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<title>「what's up」</title>
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<description>「What's up（最近どうよ？）」と日常の気になる事や面白かったことをエッセイにしています。「そうそう、わかるわかる」とか「へえ、面白そう」とか感じてもらえたら嬉しいです。</description>
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<title>だけどね、、でおわる人</title>
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<![CDATA[ 「なんだけど、、」とか「けどね」でおわる人がいる。<br>「けど」なんなんだろう？「けど」は否定形、後に続くことは何かを否定する内容に違いない。<br>でも、「けど」で終わってしまい何だか中途半端。<br>そういう人との会話は長く続かず、”シーン”ということが多い。<br><br>例えば、何かお土産を買ってきてもらったとする。<br>１：「あっ、このシャツ可愛い～この色持ってるけどね、、、」シーン<br>２：「このシャツいいじゃん、この色好きなんだよね。」<br><br>例えば、外食に行ったとする。<br>１：「このパスタ美味しそう～お昼は麺類だったんけどね、、」「だから？」<br>２：「パスタ好きなんだよね、お昼もパスタだったけど、全然オッケー！！何にしようかな？」<br><br>例えば、子どもが「宿題が終わった～」と言ってきたとする。<br>１：「そう、終わったの。。やって当然だけどね、、」「そりゃ、そうだけど、、、、」<br>２：「そう、終わった？じゃ、遊びに行こうか！」<br><br>どっちが会話が続くか明らか。<br>「けどね」でおわる人って、言っても仕方がないことを言う。<br>「だから何なの？」ってなる。<br><br>意外とそんな癖に気が付いていなくて、そういう人に限って「何も言ってくれない」とか「教えてくれない」とか思っていたりする。<br>そりゃ、そうだ。<br>何を言っても「けどね、、」とかで終わるような相手と話をしていて楽しいわけがない。<br>疲れるだけだ。<br><br>そういう人には悩み事を相談するような深い付き合いの友人はいない。<br>もちろん、相談はされない。<br>みんな大人なので年賀状とメールだけの平べったい付き合いをするようになる。<br><br>「言ってもしょうがないことは言わない。聞いている方が嫌な思いをするだけでしょ。」<br>小さい頃に教わりました。<br><br>気をつけよう、気をつけよう。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sun, 10 Jun 2012 09:29:04 +0900</pubDate>
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<title>夢と現実</title>
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<![CDATA[ 例えば自分の子どもが明らかに失敗すると分かっていることに夢中になっていたらどうするでしょう。<br>あなたに特殊な能力があって未来を見ることができるとします。<br>努力の成果空しく、失敗して失意のどん底に落ち込んでいる我が子を見てしまった。<br><br>そうですね、受験とかスポーツの選考会とか、なんでもいいです。<br>子どもたちは小さな心に大きな夢を抱いて必死に勉強したり、練習したりしています。<br>でも、その結果は失敗するのです。そう、現実の世界は厳しい。<br>夢破れ、その現実を前に子どもたちは現実を受け止めきれない。<br>「それが現実」というのは容易いが、小さな心にあまりに厳しい。<br><br>でも、今、その努力を止めさせることが出来れば<br>無駄に努力することもないし、落ち込むこともありません。<br>さあ、どうします。<br><br>子どもは親に対して色々な夢を語り、見えもしない未来に向かって走っている。<br>失敗したらどうしようなんて考えないで前を向いて生きている。<br>黙って頑張っているときもあれば、辛くて泣き言を言うときもある。<br>それで良いのだと思う。それが「生きている」という証拠だ。<br>子どもが良いようにすればいい。<br><br>でも、親はそうではいけないと思う。<br>いくら分かっているからといっても、子どもの先のことを言ってはいけない。<br>子どもが夢を信じているうちは、いくら自分が辛くても先のことを伝えてはいけない。<br>結果を知っている方は知らないよりもはるかに苦しいときもある。<br>でも、それをじっと見守るのが親の責任なんだろう。<br><br>大人の人生でも同じかもしれない。<br>先のことが分かっていたらどうなんだろう。<br>自分の気持ちとは違う道を選ぶのだろうか。<br>失敗しなかったことに安心するのだろうか。<br>それよりも、現実の世界を真剣に生きている道を選びたい。<br><br>夢を諦めることを「大人になること」という人もいる。<br>失敗しないような生き方をすることを「大人になること」という人もいる。<br>そして、子どもたちは「現実なんてそんなもんさ」と夢を語らなくなる。<br>何か違う気がする。せめて親くらいは夢を聞き、そっと見守ってやるべきだろう。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=20069505" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">流星ワゴン (講談社文庫)/重松 清<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F31CFQJ4Q5EL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥730<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/bigbear0309/entry-11247739334.html</link>
