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<title>時代侍のブログ</title>
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<title>ネズミ講</title>
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<![CDATA[ <p>妻との恋愛は前に書きましたね。</p><p>私は１９歳の時、建設機械のリース会社に入り、整備しとして、地道に仕事していました。</p><p>地道とは言っても性格上イケイケ的な感じで、仕事していました。</p><br><p>自分でも解るんですけど、まいにち成長している自分と、周りから期待されている事は理解していました。</p><br><p>１年くらいたった頃、彼女から友達の彼氏か、話あるから今度、どこどこに行こうって言われました。</p><p>何もうたかいなく、変な事務所に連れて行かれ、変なはなしを１時間くらい聞きました。</p><br><p>まあいわゆるねずみ講みたいな話ですね。人に夢をあたえて、お金をもらえるなんて事言ってたね。</p><p>自分は全く興味なくて、ふーん、自分はいいわって言っていたんですけど、彼女は友達だけお金持ちになって、自分もチャンスつかんでほしいって言われました。正直全く信じていないし、興味もなかったけど、</p><p>初めは仕方なく始めた感じですかね。</p><p>次第に、時間たつにつれて、その頃の仕事にも支障出てきましたね。</p><br><p>それから半年もしないうちに、そちらの方に力をレて行くようになり、仕事を辞める事にりました。</p><p>１年ちょとで、一つの営業所任されるくらい、実績あったし、辞める時も、色々な人から、引っ張られましたけど・・・・・</p><br><p>結局辞めてから１年もしないうちにねずみ講もうまくいかず辞めてしまいました。</p><br><p>皆さんも決していい話はないし、変な人についていくと、断れず、自分自身を売る事になる事も多いですよ。</p><br><p>結局その後親戚の仕事を手伝う事になり、それを、今現在もやっています。</p><br><p>２６歳の時自分で独立して仕事を始めました。</p><p>順調でした。彼女ともうまくいっていましたし、仕事も沢山ありました。</p><p>あるひ、生き苦しい感じしたり、不安感かつずいたので、病院に行ったんですけど、異常ないと言われ</p><p>暫くしてまた体に不調を感じましたので病院に行っても異常ないって言われました。</p><br><p>こんな事を繰り返しているうちに、ある知り合いに言われました。精神的な病気じゃないかって・・・・・・</p><br><p>何か自分もあてはまると事ありましたので、精神科に行く事にしました。</p><p>精神科の先生に言われました。０００００シンドロームです。</p><br><p>あーやっぱり精神病なんだって思いましたね。</p><p>今では、ストレスとか・鬱病は普通に言われてますけど、２０年前はあまり聞き慣れなかった気します。</p><br><p>自分はその病気とずっと付き合う事になりました。</p><br><p>症状としては、心房細動・不安感・生き苦しさ・不眠症など様々でしたね。</p><br><p>結構自分の中で、かまんしてしまうところありますから。</p><br><p>薬を飲めば、基本的に落ち着きました。</p><br><p>まあそんなこんなで婚約をし、結婚資金ためるために仕事とは別によるアルバイトしていました。</p><br><p>漫画喫茶でしたけど、男性は私一人、後は女性でした。</p><br><p>そこで働いている時、みんなには婚約している事はなしていましたけど、ある大学生は英検受かったら食事言って下さいとか、かっこいいとか、マアもてました・・・・・・</p><br><p>人生１度はモテキあるって聞きますけど、モテキだったと思います。</p><br><p>でも浮気はしそうでしなかったです。</p><br><p>そして無事結婚することになりました。</p><br>
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<pubDate>Fri, 17 May 2013 22:58:19 +0900</pubDate>
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<title>人生の楽しさを知る。</title>
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<![CDATA[ <p>小さい頃両親は共働きで、いつも４つ上の兄と、小学校から帰ってくると、玉子をお椀に入れて、電子レンジで　　チン　　するとゆで玉子のクチャクチャバージョンになります。</p><p>マヨネーズで混ぜて、飯と一緒に食べていました。</p><br><p>話は戻ります。高校２年生になり、生活にも慣れてきた頃です。</p><p>クラスに頭はいいんですけど、遊び好きな友人かできました。</p><p>どんな人か？</p><p>家は裕福で、甘やかされてて、お金には不自由なく、家に遊びに行くと、漫画・は毎週５冊はかっていましたね。</p><p>月２・３０冊はあったと思います。よくファミレスに行って、こちそうになりました。</p><p>その友達から教えてもらった事は、マージャンです。</p><p>週に２回くらい彼の家に行ってはマージャンやっていました。お金も少しかけていましたね。