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<title>asa mamaのブログ</title>
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<title>４年</title>
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<![CDATA[ 今日は娘あさが産まれて４年経ちました。<div>おめでとうなのか、ごめんなさいなのか。</div><div>毎年ケーキを食べながら祝うことが正しいのか悩み続ける。。</div><div><br></div><div>何もしてやれずごめんね。</div>
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<pubDate>Fri, 13 Dec 2019 22:34:25 +0900</pubDate>
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<title>あさ３才</title>
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<![CDATA[ 2018/12/13　あさが３才になりました🎂<div>この世に生きていない娘、</div><div>でも私が死ぬまではこの世でも私の娘、</div><div>普段はいつも考えないように過ごしてやり過ごす。</div><div>正面から向き合うと涙が止まらない。</div><div><br></div><div>こんな母親をあさはどう思うのか。</div><div><br></div><div>母親とも思っていないかもしれない。</div><div>お腹の中での関係？</div><div><br></div><div>息子の検診で、何子目かと聞かれる度に悲しくなる。</div><div>第一子ではない、と伝えたい。</div><div><br></div><div>無事に妊娠出産した人、羨ましいし妬ましい。</div><div>きっと死ぬまでそんなことを思いながら過ごすのかなと思う。</div><div><br></div><div>息子が病気やけがをしても生きてれば治ると思ってしまう。</div><div>娘の事を知っている人に、過剰に息子の育児に悩まずにと言われたら腹が立つ。娘の事で精神やんでるでしょうと遠回しに言われると腹が立つ。</div><div>どーでもいい。</div><div><br></div><div>３年経っても心の中は戸惑ってる。</div><div><br></div><div>愚痴っぽい３年目の誕生日のブログ、ごめんなさい。</div><div>息子が何かする度に、あさだったらと思ってしまう。</div><div>私には娘がいる、それは間違いない。</div>
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<pubDate>Wed, 19 Dec 2018 23:40:13 +0900</pubDate>
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<title>たまたま</title>
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<![CDATA[ <div>最近何かで耳にした、</div><div><br></div><div>「私達はたまたま生きていて、</div><div>　あなたの妻はたまたま亡くなった、</div><div>　ただそれだけ。」</div><div><br></div><div>という感じのフレーズ。</div><div>その時、そっか！となぜか腑に落ちた気持ち。</div><div><br></div><div>「明日たまたま事故にあって亡くなるかもしれない、</div><div>　５０年後たまたま生きているかもしれない、</div><div>　ただそれだけ。」</div><div><br></div><div>これ以上ない言葉。</div><div><br></div><div>「たまたま生きている」</div><div><br></div><div>まさしくその通り。</div>
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<pubDate>Mon, 12 Mar 2018 01:27:36 +0900</pubDate>
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<title>あさへ</title>
