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<title>ayt43823のブログ</title>
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<title>長野県飯田市遭難慰霊碑</title>
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<![CDATA[ <div>　御影工高部活動、中央アルプス登山の前、我が家に来て健は「８月の山は行きたくない」と言っていました。何か予感があったのでしょうか。母の話ではお付き合いを始めたいと思っている女性がいたようで、楽しい日々を思い描いていたのかもしれません。青いバケツと蛇腹扉のついたキッチングッズを置いて、私の頭をポンと小突いて帰っていったのが最後でした。身近な人の死を体験したのは初めてのことで、しかも突然のことで、当時私は大変なショックを覚えました。</div><div>　あのキッチングッズは結婚して新居に持っていき、蛇腹が壊れるまで使っていました。私の二人目の子供は、あの遭難から４年後、予定日は９月１日だったにもかかわらず1ヶ月近くも早く、8月5日の午前2時34分に産声をあげました。不思議な思いは確かにしました。健の生まれ変わりかと言う人もいました。私は生まれ変わりだとは思いませんが、命のつながりはあったのだと思います。誰もが誰かと命がつながっているように思うのです。子供は親より先に絶対に失いたくない大切な命です。はからずも逆縁となってしまった健の両親、私の祖父母にとっては、未来につながる希望のように思えたかもしれません。ひ孫である私の娘に、老いた手で祖母は綿入れの着物を2枚も縫ってくれました。遠方にいてあまり逢えなかったことが悔やまれます。</div><div><br></div><div>　1981年年末相次いで、健の両親は亡くなりました。その両親の代わりに、当時現地に何度も行き来していた健の甥二人も。一人は私の従弟が40歳で、一人は私の兄が58歳の若さで亡くなりました。そして、私の母である健の姉も、兄二人も亡くなりました。健のことを知っている人は少なくなりました。私も長くはいられないでしょう。</div><div><br></div><div>　逝ったら飯田まで一っ跳びです。おっと、その前にさっさと先に逝ってしまった夫に会わなくては。古びたわたしに驚くかしら。自慢の妻？だから歓迎してくれるかしら。しばらく楽しく？暮らしたら飯田へ飛びましょう。</div><div>　健やＫ先生、5人の生徒さんにまず、丸山春雄さんを紹介します。感謝の言葉を述べます。そしてみんなで慰霊碑を見るのです。再びクマザサの覆われているかもしれません。</div><div><br></div><div>　ほら、見てください！丸山さんに似た人が散歩していますよ。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/ayt43823/entry-12536541073.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Sep 2017 16:16:28 +0900</pubDate>
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<title>長野県飯田市遭難慰霊碑</title>
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<![CDATA[ <div>　ついに５人は発見できないまま現在に至っています。当時何度も現地入りしていた私の兄が言っていました。Ｋ先生と、山岳部部長のＨ君は小屋の外に様子を見に出て増水した川に流されたのではないか？Ｔ先生と生徒４人は小屋で待機し、今で言う土石流に巻き込まれたのではないか？二人だけが発見されたのはそういうことかもしれません。けれども５人は行方不明ではありません。彼ら７人は飯田市の慰霊碑の辺りで山男になっているのだと私は思っています。たくさんの善意をいただき感謝しながら、彼らなりに今もなお慰霊碑を訪れて下さる人々にまなざしを注いでいるのかもしれません。</div><div>　２００４年、御影工業高校は神戸工業高校と合併し、神戸科学技術高校となりました。２００６年、閉校されました。学校が存在しないということは寂しいですが、今もなお、慰霊碑を訪れて下さっている学校関係者がいらっしゃいます。有難いことです。</div><div><br></div><div>　Ｔこと高岡健は当時２６歳でした。９月３日に２７歳になる筈でした。独身でした。父親は７２歳、母親は７０歳という高齢でした。両親は４人目の子供をわずか１歳で失くしています。それに当時は息子たち二人は戦地に出ておりました。そんな時代に生まれた子に両親は健（つよし）という名前をつけたのです。それなのにこんなに早く逝ってしまうとは。両親の悲しみを想います。</div><div>　私にとって、健は３歳違いの叔父にあたります。おじさんと呼ぶには年が近く”おっさん”と呼び、兄妹か友人のようでした。健は外向的ではなかったのですが、大阪工大に入学してからは積極的に人と関わるようになっていったようです。スキーや、当時流行っていた場所によく連れて行ってもらったものです。スキー場ではＫ先生とご一緒したこともありました。はきはきと話され、明るい方だったことを憶えています。</div>
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<link>https://ameblo.jp/ayt43823/entry-12536541070.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Sep 2017 10:45:11 +0900</pubDate>
