<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>リタイヤーマンのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/bonyan550817/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>退職しました。いま職がありません。毎日ヒマです。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>富山愛１．くすり</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　何によってその県を語れるか。切り口はたくさんあるが、産業という切り口なら、石川県は機械、福井は繊維、そして富山県はくすりということになるだろう。</p><p>　小さい頃、「越中富山の萬金丹、〇〇丸めて萬金丹！それを吞むやつアンポンタン！」と囃すのをよく聞いたが、当時、何を囃していたのか覚えていない。「萬金丹」の本当の名称が「反魂丹」であることは、ずいぶん後で知った。実家には富山の置き薬の赤い箱があった。売薬さんが年に１度やってきて、箱の中の薬を入れ替えていく。その時に、子供がいると風船とか紙風船、紙飛行機などのおもちゃをくれた。それをもらうと、とても嬉しかった。</p><p>　富山は今も薬の町で、都道府県別の医薬品生産金額は、年により若干前後するが、最近の富山県の順位は１位か２位である。生産金額は全国の１割近くを占めている。まあ、順位は、富山県、埼玉県、静岡県、大阪府辺りはいつ入れ替わってもおかしくはない。今年は、富山県内の大手ジェネリックメーカー某社で事件があった影響で、順位は下がるかも知れない。</p><p>　薬には、医家向け、OTC(Over the counter ：ドラッグストアで処方箋なしに買えるやつ)、家庭配置薬の３つに分類できる。富山はそのどれもを生産しており、生産金額では圧倒的に医家向けの割合が高い(当たり前か)。だが家庭配置薬に限ると、富山県は全国の５割を生産していて、都道府県別ではダントツの１位である。２位は、おそらく奈良県だと思う。実家には、奈良県の家庭配置薬の薬箱も置いてあった。</p><p>　で、富山県の医薬品の起源は、俗説では、富山藩第２代藩主 前田正甫公が「反魂丹」を作らせて全国に広めたためとされているが、本当の起源はもっと古く、奈良時代には、朝廷から越中の調(特産物)として薬草が指定されていたようだ。その後、中世(室町時代)になり、山岳信仰の一つとして立山信仰が世に広まると、立山の修験者達が、全国を布教する際に、自生する薬草を煮詰めて作った薬や、熊の胆を持ち歩き、販促ツールとして使っていたようだ。おそらく前田正甫公は、自然発生的に生まれた「売薬」を管制の工場で作らせて、品質管理を行うようにしたのではないかと思われる。江戸時代には「反魂丹役所」なる第三セクターがあった(これが、今の広貫堂の起源)。</p><p>　ところで、これは持論だが、売薬は富山県の本源的蓄積(資本主義の創生)に、決定的役割を果たしたのだと思う。富山県内の金融、電力、繊維、鉄道、水産などあらゆる産業の創設には、売薬によって蓄積された資本が投入されている。金融機関については、県内20行の設立に売薬資本が投入され、これらの多くは、その後北陸銀行に統合された。また、富山信用金庫、滑川信用金庫(富山信金と合併)、上市信用金庫(現にいかわ信金)の起源は「売薬信用組合」。つまり、売薬さんの資金融通を目的にした職域信用組合だった。北陸電力の前身「北陸電灯」の設立にも売薬資本が投入されている。これらのことは、「売薬資本」という前期的商人資本が、近代的な産業資本に転化したことを物語っていると思う。</p><p>　因みに、売薬資本は信用論的にも面白い。懸場帳というのは、売薬さんが全国を回り、どこどこの家に薬をどれだけ置いてきたかを書き記した、いわば大福帳だが、業者間で売買されたりする。さらに懸場帳は金融機関から借金する際の担保になる(なった)。つまり懸場帳を基に信用創造が行われる訳で、これを俗に「懸場帳信用」と呼ぶ。懸場帳担保の法的な性格は、勉強していないので知らないが、商業手形担保(商担)と似ているように思う。懸場帳に記載された取引1件、1件が為替手形のようなものではないかと思う。今では金融機関も、自己査定の際に担保価格の評価方法が不明な(旧 金融検査マニュアルにも載っていない)ことなどから、さすがに担保に取っていないと思う。しかし、いわゆる「添え担保」という扱いで担保にしているかも知れない。</p><p>　</p><p>　　</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/13/bonyan550817/74/3d/j/o0262035014956192757.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="350" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/13/bonyan550817/74/3d/j/o0262035014956192757.jpg" width="262"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/entry-12679986351.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Jun 2021 17:04:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>紫陽花</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　きょう浅野川の遊歩道を散歩していたら、道の両脇の所々に紫陽花が咲いていた。おそらく独り生えではなく、誰かが植えたのだと思うが、スギナなどが繁茂する叢で、紫陽花の花は、ひと際美しく見えた。紫陽花は正に６月の花だな。金沢は例年より少し遅れて、来週梅雨入りしそうだが、雨に濡れると紫陽花はさらに瑞々しく美しくなるように思う。</p><p>　ところで、「紫陽花」という漢字をみると、どういう訳か天安門事件で失脚した趙紫陽総書記を思い出すな。紫陽花と趙紫陽さんは関係あるのかな、ないのかな。恐らくないのだろう。しかし、趙紫陽さんの消息が連日テレビで報道されていたのも、紫陽花の季節だったと思う。当時、抱いていた趙紫陽さんのイメージは、インテリで教養人だが少しひ弱という感じだった。歴史に「もしも」はないとは言うが、もし趙紫陽さんが指導者に留まっていたなら、中国は今とはずいぶん違う国になっていただろうな。</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210611/15/bonyan550817/5a/b5/j/o0262035014955756844.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="350" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210611/15/bonyan550817/5a/b5/j/o0262035014955756844.jpg" width="262"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210611/15/bonyan550817/b7/11/j/o0262035014955759957.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="350" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210611/15/bonyan550817/b7/11/j/o0262035014955759957.jpg" width="262"></a></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">　で、散歩から帰ってきたら、ほとんど手入れしていない我が家の花壇にも、綺麗な花が咲いていた。日本は四季折々に綺麗な花が咲くいい国だな。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210611/15/bonyan550817/71/9e/j/o0262035014955760138.