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<title>王様の耳はロバの耳</title>
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<description>発達障害（アスペルガー・ADHD）の夫との結婚生活。友人達には言えないあんな愚痴こんな愚痴。</description>
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<title>私の親と夫の親。</title>
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<![CDATA[ 閑話休題。<br>過去を思い出しながら書き連ねてましたが、いやー、、、改めて、なんて酷い…（苦笑）。<br>夫はもちろん、主治医も、なんなら私の親も、わからないから仕方ないとはいえなかなか酷かったなぁ…。<br><br>ここは私の正直な気持ちを書く愚痴吐きブログですし、率直に書いちゃいますけど、夫の両親にも結構酷いこと言われたりしました。<br>夫は三人兄妹の長男で下に妹が二人いますが、舅は夫が幼い頃から単身赴任でほとんど家にいなく、姑がほとんどひとりで育てたも同然だったようです。<br>高IQでよくお勉強ができ、子供の頃から天才と言われた夫は、姑から溺愛され、夫ちゃんはお勉強だけしていればいいのよと、過保護過干渉に育てられたようでした。<br>結婚した頃には舅は定年退職し家にいましたが、やはり家の切り盛りは姑であり、舅は…なんというか、物静かというか、色々しゃべっているんだけれどもあまり会話に参加しないというか…たぶん、夫のアスペルガーは舅の遺伝であろうと思われます。<br><br>結婚当初は私にもとても優しくしてくれ、穏やかでにこやかで、なんて優しいご両親なのだろう、こんな優しそうな義両親で良かったと思ったものでした。<br>私も気に入ってもらおうと私なりに頑張っていましたが、しばらく経つと、姑のふとした言動が気になるようになってきました。<br>例えば、うちに招待して私の手料理を出した時、「あら、海さんの味付けは薄味なのねぇ」とつぶやきつつ手を付けないといった…。<br>姑チェックというのでしょうか、タオルとかの備品や掃除チェックの時のセリフも…「高そうなもの使っているのねぇ。こういうところ、海さんは、夫上妹ちゃんにそっくりね」<br>姑はこの、夫の上の妹が大嫌いで、しょっちゅう悪口を言っていました。<br><br>下の妹は末っ子だからか、夫同様に溺愛していたようですが、同じ子供でここまで差を付けられるものか？！と、私にはちょっと理解出来ませんでした。<br>夫下妹さんはいかにも末っ子という感じでとても愛らしい人ですが、ちょっとこう、空気が読めないというか…。たぶんADDなんだと思いますが、個人的には下の妹さんより、よく顔の似た実の両親と兄に酷い対応されながらも、私への気遣いを忘れずにしてくれた上の妹さんの方が一緒にいてホッとしましたし、義両親や夫が言うような酷い人にはどうしても思えませんでした。<br>ですから夫にも、「夫上妹さんは両親からあんな風に言われていて可哀想。せめてあなただけでも味方になってあげて」と話したりしました。<br><br>さて。結婚初年度より、年末年始は夫の実家に帰省し、数日お世話になる習わしになりました。<br>ところが、私は昔から年末年始に体調を崩しがちで、酷い風邪や胃腸炎にやられることが多く、毎年恒例か?!という位でした。<br>結婚数年目のある年には、行く直前に酷い胃腸炎（たぶんノロ）になり、かろうじて下痢嘔吐がとまった大晦日、夫は淡々と実家に帰る準備をし、まだフラフラの私を連れて「高速は混んでるから」と、新幹線で行きました。<br>向こうについてからもグッタリで、何も口にしたくない、とにかく寝ていたい…姑にもまだ、そう言いたくても言えない年齢であり関係でした。たぶん今なら言えるけど…(笑)。<br>その時夫は、私に一切気を使うこともなく、いつものように姑に何から何までやってもらって、横になってテレビを観ているだけでした。<br><br>その翌年の年末、またしても酷い胃腸炎になった私は、「今度は行かない」と夫に宣言しました。<br><br>実はその頃、自営の仕事を法人化していましたが、経営がうまくいかなくなりお金に困っていました。<br>夫がひとりでやっていた自営の仕事を私が手伝うようになって、仕事も収入も増えたために、家を買ってオフィスを近くに借り、従業員も増やしていました。（Bクリニックにかわる原因となった引っ越しは、これが関係しています。）<br>ところが夫が他の人達とトラブルになり、従業員が全員辞める！と言い出す事態が発生してしまいました。<br>結局このときは、私が他の人達と話し合い、必要な人材には説得して残ってもらったんですが、一時的に経営が悪化しました。<br><br>そのためこの年末年始は、夫がお金を貸してくれるよう両親に頼んでくると言って帰省しました。<br>上記の通り、酷い胃腸炎になった私は家で寝ていたんですが、実家から帰宅した夫は激怒していました。<br><br>夫いわく、貸せるお金がないから貸せないと言われたと。<br>「でも、あんなにたくさんあった退職金がまだあるはずだ！車も新車に買い換えてたし、家のリフォームだってやって金がないわけない！」（頼んだ借金は二百万でした）<br>借金を頼む身でありながら、なんという勝手な言い草なんだろうと呆れました。<br>そう言うと、「お母さんはおまえの事も酷く言っていたぞ、借金を頼むのに夫婦揃ってこないとはなにごとだ！って！」<br>えええ？具合悪いって言ったんじゃないの？<br>「来たくないから毎年病気になるんでしょ！って言ってたぞ！」<br>夫はこうも言いました。<br>「都内なんかに家を買ったのは、海さんに言われたからなんでしょ、実家が近いから！、とも言ってたぞ！」<br>えええええ、、、、<br><br>夫の実家は、東京から新幹線で数時間の地方都市から、さらに車かバスで1時間ほどの、山に囲まれた大変にのどかな場所です。<br>そこで起業するのは不可能に近いでしょうし、そもそも大学から東京に出てきて地元に帰る気がなく、あんな田舎じゃ仕事もないと言っていたのは夫です。<br>そりゃ、そうできるなら私の実家の近くに家を買いたかったんですが、都内でも出来る限り夫の実家に行きやすい場所を選んだ結果、私の実家に行くにはとても不便な場所になりました。