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<title>ボンクラ日和</title>
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<description>サブカルチャー全般について、表現の模索と様々な文脈の継承の為の実験をする、ある意味名前の無い、均一なるマトリクスの一部。</description>
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<title>暇つぶし程度のリハビリテーション</title>
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<![CDATA[ <p>結構長い間長い文章を書いて、考えをまとめていくことをしなかったのでリハビリ程度にどうでもいい話を書いていこうと思います。いずれにしろ、これを読むのは僕一人しかいないだろうし、シルバー事件のマスター曰く、自分自身しかわからない言葉や表現で日々を綴る、単なるつぶやきに過ぎないんだろうなー、ってなんかそう思うといい表現とかリリックを思い出してくれるかもしれないと期待する。（ていうかブログとは本来そういう使い方ではなかったか）</p><p>&nbsp;</p><p>最近メタルギアについて、もう何が面白かったのか、何に対して熱狂していたのか忘れかけている節がある。薄情なやつだ。さてなにから語るべきなのか、思い出せないという。</p><p>メタルギアのシリーズの歴史、製作秘話、小島監督の思想、みんなが語っているもしくは公式の本を読めばわかることをしたり顔でつらつらと述べる時代はとっくに終わってしまったし、一般人が語れるメタルギアとはなんぞや、とかどうですかね。軍事マニアでもないし、SF者でもない単なるファンとして語るシリーズのこと。なんかもうね、時代考証とか設定のこだわり、とかガノタじみたみみっちいSF考証を延々やっていくこと以外作品の掘り下げ方がないんじゃ、少し寂しい。</p><p>&nbsp;</p><p>僕の生まれる前から人気なシリーズなので発売順にプレイしたわけじゃありませんが</p><p>実際にリアルタイムに立ち会えたのはMGSPWとMGSVのみである時点でお察しでしょう単なるライトユーザーです。何を語りうるのか。MG～MGS２まではスネークと呼ばれた男の一連のコピーとオリジナルのお話しであり、なぜか３以降のお話しにはそれまでと違った物語の読み方や道筋が存在するのではないかと思う、なぜかって、勘です。もちろんお話し自体や時代なんかみんな繋がってることは確実ですので、あくまで作品自体の性質の変化だとおもいますが参考程度で書きます。</p><p>&nbsp;</p><p>MGS１からの流れを殴り書きします</p><p>MGS1は簡単にまとめてしまうと、伝説の傭兵ビッグ・ボスのクローンの一人が不完全なコピーを自称するがゆえに世界を巻き込んだテロを計画し、核廃棄処理場にて蜂起する。</p><p>この作品はとても論理的に組み上げられた精密なパズルである。映画的価値をゲームに持ち込むことで作品と呼べる段階にゲームを組み上げたすごいゲームである。</p><p>映画的とは、映画におけるディティールのことである。</p><p>映画が始まってすぐ１カットからラストカットに至るすべてに散りばめられる、予感とでもいうような説明ではない空気を持たせることを映画のディティールと呼ぶ。これが映画の骨子になるものである。</p><p>ゲームの端から端まで散りばめられた、遺伝子（GENE）というテーマ。</p><p>ゲーム内無線から得られる数々の攻略情報、ボスキャラクターの背景設定や出自、舞台設定や使用される生物兵器に至るまでわかりやすく配列されたまるで一冊の論文だ。</p><p>前作であるポリスノーツやスナッチャーから来る流れでもあり、潔癖症とでも言うぐらいのガッチリした設計になっている。そして、分かっているが、とても面白い。</p><p>&nbsp;</p><p>MGS２はMGS1のメタフィクションである。テーマは摸倣子（MEME）。</p><p>２から愛国者達という組織が世界を支配し統制している、という設定が増えた。</p><p>「愛国者達」とは文化、経済、社会や規範そのものでありそれを統制し管理する存在である。</p><p>いきなりこの世界は管理社会であるとカミングアウトされるゲームである。</p><p>このお話ではもう核発射による全面戦争の危機など確信犯的カバーストーリーであり、さらにテーマとあらすじの乖離が激しくなり、多くの人たちにとって難解な作品だと誤解されてしまった。</p><p>ラスト付近のアーセナルでワームクラスターを流し込まれたAIの大佐が発狂していく様はものすごい混乱を引き起こす。ってなんか前書き長いな、あとはプレイしてくださいって感じで。</p><p>&nbsp;</p><p>MGS1が精巧に作り上げられた箱庭だとすると、MGS2はその中に瓜二つに作り上げられた箱庭であり、物語がすすむにつれその箱庭を壊してプレイヤー自身の目的を見つけるゲームである。</p><p>&nbsp;</p><p>MGS３はいわゆる正統派であり精巧に組み上げたストーリーやギミックだけではなく、ゲームシステム自体にその唯一の存在感を与えることがメインと言ってもいいだろう。</p><p>ここでのテーマは時代（SCENE)。今までの個々人的、社会的な遺伝子、摸倣子より大きな時代というものまでゲームに組み込み始めた。</p><p>MGS３は変化する状況それ自体になろうとしたゲームであり、箱庭のごとく作りこまれていても攻略の道筋は多種多様である。実際、実時間経過で倒せるボスも存在するわけで。</p><p>地形によって常に変動するカモフラージュシステムもこれが初出である。</p><p>これは時代というテーマに沿ったゲームデザインなのかといわれると、明らかに前２作より密接度は低下している。MGS３からはゲームで何ができるのかを模索し始めている。単なるオブジェクトとして破壊したり殺したりするのではなく、プレイヤーがその瞬間に際して如何な影響力を与えるのか。もちろん前作以前でも不殺でクリアできるわけだが、ディティールを論理的にプレイヤーに与えるのではなく、プレイの中で倫理として与えるのだ。ラストバトルが最たる演出である。冷戦という大きな時代を左右する引き金をプレイヤーは引けるのか。引くとすればどんな心境で引かせるべきなのか。その１点がMGS３の本質である。王道のゲームだ。</p><p>物語を芯から体験できるように設計された素晴らしいゲームだ。</p><p>&nbsp;</p><p>MGS4は凄まじい。テーマはSENCE、意志である。</p><p>特筆するまででもない圧倒的なムービーシーンの多さと長さである。</p><p>MGS最後の作品として作られたが最後にならなくてほんとによかった。</p><p>最初にプレイしなくて良かったと本気で思った。</p><p>テーマ通り、意志を貫徹することがメインであり、どんなにボロボロになってもリキッドを追うことを止めようとしないソリッドには何度プレイしても泣ける。</p><p>自分たちが始めてしまった戦争を自分たちで幕引きする。</p><p>４の戦場は常に状況が変化し始めた。突然敵対ゲリラがきて戦闘が始まったり、月光が来て粉みじんにして去って行ったり。</p><p>ストーリー、テーマ、タクティカル・エスピオナージ・アクション、の三本柱は絶対に崩れない。</p><p>シリーズを通して遊んだ人にとっては魂の一本であり人生最良の瞬間である。</p><p>&nbsp;</p><p>つかれたのでここまでにします。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bonkuracomputer/entry-12256434328.html</link>
<pubDate>Tue, 14 Mar 2017 22:53:23 +0900</pubDate>
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<title>しんごじ</title>
