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<title>キリスト教のススメ</title>
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<description>キリスト者として、聖書の教えに基づいた世界観、人生観、価値観からの個人的意見を思うままに綴ってまいります。</description>
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<title>欲に仕える人生か　神に仕える人生か</title>
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<![CDATA[ <b>主は地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。（創世記6章5節）</b><br><br>神（創造主）がおられるなら、どうしてこんなことが起こるのか？そのように言われる方がおられます。<br><br>その気持ちは良く分かります。<br><br>しかし、それは神のせいではないのです。<br><br><span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b><span style="font-size: 16px;">人間のせい</span></b></span>なのです。<br><br><span style="font-size: 14px; color: rgb(17, 17, 17);"></span><span style="font-size: 12px;"><span style="color: rgb(17, 17, 17);"></span><span style="color: rgb(17, 17, 17);"></span></span><span style="font-size: 14px;"><span style="color: rgb(17, 17, 17);"></span><span style="color: rgb(17, 17, 17);"></span><span style="color: rgb(17, 17, 17);">人が神から離れてしまった結果、すなわち、</span><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><b>まことの神を神とせず、自分を神として生きることを選んだ結果</b></span><span style="color: rgb(17, 17, 17);">、この世界は争いに満ちる世界になった</span>のです。<br><br>イエスの実の兄弟であり、初代教会において指導的立場にあった長老ヤコブはその手紙の中でこう語っています。<br><br><b>「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」（ヤコブ4章1節）</b><b></b><br><br>自分を中心として生きる生活とは、結局のところ<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>自分の欲望に仕える生き方</b></span>です。<br><br>そこには必然的に争いが伴います。<br><br>家族間や友人間の争いから、民族や国家間の争いに至るまで、全ての争いの背後には「欲望」があるのです。<br><br>ヤコブはさらにこう言っています。</span><br><br><b>「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たちだまされないようにしなさい」（ヤコブ1章16節）<br></b><br>私たちが「欲望」に仕えていきている限り、望みはありません。<br><br>その行き着く先は「滅び」です。<br><br>私たちが罪の中に生きている限り、この地上において真の平安と喜びを経験することはできまません。<br><br>それどころか、死んで後の永遠の世界において「地獄」と呼ばれる想像を絶する苦しみの世界へと入っていかなければならないと聖書は教えるのです。<br><br>ではどうすれば良いのでしょう。<br><br>イエス様の一番弟子であったペテロはクリスチャンに宛てた手紙の中でこう語っています。<br><br><b>「（神に）従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときの様々な欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい」（ペテロの手紙　第一　1章14-15節）<br><br>「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためにではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです」（ペテロの手紙　第一　4章2節）<br></b><br>この世界は人間が自分の欲望に従うことによって幸福な状態になるようには造られていません。<span style="color: rgb(255, 0, 0);"><b>一人一人が神の御心に従うことによって幸福な世界が築き上げられる</b></span>ように造られているのです。<br><br>そのためにも、まず私たちは創造主なるまことの神との関係の回復が先決です。<br><br>そのための唯一の道であるイエスをキリスト（＝救い主）として心に受け入れる必要があるのです。<br><br>もちろん、クリスチャンになったからといって自動的に自分の欲望に仕えなくなるわけではありません。<br><br>クリスチャンであっても気をつけていなければ、神に仕えるのではなく、自分の欲に仕えてしまうことがあります。<br><br>しかし、そのような状態にある時は「分裂とつまずきを引き起こす」（ローマ16章17節）すなわち争いを引き起こす傾向にあるのですぐに見分けがつくでしょう。<br><br>また、自分自身がそのような状態にならないように十分に注意することも忘れてはなりません。<br><br>私たちの敵である悪魔や悪霊につけいる隙を与えないようにしましょう。<br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/bible221/entry-11998790528.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Mar 2015 07:11:35 +0900</pubDate>
