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<title>bosoboso194のブログ</title>
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<title>熊本地震　　～その時なにがおきていたか～　　最初の支援は</title>
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<![CDATA[ <p>１６日はあわただしく過ぎました。余震は続くものの、皆さん少しは落ち着きを取り戻されつつありました。熊本がどうなっているのか、テレビやネットからの情報を得ることしかできません。しかも情報源は限られているのです。</p><p>午後になると大きな問題が出てきました。食事です。朝・昼と何もない状況でしたが、そこまでは皆さん気が張っているので大丈夫でした。しかし、夕方になると空腹が襲ってきます。だけど支援物資はまだまだ届くような状態ではありませんでした。</p><p>そして、そのまま夜になりました。</p><p>&nbsp;</p><p>夜８時過ぎ、校長室の横にある出入り口から声が聞こえてきました。</p><p>「すみません。こんばんは。」</p><p>何だろうと思って出てみると、暗がりの中に三人の影が見えました。</p><p>「はい。何でしょうか。」</p><p>避難者の方が何の用だろう？これまでも自治会の方に相談されているのだが。</p><p>そう思いながら近づきました。すると三人の若い男性だとわかりました。</p><p>「校長先生ですか。」</p><p>「はいそうですが。」</p><p>「私たち、水とパンを持ってきました。どちらにおろせばいいでしょうか。」</p><p>そうおっしゃったので驚きました。</p><p>「いや、本当にありがとうございます。あちらに見える体育館にお願いします。」</p><p>私は頭を下げながら言いました。</p><p>「本当に支援物資が無くて困っていたのです。恐れ入りますが、どちらから？」</p><p>リーダーらしき人に尋ねました。そして驚愕しました。彼がこう答えたのです。</p><p>「はい。私たちは東京から来ました。急いで来たのですが、どちらに行けばいいのかわからず、とりあえず目に入ったこちらに来たのです。」</p><p>「えっ？東京から？」</p><p>本当に驚きました。熊本県からも市からも支援者はだれも来ていないのに、東京から？どうやって来たのか不思議でたまらなかったのです。</p><p>「ええ。今朝のニュースを見て、避難所には水や食料がないだろうと思い、とりあえず３人で鹿児島まで飛行機で来ました。そしてレンタカーを借り、途中で詰めるだけ水と食料を買い込んでこちらまで来たのです。」</p><p>胸が熱くなりました。瞬時に支援を考え、方法を探り、実際に東京から熊本市まで急いでいらっしゃったのです。感謝しかありませんでした。</p><p>名刺を頂戴すると、その方々がとある宗教団体の方だとわかりました。なるほど、困っている人たちのためにここまでできるのはそういう方々かと思いました。</p><p>飛行機の手配、レンタカーの手配、買い物、そして陸路を移動。おそらく陸路の移動だけでも６時間はかかったと思います。高速は止まっているし、一般道も途中で寸断されていたから。</p><p>&nbsp;</p><p>全国からの支援、本当にありがたく思いましたが、やはり私にはこの最初の方を忘れることはできません。この晩は、この方々だけが本校に支援物資を届けられました。</p><p>この場を借りて、改めて御礼申し上げます。</p><p>お元気でご活躍されていらっしゃることを願っております。</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　つづく</p>
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<link>https://ameblo.jp/bosoboso194/entry-12963321517.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Apr 2026 20:31:09 +0900</pubDate>
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<title>熊本地震　～その時なにがおきていたか～　　その時地域は</title>
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<![CDATA[ <p>これまで前震・本震発生後の本校の様子などをお伝えしてきました。</p><p>１４回述べてきたのですが、それでも本震発生から３時間後ぐらいまでのことしか書いていません。いかにいろいろなことが起こっていたか。改めて思い出されます。</p><p>現在、これを書いているのが午後８時３０分ですが、１０年前だったら５時間後に本震が来ます。事前に知ることができていれば、益城や南阿蘇の方々も少しは違っていたのでしょうけれど。</p><p>今回は、少し地域の様子をお知らせします。避難所だけでなく、地域でも助け合いは行われていたのですが、それを知っていただけたらと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>本震は水と電気とガス（都市ガス）を奪いました。