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<title>アリスのブログ</title>
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<description>海外で起業した女社長のつぶやき</description>
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<title>コンプレックス</title>
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<![CDATA[ 仕事がひっきりなしに続き、ブログを書く暇もないが、敢えて書くことにした。<br><br>まるで尼僧の修業のように毎日朝から晩まで仕事をするのはなぜだろう？常に、勉強をし続けるのはなぜだろう?　金は十分にある、子供もいる、私がやめても何の支障もない。<br><br>一つの理由は、そこに仕事があるから。正直にいって、私は自分でこの仕事が向いているとおもったことはないし、この仕事にしがみついている理由もない。ただ目の前の仕事を誠実に一つ一つこなしているだけだ。だから仕事がなくなればそれで終わり。こちらから仕事をほしいといった覚えもない。起業をすることと目標にし、夢を見ている人もいるというのに私の場合は、周りから押されていつの間にか起業をしていた。3年持てばいいほうだとおもっているのに、気がつけば早10年余り。仕事はひきもきらないといえば自慢になるが、ビジネスは、運、値段、質のバランスだと思っているので、この3つがたまたま顧客のニーズとあっていただけ、ともいえる。それにしても、10年、創業以来コンスタントに利益をあげている自分をもっとほめてもいいのではないか、とは思う。<br>が、ビジネスとは怖いもの。一つ油断すれば大きな怪我をする。よって気が抜けない＝修業の毎日。<br><br>二つ目の理由は、私の中にある激しいコンプレックスのせいではないか、と最近突き詰めて思うようになった。私は、お金には執着はないし、競争はきらい、営業、売り込みもっと嫌い、人はそれぞれ自分の思う人生をいきていけばいい、と思っていた。でも、ならなぜ、このような、競争の激しい、自己顕示欲の塊のような世界、お金を主とするビジネスの世界に身を費やしているのか？と思っていた。そして行き当たったのが、実は私は、上昇志向の高い、本当は自己顕示欲の激しい人間なのではないか、と。今の仕事を選んだ一つのきっかけは、「君になんかなれっこない」といった上から見下したようなある人のコメント（今は同業者）であったし、それは、かつて私が幼少のときにいじめられ、見下された経験を思い出されるからなのかもしれない。<br><br>3つ目の理由は、知的刺激を自分は常に受けたいという純粋な欲望だと思う。今の仕事をしていると時々、とんでもない賢い人にあう。まだそういう人はとても誠実で勤勉である。そういう人とお互い認め合い、仕事をともにしていくのはとてつもない快感である。たくさんのプレッシャーと時間との戦いの果てに一つのプロジェクトを完成させる。そこに自分の貢献があり、相手の貢献がある。それはとてもすばらしいことだと思う。<br><br>最後の理由としては、多分「続けること」にこだわっているのだと思う。どんなに自分が鈍くさくても、向いてなくても、しつこく続けることで、形になっていく。私が、ここにいて、この仕事をしている、ということ事体が奇跡であり、英語でいうと「meant to be]つまり、「宿命」なのだと思うから。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/arisuus/entry-12014849352.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Apr 2015 02:51:06 +0900</pubDate>
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<title>お金があれば幸せになれる？</title>
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<![CDATA[ <p>お金があれば幸せになれるか？というタイトルで、投稿参加をしようと思ったら、もう投稿期間がおわってしまっていたので、ブログに書くことにした。</p><br><p>「お金があれば」をちょっと変更し、「いくらお金があれば幸せになれるか？」と考えてみたい。</p><p>今の資本主義社会、お金が全くなければ、やはり生きていくのは難しいでしょう。その辺の草木をたべるとか、自己栽培とかあるだろうけど、自己栽培だって、お金がなければ限度があるし。もしくは、お金がなければ、だれかに物やお金を恵んでもらわなければならない。つまり、誰かに依存しなければならない、ということだ。</p><p>パプアニューギニアみたいな部落では、お金の変わりに、穴の空いた石とか、動物とかの物々交換をして生活をしているらしいが、それだってお金と同じではないか？</p><br><p>なんだか、話が脱線気味なので、話を戻すと、結局、人間生きていくためには、お金又はお金の換わりになる最低限のものは必要だ、とは思う。</p><br><p>では、どのくらいあれば幸せになれるのか？について考えてみたい。</p><br><p>私が、日本やアメリカで出版されている、所謂「成功本」をみると、必ずといっていいほど、「成功＝お金」という数式ができあがっている。某女性企業家の本も「＿＿をして10倍収入を挙げる方法」とかね。そういう本が、ものすごく売れるって言うのは、やはり、成功して、お金をもうけて、ハッピーになりたい！と思う読者が多いからなんだろう。が、しかしここで、私の経験から、はっきり言おう！普通の生活ができるレベルの人が、その10倍収入が増えても、急に幸せにはならない！</p><br><p>私が起業をした後、収入は、文字通り、10倍に増えた。仕事がら、10倍どころか一般のサラリーマンの100倍ぐらいの収入を持っている人を何人も見た。が、そんなにお金があっても、一般のサラリーマンと比べて、幸せが10倍や100倍になったわけじゃない。</p><br><p>そりゃあ、人よりいいうちにすむ、とか、いいものをもっている、とかあるかもしれないし、私だって、今まで、1000円程度で、悩んでいたものが、1万円ー10万円ぐらいでも悩めず買える様になったりはするが、それも楽しいのは最初のうちだけだ。