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<title>様々な傷跡</title>
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<title>二つの原爆の意味</title>
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<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;">広島だけではなく、なぜ長崎にも原爆が落とされたのか？</b></p><p><b style="font-weight:bold;">二つ理由が考えられます。</b></p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">広島で使ったガンバレル型とは違うインプルージョン型原爆の威力を試したかった。</b></p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="color:#ff0000;">広島型原爆</span>（リトルボーイ）は爆弾内が筒状になっていて弾尾に仕掛けた爆薬で核物質を圧縮し爆発させます。これをガンバレル型といいます。分かりやすい構造ですが<span style="color:#ff0000;">濃度90%以上の高濃縮ウラン</span>以外使用できず、かつ小型化ができない、完全な安全装置が作れないなどの問題点がありました。米国も早い段階で量産をあきらめています。ただ、確実に爆発するので、最初の核爆弾に選んだのではないでしょうか。</b></p><p><b style="font-weight:bold;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/a0/be/j/o0200025215528912537.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="529" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/a0/be/j/o0200025215528912537.jpg" width="420"></a></b></p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/05/b2/j/o0300016815528912552.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="235" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/05/b2/j/o0300016815528912552.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/80/9a/j/o0259019415528912540.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/80/9a/j/o0259019415528912540.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="color:#ff0000;">長崎型原爆</span>（ファットマン）は核物質を通常火薬で取り囲んで一斉に爆発させて爆縮核反応を起こさせようというものです。これをインプルージョン型といいます。この方式は、発火時点の微妙に異なる爆薬の威力が中央部で均一の圧力になる仕掛けが難しく、後にコンピュータの父と呼ばれるフォン・ノイマン博士がこのために開発した偏微分方程式を10か月以上の時間を費やして計算して、ようやく最適解を得たという逸話が残っています。こちらは構造が難しい分、入手しやすい<span style="color:#ff0000;">プルトニュウム</span>が利用できるので、米軍は量産体制に入っています。</b></p><p><b style="font-weight:bold;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/3e/6a/j/o0253019915528911667.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="330" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/3e/6a/j/o0253019915528911667.jpg" width="420"></a></b></p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/8d/ac/j/o0208017215528911675.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="347" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/8d/ac/j/o0208017215528911675.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/59/c2/j/o0275018315528911697.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="279" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/59/c2/j/o0275018315528911697.jpg" width="420"></a></p><div>&nbsp;</div><p><b style="font-weight:bold;">本当は量産計画中のインプルージョン型で試したかったのですが、失敗が怖いので、最初の一発はガンバレル型でいったということのようです。</b><span style="color:#ff0000;"><b style="color: inherit;">ソ連参戦前に日本を降伏させたかった。</b></span></p><ol><li><b style="font-weight:bold;">米国トルーマン大統領は日本本土侵攻時のシミュレーションを見せられて、その犠牲の多さにたじろぎ、スターリンに参戦を呼び掛けていました。