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<title>babystep-ippoのブログ</title>
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<title>シンアメリカヲスクウ考・エピローグ</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp; &nbsp;「敬愛する…ひと…」が、１９５３年に出版したお陰話集を読んで、涙し、７２歳、今という時に、改めて、我が現世最後の創作として「シンアメリカヲスクウ考」という題名をつくって、ブログを通して書いてみようとおもい、約一年が経過しました。当初は、今でいうＺ世代を意識しましたが、結局、その世代との出会いは許されなかったぁ。結果、事例ということでは、わたしの「あいまいさ」が少なくなっていく過程で身勝手に感動した、同世代の旧友のことを自分なりに書くことが「後世への最大遺物」だとおもい、事例として捉えました。四国のＷは、「下山に咲く花・非戦の花」に繋がり、高校時代の同級生Ｓは、「母ごころ」に繋がり、台湾人の旧友Ｔと、星を望む仲間・旧友Mは、「徒労」に繋がっていきました。そして、五つ目のキーワード『魂の改造』は、「我が魂に刻まれしもの」に繋がりました。この自作フォークソング四曲を中心に、今までつくった中から選曲して、ＣＤをつくろうと、おもっています…。</p><p>&nbsp; &nbsp;キーワード「無形の力」は「遠隔Ｊ」で…すなわち、「敬愛する…ひと…」が、「夜昼転換」を意識して出来上がった手かざしは、それを実践する側の『魂の改造』が主で…すべての人たちが、食欲のように日常的になって、世界は変わる。それこそが、新しい文明創造の核心的なもの、との信念・確信・結論をもって、これからも、未来永劫、我が永遠の『魂の改造』に向かって、日々、やっていこうと、おもいます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp;来世に向けての、目標も明確になりました。大宇宙は、自然数のごとく、無限に膨張しているらしいです。わたしは、大宇宙の中心は地球（そのまた中心は箱根・強羅・神仙郷）で、大宇宙において人間は唯一無二であって、大宇宙は「想念の世界」だと…。自然数、０は光の粒子、１は光の波動で、光とは造物主と表現し、そして、１を加算しながら、大宇宙すなわち、人間の「想念の世界」は拡がっている。２、３は、偶数、及び奇数の最小単位の素数で、造物主を補佐する存在価値で、それ以外のすべての素数は、完成された神性人間であり、素数以外の自然数は、人間一人ひとりに刻印された改造中の幽魂で、それらは銀河であると。地球が存在する銀河系は、造物主を補佐する２の魂で…。「あらゆる偶数を２で割り（÷）、あらゆる奇数に３をかけて（×）、１を加える（＋）、そのくり返しによって、すべての自然数は、１に帰結する」という未解決予想…この難題に立ち向かって証明することが、わたしの来世での仕事と…。</p><p>&nbsp;</p><p>２０２５年１１月２日</p>
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<link>https://ameblo.jp/babystep-ippo/entry-12942652562.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Nov 2025 07:05:21 +0900</pubDate>
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<title>台湾人・旧友T、そして旧友Ｍのこと</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp; &nbsp; &nbsp; 時の首相が中華人民共和国と国交を回復して、台湾が国連から脱退したころ…親中華民国の学生団体（旧友Ｍ・現在政治家の紹介でただ何もわからず参加して）とともに、台湾での約1か月の研修に参加し…台湾人・旧友Tと出会った。２０歳の頃だと、おもう。彼の実家に数名の研修生とともに案内され、日本語のできる彼の父親などとともに、台湾の家庭料理を食べながら会話して一泊したことなど、鮮明に覚えている。その後、彼は、国家公務員となってお国の重鎮となり、日本に来られて、再会することができた。三度目の出会いが、わたしにとって、今おもえば、みえない世界から用意されていたというか、何とも衝撃的であった。わたしが専従していた宗教団体の台湾人信者が、２００２年、突然のバス事故で亡くなってしまうということが起きて、その亡くなった方のお姉さんが、翌年（２００３年）の春、わたしのその当時の職場にこられて、その時奇遇にも、公務上の役割で来ていたＴに会うことができた。</p><p>&nbsp; &nbsp; &nbsp;あれから、２２年の時が流れ、そのことの神意（自分なりに整理して）を…台湾と日本の関係を大事にしながら、アメリカとの関係を新たな視点で深めていくことが、これからの世界のために必要不可欠では？　