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<title>日記のタイトル？これが一番難しい</title>
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<description>仕事のこと、時事のこと、自分の考えや意見などなど。書きたいことを書いていくスタイル</description>
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<title>禁煙3週間目</title>
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<![CDATA[ <p>　禁煙を始めてから3週間経ちました。</p><p>　なんかもうタバコのことはほとんど考えなくなりましたね。「タバコ吸いたいー」とか思っていた頃が嘘のようです。今は「タバコ？あぁそういうのあったねそういえば」みたいな感じです。</p><p>&nbsp;</p><p>　禁煙生活、、、何も目立って書くことすらなくなってしまった。とりあえず、タバコ止められたのかな？って。お金の無駄遣いもなくなって、それは本当に嬉しいですね。</p><p>&nbsp;</p><p>　禁煙した目線から思う事。</p><p>　受動喫煙について騒がれることもありますが、タバコって嗜好品なわけですし、喫煙者は対価を払って嗜好品を楽しんでいるわけですから、特に何も思わないのには変わりなかったです。タバコの臭いにはすぐ気付きますが、敏感になるというよりは「タバコを吸ってる人だってそりゃ居るよね。別にそういうものじゃない？」みたいな感覚で、むしろ「この辺でタバコ吸ってる人ってどこで吸ってんだろう？」って探したりしてました（笑）喫煙している時から思っていましたが、禁煙して更に「喫煙者って肩身狭いな・・・」って思いましたね。　</p>
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<pubDate>Fri, 23 Aug 2019 09:54:40 +0900</pubDate>
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<title>あおり運転、あおられる運転</title>
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<![CDATA[ <p>　最近すごく煽り運転についてのニュースが多いですが、見ていて思うのは煽り運転した側が100％悪く、まるで人を殺したかのようにバッシングされていることに対して疑問を感じます。というか危険運転自体がすごくバッシングされているように感じますが、ここぞとばかりに批判している方々は周りから見たときに危険だと思われる運転を今迄一度もしたことないと言い切れるんでしょうかね。</p><p>&nbsp;</p><p>　と言いますのも、煽る煽られる以前に「危ない運転するなこの車」って思うことがよくあります。</p><p>　　　　　・別に曲がるわけでもなく、前に車が居るわけでもないのに謎のブレーキ</p><p>　　　　　・曲がる直前にいきなりウインカー＆急激な減速</p><p>　　　　　・速度が遅かったり速かったりで一定速度で運転していない+蛇行運転</p><p>　　　　　・信号が切り替わっているのにスマホを見ているのか、発進しない</p><p>　　　　などなど・・・</p><p>　1週間に最低一回は「危ないなこの車」というような運転者に遭遇している感覚があります。</p><p>&nbsp;</p><p>　で、そういう運転をしている人にとっては「自分は安全運転をしている。周りに迷惑をかけていない」と思ってそうですね。煽り運転からの暴行や威嚇行為のニュースについては罰せられて然るべきと思いますが、本当に煽る側だけが悪いんでしょうかね。</p><p>&nbsp;</p><p>　ニュースに出るような方はおそらく短気であろうと思いますが、そういう人に対して間近で上記の運転をすれば怒ってしまう可能性は高いですよね。先ずもって運転する時は周りがそういう人ばかりだと思っていれば、刺激するような運転をしないはず。それこそ譲り合いの精神です。</p><p>　</p><p>　昔からこういうことがあるかもしれませんが、余程のことがない限り車を幅寄せしたり、わざわざ車を降りて威嚇してくるって、中々ないと思うんですがね。なので私は、煽られる側も煽られるだけの何かをしたから相手が激情したのではないかと思ってしまいます。それを脊髄反射の如く「煽ってきた人が悪い」というのはどうかと思いますし、そういう人のほうがなんだか怖いです。</p><p>&nbsp;</p><p>　お手本のような運転をしている方もいらっしゃいますし、自分も”色んな意味で当事者にならないよう”、適度な緊張感と交通マナーを守り運転していきたいなと思いますね。</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/ariasjrb/entry-12509648494.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Aug 2019 07:49:30 +0900</pubDate>