</p><p>今までまじめに生活していた自分にとって、おもしろいって思う事の一つでした。</p><p>ただ、煙草を吸う人いたから、正直煙かったです。</p><p>絶対に煙草は吸いませんでした。</p><p>２年になって、成績は一気に下降していきました。赤点ばかりになってしまう事に・・・・・</p><br><p>彼は、時業を真剣に聞いていたので、実際に遊んでいても、常に成績は優秀でした。</p><p>２年生は勉強より遊びに徹していましたね。</p><p>３年になり、大学をどうするかって、話題になったんですけど、自分は何とかなるでしょ、受かる所に行けばいいや、なんて気持ちでした。</p><br><p>３年になり原付バイクの免許取りに行きましたけど、１回目は滑りました。</p><p>滑って５日め位に同級生で、先生にチクルやついて、いきなり職員室に呼ばれ、体くの先生に、溝おちを</p><p>けりで１ぱっつくらい、壁まで吹っ飛びました。</p><p>まじ痛かったです。今なら先生は首になるんじゃないですかね・・・・</p><br><p>むかついたので、それから１月以内に免許取ってやりました。取ってもいないのに吹っ飛ばされたんだから、とってもいいでしょ・・</p><br><p>高３の半ばからは原付きで通っていました。結局２・３日に１回はマージャンをしに行く事をつずけていました。大学入試ですか？？？</p><br><p>私は１１校うけてすべて落ちました。浪人です。</p><br><p>友達はみんな行きたい所に受かりました。まあ将来したい仕事なかったから、いいんですけど・・・・・</p><br><p>高校卒業してから、アルバイトしなから、また遊んでいました。</p><br><p>高校の連れとパチンコ行ったり、ドライブしたり、ナンパしたりまあ充実した１日を暮らしていました。なにせ</p><p>いえでじっとしている事は苦痛でしたから、夜中でも徘徊していました。</p><br><p>卒業した年の夏海によく行きました。</p><p>僕は汚い性格で、ともだちナンパしてきて、僕はクールいカッコつけていました。</p><p>そして、気に行ったこと２人になると面白い事って、女の子にあ・・このひと本当は面白いんだって</p><p>おもわせて、気に行ってもらう事多かったです。</p><p>正直・童貞だったので、相手から求められても、答える事はできなかったんですけど・・・</p><br><p>今思えば、もっと・・・・</p><br><p>そんな感じで夏も終わり頃、妻との出会いになったんです。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/bantyan4378/entry-11531998391.html</link>
<pubDate>Fri, 17 May 2013 03:45:00 +0900</pubDate>
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<title>厳しい高校生活</title>
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<![CDATA[ <p>無事に公立高校に入る事出来た私は、過去のいじめなどを早く忘れ、高校生活を楽しみたいと思っていました。</p><br><p>入学式の日に自分のクラス発表あり、自分のクラスに行く時、ドキドキしますよね。</p><p>同じ学校から６人しか行かなかったので、同じクラスには当然いませんので、中学校のときを引きずる事はないと感じていました。</p><br><p>１年生になりできるだけ勉強する事にしました。</p><p>せっかく勉強することに慣れていたので、かんばろうとおもっていました。</p><br><p>初めはクラスで真ん中位にいましたけど、後半には徐々に落ちて行きました。</p><p>高校生活は楽しかったです。</p><p>誰もいじめません。毎日平凡ですけど、楽しい日々でした。</p><br><p>今の人たちは、携帯やコンビニ、など通勤時間も楽しめる事出来るでしょうけど、</p><p>私の高校時代は、コンビニはもちろん、携帯も聞いたこともありませんでした。</p><p>ポケットベルもない時代だと思います。</p><p>毎日家まで何も買う事もなく、帰っていました。</p><br><p>でも楽しかったですね。今の人は楽しいんですか？もしスマートホンとかコンビニなくて、毎日通えますか？</p><br><p>便利になればなるほど、人としての楽しみ方や、付き合い方、色々な事変っていくでしょうね。</p><br><p>知らない人たちを友達と思って、ツイッター・などをしていることすら、理解できないときあります。</p><br><p>昔は言葉で話す事で、相手に気持ちや思いを伝える事出来る</p><p>今はメール・スタンプなど言葉ではない手段で会話する事当たり前なんですね。</p><br><p>話変わります。</p><br><p>高校２年の時クラス変えで、自分の人生を大きく変えていく友達に出会う事になりました。</p><p>まじめ一方な性格な私を大きく変える事になりました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/bantyan4378/entry-11531659520.html</link>
<pubDate>Thu, 16 May 2013 17:02:35 +0900</pubDate>
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<title>いじめに耐える事</title>
