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<title>体験の語りを巡って</title>
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<description>ひとと出会い、出会いを生きる心理臨床家が徒然なるままに綴った体験の語り</description>
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<title>こころ臨床エッセイ（７）</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">グスコーブドリの伝記</span></b></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260516/09/bos50416har/52/55/j/o1409100015782724899.jpg"><img alt="" height="298" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260516/09/bos50416har/52/55/j/o1409100015782724899.jpg" width="420"></a></span></b></p><p style="text-align: center;">宮澤賢治･原作 司修･文と絵『グスコーブドリの伝記』（ポプラ社）</p><p style="text-align: center;">（&nbsp;『看護展望』「こころをみつめるVol.212」メジカルフレンド社、第50巻第9号86--87頁、2025年8月を改稿。太字は引用）&nbsp;</p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p>　</p><p>　宮澤賢治は、最愛の妹トシを亡くした10年後の1932年、『グスコーブドリの伝記』という童話を世に出しました。</p><p>&nbsp; &nbsp;&nbsp;<br>&nbsp; &nbsp; 賢治がくらしたそのころの岩手は、世界大恐慌の影響を受けて農村は貧困のきわみにありました。近代化を成し遂げた日本国が軍国主義へと突き進むなかで、国民の生活は窮乏の一途を辿っていたのです。当時、それは欠食児童の状況にも現れていました。北海道・東北地方を中心とする農漁村の欠食児童は全国で20万人を突破していたといいます（文部省（現：文部科学省）発表）。</p><p>&nbsp; &nbsp;<br>&nbsp; &nbsp; また、岩手の鉄道建設現場では、日本人作業員が朝鮮人作業員の飯場を襲撃し殺害する「矢作事件」という凄惨なできごとも起こっていました。現場付近のトンネルでは朝鮮人を「人柱」にしていたとも言われています（NPO法人Dialogue for Peopleによる。<a href="https://d4p.world/24551/">https://d4p.world/24551/</a>）。</p><p>&nbsp; &nbsp;&nbsp;<br>&nbsp; &nbsp; このような、不安定・不確実な世情と生活の困窮さらにはレイシズムの常態化という時代に、この作品は生まれました。宮澤賢治原作のこの作品の世界を、青を基調とした司修さんの原画と文章で旅してみたいと思います。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;作品の幕は次のような語りから開きます。</p><p><br><strong>グスコーブドリは イーハトーブの 大きな森の中にある きこりの家で生まれました ブドリにはネリという妹があって ふたりは毎日森で遊びました。</strong><br>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; 賢治が理想郷とした心象世界イーハトーブに生まれたブドリと妹のネリは、毎日森で遊んでいました。作品が生まれた当時の時代背景や賢治を巡る状況を思うとき、穿ちすぎかもしれませんが、ブドリとネリに賢治と2歳年下の妹トシを重ね合わせてしまったりします。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;月日が流れ、ブドリが10歳、ネリが7歳になった年、異常気象と大飢饉がイーハトーブを襲います。春になってもコブシの花は咲きません。5月になってもみぞれが降るありさまです。<br>&nbsp;</p><p><strong>たいていのくだものも 花が咲いただけで落ちてしまったのでした。</strong></p><p><br>稲も一粒も穫れませんでした。<br>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; 平和から飢饉へと一変するそこは、もはやイーハトーブと呼べるような世界ではなくなってしまったのです。ブドリが生まれてからの10年という年数は、トシを亡くした賢治がこの作品を世に出すまでの歳月でもあります。作品の着想は発表の10年前に得られたと言われていますので、この作品にトシを亡くした賢治の心情が込められていたとしても不思議はありません。そして、トシを失った悲しみをこころに焚いて力に変え前を向こうとしてきた賢治の脳裏には、その時代の世情はどのように映っていたのでしょうか。<br><br>&nbsp; &nbsp; この作品は「ありうべかりし伝記」とも言われています。すなわち、賢治の実体験が色濃く反映されていると言われているのです。当時の賢治は、自身の体験をその時代の世情のなかでいかに昇華するのかにこころを砕いていたのではないでしょうか。それは賢治が自身の癒やしを求める姿ではないかと感じられるのです。<br>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; ところで、このようなまさに大飢饉が現代という時代を襲ったとしてみると、どうでしょうか。奇想天外な発想でしょうか。自然の猛威に繰り返し晒されるこの国の姿をみるとき、それはけっして驚天動地の事態などではありません。現在の国家も自然災害への備えを整え国民のくらしと安全を守ろうとしています。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; けれども、往時の状況がいまとはまったく比べものにならない困窮ぶりだったことは史実にあきらかです。そのころの美濃の国でのことでした。ふたりの子どもが一家の食いぶちを減らすため、木こりの父親に向かって、丸太を枕にして横たわり自分たちを殺してくれと頼んだところ、父親が斧でふたりの首を打ち落とした。そんな悲惨な記録が残っています（宮本常一他編『日本残酷物語』平凡社）。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; さて、作品に話を戻しましょう。大飢饉のさなか、ブドリの父親は家を出て森に入って行ったっきり帰ってきませんでした。次の日の夜、母親も<strong>お父さんをさがしに行く</strong>と言って家を出て行ってしまい、帰ってきませんでした。ふたり残されたブドリとネリは、ただただ泣き回るしかありませんでした。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;20日ばかり経ったある日、<strong>籠をしょった 目のするどい男</strong>がやってきて、<strong>この地方の飢饉を助けにきたものだ</strong>と言うのでした。男はネリに向かって、<strong>おい女の子 おまえはここにいても もう食べるものがないんだ おじさんといっしょに町へ行こう 毎日パンをたべさせてやるよ</strong>とことば巧みに<strong>プイッとネリを抱きあげると せなかの籠へ入れて</strong>連れて行ってしまったのです。ブドリはというと、<strong>泣きながら森のはずれまで追いかけて行き 倒れてしまいました。</strong><br>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; &nbsp;人さらい（現代風に言えば誘拐犯）の登場です。ブドリのくらす世界はもはやイーハトーブなどではありません。大飢饉に襲われ、両親は子どもを捨ててどこかに行ってしまい、そしてとうとう妹までもがさらわれてしまったのです。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; いまの世相を思うとき、これはなにもファンタジーの世界のことだと高を括って安閑としてはいられない気持ちになります。周囲をみわたせば、自然災害、家庭崩壊、居場所のない子どもたちなど、成熟したと言われる社会のなかに、賢治の時代の苦しみがいまも渦巻いているように感じられてくるのです。哲学者ヘーゲルの「歴史から学ぶことができるただひとつのことは、人間は歴史から何も学ばないということだ」とのことばが浮かんできます。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; さて、ブドリはというと、なんと、荒れはてたイーハトーブのなかで学びを始めるのでした。<strong>木や草の絵を見て いっしょうけんめいそれを写して描いたり 文字もまねをして書きました。</strong>その姿はさながら自然のからくりをひもとき、この世に秩序をもたらそうとする懸命な姿に映ってみえてきます。近代の幕開けをそこにみることもできるように思います。<br><br>&nbsp; &nbsp; そんんなあるとき、大地が<strong>波のように ユーラリ ユーラリ ゆれました。</strong>大地震がやってきたのです。おのずと、阪神淡路大震災や東日本大震災が思い出されてきます。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; それからブドリは、野原のはずれで&nbsp;<strong>農家の手伝いをして 病気になったオリザ（稲）を 木の灰と食塩でなおしました。</strong>そして、農家の主人に別れを告げてイーハトーブ行きの汽車に乗り込み、イーハトーブ市にあるクーボー大博士の学校へと向かうのでした。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; まったく、ブドリの一途な姿をみる思いです。一心不乱にこの世界を、たったひとりの力で救おうとする姿が浮かんできます。同時にその姿は、大飢饉と家族崩壊で深い傷を負った自身のこころを癒やそうとする姿に重なるのです。もちろん、トシを亡くした悲しみを焚いて生きようとする賢治の姿も重なって映ります。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; クーボー大博士に認められた<strong>ブドリは イーハトーブ火山局で仕事をもらいました。ペンネン技師は サンムトリ火山の地図を調べ それまでの研究をブドリに教えてくれました。</strong></p><p><br>&nbsp; &nbsp; そんなある日、<strong>子どものころ誘拐された妹のネリ</strong>がブドリを訪ねてきました。なんとネリは結婚していたのです。<strong>ブドリはとても幸せな五年間</strong>を送ることになりました。ネリには男の赤ちゃんが生まれました。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; 物語がここで終われば、ハッピーエンドとまではいかなくとも、胸をなで下ろす結末と言えそうです。しかし、大飢饉がふたたびイーハトーブを襲ってきます。ブドリは、カルボナード火山を爆発させれば世界を救うことができると知ります。<strong>けれども 火山に行ったものの一人はにげられないだろう</strong>とクーボー大博士に言われるのでした。ブドリは、自分が犠牲になることを覚悟します。</p><p>&nbsp;</p><p>･･････････････</p><p><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;読み終えたいま、「犠牲」ということばがこころを駆け巡って止みません。そのことばでもって姿を現してくる世界をみる、そんな自分が怖ろしくもあります。</p><p><br>&nbsp; &nbsp; 昨年の早春のこと、仕事で盛岡を訪れた際、市内散策に出てみました。ホテルを出て、開運橋を渡り、アーケード街に歩を進めると、とある書店の軒先で、「岩手を知るならこれ」と、書店お勧めの一冊に出会いました（大牟羅良『ものいわぬ農民』岩波新書）。それは、岩手の山村で貧困と因習に喘ぐ農民たちの声を拾って編んだものでした。その書を手にして、ほんの一瞬、岩手の歴史の深淵に触れたような気がしました。アーケードを出てふり仰ぐと、早春の青空から爽やかな風が吹いてきました。ひとりの人間として、いまを愚直に一途に、歩いて行こうと思ったときでした。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bos50416har/entry-12966306799.html</link>
<pubDate>Sat, 16 May 2026 09:42:17 +0900</pubDate>
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<title>こころ臨床エッセイ（６）</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">『いじめのある世界に生きる君たちへ</span></b></p><p style="text-align: center;"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1em;">〜いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉〜</span><span style="font-size:1.4em;">』</span></b></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260220/09/bos50416har/87/47/j/o0348034815752874856.jpg"><img alt="" height="220" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260220/09/bos50416har/87/47/j/o0348034815752874856.jpg" width="220"></a></p><p style="text-align: left;">（&nbsp; 『看護展望』「こころをみつめるVol.208」メジカルフレンド社、第50巻第4号84--85頁、2025年4月を改稿）&nbsp;</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p>若いころ、世界と人間との関係についてじっくり考えたことがありました。たしかにひとは、生まれてくるときも死に逝くときもひとりですが、そのあいだの人生は、誰かとのそして世界とのかかわり合いに他なりません。はたして、その世界とひとはいかにしてかかわっていくのでしょうか。当時、そのことがこころを占めていました。そして、社会の近代化プロセスが排除の論理に支えられていることを知りました。近代化に不必要な、あるいは悪影響を与える危険性のある事象は社会の辺縁に排除されてきたという歴史的事実は、重量感をともなってこころに残りました。<br>&nbsp;</p><p>また、学校という世界にも、排除の論理が機能していました。いじめられ排除される男児をじっと見つめていた、そんな自分のことや、特定の生徒だけをかわいがる教師のことや、ある身体的特徴を理由にからかったり馬鹿にしたり仲間はずれにしたりする生徒のことや、ある生徒を集団で無視する光景を思い出したりしました。そんなふうにして、「いじめ」と呼ばれるこの世界の排除の実態にふれることになりました。こころが疼くようなたしかな感覚とともに、「いじめはなくならない」ということばが確信となってこころに刻み込まれていきました。<br>&nbsp;</p><p>そして最近、ある臨床家から「いじめの政治学」という文献を紹介されました。敬愛する中井久夫先生の筆になるものでしたが、不勉強ながら未知でした。この『いじめのある世界に生きる君たちへ』という作品は、その文献を子ども向けにリライトしたものです。すべてのひとに手にとって欲しいと思います。<br>&nbsp;</p><p>この作品に注がれた中井先生のお仕事の熱量にふれて、わたしのこころの深奥にある固く閉ざされていた扉が開(あ)きました。扉の向こうにあったのは、小学生のときの光景でした。家族が夕食を囲んで団らんを過ごしていたそのとき、わたしはひとりその輪から離れて、ひとりぼっちで出口のない世界にいて、生きる価値のない自分を噛みしめていました。それはわたしの、排除される側で生きていたときの一場面です。それは60年あまり前の体験ですが、いまもこのときも、同じように排除される側の世界を生きている人たちがいます。<br>&nbsp;</p><p>人間という生きものには権力欲があります。<strong>いじめは、他人を支配し、言いなりにすることです</strong>とのことばは、この世界の根底には権力欲がうごめき、その営みにいじめは起こり得ることを伝えています。<br>&nbsp;</p><p>では、悪ふざけといじめはどう違うのでしょうか。<strong>いじめかどうかを見分けるもっとも簡単な基準は、「立場の入れ替え」があるかどうか</strong>で、それが<strong>なければ間違いなく、いじめです。</strong>そう中井先生は言われます。たとえば、鬼ごっこという遊びで言えば、特定の人間が鬼と決まっているのならば、その遊びはいじめだということになります。鬼にされたひとを支配するという権力がそこに生まれるからです。子どもは権力に飢えていて、周囲でそれがうごめくさまをよく見て学んでいると先生はいいます。<strong>いじめの手口を観察すると、家でのいじめ、たとえば夫婦、嫁姑、年上のきょうだいなどのいじめ・いじめあいから学んだものがじつに多いのです。方法だけでなく、脅す表情や殺し文句もです。一部の先生の態度から学んでいることも事実です。</strong><br>&nbsp;</p><p>この作品では孤立化、無力化、透明化の三段階を経ていじめが進んでいくとしています。そしてそれは、<strong>恐ろしいことに、人間を奴隷にしてしまうプロセス</strong>だというのです。<br>&nbsp;</p><p>孤立化。それはいじめられる対象（被害者）を特定することからはじまります。