（あとで同じようなものがバーゲンで売っていると落ち込んだりして。ただの貧乏性なのかも。）</p><br><p>さすがに、収入が激増した当時は、ちょっと感覚がおかしくなり、うっかり必要ないものを買ってみたり、今まで手に出さなかった、ブランド品をかってみたりしましたが、実際にやってみても、その喜びは持続しないとわかったので、やめた。</p><br><p>買い物をすること、高価なものをもつことで、幸せな気持ちが持続する人はいるかもしれないが、私に限ってはそんなことはなかった。むしろ、セコハンで、信じられない値段で、他の人がいらなくなったものを引き取る喜びは、新しい、高価なものを沢山買うよりも、ずっと大きかった。</p><br><p>お金より大切なものがある、なんて偉そうにいうつもりはない。でも私の結論としては、人間は、ある一定の収入があれば幸せになれる。その収入から、何倍増えても、幸せは何倍になるわけじゃない、というのが私の結論だ。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/arisuus/entry-10570763843.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Jun 2010 00:14:22 +0900</pubDate>
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<title>住みたい街</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Darisuus%26ENTRY_ID%3D10570730688%26ENTRY_END_DATE%3D2010%2F06%2F30"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img alt="住みたい街は？" src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=5710">住みたい街は？</a> 参加中<br><div>本文はここから<br><br>今、アメリカに住んでいるので、日本に帰るたび、「げーっ！かっこいー！住みたいー！」といわれますが、すんでしまえばどこもあまり変わりません。日本に帰る度、日本の良さを再認識させられます。</div><div>が、食事面や景観のすばらしさの点からいって、フランスの田舎には住みたいなとは思います。ニースとかモナコとかコートダジュールと呼ばれる、フランスの南部海岸線は、とてもすばらしいので。</div><div>一時期真剣に考えていて、フランス語を習ったりもしていましたが、やはり、年を重ねるにつれ、新たな場所に進出するのが、億劫というかリスキーというか。結構、政府との許可とか大変みたいだし。やっぱり、ちょっと滞在する、と住んでみるのは格段の差があるわけで。私がアメリカに来たときはまだ20代で若かったので、無茶もできましたが、またあの苦労をするのは、体力的にきついな、と。皆さん、移住をするなら若いうちですよー！</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/arisuus/entry-10570730688.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Jun 2010 23:59:55 +0900</pubDate>
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<title>仕事と夫婦関係</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/arisuus/amemberentry-10086772676.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Apr 2008 23:45:36 +0900</pubDate>
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<title>イースター</title>
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<![CDATA[ <p>先週の日曜日はイースター、復活祭のお祭り。クリスチャンの家庭であれば、盛大なお祭りをして、教会にいって、ということになるのですが、日本人である私たちにはなんの関係もありません。しかし、現地校にいっている娘にとっては楽しいお祭り。復活祭では、かわいいウサギやら、ひよこやら、卵やら、かわいいキャラクターがいっぱいなもんで、かわいいもの大好きのお嬢様にはイースターは楽しいイベントなのです。</p><br><p>てなもんで、一念発起して、ごちゃごちゃの家を一日かけて片付け、娘の同級生を家に招待。まずはおきまりのエッグハンティング。さまざまな色ののプラスチックの卵のなかにキャンディーをいれておき、それを家のどこかへ隠す。そして子供たちに探させるというゲーム。絶対にあけてはいけない、ごちゃごちゃの押入れにはおおきく、「あけるな！」と張り紙をして、ゲームスタート。こどもたち必死でさがしてました。</p><p>お次はこれもおきまりの卵に色をぬるという遊び。おろかな私は間違えて、白じゃなくて茶色っぽい卵を買ってきてしまい、（そっちのほうがおいしかったもんで）、色がつかない。あわてて主人が買ってきてくれました。（ほっ）</p><p>あとはクッキーを焼いたり、ピザをつくったり。てんやわんやの一日でした。</p><br><p>日ごろ忙しくて母親らしいことをしてあげられない私。とっても満足で幸せな一日でした。娘は何度も何度もありがとうをいってくれて、「私こそありがとうだよー」と思わず涙ぐみそうになりました。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/arisuus/entry-10082940643.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Mar 2008 06:59:57 +0900</pubDate>
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<title>部下との関係について</title>
