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<title>アラフォー留学記</title>
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<description>生きている限りtoo lateはない。３０代後半からの社会人留学体験記</description>
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<title>グリーンカード取得、その後</title>
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<![CDATA[ 半年以上更新しておりませんでした∑(ﾟДﾟ)<br><br>グリーンカードの面接のところまでで話が止まってましたけど昨年末に無事にグリーンカードを取得しました。<br><br>弁護士通して手続きしたので、トータルコストは50万くらいかかりましたT_T<br>でも自分の英語力で申請できる自信もなく、夫に丸投げするのも申し訳なさすぎる量の書類だし、合法だけど留学で入国しといて結婚したから、本当に念のため…弁護士を通しました。<br><br>結果的に全く問題なくスムーズに取得できました。<br><br>面接は何だか楽しかったしｗ<br><br>でも、夫とは色々話し合って、日本に住もうと言う結論になりました。<br><br>私には住めないこの国。<br><br>50万…もったいなかったな〜＿|￣|○<br><br>書いてなかったんですが、就労許可証を得た後、少し働いてました。<br>日本人オーナーさんのレストランでアルバイト。<br><br>私の英語力で出来る仕事はそのくらいかな？と。<br><br>日本人のオーナーさんだから、ウェイトレスとしての仕事以外の点で、私のことを色々評価してくださり、将来的に光栄なお話をいただいたり、大変ありがたい環境ではあったのですが<br><br>でも、結局、ヘルニア抱えての立ち仕事は無理で(1日3時間の勤務ですら終わる頃には歩けず)、たった週2回の勤務に変えても脚の痺れが取れず退職しました。<br><br>あとは、贅沢言える立場ではないのは重々承知ですが、やはり美容関係の仕事に従事して来た身…ネイルが出来ないのが何だか気落ちしてしまい、将来的にずっとこの仕事では、ずっとネイルが出来ないのもネックに思ったのもありました。<br><br>でもやはりヘルニアが1番の理由。<br><br>helloとnice to meet youしか言えなかった私が、1年、日本語の話せないアメリカ人と暮らしながら語学留学して思ったのは<br><br>1年語学学校行って、英語でアメリカで生活していても、働けるレベルの英語力には達しないのが現実。<br><br>子供の頃から英語を勉強してきて、語学学校からカレッジ、大学と進学して行く人達とは全然違うんだなって思った。<br><br>でも、この歳でカレッジ行って大学…行くお金もない。<br><br>人生やり直せるなら、日本で無駄にしてきた、たくさんの学費を留学に費やしたいｗ<br><br>まあ、やり直せないので、今の私の現実<br><br>レストランでバイトくらいは出来る。<br><br>でも、他の従業員との意思疎通は非常に難しい。<br>これがアメリカ生活の現実か…と思った。<br><br>きちんと働いて、自立出来るレベルまで英語を勉強しようと思ったけど、ゴールが全然見えない。<br><br>専業主婦なんて概念がないアメリカだから、旦那の収入だけでは暮らせないと言うのは通らない。<br><br>暮らせないのは私が働けないからだ。<br><br>レストランで働いてみて、腰が痛い、脚が痺れて歩けない…どこ行けば良いの in the US?となった時、<br><br>接骨院とかないし、カイロプラクティック…調べたら高過ぎる＿|￣|○<br><br>働けないのに必要なお金は高い。<br><br>バイトもまともに出来ない私、アメリカでどうやって生きて行こうかな〜なんて思っていた時、夫の会社が加入している健康保健の更新時期がやって来ました。<br><br>アメリカには国保がないので、民間の保険会社です。<br><br>だから、個々の会社の俺ルール。<br><br>結婚しました、夫の扶養家族として保険に加入したいですと申告しても、民間会社の俺ルールで更新の時にしか入れないよ…とか普通にあります。←そもそも専業主婦って価値観自体アメリカにないしな。<br><br>なので、結婚してから、いつ来るのか分からない、旦那の加入している保険の更新時期まで9ヶ月無保険で過ごしました。<br><br>いや、今も無保険なんすけど。<br><br>やっと更新時期ｷﾀ━(ﾟ∀ﾟ)━!!<br><br>と思って、旦那と書類に目を通しました…<br><br>まず、加入するのに入会金のようなコストが15万(　ﾟдﾟ)pardon?<br><br>で、毎月の保険料が約7万(　ﾟдﾟ)pardon?<br><br>年間、無職の私の健康保険料が100万近く(つд⊂)ｺﾞｼｺﾞｼ... (　ﾟдﾟ)pardon?<br><br>(つд⊂)ｺﾞｼｺﾞｼ しかも歯科と眼科別(　ﾟдﾟ)pardon?<br><br>その金額払うくらいならビジネスクラスで帰るけど(　ﾟдﾟ)?<br><br>この、年間90万の保険には無条件で確実に入れます。<br>ちなみに夫は無料。<br><br>他の保険を探すとなると…既往歴があり、毎日、一生薬を飲まなければいけない私の入れる保険を探さなければなりません。<br><br>多分、オバマケアは加入できるけど、オバマケアも何かよくわからない。<br>英語力なさ過ぎて、ともかく全然分からない。<br><br>そしてオバマケアも日本の保険基準に考えていると、まともな収入の得られない私にとっちゃ全く手頃ではない。<br><br>日常会話、レストランで働く程度の英語力はあるけど、保険調べるほどの英語力はない＿|￣|○<br><br>そして夫は、物心ついてから病院に行ったことない…と言うくらいの健康な人で、会社で無料で入ってる保険も使ったことがないし、どこまでカバーされるか全然分からないレベル。<br><br>逆の立場なら私、めっちゃ調べるけど…夫はアメリカは保険は最悪だから既往歴があると入れないか保険料が高過ぎるかしかないと譲らず、特に調べたりはしてないｗ<br><br>何でやってくれないの！とか言う不満は絶対言わないことにしているので、自分で出来る範囲調べたけど、まあ多分、旦那の言う通りだな。<br><br>アメリカの(テキサスの)保険は日本とは全然違うので、保険に加入できたところで、日本のように自分で選んで病院に行けるわけではない(契約している保険が使える病院と使えない病院がある)し、なんかもう100万近く払っても色々どうなんだろうと思って、どんどん鬱に。<br><br>私、持病あるけど病院行って保険でカバーされるのかわからない…<br><br>そんなことより、100万近く払うなら、日本帰って10割負担で病院行く方がまだ安くないかい？<br><br>夫は、こんな高いなら保険に入らず日本に年2回帰って病院行くとかにしよう…と言って来たのだけど<br><br>それはさ、100万ゆとりがあって、保険に支払うか日本に年2回帰るかと言う選択ならばの話。<br><br>今、私の日本の家族がサポートしてくれているからアメリカで生活できているけれど、それはもちろん永遠ではない。<br><br>私の貯蓄も限りがあり、働いても増えはしなかったし。<br><br>こっちでまともな収入、保険に余裕で入れるほどの収入を得られるだけの英語力が私にはなく、保険に100万払えても、医療のシステム自体にも問題がある、そもそも世界一薬が高いと言われている国で、一生薬飲まなきゃ生きていけない私には、今後この国で生きて行く自信が全く持てなかった。<br><br>甲状腺機能低下症に加え、ヘルニア、そして目が悪くて目の問題も多々。<br><br>私は夫のように病院に行かずに生きて行ける自信は全くない。<br><br>あと、癌家系なのに検査行けないとかも怖すぎる。<br><br>そして、この国は年金も、働いてない人は加入が出来ないらしい。<br><br>※自分なりに調べた結果なので、完璧なバイリンガルの人が英語できっちり調べたら、また全然違う情報が得られるのかもしれないですが…あくまでも英語レベル低い私が日本語で緩く調べた情報です。<br><br>たまに夜中にスーパーに買い物行くと、歯の抜けたお婆さんがレジとかやってるんですが…<br><br>こっちで歯医者行ったことあるけど、保険なしで虫歯1本7万円近くかかった。<br>神経に達していた場合は30万。<br><br>お金がなきゃ、歯は抜けるまで何も出来ないんだな〜<br><br>年金も、大して頼れないとは聞くけど、こんなにヨボヨボになっても働かないとなのか〜<br><br>この、歯の抜けたレジのお婆さん達を見ると、アメリカで生活する自分の行く末を見ているようだ…<br><br>いや、私…スーパーで働けるほどの英語力もないから雇って貰えないか…<br><br>となり、どんどん鬱に…<br><br>ただ、好きになった人と結婚して一生一緒に過ごしたいと思うだけなのに、アメリカって全然良い国じゃない…と、貧乏人は思います。<br><br>格差社会なので、お金があるとまた全然違うと思うけどね。<br><br>私は、ネイビーでも、大手企業に勤める人でもなく、普通の…本当にごくごく普通のアメリカ人と結婚したので、貧困層よりちょい上…くらいの生活水準です。<br><br>そんな私からしたら、自由の国って、どの辺が？(　ﾟдﾟ)pardon?ですよｗ<br><br>保険加入せず、ちょっと治安の悪い安いアパートにでも住めば、夫の収入だけで生活できなくはないけど<br><br>治安の悪い所に住んでいた時の眠れない生活を思うと無理ｗ<br><br>本当に色々考えて、話し合って、日本で暮らそう…と、なりました。<br><br>暗いと不平を言うよりも、すすんで灯をつけましょう…の、精神の私<br><br>だから最悪は私が養う覚悟で移住を決めましたｗ<br><br>私の学歴や職歴じゃ、日本でも、そんなに大した収入得られないけど<br><br>それでも、病院に行くのに色んな覚悟が必要なこの国で怯えて生きるよりは、色々マシかな…と。<br><br>夫も学歴がないので、日本で仕事を見つけるのは難しい。<br><br>でも、それならそれで良い。<br><br>性格的に英語の先生とか向いてないって自分でも言ってるし、私も育った国ではない環境で、やりたくない仕事をするストレスはよくわかっているから、私都合での移住だし、最悪は私が頑張る。<br><br>夫に対して家でずっとゲームしていても良いよって思ってる。<br><br>それに退屈しない人だしｗ<br><br>私はそれがダメで…どこかに行きたいのに1人で行けない今の環境も、ちょっと鬱になりやすい。<br><br>今の生活が日本で逆転した場合<br><br>例え夫に収入がなく、私の安月給で2人頑張ることになっても2人とも保険の心配はなし。<br><br>夫は仕事見つからず、家にずっといることになっても退屈しないし、よく寝るし(笑)<br><br>私の睡眠時間、4.5時間、夫の睡眠時間10時間以上…だから、1日が長い方に合わせて生活する方が良いと言う気持ちもある。<br><br>こちらで夫の親から金銭的に助けて貰えることは120%ないけど、日本では私の家族は助けてくれる。<br><br>うちの親からも「日本で暮らした方が良い。ちゃんとサポートするから」と言ってもらえている。<br><br>最初から甘える気ではないけどｗ<br><br>食事も、ちょっと具合悪い…手抜きしたい時に食べる物が、こちらにはないけど、実家に頼れるようになったら大分ラク。<br><br>夫の好物のメキシカンは私が作れるから問題ない。<br><br>夫は今、健康とは言え…先のことはわからないから、万が一、夫が病気になった時、アメリカにいたら私は病院にも連れて行けないし医療費も払えないけど、日本でなら何とか出来る。<br><br>2人で長く一緒の時間を生きたいから、日本で暮らすことにしました。<br><br>アメリカ生活、「日本にいたら救急車呼んでる…」と言う具合悪い状況もあったけど、無保険だからひたすら痛みに耐えて過ごしたり…その間「私、死なないよね？この判断で一生を後悔しないよね？」と何度怖い思いをしたことか。<br><br>これがアメリカで生活をする、貧乏な日本人の現実です。<br><br>いや、貯蓄しっかりあるけど私。<br><br>ただ…使わないで済むなら使いたくないからケチってるだけ。<br><br>貯蓄だし。<br>収入がたくさんあって、今後も増えて行くお金じゃないからね。<br><br>日本で具合悪くて病院行っても、何千円かで済む価値観で生きて来てるから、urgent care行って初診料2万、検査料さらにプラス…薬代また何万…を払うのが「仕方ない！」とは割り切れない。<br><br>痛い時、具合悪い時、ずっと祈りながら耐えてる。<br><br>そんな生活、一生なんて無理だから<br><br>蝉は嫌だけど日本で暮らします。<br><br>予定では来年の夏頃。<br><br>どんな未来が待っているのかな。
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<link>https://ameblo.jp/bootleg1102/entry-12296381434.html</link>