<strong>ターゲットのささいな身体の特徴や癖からはじまって、根拠のない「けがれ」、顔の善し悪し、どうでもいいような行動などを問題にします。</strong>そうして被害者が特定されていきます。<strong>リーダーになりたくてなれずにイライラしている</strong>周囲の人間にとって被害者は<strong>「自分より下」の人間</strong>ということになり、それが周囲の<strong>気休めになります。</strong>また、いじめられる理由はときに教師や親など大人の同調を促します。たとえば、被害者に<strong>そんなところがあるよなぁ</strong>などといったことばです。そうなると被害者は<strong>「自分はいじめられてもしかたない」という気持ちにだんだんさせられるのです。</strong><br>&nbsp;</p><p>この段階で被害者の側に寄り添ってくれる教師や親がいると被害者は救われます。わたしの体験ですが、いじめられて泣きながら帰宅したわたしの頭をなでて「何があってもおばあちゃんはあんたが好きやで」と言ってくれた優しい祖母の姿が思い出されます。しかし、<strong>残念ながら大人がいじめに対して有効な介入をしないことがあまりに多い</strong>と中井先生は指摘しています。<strong>被害者は、いじめがひどくなっていく全ての段階で「これを見て何とか気づいてくれ」というサインをまわりに、特に先生や両親に出し続けます。しかし、このサインが受け取られる確率は、太平洋の真ん中の漂流者の信号がキャッチされるよりも高いと思えません</strong>と言うのです。世界は排除の論理から共生のそれへとパラダイムシフトし変容しつつあるのですが、いまもなお、いじめは止むことなく続いています。わたしは僥倖だったのかも知れません。<br>&nbsp;</p><p>続く無力化の段階は、<strong>被害者に「反撃は一切無効だ」と教え、被害者を観念させることです。</strong>暴力をふるい<strong>誰も味方にならないことを繰り返し味わわせます。</strong><br>&nbsp;</p><p>最後の透明化の段階になると、<strong>被害者は孤立無援で、反撃も脱出もできない無力な自分がほとほと嫌になり、少しずつ自分の誇りを自分でほりくずしていきます。</strong>周囲からはいじめの実態が見えにくくなり、被害者もその実態を隠すような行動に出たりします。<strong>大人の前で加害者と仲良しであることをアピールしたり、楽しそうに遊んでみせたり</strong>するのです。そして<strong>被害者は「自分は被害者だ」という最後の自分の拠り所さえ奪われ</strong>てしまう。そうして出口をなくした被害者には、この状況は<strong>絶対に出ることのできない絶滅収容所だと感じられます。その壁は透明ですが、しかし、眼に見える鉄条網より強固です。</strong></p><p><br>平易なことばですが、人間を奴隷にしてしまうプロセスの記述にふれて、自身の体験も想起され、震撼する自分がいました。<br><br>最後に対策について、中井先生はこう述べています。<strong>まずいじめられている子どもの安全の確保であり、孤立感の解消であり、二度と孤立させないという大人の責任のある補償の言葉であり、その実行であるとだけ述べておきます。</strong>具体的にどうするのかは状況に拠るのでしょう。ただ、それにしてもこのことばは「分断と孤立」の現代社会においてひととひととのつながりの重さを説く実に尊い語りだと思えてなりません。</p>
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<pubDate>Fri, 20 Feb 2026 09:54:03 +0900</pubDate>
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<title>こころ臨床エッセイ（５）</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;">『</b><strong>身体の傷とこころの癒やし</strong><b style="font-weight:bold;">』</b></span></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251220/14/bos50416har/6d/75/j/o3024403215731986317.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251220/14/bos50416har/6d/75/j/o3024403215731986317.jpg" width="220"></a></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">（千早 茜 著　2024年　集英社）</p><p style="text-align: left;">（「こころをみつめる Vol.207.」（『看護展望』2025年3月号）を全面改稿。引用は太字）</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p>日本人のこころにたしかに宿り始めたのは、おそらく高度経済成長期からではないでしょうか。それは、「人生をいかに生きるのか」という、すべての日本人に求められる「生きがい」というテーマです。経済成長の波に乗って物質的な豊かさを享受していったその先に、こころの豊かさを求める時代が到来したというわけです。誰しもこころ豊かに、幸せに暮らしたいと思います。では、どうすればそれを手にすることができるのでしょうか。<br>&nbsp;</p><p>こうしたテーマに向き合ってみますと、まさに現代というのは予期せぬできごとが平穏な日常に暴力的に侵入してくる時代であることがわかります。交通事故しかり自然災害しかりです。また、平穏な日常の裏側では権力欲や性的欲求の渦巻く世界があります。このような現代にあって、いったい、どのように生きていけばよいのでしょうか。現代人にとって、真にかけがえのないものとは何なのでしょうか。<br>&nbsp;</p><p>&nbsp;　</p><p>今回紹介する作品は、このような現代に生きるなかで生まれる「傷」を主題とした「10の物語を通して『癒える』とは何かを問いかける、切々とした疼きとふくよかな余韻に満ちた短編小説集」です。<br>&nbsp;</p><p>&nbsp;第一話「竜舌蘭」は、百貨店の婦人服売場で主人公の店員が白髪まじりの男性客の苦情に対応するシーンから始まります。<br>&nbsp;</p><p><strong>「申し訳ございません」<br>「謝ればいいって思ってんだろ」<br>「お客さまのご意見は必ず上の者にお伝えしますので」<br>「ので？」…<br>「のでって、なんだ。だからさっさと帰れっていうのか。お前、客の俺に命令するのか。突っ立って笑ってるくらいしか能のない受付嬢が。いますぐその上の者とやらを呼べ！」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>カスタマー・ハラスメントを画に描いたようなシーンです。人間同士がかかわり合う場面では、つねにとは言わないまでも、しばしば体験することではないでしょうか。そうした迷惑・暴力行為は、学校教育の場面ではモンスター・ペアレント、医療場面ではペイシェント・ハラスメントあるいはモンスター・ペイシェントなどと呼ばれて社会問題にまでなっています。<br>&nbsp;</p><p>さて、<strong>警備員がやってくるまで怒鳴り続け</strong>たというこの男性がいなくなってから、同僚の店員は、自分たちが人間扱いされていないとため息をついて、その男性に「思い知らせてやりたい」と言います。それに応えて主人公の店員は、<strong>「簡単だよ……罵倒されるごとに血を吐けばいい……人は人の痛みに気づかないから。血が噴き出すまでは」</strong>と、びっくりするようなことばを吐き出します。実はこのことばは、高校時代にクラスで徹底的な無視に遭いその存在を黙殺された主人公の体験からもたらされたものだったのです。<br>&nbsp;</p><p>無視されることほど辛いことはありません。クラスにいるのだけれども、その存在がクラスから消されてしまう。子どもが養育から無視される、いわゆるネグレクトもそうですが、自分の存在が抹消されるということは自身の存在理由を失うということを意味します。それは、「自分なんかいなくてもいいんだ」「生きていたって仕方がないんだ」などといった思いに容易に結びついて、死への希求とつながっていきます。<br>&nbsp;</p><p>さて、高校時代、主人公は意外なことからクラスの注目を浴びることになります。登校途中に、<strong>植木鉢をたくさんだしている家の横を通り過ぎたとき、一瞬ふとももに熱い線が触れたような気がした。</strong>竜舌蘭に脚を切られたのです。すっぱり切れた傷口から噴き出す血にまみれた主人公は、しかし自分ではそのことに気づかずクラスに入って行きます。すると、<strong>全員が驚いた顔で私を見ていた</strong>ことに気づくのでした。それは、身体から流れる血が無視という呪縛を解いた瞬間でした。<br>&nbsp;</p><p>当然のこと、傷の原因を知ろうと周囲は躍起になります。無視とは正反対に中心人物になってしまう主人公。けれども、口を開くことはありません。とうとう教師は同級生に矛先を向け個別面談をすることになります。そして、主人公が無視されていたことを知るのです。無視を主導した女生徒たちは、<strong>「習い事のストレスで」</strong>とか<strong>「なんとなく」「はじめは数日のつもりだったけれど、なんか平気そうに見えたから」</strong>などと軽口で答えたのでした。<br>&nbsp;</p><p>そんな些細な理由でと思うでしょうか。実際のところ、無視という暴力はしばしばそのようにして生まれてきます。だから、暴力を浴びる当人もその理由を知ることができないのです。浴びせた方もそれを暴力だとは思っていなかったにちがいありません。<strong>人は驚くほど、人の痛みに無自覚なのだ。</strong>些細な理由で傷は深く刻まれていくのです。<br>&nbsp;</p><p>竜舌蘭に脚を切られたという怪我の原因が無視という暴力だったわけではありません。けれども、怪我をきっかけに暴力は止みました。暴力に見舞われているときに、怪我によって噴き出した血は相手に主人公の痛みを知らしめたと言えるでしょう。けれども、暴力は止んでも、身体の傷は癒えても、百貨店の店員になっても、傷は消えることなくこころにその座を占めていたのです。<br>&nbsp;</p><p>百貨店の休憩室で主人公は、スマホをのぞき込んでくる同僚の店員に竜舌蘭の写真を見せながら、この植物に切られて<strong>血まみれにされたこと</strong>を<strong>「嬉しかった」</strong>と話します。あのとき、無視という<strong>沈黙に殺される中、</strong>竜舌蘭が<strong>目を背けようもない傷をつけてくれたことが</strong>嬉しかったのだと<strong>。</strong>その傷は、<strong>私が在ることを、私の痛みを、暴力的なまでにはっきりと示してくれた</strong>からなのだ、と。<br>&nbsp;</p><p>無視という暴力に晒されているとき、主人公は血を流し痛みに苛まれていた。それはいわばこころの傷です。けれども、その傷は周囲には見えません。首謀者の<strong>「なんか平気そうに見えたから」</strong>ということばが示すとおりです。ではその傷は、どうすれば周囲の目に留まるのでしょうか。<br><br>こころの傷などというものは些細なものにしか過ぎないと等閑視できるのでしょうか。たしかにその当人の人生に深い痕跡を刻み残していく、そのこころの傷に目を背けて生きることはできるのでしょうか。<br><br>当人にしてみれば、そんな傷など見たくもない、思い出したくもないのかも知れません。けれども、傷をありありと感じることをとおして、はじめて自身を癒やすことができることを、この物語は教えています。<br>&nbsp;</p><p>専門的にいえば、それは「心的外傷後ストレス障害（PTSD）」と向き合うことだと言えるでしょう。<br>著書『生きがいについて』で知られる神谷美恵子さんは、ハンセン病という辛酸を嘗め尽くした人たちの人生に「生きがい」を見出すプロセスを見つめてきた精神科医ですが、この著書のなかで、そのプロセスは<strong>「長い、苦しい荒野での「道程」である」</strong>とも記しています。&nbsp;<br>&nbsp;</p><p><strong>「ガラスはほんとうはとてもとても頑丈だけど、目に見えない傷がたくさんついていて、なにか衝撃を受けたときに割れてしまうものだって。……そういう目に見えない傷のことをグリフィスの傷っていうんだって」。</strong><br><br>現代人は誰しも、グリフィスの傷を抱えて生きています。そして、ガラスが割れるほどの衝撃を受けてもなお、長く苦しい道を歩きながらも、ひとはそこから生きがいを見出すことができる、その思いをこころに宿して生きたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 20 Dec 2025 14:46:50 +0900</pubDate>
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<title>こころ臨床エッセイ（４）</title>
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<![CDATA[ <h3><!--block-->『仏像は語る』</h3><p><!--block-->(西村公朝著&nbsp; 1996年 新潮文庫)&nbsp;</p><p><!--block-->（「こころをみつめる Vol.22.」（『看護展望』2009年10月号）を全面改稿。引用は太字）<br>&nbsp;<br>&nbsp;<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251021/09/bos50416har/82/8a/j/o0202027715700374185.jpg"><img alt="" height="277" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251021/09/bos50416har/82/8a/j/o0202027715700374185.jpg" width="202"></a><br>この作品から、仏像彫刻家であり僧侶である西村公朝さんの人生をかいまみることができます。そこには西村公朝というひとりのひとの人生が綴られているのですが、それをとおしてより普遍的に、ひとが生きることの不思議と宗教性を感じさせられます。実に魅力的で、深い人間洞察に満ちた味わい深い作品です。<br>&nbsp;<br>&nbsp;こころの臨床実践では、ひとりの悩みを抱えたひとの語りを聴くのですが、その語りはときに当人を超えてひとの生全般に共通するテーマをもたらしてくれます。それはまさに、個から普遍にいたるプロセスといえるでしょう。ひとの生という大海原を、語り手とともに深く潜ってゆくような具合です。そこでは、こころを照らす感性が必要になってきます。<br>&nbsp;<br>西村公朝さんはさながら仏像の声を聴くことのできるひとです。深い感性でその声を聴くことのできる稀有のひとではないでしょうか。<br>&nbsp;<br>&nbsp;このようなことがあったといいます。ある在家のひとが、檜を素材にして30センチほどの日蓮上人の坐像を彫ってほしいと頼みに来ました。しかも、21日間で仕上げてほしいと。依頼を引き受けてあと2、3日で完成というところまでこぎ着けたところ、あることが起こります。<br>&nbsp;<br><strong>像をうつむけにして背面のところを鑿（のみ）でコンコン叩いていたら、日蓮さんの鼻先がポロッと欠けてしまったのです。</strong><br>&nbsp;<br>ほんの少し欠けただけなので接着剤でなんとかなりそうでした。しかし、<br>&nbsp;<br><strong>私の気持ちとしては、どうしても落ちつかないのです。その依頼主には気づかれることもないでしょう。でもそれだけに、自分の気がとがめてどうしようもありません。</strong><br>&nbsp;<br>&nbsp;気がとがめてどうしようもない、そんな体験は誰にだってあるでしょう。そのとき、締め切り日や工期などの現実を優先させるのか、それとも自身のこころの声を聴くのか、それによって進む方向は変わってきます。どちらが正しいということではないでしょう。ただ、そこに当人のありようが顕れてくることはたしかです。<br>&nbsp;<br>期限は21日間。あと2、3日で完成というときに起こったこのできごとをまえに、公朝さんは自身のこころの声に耳を傾け、彫り直すことにしました。<br>&nbsp;<br><strong>結局、顔全体を新たに彫ったことになります。そうやってみると、何だか前よりよくなったような気もしました。</strong><br>&nbsp;<br>坐像は無事に完成しました。受けとりにきた依頼主は<strong>じっくり眺め入ってとても喜んでくれました。</strong>公朝さんは、<br><br><strong>ほっとした気持ちとともに、黙っていてもよかったのですが、これこれで鼻が欠け、それで一所懸命に掘り直しましたら、かえってよくなったと思う、と話したのです。</strong><br>&nbsp;<br><strong>それはあたり前です</strong>という依頼主は、<br><br><strong>私は21日間、丹波の妙見山に籠って毎日滝に打たれていました。先生に日蓮さんを彫ってもらっている間ずっと滝に打たれて、先生がうまく彫れますようにと願かけしていたのです。だから、日蓮さんがこの顔は気に入らんといって鼻を欠かしたにちがいありません。</strong><br><br>公朝さんは、<br><br><strong>その話を聞いたとき、水をかぶせられたような気がしました。……依頼主は、ただお金だけ払えばいいというような態度で頼みっぱなしにするのではなく、自分自身が私以上に苦行していてくれたのです。そのことに私は驚き感動しました。</strong><br>&nbsp;<br>坐像の鼻が欠けたことと、依頼主が願かけしていたこととのあいだには、なんの因果関係もありません。ですから、たんなる偶然といっていいでしょう。けれども、この話にはふたりのあいだの関係が生きていると感じます。関係が生きるためには、そこに感性が不可欠になります。