スターリンは日本からも停戦の仲介役を頼まれていて、漁夫の利を狙っていました（例えば日本に北海道を割譲させて、見返りに日米停戦をあっせんするなど）。ところが原爆開発が急ピッチで進みソ連なしでも最小の犠牲で日本に勝てるという見込みが立ってきてトルーマンは考え直します。さらに、7月のポツダム会談時点で早くも東西冷戦が始まり出していましたので、大戦後のソ連の勢力範囲を最小に抑えるという新たな外交課題も出てきました。にもかかわらず占領地は占領国のものとするという約束をポツダム会議でしてしまいました。そこで、ソ連が日本に攻め込む前に、日本の降伏を実現させる必要が喫緊の課題として登場してきます。この課題への具体的対策として、立て続けに2発の原爆で大都市を連続破壊することで日本帝国の継戦意志を打ち砕くということが計画されました。</b><ol><li><span style="color:#ff0000;"><b style="font-weight:bold;">トルーマンの意図は当たり、日本帝国は1週間もたたないうちに降伏しました。慌てたスターリンは日本降伏を承知していたにもかかわらず8月18日に開戦して千島に侵攻します。が、思いのほか日本軍の抵抗は激しく、千島全島の占領作戦が終わったのは9月5日でした。</b></span></li></ol></li></ol><p><b style="font-weight:bold;">アメリカ人は原爆が戦争を終わらせたのだ、必要悪なのだとよく言います。しかし、<span style="color:#ff0000;">大日本帝国の継戦意図を挫くだけなら、分かりやすい形での脅しでよいわけですから、落とす場所は大都市近くの海上などでよく、無抵抗の市民の上である必要はなかった</span>と言えます。ただ、その場合は終戦までより多くの時間が必要でスターリンの思うつぼにハマった可能性も捨てきれません。スターリンはどうしても北海道が欲しかったようです。</b></p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">いずれにしても今はアメリカの時代です。徳川時代に大坂攻めの卑怯さ残忍さを語ることがタブーであったように、米軍の一般市民を効率よく焼き殺すための非人道的日本空襲や無道な原爆攻撃を言い立てるのは反米活動に火がつかないよう上手に制御されています。しかし、<span style="color:#ff0000;">勝つために平気で無辜の市民の命を奪った1945年の米軍指導部の行動は唾棄すべき</span>ものです。この問題はいつか、おそらく百年以上の後に、アメリカの時代が終わったときに、米国史の最大の汚点として非難に満ち溢れた論調で記録されることとなるでしょう。</b></p>
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<link>https://ameblo.jp/atomic86bomb89/entry-12880993115.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Aug 2024 22:18:37 +0900</pubDate>
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<title>原爆とヤングケアラー</title>
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<![CDATA[ <p><strong>広島、長崎への原爆投下から、今年で79年。体験者たちにとって「あの日」は過去のことではない。<br><br>4歳で原爆を体験した松尾栄千子（えちこ）さんは、病に倒れた両親を介護し、家事を一身に担うようになった。炊事に洗濯、畑の仕事まで。「あかぎれだらけになった私の手を見て、母は泣いていました」。83歳になった今でも、思い出しては涙をこぼす。<br><br>自身も闘病しながら、高校進学もあきらめて家族を支えた日々。彼女は、原爆が生んだ「ヤングケアラー」だった。その苦しみは、今に至るまで取り残されている。</strong></p><p>&nbsp;</p><h2 id="4e5163eb-1fd0-4b15-bebb-0e5f72fdb8db" name="4e5163eb-1fd0-4b15-bebb-0e5f72fdb8db" tabindex="-1">爆風に吹き付けられて</h2><p id="11092cc2-4e79-40ba-96fb-a99b27627bd8" name="11092cc2-4e79-40ba-96fb-a99b27627bd8"><b style="font-weight:bold;">数分歩けばそこは海、というような長崎市の網場（あば）町に松尾さんは生まれた。当時は日見村の一部で、町名には魚を捕るために網を仕掛ける場所、という意味がある。潮風が流れ、山にも近い。</b></p><p id="7c61c2cf-ec50-4316-8b49-c77759a759c6" name="7c61c2cf-ec50-4316-8b49-c77759a759c6"><b style="font-weight:bold;">船大工の父とそれを手伝う母、2人の姉と兄のもとに松尾さんは生まれた。太平洋戦争が始まったのは、1歳になってまもない頃。長崎も市街地を中心にたびたび空襲に見舞われたが、彼女自身は「戦争」を理解してはいなかった。戦争末期には妹が生まれ、松尾さんは4歳になっていた。</b></p><figure id="af1925fd-a9d9-44c5-bbd0-2137e15387a6" name="af1925fd-a9d9-44c5-bbd0-2137e15387a6"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1722910929662-7sBjIYgdab.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="413" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1722910929662-7sBjIYgdab.jpg?width=1200" width="620"></a></figure><div>&nbsp;</div><div><p id="3c230162-f64d-4e4d-ba14-0cb0dd7cbbaf" name="3c230162-f64d-4e4d-ba14-0cb0dd7cbbaf"><b style="font-weight:bold;">近所に、仲良しのお友達がいた。