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<![CDATA[ <p>私は６年生まで、普通の生活をしていました。</p><p>普通とは言っても、兄弟多かったので、着るものはすべてお古でした。</p><br><p>中学生になり、１月位経った頃です、小学生の時にいじめていた友達から呼び出され、</p><p>校舎の裏に来いと言われました。</p><p>校舎の裏に行くと１年から３年のヤンキーたち１０人くらいいて、囲まれて、ぼこぼこにされました。</p><p>校舎の裏なので、周りや先生もきっときずいていたと思います。</p><p>結局昔も今も先生の半分は、公務員だからとか、安定するからなんて気持ちで、ドラマみたいに</p><p>自分をきせいにする先生は少ないんでしょうね。</p><br><p>私は顔はほとんど傷なかったので、家まで半分なきなから帰りました。</p><p>家に入るときは、絶対に誰にも解らないように普通にふるまう事にしてました。</p><br><p>なぜか？？？</p><br><p>毎日通うのは自分だし、仕返しも怖い、誰も信用できない状態でした。恐怖心で心はおおわれていました。</p><p>それから暫くはいじめにあっていなかったと思います。</p><p>自分の親戚にヤンキーではないですけど、ドラえもんでいうジャイアンみたいな存在かいて、</p><p>ある程度かばっていてくれた記憶あります。</p><br><p>２年生になり、いじめはひどくなりました。</p><br><p>その頃ヤンキーはほかの学校のヤンキーとケンカするとかはおおかったんですけど、</p><p>私の中学ではツッパリではなく隠れヤンキーみたいなやつしかいなかったです。</p><br><p>周りの学校か強いから、かなわなかったんでしょう。</p><br><p>どんないじめか、例えば、教科書借りて来い・・・</p><p>借りてこないとトイレでなくられました。</p><p>そのうち、私の教科書を持って行かれ、私は先生に何時も叱られていました。</p><br><p>私のてに、女性の性器のえをかいてあいつにこれ何か聞いてこいといい、</p><p>辱められることもありました。</p><p>彼らには、罪悪感はありません。対象になれば面白いからいじめる。</p><p>別にばれたからと言って犯罪者扱いや、死刑になるわけでもないでしょうから・・・・・</p><br><p>最近大きな事件ありませんね。いじめは今でも普通におきてます。</p><p>いじめられると自分は生きる価値ないとか、生きていても何もいい事ない、死にたい、なぜ生まれてきたのか、など　　不のスパイラルに入って抜ける事出来なくなります。</p><br><p>私は何度も、死にたいと思い、実行に移そうと思ったこともあります。でも、何か解らないもので、きずかされました。</p><p>母親に、おなか痛いから休むとか何度言った事でしょう。</p><br><p>ゆいいつそんな私にも何時もきにして、一緒に帰ってくれた友達何人かいました。</p><p>今でも感謝しています。命の恩人です。</p><br><p>３年になった時、先生にお前はこんな成績では私立高校もいけないぞ、そう言われ、</p><p>私立にいくことすらまたいじめられるって思っていて、何とか公立に行きたい・・・</p><p>３年の１学期後半頃から毎日６時間くらい勉強しました。</p><p>３年になりいじめは、かなり減りました。２年の時は毎日でしたけど・・・・・</p><p>何とか公立高校に受かる事出来、卒業出来ました。</p><br><p>つらい思いをしている人いるなら、自分をせめる必要ないです。</p><p>みじめで、さみしく人に愛される事もない人間だからこそ、いじめる事を何とも思わないだけです。</p><br><p>そんな奴らは年を取れば、人から嫌われ、悪い道に行き、いつかは野たれ死ぬ・・</p><br><p>そう思えばいいんです。死ぬ気持ちあるなら、勇気を出して、戦う事を進めます。</p><br><p>こうして、私は１５年間生きてきました。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/bantyan4378/entry-11531284171.html</link>
<pubDate>Wed, 15 May 2013 23:23:13 +0900</pubDate>
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<title>生を受けて</title>
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<![CDATA[ <p>私は昭和４３年　　</p><p>愛知県に生まれました。</p><p>私の父・母・は両方とも、地主の家系で生まれ、何不自由なく結婚するまでは生活していたそうです。</p><p>しかし父は長男で母とお見合いをして気にいったんですけど、父のお父さんは反対だったらしく、</p><p>駆け落ちして結婚したそうです。</p><br><p>当然勘当されました。戦争に行った経験あり、まだ日本じたい複雑な時代背景だった時でしょう。</p><p>駆け落ちしても夫婦２りで子ども沢山作り、かんばっていました。</p><p>大手企業に行き４０年間勤めました。</p><p>５年前に亡くなりましたけど、私は一番末っ子でしたので、本当にカワイかってくれました。。</p><br><p>亡くなった父には今でも感謝しています。