バーズアイ香川のブログ https://ameblo.jp/birdseyes/ 自然と文化の風景ミュージアム、バーズアイ・香川のブログです。 ja-jp ホーリー・ウェルと地方聖人 https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10889990022.html 白亜の丘の巡礼の道8(奇跡の泉への巡礼)イングランドやウェールズの地方には、奇跡の泉と結びついた巡礼が少なくありません。不思議の国のアリスに登場したセイント・マーガレットの泉もこれに相当しますが、伝説のみでなく、本当に奇跡を体験した巡礼たちの足跡が残る泉もあります。街の名にもなったウェールズのホーリー・ウェルはそのひとつで、地方聖人のウィニフレッドの伝説が残り、この泉の水を求めて巡礼者が今も訪れています。ホーリー・ウェルの泉には、湧き出た水を使ったプールがあります。訪れた巡礼はそのプールの水に体 2013-05-27T19:39:24+09:00 クライスト・チャーチ大聖堂 https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10889976421.html 白亜の丘の巡礼の道7(今様の巡礼)この大聖堂は、16世紀にヘンリー8世に近かったウルジー卿が設立したもので、現在はオックスフォード大学クライスト・チャーチ校にもなっています。サクソン時代の聖フライズワイズの小修道院の流れを汲み、聖フライズワイズの聖遺物がありました。設立の経緯から、中世の巡礼が集まる所ではありませんでしたが、ここにはまったく異質の、今様の巡礼がみられます。伝説によると、聖フライズワイズはサクソン王国マーシアのアルガ王に結婚を迫られますが、神の救いの船に乗り、その身を隠します。尼僧 2013-05-12T20:59:38+09:00 グラストンベリー修道院 (跡) https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10889965825.html 白亜の丘の巡礼の道6(伝説の王への巡礼)グラストンベリー修道院跡グラストンベリー修道院の歴史は古く、7世紀のブリトン人の創建といいます。サクソン人の王国、ウェセックス王国のイネ王によって石製の教会にされました。10世紀には、のちにカンタベリー大司教になった聖ダンスタンによってサクソン王室の埋葬地になりました。その古さゆえに、早くから様々な伝説が生まれました。なかでも、サクソン人の侵入を阻止したブリトン人をモデルにしたアーサー王伝説が有名です。グラストンベリー近隣の地域は排水が悪く、雨の多い冬にな 2013-04-18T22:08:17+09:00 ウェストミンスター寺院 https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10889774598.html 白亜の丘の巡礼の道5(宗教を超えた巡礼)ウェストミンスター寺院ウェストミンスター寺院は、11世紀にサクソン王の聖エドワード懺悔王がテムズ川ソーニー島に宮殿とともに建造した修道院にはじまります。王の死の1週間前に完成したため、王が最初の埋葬者になりました。ノルマン征服後は、聖エドワード懺悔王を崇敬するヘンリー3世(ジョン王の子)によって大改築され、現在の姿になりました。また、ヘンリー8世の修道院解散令では、その解体を免れる代わりに、イングランドのすべての修道院が解体されました。サクソン最後の王のハ 2013-03-27T20:09:51+09:00 カンタベリー物語 https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10889105634.html 白亜の丘の巡礼の道4(旅の巡礼の意識)カンタベリー大聖堂1170年に聖トマス・ベケットが暗殺されると、その直後から奇跡が起こりました。ベケットの血や遺骨が人々の病気や怪我を治癒するという奇跡の噂はたちまちひろまり、各地から巡礼が訪れるようになりました。14世紀には、欧州有数の巡礼地になり、様々な人々が訪れました。カンタベリー物語はそんな旅人を描いた物語でした。カンタベリー物語は、聖トマス・ベケット廟への巡礼の途中、宿で同宿した様々の身分・職業の人間が、旅の退屈しのぎに自分が知る物語を順に語ってい 2013-03-10T22:01:52+09:00 聖オーガスチン修道院跡 https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10889095527.html 白亜の丘の巡礼の道3(サクソンの修道院跡)聖オーガスチン修道院跡597年にキリスト教布教のために南英のケント王国に渡来した聖オーガスチンは、大聖堂のほかに修道院を城壁の外に建造しました。修道院の敷地内にはサクソンの教会がありました。修道院の主目的の一つは歴代のケント王と大司教の埋葬場所にすることだったようです。1070年、ノルマンの大司教、ロンフランはスコランを大修道院長に任命し、崩壊寸前だったサクソンの修道院を取り払い、新しいロマネスク様式の修道院の建設をはじめました。1087年に完成した修道 2013-03-06T22:24:37+09:00 カンタベリー大聖堂 https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10889047059.html 白亜の丘の巡礼2(聖トマス・ベケットの奇跡)カンタベリーは、イギリスのキリスト教にとって特別な場所とされています。597年、聖オーガスチンはローマ教皇の命によりキリスト教布教のためにケント王国に渡来しました。ケント国王のエセルバートは、信徒であった王妃の影響もあってキリスト教に改宗しました。602年、聖オーガスチンは、国王の庇護のもと、カンタベリーに大聖堂を建造、修道院を創始し、キリスト教布教の中心地にしました。その後、大聖堂は聖ダンスタンらによって幾度か修築されましたが、デーン人の侵入によって 2013-01-31T08:37:54+09:00 巡礼と聖人(大聖堂の聖人廟) https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10889008179.html 白亜の丘の巡礼(イングランドのお参りの旅)中世ヨーロッパでは、殉教した聖人の遺物を納めた聖廟が教会や聖堂につくられ、崇敬されました。聖人の遺物は、ときに崇敬者に奇跡を起こして人々を驚かせました。人々は、聖人の徳を慕って懺悔や改心のために、またそれ以上に聖人の奇跡を求めて、その聖廟に巡礼するようになったといいます。イングランドで最も賑わったのはカンタベリー大聖堂のトマス・ベケット廟でした。大陸の玄関口に位置したため、イギリスのみならず、欧州全域から巡礼者が訪れました。多くの大聖堂には、聖人廟やそれ 2013-01-18T23:26:10+09:00 イングランドの庭園のつくり https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10914603479.html ハンプトンコート宮殿ルネッサンス以降、幾何学模様をモチーフにした庭園がヨーロッパで広まりました。イタリアで始まった整形式庭園は、フランスで最盛期を迎え、王室の宮殿に巨大な庭園が造られるようになりました。こうした庭園の造成には、幾何学的な知識のみならず、莫大な費用が必要になります。初期の整形式庭園は、ノットガーデンのように比較的小さなものでしたが、絶対王政によって豪華な王室宮殿が建造されるにつれて巨大化しました。イギリスでは、チューダー朝に始まる絶対王政のもと、王室はハンプトンコート宮殿やホワイト 2012-03-25T07:43:35+09:00 テムズ・バレー(原風景と庭園4) https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10907848907.html テムズ・バレーテムズ川はコッツウォールズ丘陵に水源を発し、オックスフォードの南でチャーン川と合流した後、テムズ・バレーへと流れ込みます。テムズ川の流域の中でも、白亜の丘に挟まれたロンドン西部からオックスフォード付近までをテムズ・バレーといいます。イングランドでは、山が氷河期に削りとられて丘になったため、急峻な渓谷はありません。緩やかな丘陵が連なるイングランドにあって、テムズ・バレーは川と山が織りなす数少ない谷間の風景を見せてくれます。白亜の丘に囲まれたテムズ・バレーには、川から丘を見上げる谷間の 2012-03-20T21:10:21+09:00