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<title>鷹泊　昭和30年代</title>
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<title> 令和8年、鷹泊の人口は38人。どこまで人口が減っていくのか。</title>
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<![CDATA[ <p>深川市のホームページでの人口統計を見ると、令和8年4月30日の時点で、鷹泊の世帯数は25世帯で、人口は38人とのこと。（10年前の平成28年は世帯数は37で人口76人であった。）</p><p>&nbsp;</p><p>鉄道深名線がなくなったのが、平成7年9月4日(1995年)。</p><p>鷹泊から小学校がなくなったのが、平成９年3月31日(1997年)。</p><p>私の実家が鷹泊を去ったのが平成5年。この頃、廃線が間近い鉄道深名線のディーゼル車に久しぶりに乗った記憶がある。昭和30年台に乗った車両よりも大きく感じた。それから33年経っているが、ここまで人口減少がすすむとは思い寄らなかった。</p><p>鷹泊小学校は1997年多度志小学校に統合合併されているが、その多度志小学校のホームページを見ると、今年（令和8年）4月での全校生徒数は11人とのこと。これだけ人口が減っていると当たり前の現実として認識しなければいけないが、子供が多かった昭和30年台に鷹泊小中学校へ通った者としては、信じられない思いで唖然とする。</p><p>&nbsp;</p><p>鷹泊を含めた多度志町は1970年に深川市に編入合併しているが、深川市本体も昭和30年台最盛期3万6000人の人口が、現在は約半数の1万7000人にまで減っている。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260527/12/asabayama/e9/4a/j/o0409026515786633908.jpg"><img alt="" height="265" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260527/12/asabayama/e9/4a/j/o0409026515786633908.jpg" width="409"></a></p><p>写真はありし日の鷹泊駅（鷹泊ふるさと会の資料による）</p>
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<pubDate>Wed, 27 May 2026 12:34:38 +0900</pubDate>
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<title>季節は５月中旬。昭和30年台の鷹泊のこの時期の記憶。</title>
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<![CDATA[ <p>道央部の桜は散ってしまった。ふるさと鷹泊の桜も散ったのだろうか。気温上昇の影響で、桜の季節も変動してしてしまった昨今である。</p><p>昭和30年台鷹泊の桜の時期はいつだったのだろう。5月中旬の小学校の遠足で見たペンケ神社の桜は、ちょうど満開のタイミングということもあってすばらしかった記憶は濃厚に残っている。年によって開花時期に違いはあったと思うが、昭和39年度の遠足の時期が5月15日だったので、開花時期もその頃だったと思う。桜は全国どこででも咲くが、いつどこで、誰と見たかで感動度合いが大きく異なる。</p><p>　昭和39年は、5月28日から6月1日が農繁休暇で6月13日が運動会だったとの記録がある。</p><p>鷹泊が水田主体の農村になりつつあった昭和30年台は、学校行事と農作業が密接につながっていた。農繁休暇イコール田植え時期だったはず。田植えを手伝っている時にカッコウの鳴き声が聞こえていた記憶がある。</p><p>今現在の田植え時期はいつなのだろうか。ネット検索すると、北空知地方（深川市、北竜町、沼田町など）の田植えは、例年5月中旬から始まり、5月下旬に最盛期を迎えるとのことで、昭和30年台とそれほど変わっていない。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260514/13/asabayama/0b/d8/j/o0512051215782126855.jpg"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260514/13/asabayama/0b/d8/j/o0512051215782126855.jpg" width="420"></a></p><p>写真は2010年5月撮影　水を張った水田の向こうに鷹泊小学校グラウンドに植えられた千本桜が見える。</p>
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<pubDate>Thu, 14 May 2026 14:06:53 +0900</pubDate>
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<title> 桜開花の時期。鷹泊の千本桜はきれいに咲いているのだろうか。</title>
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<![CDATA[ <p>　 桜開花の時期。鷹泊の千本桜はきれいに咲いているのだろうか。今年は暖冬だったせいで、もう桜の頼りが聞かれる。札幌市は4月18日の桜の開花宣言をしている。統計のある過去の開花日の中で2番目の早さとのこと。旭川は4月21日に開花、平年より13日早く観測史上最速とのこと。</p><p>　鷹泊の桜といえば鷹泊小学校の跡地にできたリフレッシュプラザの前庭にある千本桜を思い浮かべる。1997年に学校が閉校になり、翌年の1998年（平成10年）に千本桜は、植樹されている。</p><p>　このブログの最初の頃にも書いたが、2016年5月16日に鷹泊を訪れたが、千本桜は未開花だった。途中の多度志では桜は咲いていた。5月23日に鷹泊を再度訪れた時には咲いていた。（この年の札幌の開花は5月7日、旭川は5月11日だった）桜の開花日は気温に左右されるとされており、鷹泊はやはり寒い場所なのだと再認識した。