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<title>Tree of Life: Art as Therapy</title>
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<description>心理や生活のおはなしを臨床アートセラピストの視点から</description>
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<title>お知らせ</title>
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<![CDATA[ <br>いつもお越し頂きありがとうございます。<br><br>勤務時間の変化に伴い、しばらくこのコラムの執筆をお休みさせて頂きたく思います。<br>コラムを再開する際には、またこのブログでお知せいたします。<br><br> 宜しくお願いします。<br><br>Yoshi Ugawa
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<link>https://ameblo.jp/arttherapy-tyo/entry-11790865148.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Mar 2014 14:31:55 +0900</pubDate>
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<title>体がくれるメッセージ　②</title>
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<![CDATA[ 自分の気持ちをセラピールームでいくら話しても、今いちすっきりできないクライアントさんに、問題となる人の写真をもってきてもらって、その人の顔を見ながら話してもらったり、その人への思いを色だけで紙の上に表現してもらうことがあります。すると、あんなに話していても変化のなかったクライアントさんが一瞬で泣き出してしまうことが多々あります。<br><br>これは色やイメージが普段私たちが押し殺している感情的な部位を司る脳の部位を、一瞬で活性化するからです。<br><br>不意に耳にした音楽を聞いて一瞬で心がゆさぶられたり、涙がでそうになった経験はありませんか？私はあります。<br><br>では、知的にだれかが演説するのを聞いた時は？　<br><br>知的な演説や論文は相手を感心させますが、感動はさせづらいかもしれません。もし、誰かの演説に心が動かされるとしたらきっとその中の「想い」のような情感の部分に私たちは反応しています。<br><br>こんな風に知的な心（頭）と感情的な心（体）は伝わる速度が全く違います。これを臨床に応用していくのがクリエイティブアートセラピストの仕事です。<br><br>表現されなかった感情は多くの場合、体にしまいこまれてしまいます。体にしまいこまれた感情は様々な健康上の弊害をおこします。心と体は密につながっているからです。クリエイティブアーツセラピーは、アート、ミュージック、ダンス、ドラマなどがあり、欧米には各々の分野でそれだけを特化して学んできたスペシャリストの臨床家たちがいます。意図的に体や感覚を使っていくことで体にしまい込まれたものを外在化してゆき、知的な心では解消されないカタルシスやきづき、安心感を得てゆくお手伝いをするナビゲーターとなるのです。<br><br>クリエイティブアートセラピーと聞くとアートもダンスも音楽も小学校以来やってことがないという抵抗感を覚える方が多くいます。それはきっと小学校時の「うまい」「下手」などの学校教育の延長線上で「アート」という概念が染み付いているのだと思います。実は一切才能、経験はいりません。<br><br>事情があって話せなくなってしまった人に向けて、いえなかったことを手紙に書いて、あたかもそこにその人がいるようにセラピストの前で読みあげるという行為は、ただ知的に話をしているときよりもクライアントさんの情感をゆさぶります。<br><br>実はこれもクリエイティブアートセラピーの一種です。<br><br>やもやした気持ちを手紙という目にみえる具象に落とし込んでいく事。表現すること。創作的（クリエイティブ）に手紙をかき、その人がここにいると「イメージ」して、自分の体の一部、声を使って語りかけてみること。頭の中で堂々巡りではなく人（セラピスト）の気配をかんじながら話す事。目を使って手紙を読み、その声を自分の耳で話しながらもとらえること。体と感覚、イメージを使い普段使わない脳の部位がスパークルすることで、深い感覚の部分とつながり、うめこまれていた感情が最終的に放出されます。<br><br>話を最初にもどしましょう。<br><br>急激な変化に体がついていけなくなったときは、貴重なメッセージとしてとらえ体のいうことを聞いてあげてください。すると自分のなかの知的な心は「お前はだめなやつだ」と非難するかもしれません。ですが、やつが暴走しすぎたせいで体が動かなくなったのですから「うるさい！」と一蹴して相手にしないようにしましょう。<br><br>まずはとにかく体のメッセージを優先して聞いてあげて下さい。体が以前のように動けるようになったら、回復後どうやったら知的な心と感情的な心のバランスがとれた健康的な生活がおくれるかその新しい変化に向けて歩いてゆける、またとないチャンスが待っています。