<pubDate>Thu, 27 Jul 2017 19:46:43 +0900</pubDate>
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<title>日本語の美しさと難しさ</title>
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<![CDATA[ <p>久しぶりのブログです。</p><p>相変わらずテキサスにおりますし、相変わらずアメリカを好きになれない日々を送っています。</p><p>&nbsp;</p><p>今朝、日本時間では２４日になったころ。</p><p>私は小田和正のクリスマスの約束をリアルタイムで観ていました。</p><p>&nbsp;</p><p>人生で初めて自分で買ったCDは小田和正のラブストーリーは突然に。</p><p>ずっと小田さんのファンで日本ではコンサートにも行きました。</p><p>&nbsp;</p><p>メッセージ性の強い小田さんの歌には、いつも心を揺さぶられます。</p><p>&nbsp;</p><p>クリスマスの約束で歌われた「たしかなこと」。</p><p>今まで何も考えずに聴いていたお気に入りの曲は、改めて歌詞を見た時に、旦那の心を歌っているように思えて涙が止まりませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>それを旦那に伝えたいのに、彼は日本語じゃ解らない。</p><p>いっそ英訳してみようと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、語彙力の乏しい私には、小田さんの選ぶ素敵な言葉をうまく英語に訳すことはできません。</p><p>&nbsp;</p><p>私なりに解釈しながら、私なりに英訳を試みたところ、かなりの意訳となりました。</p><p>&nbsp;</p><p>たとえば一番ポピュラーなフレーズ</p><p>&nbsp;</p><p>「忘れないで　どんな時も」</p><p>&nbsp;</p><p>これを、そのまま”don't forget”では、なんだかリマインダーのように思えてしまって違う気がしました。</p><p>&nbsp;</p><p>これを英訳するために和文和訳をするならば「ずっと覚えていて」とか「信じていて」みたいな感じなのじゃないかな？と考えました。</p><p>&nbsp;</p><p>「哀しみは絶えないから　小さな幸せに気付かないんだろう」</p><p>&nbsp;</p><p>これも「人は悲しいことばかり気にしてしまうから　小さな幸せに気付けない」という言いかえをしてみたり。</p><p>&nbsp;</p><p>「もう二度とここへは戻れない」も、私たちにあてはめるならば「時間を戻すことはできない（今はこの道を選ぶしかない）」でも、それを哀しいと思わないで・・・みたいな感じかなと。</p><p>&nbsp;</p><p>「君は空を見ているか　風の音を聞いているか」</p><p>これも、直訳してしまうと現在進行形。</p><p>でも、空が見える？下ばかり見ないで顔をあげられる？そんなニュアンスで訳したいと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>「せつない時　一人でいないで　遠く　遠く離れていかないで」</p><p>これが、ついおとといのことを思い出させました。</p><p>昨日はグリーンカードの面接で、私はアメリカでは生きて行ける自信はなく、アメリカの生活が、こんなにもつらいのに、サポートしてくれる自分の親に多大な迷惑をかけながら、アメリカで永住する権利を取得しようとしている、その矛盾と罪悪感で面接前夜に心が壊れました。</p><p>&nbsp;</p><p>精神崩壊した状態で母親に電話して、喋ることができないくらい泣きながら部屋から出ていく私・・・、旦那の心配そうな気持ちを背中で感じた。</p><p>&nbsp;</p><p>電話して落ち着いた後も、心と頭は別だから、顔は笑顔でも涙だけは止まらず、だから旦那はずっとdaijobu? your mom daijobu? ashita daijobu?って心配そうにしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>アメリカ生活は、鬱になっては少し前向いて、そして鬱になっての繰り返し。</p><p>何も手に就かず泣いてばかりで時間は過ぎていく。</p><p>それを旦那は、ただ優しく受け入れて、嫌な顔一つせず、日々、一生懸命に私の気持ちを理解しようと努めてくれるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>本当に素敵な人と結婚したなと心から思い、そして「たしかなこと」を聴いて歌詞を見て、きっとこの人はこういう気持ちで私といてくれるんだろうなと感じたのでした。</p><p>&nbsp;</p><p>著作権等を考慮して日本語詞は載せませんので、気になるかたはこちら</p><p>↓</p><p><a href="http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=B09576"><font color="#454545">http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=B09576</font></a></p><p>&nbsp;</p><p>YouTubeにも小田さんの音源はなかったので、こちらも私が大好きな絢香さんのを貼っておきます。</p><p><a href="https://youtu.be/A7NW5i2IO_E"><font color="#454545">https://youtu.be/A7NW5i2IO_E</font></a></p><p>いつもなら、自分の英文は旦那のチェック入れてから投稿するのですが、今日はpoorなまま貼りますので、細かい文法間違い等はご容赦ください（特に前置詞と冠詞）。</p><p>極端に意訳したところは（）で日本語を追記しています。</p><p>&nbsp;</p><p>TASHIKANAKOTO/ Kazumasa Oda</p><p>&nbsp;</p><p>I was looking up at the sky after the rain in the middle of crowd</p><p>People can't notice a small happiness because we always focus on sad things</p><p>&nbsp;</p><p>I wonder if I can keep loving and surely protecting you forever</p><p>I looked up at the sky and thought what I can do for you now</p><p>&nbsp;</p><p>Just trust me<br>I'll definitely be with you forever</p><p>&nbsp;</p><p>We are living at the same time&nbsp;here and feeling the same wind because of it</p><p>&nbsp;</p><p>Please take care of yourself&nbsp;as if you were thinking gently of someone</p><p>Please don't be alone and don't&nbsp;go far away when you have hard times</p><p>&nbsp;</p><p>We should believe in a bright future and shouldn't have doubt even if you feel&nbsp;your sadness will never end</p><p>(たとえ悲しい気持ちが終わらないように思えても　明るい未来を信じるべきだし疑うべきではないよ）</p><p>&nbsp;</p><p>Let's look for our happiness together because we can definitely&nbsp;find it someday</p><p>（幸せを一緒に探そう　二人ならいつか必ず見つけられるから）</p><p>&nbsp;</p><p>The most important thing is not special one</p><p>Being together in ordinary life may be happiness&nbsp;</p><p>（ありふれた日常の中で一緒にいることが きっと幸せなんだよ）</p><p>&nbsp;</p><p>I have something that I haven't yet let you know</p><p>I've always loved you since the day I met you</p><p>&nbsp;</p><p>Can you see the sky?<br>Can you listen to the voice of the wind?</p><p>&nbsp;</p><p>We can't turn the clock back, but please don't be&nbsp;sad</p><p>&nbsp;</p><p>The most important thing is not special one</p><p>Being together in ordinary life may be happiness&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>Just trust me<br>I'll definitely be with you forever</p><p>&nbsp;</p><p>We are living at the same time&nbsp;here and feeling the same wind because of it</p><p>I promise I'll definitely be with you forever&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bootleg1102/entry-12231542169.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Dec 2016 16:51:12 +0900</pubDate>
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<title>マスタード嫌いなんだよ(  ﾟДﾟ)ｺﾞﾙｧ !</title>
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<![CDATA[ マスタードが嫌いです。<br><br>だから ハンバーガーを注文する時にNo mustardと言います。<br>で、Add ketchup and mayoと言います。<br><br>日本のファストフードとアメリカのファストフードとの違いは、抜くだけでなく変更ができるところ。<br><br>私は日本のマックで長々バイトしていたけれど、マスタード抜いてマヨネーズ入れてくださいと言われたら、マスタードを抜くことは出来ても、元々入ってないマヨネーズを入れる注文は承ることができませんでした。<br><br>アメリカのファストフードでハンバーガー頼むと、50%くらいは味付けがマスタードのみです。<br><br>なぜ？💧<br><br>でも私はマスタードが嫌いなので、マスタード入れないで欲しい旨伝えます。<br><br>で、ケチャップとマヨネーズ入れてくださいと言うわけです。<br><br>店員は大抵Alright!!!と言うのですが、必ずマスターギトギトのハンバーガーが来ます💧<br><br>若しくは注文と全く違うもの。←POSの違うボタン押して、間違った注文になると思われる。<br><br>日本人の正確さ…の素晴らしさを実感します。<br><br>まあ、大抵1回目はマスタードギトギトのハンバーガーが来るので、マスタード抜いて欲しいって注文したんだけど…と言いにいき、ついでに「私はマスタードが嫌いなの」と言う情報まで付け加えます。<br><br>店員は、そうだそうだ！とばかりに謝り、作り直して来ます。<br><br>そして作り直して持ってきたハンバーガーの包みを開けてみると、肉とケチャップとマヨネーズだけのハンバーガーに変わってます。<br><br>野菜は(　ﾟдﾟ)？<br><br>ソースの話しとんねん！<br><br>マスタードが嫌いなの…とまで伝えているのだから、嫌いな物だけ、マスタードだけを抜いて欲しいって想像出来ないのか？が、日本人の私には不思議でたまらないのです。<br><br>マスタード抜きで味なしハンバーガーになるのが嫌だからケチャップとマヨネーズで味付けして欲しいんだけど、どうしてマスタード抜きでケチャップとマヨネーズ入れてって注文で、野菜全部抜きになるのかがホントにわからない(　ﾟдﾟ)<br><br>私はマスタードについて話を振られたら、頭の中で味付け、ソースの話だとカテゴリー分けますけど、アメリカではハンバーガーに入ってる物全てと言うカテゴリーなの？<br><br>なら何で肉は入ってくるの？<br><br>ホントにどういう原理でこれが起きるのか分からない(　ﾟдﾟ)<br><br>これがですね、私の英語力の問題ではなく<br><br>旦那が代わりに注文しても、毎度毎度このroutineなのですよ。<br><br>まず最初に注文と全く違うものが来るか、マスタードギトギトのハンバーガーが来る。<br><br>で、違うって言いに行くと「あぁ！そうだったそうだった！ホントにすみません、すぐ作り直します」って言って、ケチャップとマヨネーズと肉だけのハンバーガーが来る。<br><br>私は食べたいハンバーガーを食べるまでに1時間近くかかるので、ファストフードは私にとっては全くファストではない。<br><br>旦那に、何でマスタード抜いてケチャップとマヨネーズと言う注文で野菜全部抜きになるのか理解できないんだけどというと<br><br>旦那も分からないと💧<br><br>結局、ハンバーガーは食べるなってことだ、多分。<br><br>自炊ですね、やはり。<br>