<br>いまはもう老いて介護の心配も出始めてきた両親からは「あなたのところは近いようで遠いわよね…」と言われる、電車でも車でも1時間以上かかる微妙に遠いところです。<br>そんな風に言われるくらいなら、最初から遠慮なく私の実家の近くで買えば良かった…。<br><br>クラクラしながらも、夫の実家に電話すると、確かに姑は“私に”激怒していました。<br>夫の言ったように、借金頼むのに夫ちゃんひとりで来させるなんて！常識がなさすぎる！とかとかとか…。<br>もう、私の話なんて聞く耳は一切なく、まったく会話が成り立ちませんでした…。<br><br>結局、その後私が実家に電話して事情を話し、私の両親から借りることになりました。<br>私の電話一本で、振り込んでくれました…。<br>（男兄弟がいないからオレオレ詐欺には騙されないと思うけど…ｵｶｰｻﾝｺﾞﾒﾝﾈ…）<br><br>これが、夫のプライドをひどく傷つけたようで、これを機に、夫は自分の実家と絶縁しました。<br>それから夫は、自分の両親をボロクソに言うようになりました。<br>例によって例の如く、どこまでが本当なのかはわかりません。B医師にも自分の都合の良いように事実をねじ曲げて伝えていたりしましたし。<br>でも、会社の経営に関して、うまくいかないのは私のせいだ、私を経営からはずせ！と舅がいい、姑もそうだそうだと同意していたという話は割と真実味があります。<br>この後にも、夫ちゃんがこんな風になってしまったのは鬼ヨメのせい！と周囲に言って回っていたようですが、私は正直、絶縁してせいせいしていました。<br><br>それでも私は、その時から今までずっと、夫に言い続けています。<br>「そうは言っても、あなたは長男として愛されて、大学卒業までずいぶんお金をかけてもらって、育てにくい子供だったろうに暴力やネグレクト受けることもなく育ててもらったんだから、その恩を忘れちゃいけないよ。<br>私はあなたの両親の面倒を見る気は一切ないけれど、あなたは自分の親なんだから、いざという時には面倒みなきゃいけないし、ひとりでも時々は電話したり実家に帰った方がいいよ」<br><br>数年前舅が亡くなったのを機に夫は姑と仲直りし、時々実家に帰省するようになりました。<br>実は舅が亡くなる少し前は、以前投稿した『<a href="http://ameblo.jp/bow22/entry-12063108128.html" target="_blank" title="">夫の発達障害を診断してもらった話。</a>』にも書いた、もう限界と感じて離婚を本気で決意したものの、夫の発達障害などが判明してこの先どうするか揺れ動いている頃でした。<br>発達障害が判明する前の、私が離婚を決意して手続きなどに動き出した頃、夫は姑に電話して事の次第を説明したそうですが、姑は、それは嫁が悪い！的なことを言っていたと、夫から聞きました。<br>夫もたいがいな嘘つきなので、本当かわかりませんが、本当だったとしても意外ではありません。<br>そんなことのすぐ後に舅が亡くなったので迷いましたが、一応まだ離婚していなかったから、葬儀や法事には出ました。その後も、頼まれれば最低限の事はやりますが、いまでも彼の実家と仲良く付き合おうという気持ちにはなれません。<br>もちろん、夫が実家の面倒を見るというのなら、まったく反対しませんし、私も自分の実家には出来る限りのことをしたいと考えています。<br><br>私自身もそうですが、私の親だってそう素晴らしい人格者でもありませんし、欠点もかなりたくさんある人達です。<br>老いて頑固になり、話が通じにくくなってきたし、父に至っては、少しアスペルガーっぽいところもあります。<br>それでも、子供の自立心を大切にしつつ愛された実感があるし、誰に対しても良い点もあれば悪い点もあるとバランス良く見る視点を癖づけてくれたのは、親の影響だと思っています。
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<link>https://ameblo.jp/bow22/entry-12063504804.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Aug 2015 22:55:14 +0900</pubDate>
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<title>夫が発達障害とわかるまで～過去の誤診と向精神薬の功罪④</title>
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<![CDATA[ 夫が遊び回るようになりパワハラ言動が増え、私のカサンドラ症候群も悪化し続けた頃、B医師からは「あなたはパーソナリティ障害だから」とたびたび言われるようになりました。<br>当初はその意味がよくわかっていませんでしたが、最初の頃B医師はこう説明していました。<br>私の生まれ持った思考の癖に問題がある。四角四面で完璧主義、こうでなくてはならぬという思い込みが強すぎるのが問題なのだと。そのくせ自己評価が低く、目標が高すぎるために頑張りすぎて疲れてしまうのだと…。<br><br>そうかな？？私ってそんなかな？？…当時も疑問に思いましたが、専門科の言うことなんだから、そうなんだろうと考えました。<br>誤診であったと確信し、それを母に説明した時には、母からこう言われました。<br>「おかしいと思ったの。あなたは昔からそういう子じゃなかった。割といい加減というか、まぁいいか、が口癖だったでしょう？」<br>そうなんです。私は昔も今も、「まぁいいか」が口癖の、どちらかというと楽天的なタイプです。<br>何事もこだわらないのがこだわり、なんて冗談で言っていた位、何かに強くこだわる事はあまりありませんでした。<br><br>でも、もしかしたら心療内科に通うきっかけとなった事件で打ちのめされて、性格が変わってしまったのかと思いました。<br>それに、医師から「あなたの根本的な考え方に問題があるのだ」と言われ続けると、そうなのか、私が悪いのか…と思い込み、じゃあどこがどうダメなんだろう？と真剣に悩み始めました。<br><br>話が前後しますが、先に現状をお伝えすると、2009年頃に向精神薬の断薬をし、激しい離脱症状に苦しみながらも時間をかけ少しずつ良くなっていき、離脱症状が軽くなってきた頃には、パニック障害も睡眠障害も希死念慮も、すっかりなくなっていました。