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<![CDATA[ <div>『シン・ゴジラ』</div><div><br></div><div>&lt;The Word&gt;</div><div><div class="page" title="Page 53"><div class="section"><div class="layoutArea"><div class="column"><p><span style="font-size: 10pt; font-family: Ryumin-Light-UniJIS-UCS2-HW-V;">&nbsp;願わくは光を放ちたまへ&nbsp;</span><span style="font-size: 6pt; font-family: GothicBBB-Medium-UniJIS-UCS2-HW-V;">&nbsp;</span><span style="font-size: 10pt; font-family: Ryumin-Light-UniJIS-UCS2-HW-V;">世を裁きたまふも</span><span style="font-size: 10pt; font-family: Ryumin-Light-UniJIS-UCS2-HW-V;">のよ 願わくは起て高ぶる者にそのうくべき報をなしたまへ</span><span style="font-size: 5pt; font-family: Ryumin-Light-UniJIS-UCS2-HW-V;">&nbsp;&nbsp;</span></p><p><font face="Ryumin-Light-UniJIS-UCS2-HW-V">〜新訳聖書詩篇94〜</font></p><p><span style="font-size: 5pt; font-family: Ryumin-Light-UniJIS-UCS2-HW-V;">&nbsp; &nbsp;</span>&lt;<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">Intoroduction&gt;</span></p></div></div></div></div></div><div><br></div>うわさのしんごじ。<div><br><div>出るらしいですよ、映画館に、初代ゴジラの亡霊って奴が…</div><div>え、おたくも観ました？凄いですね、で、どうだいデカイのかい？…おおそうか尻尾がデカイのか。へぇ…。で、どうだった太平洋戦争で散った兵士の怨念は？スカイツリー崩落は？へ？何を言ってるか分からんだって？ははあ、からかってるつもりなのかいきみぃ…</div><div><br></div><div>&lt;review&gt;</div><div>映画のキャッチコピーっていうのは、観客を騙して丸め込む為にあるもので、決してその映画の内容やテーマを表す言葉にはなり得ない。全米が泣いたり、感動巨編したり、予想外の結末だったり、この中に犯人がいるだったり。今回は虚構vs現実。</div></div><div>これは嘘です。ありもしない現実など棚にあげるべきではありません。</div><div><br></div><div>さて、まず東京とは何なんでしょうね。</div><div>映画の中では日本の中心、経済活動の中心、国益のほぼ全て、と重要そうな場所の説明をしてくれます。しかし、今回のゴジラは何も、壊してないし、逆に壊したのは官僚諸君であってゴジラは特に目的があって東京にいるわけではないのです。</div><div><br></div><div>幻の都、東京。パト2で柘植が言うように、あの街は幻でしかない、唯のゴーストタウンでありみんな夢を見たまま生きている街、なのである。</div><div>都市とは妄想であり、それこそが現実の街というものを形作っているのである。例えば、シンゴジのテーマが虚構対現実なら、虚構とは都市なのだ。ゴジラから溢れ出る放射性の血液と炎こそ現実であり、ゴジラを囲う自衛隊やアメリカ空軍とは虚構なのである。虚構を守る為の軍隊である。</div><div><br></div><div>私のようなボンクラは何を軸に置いて映画そのものについて考えるだろうか。虚構が現実に勝利し支配することであるはずだ。辛く、厳しく、画面の外にいる我々では対処できない現実というものに妄想と虚構において勝利することだ。斯くして現実というゴジラに勝利したのだ。</div><div><br></div><div>いや、勝利ではなく支配下に置いたに過ぎない。動かなくさせ街のど真ん中に鎮座するゴジラ。ゴジラという生命を虚構の側に引きずり込んだのだ。海に退散させるのではなく、現実を虚構のものとして享受することで事なきをえる事。</div><div><br></div><div>ゴジラとは虚構である。我々の創造物であると、現実に飛翔しようとするものを跪かせる行為。我々はそれに歓喜するだろう。いつも嫌々ながら暮らしている憎き都市を破壊できる虚構を支配すること、それは希望のシンボルになるだろう。しかし、虚構が虚構を支配することになんの意味があるのだろう。それは、例えば神とか天国とか地獄とかという虚構を支配することと同じだ。果してその行為に悲しみを覚えはしないだろうか。よりちっぽけな現実にレイヤーダウンさせる事になんの意味があるのだろうか。虚構と虚構の掃討戦といえばリドスコの映画である。ブレラン、BHD、エイリアン、グラディエーターetc。何がシンゴジと違うのだろうか。都市に異物を残したまま、都市の復興の可能性を喜ぶ対災チームを見て、伊福部昭のゴジラのテーマを聞いて劇場を出た私の悲しみとは何なのか。</div><div><br></div><div>誰もが、ゴジラを見る眼差しを放棄しているということだろうか。ゴジラのゲロビや背面追尾レーザーを見ているのは映画の観客であり、物語の主役達はデータや被害状況と表記するのであり、一市民が見る目線はこの映画にはありません。それは観客が見れればいいのではないのか、と反証もありますが、その反応を描くことも映画には必要なのです。それが映画の一番訴えかけたい主題だったりしますから。</div><div><br></div><div>言ってみればこの映画はエヴァとあまり変わりのないテーマであり、20年前より変わることなく、ただ、ただ自己パロディに変わることはなく、表現の成長は最高になるも映画の骨子やテーマは成長すら見られない…テーマの変奏や反証は見られない事ならば、そういう監督なのかと諦めもつくのですが。</div><div><br></div><div>これは昔ながらのオタクがよくやる知識階級合戦の最上段から投げられた映画、といったところかな。私達こそオリジナルのゴジラを真に理解するものである。君達もこれを見て理解してね、という具合だ。</div><div><br></div><div>シン・ゴジラのシンってそういう意味だって、絶対。フェチ映画としては優れてるけど、映画としての色気や匂いはなかったです。残念。</div><div><br></div><div>でも序盤の会議シーンとか最高ですよ。決められた会議に口を挟むものの官僚の耳打ちでひらりとかわされる、とかまぁ帝国主義的なカットは好きですから満足です。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/bonkuracomputer/entry-12192512195.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Aug 2016 03:07:58 +0900</pubDate>
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<title>GARM WARS</title>
