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<title>ＡＳＡ千束の地域情報ブログ</title>
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<description>千束地域の活性化と千束地域の発展を応援！</description>
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<title>二葉亭 四迷（ふたばてい しめい）</title>
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<![CDATA[ 明治元年（1864年）2月28日、江戸市ヶ谷合羽坂の尾張藩上屋敷にうまれる。<br><br>本名：長谷川辰之助（はせがわ たつのすけ）<br><br>日本の小説家、翻訳家。<br><br>筆名の由来は、文学に理解のない父に「くたばってしめ（ま）え」といわれたことから（ただし、俗説であるとの見方も強く、確証はない。一説には自嘲ともいわれている）。<br><br>坪内逍遙と交流を結び、その勧めで評論「小説総論」を発表。<br><br>1887年～1891年の間に出された写実主義小説「浮雲」は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の鼻祖となった。<br><br>また、ロシア文学の翻訳も多くてがけ、ツルゲーネフの「あひゞき」「めぐりあひ」は特に有名。自然主義作家へ大きな影響を与えた。<br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 28 Feb 2013 09:56:49 +0900</pubDate>
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<title>コンスタンティヌス1世</title>
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<![CDATA[ 272年か273年の2月27日、モエシア属州のナイッスス（現セルビアのニシュ）で生まれる。<br><br>ローマ帝国の皇帝（在位306年～337年）。<br><br>帝国を再統一し、専制君主制を発展させたことから「大帝」と称される。<br><br>キリスト教を公認してその後の発展の政治的社会的基盤を用意したことから、正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会では、聖人とされている。<br><br>記憶日は、その母太后聖ヘレナと共に6月3日。<br><br>日本正教会では正式には「亜使徒聖大帝コンスタンティン」と呼称される。<br><br>1950年にギリシャで発行された旧100ドラクマ紙幣に肖像が使用されていた。<br><br><br><br><br>
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<pubDate>Wed, 27 Feb 2013 09:56:10 +0900</pubDate>
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<title>リーヴァイ・ストラウス</title>
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<![CDATA[ 1829年2月26日、ドイツのバイエルンのフランケン地方ブッテンハイムで、ユダヤ系一家にレーブ・シュトラウスとして生まれる。<br><br>1847年に母親と二人の姉妹と共にニューヨークに移り住み、二人の兄、ヨナ、ルイスが営んでいた織物業を手伝い始めた。<br><br>1850年に「レヴィ・シュトラウス」と改名。<br><br>1853年にはあカリフォルニア州サンフランシスコに移り住み、「リーヴァイ・ストラウス」となる。<br><br>当時はゴールドラッシュの最盛期であり、金の採鉱者たちが衣服や縫製の需要を持っていると期待した。<br><br>彼はテントや荷馬車の幌を作るためにキャンバ帆布を準備し、、採鉱者たちに販売した。<br>義理の兄弟デヴィッド・スターンと共にリーバイ・ストラウス社をカリフォルニア・ストリートに開業した。<br><br>1873年5月20日、ストラウスとデイヴィスはデニムの作業ズボンのポケットを銅製の鋲で強化する特許を特許番号139121号として取得した。<br><br>リーバイ・ストラウス社はニューハンプシャー州マンチェスターのアモスキーグ社製の帆布を用いて、最初のジーンズを製造し始めた。<br><br><br><br><br>
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<pubDate>Tue, 26 Feb 2013 11:00:56 +0900</pubDate>
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<title>蓮如（れんにょ）</title>
