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<title>勿干渉他人事物帮</title>
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<description>霊魂救済大司祭</description>
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<title>疑似科学</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171121/20/banghelp/ae/1c/j/o0250031114075340868.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="274" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171121/20/banghelp/ae/1c/j/o0250031114075340868.jpg" width="220"></a>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「好きではないことこそやる価値がある」<br>ようは、好き好みの視点を取っ払えるから、多角的に観ることができる、ということであろう。<br>なぜそれが必要かというと、だいたいは意識的に中立性を保つことが要請されているからだ。<br>当時の自分はこの考えに賛同した、なぜなら「自分の見たいものしか見ない」そういった風潮に嫌気が指しており、<br>ほとんどの偏った思想はこれを源流にしていると考えたからである。<br>しかし、このような見方が必要ということは、換言すればその学問自体が疑似科学であると認めているように思えてならない。<br>逆に作為的に取り出したとしても、それが超えられない摂理によって正されるというなら、絶対的な学問だ。スポーツと同じである。<br><br>よくよく考えれば、この問題は学問広域にあることのようにも思う。<br>例えば昨今、地政学の重要性が叫ばれる。この系統にしては作為を自然と取っ払えるというのが理由の一つとして上げられるだろう。<br>だが、この地政学のディスコースは、逃れられない呪いのような利益を定義付けすることによって、優劣を過度に決めつけるという危険性をはらんでいる。<br>朝鮮半島なんかはまさにそれで、文正仁はこの風潮を問題視しているし、モーゲンソーのイスラエルに対する見方もそうだ。<br>地政学ですらこの有様なのだから、神について考えずに無神論者でいることが不可能なように、学問のイデオロギーについても、切り離すことはできない。<br>むしろ、絶対視されるものこそ危険だ。<br>だけどこれは、「均衡を保つという責務から逃れられない」のであって、「均衡を保てる」ということにはならない。「保てない」と言っても良い。<br>なんというか、ここまで考えるのならばマキャベリが言うように嫌悪しながらも、どっちかに突き抜けても良いような気がする。<br>自分の影響下に置かれている概念は勝手にどっかに行ったりしないからだ。もちろん、比較による自己批判がない物は「間違っている自分を意識していない」ので問題外だが</p>
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<pubDate>Tue, 21 Nov 2017 20:41:21 +0900</pubDate>
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<title>大英帝国</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171116/20/banghelp/57/70/j/o0600032414071832255.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="227" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171116/20/banghelp/57/70/j/o0600032414071832255.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>大英帝国はインドを統治するために、英国的栄光を見せびらかすことによって神性を保っていたが、実は英国の方も、インドの文化に惹かれていた。<br>整った口ひげを生やすことはインドの文化で、英国陸軍は我先にこの口ひげを真似したという。<br>彼らにはインドの女性も魅力的に映っていた。本国の女性は地味なドレスを着て何か冴えなかったが、インドの女性はまあ派手だ、パンジャビもそうだしメイクも欠かせない。<br>結果、性行為に走り、この間から生まれた子孫を「アングロ・インディアン」という。マザー・テレサでよく知られるインドのカトリックは彼らが関係していることも多い。<br><br>クイーン・ヴィクトリアの時代に入り、このような「同化」の路線に本国では反感が芽生え始める。英国の植民地支配というのは、独善で欲望に満ち満ちていたが、<br>同時に使命感と勇気を持って動いていた。欧州で見れば英国は小さなの島国で、自分たちが世界の「絶滅危惧種」であるという危機感があったからだ。<br>ここからインドの支配は苛烈さを増していき、シンガポールではそもそも現地民と関わらない方針がとられた。