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<title>信じること　仰ぐこと</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center; "><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150307/15/bible221/75/9c/j/o0400026613237802897.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150307/15/bible221/75/9c/j/t02200146_0400026613237802897.jpg" style="width:220px; height:146px; border:none;" ratio="1.5068493150684932" id="1425727437512"></a></p><p></p><p><span style="line-height: 1.5;"><br><br>多くの正統的なキリスト教では「使徒信条」が礼拝の中で告白されますが、</span><span style="line-height: 1.5;">この信条、原語では「私は信じます」という言葉から始まっています。</span></p><span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b><br>「信じる」</b></span>ことは<b>「理解する」</b>こととか<b>「納得する」</b>こととは異なります。<br><br>聖書の中には人間の頭では理解できないこと、この世の常識では納得できないこと、いわゆる「信じられない」ことが盛りだくさんです（笑）<br><br>しかし、それでもなお「信じます」と告白するのはなぜでしょうか？<br><br>それは<b style="color: rgb(0, 0, 255); text-decoration: underline;">「信じること」によってしか理解できない世界、納得できない世界がある</b>からです。<br><br>イエスはこう言われました。<br><br><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><b><span style="font-size: 14px;">「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」（ヨハネ１１：４０）</span></b></span><br><br>ということは裏をかえせば<br><br>もし、<b style="color: rgb(132, 0, 132);">信じなければ、私たちは神の栄光を見ることは決してできない</b>ということです。<br><br>このことを日常生活の物事にたとえて考えてみましょう。<br><br>今、あなたの目の前に電源が入っていないテレビがあるとします。<br><br>あなたはそのテレビを見るためにはどうすれば良いのでしょう？<br><br>そうです、電源のスイッチを入れればいいわけです。<br><br>それだけでテレビの映像を見ることができます。<br><br>しかし、もし、あなたがこう思っていたらどうでしょう。<br><br>いやいや、私はちゃんとテレビの構造を全て理解できてからではないとテレビを見ることはできない。<br><br>どのようにテレビの電波が飛ばされているのか、またそれを受信する技術についてなどなど、十分に納得できるまではテレビを見ることができない。<br><br>おそらく、テレビが見れるようになるまでに長い年月を要することでしょう。<br><br>しかし、私たちはテレビを見るためにそんなに遠回りをする必要はありません。<br><br><b><span style="font-size: 14px; color: rgb(0, 0, 255);">ただ電源のスイッチを入れれば良い</span></b>のです。<br><br>信仰の世界もまた同じです。<span style="color: rgb(255, 130, 115);"><b><span style="font-size: 14px;"><br><br>「信じる」という「電源スイッチ」を押せばいいだけ</span></b></span>なのです。<br><br>キリスト教について十分に理解できたわけではない。<br><br>聖書についても全て納得できたわけではない。<br><br>しかし、私はその中にある素晴らしい霊的な世界を垣間見たい。<br><br>神の素晴らしさ偉大さを味わいたい。<br><br>そう願うならば「信じる」ことです。<br><br><b>具体的には、自分がまことの神である創造主から離れて生きていきたこと。<br><br>またそのために神の目に罪深い生き方を送ってきて、そのままでは滅びる（地獄）しかない存在であること。<br><br>そのような自分を救うためにイエスが身代りとなって十字架に死に、また甦られたことを認め、また信じることです。</b><br><br>その時にあなたの「霊」に「電源が入る」すなわち「神の命が宿る」のです。<br><br>異邦人の使徒パウロはそのことを簡潔に<br><br><b style="color: rgb(255, 0, 0);"><span style="font-size: 14px;">「あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるのです。」（聖書　ローマ人への手紙10章9節）</span></b><br><br>と語りました。<br><br>ただ、それだけでは「電源」が入っただけの状態で、まだはっきりとした映像や音声は聞こえて来ない場合もあることも知っておいてください。<br><br>どういうことでしょう。<br><br>テレビの話しに戻りますが、電源を入れてから、画面に映像が映り、また音声が聞こえるのは、その前に電波に波長を合わせる設定をしているからです。<br><br>この点においてはアナログのラジオを例にとって説明したほうが分かりやすいかもしれません。<br><br>電源を入れても、波長が合っていなければザーっとノイズが流れるのが聞こえるだけです。<br><br>波長を合わせるダイヤルを回して、音声が聞こえるところに合わせる必要があるのです。<br><br>さて、では「信仰」の世界において「波長を合わせる行為」とは何でしょう？<br><br>それは「礼拝」です。<br><br>「信仰」という漢字は良くできていると思います。<br><br>それは「神を信じる」ことと「神を仰ぐ」ことを意味していると捉えることができるからです。<br><br><b style="color: rgb(0, 0, 255);">「信じる」ことで、私たちは自分の霊に命（電源）が入ります。</b><br><br>そして<br><br><span style="color: rgb(0, 0, 255);"><b>「仰ぐ」（礼拝する）ことで自分の霊の波長を神に合わせる</b></span>のです。<br><br>そうすることによって、私たちは今まで見えなかった神の御心が見えてくる、今まで聞こえなかった、神の御声が聞こえてくる、そういういふうに捉えると分かりやすいのではないでしょうか？<br><br>大事なことは波長をしっかりと合わせることです。<br><br>波長が完全に合ってなくとも、なにか見えたり、なにか聞こえたりするものです。<br><br>しかし、そのような中で見るもの聞くものは確かなものではありません。<br><br>見間違え、聞き違えがあるのです。<br><br>ですから、常に神を意識し、神のご意志を行なうものとして自らを捧げることに努めましょう。<br><br>神は私たちの「信仰」をとおして働かれるのです。<br><br>神に近づきましょう。神もまた私たちに近づいてくださいます。