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="350" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210611/15/bonyan550817/71/9e/j/o0262035014955760138.jpg" width="262"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210611/15/bonyan550817/e3/e1/j/o0262035014955760199.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="350" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210611/15/bonyan550817/e3/e1/j/o0262035014955760199.jpg" width="262"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/13/bonyan550817/80/b8/j/o0262035014956193716.jpg"><img alt="" height="350" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/13/bonyan550817/80/b8/j/o0262035014956193716.jpg" width="262"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/entry-12679965736.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Jun 2021 14:55:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>貫井徳郎「悪の芽」読んだ。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　アニメオタクのイベント会場で、火炎瓶と刃物で８人が殺害され、犯人も焼身自殺するという事件が起きた。主人公の安達周は、報道で犯人が小学校の同級生 斎木均であることを知る。安達が斎木にあだ名をつけたことが、斎木がいじめられる原因となり、その後斎木は不登校になっていた。このことが斎木の人生を狂わせ、大量殺人を犯す遠因になったのではないか。テレビはそう報じている。身に覚えのある安達は、自責の念に駆られた。と同時に、そのことで自分と家族が追い詰められるのではと怯えた。「だが、本当に無差別殺人は俺のせいなのか。」安達は斎木が事件を起こすに至った真相を探り始めるのだが…</p><p>　少し遅れたが、貫井徳郎の最新作「悪の芽」を読んだ。主人公の追うものが殺人犯ではなくて、殺人の動機という推理小説は比較的珍しいと思う。この小説は登場人物の生活や心理が緻密に描かれていて、重層的でリアリティがある。こういう心理描写がしっかりしているという点が貫井徳郎の秀作の共通点だと思う。この小説のテーマは、「ネット社会の恐怖」と「現代人の想像力」といったところではないかな。最後の方は少し感動的。感動的と言う点では、「夜想」(2007)に近い。</p><p>　ただ、小説の前半は、主人公の同級生　真壁友紀や、惨事を動画で撮影した学生 亀谷壮弥の生い立ちや、生活ぶり、心理も詳細に描かれていて、物語が大きく膨らんでいるのに、この二人は、それぞれ一つの章の中で物語が完結してしまい、終局の展開には絡んでこない。この点が、何か少し物足りないような気がした。「プリズム」(1999)のように、登場人物のそれぞれの視点から、事件の謎を解き明かそうとするようなところがあっても良いように思う。</p><p>　なお、貫井徳郎の小説は、一般に人々があまり拘らないような小さな出来事に拘り、そこからストーリを広げていくところがあり、ストーリ展開が少し強引に思えるところがある。「悪の芽」でもそれはみられる。また、少しグロいところがあるのも貫井徳郎の小説の特徴だ。「悪の芽」はそれほどグロはないが、大量殺人という惨事の現場を想像すると、やっぱり少しグロい。</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210607/15/bonyan550817/a5/96/j/o3024403214953831696.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210607/15/bonyan550817/a5/96/j/o3024403214953831696.jpg" width="220"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/entry-12679147461.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Jun 2021 11:23:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>道の駅「高松」にちょっと寄って来た。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;　マンボウ中なので外出は控えているが、昨日の午後、久しぶりに妻と遠出した。能登方面に愛車ブェゼルを走らせて、途中、能登里山街道の高松サービスエリアに立ち寄った。そこには、道の駅「高松」がある。　</p><p>　　空は晴れて、車から降りると海の方向から心地いい風が吹いていた。少し白い波はみえたが、穏やかな初夏の海が広がっていた。</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210531/18/bonyan550817/f8/04/j/o2016151214950371571.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210531/18/bonyan550817/f8/04/j/o2016151214950371571.jpg" width="420"></a></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">　　車はたくさん止まっていた。金沢ナンバー、石川ナンバーが多いが、県外ナンバーもちらほらあった。老弱男女様々の人が立ち寄っているようだ。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210531/18/bonyan550817/a6/0e/j/o2016151214950372127.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210531/18/bonyan550817/a6/0e/j/o2016151214950372127.jpg" width="420"></a></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">　海辺には、たくさんの人が思い思いに寛いでいた。</p><p style="text-align: left;">　そういえば、昔、夏になると、職場の仲間とよく高松に海水浴に来たものだ。海にはほとんど入らず、海の家で酒飲みながら麻雀したり、悪ふざけをして遊んでいたな。そういえば地引網をしたことがある。サヨリが何匹か獲れたのを覚えている。</p><p style="text-align: left;">　当時は、ただの砂浜だったが、今は綺麗に整備されて、ベンチも置いてある。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210531/18/bonyan550817/d5/0e/j/o2016151214950372259.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210531/18/bonyan550817/d5/0e/j/o2016151214950372259.jpg" width="420"></a></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">　当時、海水浴の帰りには、ブドウ狩りによく行ったな。高松は昔からブドウの産地だが、いまはルビーロマンの産地として有名。1房数十万円のブドウはなかなか口に入らないが、死ぬまでに１粒食べてみたいものだ。</p><p style="text-align: left;">　ところで、道の駅の中で、ゴム製品のコーナーを発見した。正確にいうと、「ゴム入細巾織物」のコーナーである。織物には広巾と普通巾、細巾があるが、細巾織物は幅が2～10cm程度の織物である。一番イメージし易いのはパンツの平ゴムだが、用途はいろいろあり女性のファンデーションの素材などにもなる。