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<title>長野県飯田市遭難慰霊碑</title>
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<![CDATA[ <div>　１９６９年昭和４４年、蜂の巣小屋跡に松川入り森林組合の方によって供養塔が建てられました。同年９月２０日、御影工高において合同慰霊祭が挙行されました。</div><div>　翌年、御影工高は蜂の巣小屋から４００メートル下流に７人を慰霊する碑を建立しました。自然石に黒御影石がはめ込まれており、当時の飯田市長の筆で「神戸市立御影工業高校山岳部遭難之地」と刻まれ、裏面には７人の名前と建碑の由来が書かれています。</div><div>　８月５日１周忌に慰霊碑除幕を兼ね慰霊祭が行われました。</div><div><br></div><div>　１９９９年（平成１１年）、７人遭難の当時消防分団長として捜索にあたって下さっていた丸山春雄さんは散歩途中に慰霊碑がクマザサに覆われているのを発見しました。分団ＯＢの仲間とともに慰霊碑の整備を始めました。連日、慰霊碑に通い、クマザサを刈り取り、林道から泥が入らないよう土嚢を置きました。その結果、周辺は建立時のようにきれいになりました。</div><div>　「あのままでは災害に巻き込まれた先生や生徒があまりにもかわいそう。捜索に携わった自分自身も遭難を風化させてはならないと思った」と語る丸山さん。</div><div><br></div><div>　２０００年、この活動は遺族や工高関係者の耳に入り、地元の労に感謝するとともに犠牲者の冥福を祈る「しのぶ会」を執り行うことになりました。会に先立ち、飯田広域消防本部消防団長のＮさんらの協力で、慰霊の「鎮魂七点鍾」が設置されました。飯田市林務課からスギとヒノキの丸太を譲り受け「７人がいつでも座れるように」といすを７個作りました。また、市内の園芸店から譲り受けたパンジーとベゴニアを植栽。山野草も「ミカゲ」の文字に並べて植えられました。</div><div>　丸山さんは「来年は桜やハナモモなどの花木も植えたい。たくさんの花に囲まれれば、市民も７人も喜ぶ。慰霊碑を多くの人に知ってもらい、活動を受け継いでほしい」と語りました。</div><div><div align="center"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191017/11/ayt43823/c6/36/j/o0600033814616678518.jpg" alt="イメージ 1" width="560" height="315" class="popup_img_600_338"></div><div></div>　８月５日　遭難慰霊碑の前で「しのぶ会」が行われました。遺族や学校、飯田市の関係者ら１００人が参列しました。鎮魂の鐘が犠牲者７人と同じ７回鳴らされ、全員が黙とうしました。</div>
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<link>https://ameblo.jp/ayt43823/entry-12536541069.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Aug 2017 12:11:01 +0900</pubDate>
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<title>長野県飯田市遭難慰霊碑</title>
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<![CDATA[ <div>　捜索活動には多くの人の力をいただきました。大阪工大ＯＢ会は自腹で活動を続けて下さっていたことをＴの家族は知っていたのでしょうか？そして飯田市の方々は我が事のように接して下さいました。　御影工高新聞から二つの記事を引用するとそれがよく分かります。</div><div><br></div><div>１、励ましのお手紙。　　８月１０日捜索で慌ただしい飯田警察署に１通の匿名の手紙が届けられた。金一封と手紙には次のように書かれていた。「どうぞ無事であってほしいと一縷の望みを持っていた一人ですが、その願いも空しく悲しいことでございます。私も八年前、集中豪雨で主人を亡くしました。子供は皆様と同じ工業高校の２年生です。奇しき縁に思われ、お気持ちは手に取るようにわかります。どうぞ元気を出してください。ここに、子供が新聞配達で得た一部ですが、供物にかえていただければ幸いに思います。」（抜粋）</div><div><br></div><div>２、寄稿　Ｓ先生。　　　伊那谷に足をふまえた飯田市の街は美しい。標高６００メートルの山岳都市は、空気が澄み切っている。天竜川の段丘、長姫の高台に旧堀氏一万七千石の城下町は、江戸時代の面影を残しひっそりとした佇まいを見せている。しかしそれにもまして美しいのはこの街に住む人々の心である。街の中央を貫くリンゴ並木を走りながら、歩行者優先を守ろうとする神戸ナンバーの車に、子供達は手を振り、大人は必ず一礼して道を渡っていく。街には、遭難に対する深い悲しみと励ましが満ちている瞳を感じる。我々が宿泊した教育会館の人達の暖かい厚意は生涯忘れることは出来ない。早朝に飛び出す者、真夜中に帰って来る者に暖かい味噌汁が待ち、汗と泥にまみれたシャツやパンツまで洗濯して下さった。真夜中にやってきた者には、悲報に対する悲しみの涙で迎えて下さった。買い物があるが、分からない土地で、店の人はほかの店を案内したり電話をかけたりして必要品をそろえる手伝いをしてくださった。駅員、警官、自衛隊員の方々、食堂のおばさん・・・数限りない思いをいただいた。後ろ髪ひかれながら、飯田を立つ私は、この美しい景色と人情の街に、緑深い松川の渓谷に７人が眠ることをせめてものなぐさめとしてハンドルを握りなおしたのである。</div><div>（抜粋）</div>