<br><br>（注意＊うつ症状を一例に書きましたが、非定形型うつ、他の精神疾患症状についてはこの例はあてはまらないことをお断りしておきます。）<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140308/14/arttherapy-tyo/70/61/j/o0800050012868681047.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140308/14/arttherapy-tyo/70/61/j/t02200138_0800050012868681047.jpg" alt="" width="220" height="138" border="0"></a><br>
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<link>https://ameblo.jp/arttherapy-tyo/entry-11790847509.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Mar 2014 13:52:39 +0900</pubDate>
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<title>体がくれるメッセージ</title>
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<![CDATA[ 待ちに待った春がやってきます。４月から新しい暮らしをスタートされる方も多いのではないでしょうか。<br><br>引っ越し、転職、失業、就業、入学、卒業、失恋、結婚、離婚、病気や入院、災害、近しい人の死別。<br><br>大きな人生の節目には変化をともないます。大きな人生のイベントの後には、うつ病などの心の不調を訴える確率が、ぐーーんと高層ビルなみに高くなります。<br><br>変化は古い自分や、親しんだ生活の喪失から始まります。<br><br>新しいものを受け入れるには、古いものへの愛着を手放すリスクを負わないといけないのが辛いところです。こうやって言葉で書くと簡単ですが、そのプロセスは時に堪え難いほどの大きな痛みを伴います。<br><br>変化は自分が望んだか形でやってくる場合もまれにありますが、多くは予期しない形でやってきます。<br><br>急激な外界の変化に適応するための自己の急激な変化を望んでいても、人間には限界があります。<br><br>”頭ではまだまだ働きたい気はあるけど、もう朝起きられない。体が動かない。”ということはうつ症状のひとつですが、こんなことって何故おこるのでしょうか？<br><br>心と体のメッセージが食い違ってきた場合、体が発するメッセージの方が本物です。<br><br>私たちの多くは「人に迷惑がかからないよう」「こうしなければ」と社会生活の中で、節度ある大人として振る舞うよう長期にわたってトレーニングされています。この「ねれば」頭は多くの場合、私たち自身の心を欺きます。<br><br>（続きます）
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<link>https://ameblo.jp/arttherapy-tyo/entry-11789948622.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Mar 2014 13:53:37 +0900</pubDate>
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<title>エディス・クレーマー死去のニュースに思うこと</title>
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<![CDATA[ 先週の金曜日にアートセラピーの先駆者であるエディス・クレーマーが亡くなったとのニュースがはいってきました。９８歳だったそうです。アートセラピストとアーチスト両方の彼女のファンだっただけに、唯一無二の重要な無形文化財を失ったような気分でとても残念です。<br><br>エディス・クレーマーはオーストリア生まれ。難民としてニューヨークに渡り、じきに子供たちにアートを教えるようになります。後にニューヨーク大学で教鞭をとるようになりました。<br><br>「どんな内的変化がおきたらこのクライアントにとって好ましいか？」<br><br>クレーマーはこの問いを徹底的にやったひとでした。クライアントを怒らせてしまった自身の失敗談も隠す事なく論文に記しています。（＊１）<br><br>アートの経験がないと鉛筆の一本線だけを残したクライアントがいたとしても、その一本の線を大事に出発点として始める共感性と柔軟性。アートは内的世界を外的に出そうとするクライアントの自己表現の試みです。正解も善し悪しもなく、全ての人に意味をもたらす行為ですが,　「あたかも正解があるようにふるまう」「ゴールに最短距離でたどり着こうとする」社会の影響をセラピスト自身が払拭できていないことを彼女は警告していました。<br><br>セラピスト側のおしつけ、おせっかいや理想化。はてまた言語化しすぎて、クライアントがせっかく作り出した視覚的言語の世界によりそわず、その世界をぶち壊すこと。．．．何度読んでも、読む度にハッとさせられる論点です。