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<title>アタルのアスクル日記さんのブログ</title>
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<title>米フォード、ボルボを中国メーカーに売却へ</title>
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<![CDATA[ <p>【ロンドン＝是枝智】米自動車大手フォード・モーターは２８日、<br>傘下のスウェーデン大手ボルボを中国の中堅自動車メーカー、<br>吉利汽車（本社・浙江省）に売却する方向で優先交渉権を与えると発表した。</p><p>赤字部門の売却によって経営立て直しを急ぐ。フォードはボルボ売却後も、<br>販売面などで同社と一定の協力関係を続ける方針だ。</p><p>欧米メディアによると、フォードとボルボは開発技術や設計を共有しているため、<br>最終合意に向けた交渉では知的財産権の取り扱いが焦点になるという。</p><p>ボルボの２００８年の乗用車販売台数は前年比１８％減の約３７万台で、<br>０９年も苦戦が続いている。吉利汽車は人員削減などでボルボ再建を進めるとみられる。 </p>
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<pubDate>Thu, 29 Oct 2009 12:21:30 +0900</pubDate>
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<title>無駄排除へ本格始動＝行政刷新会議がきょう初会合</title>
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<![CDATA[ 政府の行政刷新会議（議長・鳩山由紀夫首相）は22日午前、首相官邸で初会合を開き、<br>予算の無駄を排除する作業に本格着手した。<br>当面の焦点は、概算要求の段階で過去最大の95兆円規模まで膨らんだ2010年度予算の絞り込み。<br>同会議の下に設置した作業チームで無駄を洗い出す「事業仕分け」を行い、<br>3兆円以上の削減を目指す。<br>会合の冒頭、首相は「10年度は税収が極めて大幅に落ち込むと懸念されている。<br>できる限り歳出の削減に切り込んでいかないとならない」と述べた。　<br>
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<link>https://ameblo.jp/ataskulyou/entry-10370580716.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Oct 2009 11:47:30 +0900</pubDate>
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<title>定額給付金忘れてない？未申請、横浜市１０億円</title>
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<![CDATA[ <p>横浜市は１９日、定額給付金の申請を約７万１０００世帯（９月２８日現在）がしておらず、未申請の給付金の合計額が約１０億８０００万円に上ると発表した。</p><p>申請締め切りの１１月１８日まで１か月を切っており、市は「早急に手続きをしてほしい」と呼び掛けている。</p><p>発表によると、未申請の世帯数は、申請書を発送した約１６７万５０００世帯の約４％にあたる。 </p>
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<pubDate>Tue, 20 Oct 2009 11:18:10 +0900</pubDate>
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<title>海自撤収に理解＝米高官</title>
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<![CDATA[ 【ワシントン時事】長島昭久防衛政務官は14日、米国防総省などでフロノイ国防次官（政策担当）、<br>ジョーンズ大統領補佐官（国家安全保障担当）らと相次いで会談した。<br>長島氏は海上自衛隊によるインド洋での給油活動について、<br>新テロ対策特別措置法の来年1月15日の期限切れに伴い、<br>派遣部隊を一時撤収する方向で調整していることを伝達。これに対し、<br>米側は「（継続の是非は）日本側が決めることだ」と理解を示した
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<link>https://ameblo.jp/ataskulyou/entry-10365230565.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Oct 2009 11:28:48 +0900</pubDate>