しかもこの話からは、坐像を彫るという営みにふたりともが真剣勝負をしているわけで、そこに深い感性が生きていることがわかります。<br>&nbsp;<br><strong>仏師に仏像を発注したら、あとは料理屋で酒を飲んで出来上がるのを待っているような住職を実際見るにつけ、やはり仏像を造像するときには、彫る人が一所懸命彫ればいいだけでなく、まず頼んだ人、それに関係する人みなが真剣に取り組まなければいけないということです。そのために、彫る前に加持祈祷をし、関係者一同が鑿入れ式の儀式を行なうのだと思います。みなの気持ちがひとつになってはじめて、清浄なる材木が、それ以上のものに浄められるのでしょう。</strong><br>&nbsp;<br>この語りは、合理性が極点にまで達した感のある現代に一石を投じているのではないでしょうか。<br>&nbsp;<br>さて、仏師となってはじめて、京都の三十三間堂の千手観音の修復を手がけることになった西村公朝さんでしたが、ほどなく召集令状が届いて中国に出征することになります。中国各地を転々とするある日のこと、その夜中行軍の際に疲労のあまり歩きながら眠ってしまい、そこでこんな夢を見ました。<br>&nbsp;<br><strong>&nbsp;ふっと体が軽くなり、右手に銃を持っている私の姿が浮かび、その右側にズラッと並んだいくつもの仏像の姿が見えたのです。あっ、これは三十三間堂の千手観音かな、と思ったのですが、よく見ると薬師如来もいるしお地蔵さんもいるし、いろいろな仏さんがいて、皆どこかがこわれているのです。しかも千体どころか、何千何万と並んでいる。それらのズラッと勢揃いした仏像を、私はまるで閲兵式のように横目で見ながら歩いているのです。「あんたら、私に直してほしいのか」と私は聞きました。そして「直してほしいのなら、私を無事に帰してほしい」と言葉を継ぎました。</strong><br>&nbsp;<br>この夢は、公朝さん自身の声でも聴くことができます。<br><br>NHKアーカイブス「あの人に会いたい File No. 70」<br>&nbsp;<a href="https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250070_00000">https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250070_00000</a> )。<br><br>そこでは、<strong>私に直してほしいのか</strong>との問いに、仏像たちはうなずいたと語られています。これは、夢のなかでの仏像たちとの対話といってもよいでしょう。まったく、とてつもない夢だと思います。これはけっしてうがちすぎではなく、公朝さんは実際にも仏像とこころをかよわせていたように感じるのです。</p><p><!--block-->この夢が夢み手の人生をおおきく変えたといってもよいでしょう。なんといってもまず、生きて戦地から無事に戻ってくることができました。<br>&nbsp;<br><strong>今でも不思議だと思うのですが、四年間も戦地にいて、実は私は一度も敵兵を見たことがないのです。もちろん弾を一発も撃たないですみました。<br>&nbsp;</strong><br>そんなことがあるのかと驚くとともに、夢がもたらした力をも強く感じます。ユングの高弟C.A.マイヤーの『夢の治癒力』という名著がありますが、まさに夢が公朝さんを生へと導いたように感じるのです。<br><br><strong>私は、こわれた仏さんたちに守られているような気持ちで終戦を迎え……無事に帰ってきました。<br>&nbsp;</strong><br>ここで、アウシュヴィッツの地獄を生き延びた実存心理学者ヴィクトール・フランクルが、妻との内的対話について語っていることばが思い出されました。<br>&nbsp;<br><strong>人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。収容所に入れられ、･･･思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況･･･にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ（ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』（池田香代子訳 2002年 みすず書房）。<br>&nbsp;</strong><br>こわれた仏像たちとの、そして愛する妻との関係がそれぞれの生への道を開いたといえるのではないでしょうか。まさに死から生への転回点に関係が生きていることを感じます。<br>&nbsp;<br>さて、戦地から戻った公朝さんは、三十三間堂の千手観音の修復に打ち込み続けます。仏像の修復は、<br><br><strong>まず仏像をお堂から担架で運び出し、西側の広場でゴザの上に置き、はたきで埃を落とすところから始まります。<br>&nbsp;</strong><br>そして不思議なことが起こります。<br>&nbsp;<br>ある日その埃のなかから、偶然にも<strong>米粒ぐらいの大きさの金箔</strong>を見つけて、それが<strong>千手観音の仏さまのように感じられたのです。</strong><br><br>そのことを妙法院の執事長に話すと、こういわれました。<br><strong>金箔のくずが仏に見えたというのなら、それはあなた、ぜひ得度しなさい。</strong><br><br>感性の深い次元で仏像との関係が生きていることを感じさせるできごとです。だから執事長は得度を勧めたのではないでしょうか。仏教の世界観を伝える仏像との関係を生きているわけですから、その世界に度（わた）るのは自然なことに思えたのではないでしょうか。公朝さんも次のように語っています。<br><br><strong>仏教そのものをよく知らないと本当にいい仏像はできないのではないか。</strong><br><br>さて、得度して京都の愛宕念仏寺の住職となった西村公朝さんが目の当たりにしたのは、寺の荒れようでした。本尊の千手観音菩薩像は、42本ある手が4本しか残っていませんでした。菩薩像の修復に取りかかり、涙を流しながら38本の手を彫り続けます。そのとき、あの戦地での夢がよみがえってきました。<br><br><strong>あの何千、何万といた破損仏の中に、この本尊もいたかもしれない。そして、夢の中でその傷んだ仏たちにいった私の言葉——あなた方が私に修理してほしいのなら、私を無事に帰してほしい——を思い出します。あの夢の中で対話した仏さん、それがここの本尊だったのかもしれないのです。<br>&nbsp;</strong><br>ここでも西村公朝さんは夢に導かれています。まったくもって、すばらしいと思います。このように、夢が夢み手の人生を導く経験はわたし自身にもあります。そのことはいくつかの著作でも述べてきました。もちろん、実際に決断するのは自分自身なのですが、その決断に夢がおおきな役割をはたすのです。それはさながら、わたしという存在全体が丸ごと生きようとしているようなものだといえるでしょう。<br>&nbsp;<br>ところで、仏像は仏教の世界観を伝えると先に述べましたが、素材を鑿で加工しただけの、いわば物体がどうして仏教の世界観を伝えることになるのでしょうか。これについて、公朝さんはこう語っています。<br><br><strong>仏像が仏像になるためにはある儀式が必要です。仏像を造ったからといって、すぐにそれが仏の法力を発揮するわけではありません。仏像が完成して、祭壇に安置し、御魂入れの儀式、つまり開眼式というものを行なって、はじめて仏像は本来の仏像になるのです。</strong><br>&nbsp;<br>しかし、開眼式を行なうだけでは御魂は仏像には入らないのだそうです。<br>&nbsp;<br><strong>最後のスイッチを押すのは、実は信者さんなのです。拝む側にその気持ちがなければ、せっかく御魂を迎えてもなんの意味もないことになってしまいます。<br>&nbsp;</strong><br>その拝む姿勢が合掌です。そうして、仏像と拝み手とのあいだには、<br>&nbsp;<br><strong>仏と人間の、心と心が結びついた信仰という太い絆が存在してくるのです。<br>&nbsp;</strong><br>では、長年に亘って信者から拝まれてきた仏像には御魂が入っているわけですから、その仏像を修理するときはどうするのでしょうか。もちろん、御魂が入ったままで鑿を当てることはできません。<br><br><strong>信者と仏の関係が真剣であればあるほど、いかに仏像そのものが壊れていても、御魂はその全身に、すみずみまで入りこんでいるのです。仏像の修理はごく頻繁に行なわれていますが、しかし修理するからといって、御魂が抜けているわけではありません。ですから修理するときには、まず御魂を抜いておかなければなりません……この御魂を抜く儀式を撥遣式といいます。<br>&nbsp;</strong><br>が、御魂が抜けたかどうかを目でみてたしかめることはできません。<br><br><strong>まず御魂が抜けたものと観想し、そう信じなければ、無闇に釘など打てるものではありません。<br>&nbsp;</strong><br>ここにも仏像とひととのあいだの関係、こころの対話を想います。こちらが抜けたと信じなければ修理はできない。信じるプロセスには、きっと仏像との対話が重ねられていることでしょう。<br>&nbsp;<br>荒れ寺となっていた愛宕念仏寺の仏像の修理を手がけていたときのこと、地蔵菩薩の修理をしようとして、<br>&nbsp;<br><strong>御魂抜きをしようと拝んでも、どうしても抜けないのです。……それで、その後も何度か御魂抜きを試みてはいるのですが、いつ拝んでも、仏さんから「まだ早い」といわれているようで、どうしても御魂が抜けた感じがしないのです。以来三十年以上たっているのに、いまだにそのままで修理ができないでいるのです。自分の修行の未熟さを、お地蔵さんに見透かされていたのでしょうか。<br>&nbsp;</strong><br>30年以上も地蔵菩薩との対話を続けていること自体、途方もないことです。おそらく、さっさと修理してはどうかという助言もあったでしょう。やってしまえとささやく内なる声もあったかもしれません。しかし、公朝さんはそうはしませんでした。スピード感が求められる現代社会ではおよそ考えられないことですが、ここには、西村公朝というひとりの仏師が得度をして僧侶になり、仏との対話に生きようとする姿を、まさに人生の姿をみることができるのではないでしょうか。<br><br>さて、御魂抜きを試みてから34年後、<br>&nbsp;<br><strong>その像を祀っている地蔵堂の雨漏りが激しくなり、早急に修理の必要にせまられました。その修理にはどうしても、お地蔵さんに、お堂から出ていただかねばなりません。そこで、これまでと同じように御魂抜きの作法を真剣に行なったのですが、やはり抜けません。<br>私は考えあぐねた末に、これは、本堂の本尊さんに助けてもらうほかないのではないかと思いました。そこでお地蔵さんを、そのままそっと袈裟で包み本堂に移しました。そして本尊千手観音の傍に、お地蔵さんを安置し荘厳して、御魂抜きの作法をいたしましたところ、意外に簡単に抜けられたように感じました。やはり、本尊さんが助けてくれたのでしょう。<br>&nbsp;</strong><br>西村公朝さんは、この作品の最後にこう語っています。<br><br><strong>想えばお地蔵さんは、私を一人前の僧に仕立てようと、私には特に厳しく教化して下さったのでしょうか。それは、私がはじめてこのお地蔵さんに御魂抜きの作法を行なってから、実に三十四年後に私の願いを聞き入れて下さったのです。さらにその私を、またも助けて下さったご本尊の千手観音さんとの深い仏縁など、しみじみ心に思った一日でした。 </strong><br>&nbsp;<br>桜の季節がやってきました。花見がてらにお寺に足を運んで、仏像に向き合ってみたいこころもちになりました。&nbsp;<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bos50416har/entry-12939870057.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Oct 2025 09:39:03 +0900</pubDate>
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<title>こころ臨床エッセイ（３）</title>
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<![CDATA[ <h3><!--block-->『ヒルベルという子がいた』</h3><p><!--block-->(ペーター＝ヘルトリング作 上田真而子訳 1978年 偕成社)&nbsp;</p><p><!--block-->（「こころをみつめる Vol.2.」（『看護展望』2008年2月号）を全面改稿。引用は太字）</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251015/10/bos50416har/10/f5/j/o0180026015696922927.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="260" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251015/10/bos50416har/10/f5/j/o0180026015696922927.jpg" width="180"></a><br>&nbsp;<br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;<br>若いころ、ある身体障害者福祉施設ではたらく職員の人たちに、心理的側面からの助言をするという活動をしていたことがありました*。身体機能が通常のようにははたらかない子どもを抱えて、家族は日常生活全般に亘ってたいへんな思いをしてくらしていたのですが、そのことはこころの襞にも深く刻み込まれていました。そこからは、子どもの、そして自分自身の生きる意味を求めて彷徨する姿が垣間みえたりしてもしていました。<br><br>&nbsp;あるとき、最重度の身体障害の子どもとくらすお母さんが語気強くこういいはなったことがありました。<br><br><strong>こんな子がいたってなんの意味があるっていうんや。幸せな人生を送れるわけでもないし、ましてや結婚なんてできるわけもない。こんな子、いない方がいいんや！ 殺してしまいたい！</strong><br><br>この悲痛な叫びに正面から向き合うとき、黙するよりほかになにかできることはあったのだろうかと、いまも思います。<br><br>このような場面にでくわすときはいつも、ヒルベルのことが思い出されるのです。この作品をはじめて手にしたときから、わたしのこころにヒルベルが棲みつき、ことあるごとに姿を現わしてくるのでした。<br>&nbsp;<br>９歳になるヒルベルは、生まれてくるときに鉗子分娩だったために、頭に傷を受けてしまい、たえまなく頭痛を訴える子どもでした。<br><br><strong>頭がきりきりいたみだすと、むしょうに、はらがたって、もうなにがなんだかわからなくなるのだった……。</strong><br><br>ヒルベルのこの病気は不治で、頭痛は進行し、いずれ病院ぐらしになるだろうと医者はいいます。父親は不明で、母親には見棄てられ、町はずれの子どもの施設でくらしていました。<br><br>医学的にはこのような説明がつくのですが、さていったいヒルベルというのはどんな子どもなのでしょう。この作品を読んだ河合隼雄先生はこう問いかけてきます。<br><br><strong>ヒルベルのような子は何をするためにこの世に生まれてきたのだろう。そして、われわれはヒルベルに対して、何をすることができるのだろう。<br>&nbsp;<br>&nbsp;</strong>身体はやせていたけれども腕力のあるヒルベルは、<strong>ほかの子どもたちからおそれられてい</strong>ました。施設の子どもたちは、<strong>ヒルベルって、ほんとうに悪い子だよ</strong>と口をそろえます。<strong>でも、それはほんとうではなかった。ただ、ほかの子どもたちには、ヒルベルが理解できなかったのだ。</strong>著者のヘルトリングはそういいます。「悪い子だ」というのは、ヒルベルを「理解」できていないからだというわけです。<br><br>そうはいってもヒルベルは悪い子と呼ばれても不思議でないことばかりしでかします。小便をひっかけてびしょぬれになった自分のパンツを、保育士のマイヤー先生の顔に投げつけたり、散歩のときにいなくなって周囲を困らせたり、羊（ヒルベルはライオンだと言い張るが）の群れに入って羊飼いのおじさんを困らせたり、けんかをして相手ののどを殴ったり……。ヒルベルがそんなことをしでかすのはヒルベルが病気だからなのですが、しかしはたしてそれでヒルベルを理解できたといえるでしょうか。それは医学的な理解でしかないでしょう。<br><br>ヒルベルは<strong>医者の診断がつく病気</strong>と<strong>医者ではなおせない病気</strong>の二種類の病気に罹っていたのだと、「著者あとがき」のなかでヘルトリングは、そう子どもたちに語っています。この後者についてはこんな語りが続きます。<br><br><strong>つまりね、ヒルベルには、ほんきで心配してくれる人が、だれもいなかった。そして、ほとんど施設や病院でばかり、くらさなければならなかった。いっしょに遊んでくれる子どもは、ひとりもいなかったし、信用してくれる人もいなかった。だから、ヒルベルは病気だったんだよ。<br>&nbsp;ぼくは、この病気のほうが問題だと思っている。この病気は、みんながそっぽをむいて、ヒルベルをかわいがる人が、ひとりもいなかったら、ぜったいなおらない病気だ。<br>&nbsp;</strong><br>&nbsp;ところで、近年、発達障害ということばが子どもを巡るさまざまな領域でしばしば耳にされるようになりました。アスペルガー症候群、高機能自閉症、広汎性発達障害……。けれども、そのようにして子どもの行動を診断することはできても、それでその子が理解できたわけでは毛頭ありません。実際にその子とかかわってみると、知らないことばかりだとたちまちのうちに気づかされます。診断名によってその子について理解したつもりになっていても、それだけではその子を知ったことにはなりません。というのも、ひとはかかわり合いの世界に生きているわけで、このかかわり合いの世界から<strong>医者ではなおせない病気</strong>が生まれてくることがあるのです。かかわり合いがその子に苦痛を与えることだってあるわけです。