<br><br>クレーマーは心理セラピストが対面型の言語セラピーをメインとしつつ、その補助としてアートセラピーを用いることにはあまり賛成していませんでした。造形活動の視覚的コミュニケーションが、言語化できるもの以上に雄弁に語りかけているひとつの豊かな言語になっていると考えていたからです。そのため、アートを用いるセラピストはその領域にどどまって、言葉をつかわずクライアントの内的世界と対話できるだけの専門トレーニングをつまないといけないと信じていました。<br><br>アーチストとしても卓逸した才能をもっていたクレーマー。<br><a href="http://www.edithkramer.com/" target="_blank">http://www.edithkramer.com/</a><br>芸術とアートセラピーに彼女が託した類いまれな情熱の裏に、当時の戦争の影響を色濃くかんじるのは私だけでしょうか。彼女の激動の人生がうかがえます。<br><br>心からご冥福をお祈り申し上げます。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140226/13/arttherapy-tyo/42/95/j/o0288036512858378856.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140226/13/arttherapy-tyo/42/95/j/t02200279_0288036512858378856.jpg" alt="" width="220" height="279" border="0"></a><br><br><br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br>①The Art Therapist’s Third Hand: Reflections on Art, Art Therapy, and Society at Large/ <br>Edith Kramer , American Journal of Art Therapy. Vol.24, Feb 1986
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<link>https://ameblo.jp/arttherapy-tyo/entry-11782104773.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Feb 2014 12:52:18 +0900</pubDate>
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<title>結果が思うように出せないとき</title>
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<![CDATA[ フィギアスケートの真央ちゃんすごかったらしいですね。<br>私はまだ見てないのですが．．．今日は電車の中でみかける新聞のみだしが気になって気もソゾロでした。<br><br>早く今晩テレビで生の演技をフルでみたくてワクワクしてます。<br><br>もう駄目だろうと思われる状況でも、あきらめないでベストを尽くす人の姿にいつも心うたれます。<br><br>どんな状況でもありったけの持ち駒で全力勝負。<br><br>勝負には負けても自分には負けなかったというのはこういうことなんだろうなあ。<br><br>ここ何年か経過（プロセス）と結果について考えさせられることが多い。結果よりも経過そのものを大事にしたとき人生は何倍にも豊かになる。経過は毎日の生活そのものだから。生活に勝ち負けはない。ただどんな状況でも自分の心と体を使って生きている深く根付いた実感があるだけだ。<br><br>その反面、結果のみを優先になると、ゴール以外のことがすべて手段にしかみえなくなり、下手をすると完璧主義者にかわっていってしまう。視野が狭くなり生きている実感や感情がなくなってしまう。こころの健康の為に、結果主義を変えないといけない。<br><br>とはいったものの、それでも結果を出さないといけない時も人生にはある。というのもここ最近増えている状況。特に合理化や競争が進んだ社会では、目に見えてわかりやすい結果へのプレッシャーが年々強まっている気がしています。<br><br>うーん。それでも結果より経過が大事だと思うなあ。<br><br>人や数字との勝負は終わりがないけれど、自分との勝負は、失っていた自分への信頼感を取り戻させてくれます。どんな状況にあっても、他人には負けても自分には負けないで、一生懸命生きている人とその努力の賜物をたくさんこの仕事を通してみてきたから、 1000％そっちが真実だと思っています。<br><br> ”HIt the Bottom” ＊どん底までいったら後は自然にあがってくるだけだから、これからはもう大丈夫だよ＊（注意：この英単語解釈は私の創作もはいっているので、そのまま信じないでくださいね）という言葉が大好きです。<br><br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br>Yoshi Ugawa<br>カウンセリングのハートコンシェルジュ<br> URL: www.heartc.com/‎<br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br>
