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<description>猫背です</description>
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<title>mb&amp;v</title>
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<![CDATA[ あの<div><br></div><div>あれが</div><div><br></div><div>うん</div><div><br></div><div>それ</div>
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<link>https://ameblo.jp/apathy-stppr/entry-12203704815.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Sep 2016 11:19:27 +0900</pubDate>
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<title>見ない</title>
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<![CDATA[ 僕はSNSが好きだ。<div>だから割とよく見ている方だと思う。</div><div><br></div><div>最初に始めたSNSであるmixiは1年と経たずに退会したが、</div><div>その後に始めたTwitterはかれこれ5年間ほぼ間を空ける事なく続けているし、</div><div>他にもアメブロ、Instagram、Facebook、Ask.fm、LINEといった主要SNSは殆どアカウントを所持している。し、ほぼ毎日欠かさずTLをチェックしている。</div><div><br></div><div>見ていて思うのが、TLにいる人間たちの日常が、ポストを見ているだけでかなり把握できるいうことだ。</div><div>僕はそもそも人に自分のプライベートを全て把握されるのが本当に嫌な人間なので、SNSにそうした事の書き込みはあまりしたくないタイプだ。</div><div><br></div><div>だからTwitterには「今自分がどこで何をしているのか」が分かるツイートは意図的に殆どしないようにしているし、その他のSNSなんかにももちろん載せていない。</div><div>ブログにも、自分の日常を赤裸々に綴ったようないわゆる日記らしい日記は殆ど書いた試しがない。自分の心情を完全にインターネットに投げてしまうのも得意ではない。</div><div><br></div><div><br></div><div>多分これは、僕が自分のプライベートを人に曝け出すのが極端に苦手な人間であることに起因していると思う。</div><div>対面で人と話していてもそうだ。</div><div>世の中には自分のことを語りたがる人もいるけれど、僕はそういったことが極端に苦手で、</div><div>家庭事情はもちろん、普段の自分の日常や、自分の過去についても必要以上に語るのは何だか苦手なのだ。</div><div><br></div><div>こうして考えると、僕がとてつもなく卑屈で内向的な人間だということが分かってくる。</div><div>人生のある程度のところまでは自分の家庭事情などを話すことを厭う事もなかったのだが、何せそういうのを話すのが苦手だから上手く話せないのだ。</div><div>分かってもらえないのならじゃあ別に言わなくても良いのではないか、と思ってしまうのである。</div><div><br></div><div>だから、僕が「どういう人間なのか」について知っている人間なんて、この世にほんの一握りしかいないと思う。</div><div>というか、僕が本当は「どういう人間なのか」なんて別にみんなそこまで興味がないんじゃないかと思うのだ。そんなに僕自身に興味がある人なんていないんじゃないかと思うのだ。</div><div>そして、もし言わずに済むのならその方が、今後自分の身も振りやすいのでは、と思ってしまう。</div><div>人生を20年そんな感じで送ってきたので、そんなことを深く話さずとも人と交流することに慣れてしまったようだ。</div><div><br></div><div>ただ、そうやって生きてきた結果、もはや僕自身が「どういう人間なのか」を見失っている気がする。</div><div>僕は基本的には自分の事が大嫌いな人間なんだと思う。でも、だから自己否定した瞬間に死んでしまうから、多分すぐに自己擁護に走る。</div><div>自己擁護に走ると結果的に排他的になり、他人を嫌いになる。そんな悪循環を常に生み出しながら、反面では自分が誰なのかというのを封じ込めて生きているんだと思う。</div><div>たぶんそんな惨めな人なんだと思う。</div><div>たぶん。</div><div><br></div><div>だから僕は、自分の全てをネットに垂れ流せる人たちのことは好きになれないけれど、その反面で、すごく尊敬している。</div>
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<link>https://ameblo.jp/apathy-stppr/entry-12141773555.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Mar 2016 02:11:58 +0900</pubDate>
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<title>すごくどうでもよくない(仮称)</title>