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<title>現在の日本の風潮に</title>
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<![CDATA[ <p>　先日、衝撃を受けたネットの記事を見ました。</p><p>　”アンパンチで暴力的に？影響は”という内容の記事で、アンパンチを行う場面を見た子供が暴力的になるのではと心配する親の声がネット上で見られるとのこと。</p><p>　</p><p>　先ずそもそも色々と突っ込みたいところはありますが・・・。この記事を全て鵜呑みにして率直な意見を挙げると、アンパンチが暴力的だと解釈すること自体が、一種の暴力ではないのか？と思いました。というのは、アンパンチが駄目なら言葉での解決を望むってことですよね？きっとそうだと思うんですが、その説得を行っている間に被害に合った方はどうなるんでしょうか。なので、アンパンチが暴力的だと解釈するのが一種の暴力に感じたわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>　アンパンチを行う場面において、その時バイキンマンは進行形で悪いことをしているわけですよね。長期的に見れば対話という選択肢は絶対に必要かもしれませんが、そういう緊急性がある場合においてはやむを得ないのでは？実力行使という手段を良くないとするのならば、説得している間に被害を受けた人々に対して、アンパンチは暴力だと思っている人はどう弁明するつもりなんでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　と、ここまで書きましたが、いよいよこんなことまで記事になっているのか。と思ったわけです。</p><p>　というのも、子供の遊具の事故の影響で特定の遊具が使用禁止になったり、テレビ番組の内容についても子供に悪影響を与えるからと色々と昔に比べて制約が厳しくなったり、ポルノ漫画（？）も制限しろと騒いだり、、、。なんでもかんでも悪影響悪影響と言いすぎでは、とここ数年すごく感じていました。</p><p>&nbsp;</p><p>　子供だって馬鹿じゃないんだから、悪いことをしっかりと悪いと認識して反面教師にできると思うんですが。というか仮にテレビ番組のやっていることが子供に対して悪影響を与えるのなら、親が子供に対して諭してあげて、しっかり納得するよう教えてあげればいいだけではないのかなと思います。子供を叱れない親が増えているとよく耳にしますが、、、<span style="font-weight:bold;">子供を叱れないから、叱る必要のないように、何も問題が起きないように、物質的にも精神的にも周りを抑制することで自分が本来行うべきことから目を背けていないか、更にその事実を「危険だから。教育によくないから」という綺麗事で覆い隠していないか。</span>と思いますね。</p><p>&nbsp;</p><p>　躾のために叱るという行為も色々な意見があるようで、私も叱ることが全て良いとは思いませんが、結局こういうことなのかなと↓<br>　<span style="font-weight:bold;">叱りたくないor叱れない（子供が何するか分からないし）→悪影響があるものを排除しよう→子供に良い影響を与える教育環境があれば叱る必要もない、説明する必要もない→叱りたくないor叱れない親歓喜？</span></p><p><br>　　結局それで自分の首をしめてませんか？痛みを分からない子供は、相手に対しても加減を知らず接してしまうのでは？悪いということが分かっていても、加減が分からないから「とにかくやってはいけない」としか考えられず、結果ストレスになり、過剰な行動として現れたりするのでは。</p><p>　</p><p>　人間やっぱり娯楽は大事だと思いますが、日本って「おもてなしの精神」や「謙虚さ」をアピールしようとしすぎて、結果「人間としての倫理（？）」と重要視するあまり、なんでもかんでもその倫理に反することを排除しようとしていませんか？勿論日本国民全員がとは思いませんが、同調圧力というかなんというか。自由ではありませんよね。</p><p>&nbsp;</p><p>　自分が正しいとは全く思いませんが、なんですかねこの引っかかる感じ笑</p><p>　アンパンチが暴力的だという主張が認められて、アンパンマンが放映されなくなったら・・・。なんだか悲しいですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/ariasjrb/entry-12507116072.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Aug 2019 21:34:10 +0900</pubDate>