で、高松は全国のゴム入細巾織物の約7割を生産する産地だ。特定の地域に集積した産業を地場産業というが、まさにゴム入細巾織物は高松の地場産業だ。</p><p style="text-align: left;">　40年前、僕は地場産業の調査で高松にあるゴム入細巾織物の工業組合に何度かお邪魔したことがある。当時、事務局長さんが応対してくれたが、どんな話を聞いたか全く覚えていない。あまり景気のいい話はなかったように思う。しかし、当時、合繊織物は空前のジョーゼットブームに沸いていた時期なので、いまから思えば細巾織物も決して悪い時期ではなかったのだろうと思う。合繊織物の方は、あれから円高や中国の台頭などで壊滅的な打撃を受け、多くの企業が廃業を余儀なくされた。しかし、本当にいいもの、技術がなければ作れないものは、いまでも日本製である。おそらく細巾織物も技術力のある企業は生き残り、発展を遂げているのだと思う。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210531/18/bonyan550817/03/d8/j/o2016151214950372331.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210531/18/bonyan550817/03/d8/j/o2016151214950372331.jpg" width="420"></a></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">　僕らは、思い出深い高松の道の駅を出て、羽咋から志賀町に行き、志賀町の道の駅でソラマメを買い、自宅に戻った。羽咋や志賀町はまた次回以降に報告します。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/entry-12677832511.html</link>
<pubDate>Mon, 31 May 2021 19:13:32 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>「証券アナリストジャーナル５月号」を読んだ。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　僕は、業として証券分析も資産運用もしていたことはないが、２５年ほど前から日本証券アナリスト協会の検定会員(個人会員)である。その会員には毎月、会報誌「証券アナリストジャーナル」が送られてくる。ジャーナルの記事は、総じて統計学を用いた論文(仮説をたてて、シミュレーションしたり、パラメータを推定したりするような)が多いが、数式の意味をいちいち理解するのは面倒なので、読み飛ばすことが多い。　しかし、５月号は「地域金融と地域経済」の特集で、僕の興味のある分野なので一通り読んだ。</p><p>&nbsp;</p><p>　地域金融機関とは、一般的に地方銀行、信用金庫、信用組合をいう。農漁協などの系統金融機関や労働金庫を含めている場合もある。僕も知っているが、これら地域金融機関は、地域経済の活性化、具体的に言えば、地元中小企業や住民の再生支援をしたり、ビジネスマッチングをしたり、自治体や企業に人材を派遣したりといった涙ぐましい取り組みをしている。信金、信組は協同組織金融機関なので、中小企業等支援は会員の相互扶助という設立目的に沿っているとも言える。だが、地方銀行は株式会社なので、本来は株主利益の最大化を目指しても良いのだろうが、(ある意味では)株主利益を犠牲にしても地域経済の支援に注力している。株主だけでなく、全てのステークホルダーの利益を図る経営へと変わるのは、SDGsの精神とも言える。しかし、地銀は取り分け地域経済の利益を重視した経営へと変わってきているのである。それは、地域との共存が地銀のサスティナビリティに繋がると認識されているためでもある。まあ、中にはかつてのスルガ銀行のような銀行や、同一地銀内でもそのスルガ銀的な部分が存在する地銀もあるだろうから、一概に全部とは言えないと思うが。</p><p>　地域金融機関がこのような形になってきたのは、バブル崩壊後だと思う。バブルの時は地銀も都内での融資競争に加わっていた。バブル崩壊後の金融システム危機時代(おおよそ1995年頃から2003年頃まで)を経て、地銀の地元回帰が明確になったと思う。大蔵省(後、金融庁)のリレーションシップバンキングの指導や中小企業金融円滑化の指導も大きな影響を与えたと考えられる。</p><p>　しかしながら、こうした取り組みの一方で、地域金融機関の体力は着実に落ちてきている。特に2013年からの日銀のゼロ金利政策はボディブローのように効いている。自己資本比率に問題はないものの、地域金融機関の収益力は著しく落ちてきている。貸出では最早収益が確保できない。有価証券運用による収益補完も限界がある。だから、経営コンサルや人材派遣などの副業が盛んになっている面もあるのだろう。</p><p>　</p><p>　　ところで、５月号の中で、加藤出氏(東短リサーチ社長)の論文「コロナ後に正念場を迎える金融・財政政策」は非常におもしろかった。北欧と日本とを対比しているのだが、北欧も1990年代前半に住宅バブルが弾けて金融システム危機が起きたようだ。北欧は、このままでは国が持たないという危機意識から、1990年代後半にデジタルトランスインフォメーションの推進に舵を切り、財政赤字を増やさないようにしながら、背水の陣でいかに生産力を上げるかという努力をしてきたとのことである。</p><p>　加藤氏は言う。「一方、日本は同じ期間を超低金利による『痛み止め効果』に強く依存してきたように思われる。超低金利が低収益の企業を支えることで、<span style="text-decoration:underline;">企業の破綻は少なく、雇用もかなり維持</span>されてきたが<span style="text-decoration:underline;">、経済の新陳代謝が進まないため、給料が上げにくい生産性の低い企業が数多く存在</span>することとなった」</p><p>　確かに、日銀の資産は700兆円に迫り、対GDP比は世界の中央銀行の中で突出している。財政赤字も1,200兆円でGDPの2.5倍を超え、これもまた先進国では突出している。超低金利、財政赤字が「痛み止め」にはなったが、成長には結びついていないというのが加藤氏の指摘である。</p><p>　そして、この日本の現実と、上に記載した地域金融機関の地域経済への貢献は、概ね表裏一体と考えてもよさそうに思うのだが、これは言い過ぎだろうか。中には金融機関の再生支援で立ち直り、成長軌道に乗った中小企業もあるが、ただ資金繰りの支援を受けて、命脈を保っているだけの、収益性の低い(或いは赤字の)中小企業も多いように感じられるのだが。</p><p>　さて、続けて加藤氏は言う。「今後、コロナ危機を契機に生産性を上げていくような構造改革が起きればよいのだが、超低金利や国債増発、および超低金利による円安誘導を単なる『痛み止め策』として使ってしまうと、これから先の30年も実質賃金があまり伸びないなど、諸外国との差がさらに開く恐れが出て来る」</p><p>　僕も、こうなるのを心配する。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210603/12/bonyan550817/58/ef/j/o3024403214951704892.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210603/12/bonyan550817/58/ef/j/o3024403214951704892.jpg" width="420"></a></p><p>加藤出「コロナ後に正念場を迎える金融・財政政策」からとって来たグラフ。失われた30年と、今の日本の立ち位置がよく分かる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>　</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/entry-12677214378.html</link>
