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<title>バーズアイ香川のブログ</title>
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<description>自然と文化の風景ミュージアム、バーズアイ・香川のブログです。</description>
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<title>ホーリー・ウェルと地方聖人</title>
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<![CDATA[ 白亜の丘の巡礼の道8（奇跡の泉への巡礼）<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130527/19/birdseyes/3d/61/j/o0600045012554516804.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130527/19/birdseyes/3d/61/j/o0600045012554516804.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ-ホーリーウェル" border="0"></a><br><br><br>イングランドやウェールズの地方には、奇跡の泉と結びついた巡礼が少なくありません。不思議の国のアリスに登場したセイント・マーガレットの泉もこれに相当しますが、伝説のみでなく、本当に奇跡を体験した巡礼たちの足跡が残る泉もあります。街の名にもなったウェールズのホーリー・ウェルはそのひとつで、地方聖人のウィニフレッドの伝説が残り、この泉の水を求めて巡礼者が今も訪れています。<br><br>ホーリー・ウェルの泉には、湧き出た水を使ったプールがあります。訪れた巡礼はそのプールの水に体を浸かるか、あるいは患部を浸って病気を癒します。多くの巡礼の願いが叶ったのか、そこには治癒者が奉納した大量の松葉杖が保存されています。この光景は、四国遍路などのお大師さんゆかりの寺にみかける奉納物と共通しており、驚かせられます。同様のものが、ウェールズ・ペンモンにある聖シーリオルの泉です。こちらは山里の教会脇に湧き出た泉で、その雰囲気は、日本の修験道の山々にある奇跡の泉によく似ています。<br><br>また、教会によって列聖されていない地方聖人が信仰され、その奇跡を巡礼する風習も、日本でも同様にみられます。備前（岡山県）に生まれた報恩大師がその例で、当地では多くの寺院が報恩大師によって開基されたと言われています。今も多くの人々に信仰されています。この点でも、洋の東西を超えた共通点と言えるのではないでしょうか。<br><br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/uksima/ukpilgrim/holywelltop.html" target="_blank">聖ウィニフレッドの泉（バーズアイ・南イングランド：click）</a><br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/uksima/ukpilgrim/penmontop.html" target="_blank">聖シ－リオルの泉</a><br>
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<pubDate>Mon, 27 May 2013 19:39:24 +0900</pubDate>
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<title>クライスト・チャーチ大聖堂</title>
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<![CDATA[ 白亜の丘の巡礼の道7（今様の巡礼）<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130512/20/birdseyes/13/3d/j/o0600045012536366959.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130512/20/birdseyes/13/3d/j/o0600045012536366959.jpg" alt="バーズアイ香川のブログ-クライストチャーチ" border="0"></a><br><br><br>この大聖堂は、16世紀にヘンリー8世に近かったウルジー卿が設立したもので、現在はオックスフォード大学クライスト・チャーチ校にもなっています。サクソン時代の聖フライズワイズの小修道院の流れを汲み、聖フライズワイズの聖遺物がありました。設立の経緯から、中世の巡礼が集まる所ではありませんでしたが、ここにはまったく異質の、今様の巡礼がみられます。<br><br>伝説によると、聖フライズワイズはサクソン王国マーシアのアルガ王に結婚を迫られますが、神の救いの船に乗り、その身を隠します。尼僧に結婚を迫る王は盲目になってしまいます。聖フライズワイズが聖マーガレットに祈ると聖水が湧き出て、その水で王の目が癒されたと伝わります。この泉は、テムズ川の畔にあります。<br><br>この聖マーガレットの泉は、19世紀に広く人々に知られることになります。オックスフォード大学の数学教師ドジソンことルイス・キャロルが発表した児童ファンタジー、「不思議の国のアリス」のなかで、不思議の国の入り口として登場します。この童話の中では、泉のみではなく、クライスト・チャーチやその周辺の各所がそのモデルになりました。今日では、全世界のアリス・ファンが、このアリスの聖地に巡礼に訪れているのです。<br><br>本来の巡礼の意味とはずいぶん違うため、巡礼と呼ぶべきではないかもしれませんが、巡礼の歴史の中には、英雄伝説に結びついた聖地、免罪符に結びついた聖地、詩人や科学者に結びついた聖地が巡礼の対象になったものもあります。科学や経済の発達によって病気が癒され、簡単に旅行ができる今日では、ファンタジーの主人公アリスの聖地への旅も巡礼とよべるかもしれません。<br><br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/uksima/ukpilgrim/choxtop.html" target="_blank">クライスト・チャーチ大聖堂（バーズアイ・南イングランド：click）</a><br><br>
