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<title>徒然日記</title>
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<description>30代子育て中。日々呼吸をするかのように頭に心に浮かぶあれやこれやについて、書いて出して整理するところ。</description>
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<title>本当の自分に還る</title>
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<![CDATA[ <p>母親、妻、保護者、友人、女性、ご近所さん…</p><p>&nbsp;</p><p>普段、自分のこういった”属性”ばかり意識せざるを得ない環境に囲まれて生活していると、</p><p>”本当の自分って何だろう”ってふと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>青臭いし、そんな玉葱剥くような核心のないものを追究しようとして何になる、</p><p>って思っちゃうんだけど、</p><p>言えることは、</p><p>あらゆる属性は自身のほんの一面しか言い表していないということ。</p><p>そこに自分自身の本質を探しても何も掘り起こされないということ。</p><p>&nbsp;</p><p>いや、しかし、</p><p>自分って何者なんだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の定義は？って、</p><p>論文を書いていた後輩が教授に指摘されていたのを思い出した。</p><p>自分なんて如何様にも定義できそうであり、器のようなもんでもありそうだし、</p><p>捉えどころがない。</p><p>それゆえに魅力的なもんでもある。</p><p>&nbsp;</p><p>自分とは一生かけて付き合っていくものなんだという覚悟は、</p><p>ここにきてちょっとずつ芽生えてきている。</p><p>嫌でも自分。されど自分。</p><p>&nbsp;</p><p>これは、あまりにも他人軸で生きてきたツケなんだろうな。</p><p>&nbsp;</p><p>・こう思われたい／こうは思われたくない</p><p>・あの人はこうで、この人はこうだから、自分はこうありたいというパズルのピース埋めるような在り方</p><p>・誰にも文句を言われないことを最優先事項にした行動基準（文句言われるの面倒くさいから）</p><p>&nbsp;</p><p>属性や外界を見渡しても自分はいない。</p><p>自分が見たいように見ている景色しか広がっていない。</p><p>ここに、この身体があることだけは確かで、</p><p>この身体と繋がること、</p><p>この身体で気づきを得ることが、</p><p>自分ができる一番有意義なことなんだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>他の誰かを思い通りに動かしたり、</p><p>状況を意のままにコントロールしようとすることは不可能。</p><p>&nbsp;</p><p>そうならば、</p><p>いかなる状況においても自分がブレないように自分を保つことが自分でできること。</p><p>&nbsp;</p><p>これは、今学んでいるヨガの教えでもある。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の健康をどうにかできる存在としては、</p><p>現代医学や医者の方がまだ有力だと思って生きているフシがあったが、</p><p>いや、自分の健康を一番近くで真っ先に感じ取り対処できるのは紛れもなく自分自身しかいない。</p><p>誰かに何とかしてもらおうという発想が間違っている。</p><p>&nbsp;</p><p>急場で医学に助けられる命はたくさんある。</p><p>しかし、日常のちょっとした不調や東洋医学的な未病の段階で正しいセルフケアの仕方を実践できていれば、</p><p>後々やってくる大きな病を未然に解消することは可能だろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>自分とは何だろう、と精神的とも哲学的ともとれる問いを持てるのも、</p><p>身体あってこそである。</p><p>身体と精神は密接に繋がっている。</p><p>&nbsp;</p><p>身体のケアをする時間に、本来の自分自身と向き合える瞬間がしばしば訪れる。</p><p>&nbsp;</p><p>やるべきことは日常の中に山ほどあるのだが、それに追われて自分を大事にできないのは本末転倒なのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>忙しくても、1分間呼吸に目を向ける、目を閉じて思考を停止する、ゆっくり首を回す、など、</p><p>自分の本来の姿を見つめてやることが、この身体で生きていくこの人生の土台を強固にする。</p><p>大袈裟かもしれないが、それぐらい、生きていくのに大事なことだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>置かれた状況に振り回されそうになったから、</p><p>今一度、自分に立ち還るために書いてみた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/asaminamonchi/entry-12887138518.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Feb 2025 11:24:40 +0900</pubDate>