<pubDate>Thu, 10 May 2012 23:00:35 +0900</pubDate>
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<title>やりたいことを大事にする</title>
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<![CDATA[ 「お疲れさま、、」これは英訳が難しい言葉のひとつですよね。<br>いつも疲れている日本人らしい表現であまり欧米人にはない発想なんです、きっと。<br><br>私たちはいつも時間に追われている、、「やること」ばっかり、、でも、「やること」には「やらなくてはいけないこと」と「やりたいこと」があって、実際には「やらなくてはいけないこと」に追い回されています。しかし、本当の意味で忙しい人なんてほんの一部、はっきり言えば、多くの人たちにはそんなに「やらなくてはいけないこと」なんてないんです。<br><br>小さい頃から「やるべきこと」で縛られてきた我々世代はどちらかといえば、「何もすることがない」ということに対する不安感に抗うかのように忙しくしている。そう、スケジュールが真っ白だと「世の中に必要とされていないのではないか」「このままでは取り残されるのではないか」と急に不安になったりしますよね、みんなそうです。だから、忙しく（忙しそうに）している。そして、余裕がなくなる。<br><br>生きていれば「ああすればよかった～」と後悔することだらけですが、残念ながらどう頑張っても「やるべきだったこと」には戻ることはできない、、じゃ、あまり悩んでも仕方ない。なるべきしてなっただけです。将来のことは誰でも不安だし、予測もできない。「ああ、将来のことが分かっていればなあ～」なんて思うこともあるでしょう、でも、将来の結果が分かっていても今が変えられるかというと多分そうでもない。色んな環境や事情があってコトが起きているんだし、、、<br><br>じゃあ、この際、よくわからない先のことに焦り、だから忙しく動き回り、そして時間に追われるのも止めてしまえばどうでしょう。心配しなくても少し時間を持て余していても何か「やらなくてはいけないこと」は入ってくるでしょ。<br><br>そんなことより皆さんが手にしている「今、ここにあるもの」、「今、ここのいるもの」を大事にするべき。先のことは今の続き。「やらなくてはいけないこと」よりも「やりたいこと」を大事にする。その延長線上に「じゃ、これやろうか」となっていく。これが自然な姿。<br><br>そうすると不思議を気持ちも落ち着いてくる。余裕も生まれてくる。好きなことばっかりやっている単なる怠惰ではいけないのですが、きちんと育った人はそんなに道を外すものではない。実はここが大事なところ。<br><br>とにかく決まったレールの上を最短距離で進ませようと子どもたちの行動にアレコレを口を出すのもよくないと思う。そんな子たちは「やらなくてはいけないこと」でいっぱい、いっぱいで「やりたいこと」が全然ない。そんな子が将来なにかを生み出すような大人になるとは思えない。何か壁にぶつかった時、自分で考え、行動することができなくなる。<br><br>子どもたちがその時々に自然にやりたいと思うことを経験させ、失敗もさせる。人は失敗から色々と学ぶものだし、そのチャンスを奪ってしまうのは実はよくない。生きていれば、ある意味では「まあ、何とかなるさ」という潔さも必要ですよね。それを見守るのが大人の責任。彼らが本当に苦労する時には親たちはなんの役にも立たなくなっているのだから。<br><br>なんてことを思ったりしています。。<br><br>↓↓何となく手に取って読んだ本、「すること」よりも「しないこと」を考えるべきと潔く面白く読ませてもらいました。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=20035320" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">スローライフのために「しないこと」/辻 信一<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F31kh6EaI1sL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,260<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Tue, 08 May 2012 19:11:13 +0900</pubDate>
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<title>大事なこと</title>