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<![CDATA[ あさが生まれて２年が過ぎたね。<div><br><div>私にはこの日が、おめでたい日なのかおめでたくない日なのか、未だに分からずにいます。</div><div><br><div>あさにとっては何でもない日のかもしれなくて、むしろすごく最悪な日なのかも。</div></div></div><div><br></div><div>この世とか、あの世とか分かれてるから面倒なのかな、と最近思ったりするよ。分かれていなければ、皆いつまでも生死の境がなくて楽しいかもしれないのにね。</div><div>なんてよく分からないことを言ってみたり…</div><div><br></div><div>本当は、周りに今日は娘の誕生日と言いたいし、息子は二人目と言いたい。でもそれを言うと周りが戸惑い、複雑になる。なんだかな。</div><div><br></div><div>あさがこの世?に産まれた今日がもう少しで終わるね。</div><div>あさに会いたいです。</div><div><br></div><div>あさの弟は明日で生後8ヶ月だよ。</div><div>早くあさのことを話してくれないかな。</div><div>あさと弟の関係を聞くのをずっと楽しみにしてるんだ。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Wed, 13 Dec 2017 23:12:21 +0900</pubDate>
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<title>あさへ</title>
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<![CDATA[ １歳のお誕生日おめでとう。<br>2015年12月13日23時55分から<br>ちょうど365日。<br><br>いまお腹にはあさの弟がいるよ。<br><br>春には元気な姿で会えるかな。<br>もしかすると男の子の格好をしたあさなのかな。<br><br>会えるの楽しみにしてるからね！<br><br><br><br>
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<pubDate>Tue, 13 Dec 2016 23:49:44 +0900</pubDate>
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<title>産後の色々な変化＜体調・環境・to do他＞</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Sun, 13 Mar 2016 18:09:01 +0900</pubDate>
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<title>出産後二日目～退院まで</title>
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<![CDATA[ <strong>2015年12月15日(火)～産後二日目＆お見送り・火葬～</strong><br>朝起きて、少し朝陽が差したのであさに見せてあげたが、昼前には小雨が降り始めた。<br>あさに触れると、保冷材のせいで、昨日よりほっぺが硬く冷たくなっていた。顔色もさらに悪くなっているようだった。涙がでた。<br><br>その後、看護師長が来て「少し母乳がでているから、あさちゃんに飲ませてあげたらどうですか？きっと喜びますよ」と言われた。私があさにしてやれることが何もないと思っていたからすごく悲しくて嬉しくてよく分からない感情のまま「飲ませたいです！」と言い、指につけた母乳をあさの唇に付けた。うまく飲めたかな..<br><br>午後、病院に家族や親戚がたくさん来て慌ただしくなった。私はぎりぎりまで体調を考えて参列を止めろと周りから言われていたが、意地でも行くと貫いた。だって自分の子供だから。ちゃんと見送ってやりたい。やっとやっと会えたのに。それにあさが可哀想だ。自分の参列に母親が来てくれないなんてありえないって思ってるはず！と思った。<br><br>姉や親戚が、棺に写真やお花、人形、おもちゃをたくさん入れてくれた。あさと私は親戚の車に乗り込み、14時に病院を出発。15時からお坊さんにお勤めをしてもらい、皆で焼香をしあさにお別れの挨拶をした。平日にもかかわらず、親戚や家族皆が会社を休んで駆けつけてくれ、あさに会って見送ってくれた。嬉しかった。<br><br>お骨は結構残っており、4寸のお骨入れに2/3程度入った。ニワトリの絵が描いてある可愛いお骨入れにあさは納められた。そのまま、私はお骨を抱いて病院に戻った。<br><br><br><br><strong>2015年12月17日(木)～産後四日目＆退院前検査～</strong><br>検査項目の一つに体重測定があるため、朝イチで部屋から出てフロア中央にあるナースステーション前の体重計に向かう時、他の産後ママや赤ちゃんとすれ違ってしまった。旦那の顔が強張っていることに気づき、体重が戻らないねと私は精いっぱい笑った。でも部屋に戻るとやっぱり我慢できずに号泣してしまった。思えば、産後初めて部屋の外にでたと気づいた。<br><br>退院するまでずっと、旦那は部屋にあるソファに泊まりこんでくれ、出来る限り他の妊婦さんや授乳のお母さんや赤ちゃんから私を遠ざけてくれていた。旦那も辛かったはずの思いやりに思い返すたび胸が熱くなります。<br><br>その後、11時から内診と問診（旦那同席）があり、退院の許可がでた。<br>今までのバタバタとした妊婦健診の時とは違い、産院が休みの日だったせいなのか、結果が死産だったせいなのか...じっくり質問対応に時間を作ってくれた。今までこんな優しい対応がなかったために、違和感を感じた。<br><br>①今回の妊娠出産の反省点<br>　　⇒体重増え過ぎたため、次の妊娠時は体重管理に気を付けること。<br><br>②今後の妊娠に向けて<br>　　⇒高年齢のため、2回生理が過ぎたらすぐにトライすること。