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<![CDATA[ <p>「GARM WARS」</p><br><p>【The　Words】</p><br><p>今いまし、昔いまし、後きたり給ふ主なる全能の神いひ給ふ</p><p>「我はアルファなり、オメガなり」　</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　－－ヨハネの黙示録よりーー</p><br><p>【Intoroduction】</p><br><p>蒼き母星ガイアを回る、戦の星アンヌン。</p><p>かつて、この星を「ガルム」の８つの部族が支配していた。</p><p>ブリガ、ウルム、バセ、セタ、ボルゾイ、ゼネン、クムタク、そしてコルンバである。</p><p>部族はそれぞれの役割によって異なる姿と言語を持ち、彼らを創りし神に仕えていた。</p><p>しかし、創造主ダナンはある日アンヌンを去り、あとに残された八部族は</p><p>覇権を巡る争いを始めた。長きにわたる戦いによってアンヌンの大気は汚れ</p><p>大地は荒れ果ててしまった。</p><br><p>八部族のうち、今も残るのは</p><p>ブリガ、コルンバ、クムタクの三部族のみとなり</p><p>神の言葉を伝えたとされる「ドルイド」すら死に絶えた。</p><br><p>ブリガは圧倒的な武力を持って地上を制覇し</p><p>コルンバは圧倒的な機動力で空を支配した。</p><p>クムタクはその優れた情報技術をもってブリガに仕えることで</p><p>かろうじて生きながらえていた...</p><br><p>パンフレットより</p><br><p>荒廃し、岩と砂漠に包まれ、汚染された鈍色の大気は息をすることを</p><p>拒むかのように厚く垂れ込むアンヌン。</p><p>かつてダナンに仕えていた時代の面影はなく、ここに住まうのは</p><p>脳核の記憶を転写しながら何度も転生を繰り返す、「ガルム」と</p><p>バセットハウンドの姿をした「グラ」、</p><p>それとわずかな鳥と魚ばかり。</p><p>世界が始まりを告げるともなく終わりを迎えつつある世界の物語。</p><p>聖なるお犬様、グラの祝福を受けた一人のコルンバのガルム「カラ２３」。</p><p>生きることもなく、また死ぬこともなく、ただ戦場で状況を闘うのみ</p><p>を日常としてきた彼女は、ブリガの「スケリグ５８」とクムタクの「ウィド２５６」</p><p>死滅したドロイドの生き残り「ナシャン６６６」と出会い、</p><p>ドロイドの聖地ドゥアル・グルンドへの旅に向かう...</p><br><p>【Review】</p><br><p>現在のみを生きるガルムには、神話と伝承以外に歴史として語るべき</p><p>過去がなく、歴史を持たぬ者には生きるべき未来もまた存在しない。</p><br><p>ーーGARM　WARS　白銀の審問官よりーー</p><br><p>この映画はファンタジーでありSFである。</p><br><p>SFとはジャンルの名称であるが、現在においては何もかもが</p><p>無意識なSFにまみれ、明確なSFの基準値というものは極めて判別しづらい。</p><p>よって、いくらSFファンといえどもここからここまでがSFですよーという明確な</p><p>基準を問うことは仲間打ち必須の禁句であるため、発したとたん世界が敵に</p><p>回るのは目に見えているタブーである。</p><p>よってSFとはただの「一ジャンル」であり明記すべきところではない。</p><br><p>では、ファンタジーとは何か。</p><p>ファンタジーも同じくジャンルのひとつではあるが、何をもってファンタジー</p><p>とすべきなのかは明確である。</p><p>ファンタジーとは「言葉」である。</p><p>なぜサイエンスでファンタジーなのか。それは科学の言葉で書かれたファンタジーであるからである。</p><p>言葉の世界そのもののことを「ファンタジー」と呼ぶ。</p><p>言葉の世界とはすなわち、物語のことである。</p><p>この「物語」の「ファンタジー」の基礎教養がなく、この映画を観た者は不運としかいいようがない。</p><br><p>アルファであり、オメガである。</p><p>それが物語というものだ。この世の始まりから終わりまでが、言葉の世界。</p><p>人間は常にこれを必要として生きてきた。聖書、コーラン、ギリシャ神話etcetc</p><p>われわれはどこからきて、どこにいくのか。われわれは何者なのか。</p><p>ファンタジーとは主に、なにが起因であるにしろそこを書いたもののことを言う。</p><p>もちろん現実とはまた別のものである必要がある、故に単なる逃避と現代の日本人は考えがちだ。</p><p>しかし、ヒトは物語なくしては生きては行けない、またそこに未来もないだろう。</p><p>物語のただ一行として、この現実は存在しているに過ぎない。</p><p>現実とは、ただのあらすじという一行の詩のなかでのセカイで、目を瞑り泳いでいるに過ぎない。</p><p>だから常に物語は必要とされる、どんなまがい物であろうとも。</p><br><p>ガルムウォーズは今までの押井作品と比べればとても分かりやすく、捻くれてもいず、</p><p>その本質にいちばん近いものになっている。</p><p>身体の中から沸き上がるような、臭い立つような、そんな押井映画の骨子。</p><p>かずかずのダレ場で感じる微睡みの瞬間にそれは立ち現れる。</p><p>スクリーンは常に自らの鏡であり、映るものまた自らの身体である。</p><p>深淵を見つめるものは、また常に深淵に覗かれているのである。</p><br><p>君たちは覚えているだろうか、スターウォーズを初めて見たときの感覚を。</p><p>ブレードランナーを初めて見た時の感覚を。</p><p>見たことはあるんだろうけど、全く現実とは関係ない空想の世界に１カット目から</p><p>ぶち込まれた時の感覚を。それがファンタジーの強度となりうるものです。</p><p>（それは物語の力でもあるし叙事表現の威力でもあるのですが）</p><br><p>さてと、前置きはさておき。</p><p>ガルムウォーズの難解さについてですが。</p><p>なぜこの映画は理解をこれほどまでに拒むのか。</p><p>それはこの映画の二重性のためではないでしょうか。</p><p>押井監督も好きですねー。（二重生活者代表）</p><p><br>うる星BD、天たま、攻殻、パト、アヴァロン、イノセンス、スカイクロラ、と続く二重世界</p><p>の物語はいかに成長を続けるのか。</p><p>押井自身イノセンスを若書き（若書き！）と呼ぶようにイノセンスとスカイの間には大きな</p><p>構造事態の区切りが存在する。</p><p>イノセンスまでの作品はあらんかぎり情報のディテールを敷き詰めることで映画を構築</p><p>するを主としてきたが、スカイ以降その傾向はなりを潜めたかのように変化し、観る者の</p><p>視線によって変化することが映画自体の骨子になってきている。</p><p>息苦しい理論武装のスモッグかただ蒼く深い空なのか。</p><p>状況という名の神話を論文で固めた映像を作るのか、日常的な風景を歴史で着飾るのか。</p><p>その違いはごくわずかである。</p><p> </p><p>ガルムの二重性というのも、ごくわずかでありながら、その差異を見極める</p><p>ことがなければ、ただの凝ったお話にしかなりえない。</p><p>ただひとつ、日常の臭いと神話的叙事構造を区別できる視点さえあれば。</p><p>スクリーンに映るのはただ戦闘を日常として生きるパイロットや指揮官たちである。</p><p>しかし、そのバックスクリーンで留めなく流れているのは神話の物語である。</p><p>ただ、日常を生きているだけの人間たちが神話の物語の主人公として映される。</p><p>映画が進むに連れ、人間的な内部が表出していき、神話はそれを拒絶する。</p><p>創造主というものが常に理解不能な領域であるために、いくら理解を求めても</p><p>提示されるのはガルムには理解不能なテクノロジーや思想のみで、挙句の果てに</p><p>自分の胸に聞いてみろと問い返される始末である。</p><p>神話は、理解できないと断言するのだ。</p><p>ただそこにある身体を理解できないように。</p><p> </p><p>日常的な身体はグラを通して、知識を深めていく。</p><p>なぜ食べているのか、なぜ子供がいないのか、なぜ夢を見るのか。</p><p>われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこに行くのか。</p><p>そんなもの既に知っているのだ、身体を獲得すればの話だが。</p><p>なぜこの映画を理解できないのか、それはわたしたちがよく知っているはずだ。</p><p>現実など虚構の下位互換でしかなく、ただ理解できる範囲の虚構の中を繰り返しているだけなのだ。</p><p>叙事として存在する現実を都合のいい現実という虚構のストーリーで埋め合わせているだけに過ぎない</p><p>のに、ただの神話的日常を是としない。</p><p> </p><p>思うにこの映画は黒沢清の映画に似ている。</p><p>ただ日常の風景を情緒的に切り取っているだけなのに、バックで流れているのは</p><p>長大な理解不能な領域を含んだ物語になっていく。</p><p>断片的に日常的に人が死んで、生きて、言葉を交わしていくだけなのにそのまま世界の</p><p>始まりか、終わりに近づいていく。そして真相は理解不能な既知の性質を語るだけ。</p><p>この身体ひとつで世界が始まって、終わっていく、そんな映画に近い。</p><p> </p><p>それが物語というものであり、虚淵のコピー通りこの日本が失ったものである。</p><p>始まりを忘却し、終わりを嫌い、そしてそれを再生産する。</p><p>ケルト神話では始まりは終わりであり、終わりはなく始まっていくエンドレスなものであるという</p><p>思想があるらしい。終わりを知らなければ始まりなど永遠に来ないし、来てくれることもない。</p><p>これからもこの映画は参照され、違った世界に変化していくだろう。</p><p>それが物語であれ、と真摯に願うところである。</p><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p>