…わたし自身がそのことに気づくために、用意されたTとの出会いであり、そのことに真正面から向き合うことも、わたしにとっての「最大遺物」ではないかと、おもった。</p><p>　そして、２０２５年１０月２３日、わたしの身勝手な一方的な願いかもしれないけれど、「敬愛する…ひと…」が一環として説かれた「文明の創造」を語り合えることを願って…旧友Ｍ（・・・議員連盟会長）、N氏（・・・重鎮）、そして、台湾人・旧友T（台湾の国家公務員としてさらなる重責を担っている）とともに、会えることになった。当日、Ｔが待っていたお店の、中華料理の美味しさに魅了されながら、それぞれお互いの会話がはずみ、時は流れていった。公務のためＴが途中退席したのち、食事も終わり、旧友Ｍの配慮で、観光スポットなどを詳しく案内され、望外の喜びをかみしめることができた。そして、所期の目的は果たすことができたという、わたしなりに充実感を持った一日は終わった。</p><p>&nbsp; &nbsp; &nbsp;旧友Ｍが会長を務める・・・議員連盟一同が、わたしが「文明の創造」の縦軸と確信しているところでの研修訪問を予定しているということを聞かされ…さすが、旧友Ｍ…と。そして、この会合を機に、「敬愛する…ひと…」が説かれた「文明の創造」が名実ともに拡がっていくことを、密かに信じていこうと、おもった。</p><p>&nbsp;</p><p>２０２５年１０月２４日</p>
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<link>https://ameblo.jp/babystep-ippo/entry-12940696971.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Oct 2025 14:15:40 +0900</pubDate>
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<title>WV部の説明会で出会った旧友Wのこと</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp; &nbsp; Wとの出会いは、18歳になったばかりのころ、彼は、わたしより二歳年上だった。具体的な理由は分からないが、農業大学を止め新たに入ってきたようで、初めて会ったのは、ワンダーフォーゲル部の説明会場だった。おそらく、その内容は忘れてしまったけれど、わたしの生意気な発言に、彼の独特の個性がくらいついてきたような気がする。それから、わたしの住む寮に泊まり込むようになり、同室のI君をはじめ、同じフロアーの特定の仲間たちとも親しくなり、自然に寮生のようになってきて、結局、にらまれることが多くなって、やむなく、自分の下宿に戻っていった。その当時のいきさつの詳細は忘れてしまった。当時のわたしは、精神的にも肉体的にも、思い出したくないくらいかなり病んでいた時期で…高校時代、勉強一筋にかけてみたものの能力の限界を感じつつ、当然、体を動かさず机に向かってばかりで運動能力も下がるいっぽうで…そのような自分のできる新しい自分づくりに、山に登るということではなく、平場の自然の中をただ歩くことで心身を鍛えられるのでは？　と、軽薄におもって。</p><p>　彼は、わたしを、ときに言ってみればサンドバックのように、ボクシングスタイルで（本気で殴るわけではなく）こぶしを要所に打つような行為をしてきて、わたしとしては、人との関わりの中で初めてのことだったので、かなり戸惑ってしまった。今、思うに、彼の怒りの矛先がどうも父親だったので（彼の発言のはしはしに親父は大嫌いだと言っていった）、何かそのことと関連していたのかもしれない。彼を含めて、友人４人で八ヶ岳に行って、蓼科山で、わたしが一人バテテ、笑われてしまったこと、道に迷って、彼は独特の野性的感だけで対処しようとし、わたしは、地図とコンパスで四苦八苦していて、その姿をみていた友人の一人が…Ｗは野人だなあ、Ｎは・・・…と言ったことに、彼へのコンプレックスがさらに大きくなったこと、などなど、述懐する。彼は学生結婚して、魚屋さんでのアルバイトなど、彼らしい生活にうらやましさを感じつつ、わたしの学生時代は終わった。</p><p>　社会人になってからも、彼との関りは深まるばかりであった。わたしの結婚式（北海道・釧路）に、わざわざ四国からきてくれ、着物姿で参加してくれたことも、彼らしい姿だった。その後、ときどき、突然現れて…一番印象的なことは、四国巡礼だけではなく、関東にある観音様めぐりをしているとか、今、京都にいる、とか言った電話もらったこともあって…わたしなりの解釈だけれど、彼の前世は、チベットの僧侶ではないか？　と、おもったこともあった。我が家を訪れたときに残していった、「昨日の一歩、今日の一歩、明日への一歩」という、彼の名前入りの名刺のような細長いお札と、スケッチブックを切り取って、彼が書いた墨絵（雑魚が五匹、そして字が書かれていて…絵の上には、どこからきたのオー、絵の下には、我は海の子、というフレーズ…）が、わたしの宝物の一つとなっている。４０代のころ、彼は学生結婚していた女性とはすでに離婚していて、京都で知り合ったという若い女性とのカップルと、わたしも夫婦で、箱根に一泊したこともあった。