1つ年下のシンコちゃんだ。きょうだいとは年が離れていたから、彼女と人形遊びやおままごとをして、1日中一緒に過ごした。<br><br>1945年8月9日の朝も、シンコちゃんを誘って近くの海へ。兄たちはパンツ一丁で気持ちよさそうに泳いでいたが、まだ幼かった松尾さんたちは、海に入ってはいけないと言いつけられていた。打ち上げられた石を拾い集めたり、道に絵を描いたりして遊んでいた。</b></p><p id="31d9f2af-5dfc-4a25-bbd2-ba15803b1824" name="31d9f2af-5dfc-4a25-bbd2-ba15803b1824"><b style="font-weight:bold;">午前11時2分、米軍爆撃機「ボックス・カー号」が投下した原子爆弾が上空500mでさく裂。松尾さんがいた地点は爆心地から約8km離れていた。<br><br>ピカッと光り、吹き飛ばされそうなほど強い風が吹きつけた。海を見ると、泳いでいたはずの兄たちがいない。爆風で押さえつけられて、海中に沈んだようだった。</b></p><p id="1ef8c330-f01e-4f97-a504-220f4fc6c343" name="1ef8c330-f01e-4f97-a504-220f4fc6c343"><b style="font-weight:bold;">巻き上げられた砂利や小石がからだに当たる。「痛い、痛い」と言いながらシンコちゃんの家へ逃げ込んだ。トタンの壁が揺れ、ギイギイと音を立てながら外れて飛んで行く。内部の土壁も、ポロポロと崩れ始めていた。</b></p><p id="b2d15c17-5e37-49d3-a38b-b6ed2b78a261" name="b2d15c17-5e37-49d3-a38b-b6ed2b78a261"><b style="font-weight:bold;">まだ幼かったからだろうか、「怖い」という感情はそれほどなかった。玄関のすき間から外を見ると、大きな木が弓のように曲げられて、折れもせずに倒れている様子が見えた。爆風の衝撃に、ただただ驚いていた。</b></p><p id="10b6896e-2873-4f57-8c82-5af54051e47c" name="10b6896e-2873-4f57-8c82-5af54051e47c"><b style="font-weight:bold;">まもなく父が迎えに来てくれて、暗渠（あんきょ）に避難してから家へ帰った。窓ガラスが割れ、外れた障子やふすまがあちこちに散乱してぐちゃぐちゃになっていたのを母は片づけていた。幸いにも兄たちは海から避難し、先に家に帰っていて無事だった。</b></p><p id="20b08940-abac-4589-bd89-c519aa2bdf64" name="20b08940-abac-4589-bd89-c519aa2bdf64"><b style="font-weight:bold;">何時ごろのことかは覚えていないが、パラパラと雨が降ってきた記憶もある。芋の葉っぱから、黒いしずくがぽたぽたと落ちるのもその目で見た。灰が降って裏手の山も白っぽくなり、畑で育てていた野菜にも降りかかっていた。だが、当時は「被ばく」のことなど思いもしなかった。</b></p><h2 id="dfff4b59-3398-485a-a3f4-1cb0ad642e0c" name="dfff4b59-3398-485a-a3f4-1cb0ad642e0c" tabindex="-1"><b style="font-weight:bold;">次々病に倒れていく</b></h2><p id="490090c8-92ed-4ffe-b9f5-21cdab1b1651" name="490090c8-92ed-4ffe-b9f5-21cdab1b1651"><b style="font-weight:bold;">翌日、松尾さんのからだにはひどい発疹が出た。皮膚が赤く腫れあがり、ぶつぶつとできものがからだ全体にできた。その他の不調は覚えていない。しかし、小学3年生になると急に具合が悪くなってきた。松尾さんは当時をこう振り返る。<br><br>「起き上がりきらんのですよ、座ることさえできない。ごはんを食べる時なんかも、布団を重ねてそれにもたれるようにして、父や母が口に食べ物を入れてくれました。いつも横になっているような感じで、学校にも行くことができませんでした」</b></p><p id="16fb4dcf-e465-406e-bbe0-5601630a7e11" name="16fb4dcf-e465-406e-bbe0-5601630a7e11"><b style="font-weight:bold;">ひどい貧血状態にあったと思われる。しかし、病名は誰も聞かせてくれなかった。小学2年生になったシンコちゃんも、同じような病と闘う日々を続けていた。母親たちはそれぞれの家を行き来し、似た症状に苦しむ互いの娘を見舞った。ある日、シンコちゃんの母親は枕元で「こがん病気の、この頃多か」と話していた。</b></p><figure id="12ce7af8-727d-4dc6-a8ea-9c500671dc4d" name="12ce7af8-727d-4dc6-a8ea-9c500671dc4d"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1722910929674-3bCJzobii2.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="428" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1722910929674-3bCJzobii2.jpg?width=1200" width="620"></a></figure></div><div>&nbsp;</div><div><p id="28db9acd-5a1e-4c2c-bd31-0f35325fb6c4" name="28db9acd-5a1e-4c2c-bd31-0f35325fb6c4"><b style="font-weight:bold;">どれだけ療養していたのか、はっきり覚えていない。