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<title>bluerain55のブログ</title>
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<title>盆の最中の姉妹喧嘩</title>
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<![CDATA[ <p>父の初盆だって言うのに、そして、わざわざ、コロナ禍の中から気をつけて娘と孫と犬連れて帰って、次女の子供達もそれぞれ成人してるが、きちんと3人共が爺ちゃんの初盆に来てくれた。って言うのに、私達いいおばちゃん三姉妹は大喧嘩。</p><p>原因は…</p><p>次女夫婦には、お世話になりっぱなしだった。</p><p>次女の夫にも。三女の妹が頼りないって言うのもあるけれど、わざわざ次女ンチから焼肉の道具一式持ってきてくれて、焼肉を外で焼き始める次女夫婦。</p><p>大雨の止み間に､バーベキューしてくれる事に。</p><p>しかし、誰も家の者が手伝わない！</p><p>私は犬を放っておくわけにもいかず。</p><p>娘が手伝っている中三女が言い放った言葉。</p><p>「煙が家の中に入ってくるね。二階まで臭くなりそうね」</p><p>次女の堪忍袋の緒が切れた。ブチッと！</p><p>機嫌を損ねたらめっちゃ大変な次女。</p><p>ある意味1番父の性格受け継いでる。キレたら怖い。</p><p>三女が言い放った言葉は私はその場におらず、聞いてなかった。離れの部屋でワンコといたのだが、三女がワンコに何故か会いに来て。</p><p>そこから雨の止み間だからと散歩に行ってしまった。</p><p>私は普通に、何も考えず。</p><p>三女の妹は、多分その時点で次女の嫌悪感を察知して逃げてきてたと言う事か。</p><p>食べ頃になったらしく、母屋に行くと睨みつける次女。</p><p>何機嫌悪い？率直に聞いた。</p><p>「悪いに決まってるやん。みんなが集まってバーベキューでもしてあげよう思って持ってきて焼いてるのに、誰一人手伝わない！おまけに煙が上がって文句言われる！」</p><p><br></p><p>私は次女の「してあげてる」の言葉にカチンと来た。</p><p>「してあげるなら、最後までしてくれるもんじゃ</p><p>ん」誰も手伝わないのはダメやけど、恩着せがましく言わんでも」</p><p>私も言い出すと止まらない。</p><p>「空気悪くしたんあんたじゃん」</p><p>次女のブチ切れ！半端ない「帰る！みんな帰るで！」次女の子供達は成人してるが、呆れて、「ハア〜又始まった」とばかりの顔。</p><p>次女の長女(姪)は、何もこんな日に喧嘩せんでも。じいちゃんが帰ってきてくれてるのに。って泣き出す始末。</p><p>三女は「私が1番悪いんやろ。私のせいやから」</p><p><br></p><p>ハア😔</p><p>これだから…ウチら三姉妹本当に仲悪い。</p><p>いつも結局は喧嘩越し。</p><p>気にもするし、心配もするが、結局自分のことばかり。</p><p>それが嫌だから私はとっとと田舎から出た。</p><p>姉妹仲良くとか、きっと無理。</p><p>後で姪にも謝ったし。何が誰が悪いわけでもないし、ものすっごくしょーもないのに、謝るだけ謝っておいた。これで気が済むんならと思って。</p><p>次女は私の娘と気が合う次女同士って事もあるし、気性も似ている。結局私の娘が次女に言い聞かせて、その場はどうにか収まった。</p><p>兄弟姉妹、大人になるとどんどん仲悪くなっていくもんだ。それぞれの家庭を持ったりしたり、何番目かが問題児なら、尚更。</p><p>ウチは三女が気弱で、それでいてめんどくさがり。次女は気が効くが1番気が強い。この子に何回泣かされたか…って言う私も気弱な分とブチ切れたら厄介な長女ときたもんだ。</p><p>あーあ。お父ちゃんごめん。</p><p>でも、3人娘を女ばっかりで困ったもんよと文句言ってたお父ちゃん。頑固な所は三姉妹そっくりよ。</p><p>男の子が欲しかった父…</p><p>ソリャ、男の兄弟がいたら、こんな事も起きないわな…</p>
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<link>https://ameblo.jp/bluerain55/entry-12694433319.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Aug 2021 23:13:21 +0900</pubDate>
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<title>父の初盆</title>
