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<title>ミホのブログ-建築勉強中-</title>
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<description>受験に備えて勉強している建築について書いてます☆基本は勉強で調べた内容になってます♪ご教授等お願いします☆</description>
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<title>飛鳥時代の建築</title>
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<![CDATA[ <p>◆伊勢神宮</p><p>◆出雲大社</p><p>◆住吉大社</p><p>◆飛鳥寺</p><p>◆四天王寺</p><p>◆法隆寺</p><p>◆法起寺</p><p>◆薬師寺東塔</p><p>などがあげられます</p><br><p>その中から</p><p>【飛鳥寺】</p><p>飛鳥寺は曽我氏によって発願により崇峻元年（588）に造営を開始、</p><p>推古4年（596）には塔が完成しました。</p><p>と、いうことは</p><p>この時すでに伽藍の体制が整っていたということになりますヾ(＠°▽°＠)ﾉ</p><br><p>飛鳥寺の伽藍配置は</p><p>塔を中心として、その後方と両脇に塔に面して堂が並びます。</p><p>それらを中門からのびる回廊が囲み、</p><p>講堂が回廊の後方に建つという感じです<img width="16" height="16" alt="チョキ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/105.gif" complete="true"></p><br><p>つまり、</p><p>飛鳥寺は</p><p>1塔3金堂の配置ということです!!</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110125/19/archiv/79/b9/j/o0180018011005234932.jpg"><img width="180" height="180" alt="ミホのブログ-建築勉強中-" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110125/19/archiv/79/b9/j/t01800180_0180018011005234932.jpg" border="0" complete="true"></a> <br>↑こんな感じ(建物の寸法は適当です<img width="16" height="16" alt="あせる" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif" complete="true"></p><p>それにしても、塔ちっちゃすぎ！！</p><p>苦情受け付けませんww）</p>
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<pubDate>Tue, 25 Jan 2011 14:37:52 +0900</pubDate>
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<title>2本の建築歴史文化軸</title>
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<![CDATA[ <p>    歴史に登場した建築様式は、人類の歴史文化自体の変遷と同様に、<br>    「二つの中心を持った大きな時代の楕円形の螺旋盤」のうえに形成されるものである。<br>    人類の歴史文化自体がこの螺旋形の文化地盤であって、建築文化はその時代に生きる人類の生活文化という<br>    無形文化を受け入れる有形文化財ということができる。<br>    そのように理解すると、歴史のなかで生まれた建築様式はまず人類の歴史文化地盤を理解することが重要で、<br>    そのためには2本の文化軸という歴史文化認識の構造を理解することが必要であるという<br>    結論に至った。<br>    その二つの中心軸とは以下の価値観とする。</p><p>    A：合理主義の思想、義理（理屈に照らして正しい）の思想、ヘレニズム思想（国際性）<br>    　　∟合理性と国際性</p><p>    B：癒し・慰め･救いの思想、人情（人の情け）の思想、宗教（キリスト教）の思想（地方性）<br>    　　∟情緒と地方性</p><p>    この二つを中心とする楕円軌道上の螺旋盤としての文化地盤は、基本的に楕円形の二つの中心軸の影響下<br>    にある場であって、いずれか一方の軸の影響下にあるものではない。<br>    楕円形をした歴史文化の螺旋案のうえに、時代を追って建築様式をならべていくと<br>    このモデルが予想通りの順序に従って連続して並べられる。<br>    それぞれの建築様式が、どのような歴史文化軸との関係で共通性を有しているか、<br>    という解析に役立つものであるということが確認できるはずである。<br>    建築様式は平面的に見ると2つの中心を持つ楕円軸を回っているように見え、立体的には<br>    二つの軸の間を振り子のようにゆれているように見える。<br>    楕円盤の両極にある建築様式が、以下の二つである。</p><p>    A：古代ギリシャ･古代ローマ、ルネッサンス、インターナショナルスタイル<br>    　　∟その時代の社会全体に広く使われるデザイン</p><p>    B：ロマネスク･ゴシック、１９世紀末、インターナショナル・アーツ＆クラフツ<br>    　　∟地方ごとに相違するもので、社会的な広がりは小さい</p><p>    &nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/archiv/entry-10650957647.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Sep 2010 12:27:29 +0900</pubDate>
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<title>紀年法</title>