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<title>禁煙2週間経過。</title>
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<![CDATA[ <p>　今自分でも振り返るとびっくりするんですが、禁煙1週間を過ぎたあたりから、タバコを吸いたいと思わなくなっていきました。禁煙始めた頃は「タバコ吸いたいな」とか「タバコがない生活でいいのか」とか、よくわからない衝動にも駆られていましたが、今は一日を通してほとんど禁断症状みたいなのはないです。</p><p>&nbsp;</p><p>　特にイライラもしませんし、現時点では成功しているのかなーと感じています。</p><p>&nbsp;</p><p>　禁煙外来に通う、ニコレットを利用する、アイコスを使用して段階的に禁煙する。などなど現在は様々な禁煙方法がありますが、私は<span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">根性のみ</span></span>です。今迄も止めようと思ってましたが、意思が弱かったというか本気で取り組まなかったんですよね、「まぁその内止めればいいや」くらいな感覚でした。仮に禁煙外来に行ったとしても、最終的には自分の意思なんだろうなと薄々感じていたからなんですが・・・。</p><p>&nbsp;</p><p>　で、そんな意思の弱い自分にも辟易して、今回は自分の気持ちのみで禁煙開始しました。自分に鞭を打ちます。自分を苛めます。タバコの誘惑に負けそうな自分を罵ります。男の人の場合「自分との戦いだ！」とか思うと案外禁煙できるんでは？と思いましたね。というのも、「こんな（禁煙）生活に負けるくらいの根性なら、何をやっても強い意志なんて持てるわけがない」と自分を奮い立たせるような感じでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>　魂の禁煙（当社比）。禁煙生活継続がんばろー。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ariasjrb/entry-12503334504.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Aug 2019 14:09:24 +0900</pubDate>
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<title>介護の仕事を辞めて良かった</title>
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<![CDATA[ <p>　家族介護を十数年やってきて、介護の仕事も実際にやってみて、資格も取って。現場での介護を経験してずっと思っていたのは「介護の考え方っておかしくないか」ということと、「この人達に自分の母親を介護して欲しくない」と思うようになっていったことでした。</p><p>&nbsp;</p><p>　私の母はALSです。介護を始めた当初はまだ二十歳にもなっておらず、母の介護によって色々な時間の制約や活動の制限が出てきたことによって、母に対してひどい言葉を発したりしていました。そんな状態でありながら、自分でも嫌というほど分かっていたのは「母親も好きでALSになったわけではない」ということでした。しかしながらいつまで続くか分からない介護を思い、自分の将来に絶望していました。母の辛さ、自分の辛さ、もうあの時は色々と考えてしまっていました。そんな自己中最低野郎です。</p><p>&nbsp;</p><p>　家族介護をやっているときに、介護師に対してずっと疑問だったことが「なんで何かあったときだけ、さも仕事しているかのように話しかけたり手をかけたりするのに、普段はやって欲しいことをやらないんだろう」でした。表面的には可もなく不可もなく介護をしている感じ。資格がなくても、家族でもできるのに、何かあったときだけすごく「私は専門職だから」というのを全面的に出すんですよね。それがずっと疑問でした。「あんたらそれがプロの仕事なのか？」と。身体介護なんかはどうとでもやれるし、どうせ病気が治らないのも分かっていたので、せめて介護師の方と関わるときは、母を利用者としてではなく普通の人間として会話して、世間話をして、接して欲しかった。それをこなしながら、そつなく介護をしてくれている人も居て、そういう人に対してはプロだなと尊敬すらしていました。</p><p>&nbsp;</p><p>　介護師、ケアマネージャー、医療機関など全ての方々に感謝しています。関係各位の方々の助力があり、今までやってこれました。