<br>また違う方向では、人がいない土地へ移住もされた、それがカナダだ。もっとも原住民が少数ながらも存在しており、彼らは追い出されることになってしまうのだが・・・<br>さらに、ケベックではフランス系カナダ人が定住しており、今もイギリス系カナダ人とたびたび問題を起こしている。<br>植民地支配に上流階級が通った道は、実はケニヤだ。今アフリカで開発支援というと、寄付なり募金なりで解決するだろうが、この時代はそんな生っちょろいものでは駄目だ。<br>上流階級のような裕福層が、全財産投げ打って投資をする必要があった。全財産投げ込むのだから自ら移住せざる負えない。<br>そこまでして大英帝国を担おうという(なんというかここまでするのがまだピンとこないが)使命感があったのだろう。<br>彼らは昼はライオンを狩りして楽しみつつ、一方では開発に投資をする。「偉大な寄生虫」であった。<br>3C政策の一環として、鉄道も建設される「ウガンダ鉄道」だ。労働力にはインドの苦力3万2000人が用いられた。植民地開発に別の植民地の人間を使ったのである。<br>猛暑、マラニア、ツァボの人食いライオン、これらによって亡くなった作業員は2500人に及ぶ。<br>もちろん彼らはウガンダ鉄道が完成された後も送還されることはなく、現地民として定住することになった。<br>しかし、ケニヤ独立のときに邪魔となった。ケニヤのインド人は植民地支配の象徴であったからだ。<br>KANUによって彼らは強制送還、向かった先は英国本国であった。まだサッチャー政権じゃなくてよかったというところか、だからサッチャーが出てきたとも言えるが<br>彼らはレスターに移住した、レスターの人口30%はインド人だ。仕事もあり、大学へも問題なく通えているらしい。</p>
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<pubDate>Thu, 16 Nov 2017 20:56:00 +0900</pubDate>
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<title>シン・ゴジラ</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171113/22/banghelp/97/77/j/o0560079114069881953.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="311" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171113/22/banghelp/97/77/j/o0560079114069881953.jpg" width="220"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>映画をいわゆる「大音響上映」のように、ほとんど意味のない言葉で盛り上がりながら視聴するのは良いものだろう。楽しそうだ。<br>しかしながら、寂しく思うのは、SNSで流れてきた意見を皆受け入れて、一つの受け取り方を大衆のものにしてしまうことだ。<br>感性的な「意味のある」解釈まで他人に委ねてしまえば、思うにその時点で外側に、映画が「そういう物」になる。「あなたが観た」映画ではなくなる。<br>自分はというと、ちょうどシンゴジラの上映初日の7月29日は誕生日だった。<br>当時、空っぽの日々であった。何か刺激を受けたくて、映画館に足を運んだ。<br>事前情報はほとんどなかった、知ろうにも試写会は一部でしか行われず、情報もほとんど非公開であったからだ。<br>まあこういうことを事前にしている映画は、総じて悪い評価に繋がることが多い。<br><br>で、まさに「自分で観る」に最高の状況で自分が何を感じたか、「何も感じなかった」何を当たり前のことを言っているんだと思った。<br>補足すると、その時の自分は価値観も人生もほとんど全否定されたと思っており、故に全て盲目的に肯定せざる負えなくなっていた。<br>今までのことは無になっており、考えるには観念の再構築を必要としていた。<br>ただ思考が存在だけしているが故に、観念的な物を解けない、まさに映画で暗号化された資料のように逆説的な「曼荼羅」だ。<br>解くには何かが媒介に必要になってくる。シンゴジラではそれは「折り紙」であった、日本の偶像だ。<br>宣長は漢意によって大和心が汚れていると言ったが、現代ではそれに官僚機構や資本主義まで被さっている。<br>本当にそういう心があったとしても、それは今やクソまみれに染まった欲望だ。<br>しかし戦後に入って、一部では様相が少し変わってきた。或いは鎖に繋がれた中でも自由を手にするために、或いは更なる私欲のために、法の解釈の広域化が本格的に始まったのである。<br>対策本部がはみ出し者で構成されても、曲がりなりに組織・法に従っている、これと同じだ。ただ機能的に個人が発揮される組織になっただけで、ヒロイズムではない。<br>法と官僚組織が民衆を安心させるため、ただそれだけの、もはや信仰ような形式的な物となり、尚且つ「冥衆護持」民衆の力を得られるのなら、<br>皆好きにやる。「真心」へと向かう。自我に従って突き進む。機構が神になり、観念は形成される。<br>これはゴジラから人間の誕生である。何処へ向かうか、恐ろしくもある「超越者」の最たる姿だろう。</p>
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<pubDate>Mon, 13 Nov 2017 22:28:35 +0900</pubDate>