幸いすぐに回復したところもありますが、そうでないところもありました。</p><p>&nbsp;</p><p>とある高級料理店には翌々日までの仕入れた食品が冷蔵庫・冷凍庫に保管してありました。しかし、停電で徐々に温度が上がっていきます。もうこの温度では翌日以降は無理だと判断された店主は、近くに避難していた住民の皆さんにこう伝えました。</p><p>「お店の冷蔵庫が切れて商品が無駄になりそうです。皆さんにふるまいますからお越しください。」</p><p>長年この場所で店をやってきているのもあり、感謝の気持ちを込めてすべて出せるものは出そうと思われたのです。</p><p>一皿２０００円もしそうなお刺身や簡易コンロでできる煮物など、集まった皆さんに惜しげもなく料理を振舞われたそうです。お腹をすかせていた皆さんは感謝しながら食べたそうです。そのお店は何十人分の食材を提供されましたが、それだけでも何十万円の損失です。しかし、店主の方は喜んでいらっしゃいました。無駄にならずによかったし、皆さんが嬉しそうだったからとおっしゃってました。</p><p>&nbsp;</p><p>また、水が出ないのも困りました。ところが幸いなことに熊本市は水の都。井戸を掘っているお宅が何件かあるのです。本校区には何軒も井戸をもっているお家がありました。</p><p>「すみません。ここの井戸水、頂戴してよろしいでしょうか。」</p><p>「どうぞどうぞ。お互い様ですから。うちはどんどんでてますのでかまいませんよ。」</p><p>「ありがとうございます。」</p><p>何人もの方が井戸水をもらいにいらっしゃったそうです。もちろんお礼など一切もらわれませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>本校区は全壊などの被害はありませんでした。だから、まだ皆さん余裕があったのではないでしょうか。余裕があるからこそお互いを支え合う気持ちが出てきたのだと思います。益城や南阿蘇などは支え合うより自分の命を守る気持ち、助かったという気持ちが強かったのではないかと思います。壊滅的な被害を受けたとき、何もする気力がなくなると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bosoboso194/entry-12963119559.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Apr 2026 20:59:03 +0900</pubDate>
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<title>熊本地震　～その時なにがおきていたか～　　毛布</title>
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<![CDATA[ <p>午前３時を回ったころでした。体育館には避難者が溢れるぐらいでした。普通、これだけ人が集まると熱気があって寒くないのですが。４月というのに体育館が段々冷えてきたのです。</p><p>「何かないですか？」</p><p>「何もないみたいです。寒いですね。」</p><p>そういう声が広がってきました。</p><p>本校には大きな石油ストーブがありましたが、これだけ混雑していては出すこともできず、そもそも灯油が無い状態でした。</p><p>するとどこからか</p><p>「日赤に行けば毛布をもらえるのでは？」</p><p>という声が上がりました。確かに緊急用の毛布が備蓄されているはずです。</p><p>私や自治会ではそういうことはまったく考え付きませんでした。</p><p>ダメもとで日赤に電話してみることにしました。</p><p>すると、奇跡的に準備できるという連絡をいただきました。</p><p>「では何人かで日赤に行きましょう。」</p><p>「私が行きます。」</p><p>「私も行きます。」</p><p>あっという間に受け取り部隊が編成されました。そして直ちに日赤へと向かわれたのです。</p><p>戻ってこられるまでに２時間程度かかったでしょうか。毛布を２００枚程度日赤から調達してこられました。途中の交通渋滞、そして日赤の混乱を予想したら大奮闘と言っていいと思いました。</p><p>避難者全員にはいきわたりませんので、高齢者や困難者からお配りすることになりました。手にされた方々は口々に</p><p>「ありがとうございます。」</p><p>とおっしゃってました。</p><p>&nbsp;</p><p>ここにも地域の力が示されました。日赤にあるのではと気づかれた方、取りに行かれた方。そして熊本日赤のご対応。すべて学校でもなく自治会でもなく、それぞれが自分の力を十分発揮されてのことでした。</p><p>「凄いな」と改めて感じた一件でした。</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく</p>
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<link>https://ameblo.jp/bosoboso194/entry-12963022021.html</link>
<pubDate>Tue, 14 Apr 2026 22:03:30 +0900</pubDate>