<br>信じられないことでしたが、全て向精神薬による副作用、離脱症状だったのです。<br>それについてはまた後で、もう少し詳しく書きたいと思います。<br>しかし、当時の私にはそんなことわかるわけもなく、それら心身の不調は、自分の根本的な考え方に問題があるのだと、ほとんど洗脳みたいな形で信じるようになっていました。<br>当時の考え方に問題があるとするなら、医者を疑おうとしなかったことはそのひとつですね…（苦笑）。<br>でもこのB医師は少なくとも時間的には(笑)よく話を聞いてくれて、いい先生だと思っていたんですよね…。<br><br>さて、では私に問題があるのであれば、それは何なのだろう？<br><span style="line-height: 10.2857141494751px;">当時の私はメンタルヘルスの症状が本当につらく、早く治りたかったし、あなたの根本的な考え方に問題があると言われたけれどどこがどう問題なのかよくわからなかったから、必死に自分の問題点を探し、原因究明に努力しました。<br></span><br>そこでたどり着いた問題点のひとつが、“過食嘔吐だったかも説”でした。<br>高校の体育の教師があるとき授業中に、「世の中にはダイエットのために、食事をしたあとに喉に指をつっこんではき出す人がいる」という話をしたことがありました。<br>もちろん、良い話として話したわけじゃないんですが、思春期真っ盛りでダイエットが大変重要なお年頃であった当時の私には、目から鱗な話でした。<br>そうか、つい食べ過ぎちゃったらそうやってはき出せばいいんだ！<br>それから20代前半のある時期までは、つい食べ過ぎた時にそうして吐くことがありました。<br>時には嫌なことがあった帰りにコンビニで買い、やけ食いしたりもしました。<br>といっても頻度は月に数回、吐くのはつらいからめったにやらなかったし、やけ食いといってもせいぜいスナック菓子2袋とかで、激痩せすることも激太りすることもなく、日常生活に支障をきたした事もありませんでした。<br>20代後半に入る頃には、そうした行為に強い嫌悪感抱くようになって自然とやめていたんですが、たくさん食べては吐くという過食嘔吐を知った時、私はこれだったんだ！と思いました。<br><br>いまにして思えば、病的な過食嘔吐とはレベルが全然違うんですが、中途半端な知識をもとにそう思い込んでしまいました。<br>特に詳しく聞かれもしなかったし、B医師には「そういえば若い頃、過食嘔吐していた時期がありました」としか伝えなかったと思います。<br>先生はふむふむとメモをして聞いていました。<br><br>ムリヤリな過去掘り起こしで見つけた自分のメンタル的問題点のひとつが、自殺願望でした。<br>これまた、いまにして思えばどうしようもないというか…。<br>高校生の頃…大学受験に悩んでいた頃かな。特別ショックなできごとがあったというわけでもないのに、突然、「なんかもう、死んでしまいたいなぁ…」と思ったことがありました。<br>たしか、塾だかバイト先だかの帰り道、夜ひとりで歩いていた時だと思います。<br>なぜこんな時にそんなこと思うんだろう？とそれがやけに記憶に残っていたのを思い出したんです。<br>だから、先生に「十代の頃、特になにもないのに、死んでしまいたいと、ふと思ったことがあります」と伝えました。<br><br>本当に一瞬ふと思っただけで、特に何したわけでもなく、いわゆる厨二病というか、思春期あるあるのひとつではないでしょうか。<br>状況をよく覚えていないだけで、高校生といえば恋愛やら友人関係やら勉強やら色々あるし、悩み事がないわけがない。<br>でも他に、自分のメンタルというか思考で異常だったところが特に思い出せなかったんです。<br>これを伝えた時の先生の反応も、ふむふむとメモをとるだけで、特に何か言われることはありませんでしたが、カルテには、「思春期の頃より摂食障害と希死念慮、パーソナル障害の疑いあり」と書かれたりしたんでしょうね…。<br>他にもいくつかムリヤリ探し出しては言ったと思いますが、どれもこれもいまにして思えば、病的といえるようなレベルとは思えません。<br>それでも、一部だけとりだしてチェックシートに当てはめれば、何かに当てはまってしまうのが今の精神科医療です。<br><br>さて…。<br>おそらくは薬の副作用とカサンドラ症候群のために、さまざまな精神症状が悪化する中、一番苦しんだのが希死念慮でした。<br>もう、ずっと死にたい死にたいと思い続けていました。<br>夫に暴言を吐かれたり、大喧嘩した後などは本当に顕著で、それこそどうやって死ぬか具体的な方法をずっと考え、実際に未遂までいった事も2回ありました。<br>あまりにそれがつらかったので、診察の時B医師にそれを訴えました。<br>「先生、死にたくて死にたくて、本当につらいんです。どうにかならないでしょうか」<br>もちろん、どうにもなりませんでした。<br>しかし、こうした相談により、B医師の私への対応はひどく冷淡になってきました。<br>あるときなどは、「死にたいだなんて、医者を脅すつもりか！」と大変な剣幕で怒られました。<br><br>そしてあるとき、B医師からついに「もうこの病院に来ないで下さい」と言われました。<br>あなたはどれだけ薬を処方しても全く良くならない。私には治せないから、病院を変えてくれと。<br>どこに？と聞いたら、あなたはPC使えるでしょう、ネットで調べなさい、と。<br><br>当時、自宅から徒歩圏にある心療内科はここしかありませんでした。<br>この頃はまだパニック障害が酷く、電車にひとりで乗って移動するのはたいへん困難であり、恐怖でした。<br>私は「薬の処方だけでも、ここに通わせてもらいたいんですが…」と頼みましたが、冷酷に断られました。<br><br>前に書きましたが、あとから夫から聞いた話によると、夫は自分の遊び回る行為を正当化するために、私の言動がこんなに酷いのだと、あることないこと先生に話していたそうです。<br>はっきり言われたわけではありませんが、摂食障害の話や希死念慮のこと、夫から聞く話などから総合して、私を境界性人格障害だと認定したのではないかと思います。<br>自分に依存されると困ると思ったのでしょう。