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<pubDate>Sun, 12 May 2013 20:59:38 +0900</pubDate>
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<title>グラストンベリー修道院 (跡)</title>
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<![CDATA[ 白亜の丘の巡礼の道6（伝説の王への巡礼）<br><br><br>グラストンベリー修道院跡<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130418/22/birdseyes/4d/ed/j/o0600045012505437001.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130418/22/birdseyes/4d/ed/j/o0600045012505437001.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ-グラストンベリー" border="0"></a><br><br><br>グラストンベリー修道院の歴史は古く、7世紀のブリトン人の創建といいます。サクソン人の王国、ウェセックス王国のイネ王によって石製の教会にされました。10世紀には、のちにカンタベリー大司教になった聖ダンスタンによってサクソン王室の埋葬地になりました。<br><br>その古さゆえに、早くから様々な伝説が生まれました。なかでも、サクソン人の侵入を阻止したブリトン人をモデルにしたアーサー王伝説が有名です。グラストンベリー近隣の地域は排水が悪く、雨の多い冬になると湿地になり、グラストンベリーの丘はさながら陸の島へと様変わりします。こうした地形的な条件も伝説に結びつけられ、グラストンベリーは伝説の楽園、アヴァロン島だったと信じられるようになりました。深手を負ったアーサー王が最期を迎えた場所と伝わります。<br><br>ノルマン征服後は王室の埋葬地ではなくなりましたが、アーサー王伝説などで巡礼を呼び、裕福だったようです。ところが、12世紀の大火によって修道院の大半が焼失してしまいす。その直後、アーサー王とギネヴィア王妃の墓が7世紀の教会跡地で発見され、再び巡礼が増えました。13世紀には、エドワード1世夫妻を前に、アーサー王の棺を再埋葬する儀式を行い、修道院はますます巡礼で潤いました。ヘンリー8世による修道院解散令で解体される際には、ウェストミンスター寺院に次ぐ裕福な修道院でした。<br><br>修道院の石材は街の再建に使われたため、廃墟になった修道院跡には、アーサー王の埋葬地やエドガー王と聖ダンスタンのチャペル跡がひっそりと残っています。しかし、修道院跡に残存する巨大な壁などから、往時の修道院の栄華がわかります。ここには、懺悔や改心でもなく、また聖人の奇跡でもない、英雄の伝説のために巡礼をした人々の残像が残されています。<br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/ukmizu/glastonbury/glastonburytop1.html" target="_blank">グラストンベリー修道院跡（バーズアイ・南イングランド：click）</a><br><br>
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<pubDate>Thu, 18 Apr 2013 22:08:17 +0900</pubDate>
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<title>ウェストミンスター寺院</title>
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<![CDATA[ 白亜の丘の巡礼の道５（宗教を超えた巡礼）<br><br>ウェストミンスター寺院<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130327/20/birdseyes/e9/a0/j/o0600045012475784828.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130327/20/birdseyes/e9/a0/j/o0600045012475784828.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ-ウェストミンスター寺院" border="0"></a><br><br>ウェストミンスター寺院は、11世紀にサクソン王の聖エドワード懺悔王がテムズ川ソーニー島に宮殿とともに建造した修道院にはじまります。王の死の1週間前に完成したため、王が最初の埋葬者になりました。ノルマン征服後は、聖エドワード懺悔王を崇敬するヘンリー3世(ジョン王の子)によって大改築され、現在の姿になりました。また、ヘンリー８世の修道院解散令では、その解体を免れる代わりに、イングランドのすべての修道院が解体されました。<br><br>サクソン最後の王のハロルドや征服王ウィリアム1世をはじめ、ほとんどの王がウェストミンスター寺院で戴冠し、多くの挙式が行われました。