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<title>ＮＷＡ世界王者でたどる各地の熱戦譜</title>
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<description>かつては各地のテリトリーを回り、地元のレスラーを相手に防衛戦を繰り広げたＮＷＡ認定世界ヘビー級王者。その世界王者の出場した興行の試合結果を見ながら当時のマット界を振り返ってみたい。</description>
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<title>ブログを移動します。</title>
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<![CDATA[ <p>　短い間でしたが、何度かご訪問くださいましてありがとうございました。１か月前から別のことに興味を持ち始めまして、ＮＷＡ世界王者の防衛記録を書く時間がなくなりました。おびただしい数の防衛戦の記録を集めましたので、また違う形で発表したいと思います。</p><br><p>　これからはテーマを変えてブログを続けたいと思っています。新しいブログは下記のリンクからお入りください。この記録を調べておかなければ必ず悔いが残ると思い、記録の収集を始めました。知っていることがあればぜひメッセージを残してください。よろしくお願いいたします。</p><br><p><a href="http://blog.livedoor.jp/battlemania2000/">http://blog.livedoor.jp/battlemania2000/</a></p><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 26 Jan 2013 10:05:10 +0900</pubDate>
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<title>1969年７月７日（対ビル・ロビンソン５連戦①）</title>
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<![CDATA[ <p>　ドリーは世界王者になって二度目となるカルガリー地区遠征を行った。前回は６月６日から６月12日までで、アーチ・ゴルディ（ザ・モンゴリアン・ストンパー）を相手に５回の防衛戦を行った。今回は７月７日から７月12日までで、ビル・ロビンソンを相手に５回の防衛戦が予定されている。</p><br><p>　全８試合の結果は下記の通り。会場はほぼ満員の観客で満たされた。この２年で最も多くの観衆がこの試合を見に来たのであった。</p><br><p><br><font color="#ffff66">　 1969年７月７日（月曜日）　カナダ／アルバータ州カルガリー／スタンピード・コラール<br>　 試合開始：午後８時30分</font></p><p><br><font color="#ffff66">１）ミゼットタッグマッチ<br>　　　ザ・リトル・ビーバー＆ザ・ジャマイカ・キッド（勝ち）スカイ・ロー・ロー＆ザ・リトル・ブルータス</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）女子シングルマッチ<br>　　　ジュディ・グレーブル（勝ち）ジャン・ケイス</font></p><p><br><font color="#ffff66">３）シングルマッチ<br>　　　サンダー・コバックス（引き分け）マーセル・トゥルードゥー<br>　　　　※Ｓ・コバックスはハンガリー王者。</font></p><p><br><font color="#ffff66">４）シングルマッチ<br>　　　アール・メイナード（勝ち）ジャック・クリス </font></p><p><br><font color="#ffff66">５）シングルマッチ<br>　　　クロンダイク・ビル（勝ち）ダリル・コークラン</font></p><p><br><font color="#ffff66">６）</font><font color="#ffff66"><em>カルガリー地区認定カナディアンヘビー級選手権試合<br></em>　　　デイブ・ラール（勝ち）ジャック・ベンス<br>　　　　※<em>Ｄ・ラールが王座防衛に成功する。</em></font></p><p><br><font color="#ffff66">７）カルガリー地区認定インターナショナルタッグ選手権試合<br>　　　ジ・オズボーン・ブラザーズ（バッド・ オズボーン＆レイ・オズボーン）（勝ち）クレム・セント・ルイス＆ジャック・ペセク<br>　　　　※Ｃ・Ｓ・ルイス＆Ｊ・ペセクが王座防衛に失敗。Ｂ・オズボーン＆Ｒ・オズボーンが新王者チームとなる。</font></p><p><br><font color="#ffff66">８）ＮＷＡ認定世界ヘビー級選手権試合（60分３本勝負）<br>　　　ドリー・ファンク・ジュニア（１－１）ビル・ロビンソン<br>　　　　①ロビンソン（38分16秒、フォール勝ち）ジュニア<br>　　　　②ジュニア（10分26秒、回転足首固め）ロビンソン<br>　　　　③ジュニア（時間切れ）ロビンソン<br>　　　　※第10代王者Ｄ・Ｆ・ジュニアが王座防衛に成功する。Ｂ・ロビンソンはジョイントプロモーション認定ヨーロッパヘビー級＆大英帝国ヘビー級＆カルガリー地区認定北米ヘビー級王者。</font></p><br><br><p><br></p><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121203/00/battlemania/67/80/j/o0560045312313635468.jpg"><img border="0" alt="ＮＷＡ世界王者でたどる各地の熱戦譜" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121203/00/battlemania/67/80/j/t02200178_0560045312313635468.jpg"></a> </div><p><br></p><p><br></p><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121203/00/battlemania/ce/df/j/o0217068212313635469.jpg"><img border="0" alt="ＮＷＡ世界王者でたどる各地の熱戦譜" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121203/00/battlemania/ce/df/j/o0217068212313635469.jpg"></a> </div><p><br><br><br></p><p>　<font color="#00bfff">第１試合</font>はミゼットレスラー４人によるタッグマッチ。カナダ出身のＬ・ビーバー（35歳）と黒人のＪ・キッドが組んで、Ｓ・Ｌ・ロー（40歳）＆Ｌ・ブルータス（31歳）を破る。ブルータスはタイニー・ティム、ティム・ジェラード、タイニー・トムなどのリングネームを使っていたカナダ出身のレスラーである。</p><br><p>　<font color="#00bfff">第２試合</font>は女子のシングルマッチ。ベテランのＪ・グレーブル（43歳）がＪ・ケイス（ジャネット・ケイス）に勝つ。</p><br><p>　<font color="#00bfff">第３試合</font>ではハンガリー王者を名乗るベテランのＳ・コバックス（49歳）がＭ・トゥルードゥーを破る。トゥルードゥーはポール・トゥルードゥーあるいはクロード・ゴスランとも名乗り、カルガリー地区やモントリオール地区で試合をしていた。活躍時期は1950年代末から1970年代初頭である。コバックスは翌年に日本プロレスに登場する。</p><br><p>　<font color="#00bfff">第４試合</font>はバルバドス出身の黒人レスラー、Ｅ・メイナードがＪ・クリス（40歳）を撃破。クリスは1950年代末から1970年代初頭にかけてスタンピード・レスリングのリングに上がっていたレスラー。メイナードは２年後に日本プロレスに登場し、大木金太郎の持つアジアヘビー級王座に挑戦している。</p><br><p>　<font color="#00bfff">第５試合</font>ではＫ・ビル（37歳）がＤ・コークラン（39歳）に快勝。地元カルガリー出身のビル（ミスター・ブルート）は６年前と前年の二度にわたって日本プロレスの招へいに応じている。前年にはノンタイトルマッチではあったが、エースであるジャイアント馬場からフォール勝ちを収めている。コークランはジョン・ドランゴとして新日本プロレスのオープニング・シリーズに来日。そのときはジム・ドランゴ（ボブ・アームストロング）とのザ・ドランゴ・ブラザーズとして活躍した。</p><br><p>　<font color="#00bfff">第６試合</font>ではカルガリー地区認定カナディアンヘビー級王者のＤ・ラール（48歳）がＪ・ベンスを破る。この年に国際プロレスの招へいで来日を果たしているラールはキャリア23年のベテランではあるが元世界王者のレイ・スティールのトレーニングを受けている強豪である。ベンスは超ベテラン選手で、３年前に初めて来日している。この試合がタイトルマッチであったかどうかは不明。</p><br><p>　<font color="#00bfff">第７試合</font>はカルガリー地区認定のインターナショナルタッグ王座を賭けた戦い。バッドとレイのオズボーン兄弟が、王者チームのＣ・Ｓ・ルイス＆Ｊ・ペセク（45歳）を破って新王者チームになる。アルバータ州出身のオズボーン兄弟は実の兄弟で、レイ（40歳）はウィリアム・”バッド”・オズボーン（39歳）の年子の兄である。彼らはこの年から翌年にかけてこのタッグ王座を４度ほど獲得している。ルイスは1960年代のスタンピード・レスリングの試合結果にその名前が登場する。</p><p><br>　ペセクは４年前に日本プロレスで開催された第６回ワールドリーグ戦に来日している。彼の父親のタイガーマン・ジョン・ペセクもレスラーであった。</p><br><p>　<font color="#00bfff">第８試合</font>がこの日のメインエベント。世界王者のドリー（28歳）が三冠王のＢ・ロビンソン（29歳）との初対戦を行う。ロビンソンはこの年の元旦から国際プロレスの「ビッグ・ウィンターシリーズ」に参戦。５月から６月にかけてハワイで数試合行い、その後カナダのスタンピード地区に移っている。</p><br><p>　１本目はロビンソンがフォール勝ち。新聞記事によると「バックドロップ」と書かれているが、これは「岩石落とし」ではなく、「人間風車（ダブル・アーム・スープレックス、ダブル・アンダーフック・スープレックス）」のことであろう。２本目はドリーが十八番のスピニング・トー・ホールドでギブアップを奪ってタイに持ち込む。決勝の３本目の開始時にはすでに38分が経過しており、両者はそのままタイムリミットまで戦い続けて引き分ける。</p><br><br><p>　ロビンソンは日本からハワイを経由してカルガリー地区に入ったが、ホノルルでニック・ボックウィンクルと一騎打ちを行っている。その日の結果を載せておこう。なおこの日ＮＷＡ認定ハワイヘビー級王者のカーティス・イヤウケアとＮＷＡ認定（ハワイ版）北米ヘビー級王者のジン・キニスキーは出場していない。</p><br><p><font color="#ffcc66">　 1969年５月７日（水曜日）　米国／ハワイ州ホノルル／<em>ホノルル・インターナショナル・センター・アリーナまたはホノルル・シビック・オーデトリアム</em></font></p><p><br><font color="#ffcc66">１）シングルマッチ<br>　　　ビル・ロビンソン（時間切れ）ニック・ボックウィンクル</font></p><p><br><font color="#ffcc66">２）シングルマッチ<br>　　　ドリー・ディクソン（勝ち）マサ・フジワラ<br>　　　　※Ｍ・フジワラはハリー・フジワラ。</font></p><p><br><font color="#ffcc66">３）シングルマッチ<br>　　　ペドロ・モラレス（勝ち）タンク・モーガン</font></p><p><br><font color="#ffcc66">４）シングルマッチ<br>　　　ボビー・シェーン（時間切れ）フライデー・オールマン<br>　　　　※Ｆ・オールマンはフランク・オールマン。</font></p><p><br><font color="#ffcc66">５）シングルマッチ<br>　　　リッパー・コリンズ（勝ち）ロイ・カマカ</font></p><p><font color="#ffcc66">　　　　※Ｒ・コリンズはＮＷＡ認定ハワイタッグ王者（パートナーはバディ・オースチン）。Ｒ・カマカはコア・チキ。</font></p><p><br><font color="#ffcc66">６）バトルロイヤル（11人参加）<br>　　［参加選手］　ビル・ロビンソン、ドリー・ディクソン、ペドロ・モラレス、ボビー・シェーン、ロイ・カマカ、ニック・ボックウィンクル、マサ・フジワラ、タンク・モーガン、フライデー・オールマン、リッパー・コリンズ（もう１名不明）。<br>　　［結　　　果］　◎Ｄ・ディクソンの優勝。</font></p><br><br><p>　ドリーとロビンソンという実力者同士の初めての対戦は引き分けに終わった。そしてその再戦が翌日、場所をアルバータ州エドモントンに移して行われる。</p><br><br>