<br><br>「だけど、床を上げて外に出た時、ものすごく外が懐かしかったですね。近所の子どもたちに会えるのも、すごく久しぶりという気がしました。シンコちゃんはまだ悪いのに、自分はこないして起き上がれたな……と思いましたね」</b></p><p id="bb84cd95-5daf-4cca-86a2-0a5097304213" name="bb84cd95-5daf-4cca-86a2-0a5097304213"><b style="font-weight:bold;">松尾さんよりも症状の重かったシンコちゃんは入院することになり、そのまま息を引き取った。病名は白血病だったという。まだ幼かった松尾さんはその死をよく理解することができなかったが、シンコちゃんの妹たちが泣いている光景はよく覚えている。いつも遊んでいた友達がいなくなってしまった、という寂しさが胸に広がった。<br><br>松尾さんが回復すると、今度は母が倒れた。中学2年生になる頃、母は体調によって寝たり起きたり、という状態になった。具合が良くなれば畑に出て、また数日たてば悪くなって寝る。松尾さんは、学校を出ると一目散に母のいる畑へ向かい、そのまま仕事を手伝った。母は、骨がんに侵されていた。</b></p><h2 id="afa65d86-d4a5-476f-8860-77a7a1401318" name="afa65d86-d4a5-476f-8860-77a7a1401318" tabindex="-1"><b style="font-weight:bold;">看病に、家事に……15歳の少女に降りかかった負担</b></h2><p id="643c9647-0aba-40d6-932c-ab50bf5ffebd" name="643c9647-0aba-40d6-932c-ab50bf5ffebd"><b style="font-weight:bold;">「母はひどお苦しみました。それはそれは、痛がっておりましたね。痛みのある太ももを伸ばして、私に『足を捕まえとけ』って、言いよりました。少しでもビクッと動けば、痛いそうなんです。その後、頭の方にもみかんくらいの大きさの腫瘍ができて、それも痛がりよりました」<br><br>松尾さんは看病に追われるようになる。夜中であろうと痛がるので、母が眠れるように足を押さえてあげた。頼れる家族は、誰もいない。父も結核を患って入退院を繰り返していた。乳飲み子を抱える一番上の姉が家にいたが、母との折り合いが悪く、家のことはほとんどしなかった。もう1人の姉と兄は、結婚や仕事ですでに家を出ていた。<br><br>よって、家事の一切が中学生の松尾さんに降りかかってきた。しかも、4つ下の妹とまだ赤ん坊の姪の世話、そして病に倒れた母の看病まで担わねばならなかったのだ。<br><br>「カレーライスはどうやって作ると？」<br>「そうめんはどうやって湯がくと？」<br><br>近所の人に聞いて回っては、なんとか家族を食べさせるための食事をつくった。しかし、まだ子どもと言える年齢で経験もない。<br><br>「ろくなものを食べさせていませんでしたよ……」<br><br>学校から帰ると料理をし、風呂をたく。机に向かって勉強をする時間は、とても取れない。五右衛門風呂に薪をくべる時の明かりを頼りに、木切れで灰に字を書いて覚えた。試験の前日には、就寝前のわずかな時間に布団の中で教科書を開いた。</b></p><p id="d3b9006e-7c58-49e8-b3c0-b11ede8fa752" name="d3b9006e-7c58-49e8-b3c0-b11ede8fa752"><b style="font-weight:bold;">そして朝は、午前2時に起きて仕事を始める。人の糞尿を腐熟させて肥料にしたものを汲み取って、畑にまく作業をしてから、学校へ向かった。洗濯ももちろん松尾さんの仕事だ。</b></p><figure id="8860c065-3852-49dd-ad3d-61fe25a1c2a9" name="8860c065-3852-49dd-ad3d-61fe25a1c2a9"><a aria-label="画像を拡大表示" href="https://assets.st-note.com/img/1722910929674-UEgCQGHRUM.jpg?width=2000&amp;height=2000&amp;fit=bounds&amp;quality=85"><img alt="画像" data-modal="true" height="413" loading="lazy" src="https://assets.st-note.com/img/1722910929674-UEgCQGHRUM.jpg?width=1200" width="620"></a></figure></div><div>&nbsp;</div><div><b style="font-weight:bold;">「手が痛かったですよ。特に冬ですね。もう、血がさーさー流れよりました。あかぎれができて、節々がぱりぱり割れるんですよ。洗濯や畑仕事で、水を使いますからね。私の手を見て母は泣いていました」<br><br>そう言うと、松尾さんは目元を真っ赤にして口元を押さえた。お母さんはなんと声をかけてくれましたか、と問いかけたが、胸が詰まって答えられないようだった。<br><br>松尾さん自身も、体調を崩しながらの家事、看病だった。重い貧血症状が引き続き出ていたのだ。<br><br>「だけど、大変だと思ったことはないですよ。自然と自分に降りかかってきたことだから……当たり前でしたからね、当時は」</b></div><div>&nbsp;</div><div><p>&nbsp;</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://news.yahoo.co.jp/articles/49dd185bc45358ec392343b5bc18eb43c3fd6762" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">日本を破滅させた「B29」とは、どんな爆撃機だったのか？　じつは墜落も多数？　最先端技術の粋を集めた「超空飛ぶ要塞」（歴史人） - Yahoo!