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<title>バンブー竹田の「記者になりたい！」</title>
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<description>新聞記者を目指して就職活動を本格化させる大学生が、学校や日々の生活で見聞きした面白いことを、記事にして配信していく。一大学生の筆力や洞察力が向上していく変遷とともに、毎日の更新を目指します。</description>
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<title>活字の仲間と映像メディア</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">昨日は、記者の方から無料で作文指導を受けられる、良心的な作文ゼミを受講したあと、新聞記者を目指している子とメシを食べに行った。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">年末は某テレビ局の合宿選考まで残った彼女は、色々と</font></p><p><font size="2">学んできたとのこと。お互い新聞（活字メディア）志望だが、</font></p><p><font size="2">映像を撮ることの難しさと活字が持つ可能性とかについて話した。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">合宿では、１分半～２分半ほどのムービーを、チームと個人で</font></p><p><font size="2">それぞれ作成したそうだ。報道志望の彼女は、商店街で個々人</font></p><p><font size="2">に</font><font size="2">向けてインタビューを試みた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">映像として画面を通じて情報が伝達される場合、文字とは</font><font size="2">異なり、</font><font size="2">人の外見的な情報のほとんどが、見る人に伝えられる。</font><font size="2">そのため、</font><font size="2">「撮られている」と思ったとき、人は緊張する。撮影モードのオンと</font><font size="2">オフのようになり、オンの状態では、その人の素の姿を撮ることができないことが多い。それに、撮影を許可してくれない人自体がほとんどだという。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">撮影を終えたあとにふと出てくるコメントがある。それは本音であり、本当にとりたいコメントであったりするそうだ。もちろん、撮っているかどうかは、事前に本人の承諾を得ておかないといけない。活字にする場合は、インタビュー全般の内容を記事にしてよいか、事後に再度確認ができる。だから、映像で本音を引き出すのも、許可を得るのも難しいということを体感したらしい。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">同時に、映像が持つ力の大きさを実感したとも言っていた。活字との大きな違いのひとつは、音楽が入ること。映像に音楽が加わることで、より撮影者（編集者）の意図が映像に組み込まれることになる。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">例えば、僕がこの件に関して実感したのは、映画『靖国』を観たとき。日本軍が満州で誇らしげに刀を振り回している場面に、悲痛で鈍重なクラシック音楽が流れていた。戦時中に、同じ映像を明るい行進曲と共に流せば、プロパガンダへすりかえることも可能だと感じた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">彼女は、映像の何よりの弊害は、自由に編集ができることであると言っていた。例えば、商店街のムービー作成では、２分前後の映像のために、２時間分のフィルムを使った。そこから、時系列に関係なく、必要な映像をピックアップして、一つのムービーにしていく。そうした編集作業は、どの映像をどのように取り出してくるかで、作り手の主観をもろに出すことになる。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">僕自身は、書くことが好きだ。書き手は大体、読むことが好きだと思う。なぜなら、読むことは大概、映像を見るより考えることが必要だ。書くためには、読むより一層深く考えることが求められるだろう。つまり、僕は考えることが好きだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">その点、映像ではどうしても、活字で書いたり読んだりするのに比べると、深く考えようとする際、曖昧さが残ってしまうように思う。伝えようとする志は、活字の人も映像の人も同じだと、実際に働いている方に聞いたこともある。そういう意味では、やはり映像と活字は敵対するものではなく、どちらも活用して世の中の時事を捉えていく姿勢が、大事なのかもしれない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">最後に、よく「伝えたいから」メディアを志望するという声も聞くが、昼に参加した作文ゼミの先生の見解は異なるものだった。「書きたい、現場に行きたい、といった類は欲望としてあるかもしれないけれど、「伝えたい」というのは曖昧で、欲望として成立するのか疑問だ」。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">そう言われてみると、順番としては、まず現場に行ったり、何かを体験したりする。それが自分に素晴らしい体験であったり、社会に共通した問題を抱えたものである場合などに、多くの人に分かち合うという意味で、伝えたいという欲求が生まれてくる。ある意味での（僕はカント的な意味に近いと思っている）「自己満足」だと思う。まず自分が満足できなくて、他の人に意味があると言えるだろうか。そうした意味で、先生の言葉は正しいようにも思われた。このように考えたのは初めてだった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">今日の夜から、関東へ１週間、シューカツ合宿。エントリーシートも続々と発表されている。本番に向けて、できるだけ備えをして憂いをなくしたいところ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">偉そうなことばかり書いているようなのですが、公に考えを開いてみることで、内に閉じこもるよりも意見がもらえたりもするのかも、と思って書いております。それこそ、書きたい自己満足を充実させて、結果的に人にも価値のあるものであれば、僕にとってブログは意味を持つと思います。だから、なるべく読んで下さっている人がいれば、シェアして有意義な情報になるように書いていきたい。そのために、忌憚なき意見をいただければ幸いです。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">「記者になりたい！」気持ち新たに突き進みます。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/bambootakeda/entry-10447587824.html</link>
<pubDate>Sun, 31 Jan 2010 23:51:36 +0900</pubDate>