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<![CDATA[ <p>なんとか2週間、実家で初盆の用意をして無事関西に帰って来た。</p><p>ほとんど雨ばかりのお天気で、綺麗にお墓の掃除もできず終いとなってしまった。</p><p>三女である私の妹は、ギリギリまで仕事。次女も農家で仕事。しかしあちらこちらから初盆のお供え物が届いたり、持ってきて下さったり。</p><p>用意する日は土砂降りの雨だった。次女の夫が即席で軒下からつっかい棒を組み立てテント代わりにビニールハウス用のビニールで屋根を作ってくれる。</p><p>器用な義弟なので、全てお任せしてしまった。申し訳ないくらい、松明用の竹や108本の蝋燭立てる物を大工さんに頼んでくれて、それも庭に立てて。</p><p>土砂降りの中濡れながら、次女の息子も手伝って。</p><p>提灯に頂いた人の名前を取付けお供え物を父の遺影を置く台に並べて、両脇には電気の灯篭を何個も置いて。</p><p>芭蕉の葉にお供え用の御膳。</p><p>13日の夕方にはご先祖さまと父が帰る。</p><p>それまでに姉妹3人で墓に行き、道しるべとして墓の前で松明を灯した。</p><p>土砂降りの雨だった。</p><p>その燃えかすを持ち帰り、家の松明に灯す。</p><p>晴天なら、高い竹で灯す事ができたが、大雨なので短くした。108本の蝋燭に火を灯し、提灯にも火を灯した。</p><p>父は我が家がわかっただろうか。</p><p>お盆前に、父が植えた桜の木を半分以上切った。</p><p>40年の歳月をかけて大きな桜の木に成長したが、宿り木や虫がつき厄介になって来たので、これも義弟と次女が切って片付けていった。</p><p>父は「桜の木がないじゃないか！」</p><p>と怒って帰って来たのではないか？</p><p>そして、三日間の盆が始まった。</p><p>雨は止み間もなく降り続いていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/bluerain55/entry-12692785084.html</link>
<pubDate>Tue, 17 Aug 2021 23:29:55 +0900</pubDate>
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<title>父との別れ㉑</title>
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<![CDATA[ <p>法要と納骨…</p><p>初夏を思わせるような陽気に包まれた3／27墓は昔住んでいた祖父母の家から見える家の所有の山だ。父は婿養子だから、自分の親とは別の母の両親そして母の義母が眠る墓に入ることになる。</p><p>お嫁に行くと女は旦那さんの家のお墓に入ることが当然のようだけど。今は多種多様なお墓の在り方があるようだが、父は、義父母と一緒の墓に入る抵抗はなかったのだろうか？</p><p>聞くこともできなかった。昔の人間だから、当たり前だと思っていたのかもしれない。</p><p>実家は父が育った家の隣だった。そして祖父母の家とは少し距離がある。</p><p>昔私が産まれた頃はそこに祖父母と同居していたが、父と祖母(母の義母)は折り合いが悪く、結局父は自分の家の近くに引っ越したのだ。</p><p>同居はやはり難しいもんなんだ。</p><p>だが、働き者の父は立派なお墓を祖父母の家の前の山に作った。</p><p>それは婿養子で嫁いできたような形だったけど、それが務めだと思っていたのかもしれない。</p><p>実家と祖父母の家は車で片道15分ほど。</p><p><br></p><p>お坊さんが忘れ物ないように。と、あれだけ言われてたのに、野位牌を忘れた！</p><p>次女が取りに帰る。</p><p>それだけではない！骨壷に貼る名前シールも忘れてきた！</p><p>バタバタもんだった。親戚一同からはブーイングの嵐だった。</p><p>そんなこと慣れてるわけないから仕方ないですよと、お坊さん。</p><p>待ってる間に母の本当の母25歳でお腹に赤ちゃん宿したまま逝った本当の私の祖母が未だに壺に入っているのは、かわいそうと、お坊さんが土に帰るようにと、ツボから土に撒いた。小さな赤ちゃんの骨壺からも出して…</p><p>墓の中を初めて見た。</p><p>地方地方でお墓も違うし、骨壺の大きさも全然違う。</p><p>実際関西に住んでいた私の夫の父親が亡くなった時、なんて小さな骨壺なんだ、と思ったものだった。</p><p>土地柄によって墓も壺も違うもんなんだと思った。</p><p>忘れ物をしたお陰で、私の実の祖母とその赤ちゃんは長い時を経てやっと土に帰ることができた。</p><p>忘れ物も必然だったのか。</p><p><br></p><p>親戚一同文句ばかり言ってた奴らは、父の兄弟だけだった。私は父の兄妹は大嫌いだから、ひたすら無視していた…</p><p><br></p><p>父は86回目の桜を見ることなく、辺りは桜満開の中、そして夜には満天の星空の下にある父が作った墓に無事入る事ができた。</p><p>そして実家に帰ったら、遺骨はもうない。</p><p>どんどん現実と向き合わざるを得なくなる。</p><p>骨でもいいからそばにいてほしかった。</p><p>どんどん父が遠ざかる。寂しい。</p><p><br></p><p>桜もあっという間に散って、三七日(みなのか)</p><p>から四十九日迄、あっという間だった。</p><p>お礼状の封筒に住所名前書いてシール貼って郵便局持ってって。200通以上。ほとんど私の仕事だった。</p><p>これで役目を終えた。</p><p>4月半ば過ぎ、私の次女が子連れで迎えに来てくれた。季節は冬から春に変わっていた。