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<title>あなたは市民記者を辞めますか？それとも……</title>
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<![CDATA[ <div class="news_entry_body"><p>　この「オーマイニュース」に、初めて自分自身の書いた記事が、載ってから半年が過ぎた。その間いろんなことがあったが、私はそろそろこの場から離れようと思っている。</p><p>　理由は1つ1つ挙げればキリがない。というか、とにかく疲れた。理由を説明するために、こうして文章を書くのも疲れるほど疲れた。真の理由はその一言に尽きる。</p><p>　疲れを理由にするのは、結局自分自身の弱さが原因に他ならない。確かに私は弱い。30年近く生きてきて、肉体的にも精神的にも、そこそこ強いほうだと思っていたが、ここ2、3年、特に「オーマイニュース」に記事を書いて送っていた半年間ほど、自分がこれほどまでに、弱いということを痛感することはなかった。</p><p>　私は、「オーマイニュース」上に記事が掲載されるたびに、各所から記事の内容で、陰に陽に様々な批判を浴びてきた。批判を受けるのは、いいのだ。それが、真っ当な批判であれば。</p><p>　しかし、私が受けてきたものは、時に批判の次元を超えていた。私が受けてきたものは、記事の内容に対してのものは言うまでもないが、実名と所属先を名乗って、記事を書いて掲載されること自体に対する妨害とまでは言わないが、非難であった。弱い私には、それは時に脅迫ともとれた。</p><p>　「外部に、この問題を持ち出さないで欲しい」「あなたの意見を、名前と所属先と合わせて世間に発表しないで欲しい」「疑問を持って記事を書くのはいいけれど、結局、自分自身の首を絞めるだけだから辞めたほうがいい」と、私はあちこちでそう言われた。</p><p>　タイトルにあるように直接「あなたは、市民記者を辞めますか？」などと言われたことはなかったが、弱い私からすれば、そう宣告されたも同然のことだった。要するにこれは「喋るな」と同義語である。死人に口無しと言うが、今どきゾンビでも少しは喋る。死んだように生きろ、ということなのだろうか。</p><p>　私は、この程度のことで腰が引けてしまう弱い人間である。しかし、閉鎖的で不条理な組織や世界、私を取り巻く、この社会や世間にだって問題があるのではないか？　という私の意見も、最早言い訳にしか聞こえない。</p><p>　正直、「オーマイニュース」に実名で記事が掲載されたことで、イイ事なんてほとんどなかった。プロフィールも、他の市民記者の人たちと比べて詳細に書いていたほうだが、それもすでに大部分を削った。もう自分の正体がわかるようなものは、極力人に見せないほうがいいと思った。（というようなわけで、当記事はペンネームを使わせて頂きます）</p><p>　私だって、やっぱり自分が可愛い。自分の生活を壊してまで、自分の意見を表に向かって発表しようとは思わない。また、とことん自分を追い込んでまで、社会に役立つようなことをしようという意欲も根気もない。</p><p>　結局、私はどこまでも中途半端な人間、やってきた事と言えば、単なる自己満足に過ぎなかったということになるが、これまた言い訳がましいが、心が弱いから仕方がないのだ。心が疲れると、自然と身体も疲れる。私はこのように、本当に疲れきってしまった。</p><p>　こんな私のことを、卑怯な逃亡者と呼ぶならそう呼べばいいと思う。その通りなのだから。</p><p>　でも、あなただってそうじゃないか？　そうじゃないというのであれば、もう1線を越えてみろ！　これ以上クビを突っ込んだから、どうなるかわからないのに、やれるというのならやってみろ！！　と、卑怯者らしく、逃げ口上ぐらいは言わせてもらいたい。私は、貝みたく口を閉ざす臆病者な生き方もできないほど弱い。</p><p>　そんな私がここを去ったところで、どうして生きていけようか。私に行くところなんかあるだろうか。仮に、日本から旅立ったところで、自分からは逃れられないのに。逃げ場がないとなれば、今居る場所で何が何でも頑なまでに「見ざる、言わざる、聞かざる」の精神で生きるしかない。</p><p>　これは積極的な断筆宣言ととってもらってもいい。というわけで、この記事を最後に、もう私は何も見ない、言わない、聞かない。猿にだってできるんだから、私にだってできるはず。私は人間だもの。それすらできなければ、人間廃業。</p><p>　さて、同じく市民記者であるあなたなら、こういう場合どうしますか？　人助けだと思って、答えて下さい。よろしくお願い致します。 </p></div>
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<link>https://ameblo.jp/ataskulyou/entry-10049401218.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Oct 2007 11:25:20 +0900</pubDate>