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<pubDate>Fri, 22 Jul 2016 09:17:58 +0900</pubDate>
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<title>母恋し</title>
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<![CDATA[ 吐き出し吐き出し<br><br>日本に帰りたいな～と、漠然と考えている日々。<br><br>今の季節は天敵がいるから帰れなくても、それはそれで…なんですが<br><br>前回、日本に帰ってからまだ半年ちょいしか経ってないので本来ならホームシックになんかならないのだけど<br><br>なんと言うか、「いつでも帰れる」状況なら何てことはないのが「いつ帰れるのかわからない」だと落ち着かないものです。<br><br>※現在グリーンカード申請中で取得するまでアメリカ国外に出られない。<br><br>今日は何とも現実っぽい夢を見ました。<br><br>いつもの如く、母と電話していて<br><br>「私は帰れないけど、お母さん来てくれたら助かるのに」<br><br>と言ったら翌日来てくれると言う内容でした(笑)<br><br>さすがに翌日はないにしても、海外慣れしている母だから、数年前なら「じゃあ、ちょっと…」と、二つ返事で来てくれただろうと思うのです。<br><br>私の母はスーパーお母さん。<br><br>16歳で軽自動車の免許が取れた時代に教習所に通わずに一発合格で免許を取得し、ずっと無事故な強者。<br><br>免許なし、地図は回しちゃって読めない父とは裏腹、一度通った道は忘れない男脳。<br><br>空間判断能力を見ていると、母の脳は男脳だろうと毎度思う。<br><br>地図、回さないしｗ<br><br>子供の頃は北海道から本州最南端まで、母の運転で色々な所に家族旅行行きました。<br><br>父が単身赴任中は「帰って来るって言うから、ちょっと迎えに行ってくる」と大阪まで1人車で迎えに行ったり、兄が独身時代も地方の赴任先まで「ちょっと行ってくる」と1人で出掛けて行ってました。<br><br>頭脳明晰…高学歴で、その時代の人としてはすごいと思う。<br><br>「私は容姿には恵まれなかったけど、誰にも負けない頭がある」<br>と自信持って言う。<br><br>還暦過ぎても高校数学教えていたし。<br><br>私より英単語知っていて発音も良し。<br><br>教科書のような綺麗な字を書き、絵もとても上手い。<br><br>好きじゃない…と言いながらも、縫い物も完璧。<br><br>日曜大工もこなす。<br><br>若い頃は運動神経も抜群だった。<br>今はもう歳だけど、でもまだバレーボールやっている(笑)←半世紀以上ｗ<br><br>海外旅行も一体何ヶ国行っているのか？ってくらい父と二人で旅行しているので、とても慣れていて(母が全部手配して、母が父を連れて行っているようなものｗ)<br><br>きっと数年前なら「じゃあ、ちょっと」とダラスまで来てくれたんじゃないかなと思う。<br><br>数年前なら…というのは、今は父がアルツハイマーで1人には出来ない状況だから。<br><br>母は8年前に大腸癌(これは本当にヤバい状態で見つかったので全快は奇跡)、3年前に肺癌で入院、手術をしているのですが<br><br>8年前の入院、手術の時は父を1人にしておけたのが、3年前の入院、手術の時は父が1人で何も出来ないことで「やはりおかしい」となったのでした。<br><br>その前から、おそらくアルツハイマーじゃないか？と疑問を持っていた母と私は、母の入院期間に確信を得て、物忘れ外来へ。<br><br>予想通り、アルツハイマーとの診断でした。<br><br>アルツハイマーに関して考えることは、またいつかの機会に書きたいと思っています。<br><br>父方の祖母も同じ感じでしたので、遺伝的なことを考えなくもないのです。<br><br>私が国際恋愛を始めた時に、相手に日本語を学ぶことを求めずに自分が英語を勉強する決断をしたのも、この、身内にアルツハイマー患者がいることと関係しています。<br><br>なので、そのことは、いずれ書き起こしたいと思っています。<br><br>話は戻り<br><br>渡米するまで、パラサイトシングルで35年間実家暮らしで、何でもお母さんお母さんで来た私にとって、海外暮らしは、たまにものすごく母が恋しくなります。<br><br>母方は割と癌家系で、前述した通り、母は2度癌を患っており、二度の癌告知には「親との時間には期限があるのだな」と実感させられました。<br><br>離れて暮らすことは、母と過ごす時間が少なくなるとも思ってしまい、時にどうしようもない気持ちになります。<br><br>母方の祖父は40代で亡くなっているのもあり、時に不安になります。<br><br>旦那には「母離れ出来なさすぎる」と言われるのだけど<br><br>旦那のお母さんは、18歳で出産しているから、まだ50歳だし…<br><br>私の母は、もう67歳だし、2回癌やってるし、癌家系だから先のことが不安で一緒に過ごせる時間は大事にしたいのです。<br><br>だからグリーンカード取得後は、1人長期で帰る予定。<br><br>旦那は私と長く離れるのを嫌がるので、最初は2人で20日(旦那のバケーションの最大期間が20日)と言って譲らなかったけど、前回一緒に帰国した時に私の忙しさに目が回ったそうで、1人で帰るのをOKしてくれた(笑)<br><br>次の帰国は日本での挙式もあるので、1～2ヶ月は私1人で日本滞在で、後から旦那が合流して20日一緒に過ごして帰りは一緒に戻ろうと検討しています。<br><br>いつになるかは不明だけどｗ <br><br>でも、その後も、1人で長く帰るの理解して欲しいなって思います。<br><br>こんな私のこと、大好きでいてくれるのは本当に本当にありがたいんですけど(笑)<br><br>でも、やっぱり母との時間は永遠ではないから、たまには1人で日本に帰って母との時間を大事にしたいのです。<br><br>もう、それを説明できるだけの英語力もあるので、ちゃんと理解してもらって、年に一度は日本に長期で帰りたいと思っています。<br><br>と…先のこと考えても仕方ないのですが、早く日本に帰れる日の目処がたつと良いな。<br><br>テロ多発の影響で、今手続きが大分厳しくなっているそうです。<br><br>できることはないので、ひたすら前向きに待たないとですね。<br><br>あぁ…母恋しｗ<br><br>父に対しては26～27年前から終わらない反抗期なので、父とセットでならアメリカに来れると言われても、それはお断りな私なのでした(^_^;)
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<pubDate>Tue, 05 Jul 2016 05:00:33 +0900</pubDate>
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<title>引っ越し</title>
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<![CDATA[ ついに引っ越しが始まりました。<br><br>いや、何の告知もしてませんでしたけど(笑)<br><br>テキサスに来て2度目のお引越し。<br><br>1度目は、去年の3月。<br>私がテキサスに来て、旦那が1人で住んでいたアパートに1週間くらい居候した後、同じアパートの2人で暮らせる大きさの部屋に引っ越しました。<br><br>その時は、私の英語力が底辺以下で、引っ越し先の部屋が嫌だったのに何が嫌なのか上手く伝えることが出来ませんでした。<br><br>また、アメリカのアパートの探し方も、基準も分からないし、何が当たり前なのかもわからず…。<br>なので旦那の言う通りに、大丈夫だと良いなと念じつつ引っ越しました。<br><br>本当は間取りも、部屋が1階であることも、3階建ての棟なことも床の素材も嫌だったのだけど、言いたいことが英語で上手く言えず(´;ω;`)<br><br>イヤイヤながらも、住めば都になるのかな…と不安いっぱいで引っ越した。<br><br>イヤイヤ引っ越して来た部屋は、住んでも都になることはなく、嫌で嫌で仕方ないまま契約が切れるまで15ヶ月…ひたすら我慢して住みました。<br><br>斜め上の住人の傷害事件に始まり(夜にものすごい叫び声が聞こえて、何事かと思ったらカップルがケンカして男がパートナーの娘を刺したと言う(-_-)無事だったけれども)、犬の糞を始末しない飼い主も溢れており、玄関横の土になっているスペースに何も植えてなかったので、絶好のトイレスポットだったらしく、犬を飼ってもいない私たちが始末しなければ玄関開ければ臭いし、そこに集るハエが家にも入る。<br><br>窓の外はとても空気が悪く、換気扇もないのに窓は一切開けられない。<br><br>私達の上の部屋に引っ越して来た若者は重低音ガンガンで奇声を上げながらパーティ。<br><br>カラオケマシン買ったようで夜の12時からカラオケパーティー始めたり(-_-)<br>カラオケ屋に行けと思う。<br><br>騒音で眠れないのは旦那が夜勤の週末なので1人で我慢するしかない。<br>学校通っていた頃は気が狂いそうでした＿|￣|○<br><br>日本なら管理会社や大家さんに掛け合うのですが、アメリカは、少なくとも私の住んでる地域は？オフィスに報告しても何も解決しないそうで、当人同士が話し合うしかないと旦那に言われた。<br>旦那が話しに行くと言ってくれたけど、頭のおかしい人と話して刺されたりしたら嫌だし、引っ越しの時期をひたすら待ちました。<br><br>週末のパーティーに関しては、その頭のおかしい人の部屋に来る頭のおかしい客が窓1枚のところに立っている、石でも投げようものなら簡単に進入できると思うと、そんな部屋に夜中1人で過ごすのは本当に怖くて怖くて、住んでも住んでも居心地が良いと思うことはありませんでした。<br><br>結果的に、旦那が夜勤でいない週4日、私はきちんと眠ることが出来ずに、疲れた15ヶ月だったな。<br>夜中にゾクっとして目が覚めて眠れないことばかりだった。<br><br>旦那は同じアパート(の違うタイプの部屋)に何年も住んでいたそうで、そのアパートが気に入っていたのですが、私は何としても引っ越したくて、ともかく物件を探しまくりました。<br><br>確かに、引っ越してくる前の旦那が1人で住んでた部屋は窓も開けられたし、静かですごく良かったんですが…部屋を変えただけで、こんなに酷いとは😭<br><br>旦那は最初は全然乗り気ではなかった←引っ越しが大変だから。<br>でも私が週に4日も全然眠れないこと、何かあっても誰にも頼れないことを伝え、ようやく考えてくれました。<br><br>1年経てば英語のサイトでアパート探せるまでになりますね(笑)<br>今回の物件は私が見付けた所。<br>週4日、夜旦那がいない時に何かあったら誰かに頼れる環境に引っ越したくて、旦那の叔父さんの家から5分のところに引っ越しを決めました。<br><br>旦那の叔父…と言っても旦那のお母さんの10歳下の弟だから、じつは私と3歳しか変わらずｗ <br><br>私とも、とても良い友達なのです(^^)<br>そしてその彼の旦那さんが、とても頼りになる男らしい人なので、彼ら2人が5分で行ける所に住んでいてくれるのは私にとっては、とても心強い。<br><br><br>今の部屋に決める前に、旦那が見付けた物件も見に行ったけど、私は絶対嫌だった。<br><br>でも今回は嫌だと言う英語力もちゃんと身についておりｗ 全力で反対→旦那は渋々色々調べたところ、住人からの、ここだけはやめておけと書かれたレビューが大量に見つかり諦めてくれた！<br><br>ちょっと笑える話だけど、見に行った時に私は「すごく古い感じだし、ボロボロだから虫とか多そうで嫌だ」と思ったのに、旦那は「アンティークなデザインなんだよ！」と言っていた→実際はものすごく古かったｗ ほら！ｗ<br><br>そして私が見付けた物件に、空きが出て引っ越し決定ヾ(*´∀｀*)ﾉ゛<br><br>今回はテラスハウスです。<br><br>そして背面が森です(°ㅂ°)<br><br>プライバシーがっちり！<br>そして、キッチンに窓があります！<br>トイレや風呂場にも窓があります！<br>背面は森だから、誰も通らないし犬の糞もない！<br>窓開けて換気ができます。<br>窓の外、リスが顔出したりする平和さ(つД`)･ﾟ･ <br><br>そして、前の家は照明が少なくて、自分たちで別にライト置いても暗かったけど、新しいところは照明がきちんとあって明るい(´;ω;`)<br>トイレも1階と2階両方にあるから来客も安心(´;ω;`)<br>ガレージもあるから雹に怯えることもなし。<br><br>何より、住む家を小さくしたけど、家賃は少し上げて住民の質が良いところを選びました。<br><br>ともかく静か(´;ω;`)<br>アパートの敷地内ものどかで散歩できちゃう(´;ω;`)<br><br>もう全てが素晴らし過ぎて泣けてくるﾉT□T)ﾉ┫：.･┻:･'┣.:ｳﾜｧｧﾝ <br><br>引っ越しに疲れて作業途中で床で寝落ちたけど、床で寝ても久々に熟睡できたと思うほど、気持ちよく眠れたｗ<br><br>住んでみなきゃ分からないけれど、100%前のところより良いと思われます。<br><br>新しい生活が楽しみですｷｭ＝(*´∀`*)⇒ﾝ<br><br>旦那の通勤時間も5分くらいになり、何かあった時も気楽。<br><br>前の部屋は住んでも住んでも自分の家って感じがしなかったけど、今のところは引っ越し開始した日から自分の家！って感じがして落ち着きました。<br><br>住む環境って本当に大事だと思います。<br><br>浮かれてマリオのウォールステッカー買ったから、今はファミコンぽく部屋をデコるのが楽しみです！