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<title>熊本地震　～その時なにがおきていたか～　　ラッキー</title>
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<![CDATA[ <p>いろいろな人々が避難所にいらっしゃると述べましたが、予想していない状況は次々と起こります。</p><p>&nbsp;</p><p>体育館でしばらく見守っていた時、おばあちゃんとお孫さんらしき中学生が近寄ってきました。</p><p>「すみません。ばあちゃんが薬を家に置いて来たって困ってます。どうにかなりませんか。」</p><p>お孫さんが困った顔をして私に救いを求めてきました。</p><p>学校ですから保健室はあります。しかし、薬類はほとんど限られていますのでちょっと戸惑いました。あるのは酔い止めの薬程度ですし。</p><p>「どんなお薬ですか？」</p><p>「はい、心臓病の薬です。胸が痛くなった時に飲むものです。」</p><p>ああ、ニトロベンかと思いました。ニトロベンとはニトログリセリンから作られた薬で、心臓発作が起こりそうなときに飲むものです。もちろん、保健室にある類の薬ではありません。</p><p>「家にあるのですか？」</p><p>「はい。」</p><p>おばあちゃんに尋ねました。</p><p>「発作が起きそうですか？それともご不安ですか？」</p><p>「今は起きていませんが、手元にないと不安でたまらないのです。」</p><p>多分、これまで何度も飲まれて発作を抑えたのでしょう。不安そうなお顔でした。</p><p>「今からお孫さんに取りに行かせることはどうですか？」</p><p>するとはっきりとおっしゃいました。</p><p>「家も真っ暗で揺れるかもしれませんから、孫を家にやることは絶対できません。」</p><p>もっともなご意見でした。おばあちゃんの真剣な表情は孫を守るという気持ちを表していました。</p><p>「わかりました。ちょっと待っててください。」</p><p>私はそう言って校長室へ戻りました。</p><p>ラッキーなことでした。実は私にも心疾患がありニトロベンを２錠お守り代わりに持っていたのです。</p><p>「これですか？」</p><p>おばあちゃんにニトロベン２錠を差し出すと</p><p>「ああ、これですこれです。ありがとうございました。」</p><p>「ではお渡ししておきますので、明日になって薬を家から持ち出せたら戻してください。」</p><p>そういってニトロベンを渡しました。本当は私も少し怖かったのですが、お孫さんを守ろうとするおばあちゃんにはかないません。敬意を表してお渡ししました。</p><p>翌日の夕方、お孫さんがニトロベンを返しに来てくれました。私もほっとしました。</p><p>おばあちゃんが安心しただろうと思って。</p><p>小さなことでしたが、おばあちゃんにとって本当にラッキーでした。ピンポイントで私のところへいらっしゃったのですから。</p><p>ついでに私も発作が起こらなくてラッキーでした。</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bosoboso194/entry-12962808195.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Apr 2026 20:50:04 +0900</pubDate>
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<title>熊本地震　～その時なにがおきていたか～　　さまざまな人々</title>
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<![CDATA[ <p>学校では児童・生徒以外に保護者や地域の代表者の方がやってきます。</p><p>それ以外の方はなかなかふれあうことはありませんし、来校することもありません。</p><p>しかし、この非常時では様々な方が避難所たる学校へ集まってきます。</p><p>それが私どもには戸惑いにもなりますし、新たに学校ってなんだろうということを知る機会になります。今回は大いに学ぶことができました。学校・地域の存在意義を。</p><p>&nbsp;</p><p>学校を開けてから40分もすると体育館も校舎もかなりの方々が集まってきました。</p><p>そして、だんだん配慮が必要な方がいることが分かってきました。</p><p>「校長先生、こちらのかたは先日けがをなさって、この体育館では少し困られるそうです。」</p><p>「こちらの方は皆さんと一緒では不安で不安でたまらないそうです。どこかありませんでしょうか。」</p><p>次々と情報が入ってきます。</p><p>確かに１０年前の熊本市は避難所開設の準備が足りませんでした。怪我人・病人をどうするかなど予想外のことでした。恥ずかしながら、私も「福祉避難所」という存在を全く知りませんでした。今でこそ段ボールベッドなど準備していますが、当時はありませんでしたので、１週間前に外科手術を受け自宅で養生していた方など、固い体育館の床に座ることさえ厳しい状況でした。</p><p>そこで学校敷地内にある児童育成室を開放することを決めました。普段は学校が終わって保護者のお迎えを待つ児童が過ごしているところです。一戸建てのプレハブですが、二部屋ほどありました。一番良かったのは一室には畳が敷いてあることです。