最近では、2011年にウィリアム王子の挙式が行われ、全世界から注目されました。また、ヘンリー３世が再築した際に聖エドワード懺悔王の聖廟を設け、以来ヘンリー３世をはじめ、ヘンリー７世やエリザべス１世など数多くの王が埋葬されてきました。最近では、世界が注目する中、ダイアナ元妃の葬儀が行われました。詩人のチョーサー、音楽家のヘンデルなどの文化人、さらに万有引力の法則を発見したニュートンや進化論を提唱したダーウィンなどの科学者も埋葬されています。<br><br>ウェストミンスター寺院には、全世界から毎年何百万人もの人々が訪れますが、聖エドワード廟の巡礼を目的とした人は少ないと想像されます。著名な王族の墓を興味本位で見に来る人が大半かもしれませんが、中には、著名な政治家や文化人、科学者の徳を慕って訪れる人々もいることでしょう。この点では、宗教を超えた巡礼地といえるのかもしれません。<br><br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/ukmizu/westminster/westminstertop.html" target="_blank">ウェストミンスター寺院（バーズアイ・南イングランドより：click）</a><br>
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<pubDate>Wed, 27 Mar 2013 20:09:51 +0900</pubDate>
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<title>カンタベリー物語</title>
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<![CDATA[ 白亜の丘の巡礼の道４（旅の巡礼の意識）<br><br>カンタベリー大聖堂<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130310/21/birdseyes/40/9d/j/o0600045012452230082.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130310/21/birdseyes/40/9d/j/o0600045012452230082.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ-カンタベリー大聖堂" border="0"></a><br><br><br>1170年に聖トマス・ベケットが暗殺されると、その直後から奇跡が起こりました。ベケットの血や遺骨が人々の病気や怪我を治癒するという奇跡の噂はたちまちひろまり、各地から巡礼が訪れるようになりました。14世紀には、欧州有数の巡礼地になり、様々な人々が訪れました。カンタベリー物語はそんな旅人を描いた物語でした。<br><br>カンタベリー物語は、聖トマス・ベケット廟への巡礼の途中、宿で同宿した様々の身分・職業の人間が、旅の退屈しのぎに自分が知る物語を順に語っていく旅物語です。騎士、粉屋、女房、学僧など様々な身分の者が登場し、それぞれの価値観を展開します。この物語から、中世イングランドの世相や考え方を理解できるだけでなく、カンタベリーへの巡礼の様子がうかがえます。<br><br>もともと、カンタベリーの巡礼は懺悔や改心というよりもベケットの奇跡を求める人々だったようですが、さらにこの物語から、奇跡よりも旅そのものを楽しむために巡礼に出た人も少なくないことがわかります。戒律の厳しかった中世に、教会が罪の償いを軽減してくれる免罪符を簡単に購入できたため、人々は気軽に旅に出たといいます。<br><br>旅を楽しむ巡礼の旅という点では、十返舎一九の金毘羅参詣続膝栗毛で描かれた「こんぴら参り」に酷似しています。通行手形によって国の出入りが規制された江戸時代に、伊勢参りやこんぴら参りは旅を楽しむ一生にチャンスだったようで、寺社の参詣が旅行を楽しむ言い訳になるという意識を日本人が持つようになりました。旅の様子は違いますが、洋の東西で、巡礼が旅を楽しむ大きな理由になったことは興味深く思われます。<br><br>ジェフリー・チョーサーのカンタベリー物語の写本は全部で83冊あり、多くの人々に読まれていたといわれます。しかし、印刷により大量生産されていたわけではないので、続膝栗毛のような旅の楽しみの広報の効果があったとは考えられません。むしろ、カンタベリーへの巡礼を題材にしたことにより、物語への関心が高まったのかもしれません。<br><br>ここでは、カンタベリーにあるカンタベリー物語館を紹介します。<br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/uksima/canterbury/canterbury4.html" target="_blank">カンタベリー物語（バーズアイ・南イングランドより：click）</a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110512/15/birdseyes/d7/98/j/o0400030011223374576.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110512/15/birdseyes/d7/98/j/t02200165_0400030011223374576.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ-tale" border="0"></a>
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<pubDate>Sun, 10 Mar 2013 22:01:52 +0900</pubDate>
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<title>聖オーガスチン修道院跡</title>