チェックアウトのとき、遠くから清算を目でお願いされたけれど、できなかったことは、彼との関わりの中で、唯一後悔している。学生時代と社会人になってから、二度、四国へ遊びに行ったとき、さんざん彼にお世話になっていたこと、そのお返しができなかったこと、箱根はわたしのフィールドで、彼らの分も清算したかったけれど、できなかったという自分本位の後悔なのかもしれない。その後、友人Ｍの選挙支援で関東に来ているので合流したい、という電話に、即、対応できず会うことができないまま、それからのち、彼と音信不通になってしまった。</p><p>　あれから十数年が経過し、学生時代の旧友たちとの飲み会の場で、彼の消息がわかり、その後、一方的な手紙を送っていた。そして、私小説のようなものの副産物として自作ソークソングが生まれて、その中の一曲…「下山に咲く花・非戦の花」ができたとき、無性に彼に会いたくなって、四国・松山に行った。十分な会話ができない心身になっていた彼ではあったけれど…よかったぁ、会えて…と、心底、おもった。</p><p>　彼は、今もテレビ放映されている寅さん映画のような人生（彼が名付けた長女の名前からも、頷いてしまう）で、いわゆる高等遊民かもしれないし、根っからの自由人で、我が旧友の価値あるひとり、と、断言する。ちっぽけな自分で、過去、現在、未来、わたしにはできなかった、できない生き方だからこそ、自分と比較して、今さらながら脱帽してしまう。でも、わたし自身、最近特に、自分の意思が伝わらないときや、疲れてイライラしているとき、意識はあるものの、自分自身をサンドバックのようにして、本気で自分の頬っぺたをビンタしたり、グーで頭を殴っているときがあって、そんなとき、思いどおりにならないイライラが、その当時の彼にはあったのであろうと、そんなことを考えると、彼と出会ったわたしの存在も、彼にとっては必要であったのかもしれないと、おもう。人との出会いとは、決して偶然ではなく、お互いの人生にとって必要だから、みえない世界の周到なはからいによるものだと、改めて、確信する。</p><p>&nbsp;</p><p>２０２５年１０月１２日</p>
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<link>https://ameblo.jp/babystep-ippo/entry-12938062680.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Oct 2025 12:45:38 +0900</pubDate>
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<title>高校時代の旧友Sのこと</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp; &nbsp; 彼との、初めての出会いは１６歳ごろ、高校二年だった、と記憶している。彼は、歴史部で、わたしは、当時、勉強一筋の帰宅部ということであったけれど、歴史部の部室で知り合ったような気がする。勉強一筋とはいっても、初恋ではないけれど、好きな女性（一年生）ができて、その女性が歴史部所属で、歴史部の部室が唯一、彼女とのあいびき（懐かしい言葉）の場所で、彼も、女性と交際していて…交際の仕方というか、彼なりの考えをもっていて、わたしの女性への接し方などと比較して、高校生離れしていて、まさに大人って感じで、彼には、その頃からずっと、男として、コンプレックスをいだきつづけていた（国語の先生の一言に問題意識をもって、彼と共に先生の自宅までいって議論したという記憶が残っている）…それが、きっかけであったことは間違いない。彼は、本人いわく、勉強嫌いで、高校を卒業して、一応浪人ということで、東京の日雇い労働者たちの住む町に住み、新聞配達をしながらその当時の学生運動に参加しつつ、自らの将来を考えていたよう。わたしは、何も考えることなく、実家の生活レベルを考えることもなく、入学金も授業料も高い私立の大学生となり、航空宇宙学の宇宙の方を専攻してみたけれど、半年で学校にはいかなくなってしまった。その後、代返や代筆によって出席日数は一応クリアし、単位を取得するための試験は何とかしつつ、一応卒業はできたけれど。全く、彼とは、真逆の青春時代を通り過ぎてしまった。</p><p>　二度目の関わりは、わたしが、大学卒業後２４歳で結婚、入った会社の営業活動がいやになって、当時は四人家族で、そのことは全く考えずに転職を考えるようになり、北海道から茨城に移住したときで…彼は、スーパーマーケットの一角を借りて、露天で、百円ショップを、奥さん（背中に子供を背負っていたときもあった）とともに、やっていた…その姿に、彼への従来からのコンプレックスが増幅して、自分もやってみようとおもい、当時の妻（２００４年に離婚）にも相談することもなく、彼にそのことを投げかけたら、即、「やめとけ」との回答だった。わたしの、甘ったれて育った環境を知っての返事だったものと、述懐する。その後、転職感覚で入った、まさに拾われて入った宗教法人の施設に、彼は来てくれたり、自宅で会話したりしたこともあった。</p><p>　三度目の関わりは、わたしが５９歳になり宗教法人を早期退職して数年後、名古屋から茨城へ移住してしばらくたってから…彼は、歳を重ねただけで、昔とちっとも変っていなかった。我が「あいまいさ」が少なくなっただけ、彼へのコンプレックスは無くなっていたけれど。彼は、自分で立ち上げた事業をやむなく止め、その後、いろいろやったらしいけれど、新しい印象として…パソコンに精通しているなぁ…と、おもった。それと、９０歳を超える母親への接し方が、わたしとは全く違っていて、そのことには、わたし自身…猛省と彼への感謝…を言葉にせざるを得なくなった。彼から、また、人生の価値を学ばせてもらった。それと、LINEで「投資」という誘いもあった。これから人（いまでいうＺ世代）への投資をしたいと、おもった…。</p><p>&nbsp;</p><p>２０２５年１０月９日</p>