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<link>https://ameblo.jp/arttherapy-tyo/entry-11778284610.html</link>
<pubDate>Fri, 21 Feb 2014 19:24:12 +0900</pubDate>
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<title>セラピストの必須条件②：対等な信頼関係</title>
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<![CDATA[ 引き続き、セラピストがクライアントさんを傷つけてしまう結果に終わってしまう要因について考えてみたいと思います。<br><br>二つめの大きな原因として、両者の間で対等な信頼関係が結べなかった可能性が考えられます。<br><br>セラピールーム内でのセラピストとクライアントの関係はちょっと特殊です。<br><br>クライアントさんは心が弱っているときに、今まで誰にもいえなかった悩みや、思い出すのも辛い出来事を心理の専門家である（または専門家であるらしいと思われる）セラピストに、信頼してお話しますが、今までセラピーというものを経験したことのない人には、この一連の行為はかなり傷つきやすさを伴い、不安感を感じやすくなります。<br><br>心の問題があるとき人は人間不信に陥りやすくなるのはもちろん、こころが弱っていない健康的な人あっても、セラピーというものを受けるのにはかなりの勇気がいることです。<br><br>「今の表情は本当は言葉とは裏腹で、私の意見に反対に違いない」<br>　「こんなことをいったら馬鹿にされるかもしれない」<br>「この人は私の知らない何かを知っているのだから、従わなければいけない」<br><br>セラピーの場は、両者の信頼関係が結ばれるまではクライアントさんがセラピストの表情や言葉のトーンを深読みしてしまったり、患者さんとしての責任感や威圧感を感じやすくなる場でもあります。<br><br>この関係を突き抜けて、クライアントさんがセラピールームにきたら、何でも話せる上下関係のない対等な信頼関係をつくりあげることが、安全で有効なセラピーセッションをつくるための大前提になります。<br><br>この大原則に反して、セラピストがクライアントさんを自分の支配下においたり、自分の意見ややり方を押し付けたり．．．または毎回クライアントさんの話をただ聞いているばかりで、適切なフィードバックをしてくれなかったとき。<br><br>両者の間での関係が一方的なまま終わってしまったとき、セラピストがクライアントさんを傷つけてしまうことになります。<br><br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br>Yoshi Ugawa<br>カウンセリングのハートコンシェルジュ<br> URL: www.heartc.com/‎<br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br>
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<link>https://ameblo.jp/arttherapy-tyo/entry-11772107866.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Feb 2014 16:02:58 +0900</pubDate>
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<title>クライアントを傷つけないセラピストの必須条件</title>
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<![CDATA[ 最近、ある支援施設の関係者の方から自治体の方針にしたがって大学院をでたての若い心理セラピストをいれたが、その後悩みを話したクライアントさんが次々に精神的におかしくなって、余計トラウマになったとの話を聞きました。<br><br>同じ心理職に携わるものとしてはとても残念な話ですが、こういった話を聞くのは実は初めてではありません。<br>実際に同じような話を今までにも幾度となく耳にしています。<br><br>それでどうしてこんな事になったのか私なりの意見を述べてみたいと思います。<br><br><font color="#FA8072">ーーー＊ーーー＊ーーー＊ーーー＊ーーー＊ーーー＊ーーー</font><br><br>一つは、セラピスト側のスーパービジョンの欠如が考えられます。<br><br>心理専攻の学生はスーパービジョンを受けることが必須と定められています。スーパービジョンとは、密室でクライアントさんと二人っきりで行われるセッションの公平さを保つために別のセラピスト（スーパーバイザー）にその案件に関わってもらうコンサルテーションのことです。<br><br>セラピストが「私のこのやり方で絶対正しい」と暴走して突っ走ったりしないように、第三者的なスーパーバイザーが冷静な距離から意見をくれます。この中立性によりセッションの質が高まります。<br><br>学生のみならず、独り立ちしている経験豊富なセラピストも常にスーパービジョンを受けることが望ましいとされています。それは、どんなに優れたセラピストも苦手な分野の人がいることと、自分一人では個人的な経験からのバイアスを完全にとりのぞくことが難しいからです。