怪我をされている方が横になってもよい場所です。</p><p>一つだけ問題がありました。そこは体育館から離れていますので、お世話する人がいないとダメなのです。本校職員も自治会もつきっきりは不可能です。すると、たまたまいつもそこで児童を見てくださる方が避難されていました。</p><p>「〇〇さん、よかったらこちらのお世話をお願いできませんか？」</p><p>ダメもとでお願いしました。介護のようなお仕事を頼むのですから気が引けました。ところが、即座に引き受けてくださいました。そして、ここを閉鎖するまで一緒に寝泊まりしてくださったのです。本当にありがたいと思いました。</p><p>結局この部屋には８人ほどの方々が避難することになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>皆さんが部屋に入られ、やれやれと思い体育館に行きました。</p><p>すると一人の男性が私のところにいらっしゃいました。</p><p>「私は医者です。お怪我をされたり体調がすぐれない方を診ましょうか。」</p><p>とおっしゃってくださいました。これもありがたかったです。</p><p>「是非ともお願いします。では自治会からお手伝いをしてくださる方を付けます。」</p><p>そしてお医者様は</p><p>「どなたかお怪我されていませんか。気分のわるいかたはいませんか。」</p><p>と体育館の中を声を上げて回ってくださいました。</p><p>幸い本校区は建物が潰れたということはなかったので大けがされていらっしゃる方はいませんでしたが、本当に頼もしく、ありがたく思いました。もちろん、先ほどの別棟に入られた方々も診てくださいました。</p><p>前回も申し上げたのですが、地域の力は素晴らしいです。今回も自発的に協力してくださる方がいらっしゃった。これが避難所を支えてくださる原動力になるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bosoboso194/entry-12962602644.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 21:19:30 +0900</pubDate>
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<title>熊本地震　～あの時なにがおきていたか～　　　　あふれる車</title>
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<![CDATA[ <p>しばらく校舎と体育館を行き来していました。</p><p>すると、校長室に一人の職員がやってきました。</p><p>「おお、来てくれたんだ。」</p><p>「はい。校長先生、何かしましょうか。」</p><p>昨年から本校に勤務している若手男性職員でした。自主的に学校へやってきたのです。</p><p>「じゃあ、大変だけど運動場に出て車の誘導をしてくれる？」</p><p>「わかりました。」</p><p>頼もしい限りです。彼はさっそく赤色指示棒をもって運動場に行ってくれました。</p><p>校長室から見ていると、的確に指示しています。</p><p>『ありがたいな。』</p><p>そう思っていた矢先でした。</p><p>一台の車が皆さんと違うところに停車しました。</p><p>彼が近寄り何か言っています。しかし動く気配がありません。</p><p>そうしている間に次々と車が運動場に入ってきます。</p><p>そこで私が出ていきました。</p><p>「どうしたの。」</p><p>「動いてくれません。」</p><p>「わかった。私がお願いしてみる。」</p><p>そういって彼には他の車の誘導に向かってもらいました。</p><p>「すみません。こちらに停められると他の車が駐車する際に差しさわりがありますので、申し訳ないですがあちらに移動お願いできますか？」</p><p>見れば後部座席には小学生がいます。どうやら保護者の方のようです。</p><p>運転していたお父様が発した言葉は</p><p>「何故だ。ここが安全と思って停めたのに、どうして動かさなければならないのだ。」</p><p>（実際は方言丸出しの語気が強い言い方でした。）</p><p>「動かしていただくと、あと４台は並べられます。すみませんが、ご協力を。」</p><p>まさか反論するとは思ってませんでしたので多少驚きました。</p><p>「だからなぜ動かさなきゃいけないのか？ここだったら木から離れているから木が倒れても車は大丈夫だろう。」</p><p>頑として聞き入れてくれません。</p><p>「そうはいっても皆さんが入ってきますので、協力お願いできませんか。」</p><p>押し問答が続きます。</p><p>「なら、車に傷がついたらお前が弁償するんだな？いいな？」</p><p>そこまで言われましたので</p><p>「大丈夫です。木は倒れません。倒れたら弁償します。」</p><p>そう言いました。売り言葉に買い言葉ではないですが、そう言わないと動こうとしなかったからです。</p><p>そして保護者はついに車を移動しました。</p><p>やれやれ。いろんな人が避難してくるな。しかし、校長にそこまで反論するのか。</p><p>（この状況で背広着ているのは私、校長しかいませんし、保護者だから母親も知っているはずです。）</p><p>これからも困難なことが待っているだろうなと思いました。</p><p>そして校長室に戻りました。</p><p>他の方々は若手先生の指示に従って整然と車を停めてくださいました。</p><p>時計を見ると体育館を開放してから４０分程度経っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく</p>