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<title>母親が自分を大事にする</title>
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<![CDATA[ <p>よく、「お母さんが笑顔なのが子どもにとっても一番の幸せ」というようなことを聞く。</p><p><br></p><p>うーん、理屈は分かるんだけどなぁ。</p><p><br></p><p>もっと大前提に、母親が自分自身を大事にすることを許せるかどうか、っていうことを取り上げて欲しい。</p><p><br></p><p>母親は自分よりも子どもを優先して当然</p><p>専業主婦なら家事育児の中心を担うもの</p><p>子どもは親といるのが一番幸せ</p><p><br></p><p>など、昭和か！という考えがどうも抜け切らない私は、自分の心の声を無視して、家事・育児に重点を置き続けてきた。かなり強迫的に。</p><p><br></p><p>男女平等の世の中になってきたとはいえ、家事育児について、女性は減点方式（できて当たり前スタート、できないことが減点対象）、男性は加点方式（できない前提からスタート、できると加点対象）という雰囲気がまだまだ強い。同じことしてても、男女でこうも評価が異なるのは、日常生活をこなす上で本当に邪魔な無視したい事実である。</p><p><br></p><p>それはさておき。</p><p><br></p><p>心の中では、</p><p>一人になりたい</p><p>1日中好きなこと（読書、勉強、映画鑑賞、遠出など）をしたい</p><p>今日は家事したくない</p><p>など、ワガママ放題の私が時折わなわな震えている。抑えられて苦しいようだ。</p><p><br></p><p>親になったからといって、急に中身も親になるわけじゃないんだよなぁ。。</p><p><br></p><p>そう思い知って5年は経ったはずだが、まだ修行が足りないなぁ。</p><p><br></p><p>でも、自分はちょっと両極端なところがある。</p><p>母親は一途に家庭を優先すべきという古風な考え方と、母親も一人の人間で自身の人生を楽しんでナンボだから家庭を省みないで良い時間</p><p>が必要という考え方と、両方ある。</p><p><br></p><p>前者は縛り、抑圧の苦しさが伴う</p><p>後者は身勝手、罪悪感が伴う</p><p><br></p><p>中庸がない。</p><p><br></p><p>自分も家庭も大事にできるポイントはどこに持てるんだろう。</p><p><br></p><p>家庭を忘れること、たまには良いよね！</p><p>とか思いつつ、どの程度なら許されるのか、というか誰の許しを求めてるんだろうか、とか考えていたら、結局は自分で縛って、自分で解放されたいともがいていたことに気づく。自作自演じゃないか(笑)。</p><p><br></p><p>過度に周りの目を気にして、母親たるものこうあるべき、みたいなイメージを自分で自分に植え付け、できていないところを必死に繕ってきたんだろう。周りの目なんてものはまやかしだ。</p><p><br></p><p>周りだのイメージだの気にしている時は、自分への眼差しが向けられていない＝自分を大事にしていないってことだ。周りばっかり見てる。ブレてる。</p><p><br></p><p>自分を慈しみ、愛することができたら、同じ目線を子どもや家族に向けることが可能になる。</p><p><br></p><p>まずは、自分を慈しみ、愛することをできる人間に。</p><p><br></p><p>そこに条件をつけない。条件なんて要らない。</p><p>ただ愛する、大事にする。</p><p>自分を大事にできるのは自分しかいない。</p><p>その事実を腹の底から理解するかどうか。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/asaminamonchi/entry-12884258896.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Jan 2025 05:22:00 +0900</pubDate>
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<title>子供を信じる</title>
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<![CDATA[ <p>習い事、やった方が良いのか…</p><p>周りもやってるし…</p><p>なんて、他人軸で揺れることはあるが。</p><p><br></p><p>それより何よりも、</p><p>我が子の可能性が開けること、伸びることを信じられるかどうか、が大事で。</p><p><br></p><p>始める前から、</p><p>“続かないよなぁ…”</p><p>“そもそも、行きたくないやろうなぁ…”</p><p>“親のエゴだよなぁ…”</p><p>などなど、色んな不安要素ばかり挙げ連ね、肝心の子どもの可能性の芽に意識を向けていないのは如何なものか。</p><p><br></p><p>習い事競争というか、いかに早くから習い事をして特別なスキルを身に着けているか、というのをどこかで意識し合っているような雰囲気が嫌で、周りがしているからするというのはやめよう、とずっと思っている。</p><p><br></p><p>かと言って、今やってないけど、遅れてないかな…なんていうことを思うのは結局同じ意識が働いてない？</p><p><br></p><p>もうさ、周りはどうでも良い、我が子がどうか、なんよ。</p><p><br></p><p>何を子どもに見つけて欲しいか。</p><p>身に着けて欲しいか。</p><p>親ではやりきれない何かをいかにさせてやれるか。</p><p><br></p><p>別に習い事をするのに遅いことはない。</p><p>なんせ子どもはまだ幼児だもん。