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<title>高齢者長期療養病院の実態 ・悲劇の始まり</title>
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<description>寝たきり老人 製造所・・・</description>
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<title>年が明けて</title>
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<![CDATA[ ２０１６年から２０１７年に年明けした。<br>２０１６年１月１２日に父が逝ってしまってから、毎日父のことを思い出さない日はなかった。去年(２０１５年)の今頃はまだ父は生きていたのに・・・と。<br>２０１６年１月２日に脳梗塞になってしまって、しゃべれなくなり事態は一変した。<br>母はずっと父に付き添って簡易ベッドで寝泊まりしていた。私の大事な父と母が薄暗い病室に悲しげな顔でいると思うと辛かった。脳梗塞にならなかったら正月明けに自宅に一時帰宅出来るかと予定していたのに。この長谷川病院を選んだことが大きな失敗だった！ここの医者は老人なのだから仕方がないという扱いでしかなかった。<br>『お父さん、ごめんなさい！』<br>毎日ずっと頭の中で、繰り返した。<br>戦後の日本復興に一生懸命働き、家を建て続け正に地上の星だと思う。<br>そんな父が人生の最後をこんな扱いでむかえるなんて・・・。私のことを心配し大事に思ってくれた父に心からすまないと思った。直ぐにでも父のいるあの世に行って謝りたいと思った。でも、子供たちの事を思うとまだ逝けない・・・。<br>少しずつ身辺整理をし準備ははじめよう。<br>『お父さん本当に本当にごめんなさい』<br>北総病院の女医と<br>長谷川病院の担当医のことは絶対に許さない！
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<pubDate>Sun, 01 Jan 2017 02:25:06 +0900</pubDate>
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<title>長期療養病院は苦さに最後まで何もしない</title>
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<![CDATA[ <div>２０１６年１月１１日</div><div>午後からずっと苦しそう、右足の膝からしたが紫色になってしまい、もうだめかもと思った。辛い・・・</div><div>父は苦しくて、はーはーと息をし、足をバタバタして、寝返りをしようとし、起き上がろうとし、左手で母の手を強く握りしめて、母の肩を掴み、何かを言いたそうにして・・・そんな状態が深夜まで続き、苦しくて眠ることができない・・・</div><div>こんなにもがき苦しんでいるのに病院は何もしてくれない・・・。末期がんの患者にモルヒネを打つというが、父のこの苦しさを和らげる薬はにのか・・・当直医に懇願したら、「一晩中眠れるというわけにはいかないが、眠れる点滴をしましょう」とやっと言ってくれた。入院担当医の高橋医師はそのような薬はないと言っていたのに・・・どういうことなのか・・・あるなら、もっと早くその薬を使ってもらいたかった。その点滴をして午前２時過ぎ点滴がきいて呼吸が楽そうになり眠ったように見えた。ほんのわずかな時間（２時間弱）眠った・・・がその後血圧数値が計れない状態になり再び呼吸が苦しくなった・・・・</div><div><br></div><div>２０１６年１月１２日</div><div>午前６時　母から電話。「お父さんは、今日か明日まで・・・らしい・・・」と。</div><div>「家からお父さんに着させために縫っておいた浴衣を持ってきて・・・」と。</div><div>母も疲れ果て食事も取れていないので、病院に向かう途中のセブンイレブンで焼おにぎりとお茶を買って、病院には９時５５分ころ着いた。父は薄目を開けていて母が「OOOが来たよ、わかる・・・！」と父に言ったがわかったかどうか・・・。母は私がすすめたので無理に泣きながら父の横でおにぎりを食べた。</div><div>心電図と脈の数値が動いていたが、時々０になる・・・看護師が耳は聞こえるから呼びかけてあげて、と。</div><div>０になっても「お父さん！お父さん！」と叫ぶとまた数値が復活する・・・何度も何度も繰り返した・・・</div><div>父の顔をずっと見ていた・・・静かに息をしている・・・・口が少し開いている・・・息を吸って・・・はき出さない・・・・</div><div>静かだ・・・・「お父さん！お父さん！・・・」呼んでも数値は０のまま・・・時計を見ると１０時４０分だった。</div><div>医師がきた、ペンライトで目を照らし・・・脈をみて・・・<strong><font style="background-color:rgb(210, 209, 225);">「１０時４２分、ご臨終です。」と小さな声で言った。</font></strong></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/baroncat/entry-12539225684.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Mar 2016 18:43:54 +0900</pubDate>