そのことに気づかずに、安直に子どもを理解したなどと高を括っているひとがいるとしたら、とんでもないことです。<br><br>ヒルベルに戻りましょう。ヒルベルは人並みはずれた美しい声の持ち主でした。けれどもそのことは<strong>医者の診断がつく病気</strong>からは理解することができません。<br><br><strong>医者は、ヒルベルの病気についての診断はつけていたが、ヒルベルの心の中はのぞけなかったから、それとてなんの助けにもならなかった。</strong><br><br>わたしは思うのですが、まずはその美しい声をヒルベルとともにしてみることがたいせつなのではないでしょうか。それこそがかかわり合いの世界に生きるということですし、その体験こそが尊いのだと思うのです。<br><br>さて、音楽の時間のことでした。ヒルベルの歌声は、教会のオルガン奏者クンツさんの伴奏とまったく合いません。そこで<strong>クンツさんは、ヒルベルにオルガンの演奏で歌うことをおしえ</strong>ようとします。しかしヒルベルは、クンツさんがまちがっているといって譲りません。そこで<strong>クンツさんは音楽というもののそもそもから説き起こし、作曲家について、作曲について、ヨハン＝セバスチャン＝バッハについて話してきかせ</strong>ました。でも、ヒルベルにはまったくわかりませんでした。<br><br>そんなこんなで、いよいよ伴奏会の夜がきました。クンツさんは伴奏に合わせてヒルベルに歌わせようとして、<strong>オルガンをひときわ高く鳴りひびかせ</strong>ました。どうなったかといいますと、<strong>またしてもヒルベルは、その音はまちがっていると思った。そして、歌うまいと決心した</strong>のです。ヒルベルは頑として譲らない。それはかたくなな姿勢だということもできますが、まちがいだと思ったことは貫きとおす、忖度や迎合とは無縁の強くて純粋な意思の姿勢だと、わたしは思います。<br><br>周囲はなんとしてもヒルベルに歌わせようとします。そして、とうとうオルガンなしで歌うことになったのです。ヒルベルの口から天使のように美しい歌声が流れ出てきます。その歌声は、聴衆を一瞬のうちに魅了したのでした。<strong>どこからあんなにすばらしい声がでるんだろう、まったくふしぎだ</strong>と、ヒルベルの頭をなでながらクンツさんはいいます。わたしはこのとき、クンツさんはヒルベルをとおして音楽そのものを知ったのだと思いました。音楽を枠組みから理解するのではなく、音楽のいのちにふれたのだと思うのです。それはまた、クンツさんのこころにヒルベルが生き始めた瞬間でもありました。<br><br>さて、施設には医者のカルロス先生が毎日やって来ます。<strong>ヒルベルにとくにやさしかった</strong>先生は、施設の子ども三人を引き取ってくらしていました。ヒルベルもやさしいカルロス先生の子どもになりたいと思いました。父親は行方不明で母親に見棄てられたヒルベルには、家庭や家族の体験はありませんでした。そんなヒルベルはやさしい先生に父親になってもらいたいとせつないほどに思ったのです。カルロス先生の気を惹こうとするヒルベルでしたが、なかなかうまくいきません。そしてとうとう、病気になればカルロス先生の家に行けると思って仮病を使ってみたのです。しかし、うまくいきませんでした。カルロス先生は医師ですから、ヒルベルの仮病を見破ることはむずかしくありませんでした。<br><br>そんなある日ヒルベルはこう尋ねます。<strong>先生のところ、今、なん人、子どもいる？ </strong>カルロス先生は応えます。<strong>三人だよ。ずっと三人だよ。それいじょうは、うちにはむりだからな。</strong>ヒルベルはどんな気持ちだったでしょう。<strong>それを聞くと、ヒルベルはすっとでていった。カルロス先生ははっとした。</strong>カルロス先生はヒルベルの仮病の意味、問いかけの意味を知ったのでした。<strong>カルロス先生はヒルベルをとてもかわいがっていたが、家につれて帰ることはできなかった</strong>のです。<br><br>実に印象深いシーンだと思います。カルロス先生はヒルベルにやさしかった。とはいえ、ヒルベルになにもできなかった。それどころかヒルベルに哀しみを味わわせたといえるかも知れません。カルロス先生の心中はいかばかりだったでしょう。現実的には致し方のないことだといっても、先生もまた辛かったのではないかと思います。<br><br>ここで、図式的には先生がヒルベルを見棄てたように見えるこのシーンは、実はヒルベルが先生を見棄てたともいえるのではないかと指摘する河合隼雄先生は、次のように語っています。<br><br><strong>見棄てるものと見棄てられるもの、あるいは、治す人と治される人、教える人と、教えられる人の区別は、われわれが単純に信じているよりは、もっと不可解なものではなかろうか。この両者は一般に信じられているよりもはるかに逆転可能であり、相互的なものではなかろうか。</strong><br><br>これは、かかわり合いが深くなればなるほどに、互いの役割を超えた体験世界が開かれていく、そういう可能性がかかわり合いにはあることを指摘したもので、非常に意味深い語りだと思います。<br>&nbsp;<br>ここで思い出すのは、敬愛するアーサー・クラインマン先生がケアについて論じていることです。クラインマン先生は、自分自身が妻のジョーン夫人のケアをするというかけがえのない体験をとおして、ケアという営みをとおしてケアする者はケアを受ける者にケアされるのだというケアの互酬性（相互性）を指摘していますが**、これも実に意味深いと思います。<br>&nbsp;<br>このようにしてヒルベルを理解しようとする地平に立ってみると、単純にヒルベルが悪い子だとはいえなくなるのではないでしょうか。そもそも、いったい「良い子／悪い子」などという基準はどこにあるのでしょうか。それらは大人の都合で決められたものではないかと思えてきます。それにたいし、ヒルベルは大人の都合では決して左右されない、この世の価値観では決して評価することのできない世界を生きているということができるでしょう。そのように生きる姿が、この物語のなかで毅然として輝いているように感じられます。<br>&nbsp;<br>クンツさんもカルロス先生もヒルベルに教えられています。そしてこの作品を読むすべてのひとがヒルベルに教えられることになるといっていいでしょう。では、いったいなにを教えられるのでしょうか。それをここでは、いのちにふれることと表現しておきたいと思います。いのちにふれるとき、すべてのひとのこころは深く揺すぶられる。ヒルベルをとおして、いのちの尊厳にこころ深く揺すぶられる、そうわたしは思います。<br>&nbsp;<br>いよいよ物語の終幕です。ヒルベルは施設を抜け出して自分の家を探しに出かけます。<br><br><strong>ほんとうは、ヒルベルは、家が恋しかった。人の住んでいる家が、部屋が恋しかった。どこかに自分の家があったら、どんなにうれしいだろう。</strong><br><br>けれども、そのような家はありませんでした。警官に捕まり戻ってきたヒルベルは、<strong>地面にからだをなげつけてわめいた。泣き、さけび、もがいた。</strong>それをみたカルロス先生は<strong>ショックですよ。発作だ</strong>というのです。かつてヒルベルをとおしていのちの尊厳にこころ揺すぶられたカルロス先生ですらも、いまやショックや発作という医学用語でヒルベルを理解しようとするただの医者の姿になってしまったのです。<br><br>ひとは誰しも自分の力量を超えることを為すことはできません。ここではカルロス先生をいたずらに批判しているのではなく、そのようにしか生きることのできないひととしての哀しみの姿をみる思いがするのです。<br><br>そうしてヒルベル病院に送り込まれ、施設からいなくなってしまいました。<br><br><strong>しばらくたつと、ヒルベルのことをおぼえているのは、ホームではマイヤー先生だけになっていた。それはもう、まちがいなかった。そのマイヤー先生も、ホームをやめ、結婚し、子どもができた。そして今、マイヤー先生は、自分の子どもたちにヒルベルの話をして聞かせながらよく思う。あの子は、その後どうなったかしら、と。</strong><br>&nbsp;<br>ヒルベルはどうなったのだろう。これは、われわれすべてに向けられた問いです。この問いとともに在るとき、ヒルベルはわたしたちのこころに生き続ける。そしてときに、わたしたちはヒルベルを探す旅に出ることになります。それはかならずしも大がかりな旅ではありません。普段はそうと気づかないけれども、周囲をみわたして目を凝らしてみれば、ヒルベルがそっと佇んでいる姿を、生身でもっていのちの尊厳を体現している姿をみるのではないでしょうか。<br><br>最後に、河合隼雄先生のことばを記しておきたいと思います。<br><br><strong>何もかもがわかりきっていて、常識どおりに運んでいるように見えるこの世界に、ヒルベルの存在を許すやいなや、われわれはすべてのものが異なって見えてくることを感じるであろう。ヒルベルにいったい何ができるのか、などということをわれわれは思い悩む必要などないのである。ヒルベルが、ただそこにいてくれるということ、そのことが測り知れぬ意味をわれわれにもたらすのである。 </strong><br>&nbsp;<br>* その詳細は拙著（2024）『それでも生きてゆく意味を求めて こころの宇宙を旅する』致知出版社，pp.196-246．を参照。&nbsp;<br>**皆藤章監訳（20221）『ケアのたましい 夫として、医師としての人間性の涵養』福村出版。&nbsp;</p><p><!--block--></p><p><!--block-->2025年3月1日&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bos50416har/entry-12938685667.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Oct 2025 10:55:24 +0900</pubDate>
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<title>こころ臨床エッセイ（２）</title>
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<![CDATA[ <h3><!--block-->『声の地層——災禍と痛みを語ること』</h3><p><!--block-->(瀬尾夏美 著 2023年 生きのびるブックス株式会社)&nbsp;</p><p><!--block-->（「こころをみつめる Vol.197.」（『看護展望』2024年5月号）を全面改稿。引用は太字）</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251015/10/bos50416har/59/84/j/o1021150015696922511.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="323" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251015/10/bos50416har/59/84/j/o1021150015696922511.jpg" width="220"></a><br>&nbsp;&nbsp;<br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;継承。次の世代になにを引き継いでゆくのか、最近になって、おりにふれてときおり考えていることです。この年齢になって、老いや死を傍らに意識しながら日常を過ごしているからかも知れません。若いころには考えてみたこともありませんでした。<br>&nbsp; &nbsp; 子どものころ、戦争のことをよく考えていました。「ひとを殺してはいけないのに、どうして戦争ではひとを殺してもいいのですか？」と問うて先生を困らせたこともありました。成人してからは、戦禍の地の広島や長崎、沖縄にも足を運びました。いまも機会を見つけて訪れています。また、大学の教員になってからは世界にも目が向き、アウシュヴィッツ、グラウンドゼロなどを訪れたりもしました。そんな具合で、戦争のことがなぜかしら頭から離れていきません。<br>&nbsp; &nbsp; 前の世代が次の世代に継承したもっともたいせつなことは、戦争の悲惨と愚だと思います。次の世代は戦争の悲惨を繰り返してはならないと前の世代から伝えられてきました。</p><p><!--block-->安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから</p><p><!--block--><br>広島にある原爆死没者慰霊碑に刻まれているこれは、次の世代が不戦の誓いを宣言したことばです。また、昨年（2024年）、「日本原水爆被害者団体協議会（被団協）」がノーベル平和賞を受賞しましたが、そのときに評価されたのは原爆の脅威を次の世代に継承する活動でした。<br>&nbsp;<br>&nbsp; &nbsp; ひとは、生まれてくる時代を選んでこの世に生を受けることはできません。しかし、生まれてきた以上、生きていかねばなりません。かつての戦争の惨禍をまえにして、平和な時代に生まれてきてよかったと思ってみても、それで自分の生が幸福になるわけではありません。いつの時代であっても、さまざまな制約を受けながらでも、生きてゆくのは自分なのですから、そこには喜怒哀楽に満ちた道往きがあります。<br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;<strong>喜怒哀楽の向こうにあるものに思いを馳せつつ、人生を歩みたい</strong>とは、『心に響く小さな５つの物語』の著者である藤尾秀昭さんのことばですが、この<strong>喜怒哀楽の向こうにあるもの</strong>こそが次の世代に引き継いでゆくものであるように思うのです。そのようにして、ひとりのひとが生きた証は人間知と呼べるものであるように思います。<br><br>それにしてもいったい、ひとりのひとが生きた証は、次の世代にどのように継承されていくのでしょうか。それとも、ひとりのひとが生きたその生の体験は、人類の歴史のなかでは一塵(いちじん)の重みもないのでしょうか。まったくもって、むずかしいテーマだと感じます。この壮大なテーマに、この作品の著者、瀬尾夏美(せおなつみ)さんからのひとつの提案があるように思いながらページを繰りました。<br><br>哀しいことは続いて欲しくないし、楽しいことならいつまでも続けばよいのにと、ごく素朴にそう思います。でも、哀しいことは予期せぬときにかならずやってきます。それがいつかはわからないけれども。その哀しいことが2024年の元旦に起こりました。能登半島地震です。その災禍をテレビ越しに目の当たりにして東日本大震災や阪神･淡路大震災を思い出し、「またか！」と口にしたひとも多いのではないでしょうか。能登半島地震を報じる様相をテレビで目にしたある知り合いは身体が震えたといってきました。阪神･淡路大震災での体験が蘇ったのだというのです。「もう大丈夫だとずっと思っていたんだけど」。その知り合いは、能登半島地震にふれて、自身の人生の物語から災禍を亡きものにすることはできないのだと知ったそうです。このようなとき、「継承」ということのかけがえのなさを痛感します。その体験を次の世代に伝えていくことで、生きることの尊さを、真にかけがえのないものを、生々しく感じて欲しいと切に思うからです。<br><br>阪神･淡路大震災の発生は1995年1月17日でした。その前年の同じ月日にアメリカ合衆国ロサンゼルスで、ノースリッジ地震が発生したことはご存知でしょうか。実はその二年前に震源地にあるカリフォルニア州立大学ノースリッジ校に客員研究員として滞在していたこともあって、この地震の一報を身のすくむ思いで耳にしたことを覚えています。ノースリッジ地震を体験したあるアメリカ人の少年は、阪神･淡路大震災の報にふれて、1月17日は悪魔の日なのかといったコメントを当地の新聞に寄せていたことも覚えています。また、阪神･淡路大震災の年の秋に神戸の甲南大学に勤めたこともあり、震災からの復興にこころの専門家として、カリフォルニア在住の先輩にノースリッジ地震からのこころの復興にかかわる情報を得ながら、その支援にかかわったりもしてきました。自然災害の被災体験は、インフラなど物理的環境の復旧でこと足りるものではなく、体験そのものの継承がたいせつだと、身に染みて感じたものでした。<br><br>前置きが長くなりました。瀬尾夏美さんは、能登半島地震の被災地域にみずから足を運び、災禍を体験したひとの語りを聴き、災禍の後に生を受けてその地に生きるひとの語りを聴き、さらには第二次世界大戦での東京大空襲を生き延びたひとの語りを聴き、そしてさらに二・二六事件の傍らにいたひとの語りを聴いてきたそうです。そんな試みが始まったきっかけは、災禍の予防（防災）から継承というスタンスの転換にありました。このような語りがあります。<br><br><strong>先立って災禍を経験した人びとの…多くが、未来に生きる人びと——ほかでもないわたしたちの苦しみがすこしでも和らぐようにと願って、体験と記憶をふりかえり、検証し、言葉にし、それらを記録に残したり、語り継ぎを試みたり、あるいは物語を編み上げたりしてきた。…だからこそ、災禍の語りや記録は、いまわたしたちの目の前に存在している。そんなちいさなバトンを手渡すような連綿とした営みを想像すると、その凄みと愛らしさに圧倒される。ならばせめて、その声を聞く努力をしてみたい。<br><br>&nbsp; &nbsp; </strong>災禍は何気なく過ごしている日常に、突然、圧倒的力でもって暴力的に侵入してきます。それはまさに、突発的であるからこそなおのこと、体験するひとのこころに深い傷跡を理不尽に残していきます。そうした体験を語ること、そしてその体験の声を聴くことは、ほんとうにむずかしい。その傷があまりに苛烈で口を開くことができないことだって、災禍を体験していないひとに語ったところで何の意味もないと思ったりすることだって、あまりの辛さに所詮ひとはわかり合うことなんてできないんだと絶望してしまうことだってあるでしょう。それは、だれかに語りを聴いてもらえばこころが癒えるなどというシンプルなかかわり合いではないのです。心理臨床家として語りを聴くことに何十年ものときを重ねてきたいまもなお、そのむずかしさを痛感しています。<br><br>&nbsp; &nbsp; 瀬尾さんはそのことを<strong>〝語れなさ〟</strong>ということばで綴っています。被災地域での体験をとおして、<strong>〝語れなさ〟</strong>は聴き手にも語り手にもあるのだと。<br><br><strong>そもそも語りとは、語り手が一方的に自分の感情や考えをぶつけるものではなく、目の前にいる聞き手とのやりとりによって編まれるものだと思う。