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<![CDATA[ すごくどうでもいい話があるとする。<br><br>その話はすごくどうでもいい。<br><br>そのどうでもいい話を、この場で仮に「すごくどうでもよくない(仮称)」(以下：すごくどうでもよくない)と名付けてみることにする。<br><br>そして、この「すごくどうでもよくない」の対極に位置するのが、とても実のある面白い話、である。<br>この、とても実のある面白い話を、この場では仮に「すごくどうでもいい(仮称)」(以下：すごくどうでもいい)と名付けてみることにする。<br><br><br>人々はすごくどうでもいいが好きであり、すごくどうでもいいを求めて基本的には人との対話をする。<br>すごくどうでもいい話のフリなどにすごくどうでもよくないは使われることが多い。<br>すごくどうでもよくないはとってもどうでもいい。<br>どうでもよさがゆえのすごくどうでもよくないなのだ。<br>すごくどうでもいいはとってもどうでもよくない。<br>どうでもよくなさがゆえのすごくどうでもいいなのだ。<br>そう考えると、日々の暮らしの8割くらいは大体すごくどうでもよくないな気がしてくる。<br>人間、そんなどうでもよくないことばかり考えて生きているわけにもいかないし、<br>大体そんなにどうでもよくないことばかりの暮らしをしている人の方が少ない。だからみんなすごくどうでもよくないをしがちなのだ。<br><br>どうだろう。<br>すごくどうでもよくないもさほどどうでもよくなくなくないことないだろうか？<br><br><br><br>僕はすごくどうでもよくないもさほどどうでもよくなくなくないこともないことではなくないと思うかもしれないかもしれなくなくない。<br><br><br><br><br>どうだろう？<br>これこそまさに「すごくどうでもよくない」だ。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/apathy-stppr/entry-12098549186.html</link>
<pubDate>Mon, 23 Nov 2015 00:44:21 +0900</pubDate>
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<title>それでいいんじゃない</title>
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<![CDATA[ <br>「それでいいんじゃない」という言葉がある。<br><br>言い方によっては、こいつは<br>「好意的な同意」にも<br>「妥協的な同意」にも<br>「強烈な否定」にも<br>なりうる。<br><br>口角を上げて「それでいいんじゃない？」<br>といえば、それはかなり好意的な同意だ。<br><br>苦笑いしながら「まあ、それでいいんじゃない…」<br>といえば、それはかなり妥協的な同意だ。<br>下手をすれば同意でもなくなるような微妙なニュアンスを演出できる。<br><br>目を見開いて「それでいい、んじゃない！！」<br>と怒鳴りつければ、「それでよいわけがあるだろうか、否、よいわけがない」という強烈な否定になる。<br><br><br><br>考えてみれば、人間なんてそんなものだ。<br>同じ人の同じ言葉でも、時と場合や、相手の思考によって、<br>様々にそれは化けうるわけであり、様々な捉え方が可能になってしまう。<br><br>人をどう捉えるかなんて、それはそのコミュニティ次第であり、<br>そこにいる人が同じ人であっても、コミュニティAの人とコミュニティBの人でその人の話をした時になんだか話が合わない、というのはそう考えれば別段不思議な話ではない。<br><br>その本や言葉をどう捉えるかなんて、それはその読者次第であり、<br>そこにある言葉が同じ言葉であっても、はるか先の黒板の前で偉そうに喋っているハゲの教授と自分ではなんだか話が合わない、というのはそう考えれば別段不思議な話ではない。<br>まあ、自分が授業に出ていなければある意味でもっと不思議な話ではなくなるが。<br><br><br><br>まあ、なんだろう。<br>なんというか。<br><br><br>それでいいんじゃない。
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<link>https://ameblo.jp/apathy-stppr/entry-12096778134.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Nov 2015 00:52:15 +0900</pubDate>
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<title>昔話</title>
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<![CDATA[ 僕は大学に入学する直前の3月、浪人をするか非常に悩んだ。<div><br></div><div>僕は元々四谷にある某大学に行きたかった。</div><div>僕は受験勉強を始める前の高3の4月時点で本当に英語の偏差値が35やそこらしかなく、とりあえず英語力を伸ばせるところまで伸ばすために英語が最難関と言われている大学を第一志望に掲げたのだ。</div><div>とはいえ、そんな英語力のやつがこの大学を第一志望に掲げるのはちゃんちゃらおかしいと思い、僕は非常に「密かに」この某大学を第一志望に掲げた。</div><div><br></div><div><br></div><div>結果から言うと、この大学には補欠となって落ちた。</div><div>あと約2問正解が足らなかった。</div><div><br></div><div><br></div><div>そして、今通っているお茶の水の某大学に行くことにした。