・・・なのに、現実を見て”一部を除く介護師”に対して「なんなんだろうこの人達は」と思うようになっていきました。</p><p>&nbsp;</p><p>　というのも、皆表面上は上手くやっているんです。”表面上”は。</p><p>　いざ利用者の前から離れると、利用者の悪口や職場の人間の悪口が始まります。それこそ「喋ってないで仕事してよ」と思うほどにひどい時もありました。愚痴でも言ってないとやってられない職業、というのも重々分かってましたし、最初は「うんうん」と愚痴を聞いたりしていましたが、月日が経つにつれて精神的に病んでいったからこんな日記も書いているんだろうなぁ・・・。</p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="font-weight:bold;">転倒にしろ、容態急変にしろ、利用者のためというよりも、職員が加害者にならないようにするための介護。施設側が罪を問われないようにするための、予防のための介護でした。</span></p><p><span style="font-weight:bold;">　</span>私はそれが本当に許せなかったし、筋が通っているとも思わなかった。「上辺では聞こえが良い事言っているくせに、心の中では我が身可愛さで働いているのか。話していることはすごくボランティア精神みたいなものも溢れているのに、いざ何かあれば自分は被害者で何も悪くないみたいな対応するのか」と、憤りすら感じていました。</p><p>　</p><p>　口では綺麗ごとを並べている職員、利用者を考えているという雰囲気を出す職員も、影では文句を言っていました。文句を言うのは構わないと思いますが、「文句言うなら自分でなんとかしたらいいじゃない・・・」と、もう愚痴も聞きたくなくなっていきました。自分が本気で病んできたのかなぁと思い退職しました。</p><p>&nbsp;</p><p>　介護福祉士も取得していましたが、介護という仕事から離れて、どこか安堵している自分が居て。職場では働いているときは期待されたりもしていたようですが、内心では「嘘つけ。俺なんか介護職に向かない」と思っていました。辞めてよかったな、と。元々やりたくてやっていたわけではなく、介護職なら家族介護に対しても理解あるだろうと思って志望した、という安直な考えでした。</p><p>&nbsp;</p><p>　今後においても介護職は、理想論や綺麗事を全面的に押し出し、自分達が表面上でやっていることを美化していくんでしょう。裏では色々な不満を訴えているのにも関わらず。自分達では何も変えようとしないにも関わらず。</p><p>&nbsp;</p><p>　介護職は3Kだとか、社会の底辺の仕事だとか、行く場がない人が就く仕事などと言う人を理解できませんでしたが、今となっては「やはりそういうのが周りにも見えているから、そう思われるんだろうな」と思ってしまう部分があります。</p><p>&nbsp;</p><p>　介護職は、上辺だけでも奉仕の精神を出せる人で、理不尽なグレーの部分を「しょうがない」とスルーできる人で、理想論や美学を飲み込める人でないと務まらないのかなというのが結論でした。（汚物処理、徘徊、暴力、暴言、メンタルケア等々というのは”当然クリアしないといけない内容”で、それに対する薄給にも文句がない人も適正があるかなと思います）</p><p>&nbsp;</p><p>　この記事を見た人、、、特に介護師の人が見たら、嫌悪感を示すでしょう。「適正がある人意外は介護に就かないで」という意見をネットでもチラホラ見ましたが、適正がある人自体少ないのに、そんな排他的思考でこれからどうしていくんだろうという疑問。そうやって介護の働き手が居なくなって、どうやって質の良い介護福祉サービスを提供するのか聞いてみたいです。まして、それで大変な思いするのは何より介護福祉サービスを利用しようとしている人じゃないですか？自分の仕事に誇りを持つのは結構ですが、結果利用者が良いサービスを受けられないなら、介護師視点の自己満足でしょうそれ。</p><p>&nbsp;</p><p>　私には無理でした。たまたま自分が勤めていたところがそういうところだったのかは分かりませんが、自分がなんらかの障害を持って介護にお世話になる前に、あの世に行きたいなーと思いますね。安楽死（尊厳死）が認められる世の中になりますように。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ariasjrb/entry-12502041503.html</link>
<pubDate>Tue, 06 Aug 2019 09:04:49 +0900</pubDate>
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<title>明日から第101回甲子園！体調に気をつけて頑張れー高校球児！</title>