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<link>https://ameblo.jp/babystep-ippo/entry-12937535076.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Oct 2025 08:37:10 +0900</pubDate>
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<title>新・新J・FANCY（第十五号）</title>
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<![CDATA[ <p>【魂の改造】</p><p>　すき間時間を利用して、「青くて痛くて脆い」という映画と出会った。最初にみたときにはあまり感ずるところはなかったのに、なぜか、もう一度みたくなり…我が１７歳の頃、高校時代を思い出し…作家・住野よる、の原作までkindleで取り込んでしまうという突然の入れ込みよう…「敬愛する…ひと…」から、『魂の改造』という言葉は、教えてもらったけれど、そのずっと前から、我が『魂の改造』は始まっていたのかもしれない…と、おもった。１９７０年、学生運動が過激さを増してきて、大衆運動という意味での終焉を思わせるような頃、そして、作家・三島由紀夫事件があった年、我が創作の中で身勝手にその年を「知性の自滅」「日本の分岐点」と位置づけて、久しい。もしかして、わたしの『魂の改造』は、その年から始まっていたのかもしれないと…「青くて痛くて脆い」という映画との出会いからの、これも身勝手な気づきということを自認しつつ…わたしの「あいまいさ」の極致の頃、帰宅部を止めてパロディ研究会というものをつくりたいと、その当時親しくしていた友人（現在は交流なし）に投げかけたら、軽く笑われ、自分の単なる思いつきだったのでやめてしまったという、一時の感傷をおもいだし、映画とのオーバーラップに繋がっていった。</p><p>　「シンアメリカヲスクウ考」という創作を、ブログを通して考えるようになって、以前、その「プロローグ」に書いた四つのキーワード…「非核非武装非戦」「天災は人災」「浄化作用」「無形の力」というフレーズは、「敬愛する…ひと…」からいただいたものであるが、もう一つ『魂の改造』というキーワードがあるということに、今回、気づかされた。最終結論の「遠隔Ｊ」、そして「旧友の事例整理」はやると、ハッキリして、さらに「あとがき」を考えていた矢先の気づき…キーワードは、五つ、となった。</p><p>&nbsp;</p><p>「シンアメリカヲスクウ考」あとがき（案）</p><p>　「敬愛する…ひと…」が、１９５３年に出版したお陰話集を読んで、涙し、７２歳、今という時に、改めて、我が現世最後の創作として「シンアメリカヲスクウ考」という題名をつくって、書いてみようとおもい、約一年が経過しました。当初は、今でいうＺ世代を意識しましたが、結局、その世代との出会いは許されなかったです。結果、事例ということでは、わたしの「あいまいさ」が少なくなっていく過程で身勝手に感動した、同世代の旧友のことを自分なりに書くことで、その方向が決まりました。四国のＷは、「下山に咲く花・非戦の花」に繋がり、高校時代の同級生Ｓは、「母ごころ」に繋がり、台湾人のＴさんは、「徒労」に繋がっていきました。そして、五つ目のキーワード『魂の改造』は、「我が魂に刻まれしもの」に繋がりました。この自作フォークソング四曲を中心に選曲して、ＣＤをつくろうと、おもっています…。</p><p>キーワード「無形の力」は「遠隔Ｊ」で…すなわち、「敬愛する…ひと…」が、「夜昼転換」を意識して出来上がった手かざしは、それを実践する側の『魂の改造』が主で…すべての人たちが、食欲のように日常的になって、世界は変わる。それこそが、新しい文明創造の核心的なもの、との信念・確信・結論をもって、これからも、未来永劫、我が永遠の『魂の改造』に向かって、日々、やっていこうと、おもいます。</p><p>&nbsp;</p><p>２０２５年１０月１日</p>
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<link>https://ameblo.jp/babystep-ippo/entry-12935168507.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Oct 2025 09:02:54 +0900</pubDate>