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<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 23:43:26 +0900</pubDate>
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<title>1969年７月３日　＆　偽物だらけのプロレス興行（その２）</title>
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<![CDATA[ <p>［１］1969年７月３日</p><br><p>　いよいよ今回のドリーのミッドアトランティック地区のサーキットも最終日を迎える。場所はノースカロライナ州ウィンストンセーラムで、会場となったのはウィンストンセーラム・メモリアル・コロシアムである。</p><br><p>　このコロシアムは1955年にオープンし、プロレスの興行にもたびたび使われたが、1987年に取り壊され、そのあとにローレンス・ジョエル・ベテランズ・メモリアル・コロシアムが建てられた。こちらもジム・クロケット・プロモーションおよびその興行を引き継いだワールド・チャンピオンシップ・レスリング（ＷＣＷ）によってプロレス会場として利用されている。結果は下記の通り。</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年７月３日（木曜日）　米国／ノースカロライナ州ウィンストンセーラム／ウィンストンセーラム・メモリアル・コロシアム</font></p><p><br><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　ボビー・レッド・クラウド（勝ち）エル・ガウチョ</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）女子シングルマッチ<br>　　　ペニー・バナー（勝ち）ベル・スター</font></p><p><br><font color="#ffff66">３）<em>ＮＷＡ認定アトランティックコーストタッグ選手権試合</em><br>　　　ジョージ・ベッカー＆ジョニー・ウィーバー（勝ち）ザ・ブロンド・ボンバーズ（スウェード・ハンソン＆リップ・ホーク）<br>　　　　※<em>第２代王者チームのＧ・ベッカー＆Ｊ・ウィーバーが王座防衛に成功する。</em></font><em><br></em><br></p><p><font color="#ffff66">４）ＮＷＡ認定世界ヘビー級選手権試合<br>　　　ドリー・ファンク・ジュニア（勝ち）ロック・ハンター<br>　　　　※第10代王者Ｄ・Ｆ・ジュニアが王座防衛に成功する。</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">５）タッグマッチ「ザ・バトル・オブ・ザ・ブリーズ」<br>　　　エルド・ボグニ＆ブロンコ・ルービッチ＆ジョージ・ハリス（無効試合）ジ・インフェルノス１号＆２号＆Ｊ・Ｃ・ダイクス</font></p><br><br><p>　<font color="#00bfff">第１試合</font>ではボビー・レッド・クラウド（ビリー・レッド・クラウド）がＥ・ガウチョことジャン・セバスチャン（47歳）を破る。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第２試合</font>にはＪ・セバスチャンの妻のＢ・スターが登場したが、実力者であるＰ・バナー（34歳）に敗北。夫婦そろって敗者になってしまった。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第３試合</font>には現ＮＷＡ認定アトランティックコーストタッグ王者チームのＧ・ベッカー（55歳）＆Ｊ・ウィーバー（34歳）が登場。前王者チームのＳ・ハンソン（36歳）＆Ｒ・ホーク（39歳）を返り討ちにした。この試合がタイトルマッチかどうかは不明。それにしてもベッカーは55歳で現役である上に、タッグ王座を保持しているとはすごいものである。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第４試合</font>はドリー（28歳）が再びＲ・ハンター（37歳）の挑戦を一蹴する。ハンターにとってはこの試合が最後のＮＷＡ世界王座挑戦であろうと思われる。</p><p><br></p><p>　<font color="#00bfff">第５試合</font>はヒールチーム同士の６人タッグマッチ。前日のノースカロライナ州アッシュビル大会で世界王者ドリーに挑戦して敗退したＢ・ルービッチ（43歳）がいつものタッグパートナーのＡ・ボグニ（51歳）とマネジャーのＧ・ハリス（42歳）を連れてリングに登場。相対するのはジ・インフェルノス１号＆２号（正体はカーティス・スミスとその兄ジミー・「ロッキー」・スミス）とマネージャーのＪ・Ｃ・ダイクス（42歳）の三人。</p><br><p>　この時期にこの地区では「ザ・バトル・オブ・ザ・ブリーズ（The battle of the bullies）」と名付けられたヒール軍対ヒール軍のタッグマッチあるいは６人タッグマッチが頻繁に行われていた。反則ＯＫの「ノーＤＱマッチ」として行われたこともたびたびあったようだ。面白いことに、これらのヒール対決がしばしばメインエベントになったのに対して、ベビーフェイス同士の対戦がメインエベントになったことはほとんどなかった。ちなみに「ブリーズ（bullies）」の単数形の「bully」というのは「殺し屋」とか「いじめっ子」という意味である。</p><br><p>　この日の結果は「無効試合」。両チームが入り乱れて収集がつかなくなったのであろう。この両チームはこの年の８月１日、８日、15日の３週に渡ってバージニア州リンチバーグで激突している。最後の試合はテキサスロイヤルマッチ（今でいうテキサストルネードマッチ）として行われているが、残念ながらいずれの結果も分かっていない。ボグニ＆ルービッチのマネージャーはこの前年もハリスが務めていたが、その前の年はホーマー・オデールであった。</p><br><br><br><p>［２］偽物だらけのプロレス興行（その２）</p><p><br>　ジャック・プフェファーとトニー・サントスが、著名なレスラーによく似た名前を既存のレスラーにつけて興行を行っていたことを前回お伝えしたが、その「偽物」の正体を調べてみると意外な実力者の名前が見られる。</p><p><br>　それらのリングネームとその正体を列挙してみる。左が偽物の名前で、右がその正体である。複数のレスラーが偽物を演じたらしい。<br></p><br><p><font color="#00ff66">　　ルー・ケーズ　＝　レイ・スティーブンス、ルイ・チレ、アル・トムコ<br>　　ホボ・ブラジル　＝　ルーファス・Ｒ・ジョーンズ、ドリー・ディクソン<br>　　テッド・ブラッシー　＝　ドン・カーソン<br>　　バミー・ロジャーズ　＝　リッパー・コリンズ、ロニー・ガービン<br>　　マグニフィセント・モーリス・チーバー　＝　クリス・コルト<br>　　ザ・グレート・モーティマ　＝　ハーリー・レイス<br>　　ナルドー・フォン・エリック　＝　クリス・マルコフ<br>　　ジミー・バレンタイン　＝　ギロチン・ゴードン（ジ・エンフォーサー）<br>　　（偽）ゴージャス・ジョージ　＝　ジョージ・グラント<br>　　ザ・ファビュラス・ザンガルーズ　＝　ジン・ダンディ（のちのフラッシュ・モンロー）＆ブル・モンタナ</font></p><p><br>　Ｒ・スティーブンス、Ｒ・Ｒ・ジョーンズ、Ｒ・ガービン、Ｈ・レイスは超一流選手であるし、他の選手もそれなりに活躍した選手である。プフェファーは若い選手の将来性を見抜く能力に長けていたようである。なおこの団体ではある時期に、ジャッキー・ファーゴがワイルドマン・ファーゴの名前で、ＮＷＡ世界王者に認定されていた。</p><br><p>　　　　*************************************************************</p><br><p>　ミッドアトランティック地区のサーキットを終えたドリーは、王座獲得以来二度目となるカナダのスタンピード地区のサーキットに入る。そこで待ち受けていたのはヨーロッパヘビー級、大英帝国ヘビー級、北米ヘビー級の３つの王座を保持するビル・ロビンソンである。その<strong><font color="#ff0000">ロビンソンとの５連戦</font></strong>がアルバータ州カルガリーで始まった。当時の新聞記事がいくつか発見できたので、それを紹介したいと思う。</p><br><br>
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<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 00:39:42 +0900</pubDate>
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<title>1969年７月２日　＆　偽物だらけのプロレス興行（その１）</title>