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<link>https://ameblo.jp/bible221/entry-11998513715.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Mar 2015 12:59:27 +0900</pubDate>
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<title>天下にイエス以外に救いはない！！</title>
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<![CDATA[ <a href="http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryinsertinput.do#" class="thum"><img ratio="1.3333333333333333" id="1425133070297" thum_style="width:220px; height:165px;" thum_src="http://stat.ameba.jp/user_images/20150228/23/bible221/63/5e/j/t02200165_0400030013231577584.jpg" orig_style="width:400px; height:300px;" orig_src="http://stat.ameba.jp/user_images/20150228/23/bible221/63/5e/j/o0400030013231577584.jpg" style="width: 330px; height: 228px; padding-top: 10px;" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150228/23/bible221/63/5e/j/t02200165_0400030013231577584.jpg"></a><span style="color: rgb(255, 0, 0);"><br><br>「天下にイエス以外に救いはない！！」</span><br><br>これがキリスト教会二千年の変わらない主張です<br><br>イエス以外にも「救い」があると教えるクリスチャンは、本当の意味で「救い」を理解していない人です。<br><br>イエス以外に救いはないだって？<br><br>キリスト教はなんと偏狭で排他的な宗教だろうか。<br><br>他の伝統的な宗教でも「救い」はあるはずだ。<br><br>実際に救われている人もたくさんいるじゃないか。<br><br>だからキリスト教は嫌いなんだ。<br><br>ある人々はそう思うでしょう。<br><br>しかし、それは誤解に基づいた見解です。<br><br>なぜならば<span style="color: rgb(0, 0, 255);">キリスト教が教える「救い」と他の宗教が教える「救い」には大きな隔たりがある</span>からです。<br><br>他の宗教が教える「救い」にもそれぞれに定義があり、意味があり、意義があるでしょう。<br><br>また、一般的には「悩みが解決した」「病気が治った」「心に安らぎが来た」「悟りや気づきが与えられた」などなど、そのようなことを総じて「救い」と表現しているのではないでしょうか。<br><br>しかし、キリスト教における「救い」とは、そのようなものではありません。<br><br>キリスト教における「救い」。<br><br>それは<span style="color: rgb(255, 0, 0);">「創造主なる神と、被造物である人間との関係の回復」</span>です。<br><br>ですから、今現在、あなたが持っている悩みが解決していなくとも、また、あなたの病気が治っていなくとも、心に安らぎがなかったとしても、あなたと「創造主との関係が回復」するなら、あなたは「救われる」のです。<br><br>もちろん、病気の癒やしや、心の安らぎ等の「救い」についてもキリスト教は教えます。<br><br>しかし、その根本は「創造主なる神との関係の回復」であり、全てはそこから始まるのです。<br><br>創造主なる神との関係の回復がなければ、どんなに大きな問題が解決したとしても、どんなに大きな奇蹟を体験したとしても「救い」を得たことにはなりません。<br><br>ですから、そのような意味における「救い」が仏教や神道にないのは当然のことと言えます。<br><br>なぜならば、神道や仏教には<span style="color: rgb(0, 0, 255);">全知全能の唯一の神としての「創造主」の概念がない</span>からです。<br><br>「創造主」について、教えない宗教が、「創造主」との関係の回復、またその前提にある「神との関係が崩壊している状態（＝罪）」について教えることはできません。<br><br>罪から来る報酬は死であること、すなわち<b>、</b><span style="color: rgb(255, 0, 0);">「創造主から離れている状態」は「永遠の滅び」である</span>ことを教えることはできません。<br><br>この世界で罪の中に生きている（神と離れている状態にある）、私たちと創造主なる神との関係を回復してくださるお方、すなわち「救い」を与える方はイエス以外に存在しないと聖書は教えます。<br><br>イエス自身が<span style="color: rgb(255, 0, 0);">「わたしが道であり、真理であり、いのちである。わたしをとおしてでなければ父なる神のもとに行くことはできない」</span>と教えられました。<br><br>なぜならば、<span style="color: rgb(0, 0, 255);">イエスだけが、あなたと創造主との関係を隔てている「罪」の壁を取り除くために、ご自身の命を犠牲にしてくださった</span>方だからです。<br><br>二千年前にイエスが遠く日本から離れたゴルゴダの丘で十字架に架かって死んだのは<span style="color: rgb(255, 0, 0);">あなたのためだった</span>のです。<br><br>また、それだけでなく、創造主なる神はイエスを三日後に死より復活させることにより、イエスが確かに人間と神との間に永遠の回復を与える方であること、すなわち「救い主（＝キリスト）」であることを示されたのです。<br><br>イエスはすでに私たちに「救い」の道を用意してくださっていますが、私たちが「救い」を得るためにすべきことがあります。