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<title>新・新J・FANCY（第十四号）</title>
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<![CDATA[ <p>【最大遺物】</p><p>　テレビドラマをみて、そのセリフがこころに刺さって、おもっていたことの解決に繋がっていくことが、今まで結構あることは事実で、自分なりに、そんなとき、脚本家にこころから感謝しつつ、これは、時を許され、みせられたんだぁ、と、うなずく。９月１６日、前日の録画をみて、それは、あるドラマの最終回だったのだけれど…「小さな声を拾う」というセリフで…</p><p>　我がふるさとでの「サード・プレイス」で、実際何をしていったらいいのかが、よりハッキリした。人生を振りかえり…両親がいて結構恵まれた環境の中で、健康に育っていった自分自身であるからなおさらなのかもしれないけれど、人の不幸、特に、病気を抱えている人の痛みがわからないまま、形だけは人のことをおもっているようなふりをしていたような気がして…宗教組織を早期退職し、６０歳を過ぎたころから、そんな自分の「あいまいさ」をなくそうとおもい立ち、一表現者を自認しつつ、書いたり、書いたことを実行したり、実行して、反省して、考えて、また、書いたり、その繰り返しで、現在に至っている。キリスト教の事は分からないけれど、自分の魂の重力レンズ（思想的に影響を与えられた著名人）の一人とおもっている、キリスト教無教会主義の内村鑑三の「後世への最大遺物」を読んで…「小説は誰でも書ける」というフレーズとともに、直感的に、自分自身の『最大遺物』をみつけようとおもい…７２歳になって、やっと、自分の『最大遺物』は、「遠隔Ｊ」、これだ！　と確信した矢先の「小さな声を拾う」というセリフに、今年９月の第二回目となる「サード・プレイス」に向けて、後押しするような言葉の響きを感じた。これから、人と向き合う上で、小さな声を拾いつつ、そして、日々の食事のように、漫然と、シンプルに、「遠隔Ｊ」を、これからも続けよう、そう、決心を新たにして、その「型」となって、その拡大を無理なく自然にはかれるようになろう、と…。</p><p>&nbsp;</p><p>　かねてより、「シンアメリカヲスクウ考」という創作を願っていたけれど、その最終結論（上記）と、その方向性がハッキリした。その第一は…旧友との出会いとその後で…事例化して、『最大遺物』と捉えようと、おもった。</p><p>　その一人は、大学入学とともにワンダーフォーゲル部の説明会で知り合い、その後社会人になってからも、陰に陽に関わってきた二歳年上のW。彼は、一環として自由人を貫き、わたしの近況報告をとおもい一方的に手紙を送り続けていたが、自作フォーク「下山に咲く花・非戦の花」ができ上がって、無性に彼に会いたくなって四国・松山へ行った。二人目は、高校時代に知り合ったS。彼は、若い頃から個性的なこころざしを持ち、最近では自分の体の不調を抱え、やるせないおもいをもち悶々としながらも、認知症の進む母親の介護をしている。そんなＳの姿が、我が自作フォーク「母ごころ」に、この詞のフレーズがピッタリはまっていった。両者とも、組織に翻弄されない個性的な生き方の彼らに、長い間ある種のコンプレックスを持ちつつ、わたしの「あいまいさ」が少なくなってきた頃から、ただただ感謝しかないと、おもえるようになっていった。この二人のことを、戦後を変えていった高度成長期の一番いい時代をただ漠然と歩んできた自分にとって、かけがえのない友だと、感じている。三人目は、台湾生まれのＴさん…２０代前半の若き日に、自分の「あいまいさ」を抱えたまま知り合い、２００３年、奇遇にも再会した。そのことが、みえない世界の周到なはからいではないかと、最近になっておもうようになり…〈台湾と日本の関係を大事にしながら、アメリカとの関わりを新たな視点で深めていくことが、世界のために必要不可欠では？〉…とのおもいが沸き起こった。そして、「敬愛する…ひと…」の「やさしさ」あふれる世界を具現する機関、ひさしく夢に描いていた「こころのベンチャー」が、みえてきたような気分になった。</p><p>&nbsp;</p><p>２０２５年９月２１日</p>
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<link>https://ameblo.jp/babystep-ippo/entry-12931917928.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Sep 2025 15:03:50 +0900</pubDate>
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<title>新・新J・FANCY（第十三号）</title>