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<link>https://ameblo.jp/bosoboso194/entry-12962495647.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Apr 2026 20:44:25 +0900</pubDate>
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<title>熊本地震　～あの時なにがおきていたか～　　校舎開放</title>
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<![CDATA[ <p>真っ暗な中、１０分程度で学校に着きました。</p><p>校門はすでに開いていました。施錠番号を知っていた地域の方が開錠されたのでしょう。</p><p>校庭にはすでに二百人程度の方が避難されていました。</p><p>いそいで車を駐車し、体育館へと急ぎました。入り口には数十人いらっしゃいましたので</p><p>「今から開けます。慌てないでください。」</p><p>そう言いながらマスターキーで玄関やサイドの出入り口をあけました。</p><p>もちろん、今度はしっかり天井など確認をしました。</p><p>すると、予期しなかったことが起こりました。ダメもとで照明スイッチを入れたところ、何と天井の照明が赤々と点いたのです。幸運でした。真っ暗な中で数百人が集まると危険です。</p><p>もう一つ、驚く光景が広がりました。それは各町内会長さんたちが</p><p>「〇町内はこちらです。こっちに来てください。」</p><p>と大声で指示を出し始めたことです。その声に従って町内ごとに人々が集まり始めました。多分、訓練か何かで町内ごとに分けた方がよいと学ばれていたのでしょう。東日本大震災の経験談を聞かれていたのだと思います。それと、本市では元校長が町内会長になることがままあります。ご恩返しということなのですが、流石に集団を扱うのに慣れていらっしゃいます。今回も大声で指示されていたのはそういう町内会長さんたちでした。リーダーが声を出して指示するのは避難の鉄則だと理解しました。</p><p>ものの１０分で本部席を設置し、町内ごとに避難する体制が整ったのは、まさに地域の力でした。この力が後々重要になってきます。</p><p>『流石だなあ。頼もしい町内会長さんたちだな。それに指示をきちんと聞いていらっしゃる住民の方々もありがたいなあ。』</p><p>そう思いました。</p><p>しかし困ったことも起こりました。それは体育館がいっぱいになってきたのですが、まだ続々と運動場に車が入ってくることです。つまり、避難者が増えてきたのです。</p><p>これでは多くの人が外で過ごすことになります。４月１６日といっても、夜は寒かったです。運動場にも人は溢れ、車が入ってくるので事故が心配です。</p><p>そこで、校舎を開放しようと即断しました。</p><p>校舎入口の扉を開け</p><p>「どうぞ、廊下にお入りください。ただ廊下だけです。教室は止めてください。それから靴のままで結構です。ただし一階のみでお願いします。」</p><p>と大声で何度も誘導しました。靴のままといったのは、入り口においてもらうと大混雑するからです。それぐらいなら、後で掃除をすればいいと思いました。</p><p>ありがたいことに廊下も電気が点きました。体育館に入れなかった人たちがどんどん校舎へ入るようになりました。もちろん、揺れが続いてますので用心して外にいる方、車の中にいる方、様々でした。</p><p>相変わらず防火扉の警報はなっていましたが、そこは二度目です。消防法違反にはなりますが、防火扉を閉めて机をストッパーとして置きました。これで警報はもうなりませんでした。かわりに揺れるたびのスマホからの警報音がすさまじかったですけど。数百の警報は耳が痛いものでした。</p><p>そうしていると、教頭先生や数人の先生方が自主的に駆けつけてくれました。</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/bosoboso194/entry-12962299429.html</link>
<pubDate>Tue, 07 Apr 2026 22:10:38 +0900</pubDate>
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<title>熊本地震　～あの時なにがおきていたか～　　自衛隊</title>