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<link>https://ameblo.jp/bootleg1102/entry-12172125752.html</link>
<pubDate>Sun, 19 Jun 2016 05:19:25 +0900</pubDate>
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<title>セミに怯えないで良い二度目の夏</title>
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<![CDATA[ <p>アブラゼミ恐怖症です・・・</p><br><p>こんばんわ。</p><br><p>この世の中で一番怖いものはアブラゼミです。</p><p>Gに関しては全然平気です。</p><p>「うわ！」くらい言いますけど、特に怖くはありません。</p><br><p>小さいのは最悪、素手でもいけるくらい平気です。</p><br><p>ただ・・・蝉に関しては話が違い、特にアブラゼミがダメ。</p><br><p>子供の頃、外で遊んでいた時にスカートにくっついて全然離れなかった経験から、怖くて怖くてダメです_|￣|○</p><br><p>怖い怖い・・・って人に話し過ぎて、余計に恐怖心に拍車かかった気がしていますﾉд-｡)ｸｽﾝ </p><p>言葉って言霊ですね。。。</p><br><br><p>大人になるにつれて恐怖症度が増してきていました。</p><br><p>夏場は、セミにビビる私に周りがビビる。</p><p>車運転中にセミに急ブレーキ踏む。</p><p>怖すぎて悲鳴もあげられず、固まる。</p><p>原付乗っていても、木の近くを走れずに右寄りを走ってしまう。</p><p>原付の信号待ちでは、いつどこからセミに襲われるか脅えては半分泣いている。</p><br><p>出掛ける時は、玄関をゆっくり開けながら、扉の近くにいないか気配を伺う。</p><p>外を歩く時は早く歩けないので、友達に手を引かれる。</p><p>母に手を繋いで歩いてもらう。</p><br><p>６月末くらいから１０月半ばまで夜出掛ける誘いは断る。</p><p>ストリートダンサーなのに、この時期はストリートで踊れるわけがないのでスタジオダンサーになる。</p><br><p>やむを得ず夜出掛けると、懐中電灯アプリで道を照らしながらじゃないと歩けない。</p><br><p>セミにおびえ過ぎて、むしろスズメも鳩までも一瞬「セミか！？」とビビる。</p><p>ようするに飛んでいるもの全てにビクっ！！となる。</p><p>基本、家から駅までは車で送ってもらうけど、親がいないと車で仕事へ行くか有休使って家から出ない。</p><br><p>選挙の投票所の入口に木が多過ぎて、セミが怖くて投票せずに帰った→以降、不在者投票に行くようになった。</p><br><p>セミにビクビクする私を人は「フラワーロックかｗｗｗｗ」と笑う。</p><br><p>ともかく、もう本当に蝉がダメ。</p><p>アブラゼミがダメ・・・と言っているのは、ある意味自分への暗示です。</p><p>道端に落ちているのって全部アブラゼミで、透明の羽のミンミンゼミとかって見かけないので、あの良く見かけるのだけがダメ・・・と言い聞かせ</p><br><p>たまにミンミン聞える時は「あれはミンミンだから私を襲わない」とか言い聞かせて歩いたり。</p><br><p>じつは変質者に襲われた一件も、襲われたことは結構どうでも良かったのに、夏場だったために、本来一歩も家から出たくないところを、セミだらけの中を警察やら検察局やらに行かなければならなかったことが一番の恐怖だった。</p><br><p>駅から検察まで木が生い茂っていて泣きたくなった｡ﾟ(ﾟ´Д｀ﾟ)ﾟ｡</p><br><p>犯人に対して思うことはありますか？って質問も「特にない」としておきつつも、内心は「夏は勘弁してくれよ！！」だった。</p><p>そんなこんなで</p><br><p>親からも「私たちが死んだあと、あなたどうするの！！」と、ずっと言われていました。</p><br><p>私も、親がいなくなったら、どうやって生きていこうって思ってました。</p><br><p>催眠術とか、本気で調べたこともあり</p><br><p>誰が見ても「異常」なレベルのビビり方に、たくさんの人に心配をかけてきました。</p><br><br><p>が！！</p><br><br><p>ダラスにはアブラゼミがいません！！</p><br><p>本当は、アブラゼミって関東に生息しているらしく、たまたま自分の住んでいた所に多かったみたいです。</p><p>日本にいても他の地域なら、そんなに脅えずに暮らせたのかもしれないです。</p><br><p>まあ、とりあえず、ここでは夏は暑いだけで脅えることはありません。</p><br><p>何でも大きいことが自慢のテキサスですが、蝉は１０円玉サイズ。</p><br><p>そして、ほとんど目にしません。</p><p>鳴いてはいますが、音はいつも遠い。</p><p>去年は一度も見てません。</p><br><p>日本にいた頃は、夏が来るたびに憂欝でたまらなかったけれど、去年から夏を楽しめるようになりました。</p><br><p>アメリカに住むことは、簡単に病院に行けないとか、歯医者に行けないとか、食事飽きたとか、問題はたくさんあって日本に住みたいと思うこともあるのは事実なんですが、アブラゼミに脅えないで過ごせるだけでも幸せだなって思います。</p><br><p>私が生きて行く上で一番の不安要素だったかもしれないので_|￣|○</p><br><br><p>今年も夏が来た。</p><p>脅えないで済む、二度目の夏。</p><p>今テキサスで暮らせていること、こればっかりは運命に感謝ですね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/bootleg1102/entry-12167591912.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Jun 2016 14:34:24 +0900</pubDate>
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<title>アメリカと日本で苗字が逆な今・・・の話</title>
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<![CDATA[ <p>アメリカ人と結婚しました・・・さて、苗字どうしましょう？？となるわけですが</p><br><p>通常は３パターン</p><br><p>１、アメリカでも日本でも旦那姓（日本ではカタカナ）</p><br><p>２、アメリカでも日本でも旧姓のまま（アメリカでは夫婦別姓も珍しくないそうです）</p><br><p>３、アメリカでは旦那の姓、日本では旧姓のまま</p><br><p>日本の苗字を旧姓のままにしておくのは、何の手続きもいらないので、割りとみなさん日本では旧姓を選ぶそうです。</p><br><p>私の場合・・・</p><br><p>ちょっと一つstepを踏み忘れた感じで、上記３つのどれにも当てはまらない、アメリカでは旧姓、日本では新姓（旦那姓）に今はなっています。</p><br><p>アメリカは州によって法律も違えば、結婚のプロセス？も違う。</p><br><p>国際結婚をした人のブログを読むと、大抵は</p><br><p>マリッジライセンス（結婚許可証）を取得→結婚式→マリッジサティフィケート（結婚証明書）の登録に役所へ・・・で、この登録時に役所で苗字をどうするか訊かれて「悩んだけど旦那の姓にしました」とか「ミドルネームに旧姓を入れました」とか、そういう記事を見るんですが・・・</p><br><p>私が役所へ結婚証明書の登録に行った時は訊かれなかった。</p><p>旦那に苗字の話をしたんだけど「ここでじゃないし、苗字はいつでも変えられるから」と言われ「？？？」のまま終了。</p><br><p>テキサスは、いつ、どこで、どうやって苗字を変えるんだΣ(ﾟДﾟ;≡;ﾟдﾟ)!?</p><br><p>本当は役所で変えられたんじゃないの？・・・と内心疑っているのは、旦那が人の多い所が完璧にダメな人で（日本の役所に比べたら全然混んでないんだけど）、役所に入った瞬間に思考が停止しているのが私には解った（　´_ゝ`）</p><br><p>ある意味、今後の目標が出来ました。</p><p>人が多い所で私が何とかしなければいけないから、率先して行けるだけの英語力を身に就けないと！！と言う目標ｗ</p><br><p>ちょっと他の件でも別の日に別の役所でやる・・・と言出だして「No」と言って、結局、他のところでは出来ないからと列に並びなおしたものがあるので、確実に「人がいっぱいいるから必要最低限のことだけを早く済ませて一刻も早く帰りたい病」を発症していたと思うわけです。</p><br><p>なので・・・本当に、テキサスでは役所で苗字が変えられなかったのか？と言う疑問は今も持っているｗ</p><br><p>とは言え、済んでしまったことなので、今さらどうにも出来ないので、残された選択肢の方へ進むしかないわけです。</p><br><br><p>今さら、どうにも出来ない・・・けど、これが、かなり厄介でした。</p><p>本当に、事前にもっと完璧に調べておくべきことだったなと思います。</p><br><p>結局、結婚後、苗字を変える手続きを後回しにしたけれど、ビザステータスの関係でグリーンカード申請は、すぐに始めなければ行けなかったんです。</p><br><p>書類には、現状のままを記入しますので、私は全て旧姓で申請することに・・・</p><br><p>今後、SSNを取得して、車の免許も・・・と考えているけれど、グリーンカードを旧姓で申請している以上、他も旧姓ですよね？ｗ</p><br><p>結構、何度も「苗字変えたい！！」と結婚前から、結婚後もずっと言ってたんだけど、旦那の頭のどこかで、これが「国際結婚」であることを忘れていたようで「いつでも出来る」と後回しにしてしまい、全ての手続きがややこしい状態に_|￣|○</p><br><p>グリーンカード申請の手続きをお願いしている弁護士さんに相談したところ、苗字を変えたいのであれば面接の時に申し出てOKを貰ってから変えるようにと言われました。</p><br><p>イロイロ調べたところ、SSNや運転免許の苗字変更は費用は大してかからないけど、グリーンカードの苗字変更に関しては申請し直し扱いで約＄５００かかるらしい。</p><br><p>ならばSSNや運転免許は、とりあえず旧姓で取得して、あとから変えようとなった。</p><br><p>今は、ともかく面接が行われること（テキサスで国際結婚した人のブログで面接がなぜか免除された人がいたので、イロイロ謎）、そして面接時に苗字の変更を許可してもらえることを願うばかり。</p><br><br><p>話は少し変わり、日本での苗字の話。</p><br><p>国際結婚をして、日本で旦那の姓を名乗るとしたらカタカナ姓になります。</p><br><p>なので、それを嫌がって日本では旧姓の国際結婚カップルもたくさんいます。</p><p>旧姓のままであれば、銀行とかクレジットカード等の名義変更も必要ないしでラクなのです。</p><br><p>でも、じつは私は日本の方の苗字を変えたくて仕方なかった。。。</p><br><p>例え今、アメリカで暮らしていようとも、念には念をと言うか（＊´Д`）＝З</p><br><p>ちょっと前のブログでも触れたんですが、数年前に変質者に襲われた件で相手を告訴しています。