途中でその役割が交代することだってあるし、それぞれが自分の内に思わぬ言葉を見つけたり、ともにあたらしい物語を発見したりする楽しみがある。<br>&nbsp;</strong>そして、<strong>言葉を声に出す前の一瞬のひっかかり</strong>に焦点づけて、<strong>置かれた境遇も考え方も異なる人たちが、互いのすべてを分かり合うことは難しいと感じながらも、それでも関わろうとする。すこしの勇気を持って、この人に語ってみよう、と思う。その瞬間、ちいさく、激しい摩擦が起きる。マッチが擦れるみたいにして火花が散る。そこで灯った火が、語られた言葉の傍らにあるはずの、語られないこと、語り得ないことたちを照らしてくれる気がして。それらを無理やり明るみに出そうとは思わない。ただその存在を忘れずにいたい。</strong><br><br>このことばには、語り聴きの実際のありようが見事に表現されています。こころの襞に謙虚にそして柔らかくふれていこうとする瀬尾さんの姿勢が注目されます。わたしは思うのですが、いったいこのような姿勢がどのようにして身に着いたのでしょうか。おそらく、語り手に学んだ体験がおおきいように思います。そのように思うと、そこに「継承」をみる思いがします。<br><br>&nbsp; &nbsp; さて、2011年4月、東日本大震災が起こった翌月のことですが、瀬尾夏美さんは岩手県陸前高田であるおばあさんと出会い、その語りに接しました。そこで、おばあさんが自分よりも<strong>被災の程度が高い人たちに対して、とても気を遣いながら語っていた</strong>ことに気づきます。そして、<strong>他者の存在を思いながら、〝語れなさ〟や居づらさを抱えて迷う者同士は、ふと繋がれる時があるということ</strong>を知ります。<strong>当事者性の中心にいるのがすでに死んだ人だとすれば、生きている者はすべてその外側にいるので、同じ迷いを抱えていると捉えることもできる</strong>と思ったといいます。当事者性の中心にいる死者たちは、語ることがありません。けれども、そのような<strong>死者とさえ語れる、ということがあっていいのでは</strong>ないかと、それは<strong>ごく自然なことのような気が</strong>すると、そういうのです。&nbsp;<br><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;そういえばまさにひとは、おりにふれ死者との対話を続けながら人生の道往きの歩を進めてゆくのではないでしょうか。それは、「継承」を生きていることだといえるのではないでしょうか。そう思います。まさに死者たちは、生きているひとの内面に在ってその生に語りかけてくるということができるでしょう。ときに生きているひとを鼓舞し勇気づけ、生きることの尊さを、真にかけがえのないものとはなにかを感じさせてくるように思うのです。&nbsp;<br><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp; 2007年9月、河合隼雄先生の追悼式のおり、ある作家が語りかけてくれました。「河合隼雄先生とのほんとうの対話はいまから始まるんじゃないかしら」。きっと、そのようにしてひとは継承という営みを生きているように思います。&nbsp;<br><br>&nbsp; &nbsp; ひとの内面には宇宙が拡がっていると語ったのは河合隼雄先生です。たしかに、ひとりの人間が生きたその生の体験は、人類の歴史のなかでは一塵の重みすらないかも知れません。しかしその一塵には宇宙が拡がっている。瀬尾夏美さんのこの作品は、まさに生きとし生けるものの一塵法界を思わせる貴重な一書だと思います。<br>&nbsp;</p><p><!--block-->2025年2月10日&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bos50416har/entry-12938685577.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Oct 2025 10:54:15 +0900</pubDate>
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<title>こころ臨床エッセイ（１）</title>
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<![CDATA[ <h3>『心に響く小さな５つの物語』</h3><p>(藤尾秀昭=文 片岡鶴太郎＝画 2010年 致知出版社)&nbsp;</p><p>（「こころをみつめる Vol.90.」（『看護展望』2015年6月号）を全面改稿。引用は太字）</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251015/10/bos50416har/8e/d4/j/o1029150015696921135.jpg"><img alt="" height="321" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251015/10/bos50416har/8e/d4/j/o1029150015696921135.jpg" width="220"></a><br>&nbsp;<br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;心理臨床家としてさまざまな人生の物語を聴かせていただいていると、人生とはまったく不思議なものだと思わされることが幾度もあります。それはとくに「出会い」の不思議です。ひとは誰かと、何かと出会うことによってことばを交わし、夢を抱き、物語を紡ぎながら「生きる」。誰かと同じ道ではない自分だけの道を生きることになります。道すがら、出会いが生まれます。その出会いを、ひとはいかに生きるのでしょうか。それは、ひとりひとりの「生きる」が個性的に映し出される人生という舞台でのことです。<br><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;この作品には、５つのそうした「生きる」が濃厚に描き出されています。人間学の探究者である著者の藤尾秀昭さんの筆もまた主人公の「生きる」と響き合って、こころを深く揺すぶってきます。著者は、第二話「喜怒哀楽の人間学」の末尾に人間学を学ぶ所以をこう語っています。<br><br><strong>喜怒哀楽に満ちているのが人生である。喜怒哀楽に彩られたことが次々に起こるのが人生である。だが、その表面だけを掬い取り、手放しで受け止めてはなるまい。喜怒哀楽の向こうにあるものに思いを馳せつつ、人生を歩みたいものである。その時、人生は一層の深みを増すだろう。われわれが人間学を学ぶ所以もそこにある。</strong></p><p>含蓄のある語りです。このような視座をもつ藤尾さんが描き出す「小さな５つの物語」が収められたこの作品は、まさに読み手のこころが響（どよ）めくものとなっています。ここでは、第五話を取りあげてみたいと思います。<br><br>&nbsp; &nbsp; 舞台は小学校。五年生の担任になったある先生のクラスには、<strong>服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。</strong>これが先生の、少年との出会いです。第一印象といってもいいでしょう。そして、先生は少年の悪行ばかりを記録に残していったといいます。<br>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; &nbsp;このような出会いは誰しも経験したことがあるでしょう。いまであれば、それをSNSで発信することだってあるかも知れません。あるいは、好きになれない相手にこころをかき乱されるくらいなら、出会わなかったことにしよう、忘れたことにしようと思ったっておかしくはありません。こころは基本的には自分を守るために働くものですから。けれども、そう思えば思うほど、忘れられずにその存在がこころに居座り続けることも、たしかにあります。そして、居座り続けるからには目を背けずに向き合っていかなければならない、そういうときがやってきます。たしかに辛く苦しいことではありますが、それはこころの変容の始まりのときでもあります。&nbsp;<br>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; &nbsp;さてあるとき、先生の目に留まったのは他の先生が残した一年生のときの少年の記録でした。そこにはこうありました。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><strong>朗らかで、友達が好きで、人にも親切。&nbsp;</strong></p><p><strong>勉強もよくでき、将来が楽しみ&nbsp;</strong></p><p>&nbsp;</p><p>先生は、<strong>間違いだ。他の子の記録に違いない</strong>と思ったそうです。それは、少年との出会いの印象とは正反対の記録だったのです。それほどに、少年の印象は先生にとって強烈だったに違いありません。少年と出会ったときのあの第一印象から、この記録に出会ったときのこころの揺れはいかばかりだったでしょうか。<br>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; &nbsp;少年の記録は学年があがるごとに、次のようになっていきました。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><strong>二年生になると&nbsp;</strong></p><p><strong>「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」&nbsp;</strong></p><p><strong>と書かれていた。&nbsp;<br>三年生では&nbsp;</strong></p><p><strong>「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」&nbsp;</strong></p><p><strong>三年生の後半の記録には&nbsp;</strong></p><p><strong>「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、&nbsp;</strong></p><p><strong>四年生になると&nbsp;</strong></p><p><strong>「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p>&nbsp; &nbsp; 先生のこころの揺れはいっそう激しくなっていったように感じます。<strong>服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年</strong>の、この四年あまりのあいだに生きてきた過酷な現実を先生は知ったのでした。ここから、先生のこころの変容が始まりました。そのことを、藤尾さんはこう表現します。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><strong>先生の胸に激しい痛みが走った。&nbsp;</strong></p><p><strong>だめと決めつけていた子が突然、&nbsp;</strong></p><p><strong>深い悲しみを生き抜いている生身の人間として&nbsp;</strong></p><p><strong>自分の前に立ち現れてきたのだ。&nbsp;</strong></p><p><strong>先生にとって目を開かれた瞬間であった。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p>&nbsp; &nbsp; では、少年と出会うまえに先生がこれまでの記録を目にしていたら、このような瞬間はやってきたでしょうか。事前に、この少年が、母親の病死で希望を失い、生きる意欲をなくしてアルコール依存症になった父親に暴力をふるわれているということを知っていたとしたら、出会いのときにみた少年の不潔でだらしない姿も、先生にはその理由がわかったことでしょう。そうなると、このような瞬間は訪れなかったように思うのです。 わたしは、先生が記録に出会うまえにこの少年に出会ったことが、その瞬間をもたらし、先生をしてこころの変容へと向かわせたのだと思っています。&nbsp;<br><br>&nbsp; &nbsp; 話がわき道に逸れますが、心理臨床家としてわたしはできるかぎり事前の情報をもたずにクライエント（来談者）に会うことにしています。出会いのときの体験、第一印象をたいせつにしているからです。それは、河合隼雄先生の教えでもあります。河合隼雄先生は、事前にどれほど知識を学んでもよいけれども、クライエントに会うときはそれらをすべて捨ててから会いなさいと、折に触れて口にしていました。おかしなことだと思われるかも知れません。事前情報が豊かであればあるほどクライエントの話がよくわかるのではないかと思われるかも知れません。でも、話を理解することとクライエントのこころが変容することとは、かならずしも因果的な関係にあるわけではないのです。&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; 相手のこころの変容に与るとき、自分のこころもまたそこに深くかかわっていなければなりません。自分のこころが相手のこころに深くかかわろうとするとき、事前情報があるとどうしてもそちらに意識が向かうので、それがかえって邪魔になったりするのです。事前情報がないときには、自分のこころをフル稼働して、自分の感性（体験）だけをよすがとして、目の前のひとに会うことになるでしょう。事前情報を捨てなさいと河合隼雄先生が説くとき、それは自分の感性（体験）をフルに発動しなさいと伝えているのです。それによって始めて、相手との関係がふたりにとって意味あるものとなり、相手を「知る」ことができるのです。<br>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; さて、物語に戻りましょう。先生と少年との、ふたりしてのこころの変容が綴られていきます。以下、全文をそのまま記しておきます。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><strong>放課後、先生は少年に声をかけた。&nbsp;</strong></p><p><strong>「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない？&nbsp;</strong></p><p><strong>わからないところは教えてあげるから」&nbsp;</strong></p><p><strong>少年は初めて笑顔を見せた。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>それから毎日、&nbsp;</strong></p><p><strong>少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>授業で少年が初めて手をあげた時、&nbsp;</strong></p><p><strong>先生に大きな喜びがわき起こった。&nbsp;</strong></p><p><strong>少年は自信を持ち始めていた。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>クリスマスの午後だった。&nbsp;</strong></p><p><strong>少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。&nbsp;</strong></p><p><strong>あとで開けてみると、香水の瓶だった。&nbsp;</strong></p><p><strong>亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>先生はその一滴をつけ、&nbsp;</strong></p><p><strong>夕暮れに少年の家を訪ねた。&nbsp;</strong></p><p><strong>雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、&nbsp;</strong></p><p><strong>気がつくと飛んできて、&nbsp;</strong></p><p><strong>先生の胸に顔を埋めて叫んだ。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>「ああ、お母さんの匂い！&nbsp;</strong></p><p><strong>きょうはすてきなクリスマスだ」&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>六年生では先生は少年の担任ではなくなった。&nbsp;</strong></p><p><strong>卒業の時、&nbsp;</strong></p><p><strong>先生に少年から一枚のカードが届いた。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>「先生は僕のお母さんのようです。そして、&nbsp;</strong></p><p><strong>いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>それから六年。またカードが届いた。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>「明日は高校の卒業式です。&nbsp;</strong></p><p><strong>僕は五年生で先生に担任してもらって、&nbsp;</strong></p><p><strong>とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって&nbsp;</strong></p><p><strong>医学部に進学することができます」&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>十年を経て、またカードがきた。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>そこには先生と出会えたことへの感謝と&nbsp;</strong></p><p><strong>父親に叩かれた体験があるから&nbsp;</strong></p><p><strong>患者の痛みがわかる医者になれると記され、&nbsp;</strong></p><p><strong>こう締めくくられていた。