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<![CDATA[ <p>［１］1969年７月２日</p><p><br>　ジム・クロケット・プロモーションでの仕事も終わりに近づいてきた。この日はノースカロライナ州アッシュビルでの試合である。会場となったアッシュビル・シティ・オーデトリアムには1600人の観客が訪れる。このオーデトリアムは1975年に建て直されて、アッシュビル・シビック・センターと呼ばれるようになる。</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年７月２日（水曜日）　米国／ノースカロライナ州アッシュビル／アッシュビル・シティ・オーデトリアム、観衆：1600人</font></p><p><br><font color="#ffff66">１）タッグマッチ（１本勝負）<br>　　　レス・ウォルフ＆ランディ・カーティス（１－０）ザ・バルデス・ブラザーズ（パンチョ・バルデス＆ペドロ・バルデス）<br>　　　　◎ウォルフ（フォール勝ち）ペドロ</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）シングルマッチ（20分１本勝負）<br>　　　ポール・ジョーンズ（時間切れ）エルド・ボグニ</font></p><p><br><font color="#ffff66">３）タッグマッチ（３本勝負）<br>　　　ジ・インフェルノス１号＆２号（２－１）ミスター・レスリング＆サム・スティムボート</font></p><p><br><font color="#ffff66">４）ＮＷＡ認定世界ヘビー級選手権試合（３本勝負）<br>　　　ドリー・ファンク・ジュニア（２－１）ブロンコ・ルービッチ<br>　　　　※第10代王者Ｄ・Ｆ・ジュニアが王座防衛に成功する。</font></p><br><br><p>　<font color="#00bfff">第１試合</font>はＬ・ウォルフ（バディ・ウォルフ）とＲ・カーティスがタッグを組み、パンチョとペドロのバルデス兄弟を破る。ウォルフは１年後に国際プロレスにやってくるが、カーティスも翌年に日本プロレスに招へいされる。</p><br><p>　バルデス兄弟は実際には血縁関係のない「レスリング・ブラザーズ」である。パンチョは翌年、パンチョ・ロザリオとして国際プロレスに来ているし、またジプシー・ジョーのリングネームでも来日している。またアイザック・ロザリオなるリングネームも使っているが、1975年に来日した同名選手とは別人である。また彼はブルーノ・サンマルチノ（Bruno <font color="#ff0000">Sanmaartino</font>）を名乗ったこともある。元ＷＷＷＦ世界ヘビー級王者は一文字違いの「Bruno <font color="#ff0000">Sammartino</font>」である（下記「偽物だらけのプロレス興行」参照）。</p><br><p>　パンチョのパートナーであるペドロの正体は「スニー・ワー・クラウド」という選手である。このリングネームを使った選手は３人いるが、何とペドロは２年後の日本プロレスの「第２回ＮＷＡタッグリーグ戦」に、ザ・グレート・スヌーカ（ジミー・スヌーカ）とともに参戦したクラウドである。このスヌーカ＆クラウドは来日前にロサンゼルス地区でタッグチームを形成した記録が残っている。</p><br><br><p><font color="#ffff00">　 1971年９月２日（木曜日）　米国／カリフォルニア州ベーカーズフィールド／ストレリッチ・スタジアム</font></p><p><br><font color="#ffff00">１）シングルマッチ<br>　　　エル・サイコデリコ（勝ち）ベンガリ<br>　　　　※Ｅ・ソリタリオはＮＷＡ認定世界ライトヘビー級王者。</font></p><p><br><font color="#ffff00">２）シングルマッチ<br>　　　アル・スティール（結果不明）アポロ</font></p><p><br><font color="#ffff00">３）タッグマッチ<br>　　　キンジ・シブヤ＆ミスター・サイトー（勝ち）ザ・グレート・スヌーカ＆スニー・ワー・クラウド<br>　　　　※Ｋ・シブヤ＆Ｍ・サイトーはＮＷＡ認定アメリカスタッグ王者チーム。</font></p><p><br><font color="#ffff00">４）シングルマッチ<br>　　　ラウル・マタ（勝ち）ザ・グレート・ゴリアス</font></p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1971年９月10日（金曜日）　米国／カリフォルニア州ロサンゼルス／オリンピック・オーデトリアム</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　エル・サイコデリコ（勝ち）エル・メディコ</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）シングルマッチ<br>　　　エル・オリンピコ（勝ち）カウボーイ・フランキー・レイン<br>　　　　※Ｅ・オリンピコの正体はジョー・コレア。</font></p><p><br><font color="#ffff66">３）タッグマッチ<br>　　　フィデル・カスティロ＆エル・グラン・マーカス（勝ち）ザ・グレート・スヌーカ＆スニー・ワー・クラウド</font></p><p><br><font color="#ffff66">４）ＮＷＡ認定世界ライトヘビー級選手権試合<br>　　　エル・ソリタリオ（勝ち）ラウル・マタ<br>　　　　※Ｅ・ソリタリオが王座防衛に成功する。</font></p><p><br><font color="#ffff66">５）ＮＷＡ認定アメリカスタッグ選手権試合<br>　　　ブラック・ゴードマン＆ザ・グレート・ゴリアス（勝ち）キンジ・シブヤ＆ミスター・サイトー<br>　　　　※Ｋ・シブヤ＆Ｍ・サイトーが王座防衛に失敗。Ｂ・ゴードマン＆Ｇ・ゴリアスが新王者チームとなる。</font></p><p><br><font color="#ffff66">６）シングルマッチ（３本勝負）<br>　　　ジョン・トロス（２－１）フレッド・ブラッシー<br>　　　　※Ｊ・トロスはＮＷＡ認定アメリカスヘビー級王者。</font></p><br><p><br>　<font color="#00bfff">第２試合</font>ではＰ・ジョーンズ（27歳）とベテランのＡ・ボグニ（51歳）が20分フルタイム戦って引き分ける。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第３試合</font>は前日のサウスカロライナ州コロンビア大会の再戦。コロンビアの試合結果は分からないが、この日はＪ・Ｃ・ダイクス率いるジ・インフェルノスが白覆面のＭ・レスリング（ティム・ウッズ、34歳）とハワイ出身のＳ・スティムボート（35歳）のコンビを破っている。インフェルノスの正体は１号が弟のカーティス・スミスで、２号が兄のジミー・スミス（ロッキー・スミス）である。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第４試合</font>がドリー（28歳）の世界王座防衛戦。第２試合に進出したボグニのタッグパートナーのＢ・ルービッチ（43歳）が挑戦したが、２－１で敗退してしまう。ルービッチが次にドリーに挑戦するのは１年後の７月３日のバージニア州リッチモンド大会である。このルービッチは引退後、テキサス州ダラス地区（イーストテキサス地区）でレフェリーをやっていた。</p><br><p>　なお、この日ジム・クロケット・プロモーションでは２か所でテレビマッチの収録が行われている。合わせて紹介しておこう。「ポール・ジョーンズ　対　ネルソン・ロイヤル」というおもしろいカードが実現している。</p><br><p><br><font color="#ffff00">　 1969年７月２日　米国／ノースカロライナ州シャーロット／ＷＢＴＶ・テレビ・スタジオ<br></font></p><p><font color="#ffff00">１）シングルマッチ<br>　　　ポール・ジョーンズ（結果不明）ネルソン・ロイヤル</font></p><p><br><font color="#ffff00">２）シングルマッチ<br>　　　ボブ・グリフィン（結果不明）ラーズ・アンダーソン</font></p><p><br><font color="#ffff00">３）タッグマッチ<br>　　　ザ・フライング・スコット・ブラザーズ（ジョージ・スコット＆サンディ・スコット）（結果不明）ザ・ブロンド・ボンバーズ（スウェード・ハンソン＆リップ・ホーク）</font></p><p><font color="#ffff00"><br></font></p><p><font color="#ffff00">□ノースカロライナ州シャーロットで放映される「チャンピオンシップ・レスリング（７月５日放映）」の収録。</font></p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年７月２日　米国／ノースカロライナ州ローリー／ＷＲＡＬ・テレビ・スタジオ</font></p><p><br><font color="#ffff66">１）タッグマッチ<br>　　　ザ・ブロンド・ボンバーズ（スウェード・ハンソン＆リップ・ホーク）（勝ち）ボブ・グリフィン＆ジェシー・ジェームズ</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）タッグマッチ<br>　　　ジョニー・ウィーバー＆セーラー・アート・トーマス（勝ち）トム・ブラッドリー＆ジョニー・ハイドマン</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">□ノースカロライナ州ローリーで放映される「オールスター・レスリング（７月５日放映）」および、ノースカロライナ州ハイポイント、ノースカロライナ州シャーロット、ノースカロライナ州ローリーの３地域を除くクロケットランドで放映される「オールスター・レスリング」の収録。<br></font></p><p><br></p><br><p>［２］偽物だらけのプロレス興行（その１）</p><p><br>　パンチョ・ロザリオ（ジプシー・ジョー）がブルーノ・サンマルチノ（Bruno <font color="#ff0000">Sanmartino</font>、元ＷＷＷF世界王者はBruno <font color="#ff0000">Sammartino</font>）の名前で試合をしたことがあることを書いたが、1960年代に有名レスラーの名前と紛らわしいリングネームを既存のレスラーにつけて興行を行っていた人物がいる。その人物はジャック・プフェファーとトニー・サントスである。</p><br><p>　彼らの興行に登場した紛らわしいリングネームというのは以下のようなものである（右側は有名レスラーの名前）。</p><p><br><font color="#00ff66">　　　ルー・ケーズ　←　ルー・テーズ<br>　　　ホボ・ブラジル　←　ボボ・ブラジル<br>　　　ドリー・ニクソン　←　ドリー・ディクソン<br>　　　テッド・ブラッシー　←　フレッド・ブラッシー<br>　　　バミー・ロジャーズ　←　バディ・ロジャーズ<br>　　　マグニフィセント・モーリス・チーバー　←　マグニフィセント・モーリス<br>　　　ジン・マンリー　←　ジン・スタンリー<br>　　　ザ・グレート・モーティマ　←　ザ・グレート・モーティア（ハンス・モーティア）<br>　　　ナルドー・フォン・エリック　←　ワルドー・フォン・エリック<br>　　　ロード・クレイトン　←　ロード・レイトン（アソール・レイトン）<br>　　　ヘイスタック・マルドーン　←　ヘイスタック・カルホーン<br>　　　ザ・ファビュラス・ザンガルーズ　←　ザ・ファビュラス・カンガルーズ<br>　　　アックス・サンダーソン　←　オックス・アンダーソン<br>　　　フランキー・スカルパ　←　フランク・スカルパ<br>　　　チラー・コワルスキー　←　キラー・コワルスキー<br>　　　（偽）ゴージャス・ジョージ　←　ゴージャス・ジョージ<br>　　　デューク・グラハム　←　ルーク・グラハム<br>　　　ジミー・バレンタイン　←　ジョニー・バレンタイン<br>　　　カウボーイ・ジョージ・バレンタイン　←　ジョニー・バレンタイン</font></p><br><p>　一体、どんな選手が「偽物」に変身したのか。そこには意外なレスラーの名前が・・・。</p><p><br>*******************************************************************</p><br><p>　ドリーの今回のミッドアトランティック地区のサーキットも最終日。挑戦者はまたしてもロック・ハンター。この試合ではファンがあまり盛り上がらないのであろうか、メインエベントはヒール軍対ヒール軍の６人タッグマッチが行われた。</p><br><br>