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<link>https://ameblo.jp/bonkuracomputer/entry-12171120975.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Jun 2016 01:01:10 +0900</pubDate>
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<title>魂のありか</title>
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<![CDATA[ <p>「屍者の帝国」</p><br><p>【The words】</p><br><p>でも、死ぬってそういうことなんだろうか？</p><p>死ぬのって、なんで怖いんだろう？</p><p>筋が通ってないものとしての死。</p><p>僕はそれが怖い。</p><p>-----伊藤計劃「Running Pictures」----</p><br><p>【Intoroduction】</p><p>なぜ、ぼくたちを置いて行ってしまったのか。</p><p>なぜ、戻ってきてくれないのか。</p><br><p>死人は口を利かない、ぼくたちはそう教えられて育った。</p><p>理由なんかない、「死」には理由は存在しない。</p><p>ぼくたちはたびたび、原因と理由を取り違える。</p><p>それぞれの幻に従って取り繕うのだ。</p><p>脳が失った機能を他の器官が補完するように。</p><p>幻とは魂である。ぼくたちは死に囲まれながら、それを勘違いだと思うよう選択しながら生きている。</p><p>ありもしない幻を支えに、退屈な日常を生きるのだ。</p><p>多くの人間には残酷なことに、それが魂というもののありようだ。</p><br><p>幻とは魂である。</p><p>みながあると信じてやまない、世界一大好きな個性や魂はすべて幻である。</p><p>幻と訊いて怒りをあらわにする人もいるだろう。</p><p>しかし、ひとはみな原因と理由を取り違えるものだ。</p><br><p>死を隠したいから。</p><p>死を見たくないから。</p><p>死が生々しくここにあるものだと、理解したくないから。</p><p>おかしなことに幻には必ず理由が存在する。</p><p>みな生きるために幻を見ている。</p><p>そして、自分から進んで見たい幻を選んでいる。</p><p>死には理由は存在しない、幻ではないからだ。</p><br><p>では、死が不変のものになったらどうなるのだろう。</p><p>いや、死とは不変そのものである。そう、「生」が不変のものとなるならば、と書くのがここでは正解だろう。</p><p>死んだカラダを復活せることができるなら。</p><p>死んだあのひとにもう一度会うことができるなら。</p><p>一生、死を恐れる必要がなくなるのなら。</p><p>どうなるのだろう。</p><br><p>エクストラポレーションの到達点。</p><p>ひとが本当に生きるようになるならば。</p><p>生命の樹を取り戻すことができるのならば。</p><p>それが、屍者の帝国なのです。</p><br><p>【Story】</p><p>死者蘇生技術の発達により、屍者を兵士や労働者として使役することが</p><p>できるようになった19世紀末のロンドンの一室から物語は始まる。</p><p>ロンドン大学医学生ジョン・H・ワトソンは、親友でありネクロウェア研究者だったフライデー</p><p>の無認可蘇生に成功する。</p><p>しかし英国諜報機関ウォルシンガムによって二人は捕らえられ、見逃す代わりに</p><p>アフガンの奥地に隠されたヴィクターの手記を確保するという条件で取引が交わされる。</p><p>ロシア帝国の司祭であり天才屍者技術者、アレクセイ・カラマーゾフがロシアから持ち去った</p><p>と言われる手記は、現在建設途中のカラマーゾフの帝国にあるという。ポンペイにてウォルシンガムの監視役フレデリック・バーナビーと合流し、英国領インドより陸路で遥か北、帝国近郊ファイザバードへと向かう。</p><br><p>【Review】</p><br><p>ついに某itou project がスタートしました。</p><p>私が求めていたものの全てが詰まっています。</p><p>伊藤さんが書こうとしていたであろう物を再現する。</p><p>伊藤さんが亡くなってしまったにもかかわらず。</p><p>スチームパンクに見せかけたサイバーパンクでありつつ</p><p>歴史改変ものであるというディファレンスエンジン並みの偉業をこの映画はやってしまった</p><p>んじゃないのかな。バラードの心でスターリングのようなものを、できたんじゃないでしょうか？</p><p>われわれは何につき動かされて次のステージへと向かうのか。</p><p>この映画は１８８０年代と過去を描いてはいるが、本質はハーモニーの先に行ってしまっている。</p><br><p>ハーモニーではナノマシンによって全人類の意識を浄化することによって</p><p>死を認識出来なくなり、人が死ぬことはなくなった。</p><p>しかし、本質的に人間の寿命はあり物質的な死は必ず訪れる。</p><p>全人類が幻を見ている状態である。意識を覆い隠すほどの幻で死を制御する。</p><p>全人類の共同社会の魂が死を消し去った。</p><p>ゆえに個々人の魂（わたし！）の価値はなくなったのだ、と。</p><br><p>映画屍者の帝国では同じ経路を辿るが、結果として違う方向への結論が出現する。</p><p>チャールズ・バベッジというバベルの塔を建てたのだ。</p><p>全人類は死者の言葉によって生き、二度と死ぬことはない。</p><p>ワトソンは世界を救ったのではない、ヒトを救ったのだ。</p><p>始めに言葉ありき、言葉は神なりき。</p><p>はたしてそれが本当によかったことなのか、は置いといて。</p><br><p>あの緑の光とか蒼い水晶とかなんなのや！と思うのですが。</p><p>たぶんあれはレイダースの見てはいけない類のあの光だったり</p><p>コキュートスの冷気による地獄のエターナルブリザード相手は死ぬ的な</p><p>物だと解釈していますが、みなさんどう思ったのか非常に関心がありますね。</p><p>（深淵を覗くものは、また深淵に覗かれているのである）</p><p>あのビジュアルが死者の言葉であるのかもしれないですね、はい。</p><p>わたしはエルダーサインが出てきたら確実に心筋梗塞でFOXDIEしてました。</p><p>（劇場で聞くおっさんの、下着ではないからはずかしくはない、は意外とダメージがなかったです）</p><br><p>さて、この映画、大変不気味である。</p><p>なぜなら、この映画には伊藤計劃の幻が吹き込まれているからである。</p><p>フライデー＝伊藤計劃という形式が成り立った瞬間に、BL要素は掻き消える。</p><p>主人公のフライデーについての独白や回想があまりにも</p><p>キャラクターや所作、言葉づかいからかけ離れているからである。</p><p>その時点でキャラクターからキャラクターに交わされる言葉ではなく</p><p>我々が伊藤計劃に話す言葉になるよう、演出がなされるのである。</p><p>（私自身、フライデーのように黙々と伊藤さんの文章をなぞり書きしていた</p><p>経歴もあり、昔を思い返すようであった。ついぞ伊藤さんの文脈にはたどり着けなかった</p><p>わけだが）</p><p>これは彼に執着を抱いていたものにのみ通用するような珍しい条件の演出であり、</p><p>しかもアニメーションという特異なジャンルでそれをやろうなどと、荒唐無稽な試みである。</p><p>自伝とかそういう部類でなく、全く別の様式で死者の魂を作り上げたのだ。</p><p>アニメは理想のキャラクターを作り上げることが可能だ。</p><p>否、それは記号にすぎず、出来合いの見世物でしかない。</p><p>映画という魔術を使うことによって魂を乗せることでキャラクターは完成するのである。</p><p>つまり、このアニメーションこそ伊藤計劃の魂の再現物であり、映画という幻の本位なのである。</p><p>だからわたしはこの映画に伊藤計劃の幻を幻視して泣くのである。</p><br><p>だからわたしも一度は言っておこう。</p><p>わたしはただ、君に一度ぐらい会いたかった。</p><p>聞かせてほしかった、君の言葉の続きを。　と。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 03 Oct 2015 22:58:08 +0900</pubDate>