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<title>「あなたは市民記者を辞めますか？それとも……」</title>
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<![CDATA[ <div class="news_entry_body"><p>　この「オーマイニュース」に、初めて自分自身の書いた記事が、載ってから半年が過ぎた。その間いろんなことがあったが、私はそろそろこの場から離れようと思っている。</p><p>　理由は1つ1つ挙げればキリがない。というか、とにかく疲れた。理由を説明するために、こうして文章を書くのも疲れるほど疲れた。真の理由はその一言に尽きる。</p><p>　疲れを理由にするのは、結局自分自身の弱さが原因に他ならない。確かに私は弱い。30年近く生きてきて、肉体的にも精神的にも、そこそこ強いほうだと思っていたが、ここ2、3年、特に「オーマイニュース」に記事を書いて送っていた半年間ほど、自分がこれほどまでに、弱いということを痛感することはなかった。</p><p>　私は、「オーマイニュース」上に記事が掲載されるたびに、各所から記事の内容で、陰に陽に様々な批判を浴びてきた。批判を受けるのは、いいのだ。それが、真っ当な批判であれば。</p><p>　しかし、私が受けてきたものは、時に批判の次元を超えていた。私が受けてきたものは、記事の内容に対してのものは言うまでもないが、実名と所属先を名乗って、記事を書いて掲載されること自体に対する妨害とまでは言わないが、非難であった。弱い私には、それは時に脅迫ともとれた。</p><p>　「外部に、この問題を持ち出さないで欲しい」「あなたの意見を、名前と所属先と合わせて世間に発表しないで欲しい」「疑問を持って記事を書くのはいいけれど、結局、自分自身の首を絞めるだけだから辞めたほうがいい」と、私はあちこちでそう言われた。</p><p>　タイトルにあるように直接「あなたは、市民記者を辞めますか？」などと言われたことはなかったが、弱い私からすれば、そう宣告されたも同然のことだった。要するにこれは「喋るな」と同義語である。死人に口無しと言うが、今どきゾンビでも少しは喋る。死んだように生きろ、ということなのだろうか。</p><p>　私は、この程度のことで腰が引けてしまう弱い人間である。しかし、閉鎖的で不条理な組織や世界、私を取り巻く、この社会や世間にだって問題があるのではないか？　という私の意見も、最早言い訳にしか聞こえない。</p><p>　正直、「オーマイニュース」に実名で記事が掲載されたことで、イイ事なんてほとんどなかった。プロフィールも、他の市民記者の人たちと比べて詳細に書いていたほうだが、それもすでに大部分を削った。もう自分の正体がわかるようなものは、極力人に見せないほうがいいと思った。（というようなわけで、当記事はペンネームを使わせて頂きます）</p><p>　私だって、やっぱり自分が可愛い。自分の生活を壊してまで、自分の意見を表に向かって発表しようとは思わない。また、とことん自分を追い込んでまで、社会に役立つようなことをしようという意欲も根気もない。</p><p>　結局、私はどこまでも中途半端な人間、やってきた事と言えば、単なる自己満足に過ぎなかったということになるが、これまた言い訳がましいが、心が弱いから仕方がないのだ。心が疲れると、自然と身体も疲れる。私はこのように、本当に疲れきってしまった。</p><p>　こんな私のことを、卑怯な逃亡者と呼ぶならそう呼べばいいと思う。その通りなのだから。</p><p>　でも、あなただってそうじゃないか？　そうじゃないというのであれば、もう1線を越えてみろ！　これ以上クビを突っ込んだから、どうなるかわからないのに、やれるというのならやってみろ！！　と、卑怯者らしく、逃げ口上ぐらいは言わせてもらいたい。私は、貝みたく口を閉ざす臆病者な生き方もできないほど弱い。</p><p>　そんな私がここを去ったところで、どうして生きていけようか。私に行くところなんかあるだろうか。仮に、日本から旅立ったところで、自分からは逃れられないのに。逃げ場がないとなれば、今居る場所で何が何でも頑なまでに「見ざる、言わざる、聞かざる」の精神で生きるしかない。</p><p>　これは積極的な断筆宣言ととってもらってもいい。というわけで、この記事を最後に、もう私は何も見ない、言わない、聞かない。猿にだってできるんだから、私にだってできるはず。私は人間だもの。それすらできなければ、人間廃業。</p><p>　さて、同じく市民記者であるあなたなら、こういう場合どうしますか？　人助けだと思って、答えて下さい。よろしくお願い致します。 </p></div>
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<link>https://ameblo.jp/ataskulyou/entry-10049401139.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Oct 2007 11:25:18 +0900</pubDate>
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<title>3カ月ほど姿を消していた隣りのジイサン猫｢菊次郎｣</title>