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<![CDATA[ <p>    歴史の年代を追って連続的にあとづけようとする場合、<br>    その起算点をいつに定めるか、<br>    どのように数えるかによってさまざまな紀年方が成立します。</p><p>    現在では西暦と元号とが併用されていますが、<br>    日本の歴史の中ではいろんな紀年法がありました。</p><p>    【紀年法とは】<br>    特定の年を紀元と定め、<br>    それから起算した経過年数で年代を表示する方法。</p><p>    【紀元とは】<br>    ある出来事が起こった年を始点として<br>    それから何年経過したかで時間を測定する、<br>    終わりのない紀年法のこと。<br>    始まりの年は0年とせずに<br>    1年とする。<br>    尚、始点となる出来事が起こった年のことを<br>    「紀元」とする場合もある。<br>    （または「元年」ともいう）</p><p>    Wikipediaより。</p><p>    <br>    【干支】<br>    近代以前で重要になってくるのが<br>    元号と干支です。<br>    この年代把握ができないと<br>    古建築や史資料を読み解くのに<br>    辛くなってきます･･･。</p><p>    干支は俗に言う「干支」で<br>    十干十二支の略です。<br>    干は日をあらわしていて<br>    1ヶ月を上中下の3つに分け、<br>    1つが10日になり、10日毎日つけたものなので<br>    十干あります☆</p><p>    支は歳月をあらわしていて、<br>    1年12ヶ月につけたものなので<br>    十二支あります☆</p><p>    読み方は音読みでいいのですが、<br>    十干は陰陽五行説に基づいているため、<br>    五行（木火土金土）の兄と弟にわけ、<br>    甲は木兄（きのえ）、乙は木弟（きのと）<br>    と訓読みしてもよくなっています。</p><p>    干支は年はもちろん月日や<br>    時刻、方位にもあてられており、<br>    日常生活に密着したものでした♪</p><p>    【十干】<br>    甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸</p><p>    【十二支】<br>    子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥</p><p>    【元号】<br>    1979年に元号法が成立して以来<br>    天皇の代替わりごとに政令で<br>    新元号を定めるようになりました。<br>    いわゆる<br>    明治･大正・昭和・平成<br>    というのが元号です。</p><p>    他にも<br>    【神武紀元（皇紀）】や<br>    【キリスト紀元（西暦）】<br>    があります☆</p><p>    <br>    &nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/archiv/entry-10558870902.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Jun 2010 02:19:50 +0900</pubDate>
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<title>薬師寺東塔</title>
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<![CDATA[ 奈良市西ノ京町<br><br>唐招提寺金堂と年代が前後してしまいました<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/324.gif" alt="ガーン" class="m"><br><br>平城京薬師寺東塔ができたのは天平2年(730)です。<br>しかし伽藍配置は旧京におけるものを踏襲していて、建築様式も同様です<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ" class="m"><br><br>組物の三手先は整ったものとは言い難く、支輪がなく、軒裏は軒天井で隠し、鬼斗は使っていません。<br>そのため薬師寺東塔は古い様式であるとされています<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/323.gif" alt="ニコニコ" class="m"><br><br>この塔は三重ですが裳階がついているため、屋根は六重になっています<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/123.gif" alt="キラキラ" class="m">
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<link>https://ameblo.jp/archiv/entry-10479043936.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Mar 2010 13:48:32 +0900</pubDate>
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<title>唐招提寺金堂</title>
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<![CDATA[ 奈良市五条町<br><br>唐招提寺は鑑真の開基によって天平宝字3年(759)に創立されたお寺です<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/323.gif" alt="ニコニコ" class="m"><br>金堂の造営時期に関しては諸説あるのですが、宝亀年間(770年代)ではないかとされています！<br><br>この金堂は単層で前面一間が吹放しになっていて、当初はこの部分の前庇両側面に回廊が取り付いていました<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/328.gif" alt="ニコニコ" class="m"><br><br>正面扉及び側面扉・窓、屋根の傾斜などは後世の改変でかわっていて、もともとの軽快なすがたは<br>あまり感じられません<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif" alt="ガーン" class="m"><br><br>木割が大きくて、三手先の組物によって軒を支えています。<br><br>内陣には大きな虹梁がかけられていて、<br>カエルマタが桁を支える構造になっています<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/123.gif" alt="キラキラ" class="m">
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<link>https://ameblo.jp/archiv/entry-10469293047.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Feb 2010 16:01:41 +0900</pubDate>