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<pubDate>Sat, 01 Dec 2012 00:05:05 +0900</pubDate>
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<title>1969年７月１日</title>
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<![CDATA[ <p>　ノースカロライナ州シャーロットでの試合を終えたドリーは次の試合場へと向かった。ドリーが初めて訪れるサウスカロライナ州コロンビアではタウンシップ・オーデトリアムを使って毎週火曜日の夜に定期戦が行われている。</p><br><p>　同じミッドアトランティック地区のノースカロライナ側では火曜日の夜はローリー市内のＪ・Ｓ・ドルトン・アリーナで試合が行われている。前回の２月18日（火曜日）にはドリーはこのローリーでブルドッグ・リー・ヘニングを相手に防衛戦を行ったが、今回はコロンビアでの防衛戦を指示された。試合結果は分かっていないが、カードは下記のようなものである。</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年７月１日（火曜日）　米国／サウスカロライナ州コロンビア／タウンシップ・オーデトリアム</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　トム・ブラッドリー（結果不明）アンジェロ・マルチネリ<br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">２）タッグマッチ<br>　　　コア・チキ＆ボビー・レッド・クラウド（結果不明）ザ・ブロンド・ボンバーズ（スウェード・ハンソン＆リップ・ホーク）</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">３）タッグマッチ<br>　　　ミスター・レスリング＆サム・スティムボート（結果不明）ジ・インフェルノス１号＆２号</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">４）ＮＷＡ認定世界ヘビー級選手権試合<br>　　　ドリー・ファンク・ジュニア（結果不明）ロック・ハンター<br>　　　　※第10代王者Ｄ・Ｆ・ジュニアが王座防衛に成功する。</font></p><br><br><p>　<font color="#00bfff">第１試合</font>はＴ・ブラッドリーがＡ・マルチネリとシングルマッチで対戦。ブラッドリーは1948年12月にはすでにリングに上がっている。マサチューセッツ州ボストン出身のマルチネリは体重が100キロ弱の選手で、1945年10月には試合を行っている。どちらもかなりのベテラン選手であろう。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第２試合</font>にはこの地区で猛威をふるっているザ・ブロンド・ボンバーズが登場。Ｓ・ハンソン（36歳）とＲ・ホーク（39歳）のふたりはこの日、インディアンレスラーのボビー・レッド・クラウド（ビリー・レッド・クラウド）とＫ・チキのコンビと対戦する。</p><p><br></p><p>　<font color="#00bfff">第３試合</font>ではＪ・Ｃ・ダイクス率いるジ・インフェルノス１号＆２号が登場。インフェルノスは前日のノースカロライナ州シャーロット大会で、ＮＷＡアトランティックコーストタッグ王者チームのジョージ・ベッカー＆ジョニー・ウィーバーに挑戦したが、惜しくも１－２で敗退している。この覆面チームの正体はカーティス・スミス（１号）とロッキー・スミス（２号）のスミス兄弟である。</p><br><p>　この年の１月から２月にかけてフロリダに出現したインフェルノスは、２号は今回のチームと同じＲ・スミスであるが、１号はフランキー・ケイン（ザ・グレート・メフィスト）であった。この日、インフェルノスのふたりは白覆面のＭ・レスリング（ティム・ウッズ、34歳）とＳ・スティムボート（35歳）の強豪チームと対戦している。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第４試合</font>は世界王者ドリー（28歳）のタイトルマッチ。この日も挑戦者はＲ・ハンター（37歳）。このハンターは２日後にノースカロライナ州ウィンストンセーラムでもう一度だけドリーの世界王者に挑戦するが、パット・オコーナーが世界王者のときにカナダで挑戦したことがある。現在のところ、彼がＮＷＡ認定世界ヘビー級王座に挑戦した記録はドリー戦とオコーナー戦（１回）以外には見つかっていない。</p><br><br><p><font color="#66ff66">　 1960年７月16日　カナダ／オンタリオ州オシャワ／キンズメン・スタジアム<br>□ＮＷＡ認定世界ヘビー級選手権試合<br>　　　パット・オコーナー（結果不明）ロック・ハンター<br>　　　　※第８代王者Ｐ・オコーナーが王座防衛に成功する。</font></p><br><br><p>　なおミッドアトランティック地区では、この日には先に述べたローリーでのハウス・ショーの他に、ノースカロライナ州ハイポイントでこの週の土曜日にハイポイント周辺で放映されるプロレス番組「チャンピオンシップ・レスリング」の録画撮りが行われているので、合わせて載せておく</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年７月１日　米国／ノースカロライナ州ハイポイント／ＷＧＨＰ・テレビ・スタジオ</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">１）タッグマッチ／<em>ノンタイトルマッチ</em><br>　　　ジョージ・ベッカー＆ジョニー・ウィーバー（勝ち）エル・ガウチョ＆パンチョ・バルデス<br>　　　　※Ｇ・ベッカー＆Ｊ・ウィーバーはＮＷＡ認定アトランティックコーストタッグ王者チーム。<br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">□「チャンピオンシップ・レスリング（７月５日放映）」の収録。</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">　 1969年７月１日　米国／ノースカロライナ州ローリー／J・S・ドルトン・アリーナ</font></p><p><br><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　グレッグ・ピーターソン（勝ち）ジョニー・ハイドマン</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）シングルマッチ</font></p><p><font color="#ffff66">　　　ボブ・グリフィン（勝ち）ボビー・ポール</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">３）シングルマッチ<br>　　　ジョージ・スコット（勝ち）ペドロ・バルデス<br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">４）６人タッグマッチ（３本勝負）<br>　　　ネルソン・ロイヤル＆ポール・ジョーンズ＆サンディ・スコット（２－１）ジ・アンダーソン・ブラザーズ（ジン・アンダーソン＆オレイ・アンダーソン＆ラーズ・アンダーソン）</font></p><br><br><p>　サウスカロライナ州コロンビアを出発したドリーは次の防衛戦が行われるノースカロライナ州アッシュビルに向かった。世界王者を待っているのはブロンコ・ルービッチである。</p><br><br>
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<pubDate>Fri, 30 Nov 2012 00:11:00 +0900</pubDate>
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<title>1969年６月30日</title>
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<![CDATA[ <p>［１］1969年６月30日</p><br><p>　４か月ぶりに世界王者がノースカロライナ州シャーロットにやってきた。前回、ドリーがこの地を訪れたのは２月24日のことで、ブルドッグ・リー・ヘニングの挑戦を退けている。今回会場となったのは前回と同じシャーロット・コロシアム。</p><br><p>　現在のシャーロット・コロシアムは1988年８月にオープンした２代目であるが、この日の会場となったコロシアムは1955年にオープンした初代の方である。このコロシアムは２代目が作られたときにインディペンデンス・アリーナと改称され、さらにクリケット・アリーナ、ボージャングルス・コロシアムと改称された。</p><br><p>　当時シャーロットでは毎週月曜日に定期戦が行われていたが、ほとんどが小さなシャーロット・パーク・センター（現在のグラディ・コール・センター）で行われていた。1969年にシャーロットでのハウス・ショーは年間50回行われているが、パーク・センターで45回、コロシアムで４回、シャーロット・メモリアル・スタジアムで１回開催されている。だから今回のショーは特別な興行なわけである。そのため、フロリダから三人の強豪が呼ばれた。</p><br><p>　なおこの前日の日曜日は王者ドリーはオフではなかったかと思われる。当時、ミッドアトランティック地区（ジム・クロケット・プロモーション）は日曜日には興行を行っていなかったからである。</p><p><br>　月曜日の試合結果は下記の通り。</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年６月30日　米国／ノースカロライナ州シャーロット／シャーロット・コロシアム、観衆：7061人</font></p><p><br><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　ボビー・レッド・クラウド（勝ち）ジョニー・ハイドマン</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）シングルマッチ<br>　　　ポール・ジョーンズ（勝ち）コア・チキ</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">３）女子シングルマッチ<br>　　　ペニー・バナー（勝ち）ベル・スター</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">４）タッグマッチ<br>　　　ジョー・スカルパ＆セーラー・アート・トーマス（勝ち）ハンス・モーティア＆ロック・ハンター</font></p><p><br><font color="#ffff66">５）ＮＷＡ認定アトランティックコーストタッグ選手権試合（３本勝負）<br>　　　ジョージ・ベッカー＆ジョニー・ウィーバー（２－１）ジ・インフェルノス１号＆２号<br>　　　　③ベッカー組（リングアウト）インフェルノス<br>　　　　※第２代王者チームのＧ・ベッカー＆Ｊ・ウィーバーが王座防衛に成功する。</font></p><p><br><font color="#ffff66">６）ＮＷＡ認定世界ヘビー級選手権試合<br>　　　ドリー・ファンク・ジュニア（勝ち）ボリス・マレンコ<br>　　　　※第10代王者Ｄ・Ｆ・ジュニアが王座防衛に成功する。Ｂ・マレンコはＮＷＡ認定フロリダブラスナックルズ王者。