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<![CDATA[ 応永22年（1415年）2月25日、京都東山の本願寺（現在の知恩院塔頭崇泰院（そうたいいん）付近）にて、本願寺第7世存如の長子として生まれる。<br><br>室町時代の浄土真宗の僧。<br><br>本願寺第8世。<br><br>本願寺中興の祖。<br><br>同宗旨では、「蓮如上人」と尊称される。諱は兼壽。<br><br>院号は信證院。<br><br>明治15年（1882年）に、明治天皇より「慧燈大師」の諡号を追贈されている。<br><br>しばしば本願寺蓮如と呼ばれる。<br> <br>親鸞の直系とはいえ蓮如が生まれた時の本願寺は、青蓮院の末寺に過ぎなかった。<br><br>他宗や浄土真宗他派、特に佛光寺教団の興隆に対し、衰退の極みにあった。<br><br>その本願寺を再興し、現在の本願寺教団（本願寺派・大谷派）の礎を築いた。<br><br>蓮如の布教は、教義を消息（手紙）の形で分かりやすく説いた『御文』（『御文章』）を中心に行われた。<br><br>後に蓮如の孫、円如がこれを収集して五帖80通（『五帖御文』）にまとめた。<br><br>これに含まれない消息は『帖外御文』と言われ、倍くらいの数の消息が数えられている。<br> <br>文明5年（1473年）3月、吉崎で親鸞の「正信念仏偈」（「正信偈」）、「三帖和讃」を開版し、門徒たちの朝夕の勤行に用いるよう制定した。<br> <br>また、門徒個人が所有する「道場」、村落ごとに形成された「惣道場」の本尊に「十字名号」（文明期以降は、「六字名号」や「阿弥陀如来絵像」）を与えた。<br> <br>その他の著作に『正信偈大意』『正信偈証註釈』、信仰生活の規範を示した「改悔文」（「領解文」）などがある。<br> <br>また蓮如の死後、弟子達が蓮如の言行録を写し継いだ書物として『蓮如上人御一代記聞書』（『蓮如上人御一代聞書』）全316箇条が残されている。<br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 25 Feb 2013 15:13:23 +0900</pubDate>
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<title>ヴィルヘルム・カール・グリム</title>
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<![CDATA[ 1786年2月24日、ドイツのハーナウに生まれ、ドイツの言語学者・文学者、並びに童話・伝承の収集者。<br><br>1806年以来、兄のヤーコブとともに昔話の聞き取り調査を始めた。<br><br>これが後にまとめられ、彼らの編集で世に出ることになる。<br><br>「グリム兄弟の子どもと家庭の童話」（グリム童話集、全2巻）は、グリム兄弟の名を一躍有名にした。<br><br>ヴェルヘルムは、さらに古代デンマークの英雄譚、英雄叙事詩、物語詩、さらに昔話も出版している。<br><br>兄との共同の仕事では、ゲルマン語の古典文献学、ゲルマン語学やドイツ語文献学などの基礎を築いた。<br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sun, 24 Feb 2013 22:05:37 +0900</pubDate>
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<title>山極 勝三郎（やまぎわ かつさぶろう）</title>
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<![CDATA[ 文久3年（1863年）2月23日、信濃国の上田藩（現在の長野県上田市）に生まれる。<br><br>日本の病理学者で、人口癌研究のパイオニアとして知られています。<br><br>同郷の医師である山極吉哉の養子となり、ドイツ語を学びつつ医師を目指す。<br><br>1880年に東京大学予備門、1885年には東京大学医学部（のちの東京帝大医学部）に入学し、卒業時は首席という成績を残す。<br><br>1891年からドイツに留学、帰国後の1895年に東京帝大医学部教授に就任。<br><br>専門は病理解剖学。特に癌研究では日本の第一人者であった。<br><br>1889年には肺結核を患うものの療養を続けながら研究を行う。<br><br>1915年には世界ではじめて化学物質による人工癌の発生に成功。<br><br>1923年には帝大を定年退官。<br><br>1930年、肺炎で逝去する。<br><br>山極による人工癌の発生に先駆けて、デンマークのヨハネス・フィビゲルが寄生虫による人工癌発生に成功していた。<br><br>当時からフィビゲルの研究は一般的なものではなく、山極の研究こそが癌研究の発展に貢献するものではないかという意見が存在していたにもかかわらず、1926年にはフィビゲルにノーベル生理学・医学賞が与えられた。<br><br>山極は1925年、1926年、1928年と没後の1936年の4度、ノーベル生理学・医学賞にノミネートされているがノーベル賞は受賞していない。<br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 23 Feb 2013 08:20:22 +0900</pubDate>
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<title>ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ</title>
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<![CDATA[ 1857年2月22日、ドイツのハンブルクで誕生。<br><br>ドイツの物理学者で、マックスウェルの電磁気理論をさらに明確化し発展させた。<br><br>1887年電磁波の発信と受信の実験を行い、この実験を通して、マクスウェルとファラデーが予言した通り、電磁波が空間を伝播することが証明され、無線の発明の基礎となりました。<br><br>1888年に電磁波の放射の存在を、生成・検出する機械の構築によって初めて実証した。<br><br>しかし、ヘルツ自身は「単にマックスウェル先生が正しかった事を証明しただけの実験だ。今後については何もない」とも言っていたようです。<br><br>現在の無線通信における業績は、ヘルツの実験及び発見の理論付けを後世のものが行った結果でもあります。<br><br>そして、1930年にヘルツの名前は周波数を示すSI単位である「ヘルツ」に採用された。<br><br><br><br>