</p><p>相変わらず眠れない日を送っていた為体調もMAX疲れピークだった。12月から4月迄父と過ごした時間は少なかった。もっと話ししたかった。</p><p>会いたいよ。お父ちゃん。</p><p>でもきっとお父ちゃんなら「自分の生活しなさいや」と言うだろう。母を残して帰ることは辛かったが、コロナが増えてきて、関西に一緒にと思っていたが、諦めた。コロナを恨む人はたくさんいる事だろう。私もそのうちの一人。コロナさえなければと…</p><p>4／19関西の私の家に戻ってきた。</p><p><br></p><p>そしてコロナはまだ猛威を奮っている。</p><p>明日から実家に帰る。県またぎをしてはいけないと言われようが、初盆なのだ。父が家に帰ってくるんだ。帰る。そして、また離れで隔離生活をする。次女と孫二人と犬1匹盆明け迄…</p><p>悩みに悩んで、諦めていたけれど。</p><p>そういう人いっぱいいるんじゃないかな。</p><p><br></p><p>母はワクチンを受けることができないから、母に何かあってはいけないように…</p><p>田舎は家は狭いが、離れの家がある事だけは助かる。父は家がわかるかな？</p><p>提灯の灯り見て帰っておいでね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/bluerain55/entry-12689852544.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Aug 2021 00:39:36 +0900</pubDate>
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<title>父との別れ⑳</title>
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<![CDATA[ <p>無事葬儀が終わり、火葬も終わり、家路に着く。</p><p>父の兄弟　家族で少しだけの人数で簡単に食事を取り、私の夫は仕事の為そのまますぐに関西に帰った。夫と父は釣りに趣味も合いお酒も呑めるから毎年子供達連れて帰ってくると釣りに行ってお酒も飲んで…と言う仲だった。</p><p><br></p><p>みんなが帰って、女ばかりの家になった。</p><p>祭壇の父に話しかける。「今日はいっぱい人が来てくれたね。」</p><p>四十九日までは家にいると言われていたから、いつも話しかけていた。</p><p>しかし、どこを探しても父はいない。昼間もきっと何処かへ出掛けているような…そんな錯覚をずっとおこしていた。</p><p>夜になると父はもう早く寝てしまったんだ。と…</p><p>なんでだか、まだ信じられないでいる自分がいた。</p><p>同じく母も、そう言っていた。</p><p>まだ生きてる気がするって。</p><p>あんなに最後の入院は長く意識のない父をずっと見ていたのに。</p><p>もう、いない。そんな気はほとんどしなかった。</p><p>こんな早く逝ってしまう事、きっと父本人も、こんなはずじゃあないって思ってたんじゃないかと…</p><p>もっともっと生きていて欲しかった。</p><p><br></p><p>娘達は3／5に関西に帰って行った。</p><p>こんな長く田舎にいたのは小学生の時以来だった。小さな子を抱えて大変だったと思う。</p><p>私の二人の娘達には感謝しかない。</p><p>二人ともひ孫を父に見せてあげられなかったことが1番悔しいと言っていた。コロナじゃなければ、声でも聞かせてあげられたのに。</p><p>救いは次女の上の男の子だけ、唯一、父とは会って可愛がってもらった。長女の上の子と次女の2番目だけが、会わせてあげられなかった。</p><p><br></p><p>娘達と私も帰りたかった。自分の家に。</p><p>でも四十九日が過ぎるまでは、まだ色々しなくてはいけない。</p><p>肝心の三女は、離婚に向けて準備を始めていたので、全く家のことは私任せだった。</p><p>次女も仕事が忙しく、頼りない私の仕事は増えた。</p><p>納骨、四十九日法要は、三月越し(みつきごし)</p><p>を避けるため3／27に行うことが決まっており、それに向けても忙しかった。</p><p>毎週土曜日には、お膳にご飯お茶、汁物、和物、煮物を作り入れ。</p><p>これはここに住んでいる三女が責任持ってやりなさいと言うことで、渋々ながらも、頑張って作っていた。</p><p>3月に入り、娘達も帰ってしまい、一日中母と一緒にいて、夜は一人で寝たが、これが、何故かなかなか眠れない。3月はずっとそんな調子で、眠れず、毎晩の様に父のことを考えては泣いていた。ああすれば良かったんじゃないかとか…</p><p>もっと話しすれば良かったんじゃないかとか。</p><p>三女夫婦が離婚するにあたって、父に言っておけば良かったんじゃないかと後悔ばかりの夜を毎晩迎えていた。</p><p>誰にも言わずに。</p><p>だんだん春めき、花も色々咲き始める。桃の花やそして桜の花が咲く。</p><p>介護用ベッドから桜が見えるように向きを変えてもらったりしたのに。一日の使うことなく介護用ベッドも返したし。</p><p>法要の日は暑いくらいの桜も満開の中行われた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/bluerain55/entry-12689465410.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Jul 2021 00:14:17 +0900</pubDate>