</div><div><br></div><div>だが、この大学に進むかは非常に迷った。</div><div>もしかしたら浪人したら早慶も狙えるのではないか、と思ったし、</div><div>四谷のそれに補欠でギリギリ落ちたのが本当に悔しかった。</div><div>あと、僕を悩ませたのは大学の立地だ。</div><div>僕は三鷹に住んでいる。つまり、四谷であろうとお茶の水であろうと通学には中央線を使うことになる。</div><div>そして、お茶の水というのは三鷹方面から見れば四谷の一駅先の駅なのである。</div><div>つまり、(正確に言うと大学3年に上がってから)毎日のように補欠で落とされた大学の横顔を眺めながら通学しなければならなくなるのだ。</div><div>すごく小さなことのように思われるかもしれないが、当時の僕はこれに非常に苦悩した。</div><div><br></div><div>だが、結局は親の「好きにすればいいけど、まあもういいんじゃない？」という言葉による後押し(なのかよく分からない何か)と、浪人を選択した場合の親への金銭的な依存を考え、現在の大学に進学するという選択をした。</div><div><br></div><div><br></div><div>学歴コンプレックスがないかといえばそれは嘘だ。</div><div>僕は早稲田大学のサークルに入っているため、友人や知人に早大生がかなり多い。そのために大学1年の頃はこのコンプレックスを刺激される事も多く、学歴の差を気にしていた時期も割に長くあった。2年経った今でこそ慣れ切ったが。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>でも、なんだかんだ今ある生活で良かったのではないかという風に最近は考えている。</div><div><br></div><div>それは、ここで「大学に落ちる」という挫折を経験した事は自分にとって割と良いことだったのではないか、と思うからだ。</div><div><br></div><div>僕はここで大学に落ちるまで、人生であまり大きな挫折をしたことがなかった。</div><div>僕は一人っ子である為に幼少期は大した我慢もせずに人生を送ることができた。小中時代はかなり一般的な優等生でいい子ちゃんであったし、高校受験も推薦入試でさっくり合格を取った。</div><div>高校時代もさしたる挫折を経験することなく、そのまま受験期に突入した。受験期に入る前は「無い」と言っても過言ではなかった偏差値も、勉強し出してからは割合簡単に上がった。我ながら少し得意げになっていた。</div><div>そこに来て、大学に補欠で散々待たされた挙句に落とされたのである。</div><div><br></div><div>これは当時の僕にとってかなり大きな挫折であった。</div><div>心がへし折られたし、望んでも叶わない事はあるんだなと知ったし、大学に入学する事も正直全く楽しみではなかった。たぶん人生で初めて神様を恨んだ。</div><div><br></div><div><br></div><div>だが今となっては割と良い経験だったのではないかと思う。</div><div>もしこのまま自分の行きたい大学に入れていたとしたら、</div><div>もし例えば早慶を受験して変に受かっていたとしたら、</div><div>僕は今頃自尊心と自慢欲の塊のような、自分の望む事を何でも突き通そうとするようなナルシストになっていたようにも思う。</div><div>自分で断言するのはあまりに難だが、僕は受験期そのストレスから殆ど人格が破綻していた。多分完全に捻くれきって、物事を斜にしか見ていないような、すごく性格の悪い人間であった。</div><div>詳しくはもう自分の口からは言いたくないが、そんな感じの人間に成り下がってしまっていた為、変に実績を上げてしまうと更にこれが加速したと思う。</div><div>だけれど事実、僕は行きたい大学に落ちた。</div><div>だから、といっては変かもしれないが、先に書いたような人間に完全に成り下がることなく、一応その一歩手前で踏みとどまることができた。</div><div>自分の事を性格がいいと思った試しはない。でも受かっていた場合に比べれば、今の方が多分真人間になれていると思う。</div><div><br></div><div><br></div><div>あまり僕は神様を信じていない。運命的なものが存在しているとも別段信じていない。</div><div>でも、こればっかりはなんだか成るべくして成った結果な事のように思える。</div><div>「今の自分」というのは、「昔の自分」が長い時間をかけて起こしてきたあまりに膨大な数の偶然の貼り合わせだ。</div><div>山の如き量の偶然の上に僕らはいま立っているというわけだ。</div><div>その「昔の自分」によって引き起こされた「偶然」を、「必然」と見るのが「運命」であり、そのまま「偶然」と見るのが「運命を信じない」ということなのだろう。</div><div>普段僕は後者を支持している。理由は先述のとおりだ。</div><div>でも、この件は、僕が人間として成長するために神様によってそういう風に導かれたのかなという風に少し思う。</div><div><br></div><div>自己肯定と言えばそれまでだ。</div><div>確かにそれは少しはあるかもしれない。</div><div>でも、基本的にはそうではない。</div><div><br></div><div>こうやってポジティブに過去を捉えられるようになったのも、これによる精神的な成長の結果かもしれない、という話だ。</div>
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<link>https://ameblo.jp/apathy-stppr/entry-12059778237.html</link>
<pubDate>Mon, 03 Aug 2015 11:23:33 +0900</pubDate>