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<![CDATA[ <p>【遠隔J】</p><p>　この表題を掲げて随想を書くことは、わたし自身にとって強くためらいながらも、一表現者として、「シンアメリカヲスクウ考」という創作の最終結論を具体化する上で、いよいよという時期の到来を、覚悟をもって受け止めた。</p><p>　そのことを、考えるようになった最初のきっかけは、故、作家・石原慎太郎の「弟」という本を、１９９６年７月に手にしたときから（２００４年、作者の実弟・裕次郎さんの生誕７０年にドラマ化）で、その中（３０７～３１０ページ）に…原文のまま抜粋…「…八階の奥の病室に向かって手をかざし続けている人たちがいた。ある人は無言のままに、ある人は時折合掌しては口で何かを唱えまた手をかざしていた…ああ、これであいつは助かるな、となぜかしみじみ思った…遠い地上から願いを込めて手を掲げ、自らを信ずるままに霊波を送り続けてくれていた…母（腎臓に持病）が戦後まもなくある人から教えられて、ある教団のほどこす浄霊という、ただ手をかざして人間が神からの霊波を中継するという治療で奇跡のように全快した…そんな母の奇跡を目にした経験から、私は弟のためにひたむきに手をかざして一人一人の想念を送ってくれている人たちの姿を眺めて、弟の快癒を信じられる気がしていた…私は今でも弟があのなきに等しい確率の手術を切り抜け、さまざまな後遺症を背負いながらも完璧に蘇生したのは、医師たちの努力よりもなによりも、それを奇跡の成功に向かって強く促してくれた信じられぬほど多くの人たちの想念の力だったと思っている…あれほど多くの人々の熱く厚い想念が不可知なほど膨大な力になって弟の乗ったジープをあの三途の河原から呼び戻してくれたに決まっている」…この作者のおもいを読んだとき、自分の率直な感想は、極めて批判的なおもいであったことは確かで…そのような行為そのものが、浄霊の本質を見失い、マスコミをはじめ世間の誤解をまねく最大の要因だ…とおもったことは事実で、当時のわたしは、「手かざし」という独特の宗教行為を、統合医療への参画という視点で実践していったけれど、結局、自分自身、宗教組織の一員として、どこかでその本質をあいまいなままにしていて、組織を離れてから特に、「手かざし」の本質とは？　…「敬愛する…ひと…」が説かれた「文明を創造する核心的なもの」「生命の芸術」というフレーズを主に…「あいまいさ」をなくす自分づくりへ…同時に、著名な作家で政治家の上記の本をあるときから思い出し、とりわけ浄霊を綴った箇所を読みかえし、『遠隔Ｊ』という造語に繋がり、片手をかざすという行為を、全人類が、ためらいなく、宗教カテゴリの中にとどめず、みえない世界を、信じる、信じない、にかかわらず（有神、無神観念にとらわれず）食生活のように日常生活の中に定着していったら、身近な言い争いごとはさることながら、国と国との戦争、民族と民族の紛争など、この世のすべての争いごとは、なくなっていくのではないか？　と…まず、自分自身への確証との願いから、その行為が一般的に非常識と思われることは当然で、だから、誰もいないところでひっそりとやろうと思い、日々、朝食後、我が家のみならず縁ある祖霊たちを祭る紫微宮へのお参りの後、『遠隔Ｊ』を実践するようになった。</p><p>　眼前に世界地図を頭に描き、テレビ報道などで知る限りの非人道的とおもわれる国々へ、そして、近隣、遠方、関係なく、身の周りの気になる人たちをおもい『遠隔Ｊ』を、そのことを自ら「非宗教的有神観念」を具体的にあらわす行為と身勝手に位置づけ、「敬愛する…ひと…」が昭和２７年２月４日におこなったご事蹟を確信し、その型の拡大を願っていった。今振り返ると、「手かざし」の本質へのアプローチは、自分の「あいまいさ」を解消することを願って始めたことなのに、気づいたら、『遠隔J』は、まさに「あいまいさ」の極めつけではないか、とおもうようになって、みえざる隠されたところに「あいまいさ」の本質というものが存在しているんだなぁ…と、今は、頷いている…。</p><p>&nbsp;</p><p>２０２５年９月１０日</p>
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<link>https://ameblo.jp/babystep-ippo/entry-12928953786.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Sep 2025 03:48:28 +0900</pubDate>
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<title>新・新J・FANCY（第十二号）</title>