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<pubDate>Wed, 30 Aug 2017 21:03:53 +0900</pubDate>
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<title>長野県飯田市遭難慰霊碑</title>
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<![CDATA[ <div><font color="#00407f" size="1">　8月２２日　昨日の松川合流点の下部の下よりと、市ノ瀬橋からの二つに分かれ、ダム、市ノ瀬橋間右岸に入る。その後合流して市ノ瀬橋から発電所用水取水口の下部５００メートルまでの右岸に入る。左岸には渡れず。発見物－ズボン、ナイロン靴下、チョッキ、ナイロン。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月２３日　台風のため停滞</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月２４日　午前昨日の雨で少し増水したため、露出した遺留品を探しに行く。丸木橋がかなり流れている。発見物－タオル。午後第２班と交代。５名は前夜大阪駅を出発。飯田駅で御影工高の先生方にタクシーの手配を受け現場に向かう。第１班大阪へ。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月２５日　市ノ瀬の貯水池より第三発電所の区間を捜索する。両岸に分かれ、右岸ではＫ先生発見場所を通過する。発見物－シュラフ、ズボンの切れ端、ストッキング、布切れ。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月２６日　早朝雨。雨が上がり、行きは右岸、帰りは左岸を捜索。午後はサイト池より下流の堤防まで捜索。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月２７日　市ノ瀬橋にザックを置き、両岸に分かれて上流に向かい堤防までを捜索。午後、第３班と交代。５名は前夜大阪駅を出発。飯田駅で御影工高の先生方の出迎えとタクシーの手配を受け、現場に向かう。蜂の巣小屋を見に行く。第２班大阪へ。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月２８日　市ノ瀬橋より第三発電所の間の両岸を捜索。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月２９日　第三発電所より第四発電所の間を、右岸を重点的に捜索。発見物－ザイル、布切れ、タオル。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月３０日　第三発電所と第四発電所の左岸を下流より捜索。発見物－ニッカズボンの切れ端２点、ヤッケらしきもの。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月３１日　サイト地の整理。夜大阪着。</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　現地を見るまでは、我々が行けば必ず何かをと期待していたが実際に捜索にあたってみて、力が足りないことを思い知らされた。また、遺族の代表としてとＭ氏にお礼の言葉をかけられたが、期待に沿うことのできない結果に終わったことは心残りである。以上で大阪工大ＯＢ会の救援活動は終了した。　</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　　　捜索活動延べ人数</font></div><div><font color="#00407f" size="1">警察関係　　　　　３１４</font></div><div><font color="#00407f" size="1">飯田市役所　　　　１５６</font></div><div><font color="#00407f" size="1">消防団　　　　　　３７７</font></div><div><font color="#00407f" size="1">森林組合　　　　　１６</font></div><div><font color="#00407f" size="1">自衛隊　　　　　　２９１</font></div><div><font color="#00407f" size="1">飯田工業高校　　　１３</font></div><div><font color="#00407f" size="1">神戸市役所　　　　７６</font></div><div><font color="#00407f" size="1">大阪工大　　　　　９４</font></div><div><font color="#00407f" size="1">広島大　　　　　　１１</font></div><div><font color="#00407f" size="1">神戸工業高校　　　２２</font></div><div><font color="#00407f" size="1">御影工業高校　　　３７５</font></div><div><font color="#00407f" size="1">市工・御工ＯＢ　　１０６</font></div><div><font color="#00407f" size="1">その他　　　　　　１４　　　　　　　　　計１８６５名　　　　　　　　　　　</font></div>