</font></p><br><br><p>　<font color="#00bfff">第１試合</font>ではインディアンレスラーのＢ・Ｒ・クラウド（ビリー・レッド・クラウド）がベテランのＪ・ハイドマン（48歳）に勝つ。クラウドは２年後に国際プロレスに、ハイドマンは３年後に新日本プロレスに登場している。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第２試合</font>はベビーフェイス同士の対戦。ネルソン・ロイヤルとのタッグチームで出場することの多いＰ・ジョーンズ（27歳）は、この日はＫ・チキと一騎打ちを行い勝利を得ている。前回、「ドリー対エイブ・ジェイコブズ」のところで、ベビーフェイス同士の対戦が珍しい旨を述べたが、これはセミファイナルやメインエベントの場合のことであり、前座の試合では善玉対決はよく見られた。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第３試合</font>は女子のシングルマッチ。強豪Ｐ・バナー（34歳）がＢ・スターを破る。バナーはＪ・ウィーバーの妻（後に離婚）で、得意技はドロップキック、スモール・パッケージ・ホールド（首固め）、サンセット・フリップ（前方回転エビ固め）。一方、スターはエル・ガウチョ（ジャン・セバスチャン）の妻である。バナーはなかなかの実力者で、ザ・ファビュラス・ムーラ（スレーブ・ガール・ムーラ、リリアン・エリソン）の世界王座に幾度か挑戦している（両者の対戦結果は下記参照）。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第４試合</font>はタッグマッチ。前回、フロリダから二人のレスラーが招へいされ、ひとりがドリーに挑戦するボリス・マレンコであることを書いたが、実際にはマレンコを含めて三人が呼ばれている。あとの二人がこのタッグマッチに出場するＪ・スカルパ（40歳）とＨ・モーティア（43歳）である。スカルパは黒人レスラーのＳ・Ａ・トーマス（34歳）を、モーティアはＲ・ハンター（37歳）をパートナーにして試合に臨んだが、結果はスカルパ組の勝利に終わっている。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第５試合</font>はアトランティックコーストタッグ王者のチームＧ・ベッカー（53歳）＆Ｊ・ウィーバー（35歳）が登場し、Ｊ・Ｃ・ダイクスの率いるジ・インフェルノスと防衛戦を行った。１－１からの決勝の３本目は王者チームがリングアウトで勝利を得ている。インフェルノスの正体はカーティス・スミス（１号）とロッキー・スミス（ジミー・スミス、２号）のスミス兄弟である。</p><p><br>　インフェルノスは前年（1968年）の１月から６月までこの地区で活躍していたが、その時のメンバーはフランキー・　ケイン（１号）とロッキー・スミス（２号）であった。この二人は５月後半にはジョージアにも出現する。そしてこの年（1969年）の１～２月にフロリダに出現したのも同じメンバーであった。</p><br><p>　このチームは一時解散し、Ｆ・ケインの代わりにＲ・スミスの兄弟であるカーティス・スミスが１号を名乗った。このメンバーで５月中旬より、この地区に入ったのである。スミス兄弟のインフェルノスは翌年（1970年）10月にこの地区からフロリダ地区に移っている。ただし1970年のミッドアトランティック地区における１号はどのくらいの期間かは不明であるが、クルト・フォン・ストロハイムに入れ替わっていたらしい。</p><br><p>　なぜＣ・スミスとＫ・Ｖ・ストロハイムが入れ替わったかというと、当時Ｃ・スミスはこのミッドアトランティック地区とガルフコースト地区（アラバマおよびミシシッピー州）とを掛け持ちしていたからだと思う。Ｆ・ケインがボビー・ハートとともに「メフィスト＆ダンテ」として戦い始めたため、Ｒ・スミスは弟をパートナーにした。しかし弟はガルフコースト地区でザ・ブルー・ヤンキーとしてトップクラスにあったから、ミッドアトランティックでのインフェルノスの仕事は片手間であったのであろう。よってＣ・スミスがガルフコースト地区に出向いたときは、ストロハイムが代役を務めたのではないか。したがって一定の期間入れ替わっていたというよりも、時々入れ替わっていたのではないかと思われる。</p><p><br>　そして最終試合（<font color="#00bfff">第６試合</font>）がドリー（28歳）の世界王座防衛戦。挑戦者はフロリダからワンマッチ契約で招へいされた現フロリダブラスナックルズ王者のＢ・マレンコ（ザ・グレート・マレンコ、36歳）。５月13日のフロリダ州タンパで挑戦して敗れているマレンコが雪辱戦に臨んだが、王座奪取はならなかった。マレンコが次にドリーと対戦するのは翌年の５月25日のテキサス州フォートワース大会である。</p><br><p>　この日もこの地区では同日３興行が行われている。他の２つのハウス・ショーの結果も載せておく。</p><br><br><p><font color="#ffcc66">　 1969年６月30日　米国／ノースカロライナ州フェイエットビル／カンバーランド・カウンティ・メモリアル・オーデトリアム、観衆：2500人</font></p><p><br><font color="#ffcc66">１）シングルマッチ<br>　　　ルーター・リンゼイ（勝ち）ボビー・ポール</font></p><p><br><font color="#ffcc66">２）シングルマッチ<br>　　　レス・ウォルフ（勝ち）ロン・チャールズ</font></p><p><br><font color="#ffcc66">３）シングルマッチ<br>　　　ラーズ・アンダーソン（勝ち）エイブ・ジェイコブズ</font></p><p><br><font color="#ffcc66">４）タッグマッチ<br>　　　ザ・フライング・スコット・ブラザーズ（ジョージ・スコット＆サンディ・スコット）（勝ち）ザ・バルデス・ブラザーズ（パンチョ・バルデス＆ペドロ・バルデス）</font></p><p><br><font color="#ffcc66">５）タッグマッチ「ザ・バトル・オブ・ザ・ブリーズ」（３本勝負）<br>　　　ジ・アンダーソン・ブラザーズ（ジン・アンダーソン＆オレイ・アンダーソン）（１－１）ザ・ブロンド・ボンバーズ（スウェード・ハンソン＆リップ・ホーク）<br>　　　　③アンダーソンズ（無効試合）ボンバーズ</font></p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年６月30日　米国／サウスカロライナ州グリーンビル／グリーンビル・メモリアル・オーデトリアム</font></p><p><br><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　ジェシー・ジェームズ（引き分け）ボブ・グリフィン</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）シングルマッチ<br>　　　ランディ・カーティス（フォール勝ち）エル・ガウチョ</font></p><p><br><font color="#ffff66">３）タッグマッチ<br>　　　グレッグ・ピーターソン＆アンジェロ・マルチネリ（勝ち）エル・ロボ＆トム・ブラッドリー<br>　　　　※Ｅ・ロボの正体はペドロ・ザパタ。</font></p><p><br><font color="#ffff66">４）シングルマッチ<br>　　　エイブ・ジェイコブズ（反則勝ち）ジョージ・ハリス</font></p><p><br><font color="#ffff66">５）テキサスロイヤルマッチ<br>　　　ミスター・レスリング＆サム・スティムボート（勝ち）エルド・ボグニ＆ブロンコ・ルービッチ<br>　　　　※Ｍ・レスリングの正体はティム・ウッズ。</font></p><br><p>********************************************************************:</p><br><p>［２］ペニー・バーナー対ザ・ファビュラス・ムーラ</p><p><br>　二人の対戦結果を調べてみた。すべてミッドアトランティック地区で行われている。</p><p><br><font color="#66ff66">　　1963年１月24日　米国／ノースカロライナ州グリーンズボロ／グリーンズボロ・メモリアル・コロシアム<br>□ＮＷＡ認定世界女子選手権試合<br>　　　スレーブ・ガール・ムーラ（14分０秒、リングアウト）ペニー・バナー</font></p><p><font color="#66ff66">　　　　※第３代王者Ｓ・Ｇ・ムーラが王座防衛に成功する。</font></p><p><font color="#66ff66"><br></font></p><p><font color="#66ff66">　 1965年３月18日　米国／ノースカロライナ州グリーンズボロ／グリーンズボロ・メモリアル・コロシアム<br>□女子シングルマッチ／<em>ノンタイトルマッチ</em>（20分１本勝負）<br>　　　スレーブ・ガール・ムーラ（時間切れ）ペニー・バナー<br>　　　　※Ｓ・Ｇ・ムーラはＮＷＡ認定世界女子王者。</font></p><p><font color="#66ff66"><br></font></p><p><font color="#66ff66">　 1966年５月２日　米国／バージニア州ダンビル／</font><font color="#66ff66"><em>ダンビル・シティ・アーモリー<br></em>□</font><font color="#66ff66"><em>ＮＷＡ認定世界女子選手権試合<br></em>　　　ザ・ファビュラス・ムーラ（結果不明）ペニー・バナー<br>　　　　※<em>第３代王者Ｆ・ムーラが王座防衛に成功する。</em></font></p><p><font color="#66ff66"><br></font></p><p><font color="#66ff66">　 1966年５月５日　米国／バージニア州ノーフォーク／<em>ノーフォーク・アリーナ</em><br>□<em>ＮＷＡ認定世界女子選手権試合</em><br>　　　ザ・ファビュラス・ムーラ（引き分け）ペニー・バナー<br>　　　　※<em>第３代王者Ｆ・ムーラが王座防衛に成功する。</em></font></p><p><font color="#66ff66"><br></font></p><p><font color="#66ff66">　 1972年２月24日　米国／バージニア州ノーフォーク／スコープ・コロシアム<br>□ＮＷＡ世界女子選手権試合<br>　　　ザ・ファビュラス・ムーラ（両者リングアウト）ペニー・バナー<br>　　　　※第５代王者Ｆ・ムーラが王座防衛に成功する。</font></p><p><font color="#66ff66"><br></font></p><p><font color="#66ff66">　 1972年９月13日　米国／ノースカロライナ州アッシュビル／アッシュビル・シティ・オーデトリアム<br>□ＮＷＡ世界女子選手権試合<br>　　　ザ・ファビュラス・ムーラ（勝ち）ペニー・バナー<br>　　　　※第５代王者Ｆ・ムーラが王座防衛に成功する。</font></p><p><font color="#66ff66"><br></font></p><p><font color="#66ff66">　 1972年10月11日　米国／ノースカロライナ州アッシュビル／アッシュビル・シティ・オーデトリアム<br>□ＮＷＡ世界女子選手権試合<br>　　　ザ・ファビュラス・ムーラ（両者リングアウト）ペニー・バナー<br>　　　　※第５代王者Ｆ・ムーラが王座防衛に成功する。</font></p><p><font color="#66ff66"><br></font></p><p><font color="#66ff66">　 1973年３月３日　米国／ノースカロライナ州ウィンストンセーラム／ウィンストンセーラム・メモリアル・コロシアム<br>□<em>ＮＷＡ認定世界女子選手権試合</em><br>　　　ザ・ファビュラス・ムーラ（両者リングアウト）ペニー・バナー<br>　　　　※<em>第５代王者Ｆ・ムーラが王座防衛に成功する。</em></font></p><br><p>********************************************************************:</p><br><p>　月が変わって７月。ミッドアトランティック地区のサウスカロライナ州コロンビアに世界王者ドリーが初めて登場する。しかしその挑戦者は・・・。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/battlemania/entry-11415068719.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Nov 2012 00:51:36 +0900</pubDate>