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<title>目が</title>
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<![CDATA[ スマホがバッキバキに割れた。<br><br>別にだからなんだという話だ。<br><br>あまりにもスマホがバッキバキだったので、今日はバリバリ鶏に行った。<br><br>割とおいしかった。<br><br>1か月前に受けたバイト先から、いきなり合格通知が来た。<br><br>別にだからなんだという話だ。<br><br>スタジオの予約をし損ねた。<br><br>まずった。<br><br>最近買った日焼け止めが「水で落ちる」のをウリにしているもので、<br>故に「汗で落ちる」ことになってしまい、汗で溶けて目に入ってきて目が痛い。<br><br>別にだからなんだという話だ。<br><br>目が痛い。<br><br>別にだからなんだという話だ。<br><br>別にだからなんだという話だ。
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<link>https://ameblo.jp/apathy-stppr/entry-12056058852.html</link>
<pubDate>Thu, 30 Jul 2015 01:21:01 +0900</pubDate>
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<title>「日記」がヘタ</title>
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<![CDATA[ 僕は、「日記」というものを書き続けるのがとてつもなく下手だ。<br><br><br>突拍子もなく「日記を書こう」と思い立ち、<br>人生で「日記帳」というものを用意したことは数度あるが、<br>全て2ページ程度で日記部分は完結し、<br>余白部分が明日の持ち物を書き記しておくためのメモ帳に変身するのが関の山であった。<br><br>一応中学時代だか高校時代だかに日記の提出が学校の課題となったことはあるが、<br>想像力の限りを尽くして提出直前に数十日分の日記を作り上げて提出した。<br>今考えるとよくもまあ書けたものだ。<br><br><br>このブログも、そんな僕の「日記を書こう」という突拍子もない思いつきにより、<br>勢いと勢いと勢いだけで開設されたものだ。<br>何度となく更新を習慣化しようとしたし、それを決意してバカみたいにTwitterのプロフィールにこのブログのURLをわざわざ載せたことだってある。<br>まあ、最終的にこれが日記として継続しているのかどうか、更新が習慣となったのかどうかはエントリー数を見てもらえればもう記すには及ばないと思うが…。<br><br><br>ただ、日記的な書き物が一切続けられないか、というと今一つそうではない。<br>ミニブログ、と一部では評されているTwitterでは僕は、なんだかんだかれこれ5年以上継続してほぼ毎日つぶやき続けている。<br><br>何が違うのか。<br>それは文章の量と、求められる労力の差だろう。<br><br>ブログほどの文章量でさえ、書くことを継続するのは僕には難しいというわけだ。<br><br>ここまで書いていて文学部の学生としてもう失格なのではないかと思えてきてならない。<br><br><br>今年の夏は、せめてブログの更新くらい習慣化しようかな。
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<pubDate>Wed, 29 Jul 2015 01:31:06 +0900</pubDate>
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<title>gldn smmr</title>
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<![CDATA[ 数ヶ月前にバイト先のおばさんと喋っていたときおばさんが言っていたのをふと思い出した。<div>「夏生まれの人は夏が好きで、冬生まれの人は冬が好き」。<div><br></div><div>すごく迷信じみた感じの話だけど、</div><div>そう言われてみると何だか自分の身の回りの人は基本的にこの原則に従っている気がしてくる。</div></div><div><br></div><div>僕は2月生まれだから、すなわち冬生まれであり、そして圧倒的に冬を支持して生きてきてかれこれ20年になろうとしている。</div><div><br></div><div>つまり何が言いたいかというと、やっぱり僕は暑いのが苦手だ。</div><div><br></div><div><br></div><div>夏はいい季節であるとは思う。</div><div>夏ならではの楽しみも多いし、何かと絵になる風景も多く生まれるし、ベストオブ「爽やかな季節」の座を永年にわたって維持し続けている季節だ。</div><div>そしてなんといっても、彼は2ヶ月間にも渡る『夏休み』を擁している。</div><div><br></div><div>だがしかし、暑いところで活動する、ということはそれ即ち冬の5倍くらいの体力を消耗する、ということになる。(当社比)</div><div>言って仕舞えば彼は僕の少ない体力を貪り食って生きながらえているという話にもなる。</div><div>それに暑いと、家から出る気が起きなくなる。</div><div>あと無理に出ると焼ける。僕は元々地黒であり、日に焼けやすい肌をしている。つまり、さほど外に出てなかろうと真夏のピークが去る頃にはわんぱくな小学生のような肌を自動的に手に入れてしまうのだ。</div><div>ましてや、積極的に外に出るとどうなるかはもはや記すに及ばないだろう。