</p><p>日本の法律の落とし穴で、誰だか解らない人の告訴は受け入れられないとなっているため、告訴する場合は犯人に私の名前と年齢（生年月日だったか？どっちか忘れました）は伝わるんだそうです。</p><br><p>そういう落とし穴のために、強制わいせつ罪とか告訴せずに泣き寝入りすることが多いと聞きました。</p><br><p>事件について少し書くと、犯人は余罪１０件以上で、被害者は私以外にもたくさんいたわけです。</p><p>被害者の中には事件後、一人で外を歩けなくなってしまった人もいると聞きました。</p><p>若い被害者の親御さんとしては、事件によって娘の人生が狂ったと憤っている方もいたようです。</p><br><p>私に関しては、たまたま手負いの時だった・・・ので、手負いじゃなければ絶対追いかけて捕まえてた←そういう性格。</p><p>友達も「犯人ラッキーだったね！手負いじゃなきゃ犯人の方が危ないｗｗｗ」と言うくらいなので、ようするに「舐められた！！」みたいな怒りは瞬間的にあったものの、怖いなんて感情は全くなく、その後も同じ道を夜中に一人で歩いておりました。</p><br><p>「絶対許さない！」とか、怒り、怨み・・・みたいな醜い感情は疲れるので、基本「まあ、いいや」となる性格の私。</p><br><p>確かに手負いの時に、後ろから乗っかられたせいで、腰が逝き・・・今までやって来た仕事は今後出来なくなりました。</p><p>ある意味、人生は狂わされているんですけど、それでも怒っても怨んでも何も解決しないので、正直、犯人に関しても「起きたことに関しちゃ仕方ないんで～」な気持ちでおりました。</p><br><p>犯人は余罪がたくさんありましたが、どの被害者の証言も有力ではなく、決定的な証拠もなく、警察も逮捕するまでに至らなかったのですが・・・私の証言が有力で逮捕となりました。</p><br><br><p>何でか？は、伏せておきますｗ</p><br><br><p>結局、私しか告訴できなかったんです。</p><p>怒っても怨んでもいないし・・・と、思ったのですが、他の被害者の気持ち、親御さんの希望を背負うこととなり、苦渋の決断で告訴しました。</p><br><p>犯人の弁護士には、その旨は伝えています。</p><p>私自身は、済んだことで、怒りや憎しみのような醜い感情を長く持つことは疲れますので、全く怒ってないこと、ただ、犯人か他の被害者か、どちらを助けるかと言うと後者になるため告訴と言う形になった。</p><br><br><p>弁護士を通して、私の気持ちが伝わってくれていたら良いな～と思うんですが、直接話しているわけではないので、相手に私の真意が伝わったかどうかは解りませんし、犯人の人間性も知りませんので、どのような受け取り方をしているかも解りません。</p><br><p>告訴した以上、相手は私のフルネームを知っていますし、年齢も知っています。</p><p>残念ながら、新聞に私の住んでた「区」まで載り（新聞社には抗議メールし謝罪されましたが新聞じゃ削除できないので、本当に気を付けてもらいたいものです）、調べようと思えば特定出来ちゃう気がしたんですよね。</p><br><p>そのため、いくら私が今アメリカで暮らしているとはいえ、念のために犯人の知っている苗字から旦那の苗字に変更をしておきたかったのです。</p><br><p>私としては、結婚後は日本では旦那の姓を名乗りたいのです。</p><br><br><p>でもアメリカでは、まだ面接に行ってないしで旧姓。</p><br><p>日本の婚姻届を出す際に日本領事館に問い合わせた所、アメリカの手続きと日本の手続きは別物なので、先に日本の戸籍の変更しても問題ないってことで、とりあえず日本の婚姻届提出時に「外国人との婚姻により氏の変更届」も提出したので、今の段階で私はアメリカでは旧姓、日本では新姓って言う変な状態になっています。</p><br><p>ちなみに、日本の戸籍の苗字の変更に関しては、婚姻後３ヶ月以内であれば、日本領事館に「外国人との婚姻により氏の変更届」を出せば手続き可能、それ以降６ヶ月以内であれば私が日本の役所と直接やり取りすることで可能・・・と、誰かのブログで読んだのですが、日本領事館の方からは６ヶ月以内なら出来ると言われたので、もしかしたら変わったのかな？</p><br><p>何にせよ、６ヶ月を過ぎると大変なのです。</p><br><p>婚姻後、６ヶ月経過後に苗字を変えたい場合は、家庭裁判所にやむを得ない変更理由を申告し、指定された日に出廷し、許可を得られないと変更が出来ないわけです。</p><br><p>やむを得ない変更理由はあるけど、家庭裁判所に申告、出廷が海外在住だと面倒だし、イロイロリスクがあるので、もう先に変えてしまいました（＊´Д`）＝З</p><br><p>あとは、グリーンカードの面接時にアメリカでの苗字の変更を申請して・・・</p><br><br><p>ちゃんと新姓のグリーンカードが来たら、日本国領事館でパスポートの名義変更となります。</p><p>これが一番の不安。</p><br><p>レストランやファストフードでアメリカ人の旦那が注文しても５０％くらいの確率で注文した通りに来ない、この国(´;ω;`)</p><br><p>だから、面接時に苗字の変更を申告しても受け取って確認するまでは、申請通りに来るか解らないと私は思っている。</p><br><br><p>なので、ともかくグリーンカード受け取るまではパスポートの名義変更はしないでおこうと思います。</p><br><br><p>いろんな手続きがスムーズに行きますように願うばかりです。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/bootleg1102/entry-12163048078.html</link>
<pubDate>Sun, 22 May 2016 19:52:33 +0900</pubDate>
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<title>アラフォー留学を終えて</title>
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<![CDATA[ <p>前回のブログから大分間が空いてしましました。</p><br><p>ラップバトルの授業が嫌過ぎてパニック障害になった私・・・</p><br><p>その後、プロデューサーと話したところ表向き生徒には教えない最低限の出席日数があるとのことで、また私の場合、それが最後のセッションであったこともあり、ワーニングが出ても「次のセッションで同じように出席率が悪かった場合・・・」と言うワーニングなので、次のセッションがない私には関係ないとのことで、最後の２週間は週に２日ずつ出席して学校を終わらせました。</p><br><p>卒業はしていません。</p><br><p>それでも、さすがアメリカ</p><br><p>「今まで頑張ってきたんだから最後くらい、まあ、そんなこともあるわよ！全体通して見たら、あなたは良くやった！！」</p><br><p>とのことで、終わり良くなくとも全てよし・・・でした。</p><br><p>このブログの初期では自分の将来が不透明であったために「友達」として表記してきました、現在の旦那。</p><br><p>出会った時はhelloとnice to meet youしか話せなかった私が人生のやり直しのためにアラフォーで留学を決意しました。</p><br><p>最後は、不本意すぎるラップバトルにパニック障害、不安発作を起こすと言う、ある意味ミラクルで後味の悪い終わり方にはなりましたが</p><br><p>１年間の語学留学は、とても有意義なものでした。</p><br><p>私が自分の人間性を考えた時思うのは、この歳で旦那がいたから出来たことで</p><br><p>若いころに留学してみたところで１ヶ月が限界で、すぐに日本に帰っていただろうと思います。</p><br><br><p>そのくらい留学は大変な経験でした。</p><br><p>１年、アメリカ人と暮らしながら語学学校に通ってみたけれど、まだまだ完璧には程遠いです。</p><p>正直、日本人の性格ゆえに、こう考えているところもありますけど。</p><br><p>聞き取れないし、通じない・・・それが日常茶飯事なので、これからも勉強を続けなければいけないと思います。</p><br><p>もちろん、留学前に比べたら全然違うんですけど、でも、ここで自信を持って生活できるほどのスキルはまだないです。</p><br><br><p>この地で結婚して、この地で何の仕事をしよう・・・と思った時に、アメリカはネイリストが国家資格だし、また語学学校だけでは英語に慣れ親しみ切れてないので、進学したいのもあり、ネイリストを目指そうかなと考えてます。</p><br><p>メイクの仕事を１５年以上続けて来ましたが、ヘルニアで今後はできない仕事です。</p><br><p>元々、ずっと絵を描いて来たのもあり、美容に関わることで、手先の器用さも生かせると思うと、ネイリストの勉強は自分に向いているかな？と思ってます。</p><br><p>ただ、ここはオシャレな街ニューヨークとは違うので、ちゃんと学べる学校が見つかるのか？私の英語力で見つけられるのか？と言う不安が今の所はありますね。</p><br><p>今は学校が終わり、結婚後の手続きでバタバタしているので、少し落ち着いたら勉強を再開しつつ将来を模索しようかと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/bootleg1102/entry-12163019792.html</link>
<pubDate>Sun, 22 May 2016 19:30:31 +0900</pubDate>
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<title>ここ最近起きていること</title>
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<![CDATA[ 私の通う語学学校は101から112まで12段階にレベル分けされている。<br><br>101-103 初級<br>104-106 中級<br>107-109 上級<br>110-112 マスターレベル<br><br>となっている。<br>この構図を見ただけ、また109までのレベルにいる間には分からないことだけれどマスターレベルと言うのはアメリカ国内の四年制大学進学を目的とした論文の書き方や、大学の講義のためのノートの取り方、大学での授業を想定した内容となっている。<br><br>それに気付いたのは108の時。<br>109まではvocabularyと文法の授業の予定だったのが、学校がプログラムの変更を考え出して突然108のvocabularyをなくして論文の書き方についての授業に変えてきた。<br><br>私の語学学校は大学付属なので、四年制大学進学を目指している生徒は多いけれど、私はちょっと違う立場なのでプロデューサーと話して、論文の授業を一つ下のvocabularyのクラスへの出席に変えてもらうことができた。<br><br>そもそも、私の目は色々な問題があって細かい文字、長文を読むことができない。<br><br>書くことは問題ないのに、読むのには問題がある理由は自分でもよくわからないのですが…。<br><br>マスターでは大学進学に合わせた論文の授業がメインになると、そこで知り、そして目に問題のある私にとって不可能であるリーディングが必須であることを知った。<br><br>私は大学に進学しないため、マスターレベルへ進む必要はないと判断したので上級レベルまでを2回ずつリピートしつつ、文法とvocabularyを固めることに目標を定めた。<br>それでも払い終えた学費が余ってしまうなとは思ったのですが…<br><br>108をリピートした時、学校側は前回のセッションで試した結果、108レベルに論文の授業は不適切と判断したらしく108の論文の授業はvocabularyに戻った。<br><br>108をクリアした私の元々のクラスメイトは109へ上がり、vocabularyなしの論文の授業が続いた。<br><br>しかし、私が2度目の108を終え109に上がると、論文の授業はなくなりvocabularyにそれも戻った。<br><br>やはり109まで終えないと四年制大学への進学準備は難しいと言うことなのだろう。<br><br>109は先生運がなく…ものすごくストレスを感じるセッションでした。<br><br>コミュニティーやボランティア等についてのトピックで「私たちがこの語学学校に対してできることはなんだろう」と言う話し合いをすることとなった。<br><br>例えば1人1ドルずつ出し合って、みんなにクッキーを振る舞おうとか…と言われた。<br><br>結果、全員がクッキーを買って持ってくる(クッキー5ドルくらいするので1ドルどころの出費ではなくなった)、そして「みんな！試験頑張ってね！」と言うポスターを貼り、学校中の生徒を励まし、クッキーを振る舞おうと言うことになった。<br><br>私はこれに対し、英語を学ぶために学費を払っているのに、ちゃんとした授業を行わずに、5ドルとは言えさらに金を払ってクッキーを振る舞う意味がわからず…<br><br>そして、この先生はまともに授業しなくて以前もストレスが溜まった先生だったので、また、ほとんど授業をせず、テキストの半分以上をスキップし、学費払ってるのにまともな授業が受けられない上に、更に金を払ってクッキーを振舞わされ、最後はテキスト終わってないのに映画鑑賞…させておいて自分はスマホいじっていると、無責任すぎる色々にともかくストレスをためて終わったセッションだった。