<br><br>しかし、私も少し調べましたが、境界性人格障害で向精神薬服用していたら、リストカットや大量服薬を繰り返すというイメージですが、私はその手のことは一切ありませんでしたし、人間関係も夫と夫の家族以外とは特にトラブルもありませんでした。<br>その点、ワインや女性関係でとんでもない多額の浪費をし、親しい仕事関係者や身内などと大喧嘩＆絶縁を繰り返していた夫の方がよっぽどそれに近かったと思いますが、夫もその話はしなかったのでしょうし、私の話は嘘で夫の話が本当であると思ってしまうなら、仕方ないというか…。<br><br>摂食障害やパーソナリティ障害の件なども含め、このB医師は心療内科医として知識が浅すぎ、患者の話の虚実を見分ける力がなさすぎたと、いまは思っていますが、夫はかなりの高学歴のため学歴を大事に考える男性に受けがよく、穏やかで優しい印象を与える人なので、ほとんどの人が夫の言う事を真に受けてしまいます。<br>まぁ、私も穏やかで真面目で誠実な人だと思ったから結婚に至ったわけですしね…（苦笑）。<br><br>私はこの頃には夫と離婚しているべきだったと、いまでも思います。<br>もちろんずっとそう望んでいましたが、夫からは拒否され続けていましたし、自分でも離婚後やっていける自身があまりありませんでした。<br>私の仕事は、自宅で自営としてやってる夫の仕事のサポート業務でしたし、パニック障害等々考えると、外に働きに行くのは困難に思えました。<br>せめて実家のサポートが欲しかったのですが、おしん世代の私の両親は古い考えの人間で、我慢と忍耐は美徳であり、よほどの理由…夫が働かない・ギャンブルで多額の借金を作る・暴力をふるう、以外の理由での離婚はすべきではないという考えでした。<br>たらればを言っても仕方ありませんが、せめて30代の頃に離婚出来ていたら…とつい考えてしまいます。<br>
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<link>https://ameblo.jp/bow22/entry-12063418582.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Aug 2015 15:30:58 +0900</pubDate>
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<title>夫が発達障害とわかるまで～過去の誤診と向精神薬の功罪③</title>
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<![CDATA[ そんなこんなで、入院中劇的に改善した心身の不調は、退院し自宅に戻った途端にまた悪化。<br>カサンドラ症候群の原因となる発達障害＆人格障害の夫と暮らすのだから、当然です。<br>しかし、この頃の私にはもちろんわからなかったし、担当医もそんなことは教えてくれませんでした。たぶん知らなかったのでしょうが。<br><br>当初、B医師の診察は夫が同席していたと書きましたが、1年ほど経ったあるとき、夫が自分の睡眠時間が回転する件について相談しました。<br>この頃彼は自宅でフリーランスの仕事をしていたのですが、当時仕事に対してやる気満々だった彼は、集中すると他の何もかもを忘れてしまっていました。食事も、睡眠も…。<br>食事の時など、私が食事の準備が終わったから食べてと、繰り返し繰り返し強く言い続けて、ようやく食卓についても夢遊病患者のようでした。<br>仕事に夢中になるあまり、睡眠時間もどんどん後ろにずれていく現象が起きていました。<br>12時に寝ていたのが2時になり、4時になり、6時になり…。<br>睡眠時間はわりとたっぷり取っていたから、起きる時間もそれに合わせて移動していくので、昼間しか出来ないさまざまな事をするのに支障が出ていました。<br><br>するとB医師は、「そんなのは薬で簡単に治りますよ！」とおっしゃいました。「大丈夫！子供も飲むような安全な薬ですよ！」<br>夫はこのとき処方された睡眠薬から、精神科医および向精神薬との長い付き合いが始まります。<br><br>結果的に、夫はこの睡眠薬に始まり、その後さまざまな心身の諸症状を訴えるようになり、最終的には私のとそんなに変わらない大量の向精神薬を服薬するようになりました。<br>途中からは診察も私とは別になり、それによりさまざまな問題が起きるようになりました。…まぁ、それも後でわかったことなんですけどね。<br><br>夫は恐らく先天的にアスペルガーとADHDという発達障害をもち、後天的な環境から自己愛性人格障害を併発していました。<br>私に対する感謝やいたわりの気持ちが著しく足りず、傷つけるような言動を無意識のうちにすることはそれまでもたびたびありましたが、しかしそれでも、向精神薬を服薬するようになるまでは、モラハラというほど酷いものでもありませんでした。<br>夫にとって向精神薬は、もともと働きの弱い前頭葉を更に麻痺させ、発達障害の大人にとって重要な理性や忍耐力などをさらに失わせ、後先考えずに行動してしまう衝動性を強化するものになりました。<br>向精神薬だけでなく、それが悪化したのは更にいくつかの要因があります。<br><br>酒・薬（向精神薬）・そして医師の後押し…（苦笑）。<br><br>お酒も基本的には向精神薬と同じと、私は思っています。<br>素面の時に前頭葉が頑張って働かせている理性を失わせるから、お酒で失敗する人が多い。<br>実は、彼は出会った当初、ほとんどお酒を飲まない人でした。<br>少しでも飲むと赤くなるタイプで、お酒に弱い体質である自覚があり、当時は友達もほとんどおらず、飲みに行く相手もいなかったのもありました。<br>彼は、（彼よりは、だけど）社交的で友人が多く、そういう席で楽しそうに飲食している私に憧れがあったそうです。<br>結婚後、私につきあって外食時にワインを飲むようになり、気付いた頃には発達障害ならではのこだわり気質がそのワインに向かっていました。<br><br>毎日最低1本ワインを飲み、ワイン教室に通い始め、ワインの試飲会や愛好家の集うワイン会などに参加するようになったのは、引っ越して数年経った頃でしょうか。<br>この頃にはB医師の診察も別になっており、彼は各種向精神薬のお世話になっていました。<br>夫は、ワイン教室やワイン会でたくさんの女性と知り合う機会を得て、その後長く続く女性問題を次々起こすようになりました。