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。&nbsp;</strong></p><p><strong>あのままだめになってしまう僕を&nbsp;</strong></p><p><strong>救ってくださった先生を、神様のように感じます。&nbsp;</strong></p><p><strong>大人になり、医者になった僕にとって&nbsp;</strong></p><p><strong>最高の先生は、&nbsp;</strong></p><p><strong>五年生の時に担任してくださった先生です」&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>そして一年。&nbsp;</strong></p><p><strong>届いたカードは結婚式の招待状だった。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>「母の席に座ってください」&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>と一行、書き添えられていた。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p>&nbsp; &nbsp; この物語がこころに響かないひとがいるでしょうか。少年と先生との出会いは、偶然にしかすぎません。しかし、ただの偶然としてすぎてしまえば、この物語が綴られることはありませんでした。&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; この少年との出会いによって先生は教育者として開かれ、「生きる」を歩み始めることになりました。その歩みは20年あまりも続きました。終わったわけではありません。先生のこころにこの少年は生涯生き続けることになったのですから、歩みはいまも続いているといえるでしょう。&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; また、先生との出会いによってこの少年は「生きる」を歩み始めました。それは、少年が先生の目の前に生々しく呼吸する生きた存在として立ち現れてきたときでした。&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; ひととひととが出会うとき、そこには生々しく呼吸する生きた存在としての向き合いがあります。少年が五年生のとき、先生には少年が不潔でだらしない姿として映りました。しかしそれは、少年が生きた存在として生々しく在った姿だったのではなかったでしょうか。わたしは思うのですが、先生はこの少年と出会った責任を果たしていかなければなりません。それは、ひととしての責任といえるものです。そのプロセスが物語を綴ったともいえるでしょう。&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; 先生は少年の記録を偶然目にします。先生は、ただの偶然として見過しはしませんでした。記録には、少年の過去の事実が記載されているだけでした。けれども、先生にとっては、事実ではなく、ひととしての責任を果たすための真実がそこに在ったのではないかと思うのです。<br>&nbsp; &nbsp;&nbsp;<strong>どうしても好きになれない</strong>と語る先生はすばらしい。そこに先生の生々しく生きる姿があるからです。<strong>どうしても好きになれない</strong>からこそ、先生のこころから少年が消えることがなかったと思うからです。&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; このような先生に少年は応えていこうとします。それはまさに少年の「生きる」歩みそのものといえるでしょう。少年のこころにとってその歩みは、亡き母との二人三脚でもあったのではないでしょうか。&nbsp;</p><p><br>&nbsp; &nbsp; 物語を終えて、藤尾秀昭さんはこう結んでいます。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><strong>たった一年間の担任の先生との縁。&nbsp;</strong></p><p><strong>その縁に少年は無限の光を見出し、&nbsp;</strong></p><p><strong>それを拠り所として、それからの人生を生きた。&nbsp;</strong></p><p><strong>ここにこの少年のすばらしさがある。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>人は誰でも無数の縁の中に生きている。&nbsp;</strong></p><p><strong>無数の縁に育まれ、&nbsp;</strong></p><p><strong>人はその人生を開花させていく。&nbsp;</strong></p><p><strong>&nbsp;</strong></p><p><strong>大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。</strong><br><br>読み手のこころが響（どよ）めく５つの<strong>感動実話</strong>をぜひ手にしてみてください。</p><p>&nbsp;</p><p>（付記）<br>&nbsp; &nbsp; 致知出版社は、本作品に続いて同名の作品Ⅱ・Ⅲを合わせた三冊をテキストとして、「<strong>本を読む喜び、楽しさ、感動を若い世代に伝えよう」という想いのもと、『心に響く小さな５つの物語』感想文コンクール</strong>を、全国の小学生から高校生までを対象として2013年から行っています。&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; 本作品との出会いを縁としてわたしは、そのコンクールの審査員のひとりとして、毎年、若い世代が綴った『心に響く小さな５つの物語』感想文と出会わせていただいています。わたしもまた、本作品との出会いという縁のなかに生きているのだと感じています。出会いに感謝申しあげます。&nbsp;</p><p>2025年1月30日</p>
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<link>https://ameblo.jp/bos50416har/entry-12938685255.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Oct 2025 10:50:32 +0900</pubDate>
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<title>身体で覚えていたこと</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:0.83em;">　「身体で覚える」「背中を見て学ぶ」という表現がある。芸術領域のひとたちならば、師匠から学ぶとき懇切丁寧に教えてもらうのではなく師匠が仕事をするその背中を見てその芸術が何たるかを学ぶという話を聞いたことがある。ことばで教えられないものがある。ノウハウではないものがある。民藝の世界に「守破離」ということばがある。まず守るべきイロハを師匠の真似をしながら学んでいく。それだけでは師匠の域に達することはできない。守ったイロハを破るときがくる。そのときの体験を経て師匠から離れて独自の芸風を築き上げていく。簡単に言うとそういうことだ。でも、それは途方もなく難しい。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　心理臨床家になるためには、このような領域での体験が不可欠だ。師匠の立ち居振る舞い、仕草、ことば、表現、表情など、ありったけのものを学んでいく。それは教えてもらうのではなく、みずから学び（盗み）取っていくものだ。心理臨床家の仕事はひとと関わるものだから、師匠の人間関係全般がすべて学び（盗み）の対象になっていく。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　1993年、恩師との教育分析のなかで、どうしても超えられない壁にふたりが直面したとき、生まれて初めて海を渡ってロサンジェルスに3ヶ月滞在した。恩師の分析家のJ. M. Speigelman博士に短期集中の夢による個人分析を受けるためだ。あるセッションでのこと、目の前にいる博士が恩師に見間違えたことがある。足の組み方が、チェアへの腕の置き方が同じだったのだ。恩師が博士から学んだことは恩師の「身体で覚えられて」、そうしてごく自然にわたしとの分析状況に現れ出てきた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　いまの時代は完全なマニュアル社会だ。だから、こんな話は時代錯誤も甚だしいかも知れない。でもわたしは、いまの時代だからこそ不可欠に必要な学ぶ姿勢じゃないかと思う。京都大学理学部で教授をしたある先生がどこかに書いていた。昔の学生は研究する教授の背中を見てその学問を覚えていった。でもいまの教授は書類書きに忙殺されていて、そんな背中を見ても次の世代は育たない、と。マニュアルがよくないと言っているのではない。マニュアルがあればすべてが円滑に運ぶと思っているひとのこころが問題なのだ。心理臨床家の仕事の領域にもマニュアル化の荒波が押し寄せている。わたしが訓練を始めた頃、精神医学の世界ではDSM-Ⅲという恐るべきマニュアルが米国精神医学会から出されたことが思い出される。心理臨床家がマニュアルだけを信じて仕事をするようになったら、それはもうひとのこころに関わっているとは言えない。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　ところで、帰国が近づきその準備をしていた。何足かの靴下に穴があいている。靴下の数にはまだ余裕があるから捨ててもかまわない。でも捨てることができない。8ヶ月もの間、つねにわたしと一緒にいてくれた衣服たち。とくに歩くことは生活の一部だった。ずっと一緒にいてくれた靴下たち。わたしは靴下フェチではない。けれども、何だか旅の同伴者という気がする。いや、ひとじゃないんだから同伴者じゃなくて同伴靴下･･･。それほどに想いが込められたものだということだ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　穴のあいた靴下はもう履けない。きょうのボストンはものすごく寒い。道路に薄く雪が積もりそれが凍っている。そんな季節に穴のあいた靴下は不向きだ。そのとき、恩師のことばが蘇ってきた。「あんね、僕はね海外留学していたときにはお金がなくてね。靴下に穴があいたら家内が裁縫で塞いでくれたりしたんだよ」。わたしの小学校時代は、ブログにも書いたように音楽は５段階評価の２だったけれど家庭科は４だった。自慢じゃないけど編み物も少しできた。裁縫だってある程度できた。学校で習ったんじゃなくて母の背中を見て、身体で覚えた。でも、40年以上もやっていない。そう、自分で靴下の穴を塞ごうと考えたのだ。旅行用裁縫セットを日本から持ってきている。何ももうすぐ帰国なんだからそこまでしなくても･･･でも靴下を捨てて帰るには忍びない･･･やってみようか裁縫を･･･。数日、考えた。そしてきょう、旅行用裁縫セットを開いて穴のあいた靴下に向き合った。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　じっと穴を見る。わたしのBoston滞在によってできた穴。わたしを支えてくれた靴下。よく頑張った。せめて穴を塞いで一緒に帰国しよう。老眼になってなかなか針に糸が通らなかったけれど、あとはすべて「身体が覚えていた」。子どもの頃のようにうまくはできなかったけれど、穴は塞がった。何というローテク！ 情報器機ならマニュアルがないとまったく対応できない。40年以上も経っているのに身体は覚えていた。穴を塞ぎながらいろんなことが想い出されてきた。お針箱のこと･･･母の手内職のこと･･･継ぎはぎだらけの服を着て学校に行ってみんなにバカにされたこと･･･朝起きると枕元に手編みの手袋が置いてあったこと･･･。どれもこれもいとしい想い出だ。そんな記憶は脳にインプットされている。でもわたしの身体からそれは蘇ってくる。「身体は無意識」。これは、わたしの最初の分析家の名言だ。だから精神科領域の薬は無意識つまりこころに効くんだと精神科医である最初の分析家ははっきりと語った。そのことが身に染みていま感じられる。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　Bostonでのくらしもあと2週間あまりとなった。この8ヶ月間、海外にいたわたしの背中を日本のひとはほとんど誰も見ていない。背中どころか前身も見ていない。帰国したらできるかぎり背中を向けよう。背中を見てもらおう。それを見て身体ごと学ぶに相応しい背中かどうかを評価してもらおう。社会的仮面としての前身じゃなくて、そこから遥かに遠く離れた、こころの全体性の中心とつながる背中を見て、心理臨床家として生きていこうとするわたしの姿を見てもらおう。「気」のエネルギーを一心に受けとめる背中。この世の可視・不可視のからくりをすべて受けとめようとする背中。自分ではできないが自分以外の誰もが直視することができる背中。そう言えば･･･訓練途上の頃、もっとも辛く苦しいとき、廊下で出会ってもひと言も声をかけることなくすれ違う恩師の、そのうしろ姿がどれほど素敵に見えたことか･･･。素敵なんてことばは失礼だけれど･･･。大きくて包容力があって、それでいて壁のようにがっしりしていて、でも不安げな背中はまさにこころそのものだった。生々しく呼吸するひとそのものだった。その背中を見てわたしは心理臨床家になった。わたしもそんな背中になっているだろうか。</span></p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;">　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181219/06/bos50416har/05/dc/j/o1024076814323267881.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181219/06/bos50416har/05/dc/j/o1024076814323267881.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181219/06/bos50416har/fd/65/j/o1024076814323267879.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181219/06/bos50416har/fd/65/j/o1024076814323267879.jpg" width="420"></a></span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bos50416har/entry-12426875121.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Dec 2018 06:21:47 +0900</pubDate>
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<title>生きるということ６ーみたびNeptune Oyster</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:0.83em;">　目が覚めると小雨がやんだところだった。外はまだ暗い。時刻を調べると6:30だった。サマータイムが終わってからだが、最近はとくにクロノスと外の世界との調和が、わたしのなかでうまくいかない。まだ4時頃じゃないかと思ったりしながらふたたび眠りに就く･･･。8:30頃にベッドを離れてシャワーを浴びて一日がスタートする。けれども外はぼんやりした明るさの世界だ。大ビールランチパーティが三日後に変更になったので、とくにすることもない。なんて贅沢な一日だ。数日前から帰国の準備をしながら寂しさが募ってきて、手が進まなくなっている。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　たとえばこんな具合だ。クリスマスカードを投函しに行った帰り路、すっかり葉を落とした街路樹を眺めていると枝先に来春を待つつぼみのようなものができている。正確にどう呼ぶのか分からない無知が恥ずかしい限りだが、ともかく、このつぼみが極寒の一冬を超えて春に芽吹く。ちょうどBostonに来た4月の頃のように、樹木たちが春を迎えた喜びの声をあげる。そのつぼみをじっと眺めている。その春をもう見ることはないのだという実感がこころにじんわり、しかしたしかに強く重く押し寄せてくる。そうか、ボスとのlast lunchでも思ったけれど、わたしと世界との間には、もうすでに一線が引かれているのだと知る。そのとき、得も言われぬ寂量感・隔絶感がこころに染み込んでくる。この想いはこころのどこかに置き忘れていたものだ。</span></p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/07/bos50416har/f4/98/j/o0768102414322736129.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/07/bos50416har/f4/98/j/o0768102414322736129.jpg" width="420"></a></span></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　小さい頃から転校が多かった。当然、引っ越しも。60年もの齢を重ねていると、いろいろなことがある。引っ越しも10数回あった。その度ごとにこの想いを味わってきたはずだ。たとえそれが陰から陽への方向であったとしても、もう戻れぬ世界の体験というのは、かならずある。ひとは皆、それをこころに抱えてlifeを生きる。でも、こんなにクリアに味わうのは初めてだ。きっとこの8ヶ月あまりの間、独りでくらしていたからかも知れない。これまで日本では数え切れないひとたちと出会い、関わり、ときを過ごしてきた。この4月にその一線を越え、たった独りの世界で生きるときを積み重ねてきた。そこで味わった想いは誰とも共有できない。帰国のとき、一線を越えるとき、日本にもって帰るこちらの世界がある。