</div><div>夏が始まったばかりの今日7/27現在でも僕の肌はすでにだいぶ黒い。</div><div>黒さのせいで、洗面所の弱めの蛍光灯の前に立つともはや顔色が悪いのか黒いだけなのか区別がつかない。</div><div>もうびっくりするしかない。</div><div><br></div><div><br></div><div>だいぶ夏が好きにはなったし、夏休みは楽しみだ。</div><div>でも未だに暑さは苦手だ。</div><div>「夏が好き」と「暑さが好き」という２つの概念は確かに切っても切り離せない。</div><div>でもこれから先、暑さがさらに加速していくことになるのは間違いないのだから、せっかくだからもうこの２つの概念は切り離すべきではないだろうか。</div><div>そうすれば僕はきっと「夏が好き」と名乗れるようになる。</div><div>胸を張って夏が好きになれるわけで、そうしたら僕にはもう苦手な季節がない。一年中季節が大好きな人になるわけだ。もう無敵だといっていいだろう。</div><div><br></div><div><br></div><div>まあ、要するに、今日から僕は夏休みに入った。</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/apathy-stppr/entry-12055335720.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Jul 2015 00:40:14 +0900</pubDate>
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<title>刷り込み</title>
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<![CDATA[ <font size="3">僕はローソンでバイトをしている。<br><br>コンビニに入ったことのある人なら確実に分かると思うが、<br>コンビニでは店内放送というものがかかっている。<br><br><br>そして、大規模にチェーン展開しているチェーンであれば、それが独自に本社が作った店内放送である、ということが往々にしてあるのである。<br>例にもれず僕がバイトしているローソンもそうだ。<br><br><br>「自社で作った店内放送」、ということは、<br>ほぼほぼその時にローソンがコラボしているものに絡んだ曲やアナウンスが、宣伝のためになされる、ということだ。<br>さらに、どのタイミングで来店した客にも宣伝効果があるようにするために、同じものが延々とリピートされていることが多い。<br><br><br>そして、ローソンは異常なまでにアニメとのタイアップをするコンビニなのである。<br><br><br>この結果、店員に何が起こるか。<br><br><br>「よく知りもしないアニメの主題歌をなんか知らないけど歌えるようになる」<br>のである。<br><br><br>すなわち店員は同じものを何度も聞かされることによって、知らず知らずのうちに刷り込まれるのだ。<br><br><br><br>こないだに至っては、カラオケに行ったとき別のローソンで自分と同じようにバイトしている大学の友達とネタで、<br>タイアップしている時期に死ぬほど流されていた「お願い！シンデレラ」を入れたら<br>二人とも一秒もアイマスを見たことがないのに二人とも完璧に「お願い！シンデレラ」が歌えた。<br><br><br>皆さんどう思うであろうか。<br>ちなみに僕は我ながら引いた。<br><br><br>刷り込みって怖いね。<br><br><br>…「お願い！シンデレラ」をカラオケで歌うときはこちらまで。<br><br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/apathy-stppr/entry-12018611670.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Apr 2015 11:19:26 +0900</pubDate>
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<title>続・魔法の</title>
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<![CDATA[ 先日、魔法のカードの到着を首を長くして待っているブログを書いたが、<br>結局あの日にそれが届くことはなく、<br>次の日も届くことはなく、<br>その次の日も届くことはなく、<br>忘れたころに魔法のそれは手元にやってきた。<div><br></div><div>という、一カ月くらい前の記事がまだ下書きに残っていたので、なんとなく公開してみることにした。</div><div><br></div><div>魔法のカードと共同生活を送るようになってから、確実に金遣いが荒くなった気がする。</div><div>一瞬何でも買える魔法を手に入れたような気分になるけれど、結局は借金なのを忘れがちだからかなり怖い。</div><div>というより既に今月末の支払いが割と予想を遥かに上回る額だったから怖い。</div><div>これは本当に結局は借金なのを忘れがちだから怖い。</div><div>大事な事なので二回言った。</div>
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<link>https://ameblo.jp/apathy-stppr/entry-11999376932.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Apr 2015 22:30:17 +0900</pubDate>
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