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<![CDATA[ 最近、子育てに積極的に参加する「育メン」が増えているらしい。私はお世辞にも子育てには一生懸命ではなかった。どこの家庭も似たようなものだろうが、子供が小さい頃は仕事も大変な時期に重なる。器用な方ではないので仕事との両立も出来なく、どうしても子供の方を向くことができない。そして、いつの間にか大きくなっていく、、<br><br>思えば、親が子供と一緒に過ごす時間というのはそんなに長くない。そう、思い出を刻む時はそんなに長く残されていない。そっかー。。<br><br>昨年の震災が起きた頃、仕事のブランク期間で家にいる時間も長かったのは何かのきっかけだったのかもしれない。二人で過ごす時間がやたら長かった。震災直後、小学生なんて家の外に出ていなかった頃、二人で地元のボランティア活動に飛び出して行ったことで何かが変わった。こういう時は理屈ではなく、まずは動くことを教えたかった。<br><br>そういえば、当時仲が良かった友達と大喧嘩をして帰って来たことがあった。やはりちょうど家に居たのだが、悔しさと悲しさで泣きじゃくる息子。何を話すわけではないが、側に居てやれてよかったと思っている。一人で帰宅したらどんなに寂しい思いをしたことだろう。親の務めは子供に寂しい思いをさせないこと、これに尽きる。ちなみに、今やその友達とは大の仲良しである。<br><br>一念発起して一眼レフも買ってみた。思い出は心の中にあるものだが、やはり、その時々を形にすると全然違う。あるシーンの表情はその場所、その状況でしか出せない。そんな瞬間をおさめていくと思い出もより鮮明なものになるに違いない。<br><br>大事にしていることはそ「食事」と「風呂」<br>食事は命の源、とは言っても単なる「えさ」ではない。食卓を共にするということが大事だと思っている。何を話すわけでもないが、共にするとそれぞれの状況が分かる。だから食卓のことはマジメに考える。旨いとかまずいとかではない。誰かのために何かをしているということが大事なのだ。大人になった時、思い出すものはやっぱり家庭の味だったり、食卓を囲んだ姿だったりするものではないか。それはテーブルに並んだものも含めてその場の雰囲気だったりするものだと思っている。最近の子供たちはこの経験が貧弱な気がする。<br><br>もうひとつは風呂。風呂とは不思議なもので「最近どうだ？」というような話しが気軽にできる。普段はマジメに聞かない話も風呂の中では大人しく聞いている。小さい頃からあえて銭湯やら温泉やらにも連れていくのだが、大きな湯船やサウナに一緒に入ったりしながらする話はいつもと何か違う。やっぱり、裸の付き合いってやつか。<br><br>これから様々な壁にぶつかったりしていくに違いない。そして、思春期に突入すれば親なんか気にもしなくなる。でも、子供の頃の思い出というものは心のどこかに残っているものだ。それが頼りになったりもする。どんな人生を送るのかはお楽しみだが、今はやりたいことをやらせて、伸び伸びと過ごさせたい。親なんて大したもんではない、ちょっと先に生まれたに過ぎない。でも、大事なことは伝えておきたい。それは言葉にするものではない。
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<pubDate>Wed, 25 Apr 2012 11:05:36 +0900</pubDate>
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<title>なにが正しいのか</title>
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<![CDATA[ 何が正しいのか、正義とは何かは不変のものように見えて、実は立場や置かれている環境によって変わるものである。<br><br>皆さんの身の回りでもよくあるでしょう。つい最近までは同僚と飲み明かしていたはずが、ちょっと偉くなると態度が変わってしまったり、若い頃はメチャクチャしていたくせに親になると急にマジメくさった話をしたり。そう、上の立場に就いたり、親になってみると見える景色があったり、価値観があったりする。そうすると正しかったものが変わってくるのです。<br><br>国家でもそう。テロを企てる組織やミサイルの発射実験をする国にも彼らなりの正義がある。日本人の我々には到底考えられないような価値観がある。それが受け入れられるか否かではなく、そういう現実があることを認識しないといけない。<br><br>少し前の時代はある意味ではそれぞれの国なり、組織に中により大きな価値観があり小さなコミュニティの中で「なんだ偉くなって急に変わりやがって！」とか「親になったら偉そうに！」といった程度で済んでいました。そう、どこか根本のところでは同じことを考えている、同じ思想を持った人々の間での問題なので、放っておいても時間が解決してくれるところがあった。ビジネスでも世界に飛び出す商社マンや一部の大手企業の尖兵たちが異国の文化や価値観に触れるだけで一般人にとっては海外旅行プラスアルファ程度で自らの殻に閉じこもっていても何の問題もなかった。<br><br>ところが今はどうだ。企業もグローバル化していて外国の方が普通にオフィスにいる。上司や部下が日本人以外なんて珍しくない。公用語を英語にするなんて会社も出てきている。一般の人々もインターネット上で一瞬にして世界中の人々と接触し、情報を得ている。海外で暮らしたり、仕事をするとよく分かるが、根本的な部分で全く異なる考え方の人々がいるのだ（当たり前だが、、）。話をしても絶対に分かり合えない。そんな世界と我々は常に接しているのだ。<br><br>マイケルサンデル氏の「正義」に関する書籍や講義が人気なのはよく分かる。今の時代、様々な価値観の人々と否応無く接する。そうなると相手を拒否したり、避けたりすることは出来ない。状況を受け入れた上で話をしたり、仕事をしたり、付き合っていくことが求められる。根本にあるものが違うので誰もが納得する正解なんてものはない。<br><br>彼の講義は「答え」がない。「君ならどう考える？」と質問を繰り返すことで思考を鍛えている。自分の価値観や自分なりの正義のようなものがないと考えることも出来ない。大切なことはまず自らの頭で「考えること」なのだろう。そうすることで異なる価値観の人々と接することになった時の柔軟性が生まれてくるのだと思う。正に多様性の時代である。
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<pubDate>Tue, 17 Apr 2012 17:52:42 +0900</pubDate>
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<title>居場所</title>
