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<title>一瞬の永遠</title>
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<description>自分で自分を嫌いに成らない為に。</description>
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<title>嫌な事が余りにも多発する</title>
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<![CDATA[ <p>今の家に引越ししてから嫌な事が余りにも多発する。</p><br><br>新築に引越した筈なのだが、<br>引越して2週間余りで世間の殆どの人が苦手と思われる物体、<br>連続的に部屋で2回、外部廊下で2回、<br>今まで一人暮らししてこんな頻度で遭遇した事が無い。<br>有り得ない。<br>葛藤し奇声を上げ気合を入れ何とか部屋出現の2回を処理。<br><br>引越しして3日目でトイレが詰まる。<br>有り得ない。<br>素人レベルでは改善出来ず業者を呼ぶ羽目に。<br><br>隣人もしくは下階人の深夜のドタバタ足音騒音、煩い。<br>有り得ない。<br>何故にそんなに部屋の中をばたばた音を立てて歩く必要があるのか謎。<br><br>そして今日。<br>仕事から疲労帰宅し何か変わった音がするなと我に帰ると、<br>鞄にデカいデカい蝉が張り付き鳴いている。。<br>有り得ない。<br>何で、、？？<br>一体いつ俺の鞄に張り付いたのだ？<br>そして改めて何で？<br>俺は虫がダメだ。<br>昆虫含め虫が一切ダメだ。。<br>天井に飛び移り鳴き続けている。<br>恐ろしい、、<br>40年生きてきてこんな事は初めてだ。<br><br>後輩に助けを求める。<br>虫処理が大丈夫だと言う妹さんに処理して貰う。<br>命乞いだ。本気で命乞いした。<br>感謝。<br><br>疲労困憊だ。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/berlinetta-1024/entry-12754784811.html</link>
<pubDate>Fri, 22 Jul 2022 23:11:22 +0900</pubDate>
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<title>時代と共に生きる音楽</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/7eXvf-dYzoo" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p>音楽は時代と共に生きているのかも知れない。</p><p>何を想い彼はこのピアノを弾いていたのだろう。<br>&nbsp;</p><p>決して貶している訳では無く、</p><p>あの時代から20年以上の月日が流れ色んな事が有り年齢も重ね、</p><p>当時TV越しに憧れの眼差しで観ていた彼の姿よりも幾分小さく見える様な気がした。</p><p>&nbsp;</p><p>ピアノの音色はその人の心を映し表すと言う。</p><p>当時の音色とは違い、</p><p>限り無く優しく望郷の様な儚さに包まれている様な音色。</p><p>でも力強さも感じる。</p><p>それは今を生きる事への、音楽への「心強さ（執念）」なのかも知れない。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、大切なシグネチャーは変わらない。</p><p>小室哲哉のピアノだと分かる音色。</p><p>小室哲哉の確固たる彩を感じられるピアノ。</p><p>&nbsp;</p><p>時代と共に寄り添って生きる音楽とは、</p><p>その時代と共に「生きた」音楽、過去と言う意味ではなく、</p><p>その時代と共に「生き続ける」音楽、未来永劫なのだと。</p><p>&nbsp;</p><p>このピアノを聴いて、音楽の在り方とは決して一辺倒では無いのだと思えた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>※追記</p><p>この時1997年と思う。</p><p>小室哲哉を羨望の眼差しで観ていた頃。</p><p>この時と今とではやはり全然音色が違う。</p><p>良い意味で攻撃性と言うか尖ったとでも言うか、ロック的なものも感じる。</p><p>でも旋律は洗練綺麗、シグネチャーも無論健在。</p><p>&nbsp;</p><p>ピアノは奏者の心を映す。</p><p>この時と今とではきっと心境が違ったものになっているのだろう。</p><p>でも偶にはこんな攻撃性も有るピアノも弾いて欲しいなと個人的には思っています。</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/K7ukmTpYLNU" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/berlinetta-1024/entry-12718537496.html</link>
<pubDate>Fri, 31 Dec 2021 02:51:50 +0900</pubDate>
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<title>芸術音楽の衰退３</title>