<br><br>スーパービジョンではセラピストは自分の失敗や迷い、セッション計画の全てをさられけだせなくてはいけません。学生など経験も少なくエゴの弱いセラピストの場合は、こんなことをいったら恥ずかしい、セラピストとして尊敬されなくなる。と正直なセッションの感想や失敗などをスーパーバイザーにさえ話さないケースがあります。また、逆にスーパーバイザーが非協力的なため（高圧的、意地悪など）セラピストが話せなくなるケースもあります。<br><br>こうしたことが続くと、そのセラピストは形だけはスーパビジョンに参加していて、学校も卒業したけど、自己開示をきっちりしなかったため、実践から多くを学べなかったという悲劇につながってしまいます。<br><br>質の高いスーパービジョンはセラピストの成長のためでもありますが、なによりそのセラピストからセッションを受けるクライアントさんの安全確保の為に必須で、ほぼ義務といってもいいと思います。<br><br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br>Yoshi Ugawa<br>カウンセリングのハートコンシェルジュ<br> URL: www.heartc.com/‎<br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝
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<link>https://ameblo.jp/arttherapy-tyo/entry-11766970945.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Feb 2014 18:00:40 +0900</pubDate>
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<title>思い込み＊　新しい目で世界をみる⑤</title>
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<![CDATA[ 思いこみは、世界をみるこころの色眼鏡です。レンズ越しに色のついた世界をみているとどこまでが自分が作りだした色で、どこまで現実の色かその境目が曖昧になってきます。自分がかけていると、他人までその色眼鏡をかけて自分をみている気がしたり。 <br><br>全ての人が自分が見聞きしたことや各々の経験にあわせて、そんな色眼鏡をもっていてます。それも大切な個性です。ただ、自分や他者に対して先入観や偏見のない人が一番ストレスなく心身ともに健康でいられるという研究結果があります。今よりもっと、こころの自由度が高い充実感のある人生を送りたい時は、心のとげとなっている”物の見方”の棚卸しが必要な時期かもしれません。<br><br>最後に、今まで知らずに掛けていた思い込み眼鏡の色を薄くし、世界と自分の新しい可能性に気がつく助けになってくれるエクササイズをリストアップしてみました。<br><br>ー　自分の隠れた思い、恐れ、過去とのリンクに気がつくこと。<br>　　変えられない過去ではなく今を生きる決意をする<br><br>ー　勇気をもって新しい経験にむかって心を開く<br><br>ー　いつもの行動パターン＆表現パターンを意識的に変えてみる　<br><br>ー　周りの情報を鵜呑みにせず、自分の体と目を使って現実チェック<br><br>ー　普段は会わないような多様な人と直に触れる機会を持つ　ボランティア等もオススメです　<br><br>ー　全く別の視点から多角的に物をみる努力　共感力をつける<br><br>ー　率直な意見をくれ、かつ信頼できる友人や先輩をもつこと<br><br>ー　そのためには自分も率直さをもって他者に接すること<br>　　よそいきでない自分で自己表現してみる勇気<br><br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br>Yoshi Ugawa<br>カウンセリングのハートコンシェルジュ<br> URL: www.heartc.com/‎<br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/arttherapy-tyo/entry-11761636944.html</link>
<pubDate>Fri, 31 Jan 2014 11:15:58 +0900</pubDate>
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<title>思い込み＊　異性にもてないと結婚できない？④</title>