たとえばひとがお土産話をするのはそういうことだ。研究成果を持って帰るのもそうだ。でもそれは誰かに、世界に向けて語るものであって、「自分のうちに秘めておくもの」じゃない。わたしはそれが欲しい。それを求めてBostonに来た。でも、それって何だろう･･･。生から死への一線を越えるとき、恩師はそれを「たましい」と呼んだ。もうすぐ、ボストンから日本への一線を越える。わたしにとって、きっとそれは、「体験」そのものなんだ。誰かに説明するものじゃなくて、忘れ去ってしまうものじゃなくて･･･ I never forget it.･･･。こうしてブログを綴っているのも体験の語りを巡るわたしを忘れないためでもある。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　わたしにとって、その体験のひとつは「味」を通して生まれる「共通感覚」だ。 でも、こうして書いていてもその生々しさを伝えることはできない。ひとは「体験そのもの」を語ることはできないからだ。ひとができるのは「体験の語り」を巡って生きることだけでしかない。それすら途方もないのだけれど。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　4月にBostonでのくらしを始めたとき、日本からボストンへの一線を越えたわけだが、そのときもってきたのも「味」を通して生まれる「共通感覚」だった。それはNeptune Oysterでのいとしいひとときの体験に蘇った。「そうだ、これが俺なんだ！」と強く感じたあのとき。5月に観光でやってきた義妹とも出かけた。義妹の観光はただの観光じゃない。きっとそれはわたしと共有領域があるように想ってきた。この共通感覚はわたしのBostonでのくらしを支えてくれた。あのとき初めていただいたスペインバスク地方の白ワインをリカーショップで見つけたときの喜びはかけがえのないものだった。わたしのBoston生活の起点にNeptune Oysterがあるように感じられる。そうだ、きょうはこの体験を生きよう。</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">　</span></p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;">　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/9a/11/j/o4032302414322741530.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/9a/11/j/o4032302414322741530.jpg" width="420"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/b0/28/j/o3024403214322742095.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/b0/28/j/o3024403214322742095.jpg" width="220"></a></span></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:0.83em;">　でもなあ･･･行列の絶えない店だし･･･きょうはお天気もイマイチだし･･･どうしようかなあ･･･インスタントラーメンがあるから･･･。なあんてぐずぐずしている。そう、わたしは思い切りが悪い。まあ何もしなくても変化なしということだからええやんか･･･それで済ませてしまうことも多い。ああ、優柔不断な自分が情けない。でもこれも自分なんだし･･･。そうこうしているうちに、身体とこころのバランスが崩れた。身体は勝手に行く用意をしているのにこころは行ったり来たりの繰り返しをしている。そのとき、「何か」がわたしを押した。気づいたらハウスを出ていた。これだったら、開店１０分前にお店に着く。待たずに入れそうだ！ でも、いったい「何が」わたしを押したんだろう。それは、これまで８ヶ月間 Bostonでくらした、この土地の力だ。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:0.83em;">　４月にはRedlineのParkstreet駅からGreenlineに乗り換えてHaymarket駅まで行って５分ほど歩いた。きょうはParkstreet駅から歩いて行こう。およそ15分ほどの道往きのなかで、これまでのBostonが蘇ってくるだろう。道はだいたい分かる。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:0.83em;">　夏の暑いとき、Bostonを歩いた体験が蘇ってくる。いまは寒さに身を縮めている。でも、この街が懐かしい。いとしい。フリーダム・トレイルの赤レンガの道もわたしを導いてくれる。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/67/2d/j/o0768102414322746891.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/67/2d/j/o0768102414322746891.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/36/13/j/o0768102414322746897.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/36/13/j/o0768102414322746897.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/f8/f0/j/o0768102414322746901.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/f8/f0/j/o0768102414322746901.jpg" width="220"></a></span></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:0.83em;">　10分前、11時20分に到着。予定通りだ。すでにひとが並んでいる。Are you waiting? Yes. わたしは7番目、lucky sevenだ。これは幸先がいいぞ。思わず嬉しくなる。店には青いシャッターが降りている。このシャッターがわたしと店を隔てている。そして10分後、わたしはこの一線を越えるのだ･･･なんて格好のいいことを想っていたわけじゃなくて、ただ寒くて上下運動をしていただけだ。定刻を少し過ぎた頃、店員のお姉さんがシャッターを開け、一同、入店。カウンターの真ん中に席をとる。わたしにしては珍しい選択だ。いつもは端にしか座らないのに･･･Bistro Relationの習慣だろうか･･･。waterとmenuとoyster order sheetがカウンターという一線を越えてわたしのもとにやって来る。それと鉛筆。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/09/ce/j/o0455055014322752794.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="266" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/09/ce/j/o0455055014322752794.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/ac/86/j/o1024076814322752908.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/ac/86/j/o1024076814322752908.jpg" width="220"></a></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　menuの裏に飲みものリストがある。きょうはlunchだからワイン一本はちょっときついかも知れないと思いながらリストを見る。すると･･･おやおや･･･例の4月に飲んだ白ワインUlasiaのロゼがあるじゃないか･･･これは発見だなあ･･･さっそくいただこう。わたしは前菜2品とオイスターとワインを注文した。</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">・YELLOWFIN 'COYNE' CROSTINI &nbsp;tuna tartare これは店員さんが 'tuna' と略称するように、マグロの小さな角切りの下にアボガドベースのタルタルソースが敷いてある一品。</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">・CRUDO SPECIAL これは時価なので値段を訊くと、きょうは$17だとのこと。高いのかどうかは分からないがこれが食べたい。白身魚のカルパッチョ風だ。</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">・OYSTERS オーダーシートから食べたい種類のoysterの数を鉛筆で記入。Wellfleet, Island Creek, Chatham, Moonstone, Savage Blonde, Kumamotoの6品。選択基準はたんなる勘だ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　Ulasiaのロゼを少しずついただきながら、料理の登場を待つ。クリスマス間近だけれど、店内はあまりそんな感じじゃない。それがまたとてもいい。いつしか店内は満席になっていてすでにwaitingのひともいる。観光客もいる。いったい、みんな何を求めてやってくるのだろう。もちろん、抜群に美味しい。でもそんなに安いお店でもない。でも地元のひとがとっても多い。味は文化。くらしの基本は食べること。その延長に味がある。このブログのどこかに書いたけれど、忘れ得ぬ「おふくろの味」という表現に象徴される「生きる」だ。みんな生きるエネルギーを求めてやってくるんだ。</span></p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;">　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/ef/3b/j/o1024076814322761639.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/ef/3b/j/o1024076814322761639.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/23/0a/j/o1024076814322763360.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/23/0a/j/o1024076814322763360.jpg" width="220"></a></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　さて、Oystersがやって来た。右端から注文の品が並んでいるのよ、とお姉さんが説明をしてくださる。さっそくいただこう。うまい！&nbsp;そうしているうちに、カルパッチョ風もやってくる。ワインも進む。何となくdinnerの雰囲気になってきたな。大丈夫かなあ･･･だって･･･ものすごく美味しいから･･･ずっと食べて飲んでいたくなる･･･。いつものわたしの「飲みに入る」感覚だ。</span></p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/25/f4/j/o0768102414322761615.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/25/f4/j/o0768102414322761615.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/61/1b/j/o1024076814322761620.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/61/1b/j/o1024076814322761620.jpg" width="420"></a></span></p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/d8/19/j/o0768102414322761625.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/d8/19/j/o0768102414322761625.jpg" width="420"></a></span></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:0.83em;">　う～ん･･･美味しい。店内の雰囲気も盛り上がってきている。右手には観光客風のお姉さんがビールを飲んでオイスターとロブスターロールを平らげている。定番だ。やるな～！ そう言えばカウンターのほとんどをロブスターロールが席巻している。圧巻の光景だ。でもわたしと左手のおじさんはそうじゃない。order sheetをじっと見て注文しビールをちびちびやっている。常連のようだ。しかもスマホで仕事をしている。お昼ご飯にやってきた風だ。こういうひとはoyster の味の違いも分かるんだろう･･･いやいや、おれだって分かる･･･でも説明できない･･･語彙が足りない･･･ツナタルタルがやってきた。思わずワインをおかわりしてしまう･･･いかん･･･ディナータイムに突入してしまう。まだ真っ昼間だってのに･･･でも外はけっこう暗いんだよなあ･･･これがBostonの冬なのかあ･･･。なんてあれこれ想いつつお料理をいただいていると、もう一度oysterが食べたくなってくる。order sheetを頼むと横に数を書いてと言われる。このお店の節約ぶりなのか、それとも･･･。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/60/3c/j/o1024076814322761631.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/60/3c/j/o1024076814322761631.jpg" width="420"></a></span></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:0.83em;">　何気なく、ほんとうに何気なく左のおじさんに訊いてみる。「どれが一番うまかった？」「これさ（Chathamを指して）これ･･･これは塩味が絶妙に効いていてうまいんだ」「そう」。おじさんは親指を突き出しgood だと gestureをする。それを聴いて少し嬉しくなる。単純だ。わたしも最初の６品のなかでこれが２番目に美味しかったのだ。一番美味しかったMoonstoneと合わせてさらに６品をオーダーする。これでOysterは1ダースいただくことになる。ボスとのランチのときは３品だったから何と４倍だ。ったくもう･･･どこで止まるんだろう･･･。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/6c/6e/j/o1024076814322761605.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/6c/6e/j/o1024076814322761605.jpg" width="420"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/75/37/j/o0768102414322761643.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/08/bos50416har/75/37/j/o0768102414322761643.jpg" width="220"></a></span></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:0.83em;">　ふたたびお姉さんの説明。右端から４品がおじさんお勧めオイスターだそうだ。ワインを飲み干したのを見てお姉さんが「おかわりする？」と尋ねてくる。この誘惑にこれまで勝ったためしはない･･･Of course pleaseだ! いつものわたしなら･･･。でもなぜかきょうはBeerと口にする･･･どうしてだろう･･･何かある･･･そうか･･･共通感覚が働いている感じなんだ･･･分かったよ･･･あとでこの寒空で薄暗いなかを散歩しよう･･･。こんなことを口に出して言ったら周囲は変なおっさんだと不審がるに違いない。でも日本語だから･･･。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:0.83em;">　いとしい味を堪能し、お店を出て、当てもなくふらふらと歩き回る。これが散歩だ。そうしながら、この街に溶け込もうとしている自分がいる。普段なら危ないかも知れないと思って絶対に近寄らないところにも平気で入っていって歩き回る。この街のピースのひとかけらになろうとしているのだろうか･･･。1時間以上、歩き回った。ふと異質感がやってきた。この街のピースのひとかけらにはなれない･･･だってもうすぐ帰国するのだから･･･どうして帰国するの･･･日本に帰ってどうするの？･･･もっとBostonでくらしたらいいじゃない･･･。そのとき、あのことばがやってきた。「やっぱり日本はいいですよ。もう40年以上もこっちに住んでいるし、日本に帰ったところで親はいないし住むところもないけど、でもやっぱり日本はいいですよ。老後は日本に帰ろうかどうしようか、まだ考えているんですよ」。オーナーのご主人の語りだ。ご主人とわたしは同い年だ。その語りは、絶対に踏み込めない世界があることを教えてくれた。日本で生まれ育ったわたしには、絶対に踏み込めないBostonがあるのだ。ピースのひとかけらになれるのだろうかなんて思った自分は、ほんとうに失礼千万な奴だ。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/7c/2c/j/o0768102414322771063.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/7c/2c/j/o0768102414322771063.