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<title>ＪＷと家族のおもひで</title>
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<description>元JW二世のバベルが気まぐれに書いています。</description>
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<title>平成が終わる前に</title>
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<![CDATA[ <p>新元号が発表されました。</p><p>令和。と入力して、すぐに漢字変換できてしまうのが、さすがですね。</p><p>令和。なんとなく今風な感じもするし、なじみの「和」もあるし、すんなりなじめそうに思います。</p><p>&nbsp;</p><p>昭和から平成になったとき、私はまだ小学生でした。</p><p>”家から家”の奉仕中、家々に黒白の幕がかかるという異様な風景を目にし、「なんだろう」と思ったら、昭和天皇の崩御が報じられたのでした。そして学校に行くと、おしゃまな同級生が「元号が変わると、昭和生まれが年寄り扱いされるから嫌だ」とふてくされていました。小学生のうちからおばあさん扱いされる心配をするとは、なんと先見の明のある人だろうと、私はひたすら感心しました。</p><p>&nbsp;</p><p>昭和が終わるときの記憶というとそれくらいで、ほんの子どもだった私には、たいした感慨もなかったようです。</p><p>いま平成が終わるというと、この30年に、とくに自分の30年に、なにやらしみじみと思いを馳せたりしてみたくなります。</p><p>そしてなにかやり残したことがあるような、しかしそれでもいいような。</p><p>よくわからない感傷をかるく持てあましながら、花吹雪を眺めることにしますかね。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 03 Apr 2019 22:29:18 +0900</pubDate>
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<title>2019年Amebaおみくじ</title>
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<![CDATA[ あけましておめでとうございます。<br><br><div>&nbsp;</div><div style="text-align: center;"><div>あなたの運勢は・・・</div><br><div><a href="https://content.ameba.jp/campaigns/omikuji_2019/"><img width="400" src="https://stat100.ameba.jp/blog/img/stamp/cpn/omikuji_2019/3.png" alt=""></a></div><br><div></div><div><img alt="ハート" style="vertical-align: text-bottom;" height="24" width="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/289.png"><a href="https://content.ameba.jp/campaigns/omikuji_2019/">2019年Amebaおみくじを引く</a><img alt="ハート" style="vertical-align: text-bottom;" height="24" width="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/289.png"></div></div><div>&nbsp;</div><br><br>実はこのおみくじ２度ひいちゃいました。<br>最初、恋愛運に「波乱万丈の予感」と出て「なになに～😍」と思ったのですが、２度目は無難な御託宣でした☺️<br>いずれにしても人付き合いに恵まれる感じのようで嬉しいです。<br><br><br>ところでJW育ちのせいかいまだに自分、新年等の時候の挨拶は苦手というか、役になりきってやってる感じがします。<br>明日から社会復帰だなあ。大丈夫かな☺️まあ何とかなるでしょう。<br><br><br>皆さまにとって、2019年がよい年となりますように。<br><br><br>
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<pubDate>Sun, 06 Jan 2019 20:31:41 +0900</pubDate>
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<title>『アヒルの子』</title>
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<![CDATA[ <p>『アヒルの子』という映画を観ました。</p><p>生きづらさを抱える20歳の主人公が、封印していた過去の傷を探っていく物語です。</p><p>&nbsp;</p><p>一見幸せな家族の中で育ったけれど、その家族から傷つけられ苦しんできたという彼女。</p><p>５歳の時1年間ヤマギシ会に預けられた経験があり、そのことで「私は親から捨てられたと思った、そして二度と捨てられないようにいい子を演じてきた」といいます。</p><p>その「いい子」の仮面をかなぐり捨て、２人の兄、姉、両親に自分の思いをぶつけていきます。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180121/13/babelpark/51/60/j/o1995318914116038108.jpg"><img alt="" height="671" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180121/13/babelpark/51/60/j/o1995318914116038108.