</p><p>私が今、あれこれ好きなことを習っているので、好きなことができてからやるのでも全然OK。むしろ、やらされてやるより、進んでやってくれるなら習い事やる価値も効率もぐっと上がるだろう。</p><p><br></p><p>焦って何かをするのはよろしくない。</p><p>多分、今のメンタリティだと、何かを習い始めたとて、“これではまだ不十分？”と思って掛け持ちさせたりしそうで、結局ただ忙しくなってしまうだけになりそうなので、それだったらゆっくりと何か好きなことを探すのを楽しみたい。</p><p><br></p><p>自分の好きなことを安心できる環境でたっぷりとできる、素敵な場が習い事になれば良いなぁと想像しつつ。親にとってもその習い事の師匠が良きサポーターになれば。</p><p><br></p><p>子育てには正解がないからこそ迷いはあっても親が子を信じることが何より大事だなと思う。</p><p><br></p><p>どんな時も我が子を何より信頼している存在でありたい。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/asaminamonchi/entry-12884186184.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Jan 2025 15:11:59 +0900</pubDate>
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<title>気づいたら動く</title>
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<![CDATA[ <p>あれこれ気づくことがある。</p><p>&nbsp;</p><p>気づくというか、一方的に”こうじゃないかな”と推測するということも多いが、</p><p>・人の感情（何となくその人が発しているオーラや表情を介して）</p><p>・落ちているゴミ</p><p>・何かのニオイ</p><p>・毎日見ている風景の変容</p><p>・自分の身体の滞った部分</p><p>・呼吸が浅くなっていること</p><p>などなど。</p><p>&nbsp;</p><p>気づくということの適用範囲はかなり広いな。</p><p>&nbsp;</p><p>共通して、感覚器官は使いまくっている。</p><p>人の感情なんかは、経験知や第六感に似たようなものも使っているのかもしれないが。</p><p>&nbsp;</p><p>いろいろ気づくけど、いわゆるHSPとは違う。</p><p>HSPの人の感覚ってどんなんだろうか。</p><p>何でも受け取ってしまうとしんどいことも多いだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の気づくは取捨選択も結構されている。</p><p>気になることに気づく。</p><p>ゴミなんて、気にしなければ気にならないもんだ。</p><p>いちいち気づくのは自分がそこにアンテナを張っているから。</p><p>&nbsp;</p><p>何でも、気づくことを即生かせるのなら良いと思う。</p><p>私の気づきの鮮度はマジですぐに落ちる。</p><p>気づいたそばから身体や心で反応しないと、気づいたことを一瞬で通り過ぎる。</p><p>&nbsp;</p><p>子どもと過ごしていて、あれやこれやと子どものちょっとした変化に気づくことも多いはずなのに、それを言語化、概念化して記憶に定着する前に通り過ぎてしまって、後から振り返って、”あれ、あの時何に気づいたんだっけ？”と忘れてしまっていることも多々あって。</p><p>&nbsp;</p><p>あれやこれやに追われても、そこは通り過ぎたくないものである。</p><p>&nbsp;</p><p>何が問題かって、子どものことで気づいた瞬間に、</p><p>一緒にいる誰かと共有することがないことだと思う。</p><p>誰かがそこにいて、共有するってすごく大事なんだと思う。</p><p>夫にしろ、園の先生にしろ、共有して気づいたことを子どもの一側面として認める。</p><p>&nbsp;</p><p>気づいてすぐに共有したり記憶したりが苦手、というかこれまであまりしてこなかったから、</p><p>経験を積んで誰かにちゃんと言葉で伝えていくことはしたい。</p><p>&nbsp;</p><p>気づいても、</p><p>”これに気づいているのは自分だけだろうから気づかなかったことにしよう”</p><p>”気づいたけど今は違うことをしたいからそっとしておこう”</p><p>”あぁ、これに気づいたらどうするのが正解なんだろう”</p><p>とか、もう自分でも面倒なくらい一瞬のうちに頭の中に思考が巡り、</p><p>その次の行動にストップがかかってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>誰かと会話をしていてもこんな感じなんだから、</p><p>気軽に話せばよいものを、</p><p>あーだこーだとぐるぐるしちゃって、</p><p>考えすぎて変に固くなっちゃう。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなことどうでもよいから、</p><p>とりあえず、気づいたら即動いて、</p><p>変な考える間を自分に与えないようにしたい！</p><p>&nbsp;</p><p>気づくことに派生して起こることが面倒で、</p><p>もう気づきたくない、鈍感に生きていたい、と思うことが山ほどあった。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、気づくことは悪いことではない。</p><p>気づいたら行動を変えられる。</p><p>&nbsp;</p><p>気づきを生かすには、</p><p>気づいたら動くこと。</p>