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<title>『白鯨』第四二章　鯨の白さ　その１</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171113/20/banghelp/7a/14/j/o0400022514069775852.jpg"><img alt="" height="225" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171113/20/banghelp/7a/14/j/o0400022514069775852.jpg" width="400"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>少し章を遡って書く。中編の冒頭だ。<br>白鯨の「白さ」が言いようのない恐怖「神秘性」を表していることを、メルウィブが例を出して証明しようとしている。<br>わかりにくいところはわかる出来る限り注釈をつけて、箇条書きにしてみる。<br><br>大理石<br>白磁(japonicas)<br>真珠<br>王朝ペグーの大王の称号「白象の王」<br>　※下ピルマを支配していたモン王朝の最上位、ペグーは国王の次の権威が軍司令官であり、現ミャンマーの政治体制はこれを引き継いでいると言ってもいい<br>シャム王室の「雪白の四足動物の意匠」の紋章<br>　※「アイラーヴァタ」と思われる。本質的にペグーと同じ。<br>ハノーファー王国の旗の「雪白の軍馬」<br>　※ブラウンシュヴァイク＝リューネブルク選帝侯領<br>　　ウィーン会議でドイツ連邦の加盟国としてハノーファー王国に、白鯨執筆当時には存在、1866普墺戦争で消滅。<br>　　馬はユニコーン、イギリスの国章からとっているので(ジョージ一世の同君連合のため)メルウィブのかさ増しにようにも思える。<br>神聖ローマ帝国の皇帝<br>　※マクシミリアン1世が白王と呼ばれる。メルウィブは白人が浅黒い連中の上に立つべき理想を表しているともする。<br>ローマ人が祝日を白い石で表現<br>花嫁の純血<br>老年の温情<br>ワンパム・ベルト<br>　※インディアンが使用していた白い貝殻のベルト、白人との接触の際には貨幣として使われたが、しばらくすると暴落し使われなくなった。<br>法官の白いガウン<br>王室の威光の掲揚目的の白馬の馬車<br>拝火教の白い火炎<br>最高神ゼウスが雪白の雄牛に変身した<br>　※ゼウス(ジュピター)は白い雄牛に変身してエウロペに近づき、クレタ島に誘拐した。「2010年宇宙の旅」はここらへんがモチーフ。<br>イロコォイ族インディアンがする真冬に「聖なる白犬」を生贄にする儀式<br>キリスト教の僧侶は白を意味するラテン語「albus」にその名が由来するアルブ「alb」もしくはチュニック「tunic」を法衣の下に着用する<br>聖ヨハネの幻視<br>　※黙示録四・四「また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた」<br>北極の白熊<br>赤道の白ザメ<br>アルバトロス<br>　※アホウドリのこと先程のラテン語「albus」の影響で「al-ghattas」が「Albatross」に変化した。<br>　　メルウィブは初めてアルバトロスを目にした時、天使を前にしたアブラハムのように頭を垂れたらしい。<br>インディアンの「大草原の白馬」伝説、野生の馬たちの大群をひきいて君臨するさまは、まさに「クルセクセス大王」であり西へ西へとすすむ「宵の明星」<br>　※ペルシャ王クルセクセス(前四八六頃―前四六五年在位)大軍を率いてギリシャ征伐の途につく。「３００」の敵将軍というとわかりやすいか<br>白子<br><br>頭をあまり使わなくて良いし、そこそこ楽しくて良い。疲れたらまた続きを書くことにする。</p>
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<pubDate>Mon, 13 Nov 2017 20:24:48 +0900</pubDate>
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<title>超人と超越者</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171112/21/banghelp/a2/ee/j/o0200026714069062997.jpg"><img alt="" height="267" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171112/21/banghelp/a2/ee/j/o0200026714069062997.jpg" width="200"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>似たような言葉だが、預かり所は正反対である。<br>「神は死んだ」<br>ニーチェ(1844-1900)の「ツァラトゥストラはかく語りき」での有名な言葉だ。<br>啓蒙の世紀に入り、軽んじられていく信仰、つまり擬似的に死亡した神、しかし神が死んだのならば、我々は何に従って生きていくのだろう？<br>ニーチェは自分の全ての行動を自らの意思で、自らが統率することに人の行き着く先があるとした。