ニュース</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">日本を破滅させた「超空飛ぶ要塞」―B29 　日本人なら、祖国を破滅させた爆撃機として「びーにじゅうく」の名を知らない人はいないのではないだろうか。このような所業から、ボーイングB-29スーパーフォ</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">news.yahoo.co.jp</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img alt="" class="ogpCard_image" data-ogp-card-image="" height="120" loading="lazy" src="https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240909-00001089-rekishin-000-1-view.jpg?exp=10800" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120"></span></a></article></div><p>&nbsp;</p></div><div><span style="color:#ff0000;"><span style="font-size:1.96em;"><b style="font-weight:bold;">戦争の傷跡は今も癒えない。。。</b></span></span></div>
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<pubDate>Fri, 09 Aug 2024 21:25:58 +0900</pubDate>
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<title>釣り？馬鹿げた質問</title>
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<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;">（質問）広島への原爆投下は日本のファシストを排除するための正当な行為だったのに、なぜ日本は未だに広島への原爆投下に反対しているのでしょうか？<br>旧日本軍研究家<br><br>（回答）えー、ネタですか？<br>釣りですか？<br>すっごい特大ですが、あえて咥えてみますｗ</b></p><p>&nbsp;</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">ファシズム - Wikipedia</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">ja.wikipedia.org</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img alt="" class="ogpCard_image" data-ogp-card-image="" height="120" loading="lazy" src="https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/38/Duce_Benito_Mussolini.jpg/1200px-Duce_Benito_Mussolini.jpg" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120"></span></a></article></div><p>&nbsp;</p><p><br><b style="font-weight:bold;">コミンテルンの用法<br><br>「ファシズム」という用語は、単なる全体主義や軍国主義の意味で使われたり、特に社会主義の立場からの政治的なレッテル貼りにも多く使われた。たとえばドイツのナチスは「国家社会主義」を自称し、「ファシスト」「ファシズム」とは自称しなかったが、敵対する共産主義勢力のトロツキーやコミンテルンなどが、イタリアのファシズムを「イタリア・ファシズム」、ドイツのナチズムを「ドイツ・ファシズム」と呼び[14]、更にスペインのフランコ政権なども対象として「反ファシズムの人民戦線」を組織した。このコミンテルンの用法に加えて、主として社会主義国や社会主義者の立場から、日独伊三国軍事同盟に参加した戦前の日本や、各国の軍事独裁政権なども「ファシズム（勢力、陣営）」などと呼ばれる事もある。中国共産党は2014年現在でも日本との戦争(日中戦争)に対して「反ファシズム戦争の勝利」と位置付けている[15]。<br><br>日本に関しては日独伊三国軍事同盟から「呼ばれる事もある」程度ですが？<br><br>＞独裁的な権力、反抗の弾圧と産業と商取引の制御のような類似の思想・運動・体制も含めて「ファシズム」と呼ばれる場合も多い<br><br>当時の日本は共産主義の弾圧はしましたが、商取引の制御など行っていません。まあ、物資が足りないので配給制にしたというのを「商取引の制御」としたいなら、配給制と商取引の制御の意味をちゃんと考え直しましょう！<br><br>ソ連の崩壊が共産主義の末路とも言えますが、日本はその共産主義を排除しようとしました。結果として良かったと思いますねぇ。その後はアメリカでもレッドパージが行われていますが、これもファシストですか？ｗ<br><br>どっかが「反ファシズム戦争の勝利」なんて言っているようですけど、そりゃ「共産党」が支配していますものね、そうでも言わないとおかしいことになりますよね？ｗ<br><br>日本にはファシストとかファシズムなんてのは事実上存在していないし、共産主義以外なら別に議論その物が妨害というのもありません。特別高等警察も共産主義を取り締まるために権限が強化されましたし？　まあ戦争末期には一部暴走していたかもしれませんが、それ言い始めたらドイツとイタリアも同じですよね？<br><br>日本にはファシズムもファシストも実質的にいないのに、原爆の実験をアメリカが行った。しかしアメリカはそれを認めると核兵器による人体実験という事を認めることになる。しかし現実には様々な「資料」が日本からアメリカに持ち出されて、それがいまだにアメリカに数多く保管されている。<br><br>広島、長崎にいた人々はごく普通の人々が大半であって、ファシズムでもファシストでもありません。