<br>（これらワイン愛好家の集まりは、中高年既婚男女が多いにも関わらず、非常に男女関係が乱れている世界でした…。）<br><br>“女性問題”。<br>不倫とは言い難い夫のそれは、数々の女性との恋愛ごっこを楽しむものでした。<br>つまり、最終的な性行為まではいかないんです。一時、彼のメールなどで判明した酷い状態だと、その直前くらいまではあったようですが、夫の中では「性行為さえしなければギリギリOK、不倫ではない。つまり僕は何も悪い事をしていない！」という理論だったようです。<br>実際、そこまでの証拠がないと離婚は難しいようですし、私もどう捉えたら良いのか悩みましたが、不快なものは不快でしたし、何度もそう伝えました。<br>他の女性（しかも既婚…）と毎日何度も恋愛のメールを交わし、頻繁に彼のおごりでそれなりに高級なレストランに二人で食事に行き、プレゼントなど渡し、キスくらいならいいだろうと。なんならちょっと触ったりしたくらい、まぁバレないだろうし不倫ではない（彼の中では）。<br>キャバクラ遊びにハマっている男性となんら変わらないといえばそうなんですが、これが不快ではない奥さんがいるとするなら、その夫婦関係は冷え切っているとしか思えません。<br><br>この頃、夫は異常だとB医師にも訴えたことのひとつが、それらの恋愛相談をよりによってこの私にするということでした。<br>「友達の話なんだけどね…」で始まりますが、当時夫には男性の友達はほとんどおらず、どう考えても「あなたの話でしょ！」という恋愛相談を妻である私にする。<br>あり得ないと思ったんですが、B医師に話すと「夫さんは青春時代をお勉強だけで過ごしちゃったから、いま青春やってるんですよ！そのくらい我慢してあげなさい！そのうち終わりますよ！」と、まるでたいしたことではないように言われてしまいました。<br>「友達の話なんだけどね…」と、自分ではないアピールをするあたり、一応バレてはまずいことをしている自覚があるということよね？<br><br>ともかく、夫の行為は医師によって全て肯定されました。<br>なぜでしょう？男だから男の気持ちがわかるのかな？<br>ともかく、医師からの支持が後押しとなり、夫の女性問題はその後も次々と続き、さらには「俺の稼いだ金で暮らしてるくせに！」というモラハラ夫の常套句が頻繁に登場するようになりました。<br><br>夫は当時、B医師に自分を正当化するために、私の言動についてあることないこと言っていたようです。<br>本人が白状しました。<br>私が夫に対してあまりに酷い言動をするために、自分が外で遊び回るのは仕方ないのだと。<br>詳細までは言いませんでしたが、夫としてはこれらの問題行動はB医師とその処方した薬物などによるもので（だから自分は悪くない）、B医師が悪いのだと私に訴えていた時にその話になりました。<br>私からみたらあからさまな夫の嘘を真に受ける精神科医もどうかとは思いますが、嘘の証言を真に受けてそれがもとで誤診となったなら、同情の余地もある…かもしれません…。私としてはあまり同情したくありませんが。<br><br>ともかく、夫の自己正当化のための偽証と、追い詰められた私の間違った認識による相談により、B医師の中で、私は境界性人格障害ということになったようでした。<br>ちなみに、夫の言う、私が夫にした酷いことのうち、本当にあったことのひとつが、連絡なしで夜遊び＆朝帰りで大喧嘩になったその日の夜、またしても連絡一切なしに夜遊びしてきて朝帰りの夫を、玄関ドアにチェーンかけて閉め出すというのがありました。<br>その前に夫の携帯に電話し、留守電にこれ以上遅くなったらそうすると警告もしてありました。<br>なお、夫はプロの泥棒よろしく、針金かなんかでチェーンを器用にあけて入ってきました…。
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<link>https://ameblo.jp/bow22/entry-12063255081.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Aug 2015 23:54:18 +0900</pubDate>
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<title>夫が発達障害とわかるまで～過去の誤診と向精神薬の功罪②</title>
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<![CDATA[ ある事件でAメンタルクリニックに通い始めて2-3年経った頃に、引っ越しをした私たち夫婦。<br>引っ越し先の徒歩圏内に発見したのが、Bメンタルクリニックでした。<br>当時はまだ開院してそれほど経っていない、小さな心療内科の院長であるB医師は、ちょっと恰幅の良い男性医師で、年齢は夫と同じくらいかな？<br>産業医でもあったので、いま話題の池袋の事故の犯人の特徴を知って、ちょっと思い出してしまいました…(笑)。<br><br>確かこの病院には、5-6年通ったと思いますが…たぶん…そんなに悪い先生ではなかったんだろうと思います。<br><span style="line-height: 10.2857141494751px;">のちに、結果的に私はこの先生に酷く傷つけられる事になりましたが</span>、少なくとも時間的には、患者の話をよく聞いてくれる先生でした。<br>今は知りませんが、混んでいたし、人気の病院だったと思います。<br>私も当初は、ゆっくり話を聞いてくれるし、良い先生なのだと思っていました。<br>でも今となってはどうしても、B先生を表現するには辛口になってしまいます。<br><br>前のA医師は女性でしたし私も色々話しやすかったのですが、B医師との診察は始め、夫も同席していました。<br>このB医師は薬物治療を大変信頼している先生でした。<br>これまでの経緯を説明し、困っている症状などを伝えると「その症状にはこの薬が効くんです」と断言し、どんどん薬は増えていきました。<br>B医師は、○○の薬の副作用を○○の薬で抑え込んで○○をあわせると…と、まるで実験のように複雑な処方をし、それが少し自慢げでもありました。<br>この医師による処方は最後の頃、二週間分で大きめの紙の薬袋三袋にも及んでいました。<br>抗不安薬2-3種類、抗うつ薬2-3種類、睡眠薬3-4種類、これらによる副作用対策で、便秘薬やら胃薬やら鎮痛剤やら色々…。