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<![CDATA[ 白亜の丘の巡礼の道３（サクソンの修道院跡）<br><br>聖オーガスチン修道院跡<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130306/22/birdseyes/58/bc/j/o0600045012446740691.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130306/22/birdseyes/58/bc/j/o0600045012446740691.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ-オーガスチン" border="0"></a><br><br><br>597年にキリスト教布教のために南英のケント王国に渡来した聖オーガスチンは、大聖堂のほかに修道院を城壁の外に建造しました。修道院の敷地内にはサクソンの教会がありました。修道院の主目的の一つは歴代のケント王と大司教の埋葬場所にすることだったようです。<br><br>1070年、ノルマンの大司教、ロンフランはスコランを大修道院長に任命し、崩壊寸前だったサクソンの修道院を取り払い、新しいロマネスク様式の修道院の建設をはじめました。1087年に完成した修道院は、その後、4860ヘクタールもの領地を所有し、イングランドで屈指の富裕な修道院になりました。その規模は隣のカンタベリー大聖堂と競うほどで、その図書館には、2000巻もの写本が所蔵されていました。<br><br>1538年、ヘンリー8世の修道院解散令により、聖オーガスチン修道院は解体しました。建物は王室の宮殿に修築され、一部の石材はフランスのカレーの要塞に使われました。<br><br>規模の差はあれ、「さぬきのこんぴらさん」も寺社領を所有し、施設の拡充に充てていました。洋の東西を問わず、巡礼などの伴う民間の寄付のみでなく、領主などに寄進された領地によって、信仰施設の規模は大きく左右されるようです。<br><br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/uksima/canterbury/canterbury3.html" target="_blank">聖オーガスチン修道院跡（バーズアイ・南イングランドより：click）<br></a><br>
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<link>https://ameblo.jp/birdseyes/entry-10889095527.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Mar 2013 22:24:37 +0900</pubDate>
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<title>カンタベリー大聖堂</title>
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<![CDATA[ 白亜の丘の巡礼２（聖トマス・ベケットの奇跡）<br><br>カンタベリーは、イギリスのキリスト教にとって特別な場所とされています。597年、聖オーガスチンはローマ教皇の命によりキリスト教布教のためにケント王国に渡来しました。ケント国王のエセルバートは、信徒であった王妃の影響もあってキリスト教に改宗しました。602年、聖オーガスチンは、国王の庇護のもと、カンタベリーに大聖堂を建造、修道院を創始し、キリスト教布教の中心地にしました。その後、大聖堂は聖ダンスタンらによって幾度か修築されましたが、デーン人の侵入によって廃墟寸前なってしまいました。ノルマンの征服の後、1070年にロンフラン大司教が廃墟だったサクソンの大聖堂の再建に着手し、現在の大聖堂の基礎がつくられました。これらの大聖堂や修道院跡は世界遺産に登録されています。<br><br>英仏に広大な領地をもつプランタジネット家のヘンリー2世が王位に就くと、国王は教会に対して王権を主張するようになりました。側近のトマスベケットは、当初王権を擁護していましたが、カンタベリーの大司教の座に就くと意を翻し、ヘンリー2世と対立するようになります。その後、ベケットは7年に及ぶ国外追放の後、帰国しますが、1170年12月29日に王の騎士によって暗殺されてしまいます。この事件でベケットは列聖され、ヘンリー2世は懺悔を強いられました。こうして、教会は王権から独立を保つことができました。<br><br>奇跡はベケット暗殺の直後から起こりました。ベケットの血や遺骨が、人々の病気や怪我を治癒するというのです。ベケットの奇跡の噂はたちまちひろまり、欧州全域から巡礼が訪れるようになりました。14世紀には、欧州有数の巡礼地になり、町はその富で兵を雇い、城壁を巡らせるほどになりました。ちょうどこの頃、カンタベリーに巡礼する旅人を描いたカンタベリー物語が著されました。<br><br>ところが、絶対王政の時代になると、イギリスのキリスト教会に大きな変革が起きました。1538年、イングランド国王ヘンリー8世は、自身の離婚問題を契機に、国王至上法のもと修道院や寺院を閉鎖してしまいました。カンタベリーでは、聖オーガスチン修道院が閉鎖されました。ベケットは反逆者とされ、金銀が散りばめられたベケット廟は壊され、遺骨は焼き払われたといいます。そして、ワゴン20台分に及ぶ金銀財宝は王室に没収されました。また、カンタベリーへの巡礼がなくなることで市の財政が悪化し、カンタベリーは衰退していきました。<br><br>カンタベリーにはロンドンや大陸に近いという地理的利点がありますが、カンタベリー巡礼の本当の推進力は、聖地の奇跡にあったようです。この聖トマス・ベケットの奇跡や「さぬきのこんぴらさん」の霊験にみられるように、超自然的な現象が、洋の東西を問わず、病気に悩む人々を巡礼に誘います。