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<title>☆人生十人十色…常識は人の数だけ…☆</title>
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<description>人生での出来事は千差万別で「十人十色」です。だから「常識」も人の数だけあります。法律はそんな常識の最大公約数だったり、常識を補うものだったり…という役割です。そんな法律の話や、心の世界のことなどを書いてみたいと思うブログです</description>
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<title>「自信」は只（無料）です…</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">久しぶりにブログを書きます。テーマはずはり「自信」です。</font></p><p><font size="3">実は私はロータリークラブというところに属しているのですが、その先人の一人が<font color="#0000ff">「目標は大きな方がいい。大きな目標は心を振るわせるが、小さな目標は心をしぼませる」</font>と言っていました。</font></p><p><font size="3">でも大きな目標というのは、それを持ち続けるだけの心の力がないと、その目標に押しつぶされてしまいがちです。その心の力こそ目標が必ず達成できるとという「自信」ではないのかなと思うんです。無論、お金や地位や知識も大切ですが、それ以上に自信こそが大切かなとおもうんです。</font></p><p><font size="3">他人からみたら到底その人の現在の力量にそぐわない目標であっても、実現できると信じれば実現できるし、古今東西の成功者に共通していたのはこの「自信」のような気がします。</font></p><p><font size="3">それと<font color="#0000ff">「自信」を持つのには何の根拠もいらないし、お金や地位や名誉もいらない</font>んですから、誰にでも与えられた成功の重要な材料だし、持ち放題です（笑）他人が根拠のない自信といおうが、無茶な目標といおうが、関係ありません。勿論他人も認めお金があれば、それに超したことはありませんが、これらが得られても自信をもてない人はやっぱり自信がもてないんです。</font></p><p><font size="3">最近の日本をみていると、このままでは日本は破綻するから税金を上げなければならないとか、何か昔の日本人が日本という国と国民の力に対してもっていた自信がどこかに行ってしまつているような気がしてなりません。</font></p><p><font size="3">日本人は豊かな生活を手にするうちに自信すらもお金や地位でしか手にいれられなくなってしまつたのかもしれません。</font></p><p><font size="3">でも、</font><font size="3">もう一度日本という国と日本人を信じてみたいです…何の根拠もないけれど…でもみんなが本当の自信をとりもどしていけば日本はまた良くなる。そう信じています<img alt="ニコニコ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif" width="16" height="16"></font></p><p><font size="3">追加：最近きいて気にいっている言葉</font></p><p><font size="3">①幸せに敏感に、苦労には鈍感に</font></p><p><font size="3">②勝敗は兵の数のみにて決するに非ず。</font></p><p><font size="3">③自分に恥じない仕事を行うことこそ肝要であり、相手の評価が得られなかったことを恨んではならない。なぜ評価がえられなかったかを反省の糧とすればよいだけである。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/ben2011-06/entry-11297499435.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Jul 2012 17:23:03 +0900</pubDate>
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<title>バランス</title>
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<![CDATA[ 昔、受験をしていた時に、見解はどうかと問われたら「考え方は3つあります」と書けば間違いないと教えられました<img class="m" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/123.gif" alt="キラキラ"><br>つまり賛成意見と反対意見と折衷・中間意見です…まぁ当たり前の話なんですが(笑)<br>ただこのうちの中間意見をとることがバランスだと思うのは間違いなんです<img class="m" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/336.gif" alt="ショック！"><br>実は、自分の意見だけが正しいのではなくて、色々な見解があることを知り、それを尊重して自分の意見を決めるという姿勢こそがバランス感覚であって、「リーガルマインド」つまり法的感性ということになります。<br>実際の場面でも自分の敵にも言い分があって、その人にとっては自分が正しいと思っているということを知ることで、問題は大きく解決に向かう事が少なくないと思います。<br>カーネギーの本にも書いてありましたがアルカポネですら、自分が善良な市民だと言っていたそうですから<img class="m" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" alt="にひひ"><br>