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<![CDATA[ 前回から引き続き、自分に好意をもってくれる人を好きになれないAさんのおはなしです。<br><br>やりとりを続けるうちにAさんは自分に自信がないばかり、いつも異性を自分より格上か格下かでみてしまう自分の傾向にきがつきました。自分が好きになる人は手の届かない格上の人。でも自分に興味をもってくれる人は格下。 <br><br>実は心のどこかでAさんは自分のことが好きでありませんでした。 Aさんとってはそんな自分に興味を持つ人を信用できるわけがなかったのです。<br><br>取り繕わない自然な Aさんのことをわかってくれる誰かといっしょにいたいという気持ちよりも、自分を押し殺してでも、少しでも「格上」の異性と結婚をして自分の自信のなさを埋めてほしいといった願望があったのです。　 <br><br> Aさんのこのような他者へのジャッジメントと理想化を、何かものごとを計る「物差し」とすると、その「物差し」はそのうち他人だけでなく自分にも使われるようになります。このこころの物差しこそが、使用しているその人自身を苦しめ、逃げ場のない場所まで追いつめてしまうのです。<br><br>Aさんが自分の本当の願望を探索してみると、Aさんが結婚したい理由は、弱い惨めな立場から抜け出したいことでした。つまり Aさん自身がもてない人や結婚していない女性や、自分に好意を抱いてくれるようなごく普通の男性と結婚した女性は「弱くて惨めだ」と心のどこかで下にみていたからこそ、「（ある特定の人に）もてなく結婚できない自分は惨めだ」と落ち込んでいたのです。<br><br>自分と他者をつねに勝者、敗者の２つのカテゴリーのどちらかにいれて考えてしまうこと。ありのままの自分では敗者だとおもっていること。自分に好意をもってくれる人で素敵な人はいないと思いこんでいること。<br><br>このAさんの中にある思い込みこそが Aさんを長年苦しめている原因でした。<br><br>時間をかけて後に Aさんは「選ばれなく惨めだった」幼少期の体験や、人目を極度に気にしていた親との関係、目立つグループに必死でついていこうとしていた学生時代の経験があり、それが心のとげになり、物事をみるパターンになっていたことに気がつきます。<br><br><br>＊文中の例はクライアントさんのプライバシーに配慮して一部、変更、創作、もしくは複数の実例を組み合わせています。<br><br><br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br>Yoshi Ugawa<br>カウンセリングのハートコンシェルジュ<br>URL: www.heartc.com/‎<br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br>
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<link>https://ameblo.jp/arttherapy-tyo/entry-11757490103.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Jan 2014 14:10:03 +0900</pubDate>
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<title>思い込み＊異性にもてないと結婚できない? ③</title>
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<![CDATA[ ここ数年メディアでは「モテ」が消費キーワードとなっています。今年のモテ服、モテ顔メイク、モテる人の条件．．．メディアは流行や事件性がないと商売になりません。そのため、ドラマティックな事やショッキングそうな事をやたら強調します。ある枠があってそれに入らないとアウト！と面白可笑しく潜在的な不安を煽っている面もみられます。<br><br> Aさんは本当の自分では好かれるわけがないと信じていました。Aさんは本当の自分は、けっこう腹黒く、がさつだし、かわいくもないし．．．　だから自分を変えたら好かれるのではないかといつも必死に努力していたのです。<br><br>ですが、年齢的なこともあり、努力しても思いが実らない現実に直面したとき、 Aさんは完全に行き詰まってしまいました。<br><br>また、Aさんからよくよく話を聞いてみると、 不思議なことがわかりました。<br><br>Aさんには少なからず異性からのアプローチがあるのにも関わらず、何故かそれは自身の「もてる」度にはカウントされていませんでした。<br><br> Aさんにとって、異性にもてるとは、「自分が選んだ人」にもてるということだったのです。 Aさんは好きになった人には尽すのですが、いつもうまくいかない為、手に入らないいわゆる高値の花のような人への思いをつのらせてしまう傾向がありました。逆に自分のことに興味をもってくれた異性はなぜか全く興味をもてない。と Aさんは言い切ります。<br><br>（続きます）<br><br>＊文中の例はクライアントさんのプライバシーに配慮して一部、変更、創作しています<br><br><br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br>Yoshi Ugawa<br>カウンセリングのハートコンシェルジュ<br>URL: www.heartc.com/‎<br>＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br>
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<link>https://ameblo.jp/arttherapy-tyo/entry-11756906914.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jan 2014 17:24:06 +0900</pubDate>
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