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<link>https://ameblo.jp/asaminamonchi/entry-12884047657.html</link>
<pubDate>Mon, 27 Jan 2025 12:12:01 +0900</pubDate>
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<title>食べられることに感謝する</title>
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<![CDATA[ <p>令和の米騒動</p><p>気候変動の影響による農作物の不作</p><p>円安での買い負けや世界の人口増加での輸入減少</p><p>物価高</p><p><br></p><p>毎日、生きていくことの大変さを今までにないほど痛感する。</p><p><br></p><p>あるはずのものがない</p><p>じわじわ価格が上がっていく</p><p>賃金はそう簡単には上がらない</p><p><br></p><p>こんな事態にも、もうそこまで動じなくなってきた自分もいる。</p><p><br></p><p>こんな時こそ、</p><p>有り難く思う気持ちを改めて大事にしたい。</p><p><br></p><p>嘆いたり悲観したりするほうが実は簡単。</p><p><br></p><p>それよりも、今までも見えないところで市民のために生産に勤しみ、あるいは消費を支え続けてくださっていた方々の存在に、深く感謝をしたい。</p><p><br></p><p>当たり前などこの世にない。</p><p><br></p><p>諸行無常である。</p><p><br></p><p>この言葉の意味を、体感をもって知ったならば、暮らしの一つ一つが世の流れとともに変わってゆくこともまた自然なことだろう。</p><p><br></p><p>暮らし方を少しずつ変えてみよう。</p><p>外から見た動作は変わらないにしても、内側での向き合い方を見直す。</p><p><br></p><p>買い物し、食材を調理し、食卓に並べ、食事をする。</p><p><br></p><p>当たり前のようにやっていた家事にもより一層心を込めてみる。</p><p><br></p><p>その奥にいる方々のことを想う。</p><p><br></p><p>戦争地、途上国等で食べられないでいる方々のことを想う。</p><p><br></p><p>経済的、精神的、社会的、身体的に食べられる安心感が備わっていることを有り難く享受する。</p><p><br></p><p>そうしていると、</p><p>一口一口が身に心に染み渡っていく気がする。</p><p><br></p><p>物理的にものを食べる、栄養を摂取するにとどまらず、そのものに関わるいのちを頂いている感覚。</p><p><br></p><p><br></p><p>生きていくためには食べなきゃならない。</p><p><br></p><p>食べることにこれほどまでに感謝の気持ちを抱いたことはない。</p><p><br></p><p>毎日食べられることが本当に有り難い。</p><p><br></p><p>感謝でいっぱい。</p><p><br></p><p>生きながらえさせてもらっているこのいのちを</p><p>無駄にせずに、誰かの何かのお役に立てられますように。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/asaminamonchi/entry-12883741062.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jan 2025 22:43:05 +0900</pubDate>
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<title>言葉が人生を変える</title>
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<![CDATA[ <p>言葉って魔力があるなぁと感じる。</p><p>&nbsp;</p><p>以前までは、自分の性格や考え方が変われば使う言葉も変わってくるのかな、</p><p>と考えていた。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、</p><p>順番が逆だな、何より言葉が先だな</p><p>と思うようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>言葉の力はそれほどまでに強力。</p><p>言霊があると言われるくらいだもん。</p><p>&nbsp;</p><p>一つ一つの言葉には感情も思考も乗っていることはもちろん、</p><p>エネルギー、波動のようなものも持っている。</p><p>&nbsp;</p><p>そのエネルギーや波動のようなものを利用して、</p><p>考え方や性格、感情が変わってくるのではないかと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>非科学的なことを言っているようだけれども、</p><p>これが侮れない気がしている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>子育てをしていて、言葉の脅威を感じることがとても多い。</p><p>&nbsp;</p><p>子どもはすぐに親の言葉をそのまま使うから、</p><p>少し前に自分が吐いてしまった手を抜いた言葉、</p><p>感情をそのまま乗せた言葉が子どもから跳ね返ってくると、</p><p>”あぁ、そんなふうに伝えてしまっていたのか…ごめんよ…”と、</p><p>何とも言えず申し訳ない気分になる。