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<title>1969年６月28日</title>
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<![CDATA[ <p>　ロック・ハンターを相手に２連勝したドリーはバージニア州からノースカロライナ州に移る。バーリントンでドリーと対戦するのはベビーフェイスのエイブ・ジェイコブズである。試合会場となったのはフェアチャイルド・パークであるが、ここがプロレス会場として使われたのは現在分かっているところでは1966年から1974年までである。試合結果は下記のようなものである。</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年６月28日　米国／ノースカロライナ州バーリントン／フェアチャイルド・パーク<br>　 試合開始：午後８時</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">１）シングルマッチ（３本勝負）<br>　　　コア・チキ（２－１）ジョニー・ハイドマン<br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">２）タッグマッチ（３本勝負）<br>　　　ロック・ハンター＆エル・ロボ（２－１）ボビー・レッド・クラウド＆グレッグ・ピーターソン<br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">３）シングルマッチ／ノンタイトルマッチ（３本勝負）<br>　　　ドリー・ファンク・ジュニア（２－１）エイブ・ジェイコブズ<br>　　　　※Ｄ・Ｆ・ジュニアはＮＷＡ認定世界ヘビー級王者。</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">４）６人タッグマッチ<br>　　　ジ・アンダーソン・ブラザーズ（ジン・アンダーソン＆オレイ・アンダーソン＆ラーズ・アンダーソン）（反則勝ち）ジョージ・ベッカー＆ジョニー・ウィーバー＆セーラー・アート・トーマス</font></p><br><br><p>　<font color="#00bfff">第１試合</font>ではＫ・チキがＪ・ハイドマン（48歳）を２－１で破る。ハイドマンは３年後に新日本プロレスに登場するが、その時はなんと51歳であった。</p><p><br></p><p>　<font color="#00bfff">第２試合</font>はタッグマッチ。この日が誕生日であるＧ・ピーターソン（38歳）がＢ・Ｒ・クラウドと組んで、２日連続で世界王者と対戦したＲ・ハンター（37歳）およびマスクトレスラーのＥ・ロボと対戦したが、誕生日の記念試合は無残な敗北に終わった。ハンターのパートナーを務めたロボの正体はペドロ・ザパタであるが、世界王者のドリーが前回この地区に来た時にバーリントンで挑戦している（２月20日）。Ｂ・Ｒ・クラウドはこの地区では「ビリー・レッド・クラウド」とも名乗っている。</p><p><br></p><p>　<font color="#00bfff">第３試合</font>は世界王者のドリー（28歳）がニュージーランド出身のＡ・ジェイコブズを相手に２－１で、珍しいベビーフェイス同士の対戦を制している。この試合はノンタイトルマッチであった。ジェイコブズは素顔のエイブ・ジェイコブズとしてだけではなく、レッド・ピンパネールというマスクトレスラーとしても来日している。</p><p><br></p><p>　そして<font color="#00bfff">第４試合</font>ではジン（29歳）、オレイ（26歳）、ラーズ（30歳）のアンダーソン３兄弟が、前日のリッチモンド大会に引き続いて６人タッグマッチに登場。この日の対戦相手はＮＷＡ認定アトランティックコーストタッグ王者チームのＧ・ベッカー＆Ｊ・ウィーバーに、黒人のＳ・Ａ・トーマスを加えた強豪トリオ。この試合はベッカーが故意にレフェリーを場外に落としたため、アンダーソン兄弟の反則勝ちとなっている。</p><br><p>　なおベッカー＆ウィーバー組は前年の４月にジンとラーズのアンダーソン兄弟を王座決定戦で破って、ＮＷＡ認定南部タッグ王座を獲得しているが、この時点でこの王座の防衛戦がまだ行われていたかどうかは現在調査中である。決して南部タッグ王座がアトランティックコーストタッグ王座に改称された訳ではない。<br></p><br><p>　第１試合から第３試合までは３本勝負で行われているが、第４試合も３本勝負である可能性が高い。試合数が少なくても、興行自体はそれほど短くないと思われる。</p><br><p>　この日もこの地区では同日３興行が行われている。他の２つのハウス・ショーのカードまたは試合結果も載せておこう。</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年６月28日　米国／サウスカロライナ州スパルタンバーグ／スパルタンバーグ・メモリアル・オーデトリアム<br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　ボブ・グリフィン（勝ち）トム・ブラッドリー</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">２）シングルマッチ<br>　　　ランディ・カーティス（勝ち）サイレント・ロドリゲス</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">３）タッグマッチ<br>　　　ジ・インフェルノス１号＆２号（勝ち）ザ・フライング・スコット・ブラザーズ（ジョージ・スコット＆サンディ・スコット）<br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">４）タッグマッチ<br>　　　ザ・ブロンド・ボンバーズ（スウェード・ハンソン＆リップ・ホーク）（勝ち）ネルソン・ロイヤル＆ポール・ジョーンズ</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">　 1969年６月28日　米国／バージニア州ロアノーク／ビクトリー・スタジアム</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　マイク・シェーン（結果不明）ジェシー・ジェームズ</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">２）シングルマッチ<br>　　　ロン・チャールズ（結果不明）ボビー・ポール</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">３）タッグマッチ<br>　　　レス・ウォルフ＆ルーター・リンゼイ（結果不明）パンチョ・バルデス＆エル・ガウチョ<br></font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">４）タッグマッチ<br>　　　ミスター・レスリング＆サム・スティムボート（結果不明）エルド・ボグニ＆ブロンコ・ルービッチ</font></p><br><br><p>　世界王者ドリーのミッドアトランティック地区での戦いはまだ続く。一日置いてノースカロライナ州シャーロットを訪れた世界王者を待っていたのは、フロリダからワンマッチ契約で招へいされたボリス・マレンコであった。そしてもう一人の強豪がマレンコとともにフロリダから乗り込んでいた。</p><br><br><p></p><p></p><p></p><p></p><p></p><p></p><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/battlemania/entry-11414759928.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Nov 2012 00:07:23 +0900</pubDate>
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<title>1969年６月27日</title>
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<![CDATA[ <p>　ドリーのジム・クロケット・プロモーションでの２日目の試合はバージニア州リッチモンドで行われた。が、実際には試合会場の「バージニア・ステート・フェアグラウンズ・アット・ストロベリー・ヒルズ」はリッチモンド市内ではなく、リッチモンド郊外にある。</p><br><p>　正確に書くと「米国／バージニア州ヘンライコ・カウンティ／バージニア・ステート・フェアグラウンズ・アット・ストロベリー・ヒルズ」となる。リッチモンドのプロレスファンはここにある小さなアリーナで試合を楽しんでいたのであるが、1970年代になると、リッチモンド・コロシアムやリッチモンド・アリーナのような大会場も頻繁に使われるようになった。そして1975年を最後に、このフェアグラウンズの会場がプロレスに使われることはなくなった。</p><br><p>　しかしまだこのころは毎週金曜日の夜に、プロレスファンがフェアグラウンズに集まっていた。試合結果は下記の通り。</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年６月27日　米国／バージニア州リッチモンド／バージニア・ステート・フェアグラウンズ・アット・ストロベリー・ヒルズ</font></p><p><br><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　サンディ・スコット（勝ち）サイレント・ロドリゲス</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）タッグマッチ（３本勝負）<br>　　　ザ・ブロンド・ボンバーズ（スウェード・ハンソン＆リップ・ホーク）（２－１）グレッグ・ピーターソン＆ルーター・リンゼイ</font></p><p><br><font color="#ffff66">３）６人タッグマッチ／ノーＤＱマッチ（３本勝負）<br>　　　ネルソン・ロイヤル＆ポール・ジョーンズ＆ジョージ・スコット（２－１）ジ・アンダーソン・ブラザーズ（ジン・アンダーソン＆オレイ・アンダーソン＆ラーズ・アンダーソン）<br>　　　　③ロイヤル組（リングアウト）アンダーソンズ</font></p><p><br><font color="#ffff66">４）シングルマッチ／ノンタイトルマッチ（３本勝負）<br>　　　ドリー・ファンク・ジュニア（勝ち）ロック・ハンター<br>　　　　※Ｄ・Ｆ・ジュニアはＮＷＡ認定世界ヘビー級王者。