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<pubDate>Fri, 30 Mar 2012 09:14:47 +0900</pubDate>
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<title>決断の速さ</title>
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<![CDATA[ ｢兵は拙速を尊ぶ｣<br>最近、松下幸之助氏の一日一言をみていたら、この言葉を引用したお話がありました。<br>いうまでもなく、拙速とは少し稚拙なところがあるが速いということで、巧遅つまり巧みであるが遅いということの反対です。<br>松下幸之助氏は会社の運営においては経営者には見識と機敏な実行力が必要であって、刻々と変わる情勢の中では、一日の遅れが一年の遅れにも繋がることを知る必要があるとしています。<br>私も、色々な事案において色々な方々の千差万別な対応を拝見してきましたが、慎重と躊躇は似て非なるものという印象があります。どんなに美味しい料理も、昼休みに食べるには時間の制約がいります。多少味は劣ってもまずは昼休みに間に合う事の方が大切。あれこれと食事のばしょを選んで昼抜きでは仕方ないという事ですかね…喩えは悪いですが(笑)
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<pubDate>Sun, 25 Mar 2012 15:04:32 +0900</pubDate>
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<title>余人を持って代え難い存在となる</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">今日テレビのニュースでホイットニー・ヒューストンさんの葬儀の時の弔辞の中で、どの俳優さんだったか忘れてしまいましたが、その人は主役を務めた人であるにもかかわらず、故人を讃えて「自分の役は代役でも務まったが、彼女の役は彼女でなくては務まらなかった」と話されていました。</font></p><p><font size="3">まさに<font color="#ff0000">「余人をもって代え難し」</font>ということでしょう。何かの仕事をしていて、これ以上の賛辞はないかもしれないなぁと思って聞きました。</font></p><p><font size="3">資格があるからとか、地位があるからとか…そういうことではなく、まさにその人の果たしている役割がかけがえのないものと評価されたのですから、本当に素晴らしいことです。</font></p><p><font size="3">ホイットニー・ヒューストンさんは確かに稀代の方ですが、でも私のように平凡な男でも、マニュアルどうりの仕事とか型にはまった仕事や生き方をするのではなく、自分なりに考えて努力をし自分の個性を打ち出した生き方をしていくならば、きっと余人を持って代え難しという存在になれるのではないかと思ったし、そう生きたいなと思ったところです。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p>
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<pubDate>Sun, 19 Feb 2012 16:50:51 +0900</pubDate>
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<title>一葉目を蔽（おお）えば泰山を見ず</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">明けましておめでとうございます<font size="5"><img alt="鏡餅" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/099.gif" width="16" height="16"></font></font></p><br><p><font color="#ff0000" size="3">「一葉目を蔽（おお）えば泰山を見ず　両豆（りょうとう）耳を塞げば雷霆（らいてい）を聞かず」</font></p><p>　　　　　<strong><font color="#000000">鶡 冠 子（かつかんし）：天則</font></strong></p><p><strong><br></strong></p><p><font size="2">意味は、そのままで…「</font><font color="#0000ff" size="3">一枚の葉のような小さなものでも、目を覆うと泰山のような大きな山も見えなくなり、小さなたった二つの豆でも、それで耳を塞ぐと雷鳴すら聞こえなくなる</font>」ということです。</p><br><p><font size="2">小事に捕らわれ大事や真理が見えなくなるということの喩えですが、人間はついつい目の前の物や近くの物音に気を奪われてしまいがちです。</font></p><p><font size="2">自分の手で目を覆い、自分の手で耳を塞いでしまうことも度々です。悩みごとなども自分で塞いだ手を離せば解決への光がみえたり、自分で塞いだ手を離せば援助の声も聞こえてきたりすることがよくあります。</font></p><p><font size="2">自分の心だけに捕らわれると悩みも解決せず、また大きな目標を見誤ることも少なくありません。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">今年のブログの最初に、どのような言葉を書こうかなと思い、色々なものを読んでいた時、この言葉を見つけました。</font></p><p><font size="2">多少本来の意味（ちょっとしたことにとらわれ物事の真理を見誤り、誤った判断や行動をとってはならない）とは違うのですが、些細な事にとらわれて悩むことなく、目を開き、耳を澄まして自分の道を歩む一年にしていきたいと思います。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">つたなく、気ままなゆっくり更新のブログですが、今年も宜しくおねがいいたします<font color="#0000ff">m(_ _ )m</font></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p>