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<![CDATA[ iPhoneをプチッと押せば日本中、いや世界中どこにいても居場所が分かる。ボタンひとつでどこに進むかも教えてくれる。<br><br>でも、本当に自分がどこにいるのか分からなくもなる。<br><br>居場所がない。<br>前も後ろも、右も左も。<br>居るようでどこにも居ない。<br><br>これまでも色んなことがあったけど自分を取り戻す帰る場所があった。<br><br>同僚と酒を酌み交わすのもある意味ではバランスを取るための居場所だったのだろう。<br><br>どこで間違ってしまったのだろう。<br>何かがおかしい。<br><br>リセットボタンを押してしまいたい。そんな潮時なのかもしれない。
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<pubDate>Thu, 01 Mar 2012 08:44:03 +0900</pubDate>
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<title>夜明けと春</title>
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<![CDATA[ また、朝がやってきた。<br>夜が明けなきゃいいのにとなんどおもったか。<br><br>日差しは暖かくなってきたけど春はまだ遠く、冷たい風は容赦なく吹き続ける。<br>不規則に漂う波に揺られている。<br>なんとか桟橋にはロープで繋がっているけど、それも張りつめっぱなしで<br>いっぱい、いっぱい。緩むところもない。<br><br>「元気そうでよかった、、」という声をきく。<br>やっぱり、なにも分かっていないよな。<br>そりゃ、そうだ。<br><br>夜明けはすぐにやってくる<br>冬が過ぎれば春もくる<br>たぶん、そうだろう。<br>でも、そこまで待てないこともある。<br><br>どんな時にパチンとロープが切れるかも<br>なんとなく分かるようになってきた。<br><br>なんとか繋がろうとする。<br>いや、もう切っちゃえという声もする。<br>切れちゃったらすまん。<br>まあ、どうなることやら、、<br><br><br><br>
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<pubDate>Tue, 28 Feb 2012 09:44:16 +0900</pubDate>
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<title>人生最後の日</title>
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<![CDATA[ その時が来たら、君はどうするだろう。何を思うだろう。<br>これまでの日々を懐かしく思い出して感慨に耽るものだろうか<br>家族や仲間と楽しく過ごした情景が浮かび上がってくるものだろうか。<br>いや、出来なかったこと、やれなかったことをひたすら悔いたりするものだろうか。<br><br>先日、Facebookである友人の投稿で人生最後の時に立ち会うナースのブログを読む機会があった。<br>人は人生最後に何を思うのか。誰にでも訪れるその時。<br>その時に口にする「こうすればよかったな～」というトップ５は以下のようなもののようです。<br><br><a href="http://youpouch.com/2012/02/06/53534/" target="_blank">ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5</a><br>1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」<br>2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」<br>3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」<br>4. 「友人関係を続けていれば良かった」<br>5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」<br>（参照：2012.2.6 Pouch）<br><br>いろいろと頷けることもありますね、でも、本当の気持ちはその時にならないと絶対に分からない。<br>そして、その時に分かっても引き返すことは出来ない。<br><br>日々を過ごしていると先のことばかりが気になるものです。<br>何かに追い立てられるように日々を過ごしてしまうことも多いものです。<br>また、あれやこれやと色々と考え過ぎて、実は何を考えていたのかよく分からなくなったり、<br>プライオリティーがおかしくなっていることに気がつかなかったり。<br>誰でもそうです。<br><br>でも、未来は現在の延長線上にある。もっと言えば、過去から繋がっている。<br>そう、今この瞬間は明日に繋がっている。<br>今日、大事にできないものは、やっぱり明日も大事にしていないものです。<br>今日、不機嫌であれば、明日もやっぱり不機嫌なものです。<br>その日、その日をしっかりと大切なものを味わいながら過ごしていくことが大切なのでしょう。
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<pubDate>Sun, 19 Feb 2012 12:57:36 +0900</pubDate>
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<title>始まりと終わり</title>