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260423/15/asabayama/c2/9f/j/o0512051215774453397.jpg"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260423/15/asabayama/c2/9f/j/o0512051215774453397.jpg" width="420"></a></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260423/15/asabayama/ff/2d/j/o0512051215774453468.jpg"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260423/15/asabayama/ff/2d/j/o0512051215774453468.jpg" width="420"></a></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260423/15/asabayama/07/39/j/o0512051215774453544.jpg"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260423/15/asabayama/07/39/j/o0512051215774453544.jpg" width="420"></a></p><p>写真は2010年5月撮影した千本桜。3枚目は同日撮影した鷹泊神社の桜。</p>
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<link>https://ameblo.jp/asabayama/entry-12963914574.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Apr 2026 15:33:57 +0900</pubDate>
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<title>昭和30年台　鉄道深名線の思い出</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>しばらくブログを更新しないうちに、冬も終わり新年度が始まった。</p><p>鷹泊　昭和30年台のなつかしの思い出は何と言っても学校関係であるが、鉄道や鷹泊ダムもなつかしく思い出す事項である。</p><p>　雪が降り、今日は汽車が運休するかもしれないと思いつつも、駅で汽車の到着を待っていたところに、幌加内方向から上り深川行きの蒸気機関車（特に朝6時台の一番列車）が煙を吐きながら学校横から姿を見せた時は感動的だった。そのうち蒸気機関車はディーゼルカーに変わっていったが、交通手段が鉄道しかなかった時代、当時の鉄道深名線は頼りになった。</p><p>難所の幌加内峠があったにもかかわらず、ほとんど運休はなかった。</p><p>鉄道深名線が廃線になって久しいが、駅舎はまだかろうじて残っている。鷹泊を訪れる時には、鷹泊駅があった場所を必ず訪れ、思い出に浸っている。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/10/asabayama/92/d2/j/o0512051215772265349.jpg"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/10/asabayama/92/d2/j/o0512051215772265349.jpg" width="420"></a></p><p>写真は10年ほど前のものであるが、駅舎跡から学校跡にできたリフレッシュプラザ鷹泊を撮影。右手の林の間を鉄道が走っていた。線路も撤去されているが、今にも汽車が姿を見せそうにも思える。奥の山は浅羽山。</p>
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<pubDate>Fri, 17 Apr 2026 10:25:02 +0900</pubDate>
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<title>3月のこの時期は鷹泊は堅雪の世界になっているはず。</title>
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<![CDATA[ <p>だんだん春めいてきている。3月15日現在、鷹泊のお隣の幌加内の積雪は88cmで、深川市の積雪量37cmの約2倍である。</p><p>人口減で学校が廃校になって久しい鷹泊であるが、その昔学校の卒業式が行われる今の時期は、堅雪になるために行動できる範囲が広がった。</p><p>堅雪は、積雪量が多く、日中はプラスの気温になっても朝晩は冷え込むという地域での自然現象である。　3月のこの時期、早朝から昼前にかけて、表面だけ凍結して硬くなった雪の上を自由に歩くことができた。（気温上昇のために昼前になるとグサグサ雪になり、堅雪ではなくなるが）　道のあるなしに関係なく、どこでも自由に行けたのが楽しかった。</p><p>&nbsp;</p><p>馬糞混じりの本来の道を歩くのと、堅雪の真っ白な上を歩くのとは大違いである。</p><p>昭和30年代に一度だけであるが、堅雪遠足という学校行事があった。鷹泊の西側にある山（最高峰は435メートル）に登って、山の向こう側にある留萌の海を見た。　</p><p>堅雪になるかは、当日の気温にも左右されるためにしっかりした計画が必要である。昼近くになると雪が柔くなり、雪崩等の事故の危険性も高まるので、安易に学校行事に取り入れられるものではないが、鷹泊小学校記念誌にはその昔浅羽山への堅雪遠足があったという記載があった。先輩たちはたくましかったようだ。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260316/12/asabayama/68/64/j/o0512051215761105587.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260316/12/asabayama/68/64/j/o0512051215761105587.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>写真は鷹泊の西側にある山。青年会館があった付近から撮影。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260316/12/asabayama/70/4c/j/o1345148515761105689.jpg"><img alt="" height="464" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260316/12/asabayama/70/4c/j/o1345148515761105689.jpg" width="420"></a></p><p>写真は鷹泊の５万分の１の地図。左下の四角で囲んだところが、西の山の最高峰435メートル。</p>