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<pubDate>Fri, 06 Jan 2012 11:21:17 +0900</pubDate>
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<title>「花は半開を看、酒は微酔に飲む」</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2"><font color="#ff0000" size="3">「花は半開を看、酒は微酔に飲む」<br></font>　　　　　（洪自誠（こうじせい）「菜根譚」）</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"> 中国の明の時代に洪自誠という人が書いた処世・修養のための名言集「菜根譚」の中の文の有名な一節です。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　全文は次のとおりです</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><font color="#0000ff">「花は半開を看（み）、酒は微酔（びすい）に飲む、此の中に大いに佳趣（かしゅ）あり。若し爛漫もうとうに至らば、便ち悪境を成す。盈満（えいまん）を履（ふ）む者は宜しくこれを思うべし。」<br></font>　<font color="#00bfff">訳：花は半開、酒はほろ酔い、それでこそ最高の趣というものだ。開きつくした花を眺め、深酒に酔いつぶれて何の風情があるものか。なにもかも満ち足りた人ほど、その事をよく知って欲しいものだ。</font></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　花は半開を看るは何とか実践できそうなのですが、酒は微酔を飲むという方は、いつも深酒をしてしまう僕としては耳が痛い名言です。確かに酩酊した時の最後の頃は酒の味などよくわかりません。</font></p><p><font size="2">「酔うほどに飲んでこそ酒」という気持ちもない訳ではありませんが、やはり体にも気持ちにも過ぎた酒ほど悪いものはないかなと…二日酔いの時には毎回反省しています<img alt="あせる" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif" width="16" height="16"></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　楽しみというものは、花見や酒に限らず、<font color="#0000ff">何事も「ほどほどをもって最上」</font>なんですよね<img alt="ニコニコ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif" width="16" height="16"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/ben2011-06/entry-11043183866.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Oct 2011 23:02:45 +0900</pubDate>
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<title>人生意気に感ず</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#ff0000" size="3">「人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん」（唐詩選）</font></p><br><p><font size="2"><br></font></p><br><p><font size="2">唐の第二代皇帝太宗の名臣魏徴（ぎちょう）の名言で、唐詩選の巻頭の「述懐」という詩の一節です。このフレーズは何か心を熱くしてくれるので、大好きです。</font></p><br><p><font size="2"><br></font></p><br><p><font size="2">ちょっと他のブログからの拝借で恐縮なのですが、このことについて次のように書かれています（ちょっと長いですが…面白いです）。</font></p><br><p><font size="2"><br></font></p><br><p><font size="2">※この話で思い出すのが、春秋時代の中国の故事です。<br><br>王を囲んでの宴の席で、余興として、灯りを消して飲もう・・・ということになったとき、暗闇に紛れて、誰かが王の寵姫の唇を盗んだ・・。<br><br>このとき、寵姫は機転を利かせて、その者の冠に傷を付け、すぐに、王の側に駆け寄り、王に灯りを付けてくれるように注進したところ、事情を聞いた王は、「いや、皆、今宵は無礼講と言ったはず。