そして、現在、聖トマス・ベケットの奇跡を理解しないまま訪れる多数の巡礼は、世界遺産という奇跡の結果なのかもしれません。<br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/uksima/canterbury/canterbury2.html" target="_blank">カンタベリー大聖堂（バーズアイ・南イングランドより：click）</a><br><br>カンタベリー大聖堂<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130201/09/birdseyes/af/52/j/o0600045012400411317.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130201/09/birdseyes/af/52/j/o0600045012400411317.jpg" alt="バーズアイ香川のブログ-カンタベリー大聖堂" border="0"></a><br><br>トマスベケット殉教の場<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130201/09/birdseyes/02/b6/j/o0600045012400411316.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130201/09/birdseyes/02/b6/j/o0600045012400411316.jpg" alt="バーズアイ香川のブログ-トマスベケット" border="0"></a><br>
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<pubDate>Thu, 31 Jan 2013 08:37:54 +0900</pubDate>
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<title>巡礼と聖人（大聖堂の聖人廟）</title>
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<![CDATA[ 白亜の丘の巡礼（イングランドのお参りの旅）<br><br>中世ヨーロッパでは、殉教した聖人の遺物を納めた聖廟が教会や聖堂につくられ、崇敬されました。聖人の遺物は、ときに崇敬者に奇跡を起こして人々を驚かせました。人々は、聖人の徳を慕って懺悔や改心のために、またそれ以上に聖人の奇跡を求めて、その聖廟に巡礼するようになったといいます。<br><br>イングランドで最も賑わったのはカンタベリー大聖堂のトマス・ベケット廟でした。大陸の玄関口に位置したため、イギリスのみならず、欧州全域から巡礼者が訪れました。多くの大聖堂には、聖人廟やそれに匹敵する廟がつくられているようです。<br><br>各地に残る聖人廟<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110512/00/birdseyes/d3/86/j/o0400030011222538940.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110512/00/birdseyes/d3/86/j/t02200165_0400030011222538940.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ-seijin" border="0"></a><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/uksima/ukpilgrim/salisburytop.html" target="_blank">ソールズベリー大聖堂（バーズアイ・南イングランド：click）</a><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/uksima/winchester/wincathedraltop.html" target="_blank">ウィンチェスター大聖堂</a><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/uksima/ukpilgrim/gloucestertop.html" target="_blank">グロスター大聖堂</a><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/uksima/rochester/rocathedral/rocathedraltop.html" target="_blank">ロチェスター大聖堂</a><br><br>ウェストミンスター大聖堂の聖エドワード懺悔王、ソールズベリー大聖堂の聖オズマンド廟(本来はオールド・セーラムの大聖堂)やウィンチェスター大聖堂の聖スウィザン廟のように、それぞれの大聖堂の建造に貢献した聖人の廟が守護聖人廟として設けられます。聖スウィザンの祝日、7月15日の天気はその後40日間つづくということわざが伝わっています。<br><br>オックスフォードのクライストチャーチ大聖堂の聖フライズワイズ廟、グロスター大聖堂のエドワード2世廟(聖人ではない)のように、大聖堂の近隣で起きた出来事にちなんで作られた廟もあります。また、ロチェスター大聖堂のように、サクソン人やスコットランド人の聖人廟が置かれた所もあります。地方の聖人には、奇跡の泉と深い関係を持ち、その泉の奇跡を求めて巡礼が集う場所もあります。<br><br>中世イングランドの巡礼は、ヘンリー8世がイギリス国教会を成立させ、それに伴い修道院を解散させた16世紀の前半に終焉を迎えました。カンタベリーをはじめ多くの聖廟が取り壊され、財産が没収されました。カンタベリーの財産は20台ものワゴンでロンドンに運ばれたといいます。