<pubDate>Fri, 28 May 2021 16:31:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>斉藤幸平「人新世の『資本論』」をよみました。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　この本はブックカバーに「2021新書大賞第１位」と書かいてあったので、どんな本かと思い、つい買って読んでみた(集英社新書 1020円)。</p><p>&nbsp;</p><p>　読後感としては、まず、４０年前にマルクスを学んだことのある僕には、半端ない違和感があった。</p><p>　僕の理解では、「資本論」の主要な内容は、資本主義生産様式の分析、つまり賃労働と資本関係の分析であり、資本主義の終焉は語られているが、終焉後の世界について具体的なイメージで語られていないし、それは「資本論」の辺縁部に過ぎない。ましてや、自然環境やエコロジーに関する言説などは、それと読める部分はあるとしても、読後に頭の片隅に残ることさえ、あまりない程度のものだ。著者は、近年発見されたマルクスの「研究ノート」(「経済学批判要綱〖Grundrisse〗」とは別のものらしい)により、エコロジーの先駆者としてのマルクスが見えてきたとしているが、それは今後出版される予定の「研究ノート」(「MEGA」というらしい)を読まないと、何とも分からない。</p><p>　確かに、「資本論」２巻と３巻は、マルクスの死後、エンゲルスがマルクスのノートを基に編集して出版したものであり、マルクスの持っていた構想とは異なるということは大昔から問題にされていた。それは、日本では「プラン問題」と呼ばれ、マルクスの描いていたであろう「資本論」の構想を巡り、多くの学者が論争していた。しかし、そこに、マルクスの生産力上昇に対する否定的な見解や、エコロジー的な思想を指摘する議論はみたことがない。</p><p>　マルクス哲学(経済学)の諸概念についての著者の理解も、僕にはかなりユニークにみえる。例えば、「本源的蓄積」概念であるが、著者は、「資本が&lt;コモン<span style="font-size:0.83em;">(共同体による公有地保有などの意味らしい)</span>&gt;の潤沢さを解体し、人工的希少性を増大していく過程」と読むべきだとしている。しかし、「資本論」を読む限りでは、本源的蓄積とは、≪生産手段と労働力の切り離し＝資本・賃労働関係の創設＝資本主義の誕生≫という意味でしかないと思う。</p><p>　「使用価値」と「価値」という言葉の、著者の使い方も奇妙に思われる。著者は「商品としての『価値』のための生産が行われ、『使用価値』が蔑ろにされているという資本の矛盾」といった言い方をする。しかし、マルクスは　「使用価値」は「なんらかの有用性」で「価値の担い手」であると言っているだけであり、価値論(投下労働価値説)」を展開する上で必要な限りで「使用価値」に言及しているだけで、ことさら「使用価値」について問題にすることはしていない。</p><p>　さらに、その「使用価値」の概念についても、著者の言う意味が僕には理解できない。例えば、「<span style="text-decoration:underline;">実質的な『使用価値』(有用性)にはまったく違いのない商品</span>に、ブランド化によって、新規性が付け加えられ…『魅力的な』商品に変貌する」という件があるが、ブランド品と汎用品で使用価値が全く一緒ということはあり得ない。「使用価値」というのは「なんらかの有用性」あって、ブランドが所有者の心を満足させるのであれば、満足させるという効用もまた「有用性」すなわち「使用価値」である。だから普通にブランド品は汎用品に比べて、「使用価値」(も「価値」)も高いと考えられる。</p><p>　「マーケティングや広告、コンサルティング、そして金融業や保険業」を「『使用価値』をほとんど生み出さないような労働」としているのも、理解できない。そもそも「使用価値」と「価値」があるのは商品、つまり物、物質だけである。商品を生産するための労働は、具体的有用労働としては「使用価値」を生み出す(抽象的人間労働としては「価値」を生み出す)が、サービス業の労働は物に凝固する訳ではないので、そもそも「使用価値」も「価値」も生み出すことはない。マルクスはサービス業については、資本家の役割の一部と考えているだけである。これが要するに唯物論の基礎だと思うが(マルクス経済学の限界でもある)。</p><p>&nbsp;</p><p>　ところで、地球温暖化や自然環境の破壊が急速に進んでいるというのは、おそらくその通りなのだろう。SDGsはまやかし、「現代版『大衆のアヘン』である」という指摘も、まあそんなものだろうとは思う。</p><p>　しかし、地球と人類救済の方法が生産力至上主義からの脱却、定常型経済への移行であり、その思想的基盤が「脱成長コミュニズム」、その変革の主体が共同組合(生産手段共有化の主体)の世界的連携であるという議論は、ほとんど理解できない。</p><p>　まず、人類史をみれば、確かにアジア的生産様式(アジア的共同体)の時代は経済成長がほとんどなく定常的であったのかも知れないが、それでも徐々に生産力は向上し、「古典古代」その後の「ゲルマン的」生産様式になると生産力の向上と経済成長、冨の蓄積が進んだ。資本主義的生産様式が確立してからは飛躍的に生産力向上、経済成長、富の蓄積(資本蓄積)が進んでいる。人類は生産力向上と富の蓄積を絶え間なく続ける生物だと定義して良いと思う。人類が定常型経済(生産力一定、経済成長なし、単純再生産)を志向することなどあり得ない。特に資本主義においては、(本書にもある通り、)資本とは自己増殖する価値の運動体であり、際限なく利潤(剰余価値)を追及する生き物(物神性)である。その運動体が生産力向上、経済成長、資本蓄積を絶え間なく求める。資本そのものが無くならない限り、定常型経済への移行はあり得ない。そして、資本がこの世から亡くなるというのは、なかなか想像できない。人類が富というものを手にした以上は決して手放さないし、少しでも増やそうとする。人間を動かすのは物質的な欲望であり、欲望以上に人を動かすものなどあり得ない。中にはスェーデンのグレタ少女のような「目覚めた人」は出てくるだろうが、人類全体から言えば変人がいる程度であり、大勢にはならないだろう。</p><p>　変革の主体が共同組合というのも違和感がある。共同組合は日本にもたくさん現存する。医療生活協同組合、消費生活協同組合、中小企業協同組合、信用金庫、信用組合、労働金庫、農業協同組合、漁業協同組合、各種共済組合などがある。確かに共同組合は生産手段等の共有化を図っているし、組合員は平等であり、利益を目標としないので組合員への利益還元も多い(はず)である。株式会社とは異なる。しかし、どの共同組合も、その理念は別として、実態としては資本主義と非常に親和的であり、資本主義を支える一翼として機能している。今ある共同組合でない、新たな目的を持った組合を作るとしても、それがどうして変革の旗手になり得るのか、やはり分からない。</p><p>　僕自身の考えでは、人類の生存と地球環境の改善のためには、「大衆のアヘン」ではあってもESGやSDGsを推進するしかない、資本主義の下でグリーン化を進めていく以外に現実的な方法はないのではと。</p><p>　総じて、本書についての感想であるが、マルクス(AD1818～1883)は１９世紀に生きた人物であり、21世紀の状況は知らない。現代を分析する上でマルクスは有用な点が多いことは認めるが、あまり引っ張り過ぎるのもなぁ、というところである。</p><p>&nbsp;</p><p>　僕は天邪鬼で石頭なので、こんな感想になってしまいましたが、本書はいろいろ考えさせられるところが多く、良い本だと思います。皆さんにも一読をお勧めします。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210525/16/bonyan550817/b5/32/j/o4032302414947282996.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210525/16/bonyan550817/b5/32/j/o4032302414947282996.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/entry-12676578161.html</link>