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>主人公＝監督は「撮るか死ぬか」と覚悟を決めて撮ったのだそう。</p><p>涙と鼻水を垂れ流し、嗚咽にのどをつまらせながら家族に思いをぶつける姿が、とても切なくていとおしかったです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>映画の後半、彼女はかつてヤマギシ会で同じ１年間を過ごした同級生たちを訪ねて歩きます。</p><p>元同級生たちの語るところでは、ヤマギシ会ではおねしょをすると叩かれたり、寒くても靴下をはかせてもらえず、しもやけになったとかいいます。</p><p>ヤマギシの教育係に同情を寄せ、叩かれたことも含めて納得している人もいれば、あのせいで自分が子どもに優しい感情をもてないという人もいました。元同級生たちは、その特殊な１年間をそれぞれに自分のなかで受け止めているようでした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>彼女はさらに、子どもをヤマギシ会に預けた親や、当時ヤマギシ会で子ども担当だったスタッフとも会い、最後にふたたび親と対峙します。</p><p>「よかれと思って」というのは大人のエゴではないかと糾弾する彼女。</p><p>自分がどれだけ愛されているのかわかるのか、という母。</p><p>会話はかみ合わないようでかみ合うような、何かもどかしさが残ります。</p><p>しかし周りと思いをぶつけ合うなかで、彼女には生きる気持ちが湧いてきたようです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>映画の中から印象的なせりふをいくつか。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-style:italic;">「お母さんはその言葉で救われるかもしれないけど、私は救われない。と思う」</span></p><p>&nbsp;</p><p align="left"><span style="font-style:italic;">「お父さんお母さんにとっては過去のことでも、私にとっては今のこと」</span></p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left"><span style="font-style:italic;">&nbsp;「５歳の子が自分からあんなところ『行きたい』って言うわけないじゃん」</span></p><p align="left">&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この映画は、ずっと思っていたのとは違う家族の姿をあぶり出してしまったということで、上映に際しては家族から抵抗があり、DVD化の見込みもないそうです。</p><p>大阪で2/3(土)～9(金)に上映されるそうなので、機会がありましたらぜひご覧ください。</p>
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<pubDate>Sun, 21 Jan 2018 14:09:32 +0900</pubDate>
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<title>いしいさやさんの漫画で思い出したこと</title>
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<![CDATA[ <p>いしいさやさんの漫画『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』が話題になっています。「現代ビジネス」や「ダヴィンチ」の記事にも取り上げられて、ますます伸びそうな勢い。</p><p><a href="http://yanmaga.jp/contents/yokushukyo/" target="_blank">公式サイトもある</a>ようです。</p><p>&nbsp;</p><p>二世のあるあるが詰まった漫画だったなあと思います。</p><p>年代や地域、家族構成や関係者の性格などなど、人それぞれに違うところもありますけれども。</p><p>というわけで、触発されて思い出したこと、考えたことなど。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、学校や友達のこと。</p><p>学年が上がって担任が変わるたびに「証言」をするのが決まりごとになっていましたね。</p><p>クラスメイトにはごく簡単に「宗教上の理由で」の一言で済ませたりしていました。</p><p>&nbsp;</p><p>まわりの反応は割とあっさりしたものでした。</p><p>体調が悪くて体育を見学した時まで「宗教上の理由」かと勘違いされたこともありましたっけ。</p><p>また、前にもブログに書いたことがありますが、同級生の一人が自分の誕生日会をカレーパーティーと称して私も呼んでくれたときは、とても嬉しかったです。</p><p>&nbsp;</p><p>公の奉仕で同級生の家に入ることは、多少の気まずさは感じながらも、普通にやっていました。</p><p>ただ、中学校に入ったころ、同級生の家に入ることに猛烈な恥と怖れを感じたことがあります。</p><p>恥を感じるのは信仰が弱いからだと当時の私は思っていたので、困惑しました。信仰を強めてください、あるいはその家に入らないで済むようにくださいとエホバに祈ったほどでした(笑)</p><p>&nbsp;</p><p>あれは何だったんでしょう…。その相手は特に気になっているわけでも何でもない同級生だったはず。もしかしたら、私の覚醒が近い時期だったのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>あと、いしいさんの漫画やインタビューでは、未信者のお父さんが我関せずでお母さんの好きなようにやらせていたとありました。