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<![CDATA[ <p>音楽の触れ方、聴き方、</p><p>その変化も消耗品音楽を多量生産させる原因の一つであると考える。</p><p>&nbsp;</p><p>サブスクは音楽を素晴らしく大衆の身近な存在にさせてくれた反面、</p><p>所謂アルバム市場とでも言うかアルバム世界観を壊してしまった。</p><p>80年、90年代は\2,500～3,000を払い一枚のCDアルバムを購入しないと音楽に触れられなかった。</p><p>だからこそでは無いが好き嫌いはあれど一曲一曲に触れていた様に思う。</p><p>&nbsp;</p><p>サブスクは同じ金額、もしくはそれよりも低料金で一気に膨大な音楽に触れる事が出来る。</p><p>それは膨大な情報の中から気に入った曲だけを集めて聴く事に繋がり、</p><p>次から次へと新しい情報に触れられる為、新陳代謝が格段に上がってしまった。</p><p>膨大な情報に触れられる事はメリットだが、</p><p>一枚のアルバムが持つ意味・世界観、</p><p>一曲一曲に対する価値観、</p><p>それらを多いに狂わせた。</p><p>それが良い事なのか悪い事なのかは一長一短全てにおいて有り解らない。</p><p>だが、ネットの普及と合わせ、</p><p>音楽＝消耗（無料で聴けるもの）で有ると言う事を嫌でも浸透させてしまったのかも知れない。</p><p>&nbsp;</p><p>創作面においては、</p><p>動画をバズらせる為の音楽、</p><p>ウケる為の音楽、自分自身をバズらせる為の音楽、</p><p>それが今現在の主流な創作スタイルの一つに思う。</p><p>飽く迄も動画が主役。音楽はサブ。</p><p>横道に逸れるが、バズる動画の多くは低次元なものでとても芸術作品と呼べるものは無い。</p><p>その動画の為の音楽なのだから芸術音楽が生まれる訳が無い。</p><p>&nbsp;</p><p>面白ければ何でも有り。それが全てなのだと思う。</p><p>皮肉にも今現在はそのバズる為の動画なり音楽が大衆に広く受け入れられてしまう。</p><p>需要と供給がマッチしてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、本当の音楽、素晴らしい音楽とは、その様な消耗品とは一線を画すと信じている。</p><p>自分自身がそう体感した様に。</p><p>天賦の才、研ぎ澄まされた繊細な感性を持つ「アーティスト」が、</p><p>本当に心血注いで生んだ音楽は、</p><p>必ず人の心に触れ、突き刺さる様な、</p><p>自然と涙が流れてくる様な、</p><p>心が洗われる様な、</p><p>BGMとしてサブとして聴き流す事が出来ない程、</p><p>心を揺さぶられる何かを齎す筈だ。</p><p>&nbsp;</p><p>その様な音楽と、アーティストと出会えた自分だからこそより強く思うが、</p><p>本来音楽とは広く様々な意味で感動衝撃興奮、</p><p>全てを網羅している芸術なのだと。</p><p>そして創作者の心、生き様を映し現すものだと。</p><p>&nbsp;</p><p>少なくとも自分にとって素晴らしい音楽とはその様な音楽だ。</p><p>その音楽と既に出会えているだけでも奇跡なのだからもう十分だろうと言われればそれ迄だが、</p><p>消耗音楽で溢れ世間が沸いている様に見える現状をどうしても直視出来ない自分は、</p><p>いつしかまた本当の芸術音楽が現れ放たれ、消耗品を蹴散らし、</p><p>日本でも世界でも大々的に評価される事を願っている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/berlinetta-1024/entry-12688690682.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Jul 2021 20:32:27 +0900</pubDate>
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<title>芸術音楽の衰退２</title>
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<![CDATA[ <p>「アーティスト」と呼ばれていたミュージシャンと言う存在は、</p><p>誰でも成れてしまうと言える</p><p>と言うは言ったが、それは決して同等の位置と言う訳ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>「アーティスト」とその他一般層との差、</p><p>それはセンス、感性が有るか無いか、その差なのだと思う。</p><p>天賦の才、感性、センス。</p><p>&nbsp;</p><p>それは決して音楽的知識を得れば身に付くものでは無い。</p><p>沢山作曲をすれば身に付く訳でも無い。</p><p>演奏が上手くなれば身に付く訳でも無い。</p><p>感性、センスとはその人が生まれ持った特性なのだと思う。<br><br>磨かれる事は有ってもそれが変異する事は無い、</p><p>人間の性格と同じで、どんな事があろうと何を言われようと、</p><p>根底に有る根本的なものは変わらない、</p><p>それが繊細であり研ぎ澄まされた感性、センスであるか無いか、</p><p>それが俗に言う自称ミュージシャン、そこらのありふれたミュージシャンと</p><p>「アーティスト」との大きな差だと思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>ネットの普及により才能があろうがなかろうが</p><p>一般層がレコード会社と契約しなくとも、契約出来なくとも、</p><p>自作品を自由に発表出来る様になった。</p><p>それは大いに素晴らしい事だ。</p><p>だがその反面、前述通り感性の無い音楽も氾濫し音楽全体の質は下がったと思う。</p><p>別に自分自身音楽家では無いし根拠も更々無いが自分はそう感じる。</p><p>あるアーティストの言葉を借りるならば、消耗品の音楽。