<description>
<![CDATA[ <h2>3カ月ほど姿を消していた隣りのジイサン猫｢菊次郎｣が、痩せて現れた。隣の郵便受けに｢目の見えない子猫｣が捨てられていて、奥さんが世話を始めたら、嫉妬してスネて家出していたそうだ。「おかえり！」</h2>
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<link>https://ameblo.jp/ataskulyou/entry-10049401097.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Oct 2007 11:25:18 +0900</pubDate>
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<title>「不安解消」130年の歩みと汚点</title>
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<![CDATA[ <p>　４億1000万円――社会保険庁職員と全国90の市区町村職員が横領していたという、年金保険料などの総額だ[１]。業務上の不適正な処理で処分を受けた社保庁職員は、この10年間に計6000人、うち免職を含む懲戒処分が1321人に上るという[２]。巨大な犯罪組織の摘発と見まがう体たらくだ。しかし、これらの瀆職者たちを糾弾することと、年金制度の改善を引き続き着実に進めるという二つの作業は、全く次元の違う話で、公的年金の重要な役割自体にはいささかの変化も生じていない。恥ずべき運用者らの処分を進めながらも、心を鎮め、社会保障システムの綿密で合理的な再検討を行い、盤石の将来設計を立てるべきだろう。こころみに年金をめぐる巷の話題を時代を追ってたどってみると、国家と国民の位置取りのようなものが、かなりくっきりと浮かんでくる。</p><div align="center">◇　　　　　　　◇</div><p>　日本の年金制度が始まったのは、132年前の1875（明治８）年。いわゆる恩給（恩恵的給与）で、これは国が全面的に負担する無拠出型の年金だった。西南の役などへの尽力に対し、陸軍少佐・児玉源太郎が明治11年に手にした年金は180円[３]。巡査の月給が当時10円程度だったというから、意外に安い。同じころ、海軍勤務で隻眼になり、56円の年金を得ている隣人を羨んだ農家の女房が、亭主と離縁して一緒になるべく画策したという笑話もある[４]。また、ロシア皇太子が襲われた大津事件で賊を撃退した２人の車夫が、おのおのロシアから1000円、日本政府から30円の年金を受けたこと、その1人が結局は借金にあえぐ暮らしに落ちぶれたことなども報じられている[５]。恩給制度は陸海軍の軍人を対象に始まり、警察官、文官、教職員へと拡大していったが、1959（昭和34）年に廃止される。</p><p>　大正末から昭和にかけて、紙面には盛んに「郵便年金」が登場する。これは逓信省が提唱した養老保険で、同省の係長の談話を「若い婦人のための福音」として紹介した記事も見られる。それによると、たとえば「20歳の婦人が一時に800円（注：年賦払いもある）払えば、60歳以降に毎年1000円の年金が出る」というものだった[６]。昭和初期、一般企業の課長の月給が約100円だったから、かなり魅力的な保障額と言えよう。「最も利用すべき人々は花嫁、主婦、未亡人、会社員その他の勤め人、大家の老女中」とあり、生活不安を身辺に感じ始めた弱者を対象にしている。しかし、1927（昭和２）年に動き出したこの仕組みは、すぐに解除する者が続出した[７]。不景気で掛け金が続かない、息の長いことを国民が好まない、集金制でないため面倒――などが原因と分析されているが、中断されることはなかった。終戦前日の紙面にも広告が掲載されているが、「本土決戦に備えて、老幼婦女家族の生活は安定させておこう　郵便年金普及強調運動」という文言は非現実的な白々とした響きで、なんとも場違いな代物だ[８]。</p><p>　　「待望の“国民年金”　一足先に独逸が計画中」という見出しが躍るのは、1941（昭和16）年２月９日の紙面[９]。盟邦ドイツで労働者のみならず国民全般を対象に国民年金制度が模索されているという話で、「滅私奉公の精神を抱いて戦線に活躍する出征将兵に対する感謝の微意である」というヒトラーの言葉が引かれている。日本では翌1942（昭和17）年、「労働者年金保険」制度が、男性工場労働者を対象に発足するが、戦時インフレ抑制や戦費調達のための方策という色合いが濃厚で、また、女性は適用対象外だった。２年後、「労働者年金保険」は「厚生年金」と改称され、加入者はようやく女性や一般職員にまで広がっていく[10]。</p><div align="center">◇　　　　　　　◇</div>　敗戦から10年以上過ぎた頃、すべての国民を年金対象者とする国民皆保険が議論の俎上（そじょう）に上る。当時の解説記事は労働者年金（厚生年金）について、「軍部が民間資本を一番簡単に吸い上げる方法として」採用し、「被保険者は過去14年間、ほとんど税金にひとしい保険料を払い込まされ、営々として国家資本の蓄積に奉仕したわけだ」と切り捨てている[11]。その上で、戦後のインフレをくぐり抜けて、なお全国から集積が続く保険料収入および膨大な積立金の不分明な使途、また給付金の少なさへの疑問を投げかける。そして、こうした未熟な現状から一足飛びに国民皆保険を構想することへの危惧を述べ、まことに辛辣な批判を浴びせる――「なにひとつ国民経済との関連を持たないものはないのに、経済を知らない厚生省だけでこれを運営するのもおかしい」と。これはもはや古びた評である――と、はたして言い切れるだろうか。