<br><br>そして原爆投下に反対しているのでは無く、原爆を今後使用することに反対しているんですよ。多分それも理解出来ないのではと思えますが？<br><br>既に使用された物を反対なんてしても意味ないですからね。この違いもお分かりにならないのでは？<br><br>＞日本は未だに広島への原爆投下に反対<br><br>これは落とされる前だったら成立する言葉ですが、落とされた後には成立しない言葉です。日本語ちゃんと話せますか？　書けますか？<br><br>それから<br><br>＞日本のファシストを排除する<br><br>誰のことなのか明確にして下さい！<br><br>戦時中も議会や会議を色々開いて、多数決で決めていたのが日本なのですが、これってファシズムの定義から外れます。誰がファシストなのか、きちんとした明確な根拠と共にその人についてきちんと誰でも納得出来る解説をお願いしますね？<br><br>言葉をきちんと理解してから質問した方が良いと思いますよ？</b></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.96em;"><span style="color:#ff0000;"><b style="font-weight:bold;">質問は、釣りだろうと思うが。</b></span></span></p>
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<link>https://ameblo.jp/atomic86bomb89/entry-12880910888.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Aug 2024 23:18:37 +0900</pubDate>
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<title>第一次世界大戦と第二次世界大戦</title>
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<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;">第一次世界大戦が第二次世界大戦の勃発を阻止できなかったのはなぜか？</b></p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">いくつか良い答えがありますが、第二次世界大戦が起こる大きな要因の一つは第一次世界大戦が起こり、ヒトラーを含め誰もそれが再び起こることを望んでいなかったことです。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">では、1936 年に戻りましょう。ベルサイユ条約の条項により、ドイツはフランス国境に隣接するラインラント地方にいかなる軍事的存在も認めませんでした。</b></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/10/38/j/o0430033515528913487.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="327" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/10/38/j/o0430033515528913487.jpg" width="420"></a></p><p><b style="font-weight:bold;">言い換えれば、ドイツ軍はフランス、ベルギー、オランダ領土のすぐ隣に陣取るのではなく、渡るのが難しいライン川の背後に留まらなければならないでしょう。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">しかし、1936 年 3 月 7 日、ドイツ軍はそこに軍隊を派遣しました。軍隊の数は? 1 個師団、約 20,000 人です。そこでドイツ軍は、条約の条項によりラインラントの占領を許可されていた 94,000 人のフランス軍と 16,000 人のベルギー軍と対峙しました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">それでフランス軍はどうしたか？抗議しました。支援を求めました。だが、何も得られませんでした。結局、フランス軍はそのまま放置しました。フランス軍は5対1で優勢でしたが、何もしませんでした。なぜでしょう？フランス軍は新たな世界大戦が始まることを恐れていたからです。フランス軍は、まだ建設中のマジノ線の要塞の背後に留まっている方が安心でした。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">一方、ヒトラーはベルリンで大笑いしています（あるいはヒトラーが祝ってやったこと）。彼はベルサイユ条約を公然と無視したが、何も起こりませんでした。その時点では、大国が彼を止めるために何かをすることは決してないと本気で信じていました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">そこで彼は賭け金を引き上げました。彼はチェコスロバキアのドイツ語圏であるズデーテン地方を引き渡すよう要求しました。イギリスとフランスはミュンヘンに使者を派遣し、合意に達するよう試みました。しかし、裏ではチェコスロバキア人が武装し、ズデーテン地方の前線に人員を配置していました。彼らも遊んでいるわけではありませんでした。150万人の軍隊を持ち、武装していました。戦闘は戦車が通れる平地ではなく、領土を少しずつ奪い取らなければならない山岳地帯で行われました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">しかし、フランスとイギリスはヒトラーと合意に達することができず、ヒトラーはズデーテン地方を直ちに引き渡さなければチェコスロバキアを直ちに攻撃すると脅しました。チェコスロバキア人はくすくす笑ったが（彼らは彼の攻撃に備えていた）、次の瞬間、イギリスとフランスは屈服し、チェコスロバキアに、戦争を意味するとしても支援しないという悪い知らせを伝えました。ヒトラーはズデーテン地方を手に入れ、その立場から1年以内に簡単に国全体を掌握し、その過程でヨーロッパ最大級のシュコダ兵器工場を手に入れました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">それから、オーストリアを占領したばかりの頃のアンシュルスがありました。