</p><p>&nbsp;</p><p>良い物も悪い物も音楽作品が氾濫し、</p><p>本当の意味で質の良い芸術としての音楽、</p><p>人の心を打つ様な、心が洗われる様な音楽の見分けがつかなくなってしまったとでも言うのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>今のチャートで売れている音楽があと10年後、</p><p>どれだけの人が覚えていて聴き続けているだろうか。</p><p>到底聴き続けられる音楽が有る様には思えない。</p><p>それは音楽と人との付き合い方の変化にも関りがあると思う。</p><p>&nbsp;</p><p>サブ的な役割として音楽を聴く、</p><p>いつからかそれが人と音楽の主流な付き合い方になってしまったのではないだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>続</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/berlinetta-1024/entry-12686069915.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Jul 2021 19:54:31 +0900</pubDate>
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<title>芸術音楽の衰退</title>
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<![CDATA[ <p>ここ数年で音楽と言う芸術はとことん一般人に近付き身近なものになったのではなかろうか。</p><p>いや、ここでまだ「芸術」と言う言葉を使うには自分の思惟を述べる上で語弊を招くので、</p><p>音楽と言う「創作活動」にしておこう。</p><p>&nbsp;</p><p>ＤＴＭの進化発展により、独りでも、更には楽器が全く演奏出来なくとも、</p><p>商品レベルの打込み音楽が作ろうものなら作れてしまう。</p><p>自分は鍵盤が弾け作曲も出来るが、ＤＴＭの知識は無いに等しい。</p><p>シンセで打込みを軽くした程度。</p><p>&nbsp;</p><p>だが恐らくＤＴＭを扱っていた知人の話を思い返すと、</p><p>ＤＴＭと言うのは素材の切り貼りの世界で、</p><p>それだけでも十分曲が完成してしまうのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>「身近なものになる」　と言う事は言い方を変えれば、</p><p>「誰にでも出来る」　と言う事でもある。</p><p>&nbsp;</p><p>それはつまりかつては孤高で憧れの存在であった筈の</p><p>「アーティスト」と呼ばれていたミュージシャンと言う存在は、</p><p>誰でも成れてしまうと言える。</p><p>&nbsp;</p><p>自称アーティスト、自称ミュージシャン、</p><p>ネットの普及も手伝い、それだけで十分かつての「アーティスト・ミュージシャン」と同じ位置に立てるのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>だからか、それだけが理由では無いが、</p><p>80年代90年代の様な大衆性を帯びた音楽は現在はほぼ存在しない。</p><p>音楽番組や音楽雑誌、かつての音楽メディアの衰退がそれを証明している。</p><p>&nbsp;</p><p>身近に成り過ぎた故に、音楽作品が氾濫し情報過多となり、</p><p>大衆の興味が薄れて行った、いや、上手く表現が見つからないが、</p><p>珍しくなくなってしまったとでも言うのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>食品の様にあって当たり前のもの、</p><p>勿論食品だって当たり前に存在しているわけでは無い。</p><p>農家や工場等で働く人達の生産努力有ってこそのものだが、</p><p>世間一般的にはスーパーに行けば当たり前に不自由なく沢山存在している認識、</p><p>良くも悪くも音楽もそんな存在になってしまったのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>続</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/berlinetta-1024/entry-12684141266.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Jul 2021 21:19:33 +0900</pubDate>
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<title>本日もお疲れ様でした</title>
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<![CDATA[ <p>ジム休んだ。</p><p>先週も水曜休んでしまっている。</p><p>今日は現場補佐で汗だくになり、大した事はしていないのだが、</p><p>この暑さのせいかそれからずっと身体が怠くなってしまい疲労もあり休息を優先。</p><p>先週も暑さにやられ。</p><p>まあ筋トレは怠けず継続しているので良しとしよう。</p><p>&nbsp;</p><p>とにかく今日は普段より早めに休む。</p><p>&nbsp;</p><p>どうでも良い話を一つ。</p><p>最近有線でたまに聞く「おいさんおいさんおいんさん・・・」とおっさん連呼の曲、</p><p>「おいさ」なんやな、、</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/m3w2Lw--G0s" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 01 Jul 2021 00:54:07 +0900</pubDate>