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<title>アレックス・プロヤス『 Knowing 』（2009、アメリカ）</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">★★★☆☆☆☆☆☆☆</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">前半はいい。後半は終了。 <br>スケールの大きいサイコスリラーとSFの合同傑作。。 <br>などと評することもできなくはないジャンルだが、 <br><br>結論：驚愕したニコラス・ケイジのオーバーな演技が</font></p><p><font size="2">　　　 少し嗤えてしまう、ＣＧだけ美しいＢ級残念映画。 <br><br>ある日、歴史上の惨事が予め記録されている手紙を、 <br>息子ケイレブが、MITの大学教授である父・ジョンの元に <br>持ち帰ってくる。その手紙は、50年前に小学校でタイム・ <br>カプセルを埋めたときに、奇妙な少女が書いたものだった。 <br><br>息子に聞こえ、脳内に直接語りかけられる謎の囁き声、 <br>あからさまな伏線として設置される黒く小さな翡翠の石、 <br>自宅の背後から迫るミステリックな男の怪しい影。 <br><br>このように前半は、謎に満ちたストーリーが展開される。 <br>これはSFか、はたまサイコかミステリーと言えばよいのか、 <br>或いはホラーの要素を絡ませているのか、偶然論か必然</font></p><p><font size="2">論と、 壮大な人生哲学にも言及した作品であるのか、、、 <br>高まる期待、早打つ鼓動。 <br><br>だが、後半のあるところから、これらの謎が一つの存在によって <br>すべて片付けられてしまうことで、興ざめする。Ｂ級の典型かも <br>しれない。意外な展開をさらに意外な展開でかぶせたつもりなの <br>かもしれないが、映画が終わったときの観客の反応を眺めると、 <br>試薬の結果は明らかだった。「結局あれかよ、意外もなにも…」 <br><br>凄惨な重大事件の現場を伝えるＣＧ技術は優れている。</font></p><p><font size="2">飛行機が 墜落するシーン、地下鉄の脱線事故する</font><font size="2">一連の</font></p><p><font size="2">映像、これらは一級だ。 <br><br>だが、私にとっては、逆に一つの情動を思い知らされた。 <br>全く心に響くカットがなかったのだ。 <br><br>映画とは、映像という静止画の連続体であり、ヴィジュアルな <br>情報を観客に提供するものだ。情報とは、「情」に「報」てこそ。 <br><br>物語は、映像の技術やどれだけ見た目の上でオーバーな</font><font size="2">動き</font></p><p><font size="2">が</font><font size="2">表現されているかで評価されない。ニコラス・ケイジが、</font><font size="2">彼が</font></p><p><font size="2">映画のなかで驚くシーンは本気モードだが、ストーリーに</font><font size="2">自然さ</font></p><p><font size="2">がないから失笑を誘ってしまう。アメリカの映画館では、</font><font size="2">あまりに</font></p><p><font size="2">真剣な彼の演技に、クスクス笑う声が止まらなかった</font><font size="2">とか。 <br><br>ＰＳ３がＷｉｉに負けたのも、結局はそういうことだろう。 <br>最後の生活実用テクノロジーと言われる携帯電話が普及して</font></p><p><font size="2">から しばらく経ち、「物質的豊かさの時代」から「心の豊かさの</font></p><p><font size="2">時代」 へ移ってきたと言われる。人がカタルシスを得るのは、</font></p><p><font size="2">見た目に 刺激的だからではないことに、この映画を観て、</font></p><p><font size="2">気づく</font><font size="2">ことが できるように思われる。その意味では、感動とは</font></p><p><font size="2">何かを</font><font size="2">考え直す 貴重なきっかけを与えてくれるアンチテーゼと</font></p><p><font size="2">捉える</font><font size="2">ことによって、 この映画がもたらす意義は皮肉にも大きく</font></p><p><font size="2">なりそうだ。</font> </p>
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<link>https://ameblo.jp/bambootakeda/entry-10445918665.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Jan 2010 23:57:08 +0900</pubDate>
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<title>バンブー竹田の「記者になりたい！」始めます★</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">はじめまして<img alt="爆" src="https://emoji.ameba.jp/img/user/si/singe-lpn3-tmk/2029194.gif"></font></p><br><p><font size="3">バンブー竹田です。大学生です。</font></p><p><font size="3">３回生です。</font><font size="3">就職活動中です。</font></p><p><font size="3">このたび、ブログを書こうと思い立ちました。</font></p><br><p><font size="3">理由を述べるなら、「記者になりたい！」からです。<br><br></font><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100122/15/bambootakeda/bc/31/j/o0500050010384794878.jpg"><font size="3"><img height="220" alt="バンブー竹田の「記者になりたい！」" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100122/15/bambootakeda/bc/31/j/t02200220_0500050010384794878.jpg" width="220" border="0"></font></a> <font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">毎日、学校や日々の生活で「面白い」と思ったことを、</font></p><p><font size="3">記事のような形で配信していきたいと思います。</font></p><p><font size="3">カタチは始めていくうちに決まっていくでしょう。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">というわけで、とりあえず挨拶でした。</font></p><p><font size="3">どのようになっていくかは自分次第だと</font></p><p><font size="3">思っておりますが、読み応えのある記事を</font></p><p><font size="3">配信していけるようにがんばろうと思いますヽ(’▽’)ﾉ</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">温かくも厳しい目線で見て頂ければ幸いです<img height="16" alt="目" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif" width="16"></font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p><br>
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<link>https://ameblo.jp/bambootakeda/entry-10439921060.html</link>
<pubDate>Fri, 22 Jan 2010 05:12:02 +0900</pubDate>
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