それが超人(Übermensch)の概念だ。<br>人助け、残酷、仕事、食事、性行為・・・全てが自分の考えであり、それに答えが出せる。無意味に行うことはできない、神がいないのだから。<br>２００１年宇宙の旅はこの「超人」の世界を描いた。<br><br>超越者というのは「transcendentalism」の言葉だ。<br>この考えは19世紀前半のアメリカで興隆した。これよりは少し前になるが、白鯨のハーマン・メルヴィルなどはまさにこれだ。<br>プロテスタントというと、ピューリタンのイメージが高等教育のせいでつきがちであるが、これよりもなんというか野心的で冒険的である。<br>超越主義というのが、どういうものかというと、別に宗教的なことに限ったことではない。<br>例えば。困っている人を助けたとする。それで「なぜ助けたのか？」と問われる。それに「人を助けるのに理由はいらない」と言うのがプロテスタントだ。<br>つまりは、考えるより先に道徳がくるのならば、これは人の中に無償の愛を授ける神が宿っている(一体化)に他ならないという解釈なのだ。<br>そしてこの道義は宗教・人種の垣根を超えることができるし、過去・現在・未来どの次元の人間の中にも確実に存在し、人だけでなく自然の中にも、生命全てに存在する、「永遠の一つ」だ。<br>ならば、この意識にさえ従っていれば、最終的には神に行き着く・・・とまではいかなくても、限りなく近づける、これが「超越主義」である。<br>宣長学で言えば、この意識は「真心」となる。次元の概念も「上代」と「後代」という言葉で表現されている。<br>異なる点は、これは「皇国心」にのみにもたらされ、つまりは天照大神も絶対的一君主も存在しない外国には具現化しようがない、という「日本至上主義」の考えと直結していることだ。<br>道教ならば、それは道(タオ)で、この真理に達するのが「仙人」だ。ここらへんは特に誤用が多い気がする。<br>しかしどうも、これが儒教に覆いかぶさってくることはほとんどない。いやそもそも、道教の反対側に儒教が存在しているわけではない。儒教は特殊だ。話が長引きそうなので置いておくが<br>では、仏教ならどうか、もっとも仏教はかなり多様な解釈があるが、一つの答えとしては(具体的に言うなら大谷学派)、まず人間は「自力」で悟りを為そうとする。しかしほぼ必ず壁にぶち当たる。<br>それは人にとって不可能に近いからだ。そして「無力」を味わう。そして、その限界に達した先に「他力」との出会いがある。こういったロジックだ。<br><br>もはや、「シンギュラリティ」の提唱でこの行き着く先は、夢物語などではなくなってきた。遠からず必ず行き着く。<br>だとするなら仏教でいう「壁」は、超えつつあると言っても良い。問題となるのは、我々は一体超人になるのか、それとも超越者になるのか<br>しかし、過程はかなり違うとは言え、終着は似たり寄ったりなのかもしれない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/banghelp/entry-12327839557.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Nov 2017 21:06:44 +0900</pubDate>
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<title>真俗二諦</title>
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<![CDATA[ <h1><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171110/18/banghelp/19/f0/j/o0188026814067501247.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="268" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171110/18/banghelp/19/f0/j/o0188026814067501247.jpg" width="188"></a></h1><div>&nbsp;</div><p>仏教は聖徳太子(厩戸皇子)が「和をもって尊しとなす」考えから日本に取り入れ、ここから広まっていったというのが一般的だ。<br>言わば皇室側から認可された国体即仏法の状態で、法然が登場、親鸞が浄土真宗を開き、日蓮・・・<br>これを切り離そうと試みるのは、本居宣長など国学で仏教を否定した人物まで待たなければならない。<br>「漢意」と言った外来思想が流れてくる前の、「皇国心」に戻そうという考えだ。<br>とは言うものの、本居宣長も熱心な浄土真宗の家の出であった、つまり結局は「他力」の思想だ。<br>そこで「真俗二諦」という解釈が登場してくる。<br><br>「真俗二諦」という言葉は仏教用語で、宗派によっては多少解釈が異なるが、<br>「真諦」は、仏教的な世界、観念的なもの。<br>「俗諦」というのは、とは言え、世間に出たら仏法よりは法律であったり世間(国)の取り決めに従うことだ。<br>今風に言えば、いくらネットで好き放題やろうが、世間に戻ったらその鞘に収まるといったところか<br>宣長の考えだと「真諦」は漢意で、「俗諦」が大和心となる。<br>このような二分法的な考え方は、主に浄土真宗によって既に確立されていたというわけだ。<br>しかし、これだと個人の観念などを切り離すのならば、そもそも世間(国)とは何が作り出すのか？というところが問題になる。<br>それを作り出す物こそ、親鸞が強く唱えた「他力」である。「冥衆護持」こそがこれに誘う。<br>だから民衆は「一君万民」、平等なんだ、ということである。<br>他力とは外側にある力、カトリックと同じである。異なるところは「選択的な一神教」であることだ。<br>だから、宣長にとってそれは天皇で、国学によって引き継がれおそらくは終戦までそうであり続けたし、時には解釈で軍部に変わったりした。</p>