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<title>病院は何もしてくれない、父がかわいそう</title>
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<![CDATA[ <div>２０１６年１月９日</div><div>母が家で仮眠の間、私が父のそばにいた。</div><div>脳梗塞のため話せなくなってしまったが、意思は伝えようとする、ベッドを起こして欲しいと右側がまひしていながら一生懸命に体を起こそうとする。電気を消してほしいと動く方の手で指さす、カーテンを開けて欲しいと手を動かす。</div><div>しゃべれない父がかわいそう・・・飲み込みもできなくなって、水も食べ物も呑み込めない・・・嚥下できない。</div><div>リハビリができるからと脳梗塞が起きた日に看護師が言っていたので、看護師に聞いてみた。<strong><font style="background-color:rgb(192, 255, 128);">「この病棟は長期療養なので、リハビリはできません。」と驚く返事がかえってきた。嚥下のリハビリを受けられると思っていたのに</font></strong>。病院がやってくれないなら、家族で調べてやろうと思い、家族でできる嚥下のリハビリを調べて始めようとアイスマッサージのやり方を印刷して母にも見てもらった。ゴックンが出来れば水も、薬も、食事もできる・・・</div><div><br></div><div>２０１６年１月１０日</div><div>この日も母が家に帰っている間、私が父のそばにいた。</div><div>午後１時、痰とり後（吸引は非常に辛そうで）看護師が大丈夫？と声をかけてくれ、父は「・・・はい、はい、・・・」と返事した。</div><div>脳梗塞後はじめて言葉を発した。</div><div>この日は、お父さん音楽聞く？と言ってみたら、うなずいて、CDプレーヤーのイヤホンで父の好きな夜明けのスキャットを聞いた。イヤホンが外れると自分で耳に戻そうとしていた。少しの間、聞いていたが、もういいというしぐさをしたのでやめた。</div><div><br></div><div>２０１６年１月１１日</div><div>父は苦しそう、すぐに布団を蹴飛ばしてしまう、母は寒くないように布団を掛け直す作業を一晩中、酸素吸入マスクを外してしまうので、マスクを元に戻す作業を一晩中。眠れない夜がずっと続いている。</div><div>朝８時に母と交代し、午後１時半ころからは夫と娘。午後３時１５分、母と病院へ行った。父の右足膝から下が紫色になっていて、唖然ととした。すぐに看護師に聞いた。「血管が詰まったからです、壊死が進みます・・」と平然と答えた。何もしてくれない。</div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/baroncat/entry-12539225683.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Mar 2016 10:40:18 +0900</pubDate>
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<title>利益追求の病院たち</title>
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<![CDATA[ <div>２０１６年　１月６日</div><div>午前中、北総病院の高野先生に相談に行った。もっと早く行くべきだった。長谷川病院で１２月２２日に心臓が苦しくなった時に北総病院に戻ればよかった。が、１８日に北総病院から出されたばかりで、その時は考えられなかった。</div><div>高野先生の見解は脳梗塞の原因は絶食と水分不足！とはっきり言われた。ショックで言いようもない後悔と自分の責任を感じ、大切な父をこんなひどい目に合わせてしまい謝っても謝ってももう取り返しがつかないことをしてしまったと。１８日に北総病院から長谷川病院に移動した時、母は一度、家に寄って休ませてから行けないかと言っていたが、そうしたら父はもう病院には絶対に行かないと言うと思い、長谷川病院の転院は不可能になってしまうと思ったから、家の前を素通りして向かった。心が痛んだが仕方ないと思い運転していた。</div><div>脳梗塞になるぐらいならその時家に帰ってもう長谷川病院の転院ができなくなっても良かったのに。</div><div><strong><font style="background-color:rgb(128, 255, 255);">「お父さん、本当に本当にごめんなさい！」</font></strong></div><div>２０１６年１月７日</div><div>夜、９時ころ父のところに行った。</div><div>私をわかる様子で私のてをにぎった。母は毎晩泊まっている。</div><div><br></div><div>２０１６年１月８日</div><div>午後、長谷川病院の担当医高橋医師から話があった。