<br><br>この先生は現地の小学生がやるようなことを大人の私たちにやらせるのが良いと思っているよう。<br><br>ちょっとやった文法の授業は相変わらず答えを間違えていたし…歳だから耳が悪いのかな(-_-)<br><br>1番大事なところ間違えてたけど、私も嫌になってたので放っておいた。<br>次のセッションで結果的にリピートして、他の先生に習ったところ、やっぱりか…と言う結果でした。<br><br>こういうのよくあって、人間的にはすごく素敵な人で授業抜きに話すのは楽しいのだけど授業の仕方は最悪という先生。<br><br>どちらも素敵な先生もいるんだけど、何人かは人としては大好きなのに授業は最悪。<br><br>前回のセッション中、結婚が決まり、永住権申請のステップなどの話とともにプロデューサーの元へ。<br><br>109は終わったけどマスターに行く必要はないし、ただ学生ビザステータス維持のために学校には残り2ヶ月通わないとならない。<br>学費も、すでに払っているし、残りの2ヶ月はレベルにはこだわらないので(どんなに下のクラスでも構わないので)、きちんと授業してくれる先生のクラスで過ごさせてもらえないだろうかと相談したところOKを貰った。<br><br>新しいセッションが始まり、学校へ行くと、私の名前はマスターレベルに入っていた。<br><br>目の事情も話しているのに何でマスターなのかと何度もプロデューサーに尋ねた。<br><br>目のことは本が読めない…と言う言い方をしたのがダメだったようで、長文や細かい文字が追えないと言う説明をしないとわかってもらえないことに気づく。<br><br>プロデューサーからは、わからないにらクラスメイトを使えば良いのよ！クラスメイトに読んでもらって内容を教えて貰えば良いと言われる。<br><br>私が何でも先に先にと予習するのに対し、クラスメイトの誰もそうではない以上、私が知りたい時に誰も説明はできない。<br><br>そして人には得意不得意があり、私はwritingとspeakingに長けているけれど、全体の比率はリスニングに長けている人は多いが、writingに長けている人は驚くほど少ない。<br><br>あとspeakingも少ない。<br>もう上級レベルなのだが、周りが何言ってるんだか全然わからない。<br><br>それはもちろん、環境が違うからだとわかっているのだけど…<br><br>アメリカ人の旦那と暮らす私は生の英語に触れて生きているけれど、留学生同士で生活していたら、ネイティヴと関わる機会は0に等しいので、何がcommonな表現なのか知らないわけで、話していて何が言いたいのかわからない。<br><br>でも、みんな自信満々(･_･;<br><br>話していてももちろん、テキストやりとりしていても、マスターレベルなのに三単現のsがないとか、関係代名詞が使えないとか、カンマの位置が違うとか…ようするに、何言ってんだか全然わからない(つД`)･ﾟ･ <br><br>そうなると<br><br>自分でテキストを読むしかない。<br><br>そして顔の変形が始まった。<br>右目が開かなくなり、酷い頭痛に悩んだ。<br>そして半顔が麻痺し始める。←日本でOLに転職した時に、入力業務でこの症状を経験した。<br><br>結婚式を目前に、顔の変形が怖くて、109のリピートに戻れないか再度交渉した。<br><br>OL時代の顔の変形写真も見せて、ようやく109のリピートを認められた…のが一個前のセッションの話。<br><br>セッション終わりに、次のセッション(今回のセッション)について話し合いをして、プロデューサーからは109をリピートするかマスターに行くしか選択肢はないと言われた。<br><br>前回、マスターに2日出席してみて、マスターのメインテキストは、長文はあるものの多くはないので、結婚式の準備もなく時間に少しゆとりがあれば旦那に読んで要約してもらいながら何とかなるかな？とマスターやってみようか…と思いつつ、前回はvocabularyが長文読解テキストで、マスタークラス全部が長文読解だったから無理もあり、マスターに挑戦したい気持ちはあるけれど、あのvocabularyのテキストは無理だと話したら<br><br>「vocabularyのテキストは変わるから大丈夫よ」<br><br>と言われ、マスターをやってみることに。<br><br>マスターに行こうかなと思ったもう一つは、過去、私に嫌がらせをしてきたベネズエラ人が前回のセッションで卒業だと思ったので、もうマスターにはいないし、同じクラスになる可能性もないし…と言うのもあった。<br><br>このセッションが始まり、学校初日、クラス分けリストを見て、ベネズエラ人の名前がリストにないことを確認。<br><br>心から安心した。<br><br>マスターの先生は、1度目の109でクッキー振舞えの授業をやった先生だったけれど、マスターの授業に限ってはテキストを隅から隅までやるより、スキップしまくってスピーキングメインの方が気楽なので、逆に、この先生とならマスターもやり切れるかもしれないと思った。<br><br>1時間目に貰ったテキストは、前回とはまた違うテキストだった。<br>ここ最近、私の語学学校はいろんなことを試行錯誤している段階らしく、ものすごく難しいテキストを渡された。<br><br>不安の中、先生に長文が読めない旨伝えると、全然文章読む必要ないから、スピーキングメインだから大丈夫よと言われ、少し安心した。<br><br>実際、1時間目の授業は楽しかった。<br><br>2時間目…<br><br>学費を払い忘れていた生徒たちが支払いを終えて入ってきた。<br><br>そしてその最後に、過去私に嫌がらせをしたベネズエラ人が入ってきて、私の隣に座った。<br><br>息ができなかった。<br><br>ちなみに、数日後、私は重い症状の風邪をひき、医者からタミフルを処方されるはめになったのですが、それは彼女からうつったと思われる。<br>その隣に座った時、物凄い咳とくしゃみ、そしてずっと鼻をかんでいて、学校来ないかマスクして来い…というレベルだったので。<br><br>2時間目が終わり、プロデューサーの元へ。<br><br>このプロデューサーは彼女が私に嫌がらせしてきた時に最初に相談に行った人。<br>一連の話を知っている。<br><br>「いつもいつも迷惑かけてばかりでゴメンなさい。でも彼女と同じクラスでは息が出来ない、怖くてクラスに入れない」と泣いて訴えた。<br><br>プロデューサーは<br>「わかってるから、大丈夫だから、私はただクリックするだけだから大丈夫よ(^^)」<br>と私のクラスを変更した…長文読解メインのマスタークラスに。<br><br>2日目から長文読解メインのマスタークラスに入った。<br>テキストが読めない私には地獄だった。<br><br>今回のセッションで使い始めたマスターのテキストは1997年のテキスト。<br><br>古くて、テキストのレイアウト自体もものすごく見辛い。<br><br>表記されている字が小さいからなのか、正直、私は自分の病気に関して出来ることと出来ない差が何でなのかがわからないのだけど、そのテキストは長文のページ以外も読むことが難しくて目にとても負担がかかった。<br><br>4週間で一つの内容を、やるから出だしから内容がわからないと4週間何もわからないまま話が進んで行く。<br><br>旦那にテキストを読んでもらった。<br>旦那が言うにはアメリカ人が短大とかでやる内容だから、これは僕でも難しいと。<br><br>そして、作者が作った言葉が多いから説明が難しい。<br>私も自分で調べても、作者が作った言葉は、日本語でどういうことを言いたいのか全くわからない。<br><br>その作者が、考えた言葉の定義がクリアにならないと、前に進めないのに全くわからなかった。<br><br>クラスメイトが先生に、まだ意味がわからないと訊いた。<br><br>先生はテキストを読めば良いと言って説明しなかった。<br><br>テキストが読めない…<br><br>私には、このセッションは無理だと判断した。<br><br>レベルが固定されるのは第1週の金曜。<br>だから木曜までに、やはり無理だと伝えれば109、3回目だけどリピートに変えて貰えるかもと思った。<br><br>一度はマスターにチャレンジしてみようと言ったし、さらにベネズエラ人の件があって、またクラス変えを願い出ることに、迷惑ばかりかける自分がとても嫌で、罪悪感いっぱいでたまらなかったけれど、それでもこのまま4週間過ごせる気はしなかったから、何とかしなければと勇気を振り絞ってオフィスへ行った。<br><br>オフィスには、いつも相談にのってくれるプロデューサーはいなくて、新しく来た校長が「何か用？私が聞くわよ？」と言ってきた。<br><br>私の目には問題があってマスターのテキストが読めない、だから109のリピートに戻りたいんです<br><br>と伝えると、あなたは1度109をパスしているから戻ることはできない。<br>それが学生ビザのルールだから<br><br>と言われた。<br><br>今まで出来たことが何で出来ないのか不思議で仕方なかったけれど、いつもいつも迷惑かけている罪悪感に押し潰されかけ、勇気を振り絞って行ったオフィス…もう何だか目の前が真っ暗になった気分だった。<br><br>その校長は笑顔で<br>「先生にあなたの目のことを説明して。先生が助けてくれるから」と言った。<br><br>今、次に私に出来ることは、先生に私の目のことをわかってもらうことだと思い、担当の先生に説明に行った。<br><br>旦那が事前に説明文を書くのを手伝ってくれていたので、文章を見せた。<br><br>先生は「あー、私の兄弟も同じ病気なの。でも、あなたよりも悪いから、あなたは大丈夫よ(^^)」と言った。<br><br>そんな簡単なことではない。<br>でも英語で訊けない。<br><br>斜位なの？斜視と斜位は全く違うし、見た目には斜視の方が悪く見えても大変なのは斜位の方だけど、本当に同じなの？<br>私は斜位に色々と他の問題が混在しているのだけれど、見た目には全くわからないから説明が難しい。<br><br>目が悪いのに何でメガネをかけてないのかと、よく訊かれるけれど目が悪すぎてメガネでは矯正が出来ないのです。<br><br>ハードコンタクトのみ、私の目を矯正できる。<br><br>メガネもあるけれど視力が出せないので、メガネでは車の運転等はできない。<br><br>「子供の頃から3回手術したんだけど、上手く行かなくて」と付け加えると、先生は笑って<br><br>「彼の目なんて一生治らないわよ(^^)」と言った。<br><br>私は、何だか絶望的な気分になった。<br>この先、このセッションで目が原因で出来ないことを、この先生には認めてもらえないという絶望。<br><br>1番して欲しくない誤解、それは<br><br>「時間さえかければ長文が読める」<br><br>と言う考え。<br><br>時間かけても読めない。<br><br>単語を単語として「見る」ことはできても、それを文章として「読む」ことが出来ない。<br><br>時間をかけて小さな文字を読むことで、1度、右目がスパークした感じになって見えなくなったことがある。<br><br>無理をすると視界に欠損が起きる。<br><br>先生の兄弟の目がどんなか知らないけど、私は出来ないんだよ…。<br><br>頑張って行っても、先生が何について授業しているのかがわからない。<br>わからないならテキスト見ろ…毎日の無理な予習で毎日恐ろしい頭痛との闘い。<br><br>風邪がうつったと思われ、具合悪くてマスクして学校行った時は「具合悪いの？ん～…でも大丈夫そうに見えるけど(^^)」とも言われた→タミフル出されるレベルだった。<br><br>と言うことで、この先生がちょっとズレているのだと言うのはわかった。<br><br>この先生はゆっくり話してくれるけれど、なんでか私はこの先生の英語がこんなにゆっくりなのにも関わらず全然聞き取れない。<br><br>先生の話を聞いてみんなが笑っていても、私は先生が何て言ったのか、みんなが何で笑っているのかわからない。<br><br>大学の講義のようなビデオを見せられ、要約しろと言われてもリスニング力が弱くて何のレクチャーなのか何一つわからなかった。<br><br>テキストもまともに読めない、先生が何言ってるのかわからない、クラスメイトとの理解力の差に孤独を感じて仕方なかった。<br><br>私はspeakingが出来るから、みんな勘違いする。<br>でも私はリスニングが本当にダメで慣れている人と、多分テキサス出身の人の英語しか聞き取れない。<br><br>もう一つの授業は、最悪なことに1番厳しいと言う先生。<br>厳しいと言うよりも1番自分勝手なのを威圧して思い通りにしている先生。<br><br>7ヶ国語を話すモルタイリンガルのおばあちゃん。<br><br>このおばあちゃんの英語にはイギリス英語の訛りがある…と旦那が言っていた。<br><br>だからなのか、こちらも全然聞き取れない。<br><br>私の授業はすごく厳しいわよ！今まで私の授業に当たったことない生徒は、すぐに私の授業は大変だと知ることになるわ！<br><br>この人は宿題20ページとか普通に出す。<br><br>そして、メールで大量の資料を送りつけてきていつまでに勉強してオンラインでテスト受けろとなる。