</font></p><br><br><p>　<font color="#00bfff">第１試合</font>はスコット兄弟の弟であるサンディ（35歳）が登場し、Ｓ・ロドリゲスに勝つ。テキサス州サンアントニオ出身のロドリゲスは、本名をデビッド・ロドリゲスというが、聴覚と発声が不自由であったため、「サイレント」を名乗った。サンディは兄のジョージとともに、「ザ・フライング・スコット・ブラザーズ」として戦うことも多く、この地区ではＮＷＡ認定の南部タッグ王座を獲得したことがある。</p><p><br><font color="#00bfff">　第２試合</font>はＳ・ハンソン（36歳）＆Ｒ・ホーク（39歳）のザ・ブロンド・ボンバーズが登場し、Ｇ・ピーターソン（37歳）＆Ｌ・リンゼイ（44歳）から２－１で勝利を得る。ピーターソンは３年後の41歳のときに新日本プロレスにやってくるが、すでに峠を越した選手であった。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第３試合</font>はノーＤＱ・６人タッグマッチ。ＤＱとは反則のことである。つまりノーＤＱマッチというのはなんでもＯＫの試合である。「エニーシング・ゴーズ・マッチ（Anything goes match）」などと言われることもある。こんなルールであれば１本勝負で行われるのが普通であると思われるのだが、このエリアはノーＤＱマッチでもたいてい３本勝負で行われている。</p><br><p>　スコット兄弟の兄であるジョージ（39歳）が、Ｎ・ロイヤル（38歳）＆Ｐ・ジョーンズ（27歳）を引き連れて登場。相手チームはジン（29歳）、オレイ（26歳）、ラーズ（30歳）のアンダーソン兄弟である。結果は３本目にリングアウト勝ちとなったスコット組の勝利に終わっている。このころのこの地区の試合は６人タッグマッチが実に多く、アンダーソン３兄弟の他に、エルド・ボグニ＆ブロンコ・ルービッチにマネージャーのジョージ・ハリスを加えたチーム、そしてジ・インフェルノス１号＆２号にマネージャーのＪ・Ｃ・ダイクスを加えたトリオが、ヒールチームの常連であった。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第４試合</font>がＮＷＡ世界王者の試合。前回のブログではタイトルマッチであると書いたが、この日のＲ・ハンター戦と翌日のエイブ・ジェイコブズ戦はノンタイトルマッチであることが判明した。訂正してお詫びしたい。ドリー（28歳）はこの日もハンター（37歳）を２－１で撃破している。</p><p><br>　この日、ジム・クロケット・プロモーションは他の２会場でも興行を打っている。同日に３会場での興行というと全米に進出したＷＷＦ（現ＷＷＥ）が有名であるが、ローカルテリトリーが存在していた時期には、このミッドアトランティック地区以外にはあまり見られなかったのではないか。</p><br><p>　地域が広大であるからこそ、可能であったのであろう。しかし同時に多くのレスラーを抱えなければならなかったから、その分リスクも大きかったはずである。他の２会場のカ－ドまたは試合結果は下記のようなものである。</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年６月27日　米国／ノースカロライナ州レノアー／マック・クック・スタジアム</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　レス・ウォルフ（結果不明）ジョニー・ハイドマン</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）シングルマッチ<br>　　　エイブ・ジェイコブズ（結果不明）パンチョ・バルデス</font></p><p><br><font color="#ffff66">３）シングルマッチ<br>　　　エル・ガウチョ（結果不明）ボビー・レッド・クラウド</font></p><p><br><font color="#ffff66">４）６人タッグマッチ<br>　　　ジョージ・ベッカー＆ジョニー・ウィーバー＆セーラー・アート・トーマス（勝ち）エルド・ボグニ＆ブロンコ・ルービッチ＆ジョージ・ハリス</font></p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年６月27日　米国／バージニア州リンチバーグ／リンチバーグ・シティ・アーモリー</font></p><p><font color="#ffff66"><br></font></p><p><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　ロン・チャールズ（結果不明）ジェシー・ジェームズ</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）シングルマッチ<br>　　　ランディ・カーティス（結果不明）ボビー・ポール</font></p><p><br><font color="#ffff66">３）タッグマッチ<br>　　　コア・チキ＆ボブ・グリフィン（結果不明）エル・ロボ＆トム・ブラッドリー</font></p><p><br><font color="#ffff66">４）６人タッグマッチ<br>　　　ミスター・レスリング＆サム・スティムボート＆ボビー・ウィリアムス（結果不明）ジ・インフェルノス１号＆２号＆Ｊ・Ｃ・ダイクス</font></p><br><br><p>　Ｒ・ハンターに２連勝したドリーはノースカロライナ州バーリントンに移る。そこで対戦するのはこのツアーでは唯一のベビーフェイスであるエイブ・ジェイコブズ（Ａ・ジェイコブズまたはレッド・ピンパネールとして来日）である。</p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/battlemania/entry-11413986196.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Nov 2012 00:01:13 +0900</pubDate>
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<title>1969年６月26日</title>
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<![CDATA[ <p>　フロリダ州マイアミビーチでの定期戦で、二冠王のサイクロン・ネグロの挑戦を退けたドリーはジム・クロケット・プロモーションの招へいで、ミッドアトランティック地区で<strike><font color="#ff0000">防衛戦を７回行うことになった</font></strike><font color="#00ccff">防衛戦５回を含む７試合を行うことになった</font>。今回のスケジュールは下記の通り。</p><p><br><font color="#00ff66">　　６月26日（木）　バージニア州ノーフォーク　　　　　　　　対　ロック・ハンター<br>　　６月27日（金）　バージニア州リッチモンド　　　　　　　　 対　ロック・ハンター</font></p><p><font color="#00ff66">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（ノンタイトルマッチ）<br>　　６月28日（土）　ノースカロライナ州バーリントン　　　　　対　エイブ・ジェイコブズ</font></p><p><font color="#00ff66">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（ノンタイトルマッチ）<br>　　６月30日（月）　ノースカロライナ州シャーロット　　　　　 対　ボリス・マレンコ<br>　　７月１日（火）　サウスカロライナ州コロンビア　　　　　　 対　ロック・ハンター<br>　　７月２日（水）　ノースカロライナ州アッシュビル　　　　　 対　ブロンコ・ルービッチ<br>　　７月３日（木）　ノースカロライナ州ウィンストンセーラム　対　ロック・ハンター</font></p><br><p><br>　前回は２月17日から24日まで（途中１日だけミズーリ州セントルイスの試合に出る）のサーキットで、ブルドッグ・リー・ヘニングとエル・ロボ（ペドロ・ザパタ）というふたりのヒール（悪役）選手と対戦したが、今回もＡ・ジェイコブズ以外はすべてヒールの選手である。とくに注目は６月30日に、ワンマッチ契約でフロリダから呼び寄せられたＢ・マレンコであろう。</p><br><p>　早速この日の結果を見てみよう。</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年６月26日　米国／バージニア州ノーフォーク／ノーフォーク・アリーナ</font></p><p><br><font color="#ffff66">１）シングルマッチ<br>　　　ラーズ・アンダーソン（勝ち）ランディ・カーティス</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）シングルマッチ<br>　　　ルーター・リンゼイ（勝ち）マイク・シェーン</font></p><p><br><font color="#ffff66">３）タッグマッチ<br>　　　ザ・ブロンド・ボンバーズ（スウェード・ハンソン＆リップ・ホーク）（勝ち）ボブ・グリフィン＆コア・チキ</font></p><p><br><font color="#ffff66">４）ＮＷＡ認定世界ヘビー級選手権試合<br>　　　ドリー・ファンク・ジュニア（勝ち）ロック・ハンター<br>　　　　※第10代王者Ｄ・Ｆ・ジュニアが王座防衛に成功する。</font></p><p><br><font color="#ffff66">５）タッグマッチ（３本勝負）<br>　　　ジ・アンダーソン・ブラザーズ（ジン・アンダーソン＆オレイ・アンダーソン）（２－１）ミスター・レスリング＆サム・スティムボート</font></p><br><br><p>　<font color="#00bfff">第１試合</font>はＬ・アンダーソン（30歳）がＲ・カーティスを破る。ラーズは互いにまったく血縁関係のないアンダーソン兄弟の三男の名乗っていたが、実際には彼がもっとも生まれが早いのである。Ｒ・カーティスはジャック・カーティスを父に持つ二世レスラーである。兄のジャック・カーティス・ジュニアもレスラーである。ラーズは３年前からこの地区とＡＷＡ地区を行き来しているが、ＡＷＡ地区ではラリー・ハイニエミを名乗っている。一方、カーティスはこの年に初めてミッドアトランティック地区に入ったのであった。<br><br>　<font color="#00bfff">第２試合</font>は黒人のＬ・リンゼイ（ルター・レンジ、44歳）がＭ・シェーンを破る。1998年ごろからマイク・シェーンとトッド・シェーンのザ・シェーン・ツインズが活躍したが、リンゼイに敗れたのはこのツインズの片割れとはもちろん別人である。リンゼイは身長173センチ、体重104キロであり、ジュニアヘビー級クラスであった。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第３試合</font>はＳ・ハンソン（36歳）とＲ・ホーク（39歳）のザ・ブロンド・ボンバーズが登場。このヒールタッグチームは前年にワシントンＤＣでＮＷＡ認定アトランティックコーストタッグ王座を獲得し、この地区に同王座を持ち込んだが、この年の５月１日にジョージ・ベッカー＆ジョニー・ウィーバーに奪われてしまい、現在は無冠である。しかしその強さは群を抜いていて、この日もベビーフェイスのＢ・グリフィンとＫ・チキを一蹴している。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第４試合</font>がドリー（28歳）の登場した世界タイトルマッチ。この日はヒールのＲ・ハンター（37歳）を破って王座の防衛に成功している。