淡々と事務的な話しぶりで、脳梗塞について質問しても、「前回の説明の時にお話ししたはずですよ、ほら、カルテにも書いてあるでしょ！」と。確かにそうかもしれないが、こちらは素人でわからないのだから、分かるように話してほしかった。２２日に心房細動の疑いがあったなら、脳梗塞が起きないための処置があったはずなのにその説明もなかったし、処置もしていなかった。実際</div><div>脳梗塞が起きてから私も調べてはじめてわかったことばかりで、病院にいるのだから安心と思っていたのが大きな間違いだった。長谷川病院は命を救うために何もしてくれない病院だった、むしろ、死に行く手伝いをする病院だった。とんでもない病院に父を入院させていまった。大切な父と母が薄暗い病室で泣いている姿を見るのは心が張り裂けそうで辛くて辛くて仕方なかった、そうさせたのは私がこの長谷川病院を選んだからだ・・・・</div><div><strong><font style="background-color:rgb(255, 255, 64);">日医大千葉北総病院の入院担当の志摩医師から手術をしない患者は大学病院の患者ではないので、長期療養病院に転院してくださいと言われ</font></strong>、これまでと同じように苦しくない処置をしてくてる病院を探して欲しいと頼んで、地元の病院で長谷川病院なら北総病院の医師も行っているからと聞かされて決めたのに、信じたことが間違いだった。何でも疑って、調べて調べて決めなければいけなかったと後悔ばかりだ。</div><div><strong><font style="background-color:rgb(255, 255, 64);">日医大千葉北総病院の循環器内科志摩医師は大学病院から利益にならない患者を一人追い出して成果をあげ、長期療養病院の長谷川病院は利益になる患者を１人回してもらった、と、いうことに他ならない。父は犠牲者だ。どちらの病院も父のことは考えてはくれていなかった。</font></strong></div><div>父は戦後の焼け野原だった東京に木造住宅、公団アパート、皇宮警察の建物、などなど沢山の建築をし真面目に一生懸命に働いてきた・・・まさに地上の星だった。なのに、どうして、人生の終末にこんな扱いをされるのか！</div>
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<link>https://ameblo.jp/baroncat/entry-12539225682.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Mar 2016 09:59:48 +0900</pubDate>
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<title>利益追求の病院たち</title>
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<![CDATA[ <div>２０１６年　１月６日</div><div>午前中、北総病院の高野先生に相談に行った。もっと早く行くべきだった。長谷川病院で１２月２２日に心臓が苦しくなった時に北総病院に戻ればよかった。が、１８日に北総病院から出されたばかりで、その時は考えられなかった。</div><div>高野先生の見解は脳梗塞の原因は絶食と水分不足！とはっきり言われた。ショックで言いようもない後悔と自分の責任を感じ、大切な父をこんなひどい目に合わせてしまい謝っても謝ってももう取り返しがつかないことをしてしまったと。１８日に北総病院から長谷川病院に移動した時、母は一度、家に寄って休ませてから行けないかと言っていたが、そうしたら父はもう病院には絶対に行かないと言うと思い、長谷川病院の転院は不可能になってしまうと思ったから、家の前を素通りして向かった。心が痛んだが仕方ないと思い運転していた。</div><div>脳梗塞になるぐらいならその時家に帰ってもう長谷川病院の転院ができなくなっても良かったのに。</div><div><strong><font style="background-color:rgb(128, 255, 255);">「お父さん、本当に本当にごめんなさい！」</font></strong></div><div>２０１６年１月７日</div><div>夜、９時ころ父のところに行った。</div><div>私をわかる様子で私のてをにぎった。母は毎晩泊まっている。</div><div><br></div><div>２０１６年１月８日</div><div>午後、長谷川病院の担当医高橋医師から話があった。淡々と事務的な話しぶりで、脳梗塞について質問しても、「前回の説明の時にお話ししたはずですよ、ほら、カルテにも書いてあるでしょ！」と。確かにそうかもしれないが、こちらは素人でわからないのだから、分かるように話してほしかった。２２日に心房細動の疑いがあったなら、脳梗塞が起きないための処置があったはずなのにその説明もなかったし、処置もしていなかった。実際</div><div>脳梗塞が起きてから私も調べてはじめてわかったことばかりで、病院にいるのだから安心と思っていたのが大きな間違いだった。長谷川病院は命を救うために何もしてくれない病院だった、むしろ、死に行く手伝いをする病院だった。とんでもない病院に父を入院させていまった。