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<![CDATA[ <p>　明日8月6日から、第101回全国高校野球選手権大会が始まりますね！とはいっても、去年の優勝校である大阪桐蔭が予選大会で敗退したり、ネットの記事を見ていると今年は予選敗退している強豪校(?)が多いみたいで・・・・。</p><p>　</p><p>　野球あまり詳しくないのでどこの学校が強いとかよくわかりませんが出場校の中で、東海大相模、星陵、明徳義塾、智弁和歌山とかよく耳にする名前ですね。他にも名前を聞くと「あー」というような学校がチラホラ。</p><p>　</p><p>　去年の金足農業高校の準優勝は非常に印象に残っていて、とても感動しました。今年も無名の学校や有名な学校問わずどこの学校も、高校野球ならではのプレイで優勝を目指して欲しいなと思います。テレビでの応援しかできませんが、気温や体調に十分気をつけて、頑張れ高校球児！</p><p>&nbsp;</p><p>　※高校野球見てると、自分も高校生のときに運動部で青春してたなーとシンミリしてしまいます。私だけじゃないよね？</p>
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<pubDate>Mon, 05 Aug 2019 14:33:07 +0900</pubDate>
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<title>禁煙1週間経過。</title>
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<![CDATA[ <p>　禁煙を始めて1週間が経ちましたが、まだ1週間しか経ってないのかーという思いと、もう1週間かーという思いが半分半分といったところ。私の場合、主に朝が一番タバコを吸いたい欲求に駆られ、それが未だに続いております・・・。</p><p>　</p><p>　その時の状況に応じてですが、タバコを吸いたくなったら他のことを考えたり、ガムを噛んだり、シャワーを浴びたり、深呼吸したり。そんなことをしていると大概数分でタバコを吸いたい欲求は収まるので、頑張れてます。</p><p>&nbsp;</p><p>　他の人がタバコを吸っていても自分が吸いたいとはなりませんが、やはり自分のペースでタバコを吸いたくはなりますね・・・。個人差があるようですが、いつになったら「タバコを吸う必要ないな（吸いたくないな）」という感覚に戻れるのか楽しみでもあり、いつまで吸いたいという感覚が残るのか不安でもありますね。</p><p>&nbsp;</p><p>　頑張れ俺。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ariasjrb/entry-12500459097.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Aug 2019 08:10:14 +0900</pubDate>
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<title>禁煙3日目・・・。</title>
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<![CDATA[ <p>　朝起きた時とか、喫煙時に吸っていた時間やタイミングで「あ、タバコ吸うか」と思ってしまう・・・。思ってしまうだけで吸ってないけど、やはり喫煙衝動には駆られてしまいますね。</p><p>&nbsp;</p><p>　2日目もそうでしたが、3日目ともなると「今一本吸ったら、この2日間が無駄になる。惑わされるな」って強く思うようになりましたね。なので、衝動自体は強いと思いますが、それを上回る気持ちで禁煙生活は順調(?)に続いています。</p><p>&nbsp;</p><p>　そういう衝動に駆られたときは、とにかく深呼吸して、周りに聞こえない程度に「あー！」など奇声を発したり、自分を奮い立たせたり（？）してます。完全に変質者ですが、禁煙のため。周りに分からないようにやれば大丈夫（なはず）。</p><p>&nbsp;</p><p>　サンフランシスコや他の地域でも、電子タバコが販売・製造が禁止された所があるみたいですよね。今も喫煙者の肩身って狭いですが、今後もタバコは値上がりするでしょうし、禁煙したほうがお財布に優しいと思いますので、今喫煙している方も、もしこの記事を見たら、一緒に禁煙頑張ってみませんか？</p>
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<link>https://ameblo.jp/ariasjrb/entry-12499291236.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jul 2019 09:49:00 +0900</pubDate>
