<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>名学術書100選委員会のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/book100sen/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/book100sen/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>何でもない僕らの、何にでもなれる可能性――リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』評</title>
<description>
<![CDATA[ <font size="3"><font size="4">1.はじめに<br></font>　本書評において評者は『利己的な遺伝子』を、主に「人生の目的」というテーマから考察しポジティブに読解することを目指したい。そこから発展し、人間理性や著者独自の「ミーム」という概念についても論じていく。ここで簡単に結論を示唆しておくと、われわれ人類は遺伝子の目的とは裏腹に、自己実現の可能性を有しているということになる。<br><font size="4"><br>2.人生の目的と遺伝子の目的</font><br>　冒頭から突然、個人的な話で恐縮ですが、昔について少し語りたいと思います。<br>　僕はご多分に漏れず、中学時代の後半から高校時代の前半にかけて、ひとつの問いに直面しました。それは端的に言えば、生きる意味ってなんだ、というものです。著者であるリチャード・ドーキンスは単純かつ明快に答えます。あらゆる生存者にとっての最小構成単位である遺伝子が志向する唯一の目的とは、自己複製すなわち子孫を残すという形で自らのコピーを増やすことである、と。非常に矮小化して誤解を招くことを恐れずにいいかえると、人生の目的はセックスであるという衝撃的な主張です。本書を読み、少なからぬ一部の読者は著者に対して「冷酷に過ぎる」と批判したそうです。たしかに、大いなる人生の目的を構想したり、キリスト教を信奉するような人々にとっては、著者の結論は受け入れ難いことでしょう。しかし、このような多数の読者が抱いた感想とは反対に、僕はある種の救いを本書から得ることができました。<br>　ある日を境に僕は、人生の目的や意義を云々することに疲れてしまったのです。これ以上考えたくないけれど、なぜだか考えてしまうその問い。それに対して著者は、極めてシンプルに「人生の意味なんてものはないんだよ」と答えてくれた。<br><br><font size="4">3.「何でもないから何でもなれる」<br></font>　あらゆる生存者にとって本来的には、生物学的な自己複製の作用しか存在しない、という力強い主張には、ある種の開き直りを感じます。つまり、「何でもないから何でもなれる」ということです。これは、僕の尊敬する先輩がキャラの一定しない自分を評した言葉ですが、著者の主張からはこの言葉が持つポジティブさに通じるものを見出だすことができるのです。<br>　人生の意義なんて大きな問題を抱えるのはやめにして「何でもない自分」を「何かである自分」へといかにして変えていくかを考えてみるほうが——悩み続けるより——よっぽど建設的だと今の僕なら考えます。僕らは「何でもない自分」という前提を引き受けてこそ「何か」でいられる。「何でもない自分」を否定するのではなく、それを認めることで初めて見えてくるものがあるはずです。<br><br><font size="4">4.人類固有の自己複製子――ミームとは<br></font>　本書の内容に立ち返ると、そもそも自己複製が目的であるならば人生の目的に悩むこの行為は遺伝子、ひいては生存者にとって無意味なはずです。じっさい、猫などの動物はこういった悩みを持たないでしょう。しかし著者は、独自のユニークな概念でもってこれに答えます。<br>　著者は、人類に固有の性質として「ミーム」という概念を創出します。これは、文化現象一般をして自己複製子たる遺伝子(ジーン)とのアナロジーとして捉えた造語です。つまり、自己複製する文化です。本文中には、神の概念がさまざまな文化(文字媒体すなわち聖書や舞踊等)と結び付いてコピーされ、後生へと伝わっていくさまが例として挙げられています。<br>　このミームの働きは、ジーンの働きであるさまざまな細胞と結びつき、それを自己複製のために利用することと同様です。　要するに、遺伝子――すなわち、生けるすべての生物種――にとって本来的な目的である「自己複製」に対しては余剰でしかない「人生の意義」という問いは、ミームの働きによって生じているのだ、と結論できます。<br>同時に、冷徹漢として誤解される著者は、実はロマンチックなことも言っています。それは、われわれ人類は理性でもってただ自己複製のみを志向する「利己的な遺伝子」に対抗し、主体的に生を営むことができるという趣旨の言葉です。僕が思うに、ここで言う「理性」とはミームによって生じている働きなのです。この意見は本文中では示唆されている程度に過ぎませんが、本書の論旨にしたがえば以上のように結論づけて差し支えないでしょう。<br><br><font size="4">5.最後に――僕らの持つ可能性<br></font>　まとめに入りたいと思います。「何でもない」僕らにはミームという、これまでに人類が紡いできたとてつもない長さの歴史があります。ここには、古今東西の哲学者が取り組んできた、人生とは何か、あるいは理性とは何か、といった思索とそれに対するそれぞれの解答が含まれています。もちろん、ミームを人文学的な知へと矮小化するつもりはありませんが、これらは僕らが「何でもない自分」から「何ものかであるもの」への変化を目指す上で非常なる助けとなるでしょう。<br>　もう一度、先の先輩の言葉を引いておきます。「何でもないから何でもなれる」——この自由と主体性が僕らには備わっている。このことを本書は気付かせてくれるのです。<br></font>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/book100sen/entry-10703131863.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Nov 2010 19:59:47 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