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<![CDATA[ <p>【諦めない】</p><p>　８月の最後の日、その時を待っていたかのように、「ディア・ファミリー」という映画と、出会った。我が労働の一つの拠り所となった、映画「あん」、との出会い以来の感動、そして、映画「ディア・ファミリー」は、方向性が曖昧だった「シンアメリカヲスクウ考」、そして、１０月から１年間、新たな契約を交わすパート労働のことなど、いままで、どうしようかとあれやこれやと悶々としていたことが、一気に、こころの霧が晴れたようにさわやかな気持ちになった。家族愛から人類愛へ…「敬愛する…ひと…」の別の言葉で表現すれば…小乗愛から大乗愛へ…その変化を通して、『諦めない』というキーワードを通して、新たな挑みをしていった主人公が、仕事や組織の現実的実態を知り、そして家族を含めた人間の関係などなど、人として生きることの本質に気づいて…といった部分に、自分自身と、なぜか、オーバーラップ（その中身はまったく違うが）してしまった。</p><p>　「シンアメリカヲスクウ考」については、その中心軸（最終結論）が、より、ハッキリした。それは、「敬愛する…ひと…」の昭和２７年２月４日のご事蹟、「これから浄化が厳しくなるからと…」仰って、人々の集まる所で初めて「集団浄霊」をしたという事実。今こそ、その型を拡大して、すべての人が〈遠隔Ｊ〉（造語）をすることが、大中小の人間どうしの争い（心の戦いを含め）をなくす「決め手」との確信が深まり、「文明創造の核心的なもの」というフレーズへと繋がっていった。さらに、我が「敬愛する…ひと…」を神と信ずる特定の宗教団体の資格に基づく宗教行為にとどめておいてはもったいない、全人類のものとしなければ…夢、非現実ではなく、『諦めない』で、それを具体的な行動に移していくことが、我が、残された現世の最後にやることではないのか…とおもった。</p><p>　併せて、パート労働の契約更新についても…自らの老化、体調を、自己判断せずに医療機関にみてもらって、その診断結果を踏まえ、答えを出そうと、おもった。９月のシフトが、今までと異なり自由な時間に余裕があることも、みえざる世界からのご褒美（示唆）、との受け止めが、素直にできるようになった。</p><p>　念のため…我が精神の軸にある有神観念は、既成の宗教カテゴリということではない。全く新しい非宗教的ポリシーだと信念化している…ということを、付け加えたい。だからといって、宗教カテゴリに残されたものは、さまざまな宗教団体がそれぞれの教義に基づいて、引き継いでいて、それはそれで否定するものでは、決して、ない。</p><p>&nbsp;</p><p>２０２５年９月３日</p>
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<link>https://ameblo.jp/babystep-ippo/entry-12927318865.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Sep 2025 15:29:20 +0900</pubDate>
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<title>新・新J・FANCY（第十一号）</title>
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<![CDATA[ <p>【現実逃避】</p><p>　この数週間で、『現実逃避』癖が、二つ、矢継ぎ早に出た。振りかえって、これは、人生の転換時に必ず起こることと…ある旧友に書いた手紙の中にも…（文面そのまま引用）…「過去を振り返ると…就職も、転職も、離婚も、早期退職も、我が人生を振りかえって、そのすべてをあまり考えることなく決断したおのれがいて、でも、そのことによって、人、ものなど、多くの犠牲はあったけれど、その後の展開を想うとき、すべていい方向に導かれてきたことを、実感しています」…まさに、この『現実逃避』は、まぎれもない、今後を占う予兆であることは、過去を振り返っても理解できるものと、自認した。</p><p>　今回の、二つは、肉体的老化に、現在の労働における肉体的限界を感じてしまったことと、今の自分にとって最高の存在価値〈女性〉から発された言葉から、間髪を入れず『現実逃避』癖が出てしまい…自分としては、まず冷静になって、ポジティブに受け止めようと、これからさらによくなるための事で…と、過去を振り返りつつ…『現実逃避』癖は、我が「浄化作用」なのだと、言い聞かせた。</p><p>　そのようなことと同時期に、「北の国から」と「金曜日の妻たちへⅢ」という、１９８０年代にヒットしたテレビ番組がリバイバルされ、午前中と夜の隙間時間の楽しみとなった。「北の国から」は、夢を現実化しようとした脚本家の想いが凝縮されたドラマ、「金曜日の妻たちへⅢ」は、現実をよりリアルに表現したドラマ、と、身勝手に解釈して、録画して最終回まで見続けた。そして…夢と現実をおもい、人間は、そのはざまで生きている動物、その濃淡、グラデーションは人それぞれで…そのことを自分自身に置き換えてみたら…夢がほとんどの自分の過去で、それは、今でも変わっていない、ということに気づかされた。</p><p>　「北の国から」と同じ脚本家の最近の映画、「海の沈黙」の中で、男の女性への〈やさしさ〉の究極を表現したセリフ（自分なりの受け止めかもしれない）があって、自分は、そのような〈やさしさ〉が欠落していることを、その時おもったけれど、過去の自分になかった究極の〈やさしさ〉を、老化を自覚した今という時こそ、その究極の夢（理想）を実現する時なのかもしれないと、おもった。</p><p>&nbsp;</p><p>　８月２３日、舞台「ＷＡＲ　ＢＲＩＤＥ」をみにいった。自分のブログを通して模索していること…シンアメリカヲスクウ考…と、主演者の奈緒さんがいい感じ、とおもったことで、チケットを買うきっかけとなったのだが…戦争のない平和な世界をつくる決め手が不透明　…具体的な決め手が分からない…という想いが、最後に脳裏をよぎった。我が「敬愛する…ひと…」は、１９５３年に、おかげ話集を出して、その発刊の切なる意図を想い、まさに、「敬愛する…ひと…」が説いた「文明の創造の核心的なもの」こそ、〈これだ！〉という、以前からおもっていた確信がより深まり、初めての舞台鑑賞の意味は間違いなくあって、よかったとおもった。</p><p>&nbsp;</p><p>２０２５年９月１日</p>