<br><br>しかし、どれだけ薬が増えても、全身のコリや痛み、不眠、パニック障害等々の諸症状はさっぱり良くなる気配がなく、それどころか鬱状態含めどんどん悪化していき、だんだんと、死にたい…と常に心のどこかで考えているようになっていきました。<br><br>あるとき、B医師から、入院治療を勧められました。<br>治療のために休養が必要だけれども、当時、夫の仕事をかなりの時間を割いて手伝いつつ、一切合切の家事も担当していたため、<span style="line-height: 10.2857141494751px;">家にいると休む事が出来なかったために、強制的な休養のためにも入院治療が良いとのことでした。</span><br>大学病院を紹介する、期間は2-3ヶ月くらいだと言われました。<br>そんなに長く？！と思いましたが、私も早く治りたくて必死でした。<br><br>必死だったんです、私。とてもつらかったから早く治りたかった。<br>本当に真面目な患者でした。<br><span style="line-height: 10.2857141494751px;">B医師も薬で治ると断言していたし、</span>症状を出来るだけ詳細に説明し、医師の処方通りきっちり服薬しました。勝手に多くしたり少なくしたりなんてしませんでした。<br><br>そして、紹介されたC大学病院の精神科病棟に入院しました。<br>このときの担当、C医師はなんというか…大学病院の若そうな勤務医にも関わらず、白い巨塔でも有名なあの大名行列、教授回診にもテキトーに参加するような、自由人という感じの医師でした…(笑)。<br>悪い先生ではありませんでしたが、私を診察する時間というか、話をする時間はあまりありませんでした。<br>でもこれは、B医師から「休養のために入院させたい」と聞いていたからかもしれません。…わかりませんけど(笑)。<br><br>入院用の精神科病棟は、上が閉鎖病棟と呼ばれ、行ったことないのでどんなのか想像も出来ませんが、重症患者が入院していました。<br>私が入院した下の階は開放病棟と呼ばれ、軽症患者が入院する病棟ですが、それでもやはり、私が想像していた以上に…私から見たら、重症と思われる患者さんばかりでした。<br>拒食症で痩せ細った思春期の女の子、閉鎖病棟から移ってきた天使と悪魔の声が聞こえるという統合失調症の若い女性、普段は明るくて話好きなのにちょっとした事で突然激怒し出す鬱病？の中年女性、私が入院してからほとんどしゃべっているのを聞いた事ないほど静かでうつろな表情をしていたのに、一ヶ月ほど経ち私の退院が決まった頃突然、誰も聞いていなくてもハイテンションで延々喋り続けた双極性障害の男性…。<br><br>そう、一ヶ月ほどで退院になりました。<br>何しろ、入院し始めたらとたんに、諸症状が著しく改善したんです！<br>C医師は天才？…いえいえ…なんて言ったら失礼ですが…(笑)。<br>いまとなっては、その理由がよーくわかります。<br>私は、カサンドラ症候群だったんです。<br>その原因である、発達障害であり、かつ、自己愛性人格障害であった夫と離れるのが、一番の治療でした。そんなことを教えてくれる人は誰もいませんでしたが…。<br>実際には、向精神薬の副作用などもあったんですが、この頃にはそれは全く想像も出来ませんでしたし、当初のB医師の言うとおり、入院によって仕事と家事から休養出来たのが良かったのだと思っていました。<br><br>ちなみにこの入院時の約一ヶ月間、着替えなどを夫に頼んで持ってきてもらおうと電話すると、酷く不機嫌になり、忙しいのに！と怒られたりしました。<br>一度、外泊許可をもらって帰宅したんですが、家は散らかりまくりで荒れ放題、私はその1泊2日にひたすら掃除と洗濯をしていました…もちろん、退院後も…。<br><br>もともと休養前提だったためか、入院当初から、他の患者さんは外出にも許可が必要なのに私だけ消灯時間以外は外出自由だったし、他の（私から見たら）重症患者さんに申し訳なく、いたたまれない気持ちがありました。<br>そこで、一ヶ月ほどでC医師に退院したい旨を告げると、即座に「いいよ！」と返事が…(笑)。<br><br>そういえば入院中、C医師により一時的に薬の処方がだいぶシンプルになりました。<br>その後またB医師のもとに通ううち増え続けていき、最終的には上記のような大量処方になっていましたが…。
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<link>https://ameblo.jp/bow22/entry-12063208779.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Aug 2015 20:49:05 +0900</pubDate>
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<title>夫が発達障害とわかるまで～過去の誤診と向精神薬の功罪①</title>
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<![CDATA[ 『カサンドラ症候群』。<br>この言葉を知ったのはつい最近です。私はまさにこれでした。<br>最初に書いておきますが、私はこれまでの経験から、精神科医療と向精神薬について、全否定まではしないもののの、相当否定的です。<br><span style="line-height: 10.2857141494751px;"><br>夫が発達障害だとわかるまで、精神科医（心療内科医）による誤診と向精神薬の副作用などにより、10年以上苦しみました。取り返しのつかない日々です。<br></span>とはいえ、これまで関わったどの精神科医も、単に無知であっただけで悪意があったわけではなく、そもそも当時（もしかしたら今も）そのような知識のあった医師はいなかったものと思われます。<br>どこに行ってもたいした違いはなかったでしょう。<br>いまの生活でもいっぱいいっぱいで、訴える！とか戦う！とか、そんな気持ちは起きません。<br>ただ、過去通った病院のカルテに誤診の情報が残っていて、いつか何かの機会で（そんな機会があるのかわからないけど 笑）、それが出てきたらと思うと悔しい気持ちがあります。<br>そんな気持ちになってしまう過去の経験を、ここに吐かせて下さい。