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<title>海竜王寺五重小塔</title>
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<![CDATA[ 総高約4mで規模からいえば、工芸品に入りますが、外観が建築的手法に則っていて、しかも屋内に置かれていたため改修をうけることもすくないので奈良時代前期の様式を知る上でとても重要な資料です<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/328.gif" alt="ニコニコ" class="m"><br><br>柱に僅かな膨らみがあって、組物は三手先ですが支輪、鬼斗がありません<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/106.gif" alt="パー" class="m"><br>軒は二重でひえん垂木が角、地垂木が円というように薬師寺東塔と似た様式をもちます<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif" alt="音符" class="m">
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<link>https://ameblo.jp/archiv/entry-10454812844.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Feb 2010 21:11:42 +0900</pubDate>
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<title>法起寺三重塔</title>
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<![CDATA[ <p>奈良県生駒郡</p><br><p>法隆寺に近く、法起寺・法輪寺の2つの三重塔があって、</p><p>どちらも法隆寺と同じ様式をしていましたが、</p><p>法輪寺の塔は火災で焼失しました。</p><br><p>法起寺三重塔の初層・二層・三層は法隆寺五重塔の初層・三層・五層</p><p>と同じ大きさで、</p><p>各層における逓減率が高いのが特徴です☆</p><p>逓減が大きいため、均整のとれた外観を形成しています<img height="16" alt="ニコニコ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif" width="16"></p><br><p>1972～75年に解体修理が行われて、ほぼ当初の姿になりました<img height="16" alt="パンダ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/006.gif" width="16"></p><br><p>心礎の据え方が法隆寺などと違って、基壇上に据え付けてあるなど</p><p>技法上の感じから見て持統朝後半ごろの着工ではないかと推測されています<img height="16" alt="音譜" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif" width="16"></p>
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<link>https://ameblo.jp/archiv/entry-10446504035.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Jan 2010 18:44:41 +0900</pubDate>
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<title>法隆寺金堂</title>
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<![CDATA[ <p>金堂は桁行5間・梁間4間の重層入母屋造で、上層部は桁行・梁間ともに下層より1間ずつ少なくなっているので<br>大きさがかなり小さくなっているように見えます<img alt="グッド！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/187.gif" width="16" height="16"><br>二重基壇の上に建つ構造部材は太く、構法原理が比較的原始的にもかかわらず、今日まで残ってきたのは<br>この太い部材によるところが大きいとされています<img alt="晴れ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/022.gif" width="16" height="16"><br>構造上の大きな特色としては<br>雲形の組物が天秤式であるということ<img alt="チョキ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/105.gif" width="16" height="16"></p><p>薬師寺東塔以降の建築がすべて尾垂木を梃子式に用いて軒先の荷重を支えているのに対して、<br>法隆寺金堂は柱の上での内外の荷重バランスを考慮していて、隅柱から壁に平行に組物を出さないで斜め方向のみで支えています<img alt="ラブラブ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif" width="16" height="16"></p><p>細部の特徴としては<br>人字型の割束や卍崩しの高欄が有名ですね<img alt="ニコニコ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif" width="16" height="16"></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/archiv/entry-10437671385.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Jan 2010 10:20:35 +0900</pubDate>
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<title>法隆寺伽藍</title>