</p><p>&nbsp;</p><p>だからこそ、言葉の力を借りて、</p><p>子どもに人に役立つことの心地よさを味わってもらうべく、</p><p>「ありがとう」「助かった」「嬉しい」を、事あるごとに伝えるようにしている。</p><p>&nbsp;</p><p>ここにはアドラー心理学系の本からの影響も結構あるのだが、</p><p>自分が誰かの役に立っている感覚を持つために、</p><p>こういう言葉がどうしても必要だし、重要だなと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>どんなに気分がぎすぎすしていても、</p><p>「ありがとう」の響きはすごく心地よく、いつも気持ちを鎮めてくれる。</p><p>「どういたしまして」も頑張って言えるようになってきた子どもとのやり取りも楽しい。</p><p>&nbsp;</p><p>「偉いね」、「凄いね」と評価する言葉も使うことはあるが、</p><p>それよりは子どもと対等の立場で、互いに助け合ったり支え合ったりできる関係を築いていきたい。</p><p>子どもも人間だし、親も人間だし、得意・不得意、できる・できない、がどうしてもある。</p><p>完璧ではないから周りの人の助けが不可欠なのだから。</p><p>&nbsp;</p><p>私自身が、親から対等な関係で扱われた体験に乏しいというのもある。</p><p>いつまでも私は無力な子どもで、</p><p>”何かしてやらねばならない”と庇護下に置かれる感覚。</p><p>自分のありのままを尊重したり、認めてもらったりした記憶があまりない。</p><p>どこか親との比較対象、つまり、妬み・嫉み・軽蔑の対象になっているような感じもあった。</p><p>（自分の頃はこうだった、自分はそんなことしたことがない等）</p><p>親はそういうやり方しか知らなかったんだろうから、もう今更責めることもないが、</p><p>親のあり方を反面教師にして学び、自分の子育てに生かしていくことで、昇華させたい思いは強く持っている。</p><p>&nbsp;</p><p>子どもはいつまでも子どもなのではない。</p><p>世の中のためになる存在として、世界に受け入れられ、</p><p>自分の持てるものを最大限に生かしていけるよう、</p><p>今のうちからひとりの人格として尊重し、自信を培っていって欲しい。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、今から言葉を変える。</p><p>すぐに結果には表れなくても、言葉を地道に積み重ねていく。</p><p>子どもの吸収する力はもの凄い。</p><p>&nbsp;</p><p>何年後、何十年後に、</p><p>自分たち親や世の中への信頼をゆるぎなく持っていけるように、</p><p>地道にコツコツ、</p><p>一言一言、言葉を大事に伝えていきたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/asaminamonchi/entry-12883545756.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jan 2025 12:09:53 +0900</pubDate>
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<title>自分の話を人にする</title>
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<![CDATA[ <p>基本的に、自分の話をすることが苦手である。</p><p>&nbsp;</p><p>話している最中、自分へのモニターがフル稼働。</p><p>自己検閲、指導が入りまくる。</p><p>&nbsp;</p><p>話しながら、</p><p>”今の一言、相手には余計だったのでは？”</p><p>”その言い方では伝わらないだろう”</p><p>”気を遣っているように思われない伝え方はどれか？”</p><p>などなど、瞬時に頭の中に巡る巡る。</p><p>&nbsp;</p><p>もっと初歩の段階で、</p><p>”この話をしてお互いにメリットある？（いや、相手には時間の無駄だよな…）”</p><p>”相手は自分のことに興味ある？（いや、そんなないよね…）”</p><p>と冷めた感覚もあり、</p><p>特にそこまで仲が深いわけではない間柄の方との会話には躊躇してしまう。</p><p>”ママ友”との会話がどうも苦手なことの大きな要因にもなっている。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、自分の話をするのって人間が社会生活を営む上でめっちゃ大事だな、</p><p>と感じる瞬間が増えてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の話をすることが有効と感じる点は下記の通り。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><u style="text-decoration:underline;">①相手への信頼・好意を示すことに繋がる</u></p><p>&nbsp;</p><p>自分の話をする、つまり自己開示することは、</p><p>相手を信頼している証、好意を抱いていることの証になる。</p><p>こうやって、相手に自分のことを一端でも知ってもらうことで、</p><p>人は関係を築き上げていくことができる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><u style="text-decoration:underline;">②自分自身を客観的に見つめられる</u></p><p>&nbsp;</p><p>話していると、</p><p>”あ、自分はこんなことを考えていたんだな”</p><p>とか、</p><p>”頭では分かっているつもりだったけど、まだ心は納得していなかったんだ”</p><p>とか、</p><p>新しい気づきがいろいろと降りてくることがある。