</p><p>うちもそうでしたし、片親JW家庭ではあるあるな気がします。</p><p>私の父は、最初は反対者だったそうですが、私が生まれたころには協力的な未信者になっていました。あまつさえ、中学生で足抜けしようとした私がJW家族から迫害されていたとき、父は私が家庭に騒乱を持ち込んだかのような物言いで「家を出るまでは我慢して合わせていればいいものを」といったほどです。</p><p>&nbsp;</p><p>後日、私が30代のときに父と居酒屋で飲みながら「あの時、そんなことを言ったよね」と言ってみたら、父は「絶対に言ってない」とかたくなに否定しました。。</p><p>まあ私の父はアル中だし無責任なのは仕方ないな…と思ってしまうのですが、いや、そんなことで免罪しちゃいかんのだろうなという気持ちもあります。</p><p>とはいっても、父は母と違って私の存在を肯定してくれたし、もう故人なので、恨む気持ちがあまりないのですが。。</p><p>&nbsp;</p><p>いずれにしてもカルトなりアルコールなり、依存症にはまりこむというのは、目前の問題から逃げるにはもってこいの生き方ですね。</p><p>親たちは何から逃げたかったのか…。ある程度わかる気もするし、わかっていない部分もありそうです。</p><p>ともかく自分は、親たちのように酩酊してごまかすのではなく、おおむね覚醒して地道に生きていきたいなと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/babelpark/entry-12342318447.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Jan 2018 17:48:43 +0900</pubDate>
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<title>2017年、12月</title>
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<![CDATA[ <p>あっというまに月日が過ぎて、今年も残すところあと二日。</p><p>私は最近ようやく、スマホで俳句をメモすることを覚えました。</p><p>クラウド（私はone drive）を使うと、思いついたときにスマホにメモして、あとでPCで整理できるので便利なのですよね。</p><p>そしてこの冬は指なし手袋を愛用しておりまして、これもなにかと便利です。</p><p>ということで、12月の句会ではこんなのを出しました。</p><p>「指のない手袋つけてスマホ繰る」</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さて、私の２０１７年は前半に手術があり、後半はいろいろ楽をした一年でした。</p><p>自分ががん？と聞いてがーんとなり（古い…）、</p><p>限られた人生、なるべく楽して楽しくしよう、と思ったことも大きいです。</p><p>&nbsp;</p><p>それと、今年のというか最近のニュースでは</p><p>相撲協会と対立しているという貴乃花の行く末が気になっています。</p><p>私は相撲ファンではないのですが、貴乃花は一時代を築いたスターでしたしね。</p><p>土俵を降りた今も闘っているんだなあ、と思うとやっぱり気になります。</p><p>それに、有力者の暴力事件を警察に通報したら問題視され、</p><p>組織内で処理すればよかったと言われてしまうなんて、</p><p>どこかの組織でもあった気がして、なつかしい感じがしてしまいますし。</p><p>審理委員会を欠席して制裁されるとかJWでもありそうですね。</p><p>村社会はそういうものなのでしょうか。</p><p>意外と、協会側を支持する声もあるようで、世論のゆくえも気になるところです。</p><p>&nbsp;</p><p>もうひとつ、いしいさやさんの漫画発売も最近のことでした。</p><p>たんたんとした雰囲気ながら、いろいろ思い起こしたり、考える契機になる作品でしたね。</p><p>感想を書くと長くなってしまいそうなので、今日はこれくらいにします。</p><p>&nbsp;</p><p>みなさまどうぞ、よいお年を。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 30 Dec 2017 21:33:09 +0900</pubDate>
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<title>若返りをめぐって</title>
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<![CDATA[ <p>ある方がハルマゲドンのイメージを</p><p>綴っていらっしゃるのをお見かけしました。</p><p>&nbsp;</p><p>大筋は私も組織で教えられたとおりの</p><p>よく知っている物語ではありますが、</p><p>語り手の好みやイメージを感じる部分もあり</p><p>とても生々しさを感じました。</p><p>&nbsp;</p><p>特に衝撃的だったのは</p><p>世の人々が死体と化したハルマゲドン後、</p><p>エホバの証人は復活したり生き残ったりして</p><p>皆若返っているというイメージでした。</p><p>イメージというか、まあ、</p><p>教義でもそうなっているわけですが。</p><p>&nbsp;</p><p>大量の死体が地をおおう中での若返り。</p><p>もし、災害などでそうした状況におかれたら</p><p>普通は（…と言っていいでしょうか）、</p><p>つやつやと若返って力がみなぎるどころか</p><p>げっそりして病み衰えそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜ、そこで若返る…。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>若返りといえば、思い出すことがあります。