</p><p>母は今でも、けんきに生活してます。</p><br><p>末っ子に生まれた私は、小さい頃沢山甘やかされました。</p><p>兄弟にはかわいかってもらい、母親はとにかく私にべったりでした。</p><p>でも父は仕事から帰ると、お酒を１日１升ビンあけるくらい飲んでは、毎日２時間くらい説教を受けていました。</p><p>酔っ払っている人はたち悪いです。</p><p>まいにちおんなじことをいうんですから。</p><p>こどもなから、家に帰る前に入り口で中の様子をみて、夜勤のときは昼ころ飲んでいるので、私の帰る３時頃は寝てるか、飲んでるか確認しないと解らなかったんです。</p><p>子どもなので正直恐かったです。</p><p>前に聞いた事なんですけど、高校生の時兄は、あまりに酒買ってこいとか、言うので包丁で刺そうとした事あったそうです。</p><p>ぼくも、中学の時は死んでしまえばいいのにって、思っていました。</p><p>母にもあたる事みていましたので・・・・・</p><br><p>兄弟に何時も面倒見てもらっている私は、甘やかされていて、いつも姉にお風呂一緒に入ってもらっていました。小学高５年までかな・・・・・</p><br><p>小３の時皆さんは、聞いた事あると思います。</p><p>インベーダーというけーむあったんですけど、１回１００円します。</p><p>母親の貯金箱から毎日３・４００円取って、遊んでいました。今思うと最低な子どもですね。</p><p>兄弟は４つうえに兄いました。</p><p>小４位の時は、いじめっ子になっていました。兄いる事で、威張っていたんでしょう、気にいらないと</p><p>無視していましたし、ケンカもした事あります。小さいから、悪い事なんて意識はないですね。</p><p>今の子どもは成長早いので、解ると思いますけど、昔は、アホな子多かったので、解りませんでした。</p><br><p>そんな生活を６年生までしていきました。中学に入りとんでもないしっぺ返し似合う事になりました。</p><p>人生波乱万丈の始まりです。</p><br><p>今でも思います。普通の生活する事は難しいなって・・・・・</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/bantyan4378/entry-11530612486.html</link>
<pubDate>Tue, 14 May 2013 22:40:34 +0900</pubDate>
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<title>感謝の気持ちです。</title>
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<![CDATA[ <p>多くの皆様から、その後どうなったのか？とか</p><p>私の人生について沢山の意見ありました。</p><p>これから、私の半生。</p><p>妻を亡くしてかからの、人生観の変化や、生きることへの思い。</p><p>人に対して、どのように付き合う事出来るか、思う事。</p><p>色々書いていきます。</p><p>今まで、他のブロクにも掲載していました。</p><p>これからは、アメーバだけにします。</p><p>お楽しみください。</p>
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<link>https://ameblo.jp/bantyan4378/entry-11530383295.html</link>
<pubDate>Tue, 14 May 2013 17:12:24 +0900</pubDate>
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<title>命の灯ー消える光ーのこされたもの</title>
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<![CDATA[ <p>１１月始め、症状は最悪です、体中に痛みを感じ、耐えることに必死な状態です。</p><p> </p><p>食べる事も人ンど出来ない状態でした。何時命尽きてもおかしくない状態でした。</p><p>でも妻は、生きる事に執着していたんでしょう。どんなにひどい状況でも、耐えていました。</p><p>もう病院に行きたくないとも言っていました。</p><p>病気になってから、もう２０キロは痩せていたと思います。</p><p>１２月始め、腸閉塞になり、入院する事になりました。私はもう最後の時来たんだなって思いました。</p><p>入院して、点滴・で栄養取ることしかできず、１日に１回は履いていました。</p><p> </p><p>１日・１日・妻は動く事すらままならない状態に陥っていました。</p><p>この入院～１０日目位に子どもを連れて行きました。</p><p>妻はこれ以上痩せる事ないほどになっていました。</p><p>まだ２歳半の子どもは、妻を見ても、自分のお母さんと、思えないほど、近寄っていきません。私は、ママだよって</p><p>こちらを向かせ、読んでいると下をむきなから、妻のもとに来ました。</p><p>甘える事を忘れているのか・こどもなから気を使っているのか・・・・</p><p> </p><p>つらい場面です。この後妻は病室に戻り、ウンチ出ない事か気にいらないみたいで、トイレ行って出してくる</p><p>そう言って、トイレにいき、出てきて、でない・・・・そういって・・・布団でふて寝していました。</p><p> </p><p>私は、寝ている妻を置いて帰りました。