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<title>さいころノート</title>
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<description>心理学っぽい雑文を書く場所が欲しいのです。その他雑文です。</description>
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<title>お母さん</title>
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<![CDATA[ こちとらもう中年で、嫁さんはいるものの子供はいない。子育てのチャンスはないかもしれない。無責任かもしれないけどお母さんについて書きたい。<div><br></div><div>心理学の世界では母子関係という言葉が重視される。特に異常心理を扱う場合、避けて通れない。家庭環境は、不安定な精神状態の結論にもってこいだから。赤ん坊は他人の世話なくしては生きられないし、他人の世話から様々な能力を開花させていく。</div><div><br></div><div>幸いにして愛されやすい子供と、愛情深い母と、それを支える父や周りに恵まれたとする。それでもまだ危機を経験する日が来る。親離れだ。多少精神的に恵まれていれば、心の中に「それで大丈夫よ」という親のイメージが変形して蓄積され、危険をはらんだ世界に探検に出かける。</div><div><br></div><div>完璧な親、は逆に有害だ。愛されすぎると子供は自分がわからなくなる。強烈なやり方で自分探しをするようになる。苛烈な虐待は脳を萎縮させる。これは論外だ。程々の関係が良い、とされている。良すぎず、悪過ぎず。</div><div><br></div><div>そして離婚や死別で母親を失う。まだ経験していないので、どれほど辛いことかはわからない。でも親を失うということが、何らかの喪失になって苦しんでいる人にはたくさん出会ってきた。人によってはキッツイ気分を味わうのだろう。</div><div><br></div><div>かつての母性神話のように、すべての精神的変調を母のせいにはしない。子供の側に原因があることも多い。母と子、2人で支え合うために狂ってしまう場合もある。母をめぐるお話は、山あり谷ありのドラマチックな展開になりやすい。</div><div><br></div><div><br></div><div>「人は良い面も悪い面も持っている。悪い面をかろうじて隠して生きているだけ」</div><div>「現実世界を生きるには、勇気が必要」</div><div>「母だけでなく、誰かには応援されていたい。だから傷ついても間違えても、投げ出さずに戦える」</div><div><br></div><div>無理に良き人になろうとせず、勇気を失わず、楽しく行くために。日々考えて行動し続ける。</div>
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<link>https://ameblo.jp/atusij45ces314/entry-12171944789.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Jun 2016 15:53:58 +0900</pubDate>
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<title>エゴ</title>
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<![CDATA[ 機動戦士ガンダム逆襲のシャア…のセリフにもありました。それはエゴだよ！シャア！<div><br></div><div>エゴイストという言葉は今や批判的な意味しか無いような気がします。自己中と言い換えてもよいかも。</div><div><br></div><div>仕事がうまくいかず、スピリチュアルなヒーラーに助けを求めたくなるほどだった頃に、「自分の気分が世界一大事」というメッセージを受け取って妙に納得したことがありました。中心にエゴイストな自分を置く。これはとても大事だと思います。</div><div><br></div><div>ところが、他人のために生きている人が結構いるのです。いわゆるメンヘラの人たち。表面に見えるのはリストカットや、人に依存しまくる態度ですが、内心では親にやってもらいたい、親に全面的に決めてもらいたい、などの願望がある場合があると思いました。そしてそこから立ち直って自分らしく生きようと奮闘する姿に、何度も感動させられました。</div><div><br></div><div>大人を困らせる子供の中に、とても自己中心的な人がいます。友達の迷惑を顧みずに暴力をふるったり、ルールを守らずに遊ぶので、ますます孤独になります。そして「僕は本当は偉いんだ！」という悪循環に陥ります。彼らに罰を与えるのは、なんとなくやりたくありません。本当の意味で、エゴ丸出しの性格が変わるわけないから。そして他の人には固有の感情があり、自分とは別の存在なのだ、ということに気づくべきだと習いました。</div><div><br></div><div>エゴも一生涯発展し続けるのだろうと思います。子供時代の小さな世界から出発して、他人を喜ばせる楽しさを感じられる世界へ。この道は孤独を伴うやや苦しい道ですが、返って気楽かもしれない。</div><div><br></div><div>友達なんていなくていいんだよ、とタモリさんも言っていたっけ。エゴを捨て去ることも、独りよがりになることも、違う。変わり続ける道なんじゃないのかな。</div>
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<link>https://ameblo.jp/atusij45ces314/entry-12168993280.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Jun 2016 18:46:45 +0900</pubDate>
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<title>嬉しいってどんなこと？</title>