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<![CDATA[ 今年もあっという間に二月になり、既に年初の目標に挫折を味わっている方も多いのではないだろうか。<br>とかく何ごとも始めるのは一苦労である。<br>しかし世の中には終わりにすることの方がよっぽど苦労やストレスも多いこともある。<br>エイっと放り出してしまえば良さそうだが、そのツケやら身辺整理やら意外と大変。<br>始める時のポジティブなエネルギーに比べて、断然ネガティブ。<br>これが、いかん。<br><br>我ら日本人のメンタリティーとしては「飛ぶ鳥跡を濁さず」的なところもあり、丁寧に終わろうとするが、そうはうまくいかない。<br><br>そうそう、勢い余って契約した携帯電話や衛星放送だって、いざ抜ける時は違約金やらで頭を痛めるご時世である。なんか悪いことをしている気分にすらなってくる。<br><br>最近は少なくなった針がむき出しになった目覚まし時計。<br>ふと、忙しく動いている秒針に指を当ててみる。<br>カチッ、カチッ、止まった。<br>そんな簡単に時間が止まったり、何かが終わったりするわけではない。<br>そもそも世の中は動き続けている。<br>でも、それでいい。ちょっと遅れたり、進んだり、止めてみたり。<br>携帯電話のデジタル時計ばっかり見ていると何だか情緒を感じるわけだ。<br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 06 Feb 2012 18:43:47 +0900</pubDate>
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<title>Stay Hungry</title>
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<![CDATA[ 新年に入ってからゆっくりと読もうと決めていた「スティーブジョブス」遅ればせながら読み終えた。夢に向かって邁進する姿や苦悩、挫折や裏切り、そして復活。自慢にあふれた伝記物とは違って、リアルな姿もふんだん描かれていて小説を読んでいるかのような面白さである。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=18736679" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">スティーブ・ジョブズ I/ウォルター・アイザックソン<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51xjFB36d-L._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,995Amazon.co.jp<br><br>Apple社の、そしてSteve Jobsの生き様は<a href="http://www.youtube.com/watch?v=HhsWzJo2sN4&amp;feature=g-wl&amp;context=G21c6fb0AWAAAAAAAAAA" target="_blank">1984年のCM</a>に凝縮されている。それはつまり、巨大なる何か（CMではジョージ・オーウェルの小説「ビッグブラザー」）の支配を打ち破るべく、ハンマーを投げ込むというもの。オーウェルは第二次世界大戦後に「1984」を書き上げたとき、ビッグブラザーなる目に見えない何かに支配される世界を描いた。AppleのCMはそんな支配はゴメンだ、世界を変えるという痛烈なメッセージCMである。<br><br>2005年「Stay hungry, Stay Foolish」という言葉が引用された<a href="http://www.youtube.com/watch?v=UF8uR6Z6KLc&amp;feature=g-wl&amp;context=G2e53511AWAAAAAAACAA" target="_blank">スタンフォード大学でのスピーチ</a>はあまりにも有名である。常にハングリーであれ、そして愚かであれと。<br><br>思えばこの２０－３０年は我々は世界のあらゆる場所で壁なる何か、そして対立する何かに立ち向かうことで生きてきた。国家間でも、企業間でも、そして個々人でもそうである。自らの利益、立場、目指すべきものを守るために何かと戦ってきた。ヒトはそれをハングリー精神とよぶ。頭でっかちの正論や聞き分けの良い行いだけがはびこる世の中で、馬鹿げていると思われるようなことが現状を打破する。小さくまとまるなと。<br><br>ところが今はどうだ。国家であれ企業であれ何かに向かっているという感覚は極めて薄くなっていると思う。情報は世界をあっという間に駆け巡り、ヒトも企業も自由に動き回る。支配しようにも支配しきれない社会になり、大きなものの支配は弱まっている。世界が小さく小さくなっている。自由なように見えるが、こうなってくると何かに立ち向かうというよりも、むしろ限られたパイや席の奪い合いになる。<br><br>ハンマーを投げつけるというよりも、身内を振り払っているような印象さえ受ける。外に向かって戦うハングリーな精神と内なる席の奪い合いではモチベーションはまったく異なる。これが今、世界を覆っている「何となく不愉快」な感じなのではないか。<br><br>こんな閉塞的な時代だからこそ、Hungry、そしてFoolishに生き抜いた男の物語が世の人々の心を刺激するのであろう。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/bigbear0309/entry-11150726339.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 21:56:55 +0900</pubDate>
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