</p><p>つきのひ、病室に行って驚いたのは、病室に妻かいなかった事です。私はもしかして・・・そんなきもち・・・・</p><p>そしたら、隣の患者さんか、昨日の夜、おなか痛いって騒いでいたから他の部屋に行ったみたいですよ・・</p><p>そう言われました。看護婦さんに病室聞いてら個室に移動しました。そう言われ、</p><p>案内してもらい妻の所に行きました。昨日まで話で来ていたのに、もう意識薄れて話す状況ではなかったんです。</p><p>看護婦さんは、夜中に痛くてさわきだしたんで、モルヒネでいたい止めています。これから個室になります。</p><p>止まることもできますので、言って下さい。そう言われました。</p><p>もう時間です。</p><p> </p><p>この後２週間妻は生き続けました。かんばりました。命のひを燃やしつくしました。</p><p>彼女は本当に強く、今でも私は彼女だから、今生きる力もらっていると思います。</p><p>２週間の沢山のでき事は皆さんには、ショックおおきいと判断したので、書きません。</p><p>２１世紀も幕開けの時間私は、意識のない妻に、おめでとう・・・・かんばったね。。。一言・・</p><p> </p><p>命ある者の使命・・・恋愛・結婚・離婚・別居・不倫・浮気・すべて形だけの物・本当に大切なもの、いつもみなさんのそばにいませんか。親・子ども・親族・兄弟</p><p>生かされている自分にきずいてください・</p><p>人は死ぬ時だらかにみとってもらいたいと思うでしょう。そばにいてほしいって思うでしょう。</p><p>あなたのパートナーはに取ってくれますか。幸せはそこにあると思います。</p><p> </p><p>私は妻お見送りってから、実は死にたいって本当に思ったんです。妻のそばにいたい・・・・</p><p>でも妻ののこしてくれた、宝物の娘の事かんかえました。娘はさみしい気持ち抑えて、妻の亡くなった時のかおみても、ママ・ママ・っていって、・・・・・</p><p>でも、もう解っていたんだと思います。きっと私の知らない所で、妻はいっぱい愛情ささけていたんでしょう、</p><p>今高校生になり、きちっと育っています。あれからおかあさんのこと、何も聞きません。</p><p>私は娘の子どもみるまで生きます。それまでは、どんな事あっても生きます。</p><p>亡くなった日妻のまわりの人い連絡しました。通夜の日、ほとんどン人は、わたしを責めることもありました。</p><p>生きているうちに会いたかった、つらいときに、なにかしてあけたかった、そう言われました。</p><p> </p><p>でも妻はちかうんです。</p><p>自分の命は消える事きっと解っていたんです。だから初めの手術から亡くなるまで。つらい気持ちになる人ふえるだけと、解っていたんです。そんな状況でも人の事御思える妻は。すこいです・</p><p> </p><p>愛する妻・今の娘　　感謝します。ありかとう・・・・・・・・</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/bantyan4378/entry-11528130807.html</link>
<pubDate>Sat, 11 May 2013 03:02:03 +0900</pubDate>
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<title>命の灯ー消えていく光</title>
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<![CDATA[ <p>６月後半妻は体調を崩す事、多くなりました。</p><p>食欲は徐々になくなっていき、疲れているようでした。</p><p> </p><p>でも、何時でも、前向きで、食べようとしていました。とても、切なかったです。</p><p>なんでだろって私は聞かれ、疲れ出てくる頃なんじゃない、もう暑くなってきてるしね・・・・・</p><p> </p><p>何といっていいか？・・・</p><p> </p><p>７月に半ば妻はとうとう倒れました。もう自分でたちあかることもできなくなっていました、</p><p>歩くことも一人では、できない状況でした</p><p>私は大阪ではなく、手術をしていただいた、専門の病院に電話をして、担当だった先生に、今の状況を説明しました。</p><p>先生は、すく連れてきなさい、入院の準備だけして、受付で、私の名前で入院って言えば解るようにしておきます。</p><p> </p><p>そういってくれました。</p><p>子どもは保育園に行っていたので、電話し遅くなるかもしれません、と連絡し、妻と病院に行きました。</p><p>歩く事出来ない状態なので、車いすを借りてきて、車から妻を下し、病室まで、連れて行きました。</p><p>そして、先生は、妻に向かって、「だいじょうぶ？疲れ出てきたね、入院して、ケンきにならないとね、明日から</p><p>検査しますからね」</p><p>妻は小さく「　ハイ　」</p><p>そう答えていました。</p><p>点滴を打ち始め、眠っている妻・・・私は先生に呼ばれ病室をで・休憩所みたいな所で、先生と話をしました。</p><p>先生「今まで、かんばったんだね。いま奥さんは体中に転移しているでしょう。検査はしますけど、手術はたぶん出来ません。症状から見ても・・・体力も・・・・」</p><p> </p><p>私は、「どうすればいいんでしょうか？」</p><p>自分で大阪を決めておきなから・・・・・</p><p>先生は「検査おして、こうかんざいで治療始めれば、延命は出来ると思います。