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<title>雑記帳</title>
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<description>気が向いたときなどに。</description>
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<title>6年ぶりの</title>
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<![CDATA[ <p>6年ぶりにブログを開いてみたら，なんだかリアルに当時を思い出して感傷的になった．</p><p>自分の文章を読むのは気恥ずかしさがあるなあ．</p><p>&nbsp;</p><p>学生は終わって，社会人になって，結婚もして，ずいぶん時は進んだなあ．</p><p>またぼちぼち再開していこうかなあ．</p>
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<link>https://ameblo.jp/bernetto/entry-12725036929.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Feb 2022 16:55:08 +0900</pubDate>
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<title>夏休み</title>
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<![CDATA[ しばらく更新が開いてしまったが それだけ刺激のない生活が続いていたということでもある．実際夏休みはバイトにいそしみ，神戸と横浜に旅行して，お盆は基本的にダラダラして，Chopinの第3ソナタのfinaleは仕上がる気がしないので諦め，スケ4の譜読みを始めてあまり捗々しくない，という具合である．まったく自堕落になったものだ．生理学などはじめてもいない．<br><br>しかも予定がないとだいたい病む．メンヘラという言葉は便利だが 状態はともあれ．なんとなく気分が落ち込んで やることが手につかないのだから，なかなかどうしようもない．ダメな人間なのは自覚しているので はやく忙しくなってくれ，というのが正直なところだが，いざ始まってみると夏休みの生活を振り返ってまた自暴自棄になるのだから ひたすら自傷行為を続けている気がする．やはり大学生活は孤独との戦いだなぁ．<br><br>テンションが上がらないので もう寝てしまいたいが，11時にようやく起き上がった身体なのでさすがに気がひける．微生物学のレポートでも進めておくか．いつから「早め早め」とか「ストイック」という言葉を置き忘れてきてしまったんだろう，と思いながら暮らす日々である．なかなかしんどい．
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<link>https://ameblo.jp/bernetto/entry-12063569249.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Aug 2015 20:37:14 +0900</pubDate>
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<title>マクロ解剖</title>
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<![CDATA[ 今日はマクロ解剖（いわゆる「解剖実習」）の筆記試験だったわけで，４月からの勉強（はたまた不勉強？）の成果が呆気なく出てしまうテストだった．さすがにこれを落としたら M1が始まって以降の自分が全否定されるような気がして，意地でも通ろうと思っていた．ところが，実習では鼡径管あたりから剖出がうまくいかなくなり，予習のモチベもかなり下がってしまったこともあって，直前になっても基本的な部分すらあやふやなままだった．おかげで，最後の１週間でかなり焦って詰め込む羽目になった．心臓に悪い．<br>で，今日試験が終わったわけだが（どうでもいいが，「今日試験が終わった」という言い方をすると，「科挙」のように 数日間ずっと試験が行われていたような錯覚をもたらす可能性がある．意外に使い方が難しい言葉である）出題内容は標準的な事項が多く やや拍子抜けした感がある．これで落ちたら恥ずかしいし，発生パートを始めとしてそれなりに難しい問題もあったから あまり大きな顔はできないけれど，とにかく合格をひたすら待ち続ける現状である．<br><br>頭頸部：副鼻腔は１年あけて再登場．出続けるのは採点のポイントが明確だからか．