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<link>https://ameblo.jp/asabayama/entry-12959917330.html</link>
<pubDate>Mon, 16 Mar 2026 14:58:53 +0900</pubDate>
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<title>ミラノ・コルチナ五輪で、ふるさと鷹泊を思い出した。</title>
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<![CDATA[ <p>イタリアのミラノ・コルチナで冬季オリンピックが開催され、日本選手のメダルラッシュで盛り上がっている。コルチナでの五輪は1956年（昭和31年）以来で70年ぶりである。その大会で猪谷千春選手が男子アルペン回転で銀メダルを取った。それからアルペン競技で日本選手は１個のメダルも取っていない。その時の金メダリスト（アルペン競技三冠王）がトニー・ザイラーで、映画「白銀は招くよ」にも主演し、同名の映画主題歌は日本でも話題になっていた。</p><p>1956年のコルチナ・ダンぺッツオ五輪からちょうど70年が経過し、時の流れが早いことを再認識させられた。</p><p>豪雪地の鷹泊では、冬の時期は雪ですべてのものが覆い尽くされ、一面雪の世界になる。昭和30年台前半は、テレビもまだほとんどの家庭になかった時代で他にすることがなかったからか冬休みにはスキーをする子が多かった。坂があれば、どこでもスキーはできたわけであるが、鷹泊神社の坂、永井山、お大師山、焼山でスキーをすることが多かった。</p><p>白銀の雪山の思い出としては、竜水の上野さんの裏山で仲間とスキーをした時のことが何故か記憶に浮かぶ。本来畑であるなだらかな丘が、白銀のゲレンデに変わった。太陽光線で白銀の世界になった坂で、誰かが「白銀は招くよ」で覚えたヤーヤッホとかを歌いながらすべっていた。</p><p>コルチナ五輪で湧き出てきたなつかしい白銀の世界の想い出である。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260217/16/asabayama/e1/a4/j/o0512051215752037871.jpg"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260217/16/asabayama/e1/a4/j/o0512051215752037871.jpg" width="420"></a></p><p>冬の時期ではないが、手前の畑の奥が永井山のスロープ</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260217/16/asabayama/27/ba/j/o0512051215752037917.jpg"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260217/16/asabayama/27/ba/j/o0512051215752037917.jpg" width="420"></a></p><p>白銀の世界を楽しんだ、上野さん近辺の畑。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/asabayama/entry-12957033408.html</link>
<pubDate>Tue, 17 Feb 2026 17:35:55 +0900</pubDate>
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<title>昭和30年代、豪雪地帯でも国鉄深名線は力強かった</title>
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<![CDATA[ <p>今年は全国的に大雪のニュースが多い。</p><p>本来雪があまり降らない地域の降雪や、10年に一度の大雪とかが報道されている。</p><p>降雪に伴い鉄道、一般道路、高速道路、空の交通網もズタズタ状態になって社会が混乱している。</p><p>昭和30年代の鷹泊は、車はほとんど走っておらず鉄道一択だった。豪雪地帯の深名線は力強かった。</p><p>今は雪に弱いJR 。 その当時は豪雪地でも国鉄深名線は頼りになっていた。蒸気機関車は少々の降雪などは蹴散らせて走っていたし、駅構内の除排雪は保線員が人海戦術で鉄道を守っていた。</p><p>昭和の後半から平成になって道路が整備され、鷹泊の市街地を貫く国道275号線で深川方面だけでなく、幌加内方面も車で簡単に行けるようになった。あっという間の車社会の到来と、人口減少での鉄道利用客の減少もあって鉄道深名線は平成7年1995年廃線になった。</p><p>そういえば、鉄道深名線が開通したのは1926年（明治38年）なので、今年2026年は節目の100年ということになる。</p><p>最後に乗ったのは廃線5年前くらいだった。昭和30年代に走っていた小型のレールバス・ディーゼル車に較べて立派に見えた車両だった。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260212/11/asabayama/97/42/j/o0496046715750284564.jpg"><img alt="" height="395" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260212/11/asabayama/97/42/j/o0496046715750284564.jpg" width="420"></a></p><p>写真は深名線資料室パンフでのディーゼル車。　</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 12 Feb 2026 11:53:49 +0900</pubDate>
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<title>大雪で車社会では大混乱、雪のニュースは豪雪地の鷹泊を思い出す。</title>