<br>　　⇒3ヶ月過ぎても生理が来ない場合は、すぐに病院へ行くこと。<br>　　⇒次も死産になる可能性は極めて低い。<br>　　⇒次の妊娠時に、産院先へ計画分娩などの対応策を打つことを勧める。<br><br>③一ヶ月検診について<br>　　⇒子供がいなくても母親の体調管理のため行うこと。<br>　　⇒一ヶ月健診過ぎるまでは激しい運動をしないように。<br><br>④健康診断について<br>　　⇒2回生理を過ぎないと血液検査に異常がでる可能性があるため注意が必要。<br>　　⇒乳がん検診は、専門機関にて診てもらうこと。<br>　　⇒子宮頸癌検診は、次の妊娠前に済ませておくこと。<br><br><br><br><strong>2015年12月18日(金)～産後五日目＆退院～</strong><br>退院祝いなのか、何祝いなのか、退院直前の食事がいつもより少し豪華に感じた。考えてみれば、生産の人は通常祝い膳がでるので、その代わりだったのか...<br><br>他にも退院前に、旦那にお会計をしてもらったが、予想以上に安く驚いた。それも当然と言えば当然だが、産後ケアがないため、通常分娩の金額から差し引かれていた。これも死産だったために知ることだと感じた。<br><br>14時に退院。<br>先生、助産師2名がお見送りにでてきてくれた。<br>これも死産だったためか...真意は分かりません。<br><br>実家に戻ると、会社や親族からお花が届いていました。<br>皆さんの心遣いに旦那と一緒に涙しました。<br>あさの周りにお花をたくさん飾ってあげ、仏壇の祖先の方達にあさのことをヨロシクと伝えました。
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<link>https://ameblo.jp/asamama3336/entry-12138775135.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Mar 2016 18:06:56 +0900</pubDate>
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<title>出産後一日目</title>
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<![CDATA[ <strong>2015年12月14日(月)～産後一日目～</strong><br>コットに入ったあさは可愛いけど、少し顔色がくすんできている。それを話すと看護師さんが保冷剤をコットに詰め直してくれた。旦那と相談し、あさのために部屋の空調を切った。あさに少しでも良い状態を作ってあげたかった。<br><br>その後、急いでカーテンを開けてあさに朝陽を浴びさせた。なぜなら「あさ」という名前は、朝ドラの実業家・広岡浅子さんのような素敵な人になってほしいという想いと、『どんな事があっても、必ず新しい朝（あさ）がやってくる』という想いから名付けたから。まさかこんな形であさに想いを伝えることになるとは思わなかった...<br><br>午後、業者が来て、棺とドライアイスなんかを持ってきた。コットから棺に入る前に抱っこしたかったけれど、あさが壊れてしまうんじゃないかと思って言えなかった。頭が柔らかくなっていると聞いていたから。そして、部分的に顔の皮膚がはがれてしまっていたから看護師さんにメイクもしてもらった。赤ちゃんはお腹の中で亡くなると自分を溶かす酵素を出し始め、どんどん小さくなろうとする。だから亡くなってからあまりお腹の中に居過ぎると、どんどん溶けていってしまう。すごくすごく悲しい現実..<br><br>来た業者の方から「お母さんも参列されるんですか？それならお母さんの回復を待って一週間後や退院時に火葬することもできますよ？」と聞き驚いた。私たち夫婦は、選ばなかった別の業者から「24時間しか一緒に居られない」と聞いていたため、火葬日程を24時間後の日程で組んでしまっていた。実際は、「最高24時間まで」ではなく、「最低24時間以上」の間違いだったのだ。私たちは失敗したと思ったけど、あさが傷むのが可哀想だし少しでも綺麗な顔でむこうに行かせてやりたいという想いから、結局予定通り翌日に火葬することにした。<br><br>夕方、あさがコットから棺に入って戻ってきた途端、亡くなった現実をつきつけられた気持ちになった。あさは亡くなっているんだ、寝ているんじゃないんだと。ほんの４日前までお腹で動いていたのに、今は動かない。目の前に現実があるのに信じられなかった。昨日の産後ハイで嬉しくて笑っていた自分が嘘のように感じた。でも、私は産後の腰砕けのため、一人ではトイレに行けず、旦那に抱えてもらったり、点滴棒を借りて歩いていることも現実（検温は37.5度）。いくら泣いても誰も冷たくなったあさを助けてくれないし、信じられなくてもどうにもならない。<br><br>最初で最後の親子３人川の字で就寝なのに、悲しくて悲しくて悲しくて..<br>眠れなかった<br>
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<link>https://ameblo.jp/asamama3336/entry-12124661609.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Feb 2016 17:31:45 +0900</pubDate>
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<title>出産</title>