この分野では頭蓋骨の孔などが訊かれたら厄介だと思っていたが，静脈洞の問題にとどまった（といってもこれはあまり書けた自信がない）．後はオーソドックスな出題だが，採点がどれほど厳しいかは分からない．<br><br>上肢・体壁：予告の心臓は（個人的に）かなりアブノーマルな出題と思った．ここはおそらく誤答．弁の数は去年そのままであるし，鷲手も手内筋と尺骨神経の関係を示すだけだが，これくらいの出題が最も差がつくのか．小指球については書くべきか迷ったが，書いて良かった．<br><br>体幹：aortaの分枝は まさに自分が試問で訊かれた内容なので絶対に落とせない．esophagusの生理的狭窄部の出題は（過去問にもあったけれど）ノーマークな人が多く 友人が正解して喜んでいた．その場で考えて正解とはやはり流石だなぁ．それにしても椎間板ヘルニアを出題するとは，Kプリントも相当出し尽くされた感がある．<br><br>下肢：腰神経叢，坐骨結節に起始する筋，足の腱を通る筋の列挙．寛骨なんて自分の絵心では書けないし，椎骨の数もかなり適当．これについては減点必至．一方の後半２題は標準的だが，ハムストリングスの３筋の停止位置は 意外にあやふやに覚えている人が多い雰囲気．足の腱については，とにかくK説明を書き起こして良かった．<br><br>発生：脳の発生は完全にノーマーク．前後の文脈から無理やり埋めたが，全体的に自信がない．過去問を押さえてそれ以上は深入りしない，という戦略はやはり悪くなかった．<br><br>とりあえず次は神経解剖がヤマになろうか．とは言え微生物も方も現状での知識はほぼゼロなので，どこまで巻き返せるか．まだまだ先は長い．
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<link>https://ameblo.jp/bernetto/entry-12042460771.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Jun 2015 21:22:54 +0900</pubDate>
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<title>演奏スタイルとか</title>
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<![CDATA[ 五月祭が終わって，一瞬だけRavelに傾倒した。人間的な感情を含めながらピアノに向かうのに疲れたのかもしれない。僕のようなアマチュア（しかも正統的な指導を受けていない）は，「理性のコントロールだけでピアノを弾く」ことが難しいので，どうしても感情の助けを借りながら音楽を作り上げていくことになる。そして，必然的にこういう揺り戻しが来る。<br>考えてみれば，去年はLisztのRhapsodie espagnoleだったが，終わった後ほんとうになにも弾きたくなくなったのを覚えている。そこまで燃え尽きちゃダメですな。今年はまだ相対的にまし。<br><br>理性だけでピアノを弾くことが難しい理由は，ひとつには「勢い」で弾いた方が楽だから。楽な上に演奏者は結構それで満足なので，なかなか抜け出せない。これについてはまったく褒められたものではないし，少しずつ改善しようと試みている（が，成果は出ない）。<br>ふたつめはもう少し本質的な問題として，音楽の大きい流れが作りやすくなる，という理由。すべての音をコントロール化においた演奏は，それが理由となって，それこそ「不感症の女性のように」響いてしまう危険性が残る。もちろん，このような演奏で成功を収めた例はたくさんあるし，ZimermanやBlechczのように「一流の一流な」演奏家は，すべての音を自由自在に操ることにより，自由自在なドラマを描き上げる，という演奏法。無理な話だけれど。<br><br>そういうわけで，素人が簡単にドラマ性を手に入れようと思った場合の，最短のアプローチが「感情に頼る」ということになる。別に批判しているわけではまったくないけれど，音大の学生がよく弾くような，ああいう弾き方は僕は好きでない。好きでないから，とりわけ本番は普段の練習以上に攻めるし，ヤマは強調するし，とにかく「今のフレーズって何のためにあったんだろう」という疑問を観客が持たないような，そんな演奏を目指して弾いている。ある程度感情に身を任せきってもよい，と割り切って弾くことにしている。うん，完全に言い訳ですね。<br><br>RavelはSonatineの譜読みを少しして，Jeux d'eauをさらい直して，結局飽きつつある。感情に身を任せることが「麻薬」だったのか，はたまた日常生活で顕在化してこない，心の深層的な部分にカタルシスをもたらしていたのかはよく分からない。先生に指摘された通り，すべてのテクニックが「内向的」，音楽表現の方向に「だけ」向いているRavelの音楽には，やはりどこかで疎外されてしまっている気がする。「君はこの曲を弾いても幸せになれない」と，宣告されている気がする。18年間のピアノ生活，ひとつの方向性だけで生きていたのかなぁ。Scriabinとかもダメだったら，本当にChopinとLisztの単振動になってしまう。それだけは嫌なので，やっぱり現状は変えていきたい。<br><br>FranckのViolin Sonataをいつかまた演りたい，というのは，高校時代から漠然と抱いている夢。実現に近づいてはいる気がするけれど，現状のままでは絶対にうまくいかないから，言い出せないでいる。一歩ずつ一歩ずつ。決して終わりのない旅だけれど。<br><br>今日こそよい日でありますように。まずは目先の課題から。