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<title>父との別れ(19)</title>
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<![CDATA[ <p>父を乗せた霊柩車には母が一緒に乗った。</p><p>後に娘達の車、妹達の車、親戚の車…</p><p>一体何台の車が連なって行ったんだろう。</p><p>父が通い慣れた道を…田んぼや畑の小道をわざわざ通って、霊柩車に続いてそれぞれが40分ほどかけて、メモリアルホールに着いた。相変わらず雨は降り続いていた。</p><p>祭壇の父の遺影は、私の上の娘の結婚式の時の写真を使った。孫娘に囲まれて幸せそうに笑っている、いい顔の父だった。</p><p>沢山の供花　祭壇の花に囲まれ、とても豪華だった。今まで苦労して働き詰めの父にはピッタリの盛大な葬儀になった。</p><p>お寺の住職さんも呑み仲間だと言う。</p><p>とても感じのいいお坊さんだった。</p><p>尚香も順番にする。</p><p>私の孫は、読経が流れる中、葬儀の間もずっと3人の小さな孫達はグズリもせず、ひいじいちゃんのお別れをいい子で送ってくれた。</p><p><br></p><p>棺の中に花を入れていくのだが、大熱の人達が会場に入り切らず外のロビーに溢れていた事に、その時気づいた。</p><p>コロナ禍のこのご時世にこんなに沢山の人。大雨も降ってる中にこの人達は、わざわざ、父のためにお別れに来てくれた。</p><p>ありがたいことに、その後もコロナにかかった人も出ず。</p><p>私の挨拶も、事前に用意して読み上げたのだが、最期にあまりの人の多さに、咄嗟に「お父ちゃん！こんなに沢山の人が来てくれたよ。嬉しいね。良かったね。皆さん本当にありがとうございました。」涙を堪えてそう言える事ができた。</p><p>これも父の人柄なのか。と…</p><p>父は、仕事には厳しい人だったから、父のこと好いてる人ばかりじゃないのも知っていた。</p><p>呑兵衛な所もあった。しかし、義理人情の熱い人だった。困った人には助けてやり、見栄っ張りな所もあったからお酒も沢山の人に奢ってあげてたようだった。</p><p>父の事嫌いならこんなに来てくれる人はいないだろうから、何かしら、父はみんなに好かれていたのか、と思えた。</p><p>私達娘にも厳しいし、冗談も言わない。頑固一徹、母にとったら亭主関白な父だったのに。</p><p>豪華で賑やかな葬儀だった。</p><p>コロナでなければ、大勢での大宴会になったであろう。</p><p><br></p><p>雨が降りしきる中、斎場に移動して順番を待っていた。</p><p>ひと昔前は、入れ歯は燃えないと言われて、祖母には入れ歯を入れてあげられなかった。今は、あれから何年も経って、入れ歯も入れてあげられた。良かった。アッチの世界で歯がなかったら、ご飯食べれんもんね。って妹達と安心した。</p><p>順番が周り、父の柩が火葬する扉の前にきた。</p><p>ボタンを押すのは喪主だと言われていたが、</p><p>三女の夫には、遠慮してもらった。母と三姉妹が一緒にボタンを押すことにした。</p><p>「お母ちゃん押すで。いい？」次女が母に問い掛けた。</p><p>この時母が一番泣き崩れた。「押すよ」と私。</p><p>母の手を引いて一緒にボタンを押した…</p><p><br></p><p>さよなら。さよなら。お父ちゃん…</p><p>ありがとう。育ててくれてありがとう。</p><p>わがまま言ってごめん。私が本来なら婿養子もらうことを言われていたのに。勝手にお嫁に行ってしまって…</p><p>本当にごめん。父はずっとずっと酔うと必ず言っていた。「お前が養子もらわんかったから」と…</p><p>そうだね。きっと私が婿養子もらっていたら、もっと父や母は幸せだったのかもしれない。</p><p>三女には苦労させられたもんね。頼りない。三女夫婦だったから、私だったらよかったよね。</p><p>その事が最大の後悔だ。</p><p>父は灰になった。真っ白に全て燃えてしまった。この地域は全ての骨を骨壷に入れる。</p><p>大きな大腿骨が残っていた。父は骨は丈夫だったようだ。箸でつまみ合い、骨壷に入れる。父の兄弟、そして私達姉妹　孫家族で全ての骨を骨壷に入れた。</p><p>父は骨壷に入ってしまった。さっきまで顔が見れたのに。</p><p>虚しかった。人間の最期なんだ。これが…</p>
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<link>https://ameblo.jp/bluerain55/entry-12689109842.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Jul 2021 00:18:54 +0900</pubDate>
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<title>父との別れ⑱</title>