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<title>東京巡礼、或いは都市と記憶</title>
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<![CDATA[ 「<span style="text-decoration: inherit; font-weight: bold; -webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">その思念の数はいかに多きかな。我これを数えんとすれどもその数は沙よりも多し。」ー旧約聖書「詩編」139節</span><div><span style="background-color: rgb(252, 252, 252); text-decoration: inherit; color: rgb(68, 68, 68); font-family: Times; font-weight: bold; -webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="background-color: rgb(252, 252, 252); text-decoration: inherit; color: rgb(68, 68, 68); font-family: Times; font-weight: bold; -webkit-text-size-adjust: auto;">えー、先日最上和子先生の東京巡礼イベントに参加させて頂きました。</span></div><div><span style="background-color: rgb(252, 252, 252); text-decoration: inherit; color: rgb(68, 68, 68); font-family: Times; font-weight: bold; -webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><div id="{FCD2FCAC-4211-43BE-A8E2-4679D4F25DC8:01}" style="text-align:left"><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150516/22/bonkuracomputer/4a/9f/j/o0467066013308998255.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150516/22/bonkuracomputer/4a/9f/j/o0467066013308998255.jpg" border="0" width="300.000000" height="423.982880" alt="{FCD2FCAC-4211-43BE-A8E2-4679D4F25DC8:01}"></a></div></div><br><font color="#444444" face="Times"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><b>とこんな感じです。町歩き、日本橋川クルーズ、舞踏。様々な年齢、職業、背景をもった方々が集まり、東京を辿ります。</b></span></font></div><div><font color="#444444" face="Times"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><b><br></b></span></font></div><div><font color="#444444" face="Times"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><b>「土地」というものには記憶が蓄積されます。人の思い、記憶、願い、喜び、憎しみなどなど、目には見えませんが重みや視線などとして感じられるはずです。人の営みによって蓄えられて行く様々な記憶、それは都市の裏側にいつも潜んでいます。決して行ってはならない場所や、なんとかのメッカなどは人の記憶によってそこに屹立します。(記憶などという簡易的な言葉を用いていいのだろうかという疑問)</b></span></font></div><div><font color="#444444" face="Times"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><b>たとえ建物が壊されようとも、土地に記憶は残るのです。(</b></span></font><span style="background-color: rgba(255, 255, 255, 0); -webkit-text-size-adjust: auto;">生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら、社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならないし、都市は巨大な外部記憶装置って訳だ。)</span></div><div><font color="#444444" face="Times"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><b>今回はそんな都市、東京の水辺を舞台に舞います。</b></span></font></div><div><font color="#444444" face="Times"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><b><br></b></span></font></div><div><font color="#444444" face="Times"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><b>水というのは、なんというかエロいものです。タルコフスキーだってそのエロさに着目しましたし、そこに住む魚もエロいものです。(意味不明)</b></span></font></div><div>どう考えたってパトスに寄るものであり、私達の生活の外側の存在です。(人間の身体の70%は水分で出来ている)ガイドしていただいた方によると、東京という土地は元々水路の街で、埋め立てによって拡大していった土地なんだそうです、常に地面の下に水が溢れてる特異な浮島。人の記憶で埋め立てられた土地に多くの人が長らくの間居住している、やっぱいいとこじゃないですか。(まぁローマっていう建物の上に建物を建てるっていう無茶苦茶なことをやってる素敵な都市もありますが)いつも東京に来る時に感じる圧迫感はこの長くて厚い記憶の所為なのかもしれませんね。</div><div><br></div><div>その土地を流れる水は誰かの記憶であり、都市というものが生き物ならば、水は血なのである。