大切な父と母が薄暗い病室で泣いている姿を見るのは心が張り裂けそうで辛くて辛くて仕方なかった、そうさせたのは私がこの長谷川病院を選んだからだ・・・・</div><div><strong><font style="background-color:rgb(255, 255, 64);">日医大千葉北総病院の入院担当の志摩医師から手術をしない患者は大学病院の患者ではないので、長期療養病院に転院してくださいと言われ</font></strong>、これまでと同じように苦しくない処置をしてくてる病院を探して欲しいと頼んで、地元の病院で長谷川病院なら北総病院の医師も行っているからと聞かされて決めたのに、信じたことが間違いだった。何でも疑って、調べて調べて決めなければいけなかったと後悔ばかりだ。</div><div><strong><font style="background-color:rgb(255, 255, 64);">日医大千葉北総病院の循環器内科志摩医師は大学病院から利益にならない患者を一人追い出して成果をあげ、長期療養病院の長谷川病院は利益になる患者を１人回してもらった、と、いうことに他ならない。父は犠牲者だ。どちらの病院も父のことは考えてはくれていなかった。</font></strong></div><div>父は戦後の焼け野原だった東京に木造住宅、公団アパート、皇宮警察の建物、などなど沢山の建築をし真面目に一生懸命に働いてきた・・・まさに地上の星だった。なのに、どうして、人生の終末にこんな扱いをされるのか！</div>
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<pubDate>Wed, 09 Mar 2016 09:59:16 +0900</pubDate>
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<title>長期療養病院　苦しむ父に何もしてくれない</title>
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<![CDATA[ <div>２０１６年１月４日</div><div><strong>父は脳梗塞で言葉がでないがこちらの言うことは理解できている様子でした。父は息が荒くはーはーと苦しがっていて、母も私も見ているのが辛くて辛くて、先生はどうして何もしてくれないのかと思った。</strong></div><div><strong>母は泣きながら　「お父さん、お金がいくらかかったっていいから大学病院に行こう！」と言ったら父も言葉は出ないが何度もうなずいていた。両親のこんな姿を見るのが辛くて心が張り裂けそうだった。</strong></div><div><br></div><div>日医大北総病院の外来で診察の先生に相談し、栄養輸液のメモを長谷川病院担当医師KTに見せてお願いしたところ<strong><font style="background-color:rgb(255, 255, 128);">、「栄養輸液をいれることは当院ではできません。大学病院でないと無理です。もし血管を傷つけてしまい出血したらどうするんですか。このような高度な積極的な治療を希望するなら他の病院へ行ってください。どうされますか？」と</font></strong>。日医大北総病院の先生が言っていたことで、もし栄養輸液をいれることができないと言う医師なら医師として恥じるべきことだと、まさにその通りだと思った。ここの医者はそれができないと言い放ったのだから。</div><div>が、日医大北総病院に転院しても、苦しい状態が数日延びるだけと聞かされていて、母や家族に相談し結局このまま、このろくな病院でない長谷川病院にとどまることに苦渋の選択をした。</div><div><br></div>
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<pubDate>Wed, 17 Feb 2016 11:28:35 +0900</pubDate>
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<title>長期療養病院に転院が失敗</title>
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<![CDATA[ <div>２０１６年１月３日</div><div>長谷川病院での絶食と水分制限のなか、父は脳梗塞を発症してしまった。本日３日も担当医（K.T)は正月休み中で不在だった。看護師からの話だと明日４日になれば先生が出てくるのでCT検査をするとのことだった。</div><div>父はぐったりしている、相変わら同じ点滴だけ、これで良いのか・・・？と不信感でいっぱいだった。大学病院に移した方が良いのではないか・・・そうしようと母も私も思った。</div><div>日医大北総病院で６年間外来で診察してもらった先生に血液検査結果を持って相談に行った。現状を説明すると、先生は即答で</div><div><strong><font style="background-color:rgb(255, 255, 128);">「脳梗塞の「原因は栄養不足と水分不足からだと判断できます！血液検査の結果を見る限り絶食と水分制限は必要ないです。長谷川病院の担当医は患者の管理ができていない医師だと思う。