</p><p>私が父の入院先で最後に母と会ったとき、</p><p>彼女は父の状況をひとくさり話してから</p><p>「でも、若返りますわよ」と唐突に言ったのでした。</p><p>&nbsp;</p><p>あまりに脈絡もなく発せられたその言葉に</p><p>私は「この人、ヤバい」と衝撃を受けました。</p><p>母がそういう人だということは</p><p>とっくにわかっていたはずですが、</p><p>改めて衝撃を受けるとは</p><p>そのとき私も心が弱っていたのでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それはともかく、</p><p>教義がそうなっているからというだけで、</p><p>本気で若返りとか信じ込むものなのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、世の人類が死体と化すことと</p><p>自分たちが若返ることには</p><p>何か因果関係があるのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>うーん、この人たちの夢は</p><p>私には共有できないと改めて感じました。</p>
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<pubDate>Sun, 26 Nov 2017 14:24:47 +0900</pubDate>
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<title>お祈りの話</title>
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<![CDATA[ <p>最近、あるところでご一緒した年上の方がお祈りの話をしてくれました。</p><p>彼女はキリスト教徒で、先だってから夫が病気になりともに闘病中です。</p><p>その夫とともに毎朝、二人のお祈りを神様に捧げるのだそうです。</p><p>そのお祈りの言葉を聞いて、私も不意にうるっとしてしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>私は長年世俗で暮らしてきた不信仰者ですが、</p><p>やはり自分や親しい人が病のなかに投げ込まれたとき、</p><p>死に直面したときは、神に頼れたらいいなと思います。</p><p>病や死は、自分の力をはるかに超えたことだとつくづく思いますから。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ現状は、私などはたいがいお医者にかかればなんとかなって、</p><p>のどもと過ぎるとけろっと忘れてしまうのですけれども。</p><p>&nbsp;</p><p>それでもどうしようもないときも、いずれ訪れるでしょう。</p><p>きちんと病院に行き、自分のできることをしてそれでも、</p><p>あとは何かにお委ねするしかない事態が。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなときに、彼女のようにお祈りの宛先というか、</p><p>信じる神様があるというのは、いいなあと思いました。</p><p>もちろん神様ならなんでもいいわけではありません（笑）</p><p>すべての人を救ってくださる愛と力をもち、</p><p>へんな搾取団体がくっついていない神がいいですね。</p><p>&nbsp;</p><p>思い返せば、父が亡くなる前後の数年は、</p><p>私もずいぶん熱心に教会へ行き、教えを乞うたものでした。</p><p>また、父の大本の問題はアルコール依存症だったので、</p><p>それ系の家族のためのケアにもかなり通いました。</p><p>そのどちらでも私が学んだことは結局、</p><p>「私にはどうしようもないのだ」ということでした。</p><p>ただ、私たち人にはできないことも、</p><p>神がよきに計らってくださるという空気感というか信仰は、</p><p>少なくとも私が好んだ教会の先生方には共通して感じられました。</p><p>私自身に信仰はないけれど、そういう先生方に接していると、</p><p>少しはそんな気分に染まって苦痛が和らいだのを覚えています。</p><p>&nbsp;</p><p>あの「ニーバーの祈り」も、ずいぶんと心に唱えたものでした。</p><p>&nbsp;</p><p>「神様、私たちにお与えください。</p><p>変えられるものは、変えていく勇気を。</p><p>変えられないものは、受け入れる冷静さを。</p><p>そしてふたつのものを見分ける賢さを」</p><p>&nbsp;</p><p>この「神様」とは何であるかそのときも今もわからないけれど、</p><p>ここで乞うているものが自分で獲得する類のものではなく、</p><p>与えていただくものであることはわかりました。</p><p>そして、私にはとくに後半の「冷静さ」と「賢さ」が欠けていました。</p><p><br>依存症の研究＆臨床で有名な精神科医の斎藤学先生がどこかで</p><p>「人が絶体絶命に陥ったとき、口をついて出るのは</p><p>『おかあさん、助けて』か『神様、お助けください』だ」と言っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>私にはどちらも言えません。</p><p>いずれ、神様くらいはなんとか折り合いをつけておけたらいいなと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Tue, 31 Oct 2017 00:03:49 +0900</pubDate>
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<title>１０月</title>