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<pubDate>Fri, 10 Nov 2017 18:16:57 +0900</pubDate>
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<title>ロックスター</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171109/20/banghelp/9b/01/j/o0355035514066904830.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="220" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171109/20/banghelp/9b/01/j/o0355035514066904830.jpg" width="220"></a></p><p>子供の頃は桑田佳祐が好きだった。今でも意味がわからない。親の影響だと思う。<br>特に「とおりゃんせ」だとか「ヨイトマケの唄」は、好きだった。<br>しかし桑田佳祐は、イデオロギー的にはよくわからない、政権批判したのかと思えば、百田尚樹の映画の主題歌を提供したりする。<br><br>デヴィッド・ボウイはこの点で、死んだ今でも物議を呼んでいる。<br>ナチスをモチーフにしたライブ、そして「ヒトラーは、ロックスターだった。」という発言。<br>しかし、これだけだと意味がわからない。ヒトラーの何がロックスターなのだろうか？<br>どこかの医院長みたいに「アウシュビッツもホロコーストもなかった」だとか歴史修正発現をしているならまだしも、不十分だ。<br>理解するには、デヴィット・ボウイにとってのロックスターとは何だったのかを探る必要がある。<br>そこで、二つの曲の内容を取り上げてみることにする。<br><br><br>Starman</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/tRcPA7Fzebw" width="416"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p>五作目のアルバム「ジギー・スターダスト」からの代表曲である。<br>このアルバムは架空のスーパースター「ジギー」の成功から没落を、曲によって一つの物語に構成している。<br><br>　何時(なんじ)だったか覚えてないけど 陽は低かったな<br>　僕は流れるラジオに気を取られてた<br>　どこかの男がロックについて 持論を主張しながら<br>　“もっと溢れるロック魂をくれよ！”って言った時<br>　ラジオの大きな音が次第に消えてく感じがして<br>　ゆっくりした声みたいなものがフェーズに乗って戻ってきた<br>　それはDJのものじゃなくて 漠然とした宇宙のスウィングだったんだ<br><br>ロックはここの「DJ」が声高に叫ぶようなものではない。じゃあ何か？「宇宙からくる」<br>結局漠然とした形であるが、それこそがボウイが求めているもののような気もする。はっきりしないのだ。<br><br>★(Blackstar)</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/kszLwBaC4Sw" width="416"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p>この作品は、ボウイの遺作となった作品だ。亡くなる二日前にリリースだというのだからもはや何か取り憑いている。<br>１０分に渡って、詩的に問がくりかえされる。これからただ必要な箇所を抜き出しをするなんて、悍ましい行為な気もする。<br>彼は、最後までロックスターとは何かを求め続けた。<br><br>　なぜだか答えられない　（俺はブラックスター）<br>　俺と一緒に行こう　（俺は映画スターじゃない）<br>　君を家まで連れて行く　（俺はブラックスター）<br>　パスポートを持って　靴を履いて　（俺はポップスターじゃない）<br>　鎮静剤も　（俺はブラックスター）<br>　君は一瞬の輝きで終わる　（俺はコミックスターじゃない）<br>　俺は偉大な俺なんだ　（俺はブラックスター）<br><br>オーメンだの言いながらブラックスターを名乗った割に、「家まで帰してやる。パスポート持て、靴を履け」<br>やけに親切なやつである。彼のイコンと人物が一致していると思えない。<br>そして「彼」が死ぬ(この人物かはわからない)明らかにボウイ自身の死だ。そしてブラックスターが生まれる。<br><br><br>彼の彼らのロックスターというのは、主義だとかそんなことは二の次なのだ。注目を浴びること自体が重要だ。ヒトラーにひかれたのも、おそらくそれだけだ。<br>生肉まみれの服を着たり、不倫したりに大した意味があるわけではない。<br>もちろん、彼らにも主張はあって、ボウイの場合は「スペースオデッセイ」にそれがよく出ていた。