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<link>https://ameblo.jp/babystep-ippo/entry-12926653804.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Sep 2025 00:40:08 +0900</pubDate>
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<title>新・新J・FANCY（第十号）</title>
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<![CDATA[ <p>【旧友】</p><p>　老化ということを意識した最初は、何といっても肉体に関わることであった。けれど、老化効果という言葉がよぎって…効果ということもきっとあるのでは？　とおもって…自分にとっての老化効果とは、いったい何なのだろうと…それは、今までの多くの人との出会いから、特にこの出会いは自分にとって価値ある出会いだったと思えるような友だちのことをおもった瞬間に、『旧友』という表題になった。</p><p>　一人目…出会いは、１８歳の時、ワンダーフォーゲル部の説明会場、そのあと、彼は、わたしの住んでいた学生寮に来て、そのまま居すわって、いろいろ物議をかましたけれど、フロアーの友だちとの交流が深まりつつ、かけがえのない友となっていった。今は、病院暮らしで、ときどき、手紙を出している。一度だけ、病院に会いに行った。それは、自作フォーク「下山に咲く花・非戦の花」ができあがって、その喜びとともに、無性に会いたくなって、衝動的な我が性向むき出しの再会であった。病状から、やり取りは不十分だったけれど、とても嬉しかったし、生涯おもいでに残るひとときだった。彼は、わたしなりの表現をすれば、我が人生の三奇人の一人で…高等遊民っていう感じが、何とも言えず好きで…その関わりはなぜか大きい。</p><p>　二人目…出会いは、高校時代のころ、恋愛というものを経験して、わたしより、ずっと先を走っていたというか、彼との出会いによって、自分の暗に抱えていた劣等感が深まったということで…さらに、２０代最後、北海道から水戸に転居したころ、彼への劣等感が増幅して、なんやかやでそのまま音信不通となって…６０代に入って、名古屋から転居して故郷へ行くようになって、目標というか、彼なりの積み上げをなくした彼と関わっていくなかで、年老いた彼が、９０歳を過ぎた母親に接する姿にこころから感動して…自分とのあまりの違い（我が亡き母との関わり方に）に猛省したことで…個人と世界が完全に繋がって、自作フォーク「母ごころ」の主題となった母性の価値を、彼と彼の母、二人とも老いた母子の姿に遭遇する度、心底、こんな世界があったら、世界の紛争なんてきっと無くなるような気がしていった。</p><p>　三人目…出会いは、学友の紹介で、ただ単に海外に足を運んでみたい、という無垢な思いで台湾に行った時、２０歳と記憶している。彼は台湾人で、今、台湾の国家公務員として出世し、台湾と日本の架け橋となって重責を担っている。その後、日本での奇遇な再会があって、五度目となる今回は、立場の違いを超えても会ってくれることになり、こころより感謝以外の何ものもない。嬉しくてたまらない。現在、自分のブログに随想やら自作フォークを投稿しながら模索している、創作予定の「シンアメリカヲスクウ考」にとって、必要不可欠の『旧友』だと、確信している。そのための出会いを、みえざる世界が用意してくださったとさえ、おもう。出会いとは、単に偶然ではなく、その人にとって、時が来て必要があって用意されている、必然ではないだろうか。</p><p>　ほかにも、会いたい人はいる。けれど、どこまで、そのようなおもいを実現できるかは、わからないし、相手は友だちとおもっていないかもしれないし、眼中にもなく忘れているかもしれないし…でも、『旧友』を意識することが、老化の一つの効果、ということは間違いないことのように、おもう。</p><p>&nbsp;</p><p>２０２５年８月１１日</p>
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<link>https://ameblo.jp/babystep-ippo/entry-12922131000.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Aug 2025 10:34:21 +0900</pubDate>
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