<pubDate>Tue, 25 May 2021 10:58:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ヒーロー</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　孫(５歳、３歳、３歳)が好きなヒーローは、「シンカリオン」、「ゼンカイジャー」、「仮面ライダーセイバー」らしい。パジャマにもＴシャツにも、彼らの絵が書いてある。</p><p>　僕の子供の頃のヒーローと言えば誰だったかな、と思い出していたら、あれもヒーローだった、これもヒーローだったと次々に思い出し、ヒーローが多いのにビックリした。</p><p>　で、僕の子供の頃のヒーローを、思い出す限り書き出して、分類してみることにした(暇だね)。</p><p>　その結果が次の通り。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;"><span style="font-weight:bold;">【宇宙人、未来人、海底人】&nbsp; &nbsp;</span></span></p><p><span style="font-weight:bold;">〇　宇宙少年ソラン</span></p><p>&nbsp; …&nbsp; アニメ。<span style="font-size:1em;">｢胸に輝く秘密のペンダント｣は</span>ベルトのバックルだった。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　宇宙エース</span></p><p>&nbsp;&nbsp;…&nbsp; アニメ。エースの彼女が&nbsp;「エースくーん」と呼ぶのが良かった。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　遊星少年パピー</span></p><p>　…　アニメ。「ピー、パピー」と叫ぶとパピーモードに変わる。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　遊星仮面</span></p><p>&nbsp;…&nbsp; アニメ。パピーに比べると大人びて、暗いトーンの話だったな。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　スーパージェッター</span></p><p>&nbsp; …&nbsp; アニメ。３千年の未来から来た少年。マシン「流星号」が凄い。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　宇宙怪人ゴースト</span></p><p>&nbsp; …　アニメ。「アラン、シート、リッキー」アメリカ製アニメだな。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　ナショナルキッド　</span></p><p>　…　実写。もちろんパナソニック提供の番組でした。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　遊星王子</span></p><p>　…　実写。靴磨きのおっさんの正体は宇宙人(遊星王子)でした。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　光速エスパー</span></p><p>&nbsp; …　実写。エスパーは「東芝のお店」のマスコットになっていた。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　ウルトラマン</span></p><p>　 …　実写。僕が見ていたのは初代だけです。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　マグマ大使</span></p><p>&nbsp; &nbsp;…　実写。マグマ大使の息子ガムが、可愛い少年で好きだった。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　海底人ハヤブサ</span></p><p>&nbsp; …　実写。地上では背広着ている。海底人の姿は不気味。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　オスパー</span></p><p>&nbsp;&nbsp;…　実写。海底人。主題歌は当時の有名歌手 山田太郎だった。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">【ロボット、サイボーグ】</span></p><p><span style="font-weight:bold;">〇　エイトマン</span></p><p>&nbsp; …　アニメ。探偵がエイトマンの姿になる瞬間がカッコ良かった。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　鉄人２８号</span></p><p>&nbsp; …　アニメ。正太郎少年はいつもチェックのブレザーだった。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　鉄腕アトム</span></p><p>&nbsp; …&nbsp; 実写とアニメ。両方とも見たな。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　サイボーグ009</span></p><p>&nbsp; …　実写。サイボーグに改造された少年達が悪と戦う。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">【探偵】</span>　</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　まぼろし探偵</span></p><p>　…　実写。吉永小百合が出ていたらしいが、当時は関心なし。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　少年ジェット</span></p><p>&nbsp; …　実写。「明るく元気で正しい心。少年ジェットは今日も行く」</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　月光仮面</span></p><p>　…　実写。探偵が変身してオートバイで行くんだな。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">【妖怪】</span></p><p><span style="font-weight:bold;">〇　墓場の鬼太郎</span></p><p>&nbsp; …　アニメ。少年雑誌で第１話を読んだ覚えがあるんだがなぁ。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　妖怪人間ベム</span></p><p>&nbsp; …&nbsp; アニメ。親子３人の妖怪。「人間になりたーい」が名セリフ。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　悪魔くん</span></p><p>&nbsp; …　実写。何か、ちょっとトボケたドラマだったように思う。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">【時代劇ヒーロー】</span></p><p><span style="font-weight:bold;">〇　風のふじ丸&nbsp;</span></p><p>&nbsp; …　アニメ。少年忍者。当時フライパン作ってたフジマルの提供。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　三日月丸</span></p><p>&nbsp; …　実写。髪を後ろで束ねているのがカッコ良かった。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　天兵童子</span></p><p>&nbsp; …　実写。残念ながら、名前しか覚えていない。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　天馬天平</span></p><p>&nbsp; …　実写。&nbsp; &nbsp; &nbsp; (同上)</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　竜巻小天狗</span></p><p>&nbsp; …&nbsp; 実写。西軍(豊臣側)の少年忍者だったと思う。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　白馬童子</span></p><p>&nbsp; …　実写。主演は山城新伍だったな。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇&nbsp; 忍者赤影</span></p><p>&nbsp; …&nbsp; 実写。赤影、青影、白影…３人の少年忍者。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　隠密剣士</span></p><p>&nbsp; …&nbsp; 実写。公儀の隠密が旅しながら悪者や忍者と戦う。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">【正体不明、その他】</span></p><p><span style="font-weight:bold;">〇　アラーの使者</span></p><p>&nbsp; …&nbsp; 実写。