</p><p>&nbsp;</p><p>一人で日記に書いていたりする時にも気づくことはあるが、</p><p>人と話す中でそこに他者の視点が入り、より気づきが客観性を帯びて、</p><p>自分の考え・感情に凝り固まることなく、自身を見つめ直すことができる。</p><p>&nbsp;</p><p>理屈っぽいことを言うと、</p><p>”話す”は”離す”、”放す”にも繋がるので、</p><p>自分のことを一度突き放して見るのに必要不可欠な行為が”話す”ことなんだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>このブログを始めたのも②を意識してのこと。</p><p>個人的に自分のノートに書きためるのも良いが、</p><p>曝してみた方がより自分を突き放せるだろうと期待して。</p><p>&nbsp;</p><p>私が人に自分の話をすることに躓いていたのは、</p><p>”自分の話をすることで相手にはメリットがあるのか？”</p><p>”相手は自分に興味がないんではないか？”</p><p>といった、他人軸が大きく機能していたからだった。</p><p>&nbsp;</p><p>もう、そんな人がどう思うかなんてことは、考えないで良い。</p><p>だって、分からないんだから。</p><p>&nbsp;</p><p>気を遣うのも、気を遣われるのも嫌な時があるが、</p><p>それももう、諦めてしまいたい。</p><p>&nbsp;</p><p>気を遣うのは人間の性なんだろうから。</p><p>ナチュラルに気を遣う生き物なんだから。</p><p>&nbsp;</p><p>相手にちょっとでも気持ちの良い？快い？気の遣い方をしてもらえるよう、</p><p>心がけたいな、と思う。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、決してそれに囚われたくはない。</p><p>相手が快いかどうかを基準にしていてはキリがない。</p><p>&nbsp;</p><p>まずは自分が、この会話を楽しいと思っているかどうか</p><p>相手に好意を持っていることを伝えたいと思っているかどうか</p><p>&nbsp;</p><p>何をおいても、一番はっきりしているのは自分の感覚。</p><p>&nbsp;</p><p>その上で、相手とのこの会話の時間が互いに良いものをもたらすことを願いながら、</p><p>結果は求めず、放棄する。</p><p>&nbsp;</p><p>これぐらい無頓着で会話しても良いんだろうな。</p><p>&nbsp;</p><p>会話する前にあれこれ前提条件やら不安やら、</p><p>なんやらかんやらごっちゃにしていたから、</p><p>会話する前に疲れ果てていた。</p><p>&nbsp;</p><p>何が起こるか分からないけど、結果は気にせずに、</p><p>そのひと時を楽しむ境地を忘れずにいたい。</p><p>&nbsp;</p><p>そこに、相手への敬意と感謝を持ちながら。</p>
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<link>https://ameblo.jp/asaminamonchi/entry-12883543176.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jan 2025 11:45:16 +0900</pubDate>
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<item>
<title>自分の持てるものを生かす</title>
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<![CDATA[ <p>育児をしていて思うこと。</p><p>&nbsp;</p><p>①普通のことを普通にやっていって欲しい</p><p>②この子は特別な存在になって欲しい</p><p>&nbsp;</p><p>この矛盾したような二方向の願望を、親は抱きやすいのではないか？と。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>①普通のことを普通にやって欲しい</p><p>&nbsp;</p><p>これは、日本の学校教育の根本にあるんだろう。</p><p>集団行動が多いがゆえ、</p><p>「変に浮かない」とか「周りに迷惑をかけない」ことに価値を置いている感じ。</p><p>社会軸から見て平均点、及第点を取っているならまぁ良し、とする見方。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>②この子は特別な存在になって欲しい</p><p>&nbsp;</p><p>これは①とまた違う視点、というか、①をクリアした上でのプラスアルファ的に、</p><p>何か特別なスキルや特技、人よりも秀でた部分を持って欲しい、という感じ。</p><p>早期教育がアツイのもこういうところから来ているのだろうか。</p><p>早いうちから一芸を身に付けておけば、</p><p>後々苦労せずに特別な部分を備えて生きられるだろうという親の希望的観測。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、どちらも確かに一理あるが、</p><p>そもそも、普通とか特別って、誰が決めたんだ、という話で。</p><p>社会軸、他人軸、世間体など、</p><p>外側からの意識が強かった時代の産物がこういう視点なのかなと。</p><p>&nbsp;</p><p>※自分がまだ旧時代的な考え方にプレッシャーを感じているがゆえ、</p><p>この記事は、既にもう時代は変わってるよ、っていうことの再確認でもある。