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<![CDATA[ <p>2／21午前4：00まだまだ暗い街を葬儀屋の車に乗って逝ってしまった父とそして母私の3人と運転手さん。</p><p>高速ではなく下道を病院から遠い実家へと帰る。</p><p>まだ街灯がオレンジ色に光る道、県庁所在地のあるこの市内を何度私を関西方面に向かう電車に送り迎えしてくれただろう。</p><p>この街ともお別れだよ。ここはよく来ていたパチンコ屋、ここは私を迎えに来て帰りに買ってくれたお饅頭屋、ここでご飯良く食べに行ったよね。</p><p>そして、薄明かりな空にぼんやりと風景も見える時間、やっと、父の住む町に戻って来る。</p><p>ここは私達の卒業した中学校、ここはよく飲みに行ってたお父ちゃんの妹の店、ここはお父ちゃんが作業していた倉庫。田んぼ、椿の山、一つ一つ説明しながら、私と母がずっと話かけて帰ってきた。我が家に戻っていった父。親戚、娘達、三女に三女の娘達、みんなお出迎えしてくれた。</p><p>「おかえりなさい」「じいちゃんおかえり」</p><p>葬儀屋の人もすでにきて、慌ただしく、葬儀日程とか決めなくてはいけなくなる。</p><p>しかし、季節柄なのか、この寒い時期は年寄りが結構亡くなって、火葬場も空いてない。</p><p>父は自分が死んだら通夜だけは家でしたいと言っていたらしく、通夜は家で、葬儀は近くの市のメモリアルホールでと言っていたらしい。</p><p>ところが日程が合わず、24日が通夜、25日は友引で出来ず、葬儀は26日と、ゆっくりとした、日程に決まった。</p><p>まるで、私達姉妹や母に「慌てずゆっくりやったらええ」とでも言うように、父の計らいのような気がしてならなかった。</p><p>ゆっくり祭壇やお返しものを決めて。</p><p>喪主を決めたのだが、父は、嫌いだった三女の夫(婿)にすると言っていたと言う。</p><p>この頃かなり色々揉めていた三女夫婦。</p><p>離婚話も父には隠していた。</p><p>周りは反対したが、父の言ってたとおりにと、次女が言うから、三女の夫にした。のちに、このことがややこしいことになるとは…</p><p><br></p><p>祭壇は海が好きだった父に海の波をイメージしたような花の飾り付けの祭壇に決めた。</p><p>そう言うコマコマしたこと決めていかなきゃいけない。</p><p>そして本来なら喪主である三女の夫が最後の挨拶をするべきだったのだが、当然、みんな反対で、長女の私が、最期の挨拶をすることとなる。</p><p>そう言う事も考えていかなければいけない。</p><p>しかしながら、葬儀まで時間はたっぷりとあったわけだ。</p><p>通夜の次の日友引なんて、「お前ら寝てないやろからゆっくりしなさいや」と言われてるようだった。実際通夜に一晩中起きていたのは、私だけだったのだが。次の日ゆっくり寝ることができ、父には感謝だった。</p><p>関西から駆けつけた、父の弟達、親戚、私の夫…</p><p>狭い家での通夜には、入りきれないほどの方々が来てくれた。</p><p>本来ならお酒やお料理を出し、故人を偲んで欲しかったのだが、コロナ禍の中どう言うこともできず。</p><p>しかし、コロナ禍の中、あれだけ多くの人が通夜に来てくれた。正直、私は、地元に住んでいない為、ほとんどの人を知らなかった。</p><p>父、母、妹2人の関係の人々が来てくれた。</p><p>感謝しかなかった。</p><p><br></p><p>26日の葬儀は、その日までずっと晴れていたのに、朝から土砂降りの雨だった。</p><p>咲き始めた庭の梅の花二輪を取って、柩に入れた。</p><p>棺の中は、愛用の帽子ベルト背広、孫達一同が11月から折りはじめた千羽鶴。私が縫った1日も使わずじまいだった緑の枕カバー。父が好きだった椿の花も一緒に入れた。21日亡くなり5日が経つのに父は顔色も全然変わらなかった。多分死ぬ前まで便も尿も出し尽くして、身体を綺麗にしてたんだと思う。真冬でも時間が経つと顔色が変わりおしろいのようなものを塗って綺麗にする人もいるのだとか。男の人でも。</p><p>父は全く変わらず綺麗なままで…</p><p>本当に何もかも完璧じゃん！って思えた。</p><p>かっこいいな、お父ちゃん。</p><p>入院代に私達のホテル代に葬儀代…</p><p>お父ちゃん全部自分が働いてきたお金だよ。</p><p>子供の私達には、結局、介護の世話もさせず、お金の心配もさせず。かっこよすぎや。お父ちゃん。葬儀の段取りまで考えてくれて…</p><p>ありがとう。ありがとう。お父ちゃん。</p><p>葬儀会場に向かう道、雨がずっと降り続いていた…</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/bluerain55/entry-12688920773.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Jul 2021 23:53:51 +0900</pubDate>
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<title>父との別れ⑰</title>