<span style="line-height: 10.2857141494751px;">長い話なので分割して書きます。</span><br><br>そもそも私には昔から、いつかは子供を産んで育てたいという気持ちはあっても、結婚願望はあまりありませんでした。<br>20代後半から付き合い始めて数年経ち、結婚を意識し始めた夫からは、「結婚したら仕事をやめて専業主婦になって欲しい」と言われていました。<br><span style="line-height: 10.2857141494751px;">独身時代、それなりに楽しく仕事をしていてやり甲斐も感じていたし、共働き家庭に育ち、子供の頃から家のことを手伝うのが当たり前だった私には、家事は出来るけれども好きでやっているわけではなく、専業主婦などまっぴらごめんだという気持ちでした。<br></span>夫にも正直に伝え、結婚の話はそのまま立ち消えになっていました。<br><br>当時は実家に住んでいましたが、勤務先が夫の住んでいたマンションに近かったため、遅くなった時などは彼の家に泊まる事がありました。<br><span style="line-height: 10.2857141494751px;">そんな頃、私は勤務先で大変ショッキングな事件に遭遇し、会社をやめ、夫と一緒に住み始めました。<br></span>PTSDとなってもおかしくない事件のため、夫は近所の小さな心療内科に私を連れて行きました。Aメンタルクリニックとしましょうか。<br>このクリニックのA先生はとても優しく話を聞いてくれ、抗不安薬を処方しました。<br>あまりに昔で薬の名前が思い出せませんが、抗不安薬で、毎食後に1錠。そんな感じの処方だったと思います。<br><br>この事件直後はショック状態で、ボーッとして突然泣き出したりして、夜もあまり眠れない…。そんな感じでした。<br>抗不安薬を服用し始めてからしばらくは、眠くなる作用が強い薬のためにひたすら寝続けました。<br><br>それから数ヶ月…たぶん、半年経つか経たないかの頃でしょうか。<br>少し心の平安を取り戻し、夫と一緒に外出し始めた頃。人混みで突然気分が悪くなったり、倒れて意識を失うという事が頻繁に起きるようになりました。<br>パニック障害でした。<br>A先生に相談すると、頓服で更に強いという抗不安薬を追加で処方されました。<br>服薬していても頻繁に発症するため、外出が困難になりました。<br><br>それから更に数ヶ月…今度は、夜眠れなくなってしまいました。<br>追加で睡眠薬の処方。<br><br>この頃、同棲生活も一年近くなり、お互い結婚適齢期を過ぎ親からのプレッシャーもあり、ついに私も観念して結婚しました。<br>夫がフリーでやっていた仕事を私も手伝うようになり順調になってきたのと、事件のため自己否定感が強くなっていた私への夫の態度が、とても優しく親切に思えたからでした。<br>彼のために尽くしてあげたい、そう思ってしまいました。<br><br>夫は高IQで幼い頃から天才と言われ、単身赴任であまり子育てに干渉しなかった父と、長男を溺愛し「夫ちゃんはお勉強だけしていればいいのよ」と何でもしてくれる過保護過干渉の母の元で育ち、高学歴の自己愛性人格障害になっていましたが、当時の私にはとてもとても優しく…というか、今でも周囲の人達からは（私が、夫は短気で怒りっぽいと訴えても）「夫さんが怒っているところは想像出来ない！」と言われるほど、温厚で誠実そうに見える人でしたし、私もそういう人だと思っていました。<br><br>しかし、結婚した頃から、あれ？？？と思う小さな事が色々起きるようになりました。<br>何もかもやってもらって当たり前で感謝の気持ちがない、自分の思い通りにならないと怒り出す、何かに夢中になると他のことは一切出来なくなる…etc.…。<br>夫の仕事を手伝いながらも、あらゆる家事を全部私が担当していましたが、当時の夫は私に<span style="line-height: 10.2857141494751px;">対する思いやりやいたわりの言動が一切ありませんでした。<br></span><br>それから更に数ヶ月…。<br>何をやるにもやる気が出ない。身体が動かない。自分は駄目な人間だ。死にたい。<br>時々そう考えるように。<br>軽度の鬱ですね。抗うつ薬が追加で処方されました。<br>でも、この鬱症状により抗うつ薬を処方されるようになったのは、最初に通っていたAクリニックだったか、この後引っ越した先で通ったBクリニックだったかはちょっと定かではありません。<br>ただ、まだ引っ越し前くらいにはそこまで酷くなかったと思います。<br><br>そう、この頃、引っ越しをすることになりました。<br>引っ越し先からはAメンタルクリニックに通うのが遠いため、近所に心療内科系の病院を探したところ、徒歩圏に一件だけ、Bメンタルクリニックを発見。<br>ここでB医師に知り合います…。<br>
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<link>https://ameblo.jp/bow22/entry-12063158497.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Aug 2015 18:12:31 +0900</pubDate>
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<title>夫の発達障害を診断してもらった話。</title>