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<![CDATA[ <p>９月分はばたばたして書きそびれましたが、１０月の句会ではお題のひとつが「栗飯」（栗おこわ、栗ごはん）でした。</p><p>&nbsp;</p><p>句会の前日に「せっかくだから食べて考えよう」と思い、おこわ屋さんに行ったところ、なんと。ショーケースにこんもりと盛られた量り売りの栗おこわは、ほとんどが白いごはんで、肝心の栗の実が見当たりません！「まさかそんな」と、目を凝らしてじーっと見ると、全然ないわけではなく、かけらのような栗が少しは見えます。ごはん茶碗１杯に半かけくらいでしょうか。やはり無きに等しい…。</p><p>&nbsp;</p><p>かたや、各種おこわを少しずつパック詰めしたものには、ひと口大の栗おこわに栗ひと粒がのっていました。栗の率はよいのですが、ひと口分では物足りないし。</p><p>迷いながら惣菜売り場を２周くらいしたあげく、あきらめて少量パックを買って帰りました。</p><p>&nbsp;</p><p>「栗飯の栗見えなくて目を凝らす」</p><p>&nbsp;</p><p>ああ、栗ごはんの栗ばっかりを大人食いしてみたい…。なんて、あまり大人のやることではない感じですね。</p><p>&nbsp;</p><p>ついでに食い気ネタでもうひとつ。</p><p>「新米に箸が止まらずもう半膳」</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>秋は食べたいものが多くて困ります。</p>
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<link>https://ameblo.jp/babelpark/entry-12323875718.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Oct 2017 18:24:56 +0900</pubDate>
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<title>８月</title>
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<![CDATA[ <p>句会の８月の宿題に、「稲妻」がありました。</p><p>雷でもいいのかなと調べてみると、なんと雷は夏の季語、稲妻は秋の季語。それぞれ別なのです。「稲」がつくとなんでも秋になる、と先輩が言っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>幸いというか、雷がとどろき稲妻が走る光景になんどか遭遇し、ああでもないこうでもないと考えて、こう出しました。</p><p>「稲光　闇の物影　あらわにす」</p><p>&nbsp;</p><p>私が雷鳴と稲妻から思い出すのは昔々、ＪＷを辞めたくて、辞めさせまいとする家族と格闘していた夏に、「雷が落ちたら楽に死ねるだろうか」と考えたことでした。</p><p>いや楽にというより、自然死に見えるか、ということを考えたのでした。自殺などしたら「辞めるやつはやっぱり」と言われそうで。</p><p>稲妻の閃光に一瞬、暗い街の家影が浮かび上がるのを見たことから、そんな自分の闇を思い出しました。</p><p><br>&nbsp;</p><p>ほかにもわりと似た感じの、闇系の句を出された方がいました。</p><p>なんか、安心しました（笑）</p><p>まあ、そんなに清らかなものじゃないですよね心の内は。</p>
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<link>https://ameblo.jp/babelpark/entry-12306859110.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Sep 2017 00:17:02 +0900</pubDate>
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<title>排斥等の記憶３</title>
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<![CDATA[ <p>前にも<a href="http://ameblo.jp/babelpark/entry-11995686306.html" target="_blank">書いたことが</a>あるけれど、私が小学生になったかならないかのころに、会衆で排斥発表がありました。排斥されたのは幼なじみT君の母で長老の妻でした。</p><p>私はT君とはよく顔を合わせていましたが、不活発ぎみだったその母とはさほど交流がありませんでした。T君のアパートに行ったことも１，２回きりだったと思います。が、排斥の発表後に私の母から、T君の家にはもう行ってはいけない、道でT君母と会っても挨拶してはいけないときつく指示されました。子どもだった私は、怖い顔の母親に向かって納得のいく説明を求めることはできず、ただ「はい」と言うしかなかったけれど、なにかもやもやしたものが心に残りました。</p><p>&nbsp;</p><p>やがて中学生になった私は、ハルマゲドンについて非常にこだわるようになり、このような神はおかしいという思いが頭を離れなくなり、JWを続けていられなくなりました。私がそうなった背景のひとつに、この忌避体験があったような気がしています。</p><p>&nbsp;</p><p>JWにとって、排斥はハルマゲドンの予表なのだと私は考えます。</p><p>ハルマゲドンのあと、滅ぼされた人については思い出すことも悲しむこともしないと彼らはいいます。エホバのもとを離れ、霊的に死んだものと彼らがみなす人を、亡き者として考える予行演習という役割を、排斥忌避が担っているように思えてなりません。</p>
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<link>https://ameblo.jp/babelpark/entry-12301528013.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Aug 2017 20:43:29 +0900</pubDate>
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