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/65/6e/j/o0768102414322771072.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/65/6e/j/o0768102414322771072.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/e1/2c/j/o0768102414322771088.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/e1/2c/j/o0768102414322771088.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/9c/1a/j/o0768102414322771093.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/9c/1a/j/o0768102414322771093.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/80/41/j/o0768102414322771100.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/80/41/j/o0768102414322771100.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/f2/8b/j/o0768102414322771113.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/f2/8b/j/o0768102414322771113.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/89/3a/j/o0768102414322771177.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/89/3a/j/o0768102414322771177.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/fa/87/j/o0768102414322771223.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/fa/87/j/o0768102414322771223.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/4a/ac/j/o0768102414322771250.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/4a/ac/j/o0768102414322771250.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/0a/dc/j/o0768102414322771304.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/0a/dc/j/o0768102414322771304.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/e1/0a/j/o0768102414322771307.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/e1/0a/j/o0768102414322771307.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/75/c7/j/o1024076814322771312.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/75/c7/j/o1024076814322771312.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/85/b8/j/o0768102414322771325.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/85/b8/j/o0768102414322771325.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/f6/20/j/o0768102414322771337.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/f6/20/j/o0768102414322771337.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/99/ce/j/o0768102414322771346.jpg"><img alt="" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/99/ce/j/o0768102414322771346.jpg" width="220"></a>　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181218/09/bos50416har/2a/7d/j/o0768102414322771357.jpg"><img alt="" height="293" 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Oysterといういとしいお店を教えてくれたのは妻だ。ほんとうに、こころから感謝している。Bostonでのくらしを支えてくれた。そして、もうすぐ妻がBostonに、わたしを迎えにやってくる。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:0.83em;">　さあ、ハウスに帰って昼寝をして、帰国の準備をしよう。わたしの「生きる」はBostonでの体験を経てこれからもずっと続いていくのだから･･･。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:0.83em;">　</span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bos50416har/entry-12426689010.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Dec 2018 09:56:37 +0900</pubDate>
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<title>last lunch</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:0.83em;">　Bostonに滞在している間、教授（Boss）には何度か食事に連れて行ってもらった。二人で食事をするところをイメージしてみる。たとえば、日本でのシチュエーションは、同僚や学生と二人で食事に行くというものだ。でもそのイメージとは違う。わたしに英語力の問題があるからだろうか。たしかにそうかも知れない。でも、それ以上の何かがある。ボスはわたしによく”friend”と言う。われわれは学問の方向性を同じくする「友だち」だということ。たいへんありがたいことだ。世界中の研究者がその名を知るボスと友だちだなんて。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　でもちょっと戸惑う･･･。自分のこれまで60年を振り返ってみると、わたしには「友だち」と呼べる存在がほとんどいなかった。もちろん、このことばの意味する範囲はあるだろうけれど･･･わたしが友だちだと思えるひとはほとんどいなかった。小さい頃から転校が多かったからかも知れない･･･おのずと育まれた対人関係パターンかも･･･。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　わたしには、友だちだと自分で勝手に思い込んで、そして裏切られた経験がある。多くはないがどれも苦い経験だ。このブログに以前登場した小学校時代の友だちにも裏切られた。そもそも、友だちが少ないうえに、裏切られると骨身に染みるのだ。これまでわたしを裏切らなかった友だちは、高校時代に出会った、たったひとりだけだ。なのでわたしは、ユングの自由連想法で言えば、「友だち」と刺激語が耳に入ると間髪入れずに「裏切り」と反応してしまう。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　ボスと友だちだ。嬉しい。この8ヶ月間、ボスはわたしを一度も裏切らなかった。裏切られる不安に怯えた日がいったい何日あったことだろう。そんなわたしの不安などどこ吹く風で、ボスはいつもわたしに友だちとして相対してくれた。ファーストネームで呼び合う仲だ。いつだったか、わたしがあまりに真面目くさっていたのを見て、「友だちだろ！」と言われたことがある。嬉しい。でも、友だちってどうやってときを共にすればいいのか、わたしにはよくわからない。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　そんなわたしだから、ボスとの間においしい料理が入ってときを共にする、つまり食事はとてもいい。自称料理人＋グルメのボスとわたし。向かい合って座る。ウェイターがメニューを持ってくる。"Akira, do you drink beer?" "Of course, yes. Arthur, what do you drink? Oh, I do white wine." こんな調子で料理も決まっていく。魚料理を選ぶとボスはきまって”good"を連発する。魚料理が好きなのだ。もちろん肉料理も好きなのだろうがボスは太りすぎを気にしている。ウェイターが "enjoy?"とやってきてもボスは "good"だ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　さて、ボスと初めてランチのときを共にしたのは、Bostonでの滞在を始めておよそ一週間後のことだった。そしてHarvard のVISAの期限が切れる2日前、最後にふたりでランチのときを共にした。その間、ランチはもちろんディナーにも何度も誘っていただいた。Harvard 大学のあるCambridge辺りの有名どころのレストランはほとんど行った。どこへ行ってもボスは魚料理だった。そしてオイスター。実によく喋り、よく食べ、そしてわたしの世話を焼いてくれた。たとえばオイスターにかけるソースの説明･･･丸ごとRobsterの食べ方･･･。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　夏にはボスの別荘で2泊3日を過ごした。自称料理人のボスにはお気に入りの魚屋があって、そこでホタテや白身魚を買ってきてキッチンでソテー。スモークサーモンも加わり、白ワインと合わせて、海を眺めながら和やかなディナー。アルツハイマー病で亡くなった奥さまともこうして夏のひとときを過ごしたのだろう。そう想うと、胸が詰まる。でもボスの笑顔を見ているとほっとする。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　"Harvest"。最後にランチをともにしたレストランだ。期せずしてふたりはまったく同じ料理をオーダー。でもその日のボスには白ワインがなかった。尋ねると、ランチの後に何やら国際電話会議があるのだそうで、ワインを飲むと寝てしまうからきょうは止めておくとのことだった。それを聴いて、「別れ」の感覚がやってきた。ふたりの間に一本の線が引かれたような気持ちになった。これまでの食事どきには、食後の仕事の話をしたボスは一度もいない。国際電話会議とやらは、ボスの目の前にいるわたしを遠いところに連れて行ってしまう。ボスにはボスの仕事がある。当たり前だ。わたしだって同じことだ。でも、これまではそんなことを忘れてお互いに楽しく愛しい食事のときを共にしてきた。でもきょうは違う。ふたりの間に「距離」ができた瞬間。そう、わたしも帰国が近づいているのだ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　話題はおのずと、この8ヶ月あまりのことになる。内村鑑三のこと（ボスはUchimura projectと呼んでいる）。Amherstのこと。ボスはAmherstが大好きなようで、とても素晴らしい古きよきアメリカを体験できしかも研究環境が抜群だと、語気強く語る。Philadelphiaのこと。ボスの息子がPhiladelphiaに住んでいてThanksgiving Dayはそこで過ごしたとのこと。宿泊したホテルを尋ねられたのでペンシルベニア大学のすぐ横のホテルだというと、大きく頷いて、「そこにアメリカでもっとも歴史の古い病院があるんだ･･･」「たぶん、その前を歩いたよ･･･」「そう･･･それからPhiradelphiaには素晴らしい美術館があるよ」「知ってる。バーンズ美術館」「そうそう･･･それからフィラデルフィア美術館やロダン美術館もね」「ところで、Thanksgiving Day はターキーを食べたんですか？」･･･ボスは笑って首を横に振り「ターキーは嫌いなんだ」「なんで？」「肉だし太るし･･･」。その笑顔は可愛い少年のようだった。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　「New Yorkには行ったのか？」「先月、9.11Memorial &amp; Museumに行ってきた･･･どうしても行かねばならないと思っていたから･･･バスで行ってきた」「おいしい食事はしたか？」「（笑いながら）テイクアウトで済ませた･･･だってNew York は何でも高いから」「そう、高い。でもおいしい。素晴らしい日本料理店もある。ニューヨークにはおいしいものがたくさんある」とボスはうなずきながら顔を上げる。9.11にはあまり触れたくないように思えた。来週はニューヨークのお嬢さんのところで過ごすんだとか。「娘がおれにニューヨークに来いと言うんだ。老後をいっしょに暮らそうっていうわけ。でもおれは行きたくないんだ」「どうして、あんたはニューヨーク生まれのニューヨーカーじゃないの？ マフィアにも顔が利いたりして･･･」。ボスは笑いながら、「おれはボストンが好きなのさ。この街が好きなんだ。ケンブリッジには1970年代からずっと住んでいる。昔は田舎だった。食いもんはまずかったしきたない街だった。でもいまはご覧のとおり、とっても素敵な街になった」。ため口会話のように話は進む。ボスは奥さまとくらしたこの街を愛していて、離れたくないんだなあと、しみじみ想う。そんなことを感じていると、わたしも自然に、「この街に来て、ここで8ヶ月あまりくらしたけど、くらしたことそれ自体がわたしにとってはほんとうに得難い体験になったし、それこそがわたしの研究になった」。するとボスは嬉しそうにわたしを見て、「いつでも来い」。Harvard大学は定年がないらしく、何でもボスはあと4年くらいは教授を続けるそうだ。「その間だったら、いつ来てもいいぞ。研究室の鍵は秘書がもっている。おまえも知っている○○だ」「知っている。ありがとう。ほんとうにありがとう。こんなに素敵な時間を過ごせて、おれの人生にとって素晴らしい歴史になった。感謝してもし過ぎることはない。ほんとうにありがとう」「いやいや、どういたしまして」「日本にもおいでよ。京都に来たらおいしいものをたくさん食べに行こう」「ウナギ」と、にこっと笑う。「えっ、ウナギ。ウナギが好きなの？」「そう大好きなんだ」「わかった。おいしいウナギ屋を探しておくよ」「よろしく頼む」。こんなふうに、高齢者自称料理人＋グルメのふたりの会話は弾む。いつのまにか目の前の皿は空になった。それをじっと見ていると、終わりなんだなあと、しみじみとした気持ちになる。寂しい。そう感じた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　「じゃあ、そろそろ行くか」「そうだね」。いつもだけれど、ごちそうして下さる。サインをする姿を見ていると年をとったんだなあ･･･日本に初めて来ていただいた15年ほど前はもっとやんちゃな感じだったけど、いまはじっと数字とにらめっこしている。「おれは研究室に戻らなくちゃいけないけど、おまえはどうする？」「この辺で両親へのお土産を探すよ」「おお、それならいい店がある。案内しよう」。ほんとうに「友だち」なんだなあって･･･。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　ボスはわたしを "Old friend"と呼ぶ。このことばは独特の意味があると、トリリンガルの教え子から聞いたことがある。こころ深きところが通い合う相手といった感じだろうか･･･よくは分からないけれど･･･。日本でほとんどまったくできなかった「友だち」がBostonにいた。Bostonでわたしを待っていてくれて、そしてまた会おうと言ってくれた。わたしも帰国して、Bostonの友だちを日本で待っていよう。そしておいしいウナギを食べよう！</span></p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><span style="font-size:0.83em;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181217/00/bos50416har/03/e0/j/o1024076814322085448.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181217/00/bos50416har/03/e0/j/o1024076814322085448.jpg" width="620"></a></span></p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">　</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/bos50416har/entry-12426420783.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Dec 2018 00:43:45 +0900</pubDate>
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