だが、強く出すことはない。<br><br>ボウイはこんなことも言っている<br><a href="http://rollingstonejapan.com/articles/detail/25418/1/1/1" rel="external nofollow noopener" target="_blank">rollingstonejap..ail/25418/1/1/1</a><br>「この頃、ロックンロールに失望してるんだ。あらゆるメディアの影響力を利用してプロパガンダをまき散らし続ける、腰の重い非生産的なファシストみたいになる危険をはらんでいる。<br>思考のレベルや知性の明晰さを支配し決定してしまうから、向上できなくなるんだ。もう、どのラジオもベートーベンなんて流してないだろ？ 聴くならオージェイズだ。」<br>まさに今のほとんどのメディアは「思考のレベルや知性の明晰さを支配し決定」してしまっている。<br>だから、ネットの世界ではボウイ・ダルビッシュ・プーチン、観念で何にでもなれるし、何も生み出せない。<br>自分自身が向上することなんて、どうでもいい、クラシックはいらない、本もいらない。自分は一日「こなせればいい」。<br>しかし、ボウイはその対象であるスターに意味を求め、スターであり続けた。それが彼の残した物、ブラックスターなのかもしれない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/banghelp/entry-12327012826.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Nov 2017 20:37:32 +0900</pubDate>
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<title>『白鯨』第71章　ジェロボーム号の物語</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171108/18/banghelp/04/a5/j/o0800096914066136479.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="266" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171108/18/banghelp/04/a5/j/o0800096914066136479.jpg" width="220"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>物語の盛り上がりがあるところについて書くと、だいたいそれになぞって書かざる負えなくなる。前章のスフィンクスはまさにそれだ。<br>ではなぜ書いたのか、というのはこれから続く話が興味深かったからなのだが、すぐにそれとは違う内容ながらも重要な章が来てしまった。<br><br>白鯨の捜索を続けるピークォド号であるが、洋上で同じナンターケット所属の捕鯨船ジェロボーム号に遭遇し、ボートを出して連絡を取り合う。<br>しかし、ジェロボーム号には(いかさまの)狂信的大予言者として名高いガブリエルが乗船していた。<br><br>船の名前の「ジェロボーム」は北イスラエルの王「ヤロブアム*1」のことだ。<br>ガブリエルは言わずもがな、あの大天使ガブリエルからだ。ガブリエルの権威はもはや船長のメイヒューを上回っている。<br>信じがたいが、このガブリエルは大洋の島々、全オセアニア教区の大司教になるためにジェロボームに潜り込み、<br>自身に従わなければ「七つの巻物の封を切って、ハルマゲドンをもたらし船も乗組員も永遠の破滅の縁に沈める。」と<br>黙示録になぞらえて、船員を脅した。天使のラッパを鳴らすぞ、というわけだ。<br>地上ならまだしも、捕鯨船という生きるか死ぬかの極限状態では、これは船員に効果覿面であった。<br>しかも直後に疫病が発生したようで、ガブリエルはこれをペストとし、治せるのは自分だけだとした。<br><br>―だがそんなこと、エイハブには関係ない、白鯨の情報がほしい、白鯨のためなら疫病も恐れはしない、船長をピークォド号に招き入れようとする。<br>ガブリエルは「忌まわしいペストに心せよ！」とエイハブを脅す(疫病がペストではないと察知されるのを懸念したのかもしれない)<br>「貴殿は白鯨を見たか？」ボートごしにエイハブが質問する。<br><br>ガブリエルは白鯨を自身が信奉するシェイカー教の神の化身であり、聖書もこれを認めているとした。だからジェロボームの乗組員に白鯨に攻撃してはならないと「警告」した。<br>ところが、乗組員の中に白鯨との対決を熱望しているメイシーという一等航海士がいた。彼は白鯨が見えると五人の部下と共に出撃する。<br>メイシーは白鯨に銛を一本打ち込むことに成功するが、海から白い幻影が立ち上がり、その瞬間に彼らは体ごと空中にさらわれ、次には海に打ち付けられ沈んでいった。<br>ガブリエルは金切り声をあげる「天罰だ！天罰だ！」<br>天罰というのは質の悪い言葉である。悪いことでも、都合の良い解釈になる。思うに無神論者が使うとさらにひどい。<br><br>エイハブはこの話を聞いてメイシー宛の手紙があることを思い出す。<br>(どの捕鯨船も海上で出会うという僅かな偶然にかけて、さまざまな船あての手紙を預かり出港する。)<br>メイシーの女房からの手紙だ。エイハブは船長に渡そうとする。<br>「きさまが取っておけ。