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<![CDATA[ アウシュビッツを生き延びた精神科医、フランクルの著書が好きです。人間とは何かという哲学的な問いに苦しんでいる人には良書ですし、最近のは訳もよくなって読みやすい。人は生きる意味を求めている。シンプルなメッセージです。<div><br></div><div>病名がつくような人は治療の方向性がある程度決まっている。でもいわゆる一般人に出会う時、フランクルが言っていたようなロゴセラピーの視点があると楽なのです。</div><div><br></div><div>若者に「あなたのやってみたいことはなんですか？なんでも叶うとしたら、何をやりたい？」と問うてみると、様々な答えが返ってきます。</div><div><br></div><div>整形したい</div><div>海外旅行にいきたい</div><div>外国語を習得したい</div><div>宝くじが当たる</div><div>恋人がほしい</div><div><br></div><div>などなど。衣食住が何とかなる状態で、これらの願望を全て叶えても、果たして嬉しいのだろうか？</div><div><br></div><div>自分の成長が感じられたり</div><div>人から感謝されたり</div><div>自然や社会とのつながりを実感できたり</div><div>打ち込むべきものをもっていたり</div><div><br></div><div>そういう願望の方が満足感が高いのでしょう。いくら世界が酷い状態であっても、フランクルが生き延びたように、自分の使命に向かって人間らしく進むほうが良いと言われています。つまらないことでウジウジしていてはいけないな、と思います。</div>
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<link>https://ameblo.jp/atusij45ces314/entry-12168989064.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Jun 2016 18:33:31 +0900</pubDate>
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<title>イメージ</title>
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<![CDATA[ 嫌な目にあうと、頭の中で何度もやり直すイメージをする。もしくは嫌な目に合わせた人に復讐するイメージを持つ。弱虫の生き方だと思う。言い返したり、やり返したりすれば良いのだが。サラリと忘れた方が良い、と正論を言われたことも何度もある。いくら想像上で相手をやっつけても、相手はグッスリ寝てますよ。<div><br></div><div>でも、イメージの中でやり返す、というのは良い面もあると思う。直接殴り返さなかった後で起こることだから。グッとムカつきに堪えたからこそ、後でイメージになられて苦しめられている。頭にきたらすぐ殴る、というのは非行少年に多いパターンです。殴らずにやり過ごしたのだから、褒めてあげましょうよ。イメージの有用な側面。それは行動を抑制するということ。暴力を抑制するのは、悲しむ人の顔をイメージできるかどうかだから。</div><div><br></div><div>やり返すイメージは、頭の中に長くとどまって、体にダメージを与える。忘れられるならば忘れた方がいい。空想への逃避は、暴力を抑制する場合がある。怒りは自分に向くけど。我慢した人を、僕は応援したい。</div><div><br></div><div>相手の気持ちを深く、クリアにイメージできるときがある。そんな時は本人に何も言わなくても、立ち直ってくれるときがある。これは不思議な現象だと思う。不登校が改善したり、メンヘラさんがリストカットを止めようと決意したり。こんな気分だから、こんな行動をしているのだな、と嗅ぎ取るかんじ。</div><div><br></div><div>願わくは良いイメージを伝播させたいのだけど、悪いやつも同じくらい湧き出すのが困りもの。でもイメージはもっと活用してよいと思っているのです。自分もまだまだ修行中なのですが。</div>
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<link>https://ameblo.jp/atusij45ces314/entry-12166409932.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Jun 2016 21:45:15 +0900</pubDate>
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<title>あいうえお作文</title>
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<![CDATA[ 甘え<div><br></div><div>小学校で先生たちが困るのは、自己中だったり、乱暴だったりする子供。構ってちゃんなんだねとか、子供なんだねとか言われる。人の指示に従えないという意味なのではないかと思う。</div><div><br></div><div>自分の物差しでしか判断できない状態から、客観的物差しで判断するステージに、普通は移行していく。ピアジェという学者が脱中心化と言ったやつ。相手の気持ちを推測したり、ゲームのルールを守ったりできるようになると、自己中とは言われなくなる。</div><div><br></div><div>大人になると「甘えるな！」というのは批判の言葉だ。自分でできることは人任せにしない。大事なことなんだけど、なんでもひとりでこなすのもおかしな話だ。本当の大人は、相手を信じて任せることができる人のはず。自分も他人も甘えを抱えて生きている人だと思えるはず。ひとに甘えず、ひとりで生きています、なんて絵空事を言えるわけもない。</div><div><br></div><div>もう、善悪の物差しで物事を判断するのはやめてみよう。甘えには良し悪しなんて無いと思う。より洗練された甘え方になっていくのだと思う。原始的な甘え方は、人の迷惑を顧みないやりかた。独りよがりの世界。洗練されてくると、世界はもはや自分の思い通りにならないことを受け入れているから、なおさら人を大事にしたくなるはず。</div><div><br></div><div>善悪みたいな二項対立の考えは、いつの間に私に染み付いたんだろう？この枷からどんどん自由になろう。そうしよう。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/atusij45ces314/entry-12165808635.html</link>
<pubDate>Tue, 31 May 2016 06:44:49 +0900</pubDate>
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<title>サイコロ次郎の真理が苦</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Sat, 28 May 2016 10:44:25 +0900</pubDate>
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