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<link>https://ameblo.jp/ataskulyou/entry-10049401025.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Oct 2007 11:25:17 +0900</pubDate>
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<title>YouTubeと連携したデジタルメディアスイート最新版「Nero 8」</title>
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<![CDATA[ <p>　Neroは9月26日、デジタルメディア統合ソフトウェアの最新版「Nero8」を発表した。11月9日よりダウンロード版の先行販売を行い、11月23日にパッケージ版を発売する。同社直販サイト「Neroオンラインショップ」の価格は、標準版が1万490円、アップグレード版が8392円。</p><p>　「Nero」シリーズは、ライティングやバックアップ、ビデオ編集、オーサリングをはじめ、デジタルコンテンツを活用するための機能を1つにまとめた統合ソフトウェア。前作の「<a href="http://plusd.itmedia.co.jp/pcupdate/articles/0510/24/news102.html">Nero 7 Premium</a>」は18種類のツールで構成されていたが、今回さらにその数を増やし、20種類以上のソフトを収録している。</p><p>　同日行われた発表会では、同社テクニカルディビジョン 小林由和氏が登壇し、“操作性”“ハイディフィニション”“オンラインコミュニティ”“セキュリティ”“Windows Vista”という5つのキーワードに沿って、最新バージョンの新機能を説明した。</p><p>　1つめの“操作性”は、アプリケーションランチャー「NeroStartSmart」の改良だ。具体的には、利用頻度が高い音楽CDの作成などをメニューの左に並べ、ワンクリックで直接実行できるようになった。また画面上部に、リッピングして書き込む／作成と編集／ホームエンタテインメント／バックアップというタスク別の項目を用意し、目的に沿って各アプリケーションを呼び出せるようになっている。このほか、Neroが持つすべてのアプリケーションを一覧表示したり、NeroStartSmart上でRSSニュースの表示なども行える。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ataskulyou/entry-10049400980.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Oct 2007 11:25:14 +0900</pubDate>
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<title>マー君苦い凱旋　力投、ハムファンも拍手</title>
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<![CDATA[ <p>　「きゃあマー君、でも今日は勝たないで」－。駒大苫小牧高時代に夏の甲子園を制覇し、今季東北楽天に入団した田中将大投手は二十六日、優勝争い最終盤の日本ハムを足踏みさせそうな力投を見せた。スタンドのファンは堂々と敵役を果たした田中投手の成長に目を見張った。</p><p>　一回裏、「ピッチャー田中」と場内アナウンスが流れると、スタンド全体から拍手がわいた。応援に駆けつけた「楽天田中将大苫小牧後援会」の副会長で、下宿オーナーとして面倒を見た中谷京子さん（６１）は「のびのびと、あの子らしく投げている」と目を細めていた。</p><p>　プロ入り後初の道内凱旋（がいせん）登板。田中投手は「最後の詰めが甘かった」と無念さを隠さなかったが、「舞い上がったりはしなかった」と堂々とした姿勢を印象づけた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ataskulyou/entry-10049400927.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Oct 2007 11:25:12 +0900</pubDate>
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