ヘンリー8世から修道院の没収財産を下賜された諸侯は、後にカントリーハウスや大庭園を築造して、イギリスの庭園風景の礎を築くことになります。ただ、聖廟は無くとも、熱心な信仰者によって巡礼は受け継がれています。<br><br>ソールズベリー大聖堂<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130118/23/birdseyes/90/8d/j/o0600045012382589153.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130118/23/birdseyes/90/8d/j/o0600045012382589153.jpg" alt="バーズアイ香川のブログ-ソールズベリー大聖堂" border="0"></a><br><br>ウィリアム征服王とともにやってきた聖オズマンドがオールドセーラムに建造した大聖堂を廃し、ニューセーラム（ソールズベリー）に再建したものといわれます。図書館にはマグナ・カルタが残っています。イギリス最長の尖塔を誇り、正面には十一聖人の彫像があります。<br><br>ウィンチェスター大聖堂<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130118/23/birdseyes/81/e5/j/o0600045012382589152.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130118/23/birdseyes/81/e5/j/o0600045012382589152.jpg" alt="バーズアイ香川のブログ-ウィンチェスター大聖堂" border="0"></a><br><br>アルフレッド大王らサクソン人が築造した聖堂の脇に建造された欧州最長のノルマン大聖堂です。ロンドンにウェストミンスター寺院を建造したエドワード懺悔王はここで戴冠しました。その脇には、中世の庭園が再現されています。<br><br>グロスター大聖堂<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130118/23/birdseyes/e0/68/j/o0600045012382589154.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130118/23/birdseyes/e0/68/j/o0600045012382589154.jpg" alt="バーズアイ香川のブログ-グロスター大聖堂" width="600" height="450" border="0"></a><br><br>近隣のバークレー城で亡くなったエドワード2世廟があります。回廊や中庭はハリーポッターなどの撮影に使われました。<br><br>ロチェスター大聖堂<br>カンタベリーに修道院をたてた聖オーガスチンら修道僧に起源する大聖堂といいます。ロチェスター城に隣接するため、12世紀のシモン・ド・モンフォールらの反乱の際に攻城戦に巻き込まれ、打撃を受けた歴史があります。<br>
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<pubDate>Fri, 18 Jan 2013 23:26:10 +0900</pubDate>
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<title>イングランドの庭園のつくり</title>
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<![CDATA[ ハンプトンコート宮殿<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120325/07/birdseyes/55/ac/j/o0600045011872811394.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120325/07/birdseyes/55/ac/j/o0600045011872811394.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ" border="0"></a><br><br><br>ルネッサンス以降、幾何学模様をモチーフにした庭園がヨーロッパで広まりました。イタリアで始まった整形式庭園は、フランスで最盛期を迎え、王室の宮殿に巨大な庭園が造られるようになりました。こうした庭園の造成には、幾何学的な知識のみならず、莫大な費用が必要になります。初期の整形式庭園は、ノットガーデンのように比較的小さなものでしたが、絶対王政によって豪華な王室宮殿が建造されるにつれて巨大化しました。<br><br>イギリスでは、チューダー朝に始まる絶対王政のもと、王室はハンプトンコート宮殿やホワイトホール宮殿など数多くの宮殿を所有しましたが、大掛かりな庭園にはいたりませんでした。17世紀後半、名誉革命後に即位したメアリー2世とその夫のオランダ統領ウィリアム3世が、ハンプトンコート宮殿に大規模なヨーロッパの整形式庭園を造園しました。この頃、イングランドの諸侯の邸宅にも整形式庭園が広まり、カントリーハウスの庭園の礎を築きました。しかし、整形式庭園は、自然主義思想の台頭によって風景式庭園に置きかえられます。風景絵画を庭園に再現する風景式庭園は、造園管理の費用も比較的少なく、広く受け入れられました。その後、経済の発展などにより、癒しのカッテージ・ガーデンや珍しい花を観賞するローズ・ガーデンなどさまざまな小規模庭園が造園されるようになりました。さらに、宮殿やカントリーハウスが一般公開されるようになると、こうした比較的小さな庭園が建造物の周囲に造られるようになりました。日本の大名庭園に池泉をめぐる庭園や茶庭、あるいは富士など風景庭園が混在するのに似ています。<br><br>こうしてイングランドの王室宮殿やカントリーハウスの大庭園には、さまざまな種類の庭園がみられます。