日医大北総病院に連れてきても脳梗塞は治らない、それより長谷川病院の担当医に栄養の輸液を入れてもらいなさい、それは特別なことではなくどこのシティ病院でもできることで、もしそれができないからと言う医師は、医師として恥じなことです。大学病院でしかできない処置ではないので日医大北総病院に転院する意味がないと思うが、連れてくるなら当然診察するが、その時は担当医は直近の担当医（女医A.S医師）になり、また嫌味なことを言われるかと思うし、担当医を変える権限は自分にはないです。仮に転院されたとしても今の苦しい状態が数日延びるだけだと思います。病院が嫌なら自宅に連れて帰るということも有りかと思いますが、２～３日で絶命してしまうでしょう・・・・」と。</font></strong></div><div>涙があふれた。<strong><font style="background-color:rgb(223, 255, 191);">長谷川病院を選んだことで父を苦しめてしまって、もう取り返しがつかない・・・・。</font></strong></div><div>１２月に千葉北総病院に救急車で搬送し２日目に<strong><font style="background-color:rgb(191, 255, 255);">担当医（女医A.S医師）に「手術を希望しない患者は大学病院の患者ではないので、高齢者長期療養病院に転院するか、退院して下さい、転院先が見つかるまでは、しかたないのでここにいてもらって良いので！」と</font></strong>厳しいことを言われて、父が苦しくなく過ごせる長期療養病院をソーシャルワーカーと探し、長谷川病院は地元の病院で近いし、日医大北総病院の先生も診察に来ているし、治療は日医大北総病院と変わらないと聞いて、それならと決めたのに・・<strong>・それが失敗だった！！</strong></div><div>日医大北総病院の人たち（医師やソーシャルワーカー）は長谷川病院の実態を全く把握していなかったと思う。</div><div>６年間外来で診察してもらった先生から栄養の輸液の件をメモにしてくれて、「長谷川病院の担当医にくれぐれもプライドを傷つけないように配慮した言い方でこのメモを見せなさい、自分の名前を出してもかまわないので。」と。</div>
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<link>https://ameblo.jp/baroncat/entry-12539225678.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Feb 2016 10:25:22 +0900</pubDate>
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<title>栄養不足と水分制限から脳梗塞に</title>
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<![CDATA[ <div>２０１６年１月２日</div><div><br></div><div>お正月なのに父は入院中で母が毎晩付き添っている状態が続いています。２日の晩はなかなか寝付かれず二人で話していたそうですが、日ずけがかわり午前２時になり、「お父さん、もう寝ようね」と言って眠ったそうです。</div><div>午前３時、看護師の大きな呼びかけで母は目が覚めたそうで、父は右足がぶらりとベッドから出ていて看護師の呼びかけには応答がなく、右手も動かなくなって、言葉を発することもできなくなっていた。この日の当直医はたまたま脳神経の医師であり、この父の異変を脳卒中のうちの<strong><font style="background-color:rgb(255, 255, 128);">脳梗塞</font></strong>であろうと判断した。脳梗塞は発症後４時間以内に血栓を溶かす薬で処置すれば改善すると説明があったが、年齢が８１歳までと言われた。父は８９歳で、もし血栓を溶かす処置をしたら血管が切れ大量出血を起こす危険性があると言われた。救急車を呼んで他の病院に運ぶことを希望するならそうするが、そこの病院でも８９歳のリスクから何もできないこともあるので、また、この寒さの中を搬送するのが良いのかどうかを考えて下さいと言われた。</div><div>父はぐったりしている、搬送して処置してもらえないかもしれない、処置したとしても出血して命を落とすかもしれない、苦渋のの選択をしなければならなかった。母はこのままそっとこの長谷川病院にいることを選択した。娘の私は救急車で搬送してもらいたかったが、母の決断に負けた。今、思うとやはり救急車で行った方が良かったのではないかと思う。なぜなら血栓を溶かす処置をしてもらえなかったとしても、その後の他の治療は絶対に長谷川病院より適切だったと思うから。<strong><font style="background-color:rgb(255, 255, 128);">結局その後、長谷川病院は苦しむ父に何もしてっくれなかった！</font></strong></div><div><br></div>
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<pubDate>Mon, 08 Feb 2016 15:40:41 +0900</pubDate>