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<pubDate>Tue, 29 Aug 2017 10:16:25 +0900</pubDate>
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<title>長野県飯田市遭難慰霊碑</title>
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<![CDATA[ <div><font color="#00407f" size="1">　8月１４日</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　（第三発電所貯水池を捜索。一隊は平岡ダムを捜索。）　</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　以降、現地公的機関、警察、消防団、自衛隊などの常時多数出動による捜索は打ち切りとなった。捜索の中心は御影工高本部に移り、必要に応じて警察にも出動要請することになった。２０日まで２班に分け、それぞれ３名ずつで捜索し、以後、現地本部を解散。神戸に本部を移す。以降５～４名で重点捜索を３１日まで行う。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　御影工高新聞より</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（）内は捜索日誌と毎日新聞より</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　｛｝内は大阪工大ＷＶ活動報告書より</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">ここでＴの母校大阪工大ワンダーフォーゲル部ＯＢや現役の方々の活動報告を書き記しておきたいと思います。</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月１４日　Ｔ宅を訪問。ＯＢ会として捜索隊派遣の用意があると伝える。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月１６日　６名現地に向かう。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月１８日　第２回緊急ＯＢ会。２０日より現役は交代で３１日まで捜索活動を行う。費用はＯＢ会で負担。（一人４０００円）ＯＢ会員より会費１０００円、カンパ２０００円を徴収する。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">確認事項　　１、全ての行動について工大ＷＶ部で責任を持つ。　２、行動については前日に工大側で決め、御影工高の了解を得る。　３、飯田駅より現地までの配車は工校側が行う。ほかの費用は工大が負担。　４、テントサイトは森林組合の横とする。　５、個人で捜索に来る場合は連絡の事。　その他随時連絡を取り合う事。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月２０日　午前、森林組合から蜂の巣小屋上流まで両岸にわたり調べる。発見物―ポンチョの切れ端。午後、森林組合より松川合流点、その下のダムまでつり橋を渡り下へ降りるが対岸へ渡るのは困難。土砂は左岸に多い。松川と合流する地点より水量が増し、飛び石で渡るのは難しい。松川上流地点には丸木橋あり、ダムまで下るがここでどうにもできずロードにあがる。川とロードとの高さかなりある。発見物－青いビニールの切れ端。</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　</font></div>
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<pubDate>Mon, 28 Aug 2017 13:21:00 +0900</pubDate>
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<title>長野県飯田市遭難慰霊碑</title>
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<![CDATA[ <div><font color="#00407f" size="1">　８月８日</font></div><div><font color="#00407f" size="1">（災害と認定され自衛隊の方９７名も加わり現場から入道橋までと天竜峡から平岡ダムまで船で捜索。１０時頃、飯田線小和田駅近くの河原で生徒のＨ君が発見された。発見したのは、地元のＯさんでＯさんの長男が６月２３日夜、天竜川にトラックごと転落。４５日間舟で息子を探し続けていたという。天竜川川面に見つけ「もしや息子では」とひきあげたという。悲しい引き合わせであった。この日は家族全員が現場に入る予定だったが、雨のため出発を見合わせていた。直ちに家族７人、職員４人が列車で１時間半、現場に到着した。）</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　現場から６５キロも下流で発見されたのはＨ</font><font color="#00407f" size="1">君であった。</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月９日</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　（飯田署はこれまで小屋跡から西俣川沿いまでを中心に捜索していたが、Ｈ君が途中二つのダムを超えて流されていたことから、下流の天竜川の捜索に重点を置くことになった。ダムは天竜川水系の異常増水でゲートは開かれていたという。