これが、つまらぬ事を言ったようだが、皆、今宵は冠を外して飲むことにしよう」と言い、宴席は灯りを付けないまま、お開きとなった・・・と。<br><br>後年、王は大国・秦との戦いに大敗し、命からがら敗走を重ねる身となったところ、このとき、一人の戦士が現れ、全身に針鼠の如く、矢を受けながらも、王を安全なところまで逃がし、「なぜ、おまえはここまで・・・」と聞く王に対し、その戦士は、「実はあのとき、寵姫にいたずらをしたのは私でした。王の配慮のおかげで、満座の前でさらし者にならなくて済みました。私はいつか、この恩義に報いねばならないと思っていました」と言い残し、ついに息絶えたと・・・。<br></font><font size="2">何かの浪曲でもありましたよね。親分が祝儀の席に行かないものだから、やむなく、子分が代理として出席したものの、そうそうたる親分衆が集まる中で、肩身が狭い思いをし、さらに、続々と高額の祝儀金が発表されていくと、自腹でなけなしの金１両を包んだのみだったその子分は、何ともいたたまれない気持ちに・・・。<br><br>ところが、自分の番で、読み上げられたのは「ＯＯ親分！金100両！」のコール・・・。満座のどよめきに面目を施したこの子分は、同時に、心中、「いつか、この人の為に働かなきゃなるまい」と思う・・・と。</font></p><br><p><font size="2"><br><br></font></p><br><p><font size="2">人と接する時には自分もそのように他人のための「(男)意気」を持ちたいものです<img height="16" alt="ニコニコ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif" width="16"></font></p><br><p><font size="2"><br></font></p>
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<pubDate>Tue, 04 Oct 2011 00:38:50 +0900</pubDate>
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<title>三十六策、逃ぐるをこれ上計とす</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#ff0000" size="3">「三十六策、逃ぐるをこれ上計とす」（『南斉書』王敬則伝）</font></p><p><font color="#ff0000" size="3"><br></font></p><p><font size="2">いわゆる<font color="#0000ff">「三十六計、逃げる(逃ぐる)にしかず」の原典</font>となる名言です。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font color="#0000ff">南朝宋の将軍・檀道済</font>は、三十六種の作戦を得意としたが、逃げるのを上策としたということで、故事としては次のようなものです</p><br><p>北魏への北伐の際、宋軍は歴城まで達するも兵糧不足となり、逃亡者や士気の衰えが出始めていました。そこで檀道済は<font color="#0000ff">無理に戦って犠牲を大きくすることを避け、再起のため撤退を決定しました</font>が、その時、宋軍の損失を最小限にとどめるための策を考案しました。</p><p>枡に砂を盛って米のように見せ、また余った兵糧を地面にばら撒き、兵糧が豊富にあるかのように偽装したのです。これを見た北魏軍は、宋軍の兵糧が尽きていないと思い込んでしまいました。そこで檀道済は宋軍を悠然と退却させましたが、北魏軍は伏兵を懼れて追走してこなかったとのことです。</p><br><p>後世になり、この出来事を南斉の将軍である王敬則が、「檀公の策は数多くあるが、逃げることをもっとも得意とした」と語ったものです。</p><br><p>徳川家康公遺訓の仲にも<font color="#ff0000">「勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る」</font>とありますが…</p><p><font color="#0000ff">勝利のみを重ねると人はともすれは退くことや戦いを避けることを恥であるとか、卑怯であると感じるようになり、ついには身を滅ぼす程の敗北を味わうことにもなりかねない</font>ということは東西古今を問わずに教訓とされているところです。</p><br><p>色々な紛争に接して、またいくつもの訴訟に臨んできて、この言葉は実に重みがあります。無論この言葉を掲げて戦うべき時にまで危険を恐れて逃げているのでは本末転倒というべきですが、勝負に及ぶ際には状況を見極めて戦を控えたり、退く勇気と智恵を持つことが肝要と心がけています。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/ben2011-06/entry-11027054068.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Sep 2011 17:50:26 +0900</pubDate>