血を見ればどんな物を食べ、どんな暮らしをして、何年経っているのかわかる世の中です、川はその都市の血が流れているのですね、はい。最上さん船に乗る前に過去と未来と現在と言ってました、まるでタイムトラベラーです、船に乗るだけなのに。(いつの日も異物の中を征く物は、船と呼ばれる。水であろう宇宙であろう四次元であろう)本当にそうなのかも知れない、都市の水は記憶の流れなのだから。</div><div><br></div><div>日本橋からのクルーズにはなんと「東京静脈」の野田真外監督が参加しての開始であり、唖然であります。この企画は野田監督から声がかかったことがきっかけだったそうです。<div id="{864A27D0-0B96-4D70-90CE-6701E739307A:01}" style="text-align:left"><div id="{79E3FD42-0A7D-4FD0-A5BD-856001502321:01}" style="text-align:left"><div id="{D4331359-757A-4434-8D66-00277F7114DA:01}" style="text-align:left"><div id="{61383389-3E5E-40B6-9595-4B4131CC8BC1:01}" style="text-align:left"><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150516/22/bonkuracomputer/93/3f/j/o0480036013308998194.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150516/22/bonkuracomputer/93/3f/j/o0480036013308998194.jpg" border="0" width="300.000000" height="225.000000" alt="{61383389-3E5E-40B6-9595-4B4131CC8BC1:01}"></a></div></div><br>水面下というのはこんなにも別世界なのかと思う暇もないほど美しいと思います。(パト2を思い出しませんか)</div></div>岸は別の世界であり、平凡な高速道路はまるでSFのチューブライナーです。(惑星ソラリスで高速道路が使われた理由はこれでもう納得するしかありません)<br>隅田川へ出ると一世代前のCGとしか思えないシャープさを誇る東京スカイツリーが見えました。と、言うかここってもしや押井メルマガで言ってた某水路のことなんじゃね？と今更ながら感づく次第。(劇場版TNGパト未見)確かにトマホークを打ち込む値打ちもない建築物であり、なるべく関わり合いになりたくない類の物腰です。ここまで何のために出来たのか、何故そこにあるのか全く意味がわからない建築物を見たのは初めてです。あれですか、スカイキャプテンでも呼ぶんですか、五次元に行く例の塔ですか。(庵野＆樋口のゴジラでスカイツリーガン無視な事を期待しています)</div></div><div id="{864A27D0-0B96-4D70-90CE-6701E739307A:01}" style="text-align:left"><br></div><div id="{864A27D0-0B96-4D70-90CE-6701E739307A:01}" style="text-align:left">中の島で船を降りるとき、釣り人が手を振ってくれました。ここはあの世です、確信しました。もしかして道中の船の行き来で手を振ってくれた人もリンボから来た人なのかもしれません。(という錯覚)最後は船着場の前にある大階段を登ったり降りたり踊ったり。(ここで煙草吸っときゃよかったと激しく後悔)反対岸の健康的な高層マンションはまるで蜃気楼のようで、って周りにカモメはいないんですけどね。<div id="{7589BB35-F381-4597-9344-16AC8D4F79D3:01}" style="text-align:left"><div id="{A87F336A-261C-4016-9929-41800D961EB5:01}" style="text-align:left"><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150516/22/bonkuracomputer/da/3c/j/o0480036013308998225.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150516/22/bonkuracomputer/da/3c/j/o0480036013308998225.jpg" border="0" width="400" height="300" alt="{A87F336A-261C-4016-9929-41800D961EB5:01}"></a></div></div><br>パト2です。人生でここまでパト2を観ていて良かったと思えるのは初めてです。素晴らしい体験でした。(パトレイバークルーズなるもののおはn…ゲフンゲフン)</div><div id="{7589BB35-F381-4597-9344-16AC8D4F79D3:01}" style="text-align:left"><br></div><div id="{7589BB35-F381-4597-9344-16AC8D4F79D3:01}" style="text-align:left">丁度、神田大明神のお祭りだったのでその辺を歩くと沢山のお神輿と法被着た人達が練り歩いていました。下町の魂です。その神輿を撮影したり人だかりをつくったり遠巻きに眺めてる観光客ってのも見応えがあります。温度差と土地勘の狂いと背景の違いがごちゃ混ぜになる感じがよかったですね。</div><div id="{7589BB35-F381-4597-9344-16AC8D4F79D3:01}" style="text-align:left"><br></div><div id="{7589BB35-F381-4597-9344-16AC8D4F79D3:01}" style="text-align:left">今回はなんだか写真ばかり撮ってたような気もしますが、楽しかったです、精進します。</div><div id="{7589BB35-F381-4597-9344-16AC8D4F79D3:01}" style="text-align:left"><br></div><div id="{7589BB35-F381-4597-9344-16AC8D4F79D3:01}" style="text-align:left"><br></div></div>
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<pubDate>Wed, 13 May 2015 22:13:00 +0900</pubDate>
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<title>リアリティ・ホーム</title>
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<![CDATA[ <p>「世界精神型の悪役を設定し続けるフィンチャー監督作の際立った特徴</p><p>　というのは、ひとえに視覚化された世界精神を前に、徹底して無力な</p><p>　人間達を描くという構造を繰り返していることだ」</p><p>　</p><p>--伊藤計劃　第弐位相より抜粋---</p><br><p>[ INTRODUCTION ]</p><br><p>解決とは如何なるものであるのか、はたしてここに書いてある衝撃とはなんのことであったのか。</p><p>毎度毎度フィンチャー監督作のパンフレットを読みながら映画を観ていた瞬間を思い返す。</p><p>確かに、衝撃は受けた、椅子に縛り付けられ物語は展開していく。</p><p>どこにそのエッセンスがあったのか思い出すことができない、なぜならいつも表層に現れない</p><p>レイヤーで語るべきことを語っているからだ。</p><p>キーになる台詞はたくさんあるが、それをつなぎ合わせるためのディティールを画面の中から</p><p>拾い出すことが必要（大変）なんだ。</p><p>だから何度も見返して、すこーしづつディティールを拾い集めていく。