ターバン巻いてる。月光仮面そっくり。主演は千葉真一。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　七色仮面</span></p><p>　…　実写。二代目の主演は千葉真一だったな。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　怪傑ハリマ王</span></p><p><b>&nbsp;</b> …&nbsp; 実写。バンダナ巻いてサングラス掛けてたな。</p><p><span style="font-weight:bold;">〇　くれない天使</span></p><p>　…　実写。女性の研究者が変身。ドラマ名は「マリンコング」</p><p>&nbsp;</p><p>　　まだ何人も思い出しそう…。当時は毎日テレビに噛り付いていたのかも知れん。今はテレビ見ないけど。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210528/14/bonyan550817/d9/2b/j/o0900120014948671120.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210528/14/bonyan550817/d9/2b/j/o0900120014948671120.jpg" width="220"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210530/12/bonyan550817/99/8c/j/o0900120014949629774.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210530/12/bonyan550817/99/8c/j/o0900120014949629774.jpg" width="220"></a></p><p>「新幹線こまち」がシンカリオンに変身するらしい。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/entry-12676201192.html</link>
<pubDate>Sun, 23 May 2021 13:38:48 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>福井愛２．ソースカツどん</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　街は閑散としている。昨日久し振りに片町、香林坊の通りを車で通ったが、いつもなら若者や観光客で賑わっている週末の通りは、ほとんど人がいなかった。寂しい。しかし、コロナが終息すれば、果たして元の賑わいが戻ってくるのだろうか。ポストコロナは、マスクして３密を避ける生活様式が定着し、今の状況が常態(ニューノーマル)になるだろうという説もある。</p><p>　人々は、将来に何かの希望を見出さないと生きていけない。暗い見通しだけでは、辛くて生きられない。僕は、長距離ドライブの再開と、行った先々でその土地の美味いものを食べることを夢見て、この圧し潰されそうな閉塞感に耐えている。</p><p>&nbsp;</p><p>　さて、本日は、福井の<span style="font-weight:bold;">ソースカツどん</span>を紹介する。</p><p>　ソースカツどんなら他の県にもあり、僕も食べたことはあるが、福井のソースカツどんは、それらとは少し違っている。まず、カツの下にキャベツの千切りは敷いていない。ご飯の上に載っているのはカツのみである。次に、そのカツは、肉を叩いて薄く伸ばしてある。薄く平べったいカツが丼メシの上に3、4枚載っているというのが、福井ソースカツどんの一般的なスタイルである。因みに、この３、４枚のカツは全部肉の部位が異なるようにアレンジされているという噂があるが、真偽のほどは不明。</p><p>　ソースカツどんは、カツが嵩張るので、そのままでは、下のご飯が食べにくい。そこで、食べる時は、まず、丼茶碗の蓋を裏返し、カツをご飯の上に1枚だけ残して、残りはその裏返した蓋に移す。そして、カツを１枚食べ終えたら、蓋からカツ１枚をご飯の上に戻し、食べ終わったら、また次の１枚を…というようにして食べる。カツを肴にビールを飲む人もいる。つまり、カツどんを頼めば、他にビールのツマミはいらない。</p><p>　ソースカツどんは美味い。実に美味い。カツは脂身がなく、柔らかくて、ジューシーである。ご飯も美味い。ご飯にはソースが掛かっているが、ソースが盛りご飯全体に満遍なく薄く行きわたるように、また、汁のようにじゃぶじゃぶにならないように、絶妙の分量が掛かっている。ソースだけでもご飯が食べられそうである。</p><p>　因みに、福井に<span style="text-decoration:underline;">卵とじのカツどん</span>があるかというと、あるらしい。福井の人に聞くと、<span style="text-decoration:underline;">卵とじのカツどん</span>を注文する時は、「上カツどん」と言うらしい。これは、卵を使っているので上物だという意味らしい。</p><p>&nbsp;</p><p>　福井市内のソースカツどんの店で一番多いのは<span style="font-weight:bold;">「ヨーロッパ軒」</span>という店である。総本店、支店、分店などが１０店舗あまりある。敦賀にも「ヨーロッパ軒」が数件あり、正確に食べ比べたことはないが、感触としては、スタイルも味もほぼ福井市内のヨーロッパ軒と同じである。両「ヨーロッパ軒」は、企業としては別のようだが、おそらくルーツは同じなのだろう。</p><p>　福井市内には、「ヨーロッパ軒」以外にもソースカツどんの店はたくさんあり、中でも<span style="font-weight:bold;">「ふくしん」</span>は、規模は小さいが熱烈なファンがいそうな店である。この店のソースカツどんは、ソースがヨーロッパ軒よりも少し辛いように感じる。</p><p>　僕は、ドライブの序に行くことが多いので、福井駅から１本道で行けて、駐車もし易い<span style="font-weight:bold;">「ヨーロッパ軒木田分店」</span>に行くことが多い。土日は来店客が多いが、最近は、テイクアウトの客も多そうだ。</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210523/10/bonyan550817/43/23/j/o0274018414946086024.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="184" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210523/10/bonyan550817/43/23/j/o0274018414946086024.jpg" width="274"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210523/10/bonyan550817/26/cb/j/o4032302414946086081.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210523/10/bonyan550817/26/cb/j/o4032302414946086081.jpg" width="220"></a></p><p>　</p><p>&nbsp;　にしても、おろし蕎麦と言い、ソースカツどんといい、福井には、存在感のある食べ物があるな。石川県には、これに匹敵するものは残念ながらない。郷土料理には、「治部煮」、「鯛の唐蒸し」、「かぶら寿司」などはあるが、「治部煮」、「鯛の唐蒸し」は料亭の懐石料理だし、「かぶら寿司」は冬季限定で、しかもAランクの牛肉より高価なので、市民が毎日食べられるものではないな。一番近いのは、金沢カレーかも知れないが、存在感では、まだソースカツどんの足許にも及ばないだろう。福井が羨ましい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/entry-12675585367.html</link>