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<![CDATA[ 2015年12月13日(日)～41w1d～<br><br><strong>7時</strong>　朝食<br><br><strong>8時</strong>　検温と点滴（胎児腐敗による母子感染を防ぐための抗生物質）<br><br><strong>9時</strong>　先生による内診。子宮口が2センチ程度しか開いていないため、出産における選択肢（帝王切開・陣痛促進剤による経膣分娩・自然陣痛がくるまで待つ）と、促進剤のリスクの説明を受ける。陣痛促進剤で経膣出産をする場合は早めに同意書を書き、12時から点滴にて投薬開始するとのこと。先生は今後の出産を踏まえ促進剤の経膣分娩を勧めるとのことで、私たち夫婦は悩んだ挙句、同意書にサイン。<br><br>このサインの時、旦那が「促進剤の危険性に子宮破裂とあるけど、もし○○ちゃんまで亡くなるようなことがあったらやりきれない。確率は低いというけど、子宮内胎児死亡が起きた今、万一って言葉も安心できない」と言い、二人で泣いた。。<br><br><strong>11時</strong>　促進剤の投与開始。最初は、超微量から始まり徐々に量を増やし、陣痛が強くなっていく..<br><br><strong>17時</strong>　看護師長が定期的に来ては子宮口をぐりぐりして無理やり手を入れ、こじ開ける内診！？なるものがあり、死ぬ思いを繰り返す。。先生も合間にやってきてはぐりぐり内診をするが、看護師長のそれより強引ではなかった。恐怖からか寒く、汗だくに。検温したら38度。水分補給のための点滴と、解熱のため坐薬。<br><br><strong>20時</strong>　先生が「子宮口がまだ4センチ程度だから明日仕切りなおそう」と言い、先生帰宅。正直体力的に限界でほっとしていた直後、看護師長がその後まだぐりぐりを繰り返す。<br><br><strong>21時</strong>　看護師長が「子宮口が7～8センチまできたから先生に報告してきます。できれば今日産んじゃいましょう！」と言われ、看護師長に殺されると思いゾッとする。<br><br><strong>22時</strong>　分娩室へ移動。寒くてたまらず検温したら汗だくすぎて測れない。汗を拭き測り直すと38.5度まで上昇していた。全身の震えと、顔や背中が小刻みに痙攣していため、再度解熱の坐薬。<br><br><strong>23時</strong>　やっと先生が来院し、出産開始。なかなか出てこないため、助産師がお腹に乗って押しまくった。こっちは力めと言われているしでお腹がはち切れるかと思った。そんな中、私は白目をむきながら陣痛の合間に寝ていたようで、立ち会った母と旦那は、私が死ぬんじゃないかと名前を呼び続けていたそう。<br><br><strong>23時55分</strong>　☆あさ誕生（体重3336ｇ、身長52㎝、胸囲・頭囲33㎝）☆<br>やっと会えたという想いと、まるで生きているような可愛らしい娘を見ていると嬉しくて嬉しくて。この時の涙は間違いなく嬉し涙だったと思う。私は１時間ほど分娩台から動いてはいけなかったため、旦那が抱っこしたりたくさん写真を撮ってくれた。この時の検温では37.7度に下がっていた。<br><br><strong>1時30分</strong>　部屋へあさと一緒に移動。私は車椅子、あさはコットで。あさは、ただ寝ているようだった。<br><br><strong>2時</strong>　母はソファ、旦那は椅子と私のベッドで横になり、あさはベッド横に並べたコットで一緒に就寝。私は寝る前に、子宮収縮剤など3種類の薬と、お乳がでないようにするホルモン剤の薬4錠を飲んだ。<br><br>長い１日だった。
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<pubDate>Wed, 03 Feb 2016 15:10:55 +0900</pubDate>
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<title>出産前②</title>
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<![CDATA[ <strong>2015年12月11日(金)</strong><br>なんとなく、いつも日課となっていた散歩はせず、家に閉じこもってテレビばかり見て過ごして。<br><br>昨日まででていた赤薄茶色のオリモノも止まり、何も出なくなった。<br><br>意識していないが、この日もあまり胎動を感じなかったような気がする。<br><br><br><strong>2015年12月12日(土)</strong><br>予定日過ぎて1週間のため、お昼から管理入院をすることになっていた。<br><br>しかし朝9時頃、姪っ子たちと遊んでいたら何か出る感じがし、トイレへ。すると黄緑色の生臭い臭いのする破水。そこで、病院へ電話して向かう。病院まで2時間以上かかり、11時30分頃到着。破水はチョロチョロと続いて出ていたが、大きめのナプキンで間に合う程度だった。<br><br>病院到着後、内診し子宮口を確認。<br>相変わらず1センチ。<br>陣痛もまだきていないため、分娩室へ移動後、入院手続きや説明を受けながら、助産師にて心拍と胎動(NST)を測る。。<br><br>そのとき、<br>助産師「ズレてるのかな…<br>　　　　測りにくいとか言われた事ある？」