きさまも、もうすぐあそこへ行くのだからな」と、撥ね付けるガブリエル<br>天罰で死んだ奴に船員が憐れみを覚えては、ガブリエルに都合が悪いのだろう。<br>「おのれ、ほざくな」エイハブは怒鳴るのだった。<br><br>結局ながながと書いてしまったが、何か理解に不十分だ。この章はメルウィブにしてはメタファーを直接的に書きすぎているし、何かどこかに深みがあるのだろう。<br>やはり偽の天使ガブリエルが引っかかる、もしかしたらガブリエルを通して偽典批判でもしているのだろうか？<br>いや、今までメルウィブは賛美こそすれ、どんな宗教にも批判など全くしていなかった。それをこんな突拍子もなく・・・<br>とまで考えて、ようやく気づいた。これは今までのように多様性を許容していた「ピークォド号の物語」ではなく、イスラエルの邪悪な王を冠す「ジェロボーム号の物語」の悪例だ。<br>きっとメルウィブは、自身の作った箱庭外の現実を見て嘆いている。そして、より彼自身の理想を、さらに高く掲げていく。</p><p><br><br>*1</p><p>&nbsp;&nbsp; <a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171108/18/banghelp/2a/38/j/o1040080014066137722.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="169" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171108/18/banghelp/2a/38/j/o1040080014066137722.jpg" width="220"></a></p><p>名前が既に「人々の争い」を意味している。ソロモン王の死後、１０の部族を扇動し、北イスラエルの初代王となる。<br>その後は北と南を統一するために「God is with us as our leader」(神は我等と偕にす)という有名な一文と共に軍を動かす。<br>しかし、エルサレムを統治していたアビヤムの抵抗により失敗に終わる。</p>
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<link>https://ameblo.jp/banghelp/entry-12326697538.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Nov 2017 18:27:04 +0900</pubDate>
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<title>英雄観</title>
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<![CDATA[ <h1><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171107/18/banghelp/46/f4/j/o0600084814065381520.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="311" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171107/18/banghelp/46/f4/j/o0600084814065381520.jpg" width="220"></a></h1><div>&nbsp;</div><p>子供の頃の好きな英雄は、楠木正成であった。日本でもっとも多勢に無勢なのにも関わらず勝利したのは彼だから最強であるし、<br>絶望的ながら最後まで忠義を通した姿も、人格的に優れていると感じた。<br>しかししばらくすると、それが結構に狭義な価値観なんだな、ということがわかってきた。<br>ナポレオンなんかは数の絶対的な強さで欧州を蹂躙していき、おそらくは最後まで権力に固執していたし、<br>ハンニバルのカンナエの戦いも、ローマ軍に対して数で劣っていたとはいえ、兵力あればこそ活きるような戦い方であった。日本の決戦論とはほど遠い。<br>劉邦は戦術ではなく戦略的に項羽を破り、しかも皇帝に即位してからは、その一面を隠すようになった、野蛮な農民上がりと見られることを恐れたからだ。<br>そういったことを知っていくにつれ、どっちが優れているかということより、<br>なぜそう至ったのか・何を残したのかが気になり、好きとか嫌いとかいうのは考えることもなくなった。<br>僕が小・中で読み漁った司馬遼太郎から学んだのは、そのぐらいである。だから彼の本はほとんど面白くなくなった。<br>彼らは自分にとってただの人間で、英霊観というのは自分の中では淘汰されるし、淘汰されるべきだと思っている。<br>だがそうやっていると、彼らは人間ではない何かを残して、いつの間にかどこかに行ってしまう。主体性が欠ける、投げやりになる。<br>やはり何かしら好きにはならないといけないような気もする。人間を作らなければ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/banghelp/entry-12326411081.html</link>
<pubDate>Tue, 07 Nov 2017 18:12:14 +0900</pubDate>
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<title>『白鯨』第７０章　スフィンクス</title>