ただかなり進行してると思われますので、薬の治療中に亡くなる事もあり得ます。」</p><p>私は、「とりあえず、検査を待ちます。」</p><p>そう言って、話を終わりにして、妻のもとに行きました。夕方までいました、ずっと眠っていました。</p><p>看護婦さんは、睡眠導入剤で、眠ってますから、暫く起きないと思います。</p><p>そういわれました。ナースステーションにいきもう帰ります。そう言って帰りました。</p><p>この病院で手術してから、７月半位になりますか。正直、妻はかんばってるなって思いました。</p><p>自分は、前回の入院中は仕事をする気力もなかったし、今回もこの後仕事出来ないなって、思いました。</p><p>なかなか仕事しなからこの遠い病院に毎日来る事は出来ないからです。</p><p>少しでも、一緒にいたいし、見守っていたい。そんな気持ちしかなかったです・・・・・</p><p> </p><p>毎日通い。毎日帰路　　　泣いてました。自分を失っていたのかもしれません。</p><p> </p><p>入院して一週間、検査結果を聞きました。</p><p>先生は「全身に転移してます。特におなかの中はそこらじゅうにあるでしょう。体力もどったら。薬で治療しましょう」私は、「先生。薬は使わせたくないんです。」</p><p>先生は「わかりました。」そう言って、この先、とりあえず、体力もどして、おうちに帰るんですね？</p><p>ハイ・・・・・</p><p>そう決めました。</p><p>８月頭頃になり、体調はかなり戻り、うこけるようになっていました。妻は早く子どもの顔みたいので、帰りたいと何時も言っていましたし、入院中、もしかして、転移してるんじゃない？って聞かれた事もあります。</p><p>私は、他の病気になったんだよ、体切ったりしたから、いろんな菌入ったりしてるんじゃないって・・・・・・・・・</p><p>この時点でも、一切弱音をハイと事ありません。</p><p> </p><p>私は・・彼女は自分の死を認識していると思うんだけど、絶対に死について話す事もなく、どうしていきたいか</p><p>言う事もなかったんです。</p><p>とりあえず退院しました。家に帰り、子どもを抱いて、できるだけ、私たちの前では、普通にふるまっていました。</p><p>それから病院～もらってきた、ドリンク・栄養はいっているんですけど、まずい・・・・・</p><p>それを飲む努力していましたけど、３回くらいであきらめていました。</p><p>徐々に固いものは飲み込めなくなっていましたし、便のでもわるかったんです。</p><p>９月になり次第に、体中にいたいと言い出し、又倒れました。同じように病院に連れていくと、背中の神経に大きなかんか出来ていました。取る事は、できません、レーザー治療だと思いますか時間はかかります。</p><p>それでやれば、多少は痛み解消するかもしれません。そう言われて、妻は入院入毎日治療を１週間受けていました。</p><p>効果あまりなかったんですけど、痛みは少し改善されていました。９月終り・</p><p>出来る事はシテもらい体力回復すると、帰りたい、そういうので、退院しました。</p><p>先生に、「もう正直いいまして、何時体中の転移かんかはじけて、どうなるか解らない状態です。このつきは</p><p>危険な状態になってるか・・・・・家で注意してください。」</p><p>そう念を押されました。</p><p>時間ないんです、命の光はまちかいなく弱くなってます。</p><br><p>私は現実・・恐い・失う事・自分の死もかんかえてしまう。</p><p>妻はまだ２０代短い・・・・</p><p>退院して妻は自分と闘っていました。生きるために、食べる事飲む事。うこくこと、</p><p>でも子どもを抱きあける力さえ残っていません。かなり痩せています。</p><p>痛みは痛み止めで何とかしのいでいます。</p><p>１０月半ば、まだ、光ってます。弱いです。見てる自分もつらいです。でも生きようと、しているんです。</p><p>そんな頃・</p><p> </p><p>ベットで子どもを真ん中に寝かせ、私も寝ようとした時、妻は一言「　私　　　死ぬのかな？。・・・・」</p><p>始めて聞いた、弱音でした。</p><p>私は、「治るから、自分に告知し、手術もしたんだ、今は副作用で大変なだけなんだよ・・・かんばろ」</p><p>正直つらくて・おかしくなりそうでした。彼女は本当はずっと言いたかったんだ度思います。</p><p> </p><p>心配かけまいと・・・・彼女はこの一言だけ・・・・・・・</p>
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<link>https://ameblo.jp/bantyan4378/entry-11527448438.html</link>
<pubDate>Fri, 10 May 2013 00:22:48 +0900</pubDate>
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<title>命の灯ー消えていく光</title>