<br><br>それは、この人間の耳には信じがたく聞こえる福音（良き知らせ）を子供のような心で受け入れることです。<br><br><span style="color: rgb(0, 0, 255);">「イエス」を「救い主（＝キリスト）」として告白</span>することです。<br><br><span style="color: rgb(255, 0, 0);">「あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる」</span>（聖書～ローマ人への手紙１０章９節）と聖書は約束するのです。<br><br>もし、あなたがイエスを心に受け入れ、創造主なる神との関係の回復を得たいと願われるならば、次のように祈って見てください。<br><br>--------------------------<br><br>～祈り～<br><br>天地万物の創造主なる神様。<br><br>私は今まであなたを離れ、自分勝手な人生を歩んできました。<br><br>そして、あなたの前に多くの罪を犯し、永遠の滅びへと歩んで来ました。<br><br>しかし、今日、私はイエス様が私の罪の身代りとなって十字架に死んでくださったことを信じます。<br><br>またイエス様が死より復活したことを信じます。<br><br>十字架と復活をとおして示された神（創造主）の無限の愛と無限の力（全能）を信じます。<br><br>イエス様を私の心に迎え入れます。<br><br>どうぞ、私のこれからの人生を導いて下さい。<br><br>私は死に至るまで、あなたに従い続けます。<br><br>イエス・キリストの御名によってお祈りします。<br><br>アーメン。<br><br>-------------------------<br><br>もし、あなたがイエス様を救い主として心に受け入れられたならば、どうぞ、お近くのキリスト教会においでになり、牧師の導きを受けて下さい。<br><br>その際は正統的立場にたった、純粋な聖書の教えを説くキリスト教会を選んで下さい。<br><br>＊エホバの証人（ものみの塔）、モルモン教（末日聖徒イエス・キリスト教会）、統一教会（統一心霊基督教会）は正統的キリスト教会ではありません。ご注意下さい。<br><br><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008M0PUTQ/makito221-22/" target="_top">「キリスト教は初めて」という人のための本</a>
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<pubDate>Sat, 28 Feb 2015 20:51:55 +0900</pubDate>
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<title>創造主（神）は存在するのか？</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150228/17/bible221/d7/61/j/o0400026613231197582.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150228/17/bible221/d7/61/j/o0400026613231197582.jpg" alt="" border="0"></a></div><br><br>「創造主（神）は存在するのか？」と問われたら<br><br><br><strong>「創造主（神）は存在しないのか？」</strong>と問います。<br><br><br>「どうして、存在すると思うのか？」問われたら<br><br><br><strong>「どうして、存在しないと思うのか？」</strong>と問います。<br><br><br>「神が存在することを証明できるか？」と問われたら<br><br><br><strong>「神が存在しないことを証明できるか？」</strong>と問います。<br><br><br>ここで、気づいていただだきたいのは<br><br><br><strong><font color="#0000FF">「神は存在する」と信じている人</font></strong>がいるように<br><br><br><strong><font color="#0000FF">「神は存在しない」と信じている人</font></strong>がいるだけなのです。<br><br><br>実は、どちらも「信じている」のであって、それは「信仰」なのです。<br><br><br>「神がいるなら、どうして、こんなことが起こるのか？」と問う人がいるでしょう。<br><br><br>「神がいるなら、どうして、こんなことが起こらないと言えるのか？」と問とうて下さい。<br><br><br>神の存在を証明するであろう事象を提供したとしても、おそらく彼らは自分の「神はいない」という「信仰」を変えないでしょう。<br><br><br>議論をするだけ無駄です。<br><br><br>彼らはただ神の存在を信じたくないだけなのです。<br><br><br>ただ言えるのは<strong><font color="#0000FF">神への畏敬の念を持つことは、人間が人間らしく生きる上でとても大切なこと</font></strong>だと言うことです。<br><br><br>神を恐れ敬う心を失えば、人間は平気で罪を犯すでしょう。<br><br><br>しかし、同時に、間違った教えに基づき作り上げられた「神」に対する信仰を持ってしまえば、それもまた危険です。<br><br><br>私たちの信じる神であるイエスは最も大事な教えとして<strong><font color="#FF0000">「あなたがたは互いに愛し合いなさい」</font></strong>と教えられました。<br><br><br>その教えさえ、しっかりと守られているならば、この世界に争いが起こるはずはありません。<br><br><br><strong><font color="#0000FF">争いがあるのは「神」のせいではなく、「神」の教えを無視している「人間」のせいです。</font></strong><br><br><br><table border="0" cellpadding="5"><tbody><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4264027861/makito221-22/" target="_top"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51Okr5nwMCL._SL160_.jpg" border="0" alt="宇宙は神が造ったのか?――聖書の「科学」を調べたジャーナリストの記録 (Big Box, Little Box)"></a><br></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4264027861/makito221-22/" target="_top">宇宙は神が造ったのか?