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<title>時代と価値観</title>
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<![CDATA[ <p>時代と共に世間一般の主流価値観は変わっていく。</p><p>&nbsp;</p><p>「石の上にも三年」</p><p>10年前では当たり前の如く良しとされる言葉で、</p><p>一般的に正しいとされる価値観であった。</p><p>だが今は違う。</p><p>&nbsp;</p><p>「三年も棒に振るならば時間と命の無駄だ。向かないと思うなら辞めたいと思うのなら直ぐに辞めろ」</p><p>これが今現在の主流とされる価値観だろう。</p><p>&nbsp;</p><p>「石の上にも三年」と言う根性論にも近いこの言葉は、</p><p>いつの間にか悪い意味としても十分に捉えられる様になってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>働き方に関する価値観にしてもこの10年で大分変わった様に思う。</p><p>&nbsp;</p><p>残業が美徳であり、残業時間こそが本当の勤務時間的な馬鹿げた考えを持つ団塊世代前の層。</p><p>10年前ではまだその馬鹿げた美徳がまだ幾分根付いていた様に思う。</p><p>だが今の20代にそんな教えを説こうものなら間違いなく時代錯誤であり、</p><p>折角の人材を確実に失う羽目になる。</p><p>&nbsp;</p><p>プライベートあってこその仕事。</p><p>それが今現在の仕事に対しての一般的な価値観であろう。</p><p>無論俺自身もそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>時間は有限なのだ。</p><p>だらだらと会社に居座り自分の時間を失くす事が一体どれだけ無駄であろうか。</p><p>時間は自分で作るものだ。</p><p>それを作るも作らないも自分次第だ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/berlinetta-1024/entry-12683585302.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Jun 2021 02:16:43 +0900</pubDate>
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<title>全ては有限で有る</title>
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<![CDATA[ <p>ここ数年はTwitterメインで長文を自ら書くことも無く過ごして来たが、</p><p>やはりTwitterは短文過ぎて自分の言いたい事思っている事を書き記すには合っていない。</p><p>それに過去に遡り振り返る事が非常に難しいしそもそも適していない。</p><p>&nbsp;</p><p>大袈裟ではあるが自分の生きた証を残すと言う事でも、</p><p>今日からブログを再スタートしようと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ブログを盛んに更新していた時からもう10年以上は優に経つ。</p><p>15年は経つのだろうか。</p><p>10代20代の頃はネットに自らの生活を日記の如く書く事、曝け出す事自体が新鮮で楽しかった。</p><p>友達も然り、友人のブログや懐かしの魔法のアイランドの日記を覗き足跡を付け、</p><p>何かと居住地距離はあろうが友達はなんだかんだで身近に感じられていた。</p><p>&nbsp;</p><p>それが30代にもなると当然所帯を持つ人間も現れ、</p><p>共通の「音楽」で繋がれていた輪は消失して行く。</p><p>在り来たりな言葉だが、いつしか皆日々の生活に追われ生きていく様になる。</p><p>俺自身も。</p><p>嫉妬や妬み等が自身の生活・感情・思惟を曝ける事を拒む様にもなった。</p><p>&nbsp;</p><p>昔はもっと他愛もない事を話すだけで楽しかった。</p><p>夜中深夜に集まりファミレスで駄弁るだけでも何かと楽しかった。</p><p>それはきっとまだ見ぬ未来が雄大で無限に感じられていたからなのかも知れない。</p><p>&nbsp;</p><p>時間は有限である。</p><p>これは誰しもが口を揃えて言う言葉だ。</p><p>俺が好きなアーティスト、起業家、誰しもがそう言う。</p><p>時間とは命の事だ。</p><p>亡くした身内が確かにそれを物語る。</p><p>&nbsp;</p><p>人生に生きる意味など無い、壮大な暇潰しだと言う人もいる。</p><p>生まれた意味、生きる意味を探す事が人生だと言う人もいる。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ茫然と時に流され、自分が今何を考え思っているのか。</p><p>何処に向かおうとしているのか。</p><p>せめてそれだけでも不透明にならない様、このブログを書いて行こうと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/berlinetta-1024/entry-12683334639.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Jun 2021 19:55:47 +0900</pubDate>
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