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<![CDATA[ <h1><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171106/19/banghelp/71/73/j/o0940058814064708083.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="138" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171106/19/banghelp/71/73/j/o0940058814064708083.jpg" width="220"></a></h1><div>&nbsp;</div><p>仕留めたマッコウ鯨が吊るされている(と言っても頭が半分海から出ているだけだが)<br>―この血潮したたる頭を腰に吊るしたピークォド号は、さながらアッシリアの武将ホロフェネス*1の首を腰帯からぶら下げたユダヤの寡婦ユディトのごとくであった。<br>アッシリアはセム語族の国だ。アブラハムの息子達とユダヤの戦いは今に始まったことではない。<br>この「頭」に、黒頭巾をしたエイハブが問いかける。スフィンクスとはエイハブのことだ。<br>「ひげこそたくわえていないが、苔むす頭は古老をしのばす。語れ、大いなる頭よ、語るのだ。その頭にひそむ秘密を。数ある潜り手(ダイバー)のなかで、おぬしほど深くもぐったものはない。<br>いまそのうえに太陽かがやく頭は、この世の奈落も見たはずだ。そこは歴史に名をとどめることなかりし強者どもの鎧やいくたの船が錆つき、<br>語らざりし夢と錨が朽ち果て、地球というフリゲート艦*2が何百万もの水死者の骨を底荷(バラスト)がわりにおさめる呪われた船艙だ。」<br>エイハブは問答を続けるが、「頭」が答えることはない。<br>「おお頭よ！おぬしは、星もくだけ、アブラハムすら信仰を失うほどのことどもを、いやというほど目にしていながら、何ひとつ語りはせぬ！」</p><p><br>スフィンクスが「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か」という謎を出し、間違っていたものを食べていたのは有名な逸話だ。<br>しかし、これに正解せずとも逃れる方法があった。それは「答えないこと」だ。不答に相対すれば不問に帰す、罰を与えることができない。<br>そもそも、相手は「頭」ではないか？いや、「鯨」と知恵比べなどできるはずはないではないか？<br>エイハブにとっては違う、エイハブにとっても違う、それを不答にすることが出来ている。エイハブは聖パウロに感謝する。<br>「おお、自然よ、おお、人間の魂よ！おぬしら自然と魂はなんと言語を絶した微妙な照応関係でむすばれていることか！物質のなかの微小きわまる原子の動きや営みに微妙に対応類似するものが魂のなかにあるものなのだ」<br><br>*1旧約聖書外典「ユディト記」から　ホロフェネスはアッシリアとメディナの戦いに協力しなかった諸民族を懲罰するために派遣されてきた将軍<br>ホロフェネスはペトリアという町を包囲する。その最中、ユディトという美しい女性がやってきて、ホロフェネスは喜んで歓迎したが、彼女は酒宴が終わり泥酔しきっていたホロフェネスの首を短剣で切り落とした。<br>司令官を失い動揺する包囲軍に対して、ユダヤ人は攻勢に出て、アッシリア軍は敗走した。<br>メルウィブには珍しくプロテスタントにとっての外典(アポクリファ)から引用している。彼はそこらを超越「しようとしている。」</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171106/19/banghelp/b3/60/j/o0500037114064708929.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="163" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171106/19/banghelp/b3/60/j/o0500037114064708929.jpg" width="220"></a><br>*2戦艦という認識でいい。「力」の象徴として取り上げている本書では「核」への置き換えも適切だ。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171106/19/banghelp/d3/54/j/o0250016214064709608.jpg"><img alt="" height="162" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171106/19/banghelp/d3/54/j/o0250016214064709608.jpg" width="250"></a></p>
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<link>https://ameblo.jp/banghelp/entry-12326153914.html</link>
<pubDate>Mon, 06 Nov 2017 19:54:06 +0900</pubDate>
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