――聖書の「科学」を調べたジャーナリストの記録 (Big Box, Little Box)</a><br>リー・ストロベル 峯岸 麻子 <br><br><strong>関連商品</strong><br> <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4264023564/makito221-22/" target="_top">それでも神は実在するのか?―「信仰」を調べたジャーナリストの記録 (Big Box, Little Box)</a><br> <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4820602632/makito221-22/" target="_top">イエス・キリストって、信じていいの?</a><br> <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4264030226/makito221-22/" target="_top">キリストの復活は事実か？</a><br> <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4054041027/makito221-22/" target="_top">天地創造の謎とサムシンググレート―「進化論」と「インテリジェント・デザイン理論」 宇宙と生命体をデザインしたのはだれか!? (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)</a><br> <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4264025222/makito221-22/" target="_top">ダーウィン・メガネをはずしてみたら (Forest books)</a><br></font><font size="-2">by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html">G-Tools</a></font></td></tr></tbody></table><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 21 Feb 2015 22:44:36 +0900</pubDate>
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<title>聖書って何だろう？</title>
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<![CDATA[ 聖書ってなんですか？と聞かれ、それに端的に答えなければならないとしたら<br><br><br><strong>「創造主なる神の言葉です。」<br></strong><br><br>と答えます。<br><br><br>相手は面食らうかもしれません。<br><br><br>（え、創造主？え、神？何それ？）<br><br><br>「古代イスラエルの歴史やイエス・キリストの生涯などが記されているんですよ^ ^」<br><br><br>と答えたほうが無難なのかもしれません。<br><br><br>その答えは間違っていません。その通りです。<br><br><br>しかし、<font color="#0000FF"><strong>聖書は単なる歴史書や伝記物のように読まれることを期待して書かれているのではありません。</strong></font><br><br><br>そこから<strong><font color="#FF0000">神の使信（メッセージ）を受け取るように</font></strong>と記されているのです。<br><br><br>どんなに聖書を学問的に学び、聖書に関する豊富な知識を得たとしても、聖書を神の言葉として信じて読まない限り、本当の意味で聖書を読んたことにも、理解したことにもなりません。<br><br><br><strong><font color="#FF0000">聖書はあくまでも信仰の書</font></strong>であり、信仰を持って読む時に、はじめてその素晴らしさが理解されるものとして人間に与えられているのです。<br><br><br><br><table border="0" cellpadding="5"><tbody><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334700659/makito221-22/" target="_top"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51YFSA39BVL._SL160_.jpg" border="0" alt="新約聖書入門―心の糧を求める人へ (光文社文庫)"></a><br></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334700659/makito221-22/" target="_top">新約聖書入門―心の糧を求める人へ (光文社文庫)</a><br>三浦 綾子 <br><br><strong>関連商品</strong><br> <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334700721/makito221-22/" target="_top">旧約聖書入門―光と愛を求めて (光文社文庫)</a><br> <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061841130/makito221-22/" target="_top">イエス・キリストの生涯 (講談社文庫)</a><br> <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087485285/makito221-22/" target="_top">明日のあなたへ―愛するとは許すこと (集英社文庫)</a><br> <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101162050/makito221-22/" target="_top">光あるうちに―道ありき第3部 信仰入門編 (新潮文庫)</a><br> <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101162042/makito221-22/" target="_top">この土の器をも―道ありき 第2部 (新潮文庫)</a><br></font></td></tr></tbody></table><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Fri, 20 Feb 2015 16:04:43 +0900</pubDate>
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