<pubDate>Thu, 20 May 2021 09:34:02 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>福井愛１．おろし蕎麦</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　石川県独自の緊急事態宣言が出て、県境を越える移動はなるべく控えるようにとの自粛要請があったので、暫くは県外へのドライブは控えることにしていたが、さらに金沢市が正式にマンボウ地域に指定されたので、市内から出るのもやや憚られる状況になった。県内は、県営、市営の施設が屋外も含めて休業になり、飲食店の営業時間短縮、酒提供自粛などが求められ、市民生活は再び疲弊しはじめている。その一方で、市内の百貨店では北海道物産展開催中で、テレビで一生懸命PRしており、とてもチグハグ感がある。まだまだ愚痴は一杯あるが、もう止めておこう。</p><p>　新型コロナの騒ぎが下火の時には、福井、滋賀、京都、富山、岐阜、長野くらいまでは日帰りでドライブしていた。それぞれの府県には、そこでしか見られない景色があり、名所があり、旨い食べ物もある。特に隣県の福井は時々無性に食べたくなるものがある。近いうちにそれが食べられることを期待して、本日は、福井の代表的な名物の一つ「おろし蕎麦」を紹介することにした。</p><p>&nbsp;</p><p>　福井で蕎麦と言えば、冷たいおろし蕎麦のことを言う。おろし蕎麦は別名「越前蕎麦」とも呼ばれている。名実ともに福井を代表る蕎麦である。</p><p>　蕎麦自体は他県にもある田舎蕎麦だとは思うが、福井の蕎麦は黒くて、太くて、固い。昔、「立待蕎麦」という名の蕎麦屋があったが、そこの蕎麦は針金のように固かった。今よく行く店はあれ程固くはないが、だいたい歯触りはカチカチという感じ。それに大根おろしがたっぷり掛かっている。大根には辛くない大根と辛味大根がある。僕は、どちらかと言えば辛味大根が好き。舌の奥や喉が痛くなるやつがいい。その大根の上に鰹節を振りかけて、冷たい出汁つゆが掛けてある。福井のおろし蕎麦は、どこか荒々しい感じがする。そう、野武士のような荒々しさで、存在感がある。信州蕎麦や京蕎麦とは全く別の食べ物だと思う。</p><p>　福井県人は、真冬でも冷たいおろし蕎麦を食べる。身体が震えるほど寒いのに、冷たい蕎麦を腹に流し込むのである。実は僕は仕事で福井に２回、通算３年住んでいた。僕も、昼飯はいつもおろし蕎麦だった。もちろん真冬もおろし蕎麦を食べていた。おろし蕎麦はつゆも旨い。いまは減塩のためにしていないが、以前は蕎麦を食べた後、冷たいつゆも飲み干していた。</p><p>　福井には、自分で蕎麦打ちする人も多い。僕の昔の上司は、自分の畑で蕎麦を栽培して、その蕎麦を挽いて、自分で蕎麦打ちして家族で食べると言っていた。</p><p>　福井のおろし蕎麦は実に旨い。こんな旨いものは他にないと思うくらいに旨い。店によって少しずつ趣向や味は異なるが、どこの店も旨い。ハズレというのは、今のところ経験したことがない。しかし、京都出身の昔の上司が「蕎麦というのは更科蕎麦をいう。こんなのは蕎麦ではない」と言っていたことがあるので、万人が旨いと思う訳ではないのだろう。都会育ちの上品な人の口には合わないかも知れない。</p><p>　さて、僕が行ったことのある店を３つだけ紹介する。「けんぞう」、「すいこう」、「きょうや」、これらの店は福井市内かその近郊にあり、車で行き易いので、ドライブに出た際に昼飯に立ち寄るところである。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">　「けんぞう」</span>は、永平寺町(旧松岡町)にある。福井北インターに近い。ここは知る人ぞ知る名店で、細川護熙元総理を始め各界著名人もしばしば来ているらしい。休日には行列が出来る。駐車場に停めてある車をみると、福井県ナンバーより他県ナンバーが多い。大阪、愛知辺りからも客が来ている。</p><p>　メニューは、「おろし蕎麦」と「けんぞう蕎麦」の２種類しかない。「おろし蕎麦」は辛くない大根のおろし蕎麦。「けんぞう蕎麦」は、ざるに盛った蕎麦で、お猪口に入った辛味大根の搾り汁と出汁つゆが出て来る。どちらの蕎麦も旨い。おそらく、蕎麦打ち名人のけんぞうさんが打っているのだろう。</p><p>　因みに、「けんぞう」の近くに、これもまた知る人ぞ知る銘酒「黒龍」の本店がある。古い風格のある建物で同町内の別の場所にある酒蔵で醸造した酒が買える。但し銘柄「石田屋」、「仁左衛門」、「しずく」は年に１、2回行われる抽選に当選しないと買えない。「黒龍大吟醸」なら大体いつでも買える。「けんぞう」に行った時には、帰りに１本買って帰ることが多い。</p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="font-weight:bold;">「すいこう」</span>は、福井市内の大野街道に沿いの(街道に面してはいない)、国道８号線より少し福井市の中心地寄りにある。古いが趣のある建物である。客は近くのサラリーマンが多いように見える。</p><p>　ここのおろし蕎麦は、池田町の清水で蕎麦を練っている。おそらく店主が池田町の人なのだろう。池田町は山間にある町で、自然環境が豊かなところなので、水も綺麗なのに違いない。「すいこう」のおろし蕎麦も旨い。僕はいつもおろし蕎麦の大盛を注文する。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">　「きょうや」</span>は、「すいこう」と同じく大野街道に沿いの(街道に面してはいない)、福井インターの近くにある。「きょうや」は「すいこう」が素朴な店であるのに対して、おしゃれな店で、客は女性客や若い男女のカップルが多いように見える。蕎麦を盛る器も凝っているし、箸は蕎麦専用に作った先の薄い竹箸である。店の雰囲気は、とても上品な感じがする。</p><p>　ここのおろし蕎麦も辛くない大根だが、「辛味しぼり」、「辛味みぞれ」という別のメニューがある。僕はいつも「辛味しぼり」の大盛を注文する。皿に盛った蕎麦に、壺に入った大根汁と出汁つゆをぶっかけて食べる。これはとても辛いが、それが旨い。</p><p>&nbsp;</p><p>　書いているうちに、食べたくなった。今日の昼飯に、近くのローソンでおろし蕎麦を買ってたべた。コンビニの蕎麦としてはよく出来てはいるものの、福井の店で食べるおろし蕎麦とはやっぱり違うな。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/entry-12674275400.html</link>
<pubDate>Thu, 13 May 2021 17:26:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>マルクス・ガブリエル「つがり過ぎた世界の先に」</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　現代思想というと、われわれ世代の普通の日本人の頭の中には、マルクス主義→実存主義→構造主義→ポストモダンという流れが浮かび、あたかもこの順番で、流行り、廃れがあるように思える。しかし、(正確なことは知らないが、)おそらくこれはドイツ・フランスを中心にしたヨーロッパ大陸における思想の流れであり、世界をみれば、アメリカ・イギリスでは別系統の哲学があり、全世界では、他にも別系統の哲学が盛んな地域があるかも知れない。しかし、一般的に日本で広く紹介されるのは、哲学はドイツ・フランスの哲学なのである。因みに経済学は、イギリス・アメリカの経済学なのである。</p><p>　そこで、僕も日本人としては、ドイツ・フランスの哲学の動向に多少の関心はあるのだが、書店に並んだ本を見る限りでは、最近は「実在論」が流行っているようである。</p><p>　「実在論」がどんな思想なのか、素人の僕には上手く説明できないが、要するに、カントの「物自体」にアクセスしようとする思想のようである。人間が悟性により把握できるのは物自体ではなく、その現象(表象)であり、背後にある物自体は決して触れることができない。主体客体の関係(相関)を離れては何も把握できない。このカント以来の相関主義が行き着くことろまで行き着き、哲学が現実の困難な問題に視座を提供できなくなっている。社会の変革にも関わらなくなっいる。こういう問題意識から、「実在論」が盛んになっているのではないかと思うが、違うだろうか。ただ、「実在論」の流行も日本固有の偏りかも知れないので、「実在論」が世界の潮流などと考えずに、西欧の一部でみられる特徴的な動き程度に考えるのが正しいのかも知れない。</p><p>　さて、その「実在論」の中で、翻訳されている著書が圧倒的に多いのは、カンタン・メイヤスーとマルクス・ガブリエルである。特にマルクス・ガブリエルの本は多い。この人は何度か来日しているようだし、対話や講演の記録が次々に出版されているので、書店で見掛ける本の数が多いのかも知れない。</p><p>&nbsp;</p><p>　さて、今回のテーマにした　「つながり過ぎた世界の先に」という新書は、コロナ禍によるロックダウンの最中にZoomを利用して行ったインタビューを取りまとめたものだそうだ(PHP新書 960円)。