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<![CDATA[ <p>2／21午前1：44が父の死亡時刻。</p><p>呼ばれたのは午前2：00を回っていたから、看護師さんはI先生を呼んだり処理したりしていたんだろうか。</p><p>電話はその前にあったと思うが病院に着いて病室に入った時刻には父はもう息をしていなかったし。それから、妹はすぐに知り合いの葬儀屋の友達に真夜中なのに連絡していた。(顔広いもんだなあ。救急隊員や葬儀屋の知り合いまでおるんか)</p><p>ある意味感心した。</p><p>4：00にお迎えが来ると言う。</p><p>その間2時間弱、一階の自動販売機で帰りに着せる浴衣のような物を買いに行く。</p><p>湯灌を看護師さんと一緒に代わり番子にして父の身体を拭く。</p><p>足の裏のチアノーゼも綺麗に消えていた。</p><p>何も口にできなかった2週間の間に痩せていってた身体。顔は今までと同じように見えたけど、どこか安らかな顔だった。義弟(次女の夫)も倒れて危篤と言われた2／9以来久しぶりに父との対面だった。私から言わせたら、義弟も本当にお疲れ様でした。ありがとうと言いたいくらいだった。</p><p>自分の車に乗せて帰ると言っていたが、病院からも、葬儀屋の車を言われたので結局は諦めた。</p><p><br></p><p>顔や手、身体を拭き妹はクシで白髪頭の父の髪をといていた。「どう？男前になったやろ？」</p><p>「そうやね。お父ちゃん男前や。」</p><p><br></p><p>私達の疲れを察してくれたのか。もうそろそろ仕事せんといかんやろ。って妹夫婦に言いたかったのか。そばで「お父ちゃん！お父ちゃん！」とうるさく言われるのが嫌だったのか。本当に1人で逝っちゃって…</p><p>母や妹は地元に住んでるから、今まで祖父母も送ってきた。しかし私は、誰かの死に目にあったことはなかった。父が初めてだった。</p><p>実感もあまりなかった。湯灌が終わってもまだ時間があった。</p><p>4時まで迎えは来ないのか。ソリャ真夜中やもんな。</p><p>病室で家族だけ、静かに静かに時間が過ぎていった。</p><p>みんな言葉少なで、話すこともなかった。家で待ってる三女に電話したり、私の娘たちに連絡したりしていた。</p><p>午前4時葬儀屋の車が来た。</p><p>ストレッチャーに乗せられ白い布をかけられ、エレベーターで一階に降りていった。</p><p>車に乗せられ母と私が一緒に乗った。</p><p>次女夫婦は後から自分達の車で着いてくる事になっていた。高速は使わず、下道をお願いした。</p><p>出入り口で看護師さんとI先生が最後まで頭を下げて見送って下さった。ありがとうございました。</p><p>本当にありがとうございました。</p><p>父は今回は生きて退院する事はできなかった。</p><p>癌を患っても何年も生きている人もいる。</p><p>現に父の1番下の関西に住んでる弟はもう何年も癌と共に生きている。</p><p>どうして、この前まで元気だった父が、こんな呆気なく逝ってしまうんだ。癌と宣告受けたのは11月半ば、余命半年って言われてたのに、実際のところ3ヶ月も生きられなかった…</p><p>あっという間に居なくなった。</p><p>こんな早く逝くなんて、早過ぎじゃない？</p><p>お父ちゃん…</p>
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<link>https://ameblo.jp/bluerain55/entry-12688361499.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Jul 2021 23:37:28 +0900</pubDate>
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<title>父との別れ⑯</title>
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<![CDATA[ <p>5ヶ月前の今日の未明、2／21午前1：44</p><p>父は一人で逝った。実家が病院から2時間、12日間市内でビジネスホテルでの寝泊まり。毎日毎日あれだけそばにいたのに…</p><p>なんで1人で逝った。どうして待っててくれんかった。妹(次女)に病院から連絡が来ることになっており、毎晩ヒヤヒヤしながら、ろくに眠れず過ごしていた12日間。</p><p>とうとう呼ばれてしまった。夜中、妹の切羽詰まった声での電話で起こされる。「呼ばれた！私は走って行く！お母ちゃんを頼む。」</p><p>隣で寝ていた母を起こす。「お母ちゃん、用意して…ホテル出るよ。呼ばれたよ。」</p><p>寝かけたところだった母は「ええ？呼ばれた？」</p><p>服も着て寝ていたので、すぐに出られるが、足の弱い母は何をするのも遅い。「早く！」</p><p>急かした。義弟の車はもうホテルの前で待機しており、押し込むように母を乗せた。</p><p>ホテルのフロントの方には毎日お世話になり、「これで帰ります。今までありがとうございました。」それだけ言ってそそくさ私達はホテルを後にした。</p><p>走れば2、3分。</p><p>母が手間取り、病室についた時、妹(次女)は座り込んで泣いていた。