なんと、ムッソリーニでさえこのことに大いに憤慨していましたが、イギリスやフランスからは一言も発せられませんでした。この時、ヒトラーはフランスとイギリスには戦争をする気がないということを確信していたのです。</b></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/53/ce/j/o0602045215528913495.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/53/ce/j/o0602045215528913495.jpg" width="420"></a></p><p><b style="font-weight:bold;">1939年初頭のドイツ。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">それからヒトラーはスターリンの恐怖心を煽り始めました。スターリンも第一次世界大戦を経験しており、それを避けたかった。ドイツが不可侵条約を持ってやって来て、ポーランドの半分をスターリンに与えると、彼は興味をそそられました。ドイツはまた、ロシア製品と引き換えに外貨を準備することも提案していました。その6年前まで、西側諸国はソビエト政府を承認してさえいなかった。スターリンの側近のほとんどは疑念を抱いていたが（ナチスは常に激しく反共産主義だった）、ヒトラーは巧みな策略家で、スターリンを大いにおだてました。モロトフが数年後に述べたように、スターリンは生涯でただ一人の人物しか信頼していなかったが、それは史上最大の嘘つきでした。幸運にも、モロトフが交渉を主導し、ドイツがこれまで相手にした誰よりもタフだったため、彼は良い取引を成立させることができました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">そのため、1939 年の夏までに、ヒトラーはポーランドがドイツにとって脅威であるという口実で侵攻する準備を整えました。ポーランドはイギリスおよびフランスと相互援助条約を結んでいましたが、ソ連との付帯協定については知りませんでした。イギリスとフランスは、ドイツがポーランドに侵攻するのを黙って見ているつもりはないと明言しましたが、ヒトラーは彼らが本気だとは思っていませんでした。9 月 1 日、ヒトラーは侵攻し、驚いたことにイギリスとフランスは直ちに宣戦布告し、全軍を動員しました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">ヒトラーのショックは長くは続かなかった。なぜなら、その後 7 か月間、イギリス軍とフランス軍は防御陣地の背後に留まり、何もしなかったからです。ヒトラーとスターリンはポーランドをあっという間に制圧したが、フランス軍は小規模な攻勢をかけたものの、ほとんど抵抗を受けずにすぐに撤退しました (ドイツ軍の大半はポーランドにいた)。西側同盟国はフランスからルール地方 (工場があった場所) を爆撃することもできたが、そうしないことにしました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">なぜか？戦争が激化するのを恐れたからです。1939年秋、亡くなったのはドイツ人、ロシア人、ポーランド人だけでした。ドイツはフランスやイギリスを攻撃していなかった。西側同盟国は、ドイツが攻撃すれば防衛面で大きな優位に立てると考えていました。繰り返しになるが、第一次世界大戦の流血の繰り返しを誰も望んでいませんでした。</b></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/15/59/j/o0480034315528913492.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="300" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/15/59/j/o0480034315528913492.jpg" width="420"></a></p><p><b style="font-weight:bold;">1939 年後半のドイツ。紫色の部分はソ連占領下のポーランドです。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">そこでイギリス人とフランス人は待った。そして待った。そして待った。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">1940 年 5 月 10 日、ついにドイツ軍が攻撃を仕掛けました。ドイツ軍が防御要塞のないベルギーを突撃してくると予想し、その地域にいた連合軍の精鋭部隊のほとんどがドイツ軍を迎え撃つためにベルギーに突入しました。第 2 層の部隊はベルギー国境の南、マジノ線にいました。その結果、ルクセンブルクに近い国境の山岳地帯で樹木が密生するアルデンヌの森を守るために、10 個の新師団が残されました。</b></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/f2/45/j/o0602040415528913506.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="282" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/f2/45/j/o0602040415528913506.jpg" width="420"></a></p><p><b style="font-weight:bold;">ドイツが最善の部隊を派遣したのはまさにそこでした。連合軍がベルギーでドイツの第2部隊と遭遇したとき、ドイツ軍が完全に突破し、背後を掃討していることに愕然としました。ドイツ軍はマジノ線を完全に無視しました。6週間後、フランスは降伏し、イギリスは必死になってダンケルクから軍隊を撤退させようとしました。それは成功したが（33万8000人の兵士が脱出に成功した）、ドイツ軍はイギリス軍が持っていたほぼすべてのものを奪い取りました。1週間後、イギリスは全国で無傷の師団を1つだけ残しており、それはカナダの師団でした。