<br>私　　「胎動は言われた事あります」<br>助産師「うーん…」<br><br>といいながら、お腹に測定ベルトを何度も付け直し、途中から焦り始め、他の助産師や先生に電話をし始める。<br><br>助産師「先生、○○さんの赤ちゃん、<br>　　　　心拍がとれません」<br><br>先生がすぐにきて、助産師と一緒に確認。。<br><br>先生　「赤ちゃん、お腹の中で亡くなっとるわ…」<br>私　　「え？え？」<br>先生　「赤ちゃん、心臓が動いてないんです」<br>私　　「…(絶句)」<br>先生　「いつから胎動がなかったですか？」<br>私　　「はっきりと覚えてないですが<br>　　　　たぶん金曜くらいです」<br><br>その後、先生が一度いなくなり、助産師がエコーを運んできて、エコーでも確認。先生も再度来て、エコー確認。<br><br>先生　「やはり心臓が止まっています…<br>　　　　子宮内胎児死亡です」<br>私　　「…」<br><br>母が助産師に促され、分娩室に来た。<br>途中歩きながら、「赤ちゃんが亡くなっていました」と説明されたらしい。<br>母が私の手を握ってくれ、私は初めて母と一緒に大号泣した。<br>助産師の一人が横でずっと泣いてくれてた。<br><br>しばらくして、<br>助産師「旦那さんはいらっしゃいますか？」<br>私　　「今、新幹線で向かってますが、<br>　　　　まだあと数時間かかります」<br>助産師「連絡つきますか？」<br>私　　「…はい」<br><br>本当は、電話したくなかった。<br>元気に産まれると思って新幹線に乗りこんだ彼に、亡くなっている事を伝え、到着するまでずっとやきもきしながら来るなんて辛いだろうと思ったから。<br><br>でも助産師が旦那への連絡を催促してくるので、仕方なく電話。<br><br>私　　「○○？今大丈夫？」<br>旦那　「うん、大丈夫！何？産まれた？」<br>私　　「落ち着いて聞いてね。<br>　　　　○○、ごめん。あさちゃん、<br>　　　　お腹の中で亡くなってるんだって」<br>旦那　「え？え？どいうこと？<br>　　　　本気で言ってるの？」<br>私　　「本当。今、言われたばかりで…<br>　　　　(号泣しながら経緯を説明)」<br>旦那　「…分かった。とりあえず親への<br>　　　　連絡は自分からしておくから。<br>　　　　着いたらすぐ行くから待ってて。」<br>私　　「待ってる。○○、こんなことになって<br>　　　　本当にごめん。」<br>旦那　「謝まらなくていいから、大丈夫だよ」<br><br>同じ時、母も父に電話で連絡。<br><br>助産師からこれからの入院部屋の確認をされ、大部屋か少し高い個室しか空いていないと言われた。私はこんな時に大部屋に居られないと思いイライラしながら「何でもいいから個室でお願いします！」と言った。<br><br>15時頃、母と部屋に移って横になった。<br>17時頃、姉夫婦が来てホッとしたのか号泣。<br>17時30分頃、旦那が到着し再度号泣しながら何度も謝った。私は里帰り出産のため、10月中旬からずっと帰省させてもらっていた。旦那には一人で頑張ってもらってたのに子供を守りきれなかった私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。<br><br>18時頃、旦那の到着を待っていた先生から出産までの説明を受けた。<br><br>①赤ちゃんが亡くなっていること<br><br>②原因不明であること<br><br>③赤ちゃんからの感染を防ぐために、抗生剤の点滴を打つこと。<br><br>④自然陣痛を明朝まで待ち、何も変化がなければ明日から陣痛促進剤を開始すること。<br><br>⑤自然分娩で出産すること。<br><br>⑥明日以降の出産に備えてご飯はしっかり食べ、寝ること。<br><br>旦那は説明を受けた後、いくつか質問していた。<br><br>旦那　「今すぐ帝王切開したら赤ちゃんが<br>　　　　生きてることはないんですか？<br>　　　　すぐ出してあげて心臓マッサージで<br>　　　　息を吹き返すことはないんですか？」<br>先生　「お腹の中で一度止まってしまった<br>　　　　心臓は動きません」<br>旦那　「原因不明ってどういうことですか」<br>先生　「羊水検査を受けているから、<br>　　　　染色体異常などは考えられないし、<br>　　　　エコーを見る限りへその緒も首に<br>　　　　巻き付いてないし、経過も順調そのもの<br>　　　　だったので胎盤かへその緒の中で<br>　　　　血栓…突発的につまった、つまり<br>　　　　心不全とか心筋梗塞のようなものとしか<br>　　　　考えられない」<br><br>結局今はあさにしてあげられることは、1日も早く出産してあげること以外は何もないようだった。<br><br>その夜、旦那は同室にあるソファで寝て良いとの事だったので、母は姉夫婦と一緒に帰宅。私は寝つけなかったため、旦那にベッドに入ってもらい一緒に寝てもらった。妊婦最後の夜。
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<link>https://ameblo.jp/asamama3336/entry-12117331544.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Jan 2016 13:03:35 +0900</pubDate>
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