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<![CDATA[ <p>車を出し、学校へと向かいました。</p><p>第二空港線という片道２車線の道路を走ったのですが、当然のごとく走っている車はほぼなく、信号も消えて真っ暗な道路でした。</p><p>ところが、先にある横断歩道が何かおかしいのです。</p><p>ぼんやりした横断歩道の白い部分がおかしい。何かが通っている。</p><p>近づくとびっくりしました。</p><p>信号機の消えたくらい交差点を、何百という人たちが渡っているのです。</p><p>５０ｍまで近づくとはっきりわかりました。</p><p>「あっ、自衛官だ。」</p><p>ビックリしました。地震が発生して３０分程度でもう健軍自衛隊へ全員出動しているのです。</p><p>それぞれの意思ではないと思います。各々予想はされていたでしょうが、ここまで集団で真夜中に出動するというなら命令が下されたとしか思えません。</p><p>その指示の早い事。どんな方法を使っているのかわかりませんが、私でさえ今から学校に行き、それから職員に伝えようとするのが精一杯です。多分小一時間かかるでしょう。それなのに自衛隊はもう動いている。感謝しかありませんでした。</p><p>そういえば東日本大震災のとき、火箱幕僚長が自ら責任を取るとして知事の要請がある前に救助命令を出したと聞きました。おかげで自衛隊が１万３千人を救助することができたということです。それが自衛隊の教訓になったのでしょうか。もちろん、火箱幕僚長は処分などされなかったと聞いています。今回、西部方面総監が指示されたのだと思っています。</p><p>私が交差点に進入したとき、自衛官の方々は道を開けてくださいました。</p><p>お陰で学校へと急ぐことができました。</p><p>この後、いろいろな方々へ感謝することになりますが、その第一号は自衛隊でした。</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく</p>
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<link>https://ameblo.jp/bosoboso194/entry-12961870064.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Apr 2026 21:49:58 +0900</pubDate>
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<title>熊本地震　～あの時なにがおきていたか～　　身支度</title>
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<![CDATA[ <p>「おい。ペットボトルと毛布をもって学校へ行け。」</p><p>次男と妻にそう言って避難してもらうことにしました。もちろん、自分は学校へ行かなければならないからです。一緒には行けません。</p><p>仕度のため逃げ出した我が家にもう一度入りました。まだ揺れが来るかもしれない。ドキドキしながら。苦労して開けた玄関はそのままです。というか、閉めようとしてもびくともしません。渾身の力を込めてやっと動かしたのですから当然でしょう。</p><p>その僅かな隙間から居間へと戻りました。</p><p>本棚が倒れ、本や何やら散乱しています。足の踏み場もありません。ありがたかったのはテレビが倒れていなかったことです。壊れるのもですが、画面が割れて破片が飛び散ることが嫌だったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>余談ですが、熊本市長はガラスで足を切る大けがをしながらも市庁舎に駆けつけています。県知事も同様です。たぶん公邸にいらっしゃったので、飛び起きて服を着て徒歩で県庁に駆けつけられたと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>居間に入り、まずは車のカギ、学校のカギなどを探し当てました。これは机の上にありましたので、比較的すぐに見つかりました。</p><p>持ち物はよし。そして次は背広です。タンスから引っ張り出しました。</p><p>こんな時に背広と思われるかもしれませんが、我々校長のユニフォームですから。これを着ることで相手はすぐに校長と分かってくれますし、必需品です。</p><p>着替えも終わり、車庫へ向かいました。また自転車が倒れていました。しかし、今回は車に傷は入りませんでした。というのも、前回に懲りて車と自転車のスペースを沢山とっていたからです。小さいことですが、うまくいったとちょっぴり嬉しくなりました。</p><p>さて、いよいよ学校へ。予想ですが、かなりの人たちが学校へ来ると思っていました。一度目で２０人程度でしたが、二度目ですから多くの人が必ず学校へ避難すると考えました。それに、本震の方が揺れ方が酷かったからです。</p><p>時刻は午前１時４５分ぐらいだったと思います。地震発生から２０分程度過ぎていました。次男と妻は、まだ準備をしていましたが学校へ行くことを優先しました。空きっぱなしの玄関を少しだけ気にしながら。</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく</p>
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<link>https://ameblo.jp/bosoboso194/entry-12961655834.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Apr 2026 21:15:24 +0900</pubDate>