Ｒ・ハンターは1961年から翌62年にこの地区に入っていたが、一度離れて再び1968年からこの地区に戻っている。結局1972年まで定着したのであるが、この1968年に定着してからこの日までのシングルマッチの戦績を調べてみた。結果が分かっているものだけを抜き出すと下記のようになる。勝敗はハンターから見たものである。</p><br><p>　ビリー・スピアーズ（８勝）、ボビー・ポール（７勝１敗）</p><p>　アンジェロ・マルチネリ（５勝）、　ジェシー・ジェームズ（５勝２敗）</p><p>　マイク・シェーン（４勝）、ボブ・ラムステッド（４勝１敗）</p><p>　デイブ・コックス（３勝）、グレッグ・ピーターソン（３勝２敗４分）</p><p>　エル・ガウチョ（ジャン・セバスチャン、２勝）、ボブ・バーンズ（２勝）</p><p>　ランディ・カーティス（２勝２敗）、ボビー・ニコルズ（１勝）</p><p>　サイレント・ロドリゲス（１勝）、ジョージ・グラント（１勝）</p><p>　コア・チキ（１勝）、エル・ロボ（ペドロ・ザパタ、１勝）</p><p>　ボブ・グリフィン（１勝２分）、レス・ウォルフ（１勝１敗１分）</p><p>　ポール・ジョーンズ（１分）、ミスター・レスリング（ティム・ウッズ、１分）</p><p>　エイブ・ジェイコブズ（レッド・ピンパネール、１敗３分）</p><p>　ネルソン・ロイヤル（１敗）、ジョニー・ウィーバー（１敗）</p><p>　ボビー・レッド・クラウド（１敗）、サニー・ファーゴ（１敗）</p><p><br>　この戦績を見ていかがであろうか。世界王座の挑戦者としてはクェスチョンマークがつくのではないかと思われる。挑戦者にするならばＳ・ハンソン、Ｒ・ホーク、Ｇ・アンダーソン、Ｏ・アンダーソン、Ｌ・アンダーソンから選んだほうが良かったのではないか。</p><br><p>　なるべくトップヒールは傷つけずにベビーフェイスのドリーを売り出したかったのではないかと思われる。このころのドリーの挑戦者を見ているとＷＷＦ王者のころのハルク・ホーガンの挑戦者のすごさがよくわかる。ホーガンは決してこんな軽い相手とは防衛戦を行うことはなかった。</p><br><p>　なお前日にフロリダにいたザ・スーパー・グラディエーターの正体は、日本でもおなじみのリッキー・ハンター（リック・ハンター）であり、こちらはベビーフェイスであった。ロック・ハンターとリッキー・ハンター・・・、ややこしい。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第５試合</font>はアンダーソン兄弟のジン（29歳）とオレイ（26歳）が登場。白覆面のＭ・レスリングことティム・ウッズ（34歳）とＳ・スティムボート（35歳）の強豪タッグを撃破している。</p><br><p>　なお会場となったのはノーフォーク・アリーナであり、有名なノーフォーク・スコープはまだ完成していない。スコープがオープンするのは1971年11月のことである。</p><br><p>　試合を終えたドリーはバージニア州リッチモンドに向かった。<br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/battlemania/entry-11413226942.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Nov 2012 01:25:44 +0900</pubDate>
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<title>1969年６月25日</title>
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<![CDATA[ <br><p>　前日のジョージア州サバンナでの試合を終えたドリーはすぐにフロリダに移動する。この日は水曜日で、マイアミビーチでの定期戦が行われる日である。当時のフロリダは日曜日がオーランド、月曜日がウェストパームビーチ、火曜日がタンパあるいはフォートマイヤース、水曜日がマイアミビーチあるいはオーガリー、木曜日がジャクソンビルあるいはベルグレード、金曜日がオカラ、土曜日がレイクランドでハウスショーが行われていた。</p><br><p>　この日のカードは下記のようなものである。最後の２試合は結果が分かっているが、他の試合の結果は分からない。</p><br><br><p><font color="#ffff66">　 1969年６月25日　米国／フロリダ州マイアミビーチ／マイアミビーチ・コンベンション・ホール<br>　 試合開始：午後８時45分</font></p><p><br><font color="#ffff66">１）ミックスト・６人タッグマッチ<br>　　　ドン・カーティス＆レス・ウェルチ＆ボボ・ジョンソン（結果不明）スマッシャー・スローン＆デューク・ケオムカ＆ザ・リトル・ブルーザー</font></p><p><br><font color="#ffff66">２）ＮＷＡ認定フロリダタッグ選手権試合<br>　　　ザ・ミズーリ・モーラー＆ヒロ・マツダ（結果不明）ザ・スーパー・グラディエーター＆ルイ・チレ<br>　　　　※第５代王者チームのＭ・モーラー＆Ｈ・マツダが王座防衛に成功する。Ｓ・グラディエーターの正体はリッキー・ハンター。</font></p><p><br><font color="#ffff66">３）ＮＷＡ認定フロリダ女子選手権試合<br>　　　シャリー・リー（結果不明）バーバラ・ガレント<br>　　　　※<em>Ｓ・リーが王座防衛に成功する。</em></font></p><p><br><font color="#ffff66">４）シングルマッチ<br>　　　ルー・テーズ（結果不明）ドクター・Ｘ</font></p><p><br><font color="#ffff66">５）賞金2000ドル・チャレンジマッチ<br>　　　ジャック・ブリスコ（結果不明）デール・ルイス</font></p><p><br><font color="#ffff66">６）ＮＷＡ認定フロリダブラスナックルズ選手権試合<br>　　　ザ・グレート・マレンコ（勝ち）ジョー・スカルパ<br>　　　　※Ｊ・スカルパが王座防衛に失敗。Ｇ・マレンコが新王者となる。</font></p><p><br><font color="#ffff66">７）ＮＷＡ認定世界ヘビー級選手権試合　　スペシャルレフェリー：ルー・テーズ<br>　　　ドリー・ファンク・ジュニア（勝ち）サイクロン・ネグロ<br>　　　　※第10代王者Ｄ・Ｆ・ジュニアが王座防衛に成功する。Ｃ・ネグロはＮＷＡ認定フロリダヘビー級＆カリビアンヘビー級王者。</font></p><br><br><p>　<font color="#00bfff">第１試合</font>はミゼットレスラーのＢ・ジョンソンとＬ・ブルーザー（19歳）が加わった６人タッグマッチ。ジョンソンはＤ・カーティス（42歳）とＬ・ウェルチ（45歳）のベビーフェイス組に加わり、ブルーザーはＳ・スローン（33歳）とＤ・ケオムカ（48歳）とヒールトリオを結成する。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第２試合</font>はフロリダタッグ選手権試合。王者チームのＭ・モーラー（38歳）＆Ｈ・マツダ（31歳）は５月27日のタンパ大会ででザ・グラディエーター（正体はリッキー・ハンター、33歳）＆Ｌ・ウェルチ（45歳）から同王座を奪っている(下記の新聞参照)。この日ハンターはリングネームをザ・スーパー・グラディエーターにグレードアップさせ、パートナーをＬ・チレ（ルイス・チレット）に変えて王座奪還を試みたが、その試みは失敗に終わっている。</p><p><br></p><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121125/00/battlemania/c9/45/j/o0195030012301550002.jpg"><img border="0" alt="ＮＷＡ世界王者でたどる各地の熱戦譜" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121125/00/battlemania/c9/45/j/o0195030012301550002.jpg"></a> </div><p><br><br>　<font color="#00bfff">第３試合</font>はフロリダ女子王者のＳ・リーがＢ・ガレント（28歳）を相手に防衛戦を行う。リーはプロレスラーのクリス・ベルカスの妻で、ふたりの間にできた娘と結婚したのがスーパースター・ビリー・グラハムである。一方ガレントはマリオ・ガレントの娘。この試合で王座の移動があったかどうかは不明である。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第４試合</font>には元世界ヘビー級王者のＬ・テーズ（53歳）が登場。５日前のアトランタ大会で現世界王者のドリーに挑戦し敗北したテーズは、この日はドリーの世界戦のレフェリーとしても招へいされている。しかし決して王座奪還をあきらめている訳ではなく、このあとテネシー州メンフィスやテキサス州アマリロで挑戦することになる。この日は謎のマスクトレスラー、ドクター・Ｘとシングルマッチを行った。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第５試合</font>は賞金2000ドルを争奪するスペシャルマッチ。ベビーフェイスのＪ・ブリスコ（27歳）とヒールのＤ・ルイス（35歳）が一騎打ちを行った。どちらもドリーの世界王座を狙っているが、この地区ではドリーがベビーフェイスのため善玉のブリスコはいささか不利である。</p><br><p>　事実この年にブリスコが挑戦したのは７月30日（マイアミビーチ）だけであるのに対して、ルイスは８月２日（バハマ、ナッソー）、９月23日（タンパ）、11月12日（マイアミビーチ）、12月13日（プエルトリコ、サンファン）、12月16日（タンパ）というように５回もドリーと対戦するチャンスを与えられている。なおバハマとプエルトリコはフロリダから選手が送られて興行が打たれている。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第６試合</font>はフロリダブラスナックルズ王座を賭けた前王者Ｇ・マレンコ（ボリス・マレンコ、35歳）と現王者Ｊ・スカルパ（チーフ・ジェイ・ストロンボー、40歳）の一騎打ち。この試合でマレンコは４月17日にジャクソンビルで奪われた同王座の奪還に成功している。</p><p><br>　<font color="#00bfff">第７試合</font>はこの日の最終試合である世界タイトルマッチ。挑戦者は二冠王のＣ・ネグロ（37歳）。ネグロは４月15日にタンパでハンス・モーティアからフロリダ王座を、４月５日にプエルトリコのサンファンで同じくモーティアからカリビアン王座を奪っている。三冠王を目指してドリー（28歳）の王座に挑戦したが、最後に特別レフェリーのテーズに手を挙げられたのは王者ドリーであった。</p><br><p>　フロリダでのワンマッチを終えたドリーは翌日から約１週間のミッドアトランティック地区でのサーキットに入る。ここでは当時フロリダを主戦場にしていたＧ・マレンコがワンマッチ契約でノースカロライナ州シャーロットの大会に登場し、ドリーの世界王座に挑戦しているのが注目に値する。いかにマレンコが高く評価されていたのかが分かる事実である。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/battlemania/entry-11412374556.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Nov 2012 00:46:14 +0900</pubDate>
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