</p><p>宝探しと同じなのかもしれない、財宝を求めて同じ映画を繰り返し探索するのだ。</p><p>またひとつ、探索しなければならないフィンチャー作のダンジョンが登場した。</p><p>「GONE GIRL」って映画なんだけど……！</p><br><br><p>[ STORY ]</p><br><p>７月５日</p><p>路地裏、コカ・コーラがカラーペイントされた煉瓦壁、木立、明かりの消えたバーの看板。</p><p>見ているようで、見ていない間隔。</p><p>早朝、ゴミ箱の前で俯いた男はあたりを見渡しながら家の中に入っていく。</p><p>この家庭は旦那がゴミ捨てする「役割」のようだ。</p><p>芝生はよく刈り込まれている、二階建ての白い家、外には黒いボルボが駐車されている。</p><br><p>ニック・ダンは双子の妹がいるバーに到着した。</p><p>バーに入り、特等席に座るとバーボンが注がれる。</p><p>「沈黙を破るのは私の役目、今日は何」</p><p>双子の妹、マーゴット・ダンは陰鬱な眼差しでもう一つのグラスにバーボンを注ぐ。</p><p>「結婚五周年なんだ」</p><p>カラカラカカラ…人生ゲームのルーレットが止まり、ニックの駒は結婚した。</p><p>「木婚式ね、じゃあ家に帰ったら思いっきり○ァックしてあげなさい！これが俺の棒だって」</p><p>ニックは笑いながら、空のグラスをカウンターに戻す。</p><p>携帯が鳴った。隣家の爺さんだった。「おたくの家玄関空きっぱなしだけど…」</p><br><p>ボルボを玄関に横付けして家に戻る。ドアが開いたままで、ペットの猫も玄関で不思議そうに</p><p>うろうろしている。リビングには粉々に砕けたガラステーブルとひっくり返った椅子。</p><p>妻がいない。アイロンはつけっぱなしで家のどこにもいない。ニックは叫んだ。</p><br><br><p>[ REVIEW ]</p><br><p>この作品においての悪役を設定するとしたら、妻のエミリーになるのだろうか。</p><p>アメイジング・エイミー、完璧な人間。この映画は彼女からの御言葉である。</p><p>ニックを完全にコントロールし、周りの人間もただなすすべもなく世論とイメージに振り回される。</p><p>彼女の結果的最終目的は完璧な結婚生活であり、そのために全てを計画し、完璧に演じるのである。</p><p>そしてエイミーの演技とは別に、カット割りで完全に嘲りと苦笑とブラックユーモアを交えながら、幸せな結婚生活を映し出すのだ。プロポーズのキスをした次の瞬間、エイミーが帰ってきた瞬間等々。</p><p>ファイトクラブの悪戯の数々がよみがえる、楽しい！まさにそれはファミリー映画の中にいきり立つマラや</p><p>喘ぎ声を混ぜるのと同じであってそれがまた楽しめるのである。</p><br><p>細かなディティールも見逃せない。たとえばニックが最初にThe BERに持ってきたボードゲームの</p><p>名前がまさに「MASTER　MIND」なのである。完璧な知能という意味で、これからの展開と本作の雰囲気</p><p>を示してくれている。また、劇中でなんども繰り返されるニックは「キヌア」を知らなかった、という話。</p><p>キヌアは要するに雑穀の一種である。なぜ雑穀の名前なんかと、思うんだけど、たぶんこれはニックが</p><p>デートのたびに高い雑穀のカフェ飯を食わされていたのだろうなと暗喩する台詞なんですよ。（と思うよ）</p><p>やはり海外のリア充もカフェ飯なんですな。</p><p>あと、ニックのボルボ。ボルボってラテン語で「私は回る」という意味。（車詳しくないから調べるまで知らなかった）これまたフィンチャーらしい細工。ニックは「浮気現場を回る」のだ「ボルボ」に乗って。（しかも車の所有者はエイミー）</p><p>まだまだありそうですが僕が気づけるのここまで・・・</p><br><p>一つ気になったのは愛人がリハーサルしてたゴスペル。普通にカッコつきで「ゴッドスペル」って訳だったんだけどこの後教会での記者会見とかあるし、誤訳な気がする…</p><br><br><p>今作もフィンチャー作品の特色が大きくでていてやっと見れたという感動は一塩です。</p><p>初回BDを買ってコメンタリーとかメイキングをなめるように何回も見ましょう。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Fri, 02 Jan 2015 11:05:45 +0900</pubDate>
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<title>自由になる為のメソッド</title>
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<![CDATA[ 久々に物書きする感じ、とても文章の壁が高いことに気がつく次第。<br><div>さて、今回押井守監督の実姉であり舞踏家の最上和子さんのワークショップに行って来ました。(と、いう話を他人にするとまず舞踏家って何、武道家、みたいな話をまいっかいやらないといけないのでまぁ余り世間一般の普通に生きている人間には話すのがめんどくさい。上手く説明出来るほどの知識もありませんので、はい。)</div><br><div>この「稽古」の中身ですが、立ち方から始まり寝て起きて歩く動作等々であります。</div><div>これで世界が変わる、自分の中で。</div><br><div>変性意識は特別なものではない。世界が違う位相になってしまう極短い瞬間。人それぞれそれ、その状態になるトリガーを持っているのだけど普通に暮らしていてそれに気がつく事はない、なっても気が付かない。例えばタバコを吸って安心する一瞬、美味しいものを食べたときの一瞬、または落ち葉、電柱、宇宙戦艦ヤマトの波動砲発射カット。その状態に入り込んで気持ち良くなってそこから出てくるメソッド。そういった個々人の「快感原則」はどこから来ているものなのか、考えたことはないだろうか。僕は「身体」という概念と存在を重視している。上手い絵描きは下書きなんてしなくても上手い絵になるし、上手い映画監督はなにをどう撮ったってその人間が手を入れたと分かる。その人間の身体がかってにそうしてしまうからだ。その人間はそういったもの達を自分の身体に逆らわずに行うから素晴らしいものが出来上がる。変に自意識過剰な作品ほど観て辛いものはない。</div><br><div>その、身体を使ってトリガーを引くこと。</div><div>自分の身体のみで彼岸を渡り戻ってくること。なにもいらない、コンテンツや特殊な空間もいらない。日常のありふれた動作を全て、トリガーにしてしまえばいい。そうなれば人生はもっともっと豊かに生きられる。もの達や刺激に縛られる近代社会に反旗を翻すホーリーファイヤーを。</div><br><div>と、大体こんな感じの思想なんでないかな。昔、宮台がサイファで終わりなき日常を生き抜く為のメソッドとして挙げている方法に似ている。(と言っても読んでたの数年前だからはっきり覚えてないけど。)日常のマクロ化とレイヤー化だ。マクロ化はものや人間の中身や細部を見ること、レイヤー化は日常に情報や物語を取り入れること。そうすれば毎日の同じような生活が少し、違って見える。最上さんの稽古でも同じような感触がした。木の内部と交流すること、違う世界のものを降ろす事。ただ違うのが、世界に自分を明け渡す事である。世界はなんでも答えてくれる、人間と違って。全て明け渡せば身体が答えてくれる。</div><br><div>自己なんて、実はほとんど無い。(人間は脳みそなんかで動いてない)</div><div>って養老孟司が言ってるように、人間の主時間は24時間のうちのわずか2,30分程度。本当は意識して動いている動作なんか人生ではほんのわずか。その時間を拡げるのではなくて、楽しむ作法。拡げたって疲れるだけ、全ての動作を意識してたら気が狂ってしまう。だから自己を全て消す。自己意識など邪魔なノイズに過ぎない。自分の頭の中にNOと言う奴がいるだけだ、YESと答え続ければいい。伊藤計劃さんも良く引用するけど、人間が行動しようと思った時点、その数秒前にはもうその動作の信号が脳から出ているという。自己というものはそれをNOと言う為に存在している、という実験と結論。正しいかは不明だが、僕は本当だと信じる。身体がもともと持っているものを引き出すこと、それが佇まいに繋がる。ただ、佇まいが欲しいんだ。時間のかかる作業だ、辛抱強く待たねばならない、自分ではなかなか気がつかない。だからこういう身体のメソッドを知りたかった、そしてたまに気が付けばそれでいい。また行ってみたいと思います。</div><br><div>目の前に茶碗があって、目の前に天使を呼んだ、自分の中で呼んだ、何者かは茶碗に液体を満たし私はそれを飲む最高の緊張感で。</div><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/bonkuracomputer/entry-11956240534.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Nov 2014 08:46:14 +0900</pubDate>