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">イギリスは降伏を拒否したが、ドイツは心配していなかった。イギリスを侵略する当面の計画はなかったが、イギリスがヨーロッパを侵略する方法はなかった。ヒトラーは翌年、ソ連侵攻という「バルバロッサ」という大計画を開始しました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">この時点でドイツが被った損害は兵士10万人未満。その代償として、ドイツはこれを手に入れました。</b></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/81/cb/j/o0300016915528913471.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="237" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/04/atomic86bomb89/81/cb/j/o0300016915528913471.jpg" width="420"></a></p><p><b style="font-weight:bold;">1940年にナチス占領下のフランス領土。占領されなかった南部にはナチス支持の傀儡政権が存在。ベルギーとオランダも占領されました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">そしてヒトラーは、バルバロッサ作戦も同じようにうまくいくと確信していました。ドイツの将来の同盟国フィンランドとの冬戦争で、ロシア軍は3か月で25万人を失ったが、これは主にロシア軍将校の無能さによるものでした。フィンランド軍は数で大きく劣勢で、死傷者はわずか7万人でした。ソ連軍の死傷者総数はその約9倍でした。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">しかし、スターリンにはまだ切り札が一つありました。西側諜報部は計画について情報を得ており、1941年6月（泥が乾いたとき）に攻撃が行われるとスターリンに警告していました。問題は、スターリンがそれを策略だと思ったことです。第一次世界大戦の記憶をたどると、ドイツはロシアが国境に軍隊を動員するまでロシアを攻撃しなかったことを思い出しました。スターリンは、ヒトラーには攻撃の計画はなく、軍隊を動員すれば敵意を抱かせ、大規模な流血を引き起こすだけだと確信していました。彼はそれを避けたかったので、何もしなかった。もちろん、ドイツが実際に攻撃したときは別だが。それから…​​彼は自分の部屋に行き、数週間隠れました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">ヨーロッパでの戦争が両陣営で第一次世界大戦をはるかに上回る大規模な流血に発展したのは、このときになってからでした。ヒトラーはロシアが冬までに陥落すると確信していたが、実際に陥落しなかったため、自分以外の全員を責めました。ヒトラーは戦争計画を細かく管理し始め、部隊が戦略的撤退を行うことを禁じました。撤退は通常、虐殺につながるものでした。</b></p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">ウィンストン・チャーチルほどこのことをうまく言い表した人はいません。彼はゲームのかなり早い段階でナチスの侵略について警告していたが、実際の銃撃が始まるまで彼の意見は求められていなかった。</b></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;"><b style="font-weight:bold;">地球の広大な地域を荒廃させた戦争ほど、タイムリーな行動によって防ぐのが容易だった戦争は、歴史上かつてなかった。 - ウィンストン・チャーチル</b></span></p>
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<pubDate>Sat, 27 Apr 2024 23:57:08 +0900</pubDate>
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<title>靖国神社とA級戦犯</title>
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<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;">靖国神社には、「A級戦犯」が合祀されたのが問題だとよく言われる。<br>昭和28年（1953年）に日本の国会において、「戦犯赦免に関する決議」が行われ、当時の社会党も共産党も含め、全会派一致で「戦犯」とされた方々の名誉を回復する議決がなされています。共産党や当時の左派社会党、右派社会等も賛成の99%全会のほぼ全議員一致。もう当時の議員の世代が代わっていますが国内からの戦犯批判の声は後付け理由に起因する事が大であることは明白。<br><br>戦犯被告の写真を観ても顔と名前が「東条英機」ぐらいしか一致しない今人の出る幕ではない。</b></p><p><b><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/05/atomic86bomb89/96/24/j/o0310016315528914519.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="221" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250103/05/atomic86bomb89/96/24/j/o0310016315528914519.jpg" width="420"></a></b><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/atomic86bomb89/entry-12880994239.html</link>
<pubDate>Wed, 07 Feb 2024 23:18:27 +0900</pubDate>
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