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<pubDate>Fri, 22 Feb 2013 07:11:13 +0900</pubDate>
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<title>ジャンヌ・カルマン</title>
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<![CDATA[ 1875年2月21日、フランスのアルルで誕生。<br><br>人類史上（確実な証拠がある中で）最も長生きをした人物。<br><br>122年と164日生き、確実な証拠がある中で大還暦を迎えた史上唯一の人物。<br><br>フェンシングは85歳から始め、自転車は100歳まで乗ったようです。<br><br>1989年に113歳で世界で最も長生きしている人物としてギネスブックに載った。<br><br>1995年10月17日、ついに120歳と238日で、ギネスが公認していた泉重千代を超えて史上最年長の人になった。<br><br>114歳の時に本人役で映画「Vinsent and Me」に出演し、史上最年長の女優になった。<br><br>また、117歳まで喫煙をしていたようです。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/asa-senzoku/entry-11475334764.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Feb 2013 15:11:11 +0900</pubDate>
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<title>志賀 直哉（しが なおや）</title>
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<![CDATA[ 明治16年（1883年）2月20日、宮城県石巻生まれ、東京府育ち。白樺派を代表する小説家のひとり。<br><br>学習院初等科、中等科、高等科を経て、東京帝国大学文学部英文学科入学。<br><br>明治41年（1908年）ごろ、7年か師事した内村鑑三のもとを去り、キリスト教から離れる。<br><br>国文学科に転じた後に大学を中退した。<br><br>大正4年（1915年）柳宗悦の勧めで千葉県我孫子市の手賀沼の畔に移り住む。<br><br>この後大正12年（1923年）まで我孫子に住み、同時期に同地に移住した武者小路実篤やバーナード・リーチと親交を結んだ。<br><br>著者唯一の長編小説である『暗夜行路』（1921年 - 1937年）は近代日本文学の代表作の一つに挙げられる。小林秀雄は、視覚的把握の正確さを評価している。<br><br>昭和24年（1949年）親交を深めていた谷崎潤一郎と共に文化勲章受章。<br><br><br>
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<pubDate>Wed, 20 Feb 2013 07:14:17 +0900</pubDate>
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<title>ニコラウス・コペルニクス</title>
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<![CDATA[ 1473年2月19日、ポーランドのトルンに生まれた、ポーランドの天文学者。<br><br>1491年にコペルニクスはクラクフ大学に入学し、月の精密な軌道計算を史上はじめて行った著名な天文学者で従来より定説とされていた天動説に懐疑的な見解を持っていたアルベルト・ブルゼフスキ教授によってはじめて天文学に触れた。<br><br>さらにコペルニクスが化学に引き込まれていたことが、ウプサラの図書館に収蔵されている当時の彼の本からも窺うことができる。<br><br>卒業後、叔父の計らいで聖堂の職につき生活の保障を得、4年と少しの間トルンにいたあと、1496年から1503年にかけて留学し、イタリアのボローニャ大学やパドヴァ大学で法律（ローマ法）について学び博士号を取得した。<br><br>教育に援助をしていた叔父は彼が司祭になることを望んでいたが、カノンとローマ法について学んでいる間に、彼の恩師であり著名な天文学者であるドメーニコ・マリーア・ノヴァーラ・ダ・フェッラーラと出会い、その弟子となった。<br><br>ノヴァーラの影響により本格的に地動説に傾倒し、天動説では周転円により説明されていた天体の逆行運動を、地球との公転速度の差による見かけ上の物であると説明するなどの理論的裏付けを行っていった。<br><br>ただしコペルニクスは惑星は完全な円軌道を描くと考えており、その点については従来の天動説と同様であり単にプトレマイオスの天動説よりも周転円の数を減らしたに過ぎない。<br><br>実際には惑星は楕円軌道を描いていることは、ヨハネス・ケプラーにより発見された（もっとも天体が円運動を描いているという仮定により、天文学者は天体の逆行運動の説明を迫られたのであり、そういう思い込みが存在しなかったのならそもそも天体運動を探求する動機すら存在しなかったのであり、コペルニクスが円運動にこだわった限界はやむを得なかったとする評がある。<br><br><br><br><br>
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<pubDate>Tue, 19 Feb 2013 07:59:42 +0900</pubDate>
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