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<![CDATA[ <p>1月25日は札幌で1日で50cmを超える記録的降雪があり、JRは運休、道路も除排雪作業が追いつかず大混乱の報道がされていた。積雪量も100cmを超えたとのこと。</p><p>豪雪地の鷹泊でも、１日の降雪が50cmを超えることはそんなになかったと思う。</p><p>しかしながら、1日に50cm降っても騒ぎにはならなかったはず。車社会だからこその大混乱であった。</p><p>昭和30年代の鷹泊。未舗装道路はあったが、車がほとんど走っていなかった時代。今の国道275号線、当時の市街の中心道路で、車の危険性はなかったのでキャッチボールやバドミントンなどの遊びをしていた。商店で車が使用されるようになり、そのうち店以外でも自動車を持つようになり、マイカー時代が始まった。昭和40年頃からブルトーザーでの道路の除雪が可能になり、そのうち今のような除雪車が出動して、道路を車が走れるようになった。</p><p>　どうして鷹泊は豪雪地だったのか。</p><p>冬にシベリアからの冷たい季節風が日本海を渡る際、海面から大量の水蒸気を補給し、日本海側に多量の雪（日本海側気候）をもたらすとされている。そして比較的標高の高い山間部で記録的は積雪を観測しやすいとのこと。</p><p>天塩山地は北海道の最深積雪地帯であり、その東側山麓に位置するのが鷹泊や幌加内である。気象観測所の平均最大積雪深は、昭和37年から56年の20年間のデータで、鷹泊と幌加内が209cmで並んでいる。</p><p>&nbsp;</p><p>https://stat.ameba.jp/user_images/20260128/14/asabayama/08/e8/j/o0778083315745371303.jpg@@778@<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260128/14/asabayama/08/e8/j/o0778083315745371303.jpg"><img alt="" height="450" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260128/14/asabayama/08/e8/j/o0778083315745371303.jpg" width="420"></a>　　833https://stat.ameba.jp/user_images/20260128/14/asabayama/bb/a9/j/o0778049515745372877.jpg@@778@495</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 28 Jan 2026 14:22:13 +0900</pubDate>
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<title>冬景色が似合う豪雪地鷹泊にあった体育館</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>冬の鷹泊で思い出した。鷹泊小学校記念誌によると、昭和30年代（＝1955年から1964年まで）に使用した体育館ができたのはは昭和29年8月とのこと。体育館ができるまで、学校での体育授業はどこでどう行っていたのだろうか。</p><p>私が鷹泊小学校に入学した時には体育館は存在していた。できて間もない体育館を最初から使えたラッキーな世代だった。戦争が終わって10年。物不足であったが、結構な設備がある体育館だった。ここで休み時間に皆でいろんな遊びを楽しみ、体育の授業時間には思い切り体を動かすことができた。</p><p>体育館入口には立派な鉄扉があった。ステージに設置されていた幕（緞帳）も立派だった。ステージ両サイドに控室があり、体育用具が保管されていたが、当時鷹泊中学校で盛んだった柔道で使用する畳が高く積まれていたのを思い出す。</p><p><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260109/10/asabayama/d1/9c/j/o0825050915739030037.jpg"><img alt="" height="259" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260109/10/asabayama/d1/9c/j/o0825050915739030037.jpg" width="420"></a></p><p>写真は冬の鷹泊小中学校体育館。（鷹泊小学校記念誌から）</p>
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<pubDate>Fri, 09 Jan 2026 10:42:51 +0900</pubDate>
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<title>昭和30年代鷹泊でのお正月を含めた冬休みの思い出</title>
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<![CDATA[ <p>三が日も終わり、明日は御用始めであるが小寒にもあたり冬たけなわである。</p><p>学校がなくなっている鷹泊とは違い、学校がある地域の子供達は冬休み真っ最中である。</p><p>昭和30年代の記憶として、元旦に学校で式があり出かけたことも数回あった。校長先生が国旗を掲揚した体育館で挨拶してそれで終わりという、今思うと昭和のあの頃だからあった式典だと思う。寒い雪道を歩いて遠いペンケ、ヌップからもただそれだけのために（と言っては失礼だが）集合した。</p><p>元旦の式典は数年で無くなったと記憶しているが、それとは別に皆が集まる登校日があって書き初めをしたものだった。初日の出とか、新年おめでとうとかを書いた。今の子供達は冬休みには、家族とお出かけやゲームとかいろんなことをするが、当時は、遠くへお出かけということはほとんどなかった。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260104/21/asabayama/40/fe/j/o0837050115737610539.jpg"><img alt="" height="251" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260104/21/asabayama/40/fe/j/o0837050115737610539.jpg" width="420"></a></p><p>写真は冬の鷹泊小学校。（鷹泊小学校記念誌から）</p>
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<pubDate>Sun, 04 Jan 2026 21:53:58 +0900</pubDate>
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