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<![CDATA[ <p>人を使うって難しい。昔からリーダーなんてなったこともなければ、会社勤めしていたころマネージャーもやっていたけど、いつも人を使う、より、お願いして使わせていただくって感覚だったし、それは今も同じ。結果、部下によってはそれを当然に思ってしまって、結局しわ寄せは私のほうに。</p><br><p>私が厳しくして、それをついていかせるだけのカリスマ性と能力がないのをわかっているので、やっぱりできません。なんとか自分のなかのありったけの能力と経験を示して、そういうことで部下がついてきてくれることを祈るばかりです。皮肉や嫌味に聞こえそうなことも最大限の注意を払って言わないようにしています。</p><br><p>と、いうわけで部下との関係は良好（？）だと自分では思っているのですが、友達の一人からは、「もっといいたいことをいったほうがいいよ」、といわれたりもします。でもそれをいったあと落ち込んで悩むのは私なんだよねー！</p><br><p>結局のところ、部下の資質を信じて、あとは部下が従いたいという動機づけをするしかないのかな？と思います。それこそが本当に難しいことなのですが。</p><br><p>目の前の仕事が終わらない、自分としては休みたい、遊びたい、誰かかわりにやってほしい、などと邪念いっぱいで、締め切りはどんどん迫ってくる。そのときに締め切り前に仕事を終えようという精神というのは、最終的には自分との戦いで、他の人は関係ない。</p><br><p>何とかして部下にやってもらうことも一つ、それをうまく動かせるか否かは私次第。部下ができなければ、私がやるしかない。そこでできるかどうかが、プロかどうかということで、経営者なんだから当然でしょ、といわれればそれまでですが、私は今までに経営者や責任者がすべての責任を部下に押し付けて平気な顔をしているのを何度も見ているので、まあ、そういう人たちもいるわけですが、そういう人たちは私の言う「真のプロフェッショナル」ではない、と思うわけです。</p><br><p>えらそうなことを書いていますが、そのくらいの勢いじゃないと、会社なんて経営できない、です。もっと能力のある経営者であれば、うまく部下をつかえるんだろうな、と思いますが。</p><br><p>というわけで、今日は休日出勤です。（とほほ）</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/arisuus/entry-10080506517.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Mar 2008 22:58:53 +0900</pubDate>
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<title>仕事と子育て</title>
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<![CDATA[ <p>仕事と子育ての両立、簡単にはいきません。でもほかの人をみるとちゃんとやっているように見えるにはなぜ？うちのだんな様はとても協力的で、子供の相手もしてくれるし、洗濯も黙々とやっています。が、しかし女性と男性のもともと備わった機能というものには決定的な違いがあり、彼のやる仕事はやはり、「男の仕事」のような気がします。どんなに彼が努力しても、娘は私にべったりだし。一生懸命遊んであげても、すぐに娘に手玉に取られる情けないお父さん。こんなにお父さんを手玉にとる娘の将来ちょっと心配。ま、お父さんと娘なんてどこもにたりよったりなのかもしれません。</p><br><p>仕事をしていると自分がどんどん男性化していく（つまり女らしい部分がなくなっていく）気がしませんか？そうでもしないと、仕事おわらないし。仕事をしていても女性らしい、かわいらしい女性になりたいと思いつつも、職場で花のように笑って、いいにおいを振りまいてーなんて、そんな余裕ないです。気づくとしぐさも心なしか男っぽくなっていたりします。仕事をしているときは子供のことは一瞬忘れます。</p><br><p>で、家に帰って主人と娘が喧嘩したりしていると、どかーんと罪悪感にさいなまれたりします。家で笑顔で待っていてくれると、一瞬にして疲れもふっとぶんですが。</p>
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<link>https://ameblo.jp/arisuus/entry-10079721706.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Mar 2008 23:48:46 +0900</pubDate>
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<title>はじめまして</title>
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<![CDATA[ <p>忙しいさなか、Blogを急に作りたくなりました。海外在住、働くお母さんです。子供はまだ小さいですが、仕事と子育ての狭間に四苦八苦しております。数年前に独立をして、会社経営なんぞをしております。これだけ書くと「なんかずごいぞ」と勘違いされるかたいらっしゃるかもしれませんが、私自身、こういう展開になるとは思っていなかった、と感じながら現在に至っております。</p><p>で、そういう色々な思いなんかを共有できればうれしいな、と思っています。</p><br><p>海外で仕事をしたいかた、留学したいかた、会社経営に興味のあるかた、など、私のプログをみて役に立てていただけたら、と思っていますので、私の現在の仕事に差しさわりのない範囲で、お話したいと思います。</p><br><p>プログ、まったくの初心者です。いつまで続くのかわかりませんが、とりあえず、開始です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/arisuus/entry-10079490387.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Mar 2008 01:54:05 +0900</pubDate>
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