一隊は入道から佐倉堰堤までを三つに分かれて捜索し、一隊は天竜峡から平岡ダムまでを舟で捜索。）</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月１０日</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　（市ノ瀬橋から天竜峡まで広範囲に捜索。）</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　午後１時頃、蜂の巣小屋から約１０キロ下流の第三発電所付近の松川右岸で神戸市役所山岳部の捜索隊がＫ先生を発見した。お二人は家族、職員付き添いのもと神戸に帰られた。神戸では職員、生徒らが出迎え、自宅までお送りした。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　｛大阪工大緊急ＯＢ会、現役部会開催。救助隊派遣について次のように決定。１、期間は８月２０日まで。２、費用はＯＢ会が負担。ただし交通費４０００円のみ。３、単独捜索では効果が望めないので、御影工高との連携活動とする。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">御影工高に救助協力を申し出るが、金銭的な理由から辞退される。個人的な友情として現地の指揮下に入るようにとのこと。現地ではすべての活動を警察が指揮しているので待機の状態とのこと。｝</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月１３日</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　（第三発電所ダムの排水作業と一隊は第三発電所より松川、天竜川合流地点までを捜索。）</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　遺留品については１００点、うち家族確認３６点　が発見された。</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div>
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<pubDate>Sun, 27 Aug 2017 10:08:00 +0900</pubDate>
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<title>長野県飯田市遭難慰霊碑</title>
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<![CDATA[ <div><font color="#00407f" size="1">　8月６日午後５時、御影工高に長野県警から登山コース、参加者の確認を求める電話があった。校長は事態の重大であることを知り、直ちに全職員の緊急招集を行いさらに午後６時３０分長野県警より遭難確実の報告を受けて、現地の救助活動を要請するとともに、遭難職員生徒の父兄を招集し、現地状況を報告する。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　（飯田警察署では６日遭難対策本部が設置され直ちに捜索が開始された。署長はじめ２２名の方が登山したが、雷雨、増水のため途中で下山。）</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　｛大阪工大ワンダーフォーゲル部（Ｔ先生の母校）ＯＢ会は午後１１時、御影工高遭難の報を受ける。即時Ｔ宅に電話しそのパーティに参加していることを確認。工高に救援者を派遣することを伝える。｝</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月７日早朝、父兄とともに校長、職員が出発した。午後２時現地に到着し、飯田署で市長、署長から遭難状況、救援活動の報告を聞いたあと父兄とともに遭難現場へ赴いた。現地に学校の対策本部を設け、職員、山岳部ＯＢ，外部の応援者を組織した。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　（警察、消防、飯田市役所、森林組合、飯田工業高校、神戸市役所、御影工高ほかのＯＢ地元の方など計２２１名が現場付近から第三発電所取水口までを捜索した。）</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　｛大阪工大ＯＢ会、３名が早朝出発。夜さらに５名が現地に向かう。}</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　</font></div>
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<pubDate>Sat, 26 Aug 2017 11:05:00 +0900</pubDate>
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<title>長野県飯田市遭難慰霊碑</title>