</p><p>I先生が居て、「僕も間に合わんかったんですよ。」と…</p><p>看護師さんから聞くと、ストンと血圧値、呼吸、全てのバイタルセンサーの波がストンと落ちたということだった。</p><p>妹は泣きながら「間に合わんかった。こんなに近くにおったのに。走ってきたのに。」</p><p>私は意外にも冷静だった。父に「お父ちゃんお疲れ様でした。良く頑張ったね。偉かったよ。」</p><p>そして、I先生に「先生どうもお世話になりました。先生が診てくださって本当に良かったです。ありがとうございました。」</p><p>長女として、きっちりお礼は言いたかったから。</p><p>先生も「お父さん良く頑張ったと思います。家族のみなさんも良く見てあげて、本当に感心しました。」とおっしゃってくださった方</p><p><br></p><p>まだ温かい父の頬を撫でて、「なんで1人で逝ったんよ。みんなに最期見られたくなかったんやろ。」父らしいと思った。</p><p>疲れ果てた私達を、もうそろそろ終わりにしてやろうかねえ。って思ったんかな？</p><p>正直終わった。と思ったのは嘘ではない。</p><p>それだけ私達は疲れたから。</p><p>父は良く頑張った。誇らしく思う。</p><p>2／21は長い長い1日になる事となった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/bluerain55/entry-12687797759.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Jul 2021 00:06:33 +0900</pubDate>
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<title>父との別れ⑮</title>
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<![CDATA[ <p>父が入院中は私達はずっと病院の中にいた。たまに気分転換に近くの商店街にも行ってみた。花が好きな母に買って行こうかと思った時もあったが、父がこんな時に、呑気に買える事も出来ず。ブラブラして病院に戻ったり。気分転換でもしない限り</p><p>みんなが長い看病で疲れもピークだった。</p><p>2／16は滅多に降らない雪が夕方から本降りになっていた。父が家で「冬は雪でも降らんと冬らしくないねえ。」</p><p>一度私が実家に帰って雪が積もった事があったが、外を見ることもない父だったし、抗がん剤治療の副作用かボケも始まっていた。「降ったやん」と言っても聞き入れてくれなかった。</p><p>そして2／16大雪が市内に降り吹雪のようになっていた。病室の窓から見える雪を見ながらもの言わぬ父に「ほら、大雪になったで！」家の方は積もってそうやなあ」返事も返ってくるわけもなかったが、そうやって話しかけていた。その晩病院を出るとうっすら雪化粧した街が目の前に広がっていた。本当に市内での雪は珍しいことだった。実家は大雪でかなり積もっていたようだった。</p><p>ある日は、ずっと寝たきり状態だから床ずれ防止で看護師さん2人がかりで体勢を変えようとした時だった。「アイタタ！」父が大きな声で叫んだ。「今　アイタタっていうたよね！わかるん？ねえわかるん？痛かったん？」</p><p>嬉しさとおかしさと入り混じり涙が出た。</p><p>足を少しひねられたようで、自然に声が出たようだった。</p><p>でも…わかってないんだよね。</p><p>ヒゲを剃ったり、痰を取ってもらったり、尿も便も出して。父は生きてる。治って欲しい。</p><p>そう願った。</p><p>みんなの疲れはピークだったが、毎日のバイタルを看護師さんから聞き携帯に書いて病院に来れない者にメールする。</p><p>そして、5ヶ月前の今日、2／20土曜日</p><p>この日は母も具合が悪く、私も疲れていた。次女もかなり疲れていた。看護師さんから今日は落ち着いてます。と聞き安心した。早めにホテルに行こうか。という話になった。私は、娘達が実家にまだ残っていて慣れない場所、おまけに狭い家で、娘達も疲れがピークだった事が気がかりだった。</p><p>一回帰ってこようか。と次女に告げたら、「帰りたけりゃ帰れば！私は絶対帰らん。後悔したくない！」疲れもあったのか機嫌が悪い。</p><p>次女を怒らせると後々大変だから、「じゃあホテルでお母ちゃん連れて先に休む」と言って午後3時に母と私は病院をあとにした。</p><p>「お父ちゃんまた明日ね」「今日はお母ちゃんも休ませたって」次女は最後の時間までおると言ってそこにそのまま次女一人残してホテルに戻った。</p><p>しかし…</p><p>又明日は来なかった。</p><p>2／21未明、父は一人で逝った。ちょうど5ヶ月前のこの時間は、うつらうつらしていたと思う。</p><p>とうとうホテルに泊まっていた次女に病院から電話がかかり、真夜中2時電話で起こされることになる。</p><p>とうとう…とうとう…</p><p>その日がきてしまった…</p><p>自宅で意識を失い救急車で運ばれた2／8未明から13日目のことだった。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/bluerain55/entry-12687611582.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Jul 2021 23:56:08 +0900</pubDate>