風景式庭園を背にした建造物の周囲に、ノット園、ハーブ園、サンケン園などの小さな整形式庭園、さらにバラ園、果樹園、コッテージ園など癒しの庭園を配しています。小さな邸宅の庭園では、これらの小庭園をひとつ、もしくは複数配しています。<br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/ukmizu/ukgardens/ukgardens1.html" target="_blank">イングランドの庭園（バーズアイ・南イングランド：より：click）</a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110606/00/birdseyes/0c/b2/j/o0400030011273365112.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110606/00/birdseyes/0c/b2/j/t02200165_0400030011273365112.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ" border="0"></a><br><br>
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<pubDate>Sun, 25 Mar 2012 07:43:35 +0900</pubDate>
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<title>テムズ・バレー（原風景と庭園４）</title>
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<![CDATA[ テムズ・バレー<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120320/20/birdseyes/99/2a/j/o0600045011863845256.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120320/20/birdseyes/99/2a/j/o0600045011863845256.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ" border="0"></a><br><br><br>テムズ川はコッツウォールズ丘陵に水源を発し、オックスフォードの南でチャーン川と合流した後、テムズ・バレーへと流れ込みます。テムズ川の流域の中でも、白亜の丘に挟まれたロンドン西部からオックスフォード付近までをテムズ・バレーといいます。イングランドでは、山が氷河期に削りとられて丘になったため、急峻な渓谷はありません。緩やかな丘陵が連なるイングランドにあって、テムズ・バレーは川と山が織りなす数少ない谷間の風景を見せてくれます。<br><br>白亜の丘に囲まれたテムズ・バレーには、川から丘を見上げる谷間の風景を楽しむ遊覧ボートが発達しています。穏やかに流れるテムズ川をナロウボートで街から街へと移動します。停泊する街には川辺を楽しむ施設が用意され、舟遊びのひと時を満喫できます。<br><br>鉄道が発達する以前、川岸を馬が牽引するナロウボート（荷役舟）がイギリスの産業革命の一翼を担いました。この貨物用のナロウボートは、20世紀の中頃に激減しましたが、現在はエンジン付きの豪華なナロウボートが観光目的で航行しています。ナロウボートが航行するテムズ川には、その流れを調節するための閘門（こうもん、lock）が数多く設けられています。レディングにあるカバシャム・ロックもそのひとつです。本流の脇に運河が掘られ、そこにナロウボート用のロックが設けられています。ボートが通る運河の水位を水の放出で調節しながらボートを通します。ふつう、ロックは川の中島を利用して設けられています。<br><br>テムズ川を包む緩やかな渓谷、木が茂る川の中島、その中島を利用したロック、さらに川辺の波止場やボートハウスなど、テムズ・バレーの水辺は人がくつろぐ自然の風景庭園を造りだしています。<br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/ukmizu/thames/thamestop1.html" target="_blank">テムズ・バレー（バーズアイ・南イングランド：より：click）</a><br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/ukmizu/thames/thamestop2.html" target="_blank">テムズ・ヘッド（バーズアイ・南イングランド：より：click）</a><br><br><a href="http://www.shigakuweb.com/mizu/ukmizu/thames/thamestop3.html" target="_blank">ロック（バーズアイ・南イングランド：より：click）</a><br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120320/21/birdseyes/f9/df/j/o0600045011864009950.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120320/21/birdseyes/f9/df/j/t02200165_0600045011864009950.jpg" alt="$バーズアイ香川のブログ-テムズ川" border="0"></a><br>
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<pubDate>Tue, 20 Mar 2012 21:10:21 +0900</pubDate>
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