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<![CDATA[ <div><font color="#00407f" size="1">　組合事務所の１００メートル上流にある家が午前４時頃激しい水流で破壊されたので、家人は命からがら森林組合事務所に避難している。この家は蜂の巣小屋から約３キロ下流の左岸にあった。また松川第三発電所のダム取水口の監視員によると、８月５日４時頃非常な増水があり、一時水流が減ったかに思われたが、次の一瞬川底が上がったような急激増水で危険を感じて避難したが、眼下にある最大幅４０メートル、長さ７０メートル、深さ６メートルの調整池が約３分で満水したということである。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　この池は平常は河川の水面より５メートルほど高いところにあり、このことからも鉄砲水の規模が推測される。松川第三発電所ダムの水量計によると、当日雨量は計１７３・５ミリ、しかも午前２時から４時の間に８９ミリと集中している。一方中部電力飯田支社のＡさんは発電所ダムから下流の水量計では４時に１３５．６トン／秒を記録し、以後勤務員は危険を感じて避難した。以上の事から鉄砲水が出たのは５日午前２時から４時の間であると推定される。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　森林組合のＭさんは夜半の大出水が気になり、５日朝、蜂の巣小屋を見に行こうとしたが、５日中に行くことが出来なかった。６日朝、激流のため川を渡れず左岸を小屋の対岸までたどりつき小屋が消失しているのを発見し、驚いて３０分ほど大声でコールしたが答えはなかった。引き返す途中、下流約２キロの地点で空気枕やボロボロに破れた赤い登山靴下などを発見したので森林組合まで帰って協議し、午後３時３０分頃飯田警察署に届け出た。警察ではさっそく警官７名が捜索に出動したが、現場に達することは出来なかった。</font></div>
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<pubDate>Fri, 25 Aug 2017 11:01:00 +0900</pubDate>
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<title>長野県飯田市遭難慰霊碑</title>
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<![CDATA[ <div><font color="#00407f" size="1">　こうして一行は８月３日の夜、飯田駅に着いたが、慎重を期し妙琴原キャンプ場宿泊の予定を変更して飯田駅前自転車置き場に一泊した。その時の様子を駅の方は次のように語っている。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　「夜。一行７名が飯田駅に着いたが整然と並び、実に気持ちよく統制のとれたパーティーで、今までにこれほど整然としていたパーティーを見たことがなかったという印象が残って、よく記憶している。」</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　３日から４日午後４時４０分までは気象情報は出ていない。当時の雨量は　３日２０時～２１時　０・５ミリ　　４日１１時～１６時　３１．４ミリである。</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　８月４日、飯田駅８時５分に信南バス南木曽行きに乗車、市の瀬橋で下車。この様子はバス乗務員によると</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　「一行はバスの後部にかたまって乗車していたが、若い人達にありがちなあたりを無視した振る舞いなど全くなく、下車の時もおばあさんを先に降ろし、次に窓から荷物を手渡しで運び、下車し終わると先生の号令で整列して松川の方へ入っていった」</font></div><div><font color="#00407f" size="1">とのことである。この間雨は降っていない。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　次にたどれる行動は、１１時３０分ごろ市の瀬橋より上流３５キロメートルにある森林組合事務所前を雨合羽を被り一列縦隊になって通過している。これは事務所のＫ・Ｋさんが目撃している。そして蜂の巣小屋から少し上に行った頃、小雨がかなりの大雨になったらしい。森林組合員のＭさんは雨がひどくなり、作業を中止し、午後４時頃、蜂の巣小屋に停めていた車に戻ったところ人声がするので小屋に入った。先生らしい人、おそらくＫ先生が「今夜はここに泊まらせてほしい」と頼まれ、登山コースについても話し合われたとのことである。</font></div><div><font color="#00407f" size="1">　その時の状況は、入り口近くの土間で二人の生徒がソーセージを切り、一人は「御影」と書かれた飯盒をさげ、あと一人は天気図を作成、一人は携帯ラジオを聞いていた。二人の先生はしきりに話し込んでいた。</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div><div><font color="#00407f" size="1">　「蜂の巣小屋は河川中央部より８メートル右岸より、１５メートルの高台にあり、樹齢４０年の樹木が茂り、小屋の窓からは川の水を見ることはできない」と森林組合の方が、言っている。現地の人々の話を総合すると、ここは安全な場所で、当時の状況下では誰でもここに退避せざるをえなかっただろう。下流３キロの川沿いに同条件の小屋が３棟あり、現地の方が遭難されていることから、危険は全く予測できなかったと思われる。だからこそ、Ｍさんも小屋の使用を了承されたのだろう。</font></div><div><font color="#00407f" size="1"><br></font></div>
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<pubDate>Thu, 24 Aug 2017 10:57:00 +0900</pubDate>
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