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<title>禁煙開始。頑張ろう</title>
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<![CDATA[ <p>　喫煙生活17年。かなりのヘビースモーカーでした。</p><p>　一昨日、唐突に「タバコやめよう」と思い立ち、禁煙２日目に突入。</p><p>&nbsp;</p><p>　そこまでイライラしている感じはしないですが、やはり「一本くらいなら」という感覚がちょくちょく出てきます。そんな誘惑に負けたらいけないと、自分を奮い立たせ、自分に鞭を打つつもりで頑張っております。</p><p>&nbsp;</p><p>　タバコの値段が上がってからずっと思ってましたが、お金の無駄なんですよね・・・。そのお金があれば美味しいご飯食べたりできるわけで・・・。以前からそんなことをぼんやり考えてましたが、自分の意思が弱いせいで禁煙を実行に移せず。</p><p>&nbsp;</p><p>　厳しく、絶対禁煙生活を続けるという確たる意思を、この日記からも自分に戒める！！頑張れ俺！！</p>
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<link>https://ameblo.jp/ariasjrb/entry-12498936004.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Jul 2019 07:57:43 +0900</pubDate>
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<title>津久井やまゆり園事件から3年</title>
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<![CDATA[ <p>　2016年（平成28年）7月26日、知的障害者福祉施設「<b>津久井やまゆり園</b>」に元職員の男性が刃物で入所者・職員を含む計19人を刺傷した事件、津久井やまゆり園事件(相模原障害者施設殺傷<b>事件)。容疑者のこの事件に対する動機は一貫して、「</b>障害があって家族や周囲も不幸だと思った。事件を起こしたのは不幸を減らすため」などと話しているようです。この事件を受け、自分が介護業界に身を置いていた際に目の当たりにしてきた現実と照らし合わせながら記事を書きたいと思います。まず大前提として私はこの容疑者の行った行為については間違ったやり方であり、犯罪行為自体に一切の擁護はできず、法に裁かれて然るべきという認識を持っていますが、容疑者の意見や考えに対しては違った目線で賛同する部分が多々ありました。</p><p>&nbsp;</p><p>　「障害者が人間ならば、彼らが罪を犯した時同様に裁かれるはず」</p><p>　「知的障害を理由に裁かれないという事実は、彼らが人間ではないことを証明している」</p><p>　「氏名が公表されず遺影もない追悼式は、彼らが人間として扱われていない証拠と考えております」</p><p>　「私は介護施設で、数年間現場で働いてきた。彼らが家族や周囲に与える苦しみ、そして使われる膨大な費用、職員が置かれている過酷な労働環境を見てきた。あなた方はなぜ、施設に足を運んだことすら無いのに、理想論をさも正論のように述べることができるのか。あなた方は一度でも介護に携わったことがあるか？少しでも現場を知れば、介護は綺麗事だけでは無いことがわかるはずだ」</p><p>　「誰でも死にたくない。本能的に怖いですよね。でも、それを言っちゃうと、社会が成り立たない。オランダやオーストラリア（の一部の州）では、安楽死、尊厳死が認められています。死を受け入れるべきだ」</p><p>　</p><p>　部分的に非常に極端な意見で、ちょっと「ん？」と思うことはありますが、概ね自分が感じていたことと似てるなと感じました。この容疑者が施設に勤務し始めた当初の手紙には、ごく普通の、若い人らしい希望が溢れていたような内容が書かれていたそうです。</p><p>　　</p><p>　介護業界には通所介護、訪問介護、老人保健施設、特別擁護老人ホーム、グループホームなどなど色々な形態の施設があります。全員とまではいきませんが、利用者側から軽度・重度問わず暴力や暴言などが発生していて、それに対して施設側としては「病気だから仕方がない」という考えがほとんどでしょう。今のご時世に同様のことを健常者がやった場合、何らかの処分が下る事例です。にも関わらず、施設内で病気や障害を持っているからと黙認することは一体どういうことなんだろうと感じていました。責任能力の有無が問われるであろうことは自明ですが、責任能力がなければ何をしても罰せられないか？というのもまた妙な話になります。仮に介護職員が同様のことを利用者にやり返した場合、大問題になるでしょう。当然介護職員は給料を貰っているのでまず論外ではありますが、仮にそれが全く関係ない人に行われた際にであっても、問題になるのは明らかです。