<br><br>私は7ヶ国語話すくらい勉強してるんだから、お前らももっと勉強しろと言う考え。<br><br>大量の資料、テスト、大量の資料、テストの繰り返しで、常に次のテストを考えなければならず、かなり精神的に追い詰められる。<br><br>そして、そんな中、そのおばあちゃんは宿題にラップ作って来いと言った。<br><br>このラップが宿題になった時、私は毎日が辛すぎて、家に帰ると涙が止まらず、自分でも何で泣いてるのかわからず<br><br>でも、泣いて泣いて<br><br>そして夜は吐き気で横になれず眠れない日々だった。<br><br>宿題は習ったidiomとことわざを使ってラップ作ってこい。<br><br>鬱状態の時にラップ…<br><br>見かねた旦那が考えてくれた。<br><br>風邪がなかなか治らなかったのもあり、咳が止まらずマスクして授業に出ていたのだけれど<br><br>学校行ったらラップはグループワークだと知り少し安心した…のも束の間、グループ全員が、まず私から行けとニヤニヤして押し付け始めた。<br><br>私は前日インフルエンザ疑惑で欠席していたから、ラップって何をするのかイメージも出来ないんだけど、と言ってるのに(そもそも、こんなに咳き込んでるのに？と思った)<br><br>音楽流して、早くしろとまくしたてられた<br><br>先生にも、カモンカモン！とまくしたてられた<br><br>頑なにやらなかった<br><br>クラスメイトにも嫌気がさした。<br><br>咳が止まらない、マスクしてる、前日までインフルエンザ疑いで休んでた人に対し、思いやりという言葉は日本にしかないのかと考えた。<br><br>グループワークなので、私の持ってきたラップの歌詞をサウジの男の子がやるとなり、翌日ラップバトル。<br><br>私は詩を書いて持っていったし、グループワークにきちんと参加した。<br><br>でも私の成績は0点にされた。<br><br>ラップをやらない人は後ろで踊れと先生に言われた。<br>ちゃんとやったが0点。<br><br>参加してなかった人は指名するから明日までに練習してきて、明日ラップバトルに出るようにと言われた。<br><br>私はその候補に入らなかったが、きっと明日指名されて月曜にラップやれと言われるのだろうと思った(木曜日)。<br><br>その夜、やはり気持ち悪くて眠れなかった。<br><br>やっと眠れたと思ったら、何だか恐ろしい夢にあっという間に目が覚めた。<br><br>旦那と出掛けてる最中に拳銃を持った男が現れて撃たれる夢を見た。<br><br>旦那が隣で殺されて、大声で泣き叫びながら目が覚めた。<br><br>それから、眠れず…<br><br>余談ですが昨日は行くところ行くところが火事になり火に追われ、焼き殺されかける夢を見た。<br><br>もう精神がやられている象徴だと思う。<br><br>朝、学校へ行く時間が近づいた時、突然、ひどい車酔いのような気持ち悪さと目眩で歩けなくなった。<br><br>学校に行きたくなくて、気が狂いそうだった。<br><br>気持ち悪くて何もできず、旦那がプロデューサーにメール。<br>旦那は今回の件には、学校に対してちょっと怒っていた。<br><br>プロデューサーからの返信は、ちゃんと私のことを考慮してスピーキングメインのクラスにしたのにベネズエラ人の子が嫌だと言ったのは私だし、それに答えて一度クラスを変えている。<br><br>下のクラスはもういっぱいで、どこにもどうすることもできないとの返答。<br><br>旦那は先生が、私の目について「私の兄弟の方が悪いから、あなたは大丈夫」と言ったことに対して怒っていて、それについてもメールしていた。<br><br>実際、先生は普段は先生ではなくプロデューサーのアシスタントがメイン業務なので、この2人は友達みたいな感じ。<br><br>だからプロデューサーは先生を庇いたかったのだと思うけれど<br><br>彼女の兄弟は本当に酷い目なのに、たくさんのことを達成してきているのよ！<br><br>と返答。<br><br>それは他人が判断することじゃないと私は思うよ。<br><br><br>私はあまりの症状に病院へ行きたいと旦那に頼み病院へ。<br><br>血液検査から尿検査から全部して身体に異常がないため、この症状は不安発作、パニック障害と診断された。<br><br>学校について考えると、吐き気と目眩はひどくなるので確かに確実。<br><br>吐き気は波があって大丈夫な時は大丈夫で食事出来る時もある。<br>横になれる時もあって、少し眠れる時もある。<br><br>でも目眩はなかなか落ち着かなくてシャワー入るのや、歯磨きのために洗面所に立っているのすら大変だったりする。<br><br>ソファに横に座って背もたれに頭を固定していると1番ラク。<br><br>でも、そこから頭動かせない。<br><br>頭固定しながらなら文章が、書けることに気付いたので私からもプロデューサーにメールした。<br><br>ここはアメリカ。<br>日本で私が彼女の立場なら土日もメールチェックして返答するけど、勤務時間過ぎたらメールも見ないし返答もないので、月曜まで返信は来ない。<br><br>旦那は結構怒ってメールしていたから、ちょっとそれもごめんなさいと、今まで感じた、ここに書いてきた内容を全部メールしてみた。<br><br>パニック障害、不安発作と診断されたため、学校へ行くのはほぼ不可能だと思うので、診断書とともに病欠しようとも思うけれど<br><br>例えば1セッション3日までは休んでも学生ビザステータスは維持できるので、診断書なしで3日休めるのなら、このセッションは残り6回だし行ってみようとも思う→不安発作ってそんな簡単じゃないから、そう言いつつも実際行けるかはわからないけど。<br>とりあえず、このセッションはインフルエンザ疑いとパニック障害で学校を休んだけど、両方とも病欠で診断書があるので3日のうちには含まれない。<br>なので、含まれないのであれば、あと3日は休める。<br><br>アメリカの病院は日本と違い、すぐには見てくれなくて予約を入れて3日～2週間待たなければならない。<br><br>急を要する時はERかUrgent Careというところに行く。<br>ERはドラマでもあるように、ああいうところなので、隅々まで検査され一度の診療費は10万超えが基本。<br>Urgent Careはクリニックなので1万5千円くらい。<br><br>その日にどうにかしたい場合はUrgent Care。<br>ただし、緊急用なので、診断書の、学校をいつまで休まないといけないって欄は1日分しか書けないので、2週間病欠するには予約取って、そういうホームドクターに行かないといけない。<br><br>旦那が診断書をプロデューサーにメールしてたから、プロデューサーも、月曜の朝にようやく事の大きさが伝わった様子。<br><br>今日、プロデューサーからメールが返ってきた。<br><br>パニック障害となり、これ以上悪くならないように、ちょっと変更をしたいから学校へ来た時に一度話しましょうとなった。<br><br>そして3日は休んで良いとのこと。<br>今日は診断書なしに休んだので、残り2回休める。<br>今週3回と来週3回行って学校を終わらせる。<br><br>最終試験の日は学校へ行かない。<br>私はこのセッションをパスする必要がないから出席だけが大事で成績は関係ない。<br>試験内容は、その読めないわからないテキストの総まとめに長文読解なので、出来るわけがないから受けない。<br><br>明日から学校に戻らなければと思っている。<br>とはいえ、吐き気とめまいが明日の朝どうなるかにもより、どうにもならなければ、予約待ちが何日後になるのかが疑問だけど、病院へ行って診断書を貰わなければならない。<br>診断書があれば休んでも学生ビザのステータスには影響はしないから、どうしても学校に行けない場合は病院を予約。<br><br>本当はグリーンカード申請の書類が受付けられて、ステータスが申請中になれば学生ビザのステータスを放棄することが出来るのですが、その申請がギリギリ間に合っていなくて、このセッションはどうしても終わらせなければならない現状。<br><br>あと6回。<br>旦那のために頑張らないと。<br><br>ともかく何もできないことが辛いです。<br><br>1日の大半をソファで過ごす悲しさ。シャワー浴びるのさえ吐き気との闘いで…<br><br>洗い物したりも無理だから、デリバリーやファストフードに頼る日々。<br><br>早く色々解決したら良いな。<br><br><br>あと6回終わったら、きっといろんな楽しいことが待っている。<br>頑張れ私。
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<link>https://ameblo.jp/bootleg1102/entry-12149361329.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Apr 2016 04:56:59 +0900</pubDate>
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<title>ハーフの子供羨ましいは1番聞きたくない</title>
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<![CDATA[ 若い頃は、何でも人のせいでした。<br>自分を正義と思い、間違っているものは傷付けることしかできませんでした。<br><br>物事を自分が正しいと思う角度でしか見ることができなかったからです。<br><br>怒鳴ってばかり、怒ってばかり…若い頃は何だか常に頭から湯気が出ていたような気がします。<br>友達や同僚、後輩に恐れられ、ビクビクされてばかりでした。<br><br>強い正義感は絶対に曲げることができませんでした。<br><br>でも、そうやって生きていると必ず自分に返ってきました。<br><br>自分が正しいと思っても、なぜか最後に泣いているのは自分なのです。<br><br>最後に居場所をなくすのは、いつも自分でした。<br><br>たくさん転職して、たくさん友達も出来ました。<br>でも、いつも長く続きませんでした。<br><br>私に魅力がないからです。<br>いつも怒ってばかり、怒りのあまり、怒りにまかせて余計なことばかり口走り、人は簡単に離れて行きました。<br><br>1人になって気付きました。<br><br>ずっと、私の生き方が間違っていたのだなと。<br><br>自分の生き方を何度も何度も修正しました。<br><br>33歳の時、突然気付いたことがありました。<br><br>そして、ずっと頭から湯気が出ていた私が怒ることをやめました。<br><br><br>嫌だなと思ったことを口に出すから脳が再認識して歯止めがきかなくなるのだと気付いたからです。<br><br>愚痴、不満、不安を口に出すのをやめました。<br><br>というより言い方を変えました。<br><br>若い頃は「あのヤロー、いらつくな！ふざけんなボケ！」でしたが<br><br>「何だか嫌な気持ちになった」と言う言い方に変えました。<br><br>ムカつく…とか、イラつく…とか、言わないようにすることにしました。<br><br>若い頃は、人にぶつかられたら「痛ぇなコラ！」と瞬時にスイッチオンでしたが、ぐっと堪えて「きっと明日起きたら忘れてる」と考えるようにしました。<br><br>何か嫌なことが起きても、ますばグッと堪えて「明日には忘れているかもしれないし」と、とりあえず1日置いてみることにしました。<br><br>不思議なことに大抵のことは翌日になると「まあいいか…」と思えました。<br><br>どうしても…な時は、母にだけ話すことにしました。<br><br>母以外の人には愚痴、マイナスなことを感情のままに言わないことにしました。<br><br>33歳の時に自分に対して決めたルール、それは<br><br>「マイナスなことをアウトプットしない、怒らない、まずは一晩おいてみる」<br><br>でした。<br><br>腹が立つこともそうですが、不安なことも、きっと言霊で「～だったらどうしよう」と言い続けると悪い予感が的中する気がして、不安に関しては口に出さないことを徹底しました。<br><br>そうしたら不思議と何ごとにも腹が立たなくなりました。<br>立ち直れないほど、理不尽な思いをすることもなくなりました。<br><br><br>やっとなりたい自分になれたな…と思いましたが、その時はもう34歳でした。<br><br>34年間自分勝手に生きて、振り回して来た人たち、傷付けてきた人たちを友達と呼んではいけないと思っています。<br><br>34歳を過ぎて、やっと生き方がわかったけど、きっともう遅いだろうな…1人で頑張って生きていこうと決心した後、今の旦那さんと出会いました。<br><br>アメリカと日本、私たちの間にはたくさんの壁がありました。<br><br>一つずつ一つずつクリアして…今ある中で1番大きな言葉の壁を時間をかけて小さくしています。<br><br>残念ながらまだまだ大きな壁です。<br>アメリカで1年勉強する程度ではなくならないと思います。<br><br>いろんなことを時間かけて見極めたいところ、私たちには時間がありませんでした。<br><br>学生ビザでアメリカ滞在中に結婚することは合法ですが、私は大学に進学するわけではないので留学期間は1年と少しです。