</p><p>　この本の構成は、「1.人とウイルスとのつながり」、「2.国と国とのつながり」、「3.他者とのつながり」、「4.新たな経済活動のつながり」、「5.個人の生の在り方」の全５章であるが、インタビューなので、話の内容があちこちに飛んでいて、全体をまとめて紹介するのは難しい。そこで、比較的内容の纏まっている第１章と第2章を中心に紹介したい。</p><p>&nbsp;</p><p>　第１章は、コロナ禍以降の世界を展望し、今後のあるべき世界の姿を示そうとしている。</p><p>　ガブリエルは、「誰も言及したがらない」が、目前に史上最大の金融危機(と、それのもたらす経済危機)が迫っていると言う。但し、その根拠には触れていない。彼はエコノミストではないので、詳細な分析をしている訳でもないだろう。で、これは僕の考えであるが、確かに「史上最大の金融危機」が襲う恐れはあると思う。いま世界中の国々が積極的に財政出動しており、同じく世界中の中央銀行が超金融緩和政策を取っている。しかし、ロックダウンや自粛やらの時代なので、このジャブジャブの資金はあまり生産活動には回らずに、株式や土地などの擬制資本に回って、株高や本来下落するはずの土地価格の維持等をもたらしているとみるべきだろう(いま資産価値の維持は、もちろん必要だし、政策は間違っていない)。しかし、未来永劫この政策を続ける訳にはいかないので、いずれは巻き戻し(引き締め方向への転換)が必要になるだろう。それが僅かな政策転換の動きであっても、世界同時に起これば、タイミングによっては、資産価値の破壊・企業収益の急落→金融機関の財務の健全性悪化→信用の収縮→企業の破綻・失業者の増加→大不況となる恐れがあると思う。つまり日本のバブル崩壊と同じようなことが、今後世界規模で起きる恐れがないとは言えないと思う。</p><p>　さて、ガブリエルは、史上最大の金融危機は、「グレート・リセット」となるだろうと言う。この「グレート・リセット」というのは、「政治、金融、経済など社会全体を構成するさまざまなシステムをいったんすべてリセットする」という意味で、2021年度のダボス会議のテーマにもなっているそうだ。そして、この動きの中で、アフリカ、アジアの人々を搾取し自然環境を破壊して甚大な被害を及ぼしているグローバリゼーション又はネオリベラリズムは終焉の時を迎えるとガブリエルは言う。</p><p>　そして、ガブリエルは、われわれはグローバリゼーションに代わって、倫理的価値と経済的価値とが同一であるような新しい経済システムを構築しなければならないと言う。ここで「倫理」というのは、「文化圏によって異なることのない普遍的な価値」という意味である。因みに、この「普遍的な価値」というのが、正に新実在論の真骨頂なのだと思う。つまり、それぞれの国、地域で正義が異なるという今の状況は、ポストモダン(相関主義)である、と読むべきなのだろう。。</p><p>&nbsp;</p><p>　第２章の内容は多岐に亘るが、まずガブリエルは、トランプの大統領就任とほぼ同時期から、世界中で「分極化」が起きていると指摘する。その典型は人種差別で、一部のムスリムがテロを起こしたために、ムスリム全てがテロリストであるような誤謬が世界中に蔓延している。また、どの国にも「コロナ・ナショナリズム」が見られるが、これも人種差別の一形態だとしている。</p><p>　このような人種差別が起こるのは、人間を個性を持った個々人と捉えずに、民族、宗教などに基づきステレオタイプで捉えるからだと言う。また、(人種差別ではないが、)アメリカ民主党などを例に挙げ、アイデンティティ・ポリティクス(社会的不公正の犠牲になっているジェンダー、人種、民族、性的指向、障害などの特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁して行う政治活動)もまたステレオタイプ思考だと批判している。ステレオタイプ思考は「倫理的に間違った考え」と言っているが、この倫理と言うのは、上述の「普遍的な価値」のことである。</p><p>　さて、国と国との関係で最も深刻なものの一つは、中国の覇権と米中のせめぎ合いで、各国はその影響を受けざるを得ない状況となっているが、ガブリエルは、中国に対峙する正しい方法は、中国と対話をしパートナーとして受け入れることだと言う。対話をしなければ、中国はより攻撃的になり、どこまで覇権を広げるか分からない。中国を敵視せず人類のコミュニティの一員として接することが必要と言うのである。</p><p>　中国についての発言は、ガブリエルは哲学者なので、グランドセオリー、あるべき姿、「原則」を述べているという面があると思われる。しかし、現実を無視している訳ではなく、日本の防衛力強化の必要性にも触れている。</p><p>　因みに、この中国との対話については、第４章で再び言及がある。ここで述べられているのは、先進諸国の消費は、中国の工員の悲惨(過酷な労働、低賃金)で賄われている。つまり、われわれ先進諸国の市民の生活は、中国の共産党独裁体制に支えられている。先進諸国は、中国に対して口では「民主化すべきだ」と言ってはいるが、もし中国が本当に民主化したら、消費材を十分に(安価に)手に入れられなくなるので、先進諸国にとってそれは困るというパラドックスがある。だから、先進諸国は中国とは対話しようとしないのだと指摘している。倫理的であろうとすれば、特定の国の人々が収容所のような生活を強いられることは決して許されることではない。世界は、搾取に基づく経済ではなく、「倫理資本主義」(倫理的価値と経済的価値とが同一であるような新しい経済システム)を構築するべきというのが結論である。</p><p>&nbsp;</p><p>　第３章以下は簡記するが、第３章では、SNSの問題や日本人のコミュニケーション等について論じている。第４章は、「倫理資本主義」(上述)について述べている。また、アメリカに代って「倫理的な」EUが世界をリードするようになるだろうという自負が語られている。第５章は、「実存主義」、「神」、「思考」、「理由律」など哲学の概念について触れられているが、いずれも最初の「つかみ」だけなので内容の説明は難しい。</p><p>　全編を通じて語られているのは「倫理」である。この「倫理」という概念は抽象的なものではなくて、具体的な内容を伴うものだ。例えば、ロックダウンのような一見独裁的な政治手法も、国民の命を守るための手段であるから倫理的である。しかし、ロックダウンが経済活動や国民生活を著しく疲弊させるようなやり方で行われるのは倫理的でない、というように。</p><p>　「倫理」について、一つだけ敷衍すれば、ガブリエルの「倫理」は、ポストモダン(ポスト構造主義などの)では、相関主義故に、善悪はそれぞれの主体にとっての善悪であり、万人に共通する善悪というものがない、ということに対するアンチテーゼと考えるべきではないかと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>　さて、本書を読んでいて僕が一番感じるのは、ガブリエルという人の潔癖さ厳格さである。本書ではハイデガー批判が繰り返されている(ガブリエルの他の著書でも同様である)が、そういうところにも、潔癖さ厳格さを感じる。これは、哲学者なので当たり前のことなのかも知れない。気が向けば、右でも左でも自由自在に言うことを変える節操のない僕みたいなサラリーマンとは違う。</p><p>　もう一つ感じるのは、現実の社会、政治、経済に対する関心の高さと、それに対する積極的な発言である。発言だけでなく、様々の実践にも参加しているようである。この所は、昔、J.Pサルトルというフランスの哲学者がいたが、その人に似ているようにも思える。当時、そういう姿勢は「アンガジュマン」とか「アンガジェ」とか言われて、流行っていたような覚えがあるが…。　</p><p>　本書は、「実在論」に関心がなくても、普通に読み物として読めると思う。お勧めです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210511/16/bonyan550817/d5/73/j/o1024136514940368135.jpg"><img alt="image" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210511/16/bonyan550817/d5/73/j/o1024136514940368135.jpg" width="420"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/bonyan550817/entry-12673692370.html</link>
<pubDate>Mon, 10 May 2021 17:30:45 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
