人誌、「青空党」も廃刊していく予定です。文化が幾分廃れてしまったこの日本社会に於いて、どうにかもう一度文化が現実を覆い隠してしまうような活気を取り戻したいと密かに思っています。そのために青空党がその先陣を切っていってくれたら、と期待をもっています。</p><br><p>もう一度繰り返しますが、青空党は本来、この上なく自由で、平和な集まりです。このために、誰でも青空党に入っていただいて構いません。ただし、何かしら自分の主張できる、自信のある分野が必要です。その欠片を見つけただけでも全然OKです。他や、風潮に惑わされず、自分の確固としたものに努力を向ける人なら、誰でも、ぜひとも、青空党に参加してください。</p><br><p>同人誌はひとつの大きな機会です。粗末なものになると思いますが、それが配られ、誰かの目にとまることがあるというのは、かなり大きなことだと思います。うちに秘めていることを言いたいなら、同人誌は格好の媒体です。</p><br><p>基本的にはゆるいサークルだと思ってください。楽しいことなら何でもやります。芸術と分かりやすい言葉を使いましたが、芸術なんてものは定義できません。心から楽しいと思えることをやる、それが青空党です。</p><br><p>ここには紹介として駄文を伸させていただきました。興味のある方は、バンドメンバーに声をかけてみてくださいね。</p><br><br><br><p>うっひょー燃えてきた。熱いぜ、バーニングッ！！！</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/aozoratou/entry-11085113014.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Nov 2011 16:43:16 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