<br><br>ずっと一緒にいたいなら、そしてリスクを避けるなら、いろんな結論を、1年で出さなければなりませんでした。<br><br>一緒に住み始めて半年…、タイムリミットまでも、あと半年だった時<br><br>向き合わなければいけない問題は、将来のことでした。<br><br>お互いを思い合い、趣味も価値観も一つのことを除いて完璧に合う、そしてお互いの国を好きである…全てぴったりな気がしました。<br><br>しかしながら、一つ一致しない価値観がありました。<br><br>それは子供についてです。<br><br>旦那は結婚しても子供を欲しいと思わない人なのです。<br><br>子供を持つのは責任重大なことだから、子供は欲しくないと言う彼と<br><br>最初から「子供はいらない」と言う結論は出せない私。<br><br>遡ること中学受験。<br>面接時に教頭先生が母に尋ねました<br><br>「将来どんなお子さんになって欲しいですか？」<br><br>母の答えは<br><br>「やはり、女の子に生まれたので結婚して子供を産んで次の世代を育てて行って欲しいと思います。」<br><br>でした。<br><br>母が私に、そんなことを望んでいるなど全く知りませんでした。<br><br>だから、私は、その答えにとても驚き、そして落ち込みました。<br>中学受験した理由も、自分の性格が原因で小学校には友達が1人もいなかったからです。<br><br>本当に性格の悪い嫌な子供でした。<br>嫌われ者で、友達が一人もいなくて、自分の性格が原因だと気付いた時、自分を知ってる人がいない中で自分を1から作り直さなきゃと思い、私立中学への受験を希望しました。<br><br>友達すらいない私を…好きになってくれる人なんかいるわけないのに<br><br>将来誰かと結婚なんか出来るわけがないのに、母は私に結婚を望んでいたのかと知った時、<br><br>驚きとプレッシャー、それと同時に、その夢を叶えられないであろうことに、反抗期だった私は怒るしかありませんでした。<br><br>昔から人間性に欠陥があり、人に嫌われてばかりの生き方でした。<br><br>母の妹は、私と誕生日1日違いでずっと独身です。<br><br>周りから「結婚『できなかった』人」と括られ、家族からすら煙たがられる叔母…兄は私が、その叔母にそっくりだと言い、誕生日も1日違いだし、きっと叔母のようになると、私に言い続けてきました。<br><br>あんな大人になりたくないと思いながらも、いつも孤独に生きる自分、そして独身のまま歳を重ねる自分は、どこか叔母に似ている気がして、ずっと自分の行く末に恐怖を感じながら生きて来ました。<br><br>どうして？<br>何がいけないんだろう…<br>どうしたら人に好かれる生き方が出来るのか…<br><br>何度も何度も生き方を修正して、34歳の時に、やっと「こうやって生きるべきだったんだ…」と気付き、修正を繰り返して、なりたかった自分になれました。<br><br>そして、一生を一緒に過ごしたいと思う相手と出会って育み始めた時は、もう36歳でした。<br><br>叔母と同じ道から、やっと外れた気はしています。<br>分岐点に立っているような、そんな感覚。<br><br>でも、もう36歳。<br>もうすぐ37歳。<br><br>ずっと生き方が不器用で、いつも人生の選択を誤ってばかりでした。<br>いつも親の助けなしには生きて来れませんでした。<br><br>金食い虫のどうしようもない娘でした。<br><br>大学に行きたいからと2年も浪人しておきながら、やりたいことが変わり専門学校に進学、お金のかかる専門学校に3年近く通っておきながら、心が壊れてしまい卒業できず、就職してもノルマのために給料は消え、自立が出来ず、ずっと親に頼る人生でした。<br><br>お金のかかる娘で申し訳ないと、いつか恩返しがしたいと思った時、私が母にできる親孝行は、きっと、ちゃんと結婚して子供を産むことだろうなと思ってきました。<br><br>でも、結婚したいと思う相手に出会わぬまま、どんどん歳だけとりました。<br><br>そして、やっと、一生を添い遂げたいと思った相手と出会い、結婚の話が出た時には、もう36歳。<br><br>彼が日本人で私たちが日本にいたら状況は全く違うだろうと思います。<br><br>親になる責任を持つことが考えられないと言う彼の意見は、もちろん「絶対」ではないけれど、将来的に気が変わる可能性はとても低いと言っている。<br><br>私がそれを聞いて1番に思ったことは、親からしてもらったことを親に返すことも、自分が親になって子供にしてあげることも、どちらも出来ないのは、人として最低だと言うことでした。<br><br>私の母は「親からして貰ったことは親に返さなくて良いから、あなたが親になった時に子供にしてあげなさい」といつも私に言っていました。<br><br>だから、それが出来ないかもしれないとなった時、これからの自分の生きる道は人として最低の道だと思ったのです。<br><br>彼の意見を聞いた時、もう日本に帰らなきゃいけないと思いました。<br>この先に残されているのは人として最低の道だから。<br><br>日本に帰って、たとえ一生独り身でも、せめて親に何かあった時に側にいるのが恩返しなのではないだろうかと思いました。<br><br>彼の育った環境やバックグラウンドを知った時に、子供を持つことで生活水準が下がることが嫌なのかと最初は思っていました。<br><br>彼はお金のない家に育ち苦労してきたけど、たくさん努力して今の生活を手に入れた。<br>今も、決してお金持ちではないけれど、でも満足のいく生活が出来ている。<br><br>子供を持つと、頑張ってやっとここまで来た今の生活水準は保てないと考えているのかと思ったのですがアメリカ人的に、そこは切り離して考えることだそうです。<br><br>この先、子供を欲しくなる可能性はゼロではないけれど、限りなくゼロだと彼は言いました。<br><br>とは言え、彼が子供を持っても良いと考えを変える日が来るとしたら、まずは私がアメリカで働き、しっかりと生活の基盤を築くことだろうと思います。<br><br>そのために、英語の基盤をしっかりと築かなければならないと思いました。<br><br>その道程はとても遠いです。<br><br>私がアメリカで仕事ができるようになり、生活に困らないレベルのお金を得られるようになるまで、一体何年かかるのだろう。<br><br>私は一体いくつになるのだろう。<br><br>日本のように住まいが密集していないアメリカ、保育園なんてないに等しいのです。<br><br>産休や育休も同じく。<br>長くても1ヶ月で職場復帰するのが平均です。<br>産休がバケーションのようですね。<br><br>幼稚園はたまに見かけても、乳児はベビーシッターを雇うか、夫婦交代で面倒を見るしかありません。<br>アメリカにいたら私の母に預けることもできないし、事情があって彼の母にも頼れません。<br><br>産んだ後、夫婦共に仕事をしなければいけない経済状況だと育てることがとても難しい…その部分の責任。<br><br>また、アメリカには日本のような国保がないのです。<br>オバマ大統領は必死に、具合が悪い人がちゃんと病院に行けるような国作りをしようとし、国民全員が保険に加入できるように動いていますが、民間の保険会社しかないアメリカ、保険会社は既往歴のある人間(一生、病院にかからなければいけない人間)への保証はしたくないため、私が保険に入るのは極めて難しい上に、入れたとしても保険料は恐ろしい金額になることが予想できます。<br><br>保険なしで自分の健康状態すら知りえない、そんな中で妊娠、出産…想像もできません。<br><br>一生薬を飲まなければいけない私が、アメリカで結婚して生きて行くだけで、言葉よりも大変な問題がたくさん出てくるのです。<br><br>もちろん、子供はいらない…と言い切ることは出来ませんし、今、諦める結論を出すわけではありませんが、正直、親になることはきっと、とてもとても難しいことだと感じています。<br><br>そして、遠距離の末にやっと一緒にいる今は、まだまだ2人でいたいのが本音で、子供を持つことで2人の時間が制限されることを今すぐには望めません。<br><br><br>2人の時間も十分だね…となる頃に、私は一体いくつだろう？と思っては、人生は残酷だなと思ったりもします。<br><br>結婚を決める前、お互いの将来についてたくさん話し、何だか迷路に迷い込んだ気がしました。<br><br>出口が見えなくなって母に電話…母と話すうちに見えた私の本当の気持ちは<br><br>「私は彼と一緒にいると親になることは出来ないかもしれない…それでも、彼と結婚しても良いでしょうか？」<br><br>もう誰のことも好きにならないと思っていたけれど、人を好きになった。<br>そして相手も私を好きでいてくれている。<br><br>一生1人で生きて行く覚悟をしていたけれど、一生一緒に生きて行きたいと思う人に出会えた。<br><br>この人は、私たちが、しわくちゃのおじいちゃんと、おばあちゃんになっても、私がたとえ、すごく太ってしまっても、毎日私をハグして、このキレイな青い目で私を見つめてI love youと言うのだろうと思う。<br><br>私は、この先一生、その愛に幸せを感じて生きて行くのだろう。<br><br>そう思うたび、これ以上の幸せなんてないと思う。<br><br>だから、母の望む形で親孝行が出来ないかもしれないけれど、それでも私は彼と一生を共に生きたい。<br><br>こんなにたくさん迷惑かけて、頼ってばかりの自立出来ない最低の娘で、更に母の望む形の親孝行も出来ない。<br><br>それでも、この人と結婚しても良いでしょうか…<br><br>母は、それで良いから、あなたが幸せなら、それで良いのだからと言いました。<br><br>何だか胸のつかえが取れた感覚でした。<br><br>なりたい自分になるまでの34年間、自分を好きになれなかった34年間。<br><br>あれから2年経ちました。<br><br>まだまだ素敵な人にはなれないけれど、34年も黒歴史を抱えてきた私<br><br>振り返れば振り返るほど最低の人生だった<br><br>でも、そんな私を、彼は好きだと言ってくれる。<br><br>私はそれが幸せで、彼と一生を添い遂げたいと思う。<br><br>胸のつかえが取れ、将来を考えた時に、1番に心に浮かんだ言葉は<br><br>私を好きでいてくれてありがとう。<br>最低な生き方をして来た私を、こんなに愛してくれてありがとう。<br><br>1番大事なのは、この気持ちだと思いました。<br><br>未来は誰にもわかりえない。<br>明日死ぬかもしれないもの。<br><br>先の先を見据えることも大事だけど、今あるこの愛を護りたい、そう考えて生きても良いかなと思いました。<br><br>それまでの母からの「結婚はできそうだけど、40歳までに1人産めたら良いね」と言う言葉や、アメリカ人の彼がいると紹介した時、周りが必ず「子供産まれたら絶対かわいいよね！」と言うのが、いつも大きなプレッシャーでした。<br><br>結婚する前も、アメリカ人の彼氏がいると言うだけで、何よりも先に<br>「私もハーフ産みたかったよ」<br>「子供は国籍二個だよね！」<br>「いいな～ハーフの子供」<br><br>どれだけ、この言葉たちに悲しい思いをしたかわかりません。<br><br>プレッシャーだった理由は、一生を添い遂げたい人には出会えたけど、自分が子供を授かる環境になれるのかすら分からない状態だったから。<br><br>でも、状況を整理して行くうちに結婚して親になることだけが幸せではないと自分を甘やかそうと思いました。<br><br>気付いたら歳とっちゃってたんだもの…<br><br>それでも、まさか、こんな私を無償の愛で包んでくれる人と出会えるなんて思いもしなかった。<br><br>1人でずっと生きて行くと思っていたけれど、一緒に生きて行きたい人が見つかりました。<br>まずは、それだけでも、とても幸せなことだなと思います。<br><br>結婚を決める前、私は彼に言いました<br><br>「never(一生いらない)」と言わないで。<br><br>まだ先のことはわからないから、結果的に授からなかった…なら、それで良いけど、今neverは言わないでほしいと。<br><br>彼は約束してくれました。<br><br>そして<br>「絶対に私より先に死なないでね」(笑)<br><br>とにもかくにも、今は100%子供を持てる環境ではありません。<br><br>残念ながら、ものすごいお金持ちと結婚したわけではないので、私も将来的にはきちんと働かなければいけないのです。<br><br>私のキャリアはメイクの仕事15年…でも、ヘルニアでメイクを仕事にすることはもう出来ないので、1から何かを学ばなければいけません。<br><br>気が遠くなりそうです(笑)<br><br>でもこれが私の人生。<br>先のことは何も分からないけれど、素敵な旦那さんと2人で前向きに頑張っていこうと思います。<br><br>まずは将来のアメリカに期待したいので、サンダース氏が大統領になることを願います(笑)
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<pubDate>Wed, 30 Mar 2016 10:13:19 +0900</pubDate>
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