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<title>モーフィアス、プロメテウス、b4</title>
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<![CDATA[ <br>「そう囁くのよ、私のゴーストが。」<br><br>ーーーー攻殻機動隊 草薙素子ーー<br><br>この一言を完成させるためのARISEシリーズであった。少佐が自我を確立しまた、攻殻の世界もゴーストを確立せねばならない世界へと成長する。<br>ゴーストって個人の内的宇宙であり、縁の一括りの全体的宇宙であるという二律背反を表すものだと思うのですが、他の人ってどう考えてるんでしょ気になります。<br><br>もしかして、自分は誰かの迷路をぐるぐる回っているだけなのではないかという疑惑、記憶が改竄されているのではないかという疑惑、人の身体は全て幾何学上のモノなのではないかという疑惑。 個人の存在が希薄な人間は他人なんて高尚なものは存在しない。<br><br>ブリキのロボットとカカシが向かった彼岸を見つめる素子、此岸に取り残されこちらに残された僅かなゴーストの欠片を拾う。彼岸は光が満ちていてもしかしたら階段があったのかもしれない。均一なるマトリクスのその裂け目の向こう。記憶野認識野言語野を捨てまるで動物になった人間であるかのように、光の道を歩く。人が動物になるのは神になるよりも難しい。少佐はまだ遠くを見ていない。<br><br>ARISEにおいて、過去の攻殻機動隊のストーリーやアクションを真似る事、それはあの世界へのオマージュと同時に虚しい繰り返しの世界である事を示す事になる。少佐もまたバトーと同じだった。多分人間というものは全て取り残されるべきものなのだろう。<br><br>あと、バトーが少佐のパンチ一発でK.Oされたり、ボーマがパーティ帽被って七面鳥焼いたりするので皆さん是非爆笑しに劇場に行きましょう。今回はバトー萌え回です、グッ。<br><br><br>
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<pubDate>Sun, 14 Sep 2014 11:31:59 +0900</pubDate>
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<title>攻殻b3感想</title>
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<![CDATA[ 最近いい作品なんて観てなかったし、観る時間なかったから書かなかった。ですが。これは書きたい、と思える作品です。改めて思い知らされる変わらない言葉の魔法。台詞の乱立の醸し出す興奮、立ち上がるドラマを省いたストーリー。素晴らしいの一言。まだIGにこんな力が残っていたなんて！もっと出せ！と、こんな事を語らない訳にもいかない、周りに語る相手もいない！寂しい！ので書きます。<br><br>仮想とはなんたるか、仮想の世界、仮想の敵、仮想の人格。仮の世界と時間。言葉の作り得たる幻想の空間。正に攻殻の語りうる世界の一つがそこである。義体、AI、仮想現実、ゴースト。本来虚構に属する記号が現実の肉体や精神と絡み合う世界の素晴らしさ。此岸と彼岸の狭間であり僕の様なクソッタレボンクラの理想論の一つである。身体と精神が離れ離れになり、感情も脳内の記号になり、もうどうしようもなくなったそんな人間には一服の清涼剤になるでしょう。<br><br>内容は…語り合うことでのみ補完されるものでありこんなネットの片隅に書いて置くようなものではない。そんなものは映画.comさんとか超映画批評にまかせとけばよろしいのである。<br><br>偉大な指揮官の復活を追い求めた若い兵士と偽りの記憶と革命を指揮した偽りの指導者のラブストーリーと見せかけた、歴然な過去の攻殻のフラグ立て。こういう過去であるということを描くこと、それは過去を繰り返しているということを原作自体に負荷していること。バトーの一人芝居然り素子の長続きしない恋然り。<br><br>その反復の中にいかに独自の時間を生み出すのか。それが新しく生まれ出されるコピーの群の宿命である。<br>この作品はそんな難題をクリアした、そう私は思います。b4が待ち望まれますな。( ´ ▽ ` )ﾉ<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/bonkuracomputer/entry-11889966860.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Jul 2014 22:19:31 +0900</pubDate>
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<title>雪、嫌い。</title>
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<![CDATA[ <br>何もしない一日というのは辛い。<br>外に出たい、TSUTAYA行きたい、ゲーセン行きたいと思いながらオフトゥンから出られない。ぜんぶ雪のせいだ。作りかけのエヴァ量産型HGの筆塗装も飽きてきたし、機龍警察を読んでても気分が乗らない。本は気分が乗らないときは本当に読みたくなくなる。それがどんな面白いものであっても。ギタドラのAPPも多少暇つぶしにはなったが、あれはひどい。アーケードやりに行きたくなったからだ。むず痒い。<br><br>黄金勇者ゴルドランを見始める。<br>わー面白い。<br>おもしろい。<br>あしも３Ｈ。<br>五話見たところで、俺は何をやってるんだろう何か他に大事なことがあるんじゃないのか、いやゼッタイニアルニチガイナイ、と心が悲鳴をあげ始める。勇者シリーズは確かに面白い、しかしだ、見続けると退屈指数が比例していくので、私の心はブロークンマグナム、光になる。<br><br>ジェイデッカーも完走したのでゴルドランな訳ですが。キャラがうつのみやじみていて困惑の表情を浮かべる。御先祖様でのうつのみやショックとでもいうのだろうか。勇者シリーズは80年代の再生産ともいうべきで、もう早すぎるぐらいに消費されているのだ。ジェイデッカーではしきりにAKIRAネタを挟み混んだりしていた、大きなお友達諸君を絶妙な顔にさせたに違いない。勇者シリーズは80年代の亡霊達なのかもしれない。神山健治とIGが勇者シリーズを作ると面白いのかもしれない、彼も80年代の亡霊のようなものだと思うので。女立喰師列伝での場末のトレンディードラマのような酷い自伝を作ってみたりできるのだから勇者シリーズだって彼はできるはずだ。<br><br>現代における勇者とは。<br>リアリティを追求し、現実の出来事の様な脚本の中で導きだされる勇者像とは、いかに。主役は区画整備された、退屈で、鈍重な、ベッドタウンに生まれた平凡な少年である。現代社会の闇を垣間見つつ、物語は進む。<br>ピンク色の、意志をもった柔らかいジャングルジム、その先にあるガスのタンク地帯で勇者ロボと少年は出会うのだ。他人の善意を参照しながら「敵」を見つけ抹殺する、勇者。勇者はパブリックの味方であった。<br><br>と、いうのは置いといて。<br>もう寝ます。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/bonkuracomputer/entry-11773295605.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Feb 2014 02:33:12 +0900</pubDate>
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