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<![CDATA[ 奈良県生駒郡用明2年(587)天皇は病気平癒を祈って造寺造仏を発願したものの果たせずに崩じてしまいました<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif" alt="ガーン" class="m"><br>その願いを奉じて推古天皇と聖徳太子が造立を進め、その本尊薬師如来は推古15年(607)に完成したと伝えられています<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/328.gif" alt="ニコニコ" class="m"><br>しかしこの法隆寺は天智9年(670)大火にかかってしまいました。これをめぐって明治時代から法隆寺は再建なのかそうでないのか<br>論争が始まります<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/280.gif" alt="ドンッ" class="m"><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/280.gif" alt="ドンッ" class="m"><br>最終的に法隆寺は再建されたという意見に落ち着いているようです☆<br>その理由として塔頭普門院の裏庭に、四天王寺式配置をもつ若草伽藍が発見され、それが罷災した創建法隆寺と見られること、<br>また金堂の壁画の様式・昭和の解体修理の際に発見された金堂天井板の落書きなどから、現存の金堂や五重塔の建立年代が天智9年のもの<br>とは考えられないという事だそうです<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/105.gif" alt="チョキ" class="m"><br>でも、まだ問題点は残っていて、再建された法隆寺の着工や竣工の時期、寺地の変更理由などまだ不明なものが多いです<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/189.gif" alt="得意げ" class="m"><br><br>【法隆寺の建築様式】<br>法隆寺の建築様式は飛鳥様式といわれていて、奈良様式とは異なります<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ" class="m"><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/105.gif" alt="チョキ" class="m"><br>その違いとは・・・<br>1.柱に著しい膨らみがあること(エンタシスと呼ばれるものです)<br>2.組物に雲斗や雲肘木を使うこと<br>3.大斗の下に皿斗があって、肘木には水繰という一種の模様が施されています。また、肘木の曲線が鋭いのも特徴です。法隆寺の伽藍は中門から回廊がめぐらされ、その中に金堂・五重塔が配置されます<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/014.gif" alt="にゃー" class="m"><br>講堂やそのほか建物は回廊の外に配置されています<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/014.gif" alt="にゃー" class="m">
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<link>https://ameblo.jp/archiv/entry-10433966544.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Jan 2010 10:40:56 +0900</pubDate>
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<title>住吉大社本殿</title>
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<![CDATA[ 今回は大阪府大阪市住吉区にある、住吉大社本殿です<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/008.gif" alt="ヒヨコ" class="m"><br>住吉大社には住吉の3神と神功皇后が奉られています<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/332.gif" alt="クローバー" class="m"><br>4棟の同形同大の本殿が海に向かって西面に建っています。<br>現在の本殿は文化7年(1810)の再建のものです<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/323.gif" alt="ニコニコ" class="m"><br>平安時代にはすでに式年遷宮が確立されていて、室町時代中期まで厳守されていたのに、その後乱れてしまった結果です<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/143.gif" alt="ショック!" class="m"><br>それがいいのか悪いのかは各人の考えによると思いますが、私は建築物のみで考えたら、よかったのではないかと思います<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/106.gif" alt="パー" class="m"><br><br>構造形式は<br>桁行4間、梁間2間、切妻造で前方2間が外陣、後方2間を内陣としています。<br>外陣と内陣の境界には板扉を設けています<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/291.gif" alt="ドア" class="m"><br>床を張り、屋根は反りのない直線、棟上に5本の堅魚木と置千木があります<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/016.gif" alt="フグ" class="m"><br><br>↑の形式を住吉造といいます<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/106.gif" alt="パー" class="m">
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<link>https://ameblo.jp/archiv/entry-10430269029.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Jan 2010 13:49:52 +0900</pubDate>
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