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<link>https://ameblo.jp/bernetto/entry-12035135294.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Jun 2015 02:16:33 +0900</pubDate>
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<title>神経剖出，あるいはバラ4</title>
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<![CDATA[ 昨日今日と五月祭があった。久しぶりに自らを外部に放出していくような感覚を味わえた。いや，味わえた気がする。<br>ただ残念ながら，こういう感覚は一度スイッチが入ると麻薬のようにつきまとうので，明日からまた日常に戻るのに一抹の苦労があるかもしれない。金曜日に感じたいいようのない疎外感を忘れないように生きたい。<br><br>バラ4はいい曲だ。最大公約数的なよさ，と言い切ってしまってもよい。最後の大団円に向かって緩やかなcrescendoがかかっていくような，ある意味ではBrahmsの1番のFinaleと通じるところがあるように思う。音楽は次第に自らを崩壊させていき，属調のffで終止。そう，Tchaikovskyの5番と同じ。属調終止にまったく違和感を覚えない観客には同情しがたいが，拍手が鳴ってしまうのはやはり気分が悪いので，スタンド・プレーは特例的に許容されよう。<br><br>Balladeの4曲に共通した特徴はmonologueであること。音楽用語で言えばmonophonyと言ってもよい。もともと吟遊詩人の歌であった（標題音楽的なアプローチは嫌いだが）から，自然と「旋律と伴奏」というカテゴライズになるのだろう。Scherzoとの構造的な違いは間違いなく，これ。<br><br>晩年のChopinは書法や和声を複雑にしたぶん，polyphonicな音楽からは（意図的に）後退していったように思う。ふたつの「練習曲集」がOp.10とOp.25という「初期」の作品であることは注意しておいた方がよいかもしれない。4番はとりわけmonophonicな音楽で，旋律のラインは最後まで一本のままである。f-mollという調性にみられる「懐古的，内省的」なイメージ，Variationという形式はともにこの目的のために存在するように思えてならない。右手の旋律はいくら修飾を加えられ華美になっても，その屋台骨の部分は変わらない。<br><br>演奏にあたっては，周りの修飾部分から旋律部分を掘り出す作業がかなりの割合を占める。そう，結合組織をはいで神経の1本を剖出する作業とどこか重なる。丁寧にご遺体に向かえば，皮神経の異なる走向も見ることができる。楽譜に隠された対旋律を探し出し強調する作業と，どこか重なる。<br><br>そう，楽譜はアトラス，あるいは実習のてびき，なのかな。<br><br>僕はまったく鈍感な人間だから，譜面だけで複数の声部を選り分けることはできない。ただのBachの不勉強のせいだけれど。楽譜だけからすべてのanalyseをしなければならないプロに比べて，われわれには実習の機会が与えられたのだから，やはり「普通の」学問は才能の少なさに寛容なのだろう（そうでもしないと世界が成り立たないからね）。<br><br><br>もうちょっと音楽と一体になりたかった，不要な感情が入ったのかもしれない。それだけが後悔。<br>まあ，今日のところは一応合格点ということにしておこう。しばらくこの曲は置いておいて，ふっと人生に疲れたときに弾きたい。<br><br>明日は小テストだし，そろそろ現実に帰ります。また気が向いたときに。
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<link>https://ameblo.jp/bernetto/entry-12027879424.html</link>
<pubDate>Sun, 17 May 2015 23:05:48 +0900</pubDate>
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