</p><p>&nbsp;</p><p>ハタから見て認められるとか、極端な話、もうあまり価値を持たなくなってくるのかなと思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>自分が生き生きと楽しく生きられるのが第一の生きる目的で、</p><p>普通の子に、とか、特別な子に、とか、いちいち考えなくても済む。</p><p>むしろ、そんなことよりも、</p><p>自分がまずどうしたいのか、何に喜びを感じるのか知っていることが大事になってるんじゃないかなと。</p><p>&nbsp;</p><p>こう書いていると、アンパンマンの歌が頭の中で流れ始めた。</p><p>&nbsp;</p><p>♪何が君の幸せ？　</p><p>　何をして喜ぶ？</p><p>　分からないまま終わる</p><p>　そんなのは嫌だ</p><p>&nbsp;</p><p>すごいなー、アンパンマン。</p><p>時代を先駆けていたんだなー。</p><p>&nbsp;</p><p>それはさておき。</p><p>&nbsp;</p><p>ただし、自分がどうしたい？ということばかりにフォーカスすると、</p><p>身勝手がまかり通る世の中になってしまう。</p><p>そんなことは人としてあり得ない。</p><p>&nbsp;</p><p>自分のできることが世の中にどう生かせるか？</p><p>自分の持っているもので人をいかに幸せにできるのか？</p><p>自分がどうやったら人の役に立てるのか？</p><p>&nbsp;</p><p>この考えを常に我が子には持っていて欲しいのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>人と比べて良い点が取れたとか、足が速いとか、英語が上手に喋れるとか、</p><p>横並びで競って、優越感と劣等感の間で揺れ動くばかりの人にはなって欲しくない。</p><p>（自戒の念も込めまくっている）</p><p>&nbsp;</p><p>周りの人の凄いところはすごい！と認めながら、</p><p>自分の持っているものに誇りを持って、</p><p>持っているのであれば快く周りに分け与えられる人間になって欲しい。</p><p>&nbsp;</p><p>どんなことにも平均点を目指すのではなく、自分らしく輝けるフィールドを何か一つで良いから持ってもらうことを目指して、日々子たちの成長を楽しみに過ごしているところだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなバクっとした理想を抱きながらも、</p><p>なかなか準備が進まない朝の子ども達を鼓舞することに一日の大半のエネルギーを費やす、</p><p>ひーひー自転車操業的育児も、早6年目に突入。</p>
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<link>https://ameblo.jp/asaminamonchi/entry-12883431584.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jan 2025 14:31:44 +0900</pubDate>
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<title>隠すと出す</title>
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<![CDATA[ <p>ブログを始めてみて思ったこと。</p><p>&nbsp;</p><p>結構書かないことも多いもんだなぁ、と。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、個人が特定されうるような情報はほぼ書かない。</p><p>（ビジネスされている方は別として。）</p><p>（ただ、ペンネームを使っている方も多いし、素性を曝け出しているケースはとても少ないと思う）</p><p>&nbsp;</p><p>隠しているという意識はない。</p><p>ただ、あえて書かなくても良い。</p><p>言いたいことの中に別に個人的な情報は書く必要はない。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、日常の中で感じていることのエッセンスは、</p><p>普段会話しているよりもバンバン出ていそうである。</p><p>&nbsp;</p><p>これは、隠したくても出ちゃう。</p><p>&nbsp;</p><p>そこを自分でも客観的に確かめたいから、ブログをやり始めたんだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>と言っても、書いたことをあまり振り返って読んでいるわけではない。</p><p>書いたら終わり。はい、次！</p><p>っていう状態。</p><p>&nbsp;</p><p>そういう「はい、次！」のきっかけに、このブログが機能している。</p><p>&nbsp;</p><p>素性がお互い明らかになっていなくても、</p><p>見知らぬ誰かのブログを読んで「なるほど～」とか「分かるわ～」とか思って何かを得られるのって、</p><p>やっぱり人間の意識や感覚はどこかで繋がり合っていて（集合的無意識っていう考え方もあるし）、</p><p>そもそもこの同時代に生まれた同士は、共鳴する何かを持ち合っていて、</p><p>互いに影響し合い、時にいがみ合い、高め合い、</p><p>何やかんやしながら生きていくモンなんだろうなぁ。</p><p>&nbsp;</p><p>はぁ、ざっくりなことしか言語化できないのがもどかしいけれど、</p><p>まぁ、しゃあないな。これが現在地。</p><p>&nbsp;</p><p>全然関係ないが、去年から「敬意」と「感謝」が生きる上でのテーマになっている。</p><p>&nbsp;</p><p>直接知っていようが、知っていまいが、</p><p>関わりのある全ての方々、物事に敬意と感謝を忘れずに、</p><p>今年も一日一日、懸命に生きていきたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/asaminamonchi/entry-12883428799.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jan 2025 14:04:46 +0900</pubDate>