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<title>父との別れ⑭</title>
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<![CDATA[ <p>C病院の近くのビジネスホテルに寝泊まりするようになって何日だろうか。朝は「ああ昨夜も夜中に呼ばれずに済んだ」と安堵し、ホテルで朝食をとって歩いたり、母は足が悪いので、近くても義弟の車で病院に向かう。</p><p>今日も何事も起きませんように。</p><p>C病院の入り口で検温…受付では、もう顔も名も知れていた為反対に毎日大変ですねと労ってくれる受付の方もいたりして。</p><p>父の病棟の7階まで上がって、ナースステーションで挨拶して病院に向かう。これが日課になっていた。</p><p>個室だったので、このご時世のコロナ禍の面会は他の人は禁止されていた。</p><p>リモートで、玄関口から、談話室でリモート面会をしているおばあさんがいた。</p><p>おばあさんは「帰りたいよ…会いたいよ。」と泣いていた。ご家族の方、娘さんとお孫さんだろうか。「おばあちゃん、明日迎えに行くから、まっててね。明日、退院できるって。良かったね。明日会おうね。」</p><p>他人様のリモート面会を聞き耳立ててた私。</p><p>たまたま、私と妹が交代すると言う時談話室で待っていた時の出来事である。</p><p>おばあさんは喜んでいた。「じゃあ明日帰れる？」「そうよ。良かったね。」とやり取りが聞こえる。勝手に私の頬を涙が流れた。</p><p>この人は明日帰れるんだ。退院するんだ。</p><p>父が生きて退院することはもうない。</p><p>このおばあさんみたいに元気で家に帰ることはできないんだ。そう思ったら、涙は止まらなかった。静かに静かに涙は流れていた。</p><p>外はまだ2月の寒そうな風が吹いていた。</p><p>涙をハンカチで拭い、妹と交代した。</p><p>父は相変わらずだった。バイタルも落ち着いて。</p><p>テレビをつけたり、足や手をさすって刺激を与えたり。家にいた時のメジロの声を携帯に動画を撮っていたので音だけ耳元で聴かせたり。</p><p>痰が絡むことが増えて、何度も看護師さんを呼ぶことを家族は遠慮がちになった。</p><p>「何度もすみません」「いいですよ。気にしないで」って言ってくれる看護師さんが大半だったが、中にはそんなに大したことではない。と言って取ってくれない看護師もいた。やっぱり、どこで急変するかわからないらしく、痰をとるのも神経使うようだった。</p><p>それが仕事と言えばそれまでなのだが。</p><p>ある看護師さんは「お父さんはなんか気がかりあるのかな？あと、家族さんの意見や仲たがいするとなかなかアッチに逝けないらしいよ。」と…</p><p>そうなのだ。三女は1週間でリタイアしてしまう。</p><p>次女と喧嘩して「帰りたければ帰り」と次女</p><p>三女は子供もまだ小学生もいたし、私は「ええんじゃない？お父ちゃんもわかってくれるよ。あんたがこれでいいって思ってるんなら帰ったらいいよ。」主治医のI先生は、「看取りにこだわることはないと思いますよ。それまでの過程がどうだったかという事でいいんじゃないですか？充分良くされてます。お父さんも幸せやと思いますよ。良く頑張ってるもんね。」</p><p>そのI先生の言葉を聞いて三女は自分に言い聞かせるように、「先生も言うてくれたもんね。私はもうこれで後悔ない」と言って、一抜けた。</p><p>それから、母　私　次女の三人が面会を2対1で交代することになった。</p><p>ここで次女の旦那さんは？って思うかもしれないが、律儀にも程がある。毎日毎日、父に会えるわけもないのに、駐車場に車を停めて一日中車で寝たり、ウロウロしたり。</p><p>「帰ってもらえば？」って次女に言ったことがある。次女曰く義弟はうちの父とは唯一の呑み相手だった。呑もうってなったら必ず家や飲み屋によんでよく呑んだらしい。父の仕事も手伝ったりした事もあるらしい。花農家であるので、一般の会社員ではない為そう言う融通は効くが、一切帰っておらず、花は全部捨ててしまったと聞いた。</p><p>何百万捨てたって妹は言っていた。</p><p>花も生きてる。育ちすぎても出荷はできず。</p><p>そして何より自分たち夫婦(次女夫婦)が父を病院に連れてきてしまった。最期まで一緒に、そして帰りはその車で連れて帰ってあげたいと言ってくれていた。</p><p>みんながどんどんと疲労が溜まっていく。</p><p>それでも父は頑張っていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/bluerain55/entry-12687425704.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Jul 2021 23:49:04 +0900</pubDate>
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