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<title>この状態がいつまで続くのか・・・</title>
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<![CDATA[ <div>２０１６年１月１日元旦</div><div><br></div><div>昨年１２月１８日に日医大北総病院から八街の長谷川病院に転院してきて心臓に負担がかかるのでという理由で絶食と水分制限と、ベッドに縛り付けが嫌なら、家族が毎晩泊まり込みが必要と言われ、疲れ果て新年を病院でむかえた。</div><div>父も我慢の限界、母も私も疲れ果てこんな状態がいつまで続くのかと不安でいっぱいでした。</div><div>母も８４歳と高齢なので、「お父さん、娘の私が付き添うのはどう・・・？」と聞くと</div><div>父　「お母さんがいいに決まっているだろう・・・夫婦なんだから・・・」との返事。</div><div><br></div><div>２０１６年１月２日</div><div>病院は休み中で担当医（K.T)もいない。看護師に絶食はいつまで続くのかをたずねても医師が休みだからわからないので、病院が４日にはじまったらきいてみるので、それまでは絶食です。と返事。</div><div>患者や家族の気持ちを無視しているとしか思えない態度。</div><div>午後３時ころ母と病院に着いた。</div><div>NHKの連続ドラマ朝が来たの総集編を父と母は見ていた。少しでも気がまぎれれば良いと思った。</div><div><br></div><div>差し入れは家族の責任で食べても良い言うので、お茶とプリンとサツマイモ入りのおかゆを持って行った。</div><div>たくさん食べて医師が言うように心臓が苦しくなってはいけないと思い少しだけ食べてもらったが、今思えば好きな物を好きなだけ食べてもらえばよかった！</div><div>このひは深夜まで父も母も眠れなかったそうで、話をしていたそうだが、「もう深夜２時だからお父さん寝ようね」</div><div>と言ってねむりについたそうです。</div><div>そして、看護師の大きな呼びかけの声で母は目が覚めたと言っていた。</div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/baroncat/entry-12539225674.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Feb 2016 15:58:14 +0900</pubDate>
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<title>病院で父と母は年越し</title>
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<![CDATA[ <div>２０１５年１２月３１日</div><div>父と母は病院で年越しとなった。</div><div><br></div><div><strong><font style="background-color:rgb(223, 255, 191);">父　「風呂にでも入って、うまいものでも食べたいな～」と・・・・</font></strong></div><div>相変わらず絶食と水分制限で、父がかわいそうだった。</div><div>母は夜病院に泊まるので朝、家に帰り仮眠して、また午後病院に戻る生活が続いていた。父は母がそばにいてくれることを何より望んでいたが家に帰りたい」というのが最大の希望であったと思う。年が開けたらそうしたいとおもっていた。日医大北総病院の入院担当医（女医A.S医師）が手術を希望しない、治る見込みのない患者は大学病院の患者ではないので、長期療養病院に転院した方が良いと言わなければ、また、そのような病院を探しましょうと言わなければ、今までどおり退院して家に帰ってまた具合が悪くなったら病院に行くということになっていたと思うし、以前担当もこの繰り返しになでしょうと言っていた。そして、最後は苦しい処置はできるだけせずに自然に・・・と言っていたので、家族もそう思っていた。地元の病院に転院しても心臓が苦しくにないようにするのは、同じ医療で、大学病院だから長生きできるとか、地元の病院だから寿命が短くなるとかはないと言われてそうなのかと納得して、転院を決めた。また、転院先の長谷川病院に日医大北総病院の循環器内科の医師も行っていると言われ長谷川病院を希望した。日医大北総病院の医師たちは長谷川病院の現状を知らなかったのか？<strong>八街の長谷川病院は患者の管理ができない酷い病院だ！</strong></div>
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<link>https://ameblo.jp/baroncat/entry-12539225672.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Feb 2016 15:22:58 +0900</pubDate>
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