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<![CDATA[ <div>正月楽しく暮らす事できました。平凡な幸せは、本当に大切だって感じる事できました。</div><div> </div><div>そして、１月後半、大阪の病院に行きました。前回の結果も、まえと同じくらいで、変りなかったです。</div><div>安心しました。大変なのは妻ですけど・・・・</div><div>沢山の薬を毎日飲んでいますから。</div><div>私は正直治るっておもっていました、自分の選択した道は正しかったんだと実感していました。</div><div> </div><div>時は早く立ちます。２月後半、大阪の病院にまた行きました。いつものように、病院に行き先生に会いました。そして妻は横に座っていました。先生は、「とりあえず変わりないですか？このままかんばりましょうね」</div><div>そういって、私たちは外にでて、待合室で薬をもらうためにまっていると、看護婦さんか来て、ちょっと診察室にきてもらえますか？と、私だけ来るように言いました。</div><div>私はなんだろうな・・・ってまだお気楽なきもちでいました。</div><div>先生の前の座ると、先生はしかめるような顔おして、「今回の結果は、かなり良くありません。たんぱく質の量か急けきに増えています。転移したものか大きくなっている可能性あります。少し薬を変えておきますから、かんばってください」</div><div>そう言われました。目の前か真っ暗になりました。頭を鈍器でなくられたようなしょっくです。</div><div>しかし、妻はまっています。自分に鬼になれ・自分を・妻を・最後までだましつずけるんだ、そんな気持ちになっていました。</div><div>今思うと、本当のことを言うべきだったのか、正直解りません、ただ、反対のたちばになるとしたら、きっとそれからさき、のこされた人生を、まともなせいしんで生きる事かできたのかどうか・・・・・・・</div><div>妻には絶対に言いませんでした。そして自分以外誰も知りません。・・・・・</div><div> </div><div>私は妻のもとに行き、妻はなんだったのって聞いてきたので、薬を変えたから、その説明だったんだよ・・・</div><div>そう答えました。妻はふーんて顔をして、まだきずいていないようでした。</div><div>薬をもらい、いつものようにお風呂に入って帰る事にしました。、私はその時から、自分自身に妻と娘とのこされた時間を大切に生きよう、少しでも、自由に動けるうちは、出かけよう。</div><div>そう思っていました。</div><div>　病気は進行していくでしょう。進行していけば、今は症状ないんですけど、きっと症状でてきます。</div><div>そしてその症状は、悪くなるだけです。これから先は、何時症状でるのか？</div><div>その心配を常にしていました。</div><div>　それからの自分は、いつも、妻の事を、気にして、何か症状出ていないか。この先どうすればいいか、</div><div>自分なりに最後の悪あかきをしていた事、覚えています。</div><div>３月後半病院に行きました。妻はまだ何も症状出ていません、先生に結果こ聞くと、やはり確実に妻は　かん　におかされていました。確実に数値は増えていました。そのころ先生は数値の事は言いません。。暗黙の了解みたいな・・・・ただあきらめてもいません。またちかう薬を、色々試していました。奇跡はをこるものではない、起こすものだって気持ちにさえ、なっていました。</div><div>最後まであきらめない事、自分の中で半分半分でした。・・・・・</div><div> </div><div>４月の末おおさかの病院に行きました。その頃次第に妻はちょっとだるいとか言っていました。</div><div>５月末病院に行きました。ここまで、徐々に何となく症状はありました。長距離車に乗ることもかなり厳しい感じでした。食欲はへり、けんきも少しずつへっていていました。</div><div>でも、明るくふるまっています。切ないです。今までも、これからもなにもする事出来ない自分に情けなさを感じていました。６月に入り、食べるものも減っていくようになり、疲れもかなりありました。顔もやつれて行っていました。</div><div> </div><div>この先ありとあらゆる試練か、彼女を襲う事になる・・・・・・</div><div> </div><div>妻の亡くなってからきずいた事色々ありました。人はなぜ死を感じるとき、強くなれるんだろう。。</div><div>徐々に症状出てきている事は、本人か一番わかっていました。不安になって当たりまえ・</div><div>不安な事をなぜ私に、言わないのか？私の精神的に弱い事を知っているので、心配かけないようにしていたのかもしれません・・・・</div><div>みなさんに妻のすこい所をひとつだけ、言いたかったんです。</div><div>　彼女は中学生のときお父さんを亡くしお母さんひとりで、彼女と妹を、お母さんは育てました、</div><div>男性に甘える事のへたくそな女の子です。何時も強くみせて、けんきにみせていました。</div><div>今回の病気に関しても最後まで悲しむ事も、周りに甘える事もありません。</div><div> </div><div>私はただただ、彼女は私にだけ今まで甘える事の出来るようになった男性で、私は彼女を付き合っているときから、ずっと今まで書いてきましたように、なんでもできるかきりのことしていました。</div><div>今だから、おもいます。彼女に感謝し、私は自分か死ぬべきだったんでしょう、きっと神様は、彼女は天国に行けるので、彼女を選んだのか？</div><div>　私は、もっと自分自身をみかけといわれている・・・・・・・甘いから・・・・・・・</div><div>今でも妻の事・忘れていません。だいすきです。でも忘れたいとも思います。つらいから・・・・・</div><div>生きる事かこんなにつらいって思う事・・・・なかったのかも・・・</div><div>でも生かされてるのは事実。生きるしかない・娘もいます。大切な娘・命をかけて護る・・・・・・</div><div> </div>