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<![CDATA[ 20年近くになる夫との生活、これまでほんっと～～～に、色々色々色々…ありました…。<br>本気で離婚しようと思ったことも何度も。いや、あまり過去形ではないですが…。<br><br>夫が某大学病院にて発達障害の診断がおりたのは、5年ほど前。<br>（それまでに精神科関係の大変に大きな問題があったんですが、これはまたとても長い話になるので、別の機会に…）<br>細かい事を書けばキリがないのでざっくり書くと（本当にざっくり 笑）、度重なる女性問題、モラハラ同然だった思いやりや配慮に欠けすぎる言動…結婚生活10年以上経ち、夫婦としての生活が長くなればなるほど、それは耐えがたいものになっていました。<br>当時のさまざまな状況から、離婚するなら私の実家の支援が欲しかったのですが、私の両親はいまひとつ理解してくれませんでした。<br>夫は私と二人きりの時と、他人がいる時とで全然態度が違ったのです。<br>「夫さん、そんな風には見えないわよ。あなたがわがままなんじゃないの？」<br>「男の人なんてみんなそうでしょう」<br>「みんなそのくらい我慢しているのよ」<br><br>でも、診断を受けた前年のあるとき、ついに私も限界になり、本気で離婚しようと話し合いの場を設けました。<br>私と夫二人だけではまともな話し合いが出来ないため、私の家族にも同席してもらって。<br><br>夫は絶対に離婚したくないと、同意してくれませんでした。<br>それまでは、私がどれだけ離婚したいと訴えても、両親の反対もあり諸々の事情で私が諦めていましたが、このときは私の強い意志表示で、私の親も、今度は仕方ないと思う気持ち半分、夫にお説教してなんとか仲直り出来ないかと思う気持ち半分でやってきました。<br>この時夫は、ストレスとプレッシャーがMAXで他人に気を使う余裕がなくなり、私の家族の前でついに、“私と二人きりの時の夫”に。<br>何を言っても全く会話が成立しないその異様な様子に、私の両親は驚き、「夫さんがこんな人だとは思わなかった…」とつぶやいていました。<br><br>その様子もあって両親も離婚やむなしとなり、諸々手続きを始めたのですが、夫は相変わらず離婚を断固拒否。<br>話が平行線となっていた時、たまたま“自己愛性人格障害”を知り、夫はこれなのでは？と感じました。<br>もっと知りたいと更に調べて行くと、今度は“発達障害”という言葉に行き当たりました。<br>これ…絶対にこれ！！<br>ネットにあった簡易チェックみたいなものでまずは確認。<br>夫は43点。閾値が33点以上なのでかなりの高得点。<br>ちなみに当時、絶賛カサンドラ状態で「自分が異常なのではないか？」と疑っていた私は9点でした。<br><br>出来る範囲で発達障害というものを調べ、夫に話しました。<br>「もしあなたがどうしても離婚したくないというなら、病院で検査を受けてきて。それなりの対策もあるようだから、もし、努力によってあなたとの生活が少しでも改善される可能性があるのなら、離婚について考え直しても良い」<br>夫は同意してくれました。<br>色々調べて大人の診断もしてくれるという病院へ行きました。<br>検査した結果、典型的なアスペルガーという診断。大人になってからの診断はとても難しいので断言は出来ないけれども、<span style="line-height: 10.2857141494751px;">子供の頃の話や、現在の状況などを聞く限りADHDである確率も高いとのこと。<br><br>このとき夫は「正直ホッとした」と言っていました。<br>長年、自分は他の人とはだいぶ違うためにさまざまな場面で苦労したとは思っていたようで、でもどこがどう違うのかハッキリわからなかったからつらかったと。<br><br>この病院の担当医の先生が素晴らしい先生でした。<br>これまでの彼の発達障害が原因と思われるさまざまな言動を伝えたら、先生は「それは本当に苦労しましたね」と。<br>初めて理解してくれる人に出会い、涙が止まりませんでした。<br>そして夫には「奥さんはバランス感覚に優れた思考を持っているから、二人の意見が割れた時には奥さんの意見に従いなさい」と言ってくれました。<br><br>あれから約5年。夫もそれなりに努力してくれ、だいぶ変わってきたところもあります。<br>それまでは縦の物を横にもしない「おーい、お茶！」タイプの昭和男でしたが、料理や洗濯など、家事を随分手伝ってくれるようになりました。（恐らくADHDのため、掃除片づけなどは相変わらず苦手…うっかりするとあっという間にゴミ屋敷化…orz）<br>女性問題に関してはその後も何度か怪しい部分もあり、大喧嘩を繰り返しながらも、モラハラ同然の“自己愛性人格障害”的な部分は、少しずつ改善されてきました。<br>（まあ、まだいつ繰り返すかわからないとあまり信用していませんが…。）<br>でも、おそらくは先天的障害であり、生涯治ることはないであろう発達障害の部分は、やはり改善は難しいようです。<br>私の離婚したいという気持ちも、日々揺れ動いています。<br>せめて、同じ屋内でも別々の部屋を持ち、LDKだけを共用するシェアハウスのようにして接触時間を最低限に減らすと喧嘩も減ってお互いに暮らしやすくなると思うんですが、そんなに広い家ではないのでなかなか難しい問題です。</span>
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<link>https://ameblo.jp/bow22/entry-12063108128.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Aug 2015 15:19:15 +0900</pubDate>
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<title>このブログを書くにあたって</title>
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<![CDATA[ つい愚痴だけ書いちゃったけど…。<br>ブログに書こうと思ったのは、ネガティブな気持ちを吐きだしてスッキリするため。<br>アスペルガーとADHDを両方持つ夫との生活は、なかなかにストレスフル。<br>でも発達障害の夫の愚痴は、理解してもらいにくい。<br>（そういえば、カサンドラ症候群って言葉も最近知りました。）<br><br>いつまでもネガティブな感情を引き摺りたくないから、文字にして書き出すことで自分の中で少し整理されたり、怒りの感情も収まったりしないかなーと期待しています。<br>どうなるかな。<br>
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<link>https://ameblo.jp/bow22/entry-12063015822.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Aug 2015 09:34:06 +0900</pubDate>
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