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<title>付すこと久しきは…゜</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#ff0000" size="4">「伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し」（菜根譯）</font></p><br><p><font size="3"></font></p><br><p><font size="3">意味は「<font color="#0000ff">長あいだうずくまって力を蓄えていた鳥は、いったん飛び立てば、必ず高く舞い上がる。他に先駆けて開いた花は散るのもまた早い。この道理をわきまえ、志の途中でくじけることなく、また功をあせって苛立つことをしないことが肝要である</font>」ということです。</font></p><br><p><font size="3"></font></p><br><p><font size="3">勿論、伏しているということは、何もせずうずくまっていることではなく、自分の志の実現にむけて努力と準備をしながら時を待つということです。同じようなスタートをきりながら、何か自分よりも運に恵まれて先を行く友人達をみて自分の不遇を嘆きたくなるのは人の情ですが、この言葉は何かそのような心に勇気を与えてくれるような気がして、とても好きな言葉です。</font></p><br><p><font size="3"></font></p><br><p><font size="3">かって晋の文公は命の危険から、国を離れざるを得ず、その後も約２０年もの間諸国を放浪することを余儀なくされ、数々の苦難を受けながらも、最後には国に６２歳にして覇者となりました。まさにこの言葉のとおりの人生だったかと思います。まさに「<font color="#ff0000">大器晩成</font>」です。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/ben2011-06/entry-11024459196.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Sep 2011 07:00:29 +0900</pubDate>
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<title>｢名を捨てて実をとる」の心で</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#ff0000" size="3">「名を捨てて実をとる」</font><font size="2">とは、いうまでもなく、体面にこだわることなく、相手に花を持たせるが実はもらうということで、今更なんの説明もいらないところです。</font></p><br><br><p><font size="2">実も花もほしいと思うのが人の情ですが、同じ花を欲しがる人がいた場合、なかなかそうは思いどおりにいかないことも多いのが世の中なので、このような言葉があるのでしょうね…。</font></p><br><br><br><p><font size="2">実際にも、裁判や交渉の場面で、相手と｢手打ち(和解)｣をすることがよくあります。<br><br><br>その時に、そう多くの事例ではありませんが、相手が自分の要求を100％満たしていて何も失わないとしても、和解をすることがあります。<br><br><br>それはぁ、和解じやなくてただの「負け」だろう、花を持たせただけじゃなくて実もやってしまっているじゃないか…という気持ちは拭えないのですが…<br></font></p><br><p><font size="2"><br></font></p><br><p><font size="2">しかし、</font><font size="2"><font color="#0000ff">その和解によって自分の方にも何かメリットがあるとしたら<br><br>やはり和解する意味があります</font><br><br><br>よく時代劇で「身ぐるみ脱いで置いて行けば、命だけは助けてやる」というセリフがありますが(笑)<br><br><br>もし身ぐるみが命より大切でないのなら、命をまもるというメリットはあります。<br><br><br>昔、中国の越の王が、隣国の呉に負けた時、奴隷の身分に落ちながらも生き抜き、後日には遂に呉を滅ぼした話は<font color="#0000ff">「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の故事</font>として有名ですが…それほどに命が残ることは、あらゆる財産にもましてメリットがあった好例です<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/327.gif" alt="ニコニコ" class="m"><br></font><br><br><font size="2">まあ、それほどに極端ではなくても<font color="#ff0000">「負けるが勝ち」</font>ということは世間でもよくある話です<br></font><br><br><font size="2">交渉の時などに大切なのは</font>、<font color="#ff0000" size="3">｢相手が何を獲得するのかではなくて、自分が何を失い何を得るのかということ｣</font><font size="2">ではないかなと思います</font><img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/320.gif" alt="音符" class="m"><br><br><br>それが、名を捨てて実をとるの心かな…</p>
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<link>https://ameblo.jp/ben2011-06/entry-11008443137.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Sep 2011 11:24:54 +0900</pubDate>
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