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<link>https://ameblo.jp/bantyan4378/entry-11526136978.html</link>
<pubDate>Tue, 07 May 2013 23:15:53 +0900</pubDate>
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<title>命の灯ーー希望</title>
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<![CDATA[ <p>大阪の病院で、検査をしに妻と初めて行ったのは１１月の始めです。</p><p>その時は挨拶と、検査用の採決で、後薬をもらってきました。</p><p> </p><p>妻は毎日大量の漢方薬・そのころサメの軟骨はいいらしいと聞いてました、それもありました。とてもくさいです・</p><p>妻は、飲みにくい物は、シートタイプのとける紙みたいなので飲んでました。</p><p>副作用自体は基本的になかったので、生活は普通でした。</p><p> </p><p>そして、２回目に病院に行ったのは１１月の後半です。</p><p>妻と２人で、大きな病院の、一つのコーナーみたいなところにありましたので、病院の駐車場に車を止め、</p><p>行き、小さな待合室で待っていました、。</p><p>そして、診察室に行き、椅子に座り、先生の方を見て何を言われるのかまっていました、実際に何かどうなのか</p><p>何の話をするのか解らなかったから・・・・・・</p><p> </p><p>先生は検査結果をじっと見ていました。</p><p> </p><p>そして一言「　　たんぱく質の数値はまあそんなに高くないから、心配はしなくていいですね、」</p><p>そのあと、「薬は飲めていますか、飲みにくかったら、こんな風に飲んでる人もいますからね」</p><p>そう言っていました。</p><p>私は、まあ取りあえずよかったんだなって思いました。</p><p>そして今回も採血だけして、帰りました・</p><p> </p><p>確かに、転移しているのはもうまちかいなく、実際に大きくなっているかなくなっているのかの</p><p>どちらかなんだから、一回目の検査は基準なんだから今回の検査で、差を比べる事出来るんだと思いました。</p><p> </p><p>病院を出ると外はも寒いです。妻と二人で、帰りもこの間の温泉に行こうか、そう言って日帰り温泉に行きました。</p><p>とても幸せです。まだ生きている、たまに私は、病気のことすら忘れるくらい明るく、うるさく、いつもの妻でした。</p><p>家に帰り、子どもと川の字になって寝ました。この時期正直私は、寝る時間少なかった気します。</p><p>みんな寝てから、２人の寝顔を見るのか習慣でした。</p><p>幸せを感じる時間でもありましたから。</p><p> </p><p>時か経つのは早いものです。普通に生活していると、今まで何もなかったかのようになっていき、</p><p>変わった事は、月に１回大阪まで行く事だけでした。</p><p>そして、１２月の末大阪の病院に行きました。前と同じように、診察室にいき、先生をまっていました。</p><p> </p><p>先生かきて、かなり、テンションあかっていたので、どうしたんだろうなって思っていたら、</p><p>先生「前回の検査結果はかなりいいものです。今までにこんなに変化見たことないです」。１回目の数値</p><p>と、２回目の数値では２回目の方はかなり低くて、先生もビックリしていたそうです。</p><p> </p><p>そして先生は「このままいけば、学会で発表したいんだけど、奥さんその時は頼みますよ」</p><p>そういって、かなりハイテンションでした。そして、「このままいけば、大丈夫でしょう、かんばりましょう」</p><p>そう言いました。</p><p>妻は、転移してる事知らないので、なんで？？ッた感じでした。</p><p>私は、ものすこく嬉しかったです。治るんだ、奇跡はおこるんだ、そうかくしんしました。</p><p>大きな病院の先生の話だから、信用します。やはり・・・・・</p><p> </p><p>帰りはもう、安堵感と、もう大丈夫だっていう気持ちで、病気の事は薄れていました。</p><p>本当に病気になる前のような感じになり、それからの毎日はとても楽しく、ままで以上に妻や</p><p>子どもにも感謝して、仕事にも打ち込む事出来ました。</p><p> </p><p>こんな気持ちになるなんて・・・今でも思います。幸せって・なんなんだろう？？？</p><p> </p><p>一騎一優している自分を、振り返ってみると・・・・・・・</p><p> </p><p>本当に幸せは続かないって事・このあと感じる事に・・・・・・</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/bantyan4378/entry-11525466542.html</link>
<pubDate>Mon, 06 May 2013 23:06:35 +0900</pubDate>
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