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<title>手放す</title>
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<![CDATA[ <p>手放したい意識、手放したい考え方、手放したい感情が、</p><p>大小いろいろある。</p><p>&nbsp;</p><p>生活をしていると、</p><p>”あぁ、まだこんなものを握り締めていたんだ”</p><p>と、はっと気づくこともしばしば。</p><p>&nbsp;</p><p>何をそんなにこだわっていたのか。</p><p>何でそんなことに心のエネルギーを費やしていたのか。</p><p>&nbsp;</p><p>気づいたところから手放せる。</p><p>まずはその執着に気づかねばならない。</p><p>&nbsp;</p><p>その代表的なものはこれら。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>１．他人と自分を比較する意識（優越感／劣等感）</p><p>&nbsp;</p><p>学生時代から根深く植え付けられた負の遺産。</p><p>いつまでこれに縛られているのかと自分でも嫌になるが、</p><p>他者にも自分にも批判的になってしまう癖も手伝ってしまっている。</p><p>”ママ友”云々も、これが働いているからやりづらくなってしまっているんだろう。</p><p>時代はもう2025年、いつまで昭和気分なのだ。</p><p>いい加減に手放すぞ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>２．自信のなさからくる傲慢さ</p><p>&nbsp;</p><p>ずっと自信がないことを言い訳に、新しいことをするのが億劫になってしまっていたのかもしれない。</p><p>過去と同じ失敗をしてしまうのではないかという不安。</p><p>何かうまくいったこともあったかもしれないが、自分ではそうとは認められずに、</p><p>「自信がない」と自分に言い聞かせて、変わらない自分を肯定しようとしてきたのだ。</p><p>でも、自信がないわりに傲慢なところがあるな、と気づいた。</p><p>自信がなくて、極力目立たないように、自己主張しないようにと抑えた結果、</p><p>自分は透明人間でもあるかのように傍若無人に振る舞ってしまう心の中の態度があることに気づいた。</p><p>”私なんていてもいなくてもさして影響しないんだから、これぐらいやっても許されるだろう”的な傲慢さ。</p><p>これはいけない。</p><p>曲がりなりにも育児中の身だから尚更、こんな意識を子どもにも植え付けてしまっては行く末が案じられてならない。</p><p>自信があろうがなかろうが、やるべきことはやる人間でなくてはと思う。</p><p>この自信のなさへのこだわりも、傲慢さも、手放そう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>３．人に頼ることへの罪悪感</p><p>&nbsp;</p><p>人に物事を頼むのが元々苦手だ。</p><p>自分がやらねば誰がやる、と、誰がやってもいい仕事も抱え込み、</p><p>そのくせ、誰もやってくれない、といじける。</p><p>独り芝居をやっていたようである。</p><p>誰がやっても良いんだったら、誰かに頼めばいい。</p><p>それだけの話。</p><p>自分がすべきなのに、やらせてしまって申し訳ない、とか思う必要はない。</p><p>やってもらってありがとう、また次もお願いします、</p><p>の積み重ねで、関係も強くなっていく。</p><p>なんだか申し訳ない…と罪悪感でカバーしているが、</p><p>結局は、他者を信頼していない、他者と関係を築いていくことを恐れている、という自分がいることに気づいた。</p><p>罪悪感とか言って正当化しようとしなくてもいい。</p><p>素直に自分の中の恐れを認めるところからではないか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>書いてみるとやっぱり見えてくる。</p><p>手放したい意識、考え方、感情は、</p><p>これまで自分の弱い部分を必死に支えてくれていたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>古い自分から脱皮していくためにも、</p><p>これら松葉杖になってくれていたものたちに、</p><p>敬意と感謝をもってさようならをしていきたい。</p><p>そんな2025年の初頭。</p>
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<link>https://ameblo.jp/asaminamonchi/entry-12883291664.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Jan 2025 13:19:49 +0900</pubDate>
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