健常者がやって悪いことを、病気や障害がある弱者だからといって許されるのは、（健常者、障害者双方に対して）一種の差別ではないかと想像してしまいます。利用者が守られることはあれど、介護職員が守られることはないに等しいでしょう。それを勤務している人は分かっているから、自分を守るために動く環境が生まれるのでしょう。当然といえば当然ですが、自分を守るために動いている人が、本当の意味で親身になって利用者に対して良いサービスができるのでしょうか。中には「名前を覚えられてしまうと面倒だから、覚えてもらわらなくてもいい」という職員も目にしたことが何度かありました。つまり利用者に名前を覚えられてしまうと、認知症や被害妄想によってあることないこと名指しで言われてしまう可能性があるので、遠慮願いたいということらしいです。自分がちゃんと筋を通しているのなら、何か言われても笑い飛ばせるはずなのに、何故そんなことでビクビクする必要があるんだろう。何故もっと寄り添ってあげないんだろう。と思っていました。やり方が間違っていると言えませんし、端から見たら可も無く不可もなくといったように見えるので、ある意味時代に則した正しいサービスの在り方なのかもしれませんが。</p><p>　</p><p>　家族が面会にくるのは年に一回や二回あれば良い方。私は見ていて辛かったし、あまりにも可哀想だと思っていました。どこかに連れて行ってあげたい、何か楽しい毎日を過ごさせてあげたいと思っていました。ですが現実問題として、介護職員の不足や費用捻出の問題もあり、そういった希望があったとしても中々通りません。徘徊行為など目の離せない利用者が居れば、その方に職員が張り付かなければならない場合もあり、職員が実質1人減ります。ですがそのために非番の職員を出勤させてくるわけにもいかないというのが、どこの施設でもいえる状態でしょう。飲食店やその他サービス業であれば、忙しい時がある程度予想できますが、介護福祉というサービスはいつ何時利用者がどういう状態になるか予想が難しいため、特定の日（行事など）以外の日に、人手不足を予測して人員を厚くすることは不可能に近いです。そんな環境の中で、介護職員1人で何十人という利用者に対して目を届かせておかなければならず、先にも述べたように目が離せない利用者が1人居るだけで、その他の利用者に目を届かせるのは不可能ではないにしろ、非常に難しいと言わざるを得ません。施設を見たことがない人であれば、例えば病院で、その階に20人の患者が入院していたとしましょう。昼夜問わずどの階のナースステーションにも1人～3人しか勤務していない状態を見て、安心できるでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　冒頭にも述べたようにこの容疑者がしたことは紛れも無い犯罪行為であり、擁護するつもりは一切ないですが、きっとこの容疑者も良い環境とはいえない中で勤務していたんだろうなと。その中で何か自分の考えも変化していったのかなと想像します。事件との因果関係については、施設で勤務する前の状態も関係しているかもしれませんが。</p><p>&nbsp;</p><p>　多くの人は自分が病気や障害を持ってしまったら守って欲しいと思うでしょうが、それ以前に「そうなるくらいだったら死んだほうがマシ」という方もいらっしゃるでしょう。現実問題、嘘か本当かは分かりませんが「私はもう迎えに来て欲しい（死にたいという意味）」「もう生きていくのが疲れた」などという話を利用者から受けたことが何度かありました。自殺するわけにもいかず、殺してもらうわけにもいかず、ただ施設で24時間365日過ごす毎日です。自身は家庭内介護を現在進行形で行っていますが、自分が介護をしていて大変なのは身をもって知っているので、私自身は要介護者になる前に自分で死を選択したいと思っています。ですが、安楽死や尊厳死が認められていないため、自分で死を選択するということは単なる自殺でしかないと思うと、それはそれで迷惑をかけてしまうのではないかと思ってしまいます。</p><p>　</p><p>　安楽死や尊厳死は認められて欲しいと思いますが、それは当の本人の意見や考えを尊重した上で家族とじっくり話し合って決めるべきであり、この事件のように他が決めてしまうことは絶対に避けなければならないと感じます。言葉として安楽死や尊厳死について決めることは非常に難しい問題で、解釈の違いで的な世論からも誤解されかねないことであるし、死にたいと思う人がどんどん死ぬだけの世の中になってしまうことを危惧します。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ariasjrb/entry-12497906736.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Jul 2019 07:33:35 +0900</pubDate>
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