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<title>熊本地震　～あの時なにがおきていたか～　　本震、そのとき</title>
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<![CDATA[ <p>やれやれ、疲れたな。ゆっくりしよう。</p><p>家に帰って夕食を取り、のんびりテレビを観て、お風呂に入りました。</p><p>昨夜はほとんど眠れなかったので、いつもより早く床に就きました。</p><p>気持ちいいなあ。</p><p>安心して眠ることができる。本当にありがたいことです。</p><p>寝入りのいい私は3分後には夢の中に入っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>「ドカンッ！」</p><p>うぇっ！何だ！</p><p>まさか！</p><p>暗闇の中、一瞬にして夢から覚めました。</p><p>昨夜の再現フィルムのように同じ事、同じ不安が。</p><p>しかし、今回は昨夜よりさらにひどく揺れました。</p><p>熊本地震の本震でした。</p><p>「ゆさゆさ」では表現できないほどゆれ、初めて家が悲鳴を上げるのを聞きました。</p><p>ギシギシ。ドタン。バラバラ。</p><p>妻も私も思わず叫んでいました。家が壊れるかもしれないと思ったからです。</p><p>そんな状況が多分１分ぐらい続いたと思います。</p><p>立ち上がろうにも立ち上がれず、電灯も消していたので暗闇。</p><p>生きた心地はしませんでした。</p><p>「まさか。２回も。そんなことある？嘘だろ。嘘だろ。」</p><p>実際に揺れているのに信じたくない気持ちが。</p><p>揺れがおさまりました。しかし、次の揺れが来るのを経験上知っています。</p><p>兎に角服を着て外に出ようと思いました。</p><p>手探りでスマホを探し、その明かりで洋服を探しました。</p><p>もちろん、停電しているので電灯はつきません。</p><p>部屋の中がとんでもない状況なのがぼんやりながら目に入りますが、それよりも洋服を着て逃げ出すのに必死でした。次が来たら押しつぶされるかもという恐怖が襲っていたのです。</p><p>「はよ着らんや（はやく着ないか）！外にはよ出らんと！（外に早く出ないと）」</p><p>妻に言い、洋服を着て玄関に行きました。</p><p>すると引き戸が開かないのです。家が歪み、玄関サッシも歪んで戸が開かなくなっていました。</p><p>妻は２階の次男を呼んでいます。</p><p>「〇〇！大丈夫？大丈夫なら降りてきなさい！」</p><p>私は玄関をあきらめ、別の部屋のサッシを開けようとしました。ところがここも開きません。</p><p>「閉じ込められた！」</p><p>そればかりが頭の中をめぐりました。窓を割るしかないか。そう思ったりしました。</p><p>もう一度玄関に行き、渾身の力を込めて戸を引きました。するとありがたいことに２センチほど空きました。</p><p>「あっ。何とかなるかも。」</p><p>その２センチの隙間に指をひっかけ、全体重をかけてチャレンジしました。何度も何度もチャレンジしました。</p><p>すると今度は５センチ。</p><p>「いける。」</p><p>後はもう必死でした。そしてついに２０センチほど開けることに成功したのです。</p><p>「玄関が少し開いた！こっちから出ろ。」</p><p>２階から降りてきた次男と妻が私に続いて家から出ることができました。</p><p>&nbsp;</p><p>瓦が落ちるかもしれないので、道路の真ん中に出ました。</p><p>真っ暗でよくわからない状況ですが、どうやら家は潰れてはいないようです。</p><p>とりあえず押しつぶされるのは回避できた。</p><p>それだけはありがたかったです。</p><p>付近の方々も外に出始めていました。</p><p>裏のマンションでは警報音が響いてました。そして多くの人たちの声も。</p><p>皆さん、私と同じような状態だったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>「死ぬかと思った。」</p><p>文字で表現すれば僅か７文字ですが、心からそう思ったのはこの時ばかりです。</p><p>押しつぶされずによかったなあという気持ちも出てきました。</p><p>飛び起きてから１０分ほど経ったでしょうか。</p><p>なんだかいろんなことがありすぎて、長い長い時間だった気がします。</p><p>そして少し落ち着いたとき、次の行動を考え実行に移したのです。</p><p>ここからが本当の大変な時を経験することとなります。</p><p>初めて見る、初めて経験することばかりでした。</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　つづく</p>
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<link>https://ameblo.jp/bosoboso194/entry-12961418062.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Mar 2026 19:58:05 +0900</pubDate>
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